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2012年5月 9日
光(ひかる)さん と 未明(みはる)くん
想定外にしんどかった特命堰さらい体験と里山交流会が明けた翌5月4日、
会員さんもお誘いして、帰る前にチャルジョウ農場に立ち寄る。
農場主の 小川光さん は、地元の方々から耕作を依頼された西会津の農場に
主体を移していて、こちらは息子の未明(みはる) さんが仕切っている。
覗けば、オリジナル品種のトマト 「紅涙(こうるい)」 の定植に入っていた。
ここは標高400メートル。 まだ朝夕は肌寒い山間部。
水も引けない場所で、光さんは無潅水での有機栽培技術を確立させた。
冷涼な気候は病害虫が少なく有機栽培に向いている、と光さんは言う。
ただし生産性は低い、はずなのだが、そこからが光さんのスゴイところである。
徹底した省エネ・低コストと環境共生で 「ちゃんと食える」 農業を実践してきた。
ヨモギなどの野草を生やし、害虫の天敵を共生させる。
有機質肥料もあえて生で使い、作物の根が伸びてゆく先に施す(溝施肥)。
ハウスの資材はすべてリサイクル。 パイプも農家から譲り受けては修理して使う。
わき芽や側枝をあえて取らない多本仕立のトマト、メロン栽培。
光さんが編み出した技術は本にもなり ( 『トマト、メロンの自然流栽培』 )、
08年には農水省の 「現場創造型技術 『匠の技』」 の認定を受けた。
息子の未明さんも、負けてない。
一昨年、NPOふるさと回帰支援センターが実施している
「農村六起」 プロジェクトの第1回ビジネスコンペで見事受賞し、
「ふるさと起業家」 7名に選ばれた。
「農村六起」 とは、六次産業 (1次・2次・3次産業をミックスさせた事業) 化の
ビジネス・プランを持って地域活性化を目指そう、という意味。
未明さんは、会津在来種の雑穀や豆類を遊休地で栽培し、
加工・販売するプランを構想している。
しかも都会から若者たちを呼び込み、地域活性にもつなげたいと、
親父に負けず、立派な農村起業家として頭角を現してきている。
ちなみに未明(みはる) という名は、
童話作家・小川未明(みめい) から頂いたものである。
相当に影響を受けたようだ。
僕も小学生の時、誕生日に母親から童話集を買ってもらったことがある。
赤いろうそくと人魚、牛女(うしおんな)、野ばら、港についた黒んぼ、といった
ヒューマニズム溢れる作品群が強く心の底に残っている。
でも、、、名前にまでつけられるとちょっと、しんどいかも。。。
研修生に、ロシアから来た若者が加わっていた。
有機農場での研修や農作業先を提供する (農場は宿と食事を提供する)
国際的ネットワーク組織 「ウーフ(WWOOF)」 の紹介でやってきた。
「次はヨルダンに行く計画」 だと言う。
こういう若者が増えている。
昔なら、こんな生き方してると、ヒッピーと言われて親は泣いたものだが。。。
ま、頑張ってくれたまえ。
いや、" 頑張る " という言葉も、彼らには適切ではないのかもしれない。
好きにすれば・・・・・て感じ?
未明さんを代表として、浅見彰宏さんや新規就農者・研修生たちで結成された
「あいづ耕人会たべらんしょ」も4年目に入った。
夏には 「会津の若者たちの野菜セット」 が組まれる他、
在来種 「庄右衛門いんげん」 が
『 とくたろうさん 』(地方品種・自家採種品種のファンクラブ) に入る予定です。
乞うご期待。
さて、残してしまった話題がある。
里山交流会で聞かされた、菅野正寿さんの重たい報告。
すみません、気を締め直して・・・ 続く。
2012年5月 7日
未来に残したい財産は、ここにある
未来に残したい財産は、ここにある。
特段珍しくもないけど、
それでも美しい (と感じるのはそれぞれの個人史によるようだけど)、
資源の宝庫、ニッポンの里山。
僕のゴールデンウィークは、ここ会津・喜多方市山都町での
" 堰さらい " ボランティアが年中行事となった。
毎年5月4日に実施される、地元総出での水路の清掃作業。
6年連続6回目の出場、ということで秘かに自分を褒める。
この作業の説明はもういいですかね。
毎年書いているので、昨年のブログ を見ていただくことで省略したい。
今年のボランティアは、過去最高の49名を数えた。
大地を守る会からは職員・会員合わせて13名 + 将来のボランティア後継者1人。
ついに二ケタ到達! 一大勢力と言われるまでになった。
苦節6年、ウウッ(泣)。。。
前夜祭で盛り上がった後、二つの公民館に分泊したボランティアたち。
我々が泊まったのは本木(もとき) 集落組。
朝みんなで朝食をつくって、食べて、お昼用のおにぎりを握って、片付けて、
7時半集合。
堰守りから挨拶があり、班分けが読み上げられる。
「頑張りましょうね、皆さん」 と余裕をかましていたら・・・
今年の作業は、ちょっと、、、違った。
通常の堰の土砂さらいとは別に 「特別班」 なるチーム編成が行なわれ、
大地を守る会から僕と須佐(農産チーム職員) が指名された。
「何をやるかと言うとですね・・・・」 と
何やら意味深な 「堰と里山を守る会」事務局長・大友治さん。
「崩れたところとか、倒木の片づけとか、詰まっていそうなトンネルの箇所とか・・・」
状況が想像できるだけに、一瞬うろたえ、唾を飲む。
しかし、、、ここでひるむワケにはいかない。
腰に手をやって、にっこり笑って、覚悟を決める。
というわけで、僕と須佐は地元の二人に連れられて、
別働隊として堰に分け入ることになった。
今年の冬は雪が多く、春が遅かった。
なだれ的に崩れた箇所がある。 倒木もでかいのが落ちてきている。
そして・・・
この溝に潜って土砂を掻き出す・・・ わけですか?
そう、らしい。
隊長の遠藤金美(えんどう・かねみ) さんが先に入り、
土砂をバケツに汲んでリレーする、と言う。
2番手は、大地を守る会のプライドをかけて、、、行くしかない。
四つん這いではない、文字通り、腹這いで。
体を上げることも向きを変えることもできない。
天井の隙間から冷たい水がボタボタと落ちてくる。
あんまり想像してもらいたくないけど、
水というやつは、どんなに細かい隙間にもしみ込んでくるのである。
あっという間に全身ずぶ濡れ状態。
それでも、家庭菜園用のスコップで土砂を浚ってはバケツに汲み、
ヤモリのように水の中を這いながら、前進-後退を繰り返す。
中は当然暗い。
入口から懐中電灯を照らしてもらいながら作業を進める。
闇の先で金美さんの声がした。 「こりゃ、ベトコンだぁ!」
圧倒的戦力を誇るアメリカ軍に対し、地下トンネルを張り巡らせて
ゲリラ戦で対抗した 「南ベトナム解放戦線」。 米軍は彼らをベトコンと呼んで恐れた。
ベトコンと聞いて、アドレナリンが吹き出してきたか。
負けるわけさ、いがね! ってなもんで。
しかし、体はどんどん冷えてきて、やがて震え始める。
間もなく、ここは作業ポイントではなかった、という落ちがつくのだが、
ま、それはともかく、
金美さんが気遣ってくれて、お昼前に中断して里に下り、
金美さん宅でシャワーを借り、
着替えを一式用意してもらって (パンツと股引はもらうことにした)、
お昼を食べて、午後再び山に入るという、
6年目にして戴いた、貴重な 「ベトコン体験」 であった。
やっぱりボランティアでは本当のご苦労は分からないですね、と聞けば、
「いやあ、オレも入ったの、初めてだあ」 と金美さんも笑ってくれる。
足手まといになったのか、力になれたのか、分からない。
でも、この堰にいっそうの愛着が涌いたのは確かだ。
水よ、巡ってくれ、この里に。
作業終了後、例によって早稲谷の公民館前で打ち上げ。
気を使ってくれたのか、乾杯の音頭に指名された。
風呂に入って、夜は 「里山交流会」。
今年の勉強会には、二本松市東和の菅野正寿さんが呼ばれていた。
菅野さんの話には意外な報告があって、
ちょっと重たいので次回に回すとして、
ここでまったく想定外の人に会ったので、触れておきたい。
人気長寿漫画 『美味しんぼ』 の原作者、雁屋哲さんだ。
雁屋さん一行は今、
福島を取材して回っている。
実は昨年暮れ、雁屋さんから
知り合いの会津農家の米を売ってくれないかと依頼されたのだが、
僕らも契約農家の米を売るのに手一杯であることを伝えた経緯がある。
雁屋さん推薦の米ですら・・・ですか、と言いながら。
みんな苦労しながら、突破口を目指している。
僕らは近いうちに、ひとつの出口で出会うことになるだろう。
出会わなければならない。
頑張りましょう。
一緒に作業すればよかったのに- という台詞はさすがに抑えた。
すっかり地元のキーマンになった浅見彰宏さん。
気がつけば、
チャルジョウ農場、小川光さんも登場。
アコーディオンを奏で、女子に取り囲まれている。
息子の未明(みはる) さん、曰く。
「こういうところでのオヤジは、すごいんですよ。 かないません。」
「種蒔人基金」 で用意したお酒 「種蒔人」 24本は、完売で足りないくらい。
自腹で確保していた6本も供出して、里山交流会は熱く終了した。
2012年5月 6日
すべての原発が止まった「子どもの日」
昨夜、2012年5月5日午後11時3分、泊(3号機) が止まりました。
日本で稼働していた原発すべてが停止した、記念すべき 「子どもの日」 。
にくい計らいですね。。。てことはないか。
このまま再稼働がなければ、
二度とフクシマのような大惨事は起きないですむ(だろう)、、、日本では。
これ以上悪くなることはない、と思いたい。
しかし厖大な核廃棄物の管理は未来永劫にわたって続くわけで、
そのコストは子々孫々に負わせ続けなければならない。
ただひたすら厳重に隔離させるためのコスト。
不条理なことだと思う。。。
仮に一部再稼働させても、将来へのツケは増すばかりである。
いったい誰のための再稼働なのだろうか。
「電力不足」 で危機を煽る方々には、
「節電で乗り越えられるならOKですか?」 と問い直したい。
「乗り越えられるならいいですけど」 と答えるなら、提案がある。
全国の自動販売機を停止してはどうだろうか。
特に煙草の自販機は不要である。
利用者だって、ないものと思えば、少々の工夫で何とかなるだろう。
何とかしようぜ! コンビニだってあるんだからさ。
みんなで知恵と工夫を出し合い、また企業なら
次代に向けての技術革新・市場創出のチャンスと捉えるべきだ。
とにかく、廃炉に向けての道のりは、これからである。
福島第1原発の廃炉完了には、
僕には確かめることすらあやうい時間 (30年以上) が必要とされている。
せめて 「持続可能な社会」 の夜明けを見とどけ、確信をもって眠りたいものだ。
頑張らないとね。
「子どもの日」 がいつも希望の笑顔で輝いていられるように。
加藤登紀子さんが提唱した 「緑の鯉のぼり」。
僕の机にも女子がさりげなく立ててくれて、眺めては自らを励ます。
未来に残したい財産は、ここにある。
どこにでもある(あった、と言うべきか)、しかも美しい、日本の里山風景。
資源の宝庫、でもある。
・・・・・という流れで、会津・堰さらいの報告へと進みたいのだけど、
昨日遅くに帰ってきて、今日は一日遅れの 「子どもの日」 の感慨に
どっぷり浸かってしまった。
レポートは明日に回して、あちこち張った筋肉と腰をさすりながら
このまま思いにふけることを、お許し願いたい。
2012年5月 2日
地球大学 Ver.3 - テーマは 「食」
先日予告した
『 大地を守る会の 放射能連続講座
~食品と放射能:毎日の安心のために~ 』
第6回目の講師が決定しました。
(独)国立病院機構・北海道がんセンター院長、西尾正道さん。
専門家の間でも決着できないテーマ、「低線量内部被曝」 の問題を
解析していただきます。
日程は10月6日(土)、午後1時半~4時。
場所はこれから探します(都内を予定)。
もう一つの予告を。
久しぶりに竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、文化人類学) から、
丸の内地球環境倶楽部 「地球大学アドバンス」 へのお呼びがかかりました。
『地球大学アドバンス』
地球環境の様々な問題や解決法についてトータルに学び、
21世紀の新たな地球観を提示するセミナー。
竹村さんがモデレーターとなって、毎回多彩なゲストを招いて行なわれる。
2006年、大手町ビルにあった大手町カフェで 「地球大学」 がスタートして7年。
2008年に新丸ビル 「エコッツェリア」 に移って、
その間開催されたセミナーは50回に到達した。
僕は2009年の10月、
『 日本の 「食」 をどうするか? 』 というテーマを与えられ、
主に水田という機能が持っているたくさんの価値についてお話しさせていただいた。
( 『地球大学講義録 -3.11後のソーシャルデザイン』 という本に収録されています。)
そして今年度の地球大学のテーマは、改めて 「食」 に焦点を当てたい、
というのが竹村さんの狙いである。
「食」 の後ろ側にある地球環境問題や日本の課題について掘り下げ、
解決に結びつける具体的なアクションの創出につなげたい。
「地球大学」 は言わば新たなバージョン3 として、
これまでのお勉強から実践へと進化させるための構想を描くものにしたい、と。
そこで去る4月16日、
「地球大学」 2012年度開校にあたってのキックオフ・ミーティングが開かれ、
30名ほどの関係者が呼ばれたのだった。
竹村さんから、いろんな視点での 「食と環境」 の課題と方向性が示され、
丸の内をいかにグリーンな街にするか (しなければならない)、
という視点に立って 「食のリデザイン」 を構想していきたいと、
例によって竹村ワールドのプレゼンテーションが進む。
その1回目として、まずはいま大丸有エリアで進み始めている
" 食の共同調達 " 実験、「大丸有つながる食プロジェクト」 構想を取り上げたい。
そこでいきなり僕の目を見て、「戎谷さん、よろしく」 ・・・・・ときた。
そうか、呼んだのはそういうわけだったのね、、、くそ! やられた。
他の方も同様で、もう皆で笑うしかない。
というわけで今年度第1回は、
5月28日(月) 18:30~ 「エコッツェリア」 にて開催となりました。
近々にも丸の内地球環境倶楽部の HP で告知されると思いますので、
興味ある方は是非。
会議終了後は、参加者同士の交流会がセッティングされた。
食材は、我が 「Daichi&keats (ダイチ&キーツ)」 から用意させていただいた。
お店の台所事情はまだ一杯一杯の状態なのだが、
無理に頼みこんで、用意してもらった。
ま、やるとなったら、しっかり気合い入れて作ってくれたようで。
用意してもらったメニューは、以下の通り。
★ D&K野菜デリ&サラダ盛り合わせ
★ 野菜と雑穀のサラダ
★ 雑穀入りチキンから揚、エコシュリンプフライ、新じゃがポテトフライ
★ 丹沢ハム工房の無添加ハムソーセージ盛り合わせ
★ 野菜サンド、雑穀おにぎり
どれも、生産者の顔が見える食材たちです。
オリジナルの人参ドレッシングもお試しください。
-と、慣れない料理紹介をして、食べていただく。
どれも大好評で、残った料理はなんと 「エコッツェリア」 のスタッフたちの
翌日のお昼のともに供された、とのこと。
後日伺った際に 「それでも美味しかったんですよ、感激でした」 と言われた時は、
褒められるのに慣れてない僕は、ただ照れるのみで・・・(なぜお前が照れる?)
「Daichi & keats」 の皆さん、ありがとう。 お陰でメンツ立ちました。
「地球大学アドバンス」 2012年度は、
「食」 の理念からアクションへ。
僕たちは何を食べるのか
- その向こうにある価値をどこまで共有することができるか。
実験を実験で終わらせないための、" つなげる力 " が問われる年になる。
2012年4月30日
須賀川から、新しい社会づくりを-
4月28-29日、福島県須賀川市で開催された
「 第12回 菜の花サミット in ふくしま」 レポートを続けます。
" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "
ドイツでバイオマスエネルギー村を誕生させたマリアンネ教授からの
刺激的な激励メッセージを受けて、
福島県下で取り組まれてきた 4つの事例が報告された。
【報告1】- 「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」
東北大学環境システム生物学分野教授、中井裕氏より。
【報告2】- 「菜種に対する放射性物質の影響について」
福島県農業総合センター作物園芸部畑作科主任研究員、平山孝氏より。
【報告3】- 「菜の花の栽培技術について」
株式会社エコERC代表取締役、爲廣正彦氏より。
【報告4】- 「須賀川市菜の花プロジェクトの取り組みについて」
株式会社ひまわり総務部長、岩崎康夫氏より。
4つの報告を僕なりにまとめて要約すれば、以下のようになるだろうか。
1.この1年、各地で試験されたナタネやヒマワリ、エゴマ等による
「(放射性物質の) 除染効果」 は必ずしも高いとは言えないが、
搾油した油にはほとんど移行しないため、
畑の有効活用とエネルギー自給への取り組みとしては高い有用性がある。
塩害農地対策としての効果を上げるには、耐塩性品種の選抜が課題のようだ。
2.ナタネ栽培を起点として、「食」 と 「エネルギー」 生産のサイクルを、
地域の多業種が連携することで実現できれば、
持続可能な新規の環境産業の創出 が期待できる。
3.須賀川市で展開されている菜の花プロジェクトは、以下の点で特筆される。
A) 耕作放棄地を再生させる効果がある。
B) 搾油された油を学校給食で使用 ⇒ 使用済み油を回収 ⇒
バイオ燃料(BDF)に精製 ⇒ 軽油の代替燃料として活用する、
という地域循環が成立している (回収には地元スーパーも参加)。
これによって、震災直後に石油燃料が途絶えた時も、須賀川市では
ゴミ収集車3台がいつもと同じように回ることができた!
C) 菜の花の種まきを子どもたちが行なうことで環境教育に役立っている。
3.課題は、品種選定から安定生産、燃料の品質向上など様々に残っているが、
とにかくポイントは、生産(製造・再生) と消費(活用) のリンクである。
地場生産された菜種油には、油代以外の多面的な経済価値が含まれている。
そのことをどう伝えていくか(=消費の安定的確保) が重要だと思えた。
続く第3部では、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんと
「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事・河田昌東さんによる対談が組まれた。
対談テーマは、「福島の放射能と食の安全」。
伊藤俊彦さん
- 間違いなく、「この一年、放射能について最も勉強し、たたかった農民」 の代表だろう。
共同テーブルで実施した学習会(白石久仁雄氏、今中哲二氏) や
専門家ヒアリング(菅谷昭・松本市長) にも食らいつくように参加してきた成果が
資料によくまとめられ、また発言の随所に活かされていた。
伊藤さんは断言する。
「汚染されない農作物をつくるための生産技術の研究と革新に向かうか、
ただ手をこまねいて国の基準値内に収まるのを待つか。
これによって我々(福島) の農業の未来は明暗を分けることになるだろう。」
放射性物質の性質や挙動を学び、
土壌の力を分析し、食物の機能から鉱物資材の専門書まで読み漁り、
理論的根拠を忘れることなく対策を組み立ててきた。
その執念にずっと付き合ってきた専門家が、河田昌東さんである。
チェルノブイリの経験から得た知見をもとに、
ジェイラップ(稲田稲作研究会)の試行錯誤を支えてくれた。
いま伊藤さんが考えていることは、
食物の力が最大限に活かされるための生産技術の確立である。
例えば、玄米には、ペクチンやセルロース・ヘミセルロース、フィチン酸など、
内部被曝対策に有効とされる機能性要素が豊富に含まれている。
自らが生産する " 安全で機能的な玄米 " で孫を守って見せる。
汚染されない稲作技術を確立させ、詳細な分析に基づく安全確認を経て、
玄米の機能性を最大限に生かした " 放射能対策食 " を目指したい。
例えば、黒米にある抗酸化物質(ポリフェノール、アントシアニン) や
アミノ酪酸(ギャバ)、赤米に含まれるタンニンの金属イオン結合効果。
例えば、インゲンやサヤエンドウはカリウムの吸収量が多く、
したがってセシウムが移行しやすい作物であるが、一方で
セシウムの排泄機能に長けるペクチン含有量が高いという特性もある。
汚染されない栽培技術が確立されれば、
インゲンやサヤエンドウは放射能対策の極めて有効な作物になる。
勉強し、挑戦し続ける百姓でありたい。
そして、福島の人のほうが健康だと言えるまでにしたい!
伊藤俊彦渾身のプレゼン。
売ってみせないと、合わせる顔がない。。。。
一日目の最後に、
岩瀬農業高校の生徒たちによる 「サミット宣言」 が読み上げられた。
私たちは福島が大好きです。
福島はステキなところです。
私たちはあきらめません。
日本の再生を、この福島から始めましょう。
夜の歓迎レセプション、交流会。
河田昌東さんと談笑する二本松有機農業研究会・大内信一さんがいた。
ツーショットの一枚を頂く。
夜は、伊藤さんと二人で、須賀川の夜をはしごする。
この人とは、なんぼ話しても話し足りない。
二日目は、
分科会① - 「農地の放射線量低減対策と食の安全確保について」 に参加。
ジェイラップの対策事例から学ぼうというグループ。
詳細なデータMAPを示しながら、
昨年の成果と今年の対策を語る伊藤俊彦さん。
僕は、ところどころで補完する係として一番前に座らせられる。
伊藤さんの指示は、次のひと言をガツンとやれ、というものだった。
「 国の基準以内に収まればいいということではない。
常に安全な農産物生産に向けてたたかう姿勢を見せること。
消費者の信頼は、それによって帰ってくる。」
言えたかどうかは、どうも心もとないけど。。。
最後のまとめは、菜の花プロジェクト・ネットワーク代表、藤井洵子さん。
二日間にわたる盛りだくさんのプログラムをやり切ってくれた
須賀川市のスタッフたちの頑張りに感謝しつつ、
「今日の成功をバネに、全国の仲間とともに、新しい社会づくりに踏み出していきましょう」
と力強く締めくくられた。
「エネルギー自給へのイノベーションを、須賀川から発信したい」
と熱く語る伊藤俊彦。
彼との付き合いも、米から始まって、酒、乾燥野菜ときて、
さらに深みに向かう予感を抱きながら、須賀川を後にしたのだった。
2012年4月29日
全国菜の花サミット in ふくしま
いま私たちが望む復興・再生とは、単純に3.11以前に戻すことではない。
様々な反省をテコにして、新しい持続可能な社会へと転換させることだ。
そのための道筋を切り拓いていきたい。
福島・須賀川には何度も足を運んでいるけど、
田植え前のこの時期に来ることは少なかったように思う。
ましてや街の風景を眺めることなど、なかったね。
桜並木に鯉のぼりがはためく爽やかな一日。
今回はジェイラップにも寄らず、
昨日から二日間にわたって開催された大きな大会に参加することになった。
『 第12回 全国菜の花サミット in ふくしま 』
よみがえれ ほんとうの空
おきあがれ 明日への大地
~ 「菜の花プロジェクト」 と 「食の安全」、放射能に負けない福島の姿 ~
会場は、一日目(昨日) が須賀川市文化センターでシンポジウム。
二日目の今日は、福島空港ビルで3つの分科会と3コースに分かれての現地見学
というプログラムで行なわれた。
時間を調べずに向かったら、郡山から在来線への連絡がとても悪く、
やや遅れて到着してしまった (怒!)。
主催者や来賓の挨拶など開会セレモニーが行なわれていて、
何とか基調講演の開始には間に合ったようだ。
講師はドイツから招いたお二人。
放射能に負けない、未来の福島の姿を描くために、
ドイツのバイオエネルギー村の成功事例から学ぼうという設定である。
地域再生の方向性を示したいという、主催者の強いメッセージが読み取れる。
ドイツにおけるバイオマスエネルギー村の取り組み。
講師は、ゲッティンゲン大学教授、マリアンネ・カーペンシュタイン・マッハンさんと、
コンサルティング会社社長、ゲルド・パッフェンホルツさん。
チェルノブイリ原発事故をきっかけに、
再生可能エネルギーへのシフトが着実に進んできたドイツ。
2020年には再生可能エネルギーのシェアを20%に、
2050年には50%にする目標が設定されている。
福島原発事故の後には、2022年までに原子力発電を全廃することが合意された。
再生可能エネルギーには、風力・ソーラー(太陽熱)・地熱など様々な形態があるが、
現在、ドイツでのエネルギー供給量に占める再生可能エネルギーの割合は12.2%で、
うちバイオマスが8.2%だという (再生可能エネルギーの67%)。
地域の農業と共生でき、地域内で資源を調達できるバイオマス・エネルギーは、
目標達成のために、ますます重要な役割を果たすことが期待されている。
わらや腐葉土、肥料、有機性廃棄物など、たくさんのバイオマスのタイプが
エネルギー単体として使用することができる、とマリアンネさんは強調する。
地域内資源を活用し、再生可能エネルギーで100%まかなう集落
「バイオマスエネルギー村」 が誕生したのは今から10年前のこと。
ゲッティンゲン大学の科学者チームによって始められたプロジェクトは
「灯台プロジェクト」 と名づけられた。
ゲッティンゲン地域で集中的な広報活動が行なわれ、17の村が興味を示した。
それぞれの村で、すべての居住者を招待しての説明会や意見交換が行なわれ、
アンケート調査によって、実現可能性の高い4つの村が選定された。
そのなかで住民の参加意欲や諸条件(農園の態勢が整っている等) によって、
ユンデという村が最初に選ばれた。
取り組みの意義や成果が村の人たちに浸透していくために、
大学のチームと村長をはじめとする村の人々による
計画推進のための核となるチームが、村内に結成された(村民の満場一致によって)。
そこで、発電所の場所、大きさ、バイオマスに支払われる価格、熱エネルギー価格などが、
住民合意のもとで決定されていった。
そしてすべてのプロジェクト参加者が発電所の株主となった。
2005年、発電所が完成し、発電と供給が開始された。
ユンデ村での導入後、ゲッティンゲン地域で4つのバイオエネルギー村が誕生し、
ドイツ国内に波及していった。
現在では国内の68集落にまで広がりを見せているという。
初期投資にはドイツ政府の補助金もある。
このプロジェクトを成功に導いた要因として大事だと思ったのは、
地元住民の " 気づき " とともに歩む姿勢である。
マリアンネさんは語る。
民主主義社会において、人々を強制しては何の意味もなさなくなる。
農村地区のプロジェクト参加はボランティアでなければならず、
したがって灯台プロジェクトの最初の壁は、技術的なものではなくて、
社会的改新 (意識改革?) をしなければならないことであった。
バイオエネルギー村の導入によって、無数の変化が人々に起きた。
村はエネルギー供給者と受給者としての社会的役割を受け入れ、
彼ら自身のエネルギー需要に取り組むことになる。
たくさんの最先端の知識が必要で、
たくさんの新しい役割が関係者に課せられた。
そのプロセスは大学のチームによってまとめられた。
成功したコミュニティのリーダーにインタビューして成功の要因を見つけ、
整理し、他に適用させていった。
潜在的なリーダーを見つけ出すことに、村の個々人とコンタクトを作ることに、
すべての人に中立的な科学情報を提供することに、
批判を言う者に対して適切かつ丁寧にふるまうことに、
公共のメディアとの良好な関係を作ることに、
コンセプトを広めるために、お祭りや、既存のネットワークを活用して
新しいモデル資産になるものを発掘していくことに。
日本で、バイオエネルギー村は可能だろうか?
マリアンネさんの答えは明確である。
- バイオエネルギー村は、どこでも可能です。
あるいは太陽・風力・地熱とバイオマスを組み合わせた " 自然エネルギー村 " は、
とてもいいソリューション(解答) です。
日本に対するドイツの見解は、
" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) " です。
それらは気候、資源、そして環境保護に貢献します。
エネルギー供給と独立した安全保障に貢献します。
再生資源はきれいで、人体や環境に害を及ぼすこともなく、
廃棄物が出ないため、ゴミの問題がありません。
バイオ・自然エネルギー村は、それらの地域や村の農業、工芸品や軽工業を
ともに行なう魅力的な場所に (再び) なることで、
人々のアイデンティティを強化します。
ドイツからの刺激的な基調講演を受けて、
3.11後、福島で取り組まれた事例報告が行なわれた。
すみません。続く。
2012年1月12日
魚食文化の再興を誓う
今日は久しぶりに丸の内の話題で書く予定だったのだが、
その前に、おさかな喰楽部新年会の報告を終わらせなければ。
さて、ウエカツさんに続いて、次なる登場人物はこの人。
「 鮮魚の達人協会 」 理事長・山根博信さん。
1961年、和歌山の漁師町に生まれる。
家の水産物仲卸業を継ぐも、魚には興味がなかった。
「継いだのは、トラックの運転ができるから」(笑)。
しかし26歳で結婚してから、考えるようになった。
自分はただ運んでいるだけで、魚を見ていなかったことに気づく。
そう思って市場を眺め始めると、魚の流通が変わってきていることに気づき、
このままではいけないと思うようになる。
浜ではたくさんの魚種が揚がるが、値がつかないものがたくさんある。
市場で値がつかない、動かない魚を売ってお金にして漁師に還元する必要を感じ、
2005年、鮮魚の達人協会を設立する。
鮮魚の達人協会。
卸業者や仲買業者など、魚を見極める専門家たちのあつまり。
漁業者と家庭を結び、美味しい魚を提供する。
旬の魚、美味しい魚を取り入れた健康的な生活を応援する。
魚についての知識や魚食文化の普及に努める。
海洋環境や地球環境の保全に努める。
今や漁業者は、魚の目利きだけでなく海洋環境まで目配りしなければならなくなった。
生きにくい時代になってしまったもんだ。
山根さんはハチマキ締めて百貨店の店にも立つ。
どんな魚でも、その特徴を伝え、食べ方を教え、味見させれば、絶対に売れる。
- それが山根さんの信条である。
協会が認定した 「鮮魚の達人」 が、今は全国に50人余り。
その人たちをネットワークしながら、
美味い魚をちゃんと食わせる流通の新しい仕掛けを模索している。
彼らの被災地支援は、三陸の魚をしっかりと流通させること。
大阪でフェアなどを展開している。
ウエカツさんや山根さんとのつながりのなかで生まれたのが、
人気の 「大地を守る会の もったいナイ魚」 シリーズである。
さらにいろんな悪だくみ、いやもとい、熱い企画が検討されている。
左からウエカツさん、山根さん、弊社 「おさかな喰楽部」 担当・吉田和生。
この3人が並んで歩いていたら・・・ やっぱ人は避けて通るか。
でも、思い切って目を合わせてみれば、分かる。 優しい男たちなのだ。
3人が語る。
山根さんのような人がいれば、売れない魚はない。
しかし、いない。
スーパーのバイヤーでも知識を持っている人は多いのだが、
売れるための工夫につながっていない。
たとえばサバは今が一番脂が乗っている時期だが、
スーパーの店頭には一年中あって、夏に塩焼きにしたって本当の美味いサバではない。
でも知らせていないから、いい消費に結びついてない。
いったん離れた消費者を取り戻すのは大変なことなのに。
サンマ一本70円なんて安すぎる! と言い張ろう。
もう一度、魚の旨みのるつぼに消費者を引きずり込む必要がある。。。。。
最後に指名されて登場したのが、モデルの Lie (ライ) さん。
魚を、海を愛するタレントやモデルさんたちで 「ウギャル」 を立ち上げる。
魚(ウオ) と海(ウミ) の ウ と ギャル をくっつけて、ウギャル。
ホームページを見てほしい (上の 「ウギャル」 をクリック)。
「ニホンの食文化、海への感謝、若者の健康促進、魚食文化の発展を目指します」
と堂々と宣言している。
Lie さんの特技は、魚をさばくこと。
復興支援にも積極的に動いている。
ウエカツさんの言う 「新しい芽吹き」 は、あるのである。
期待したい、などと他人事のように言っている場合ではない。
オジサンも頑張ってくれなくちゃ ♥ 、て言われてんのよ。
頑張らないわけにいかないっしょうよ、おっさん!
放射能の議論もあったが、これは簡単な道のりではない。
ただ、ゼッタイに海を見捨てるワケにはいかない、のである。
僕としては、獲る人が諦めない限り、彼らとともに歩きたいと思う。
僕にだって、漁村に育った矜持(きょうじ) は、残っている。
皆と飲んで歌って、帰ってから、
久しぶりに出刃包丁と刺身包丁を取り出して、研いだりして。。。
もっとも困難な時代にあって、魚食文化の再興を、誓う。
2012年1月11日
楽しく Re-Fish! 新年おさかな勉強会
1月8日、日曜日。 千葉県浦安市。
法事や宴会・仕出しなどで利用される料亭 「浦安 功徳林」 の御座敷。
ここにいかにも魚屋って感じの手荒そうな、いやもとい、たくましい男たちと、
お魚大好きという会員さんたちが集まった。
専門委員会 「おさかな喰楽部」 主催による新年勉強会。
「水産庁のウエカツさん、鮮魚の達人・山根さんと楽しく Re-Fish!」
知る人ぞ知る、分かる人は分かる、分からない人には何のことか分からない、
けど何やら楽しげなタイトル。
水産庁のウエカツさん。 本名、上田勝彦。
島根県出雲市出身。 長崎大学を出て漁師になって、
その後水産庁に引っ張られたという異色の経歴。
魚の伝道師とも呼ばれ、
NHKの朝番組 「あさイチ」 にため口で登場してからブレイクしちゃったとか。
現在の正式の所属・肩書は、水産庁増殖推進部研究指導課、情報技術企画官。
「 ひと言でいえば、資源管理ですわ。
逆に言えば、魚をどうやって売っていくか、でもある。」
" なぜ私たちは、魚を食べ、漁業を守らなければならないのか "
以下、伝道師・ウエカツが一気にまくしたてる。
魚離れが言われて30年。
消費量は減り続け、
魚をよく食べる年齢も戦後の年齢構成の変化とともに上昇を続け、
今は50代以上になってしまっている。
寿司屋に人は入っているではないか、と言われるかもしれないが、
それは魚が嗜好品になってきているということである。
学校給食でも魚が出ることはない。
では、魚離れがなぜ問題なのか。
人の食習慣や食文化は、本来、地理的な環境要因によって規定されている。
日本は狭い国土だと言われたりするが、
海岸線の距離はどれくらいか知ってますか。 米国より長いんです。
( エビ注・・・約3万4千㎞。 約3万㎞というデータもあるが、いずれにしても世界第6位。
米国の1.5倍以上、中国の2倍以上。 ロシアは第4位の長さだが、
北極海は冬に凍結する。 水が循環する海岸線ではロシアより長い。)
日本は世界有数の海岸線大国、然るべくして海洋国家なのである。
狭い面積でたくさんの人口を養ってきた力は海洋、つまり魚食である。
(エビとしては、「水田稲作」 も追加したい。
ちなみに面積は世界第61位。人口は世界第10位。)
健全な魚食を維持することが、国民を養う上でもっとも合理的な方法なのである。
生物の世界には食物ピラミッドというのがある。
ヒトはその頂点に立っていると思っている方もおられようが、実は違う。
ヒトは下位の生物から上位の大型生物まで食べている動物である。
つまりピラミッドを崩さない食べ方をすることで安定する、それが人間なのだ。
この社会を持続可能にするためには、
食物ピラミッドを維持させながら食べることが大切になる。
したがって日本人は、魚食文化を維持することこそが賢明な選択となる。
魚食の崩壊は、祖国存亡の危機だっつうの!
魚は長く無主物として扱われてきた。
(エビ注・・・「無主物」=持ち主がいない。
最近の活用事例では、降ってしまった放射性物質は 「無主物」 だから返されても困るし、
金を払う義務もない、という電力会社の主張があった。)
つまり、獲った者勝ちだったわけだ。
しかしだんだんと、人類共有の財産という考え方になってきている。
みんなで守らないといけない時代になっているワケです。
そこでこう思うのである。
生産者というのは、食べる人 (消費者) の代行者である。
代行して獲る。 と同時に、代行者として、絶やさないという責任も負う。
だからこそ消費者は、買って食べて生産を支える、そんな関係にある。
その生産と消費のバランスを調整するために、加工や流通の使命がある。
昨年の勉強会で、俺はこう言った。
「今年を魚食復興元年にしよう! Re-Fish! でいこう」 と。
( Re-Fish ・・・魚の復興とか魚食に帰ろう、といった意味合い。)
しかし3.11を経験してきた今、
今年のテーマは 「原点回帰!」、これだね。 以上。
いやいや、実に歯切れがよい。
しかもウエカツさんの水産資源管理と魚食文化論は、
「資源」 という概念の本質まで突いてきているように思えた。
そもそも 「日本は資源のない国」 という論は、
昭和初期の、軍が強力になって外に侵出するのと機を一にして出てきた主張だと
最近知らされた次第である (佐藤仁著 『 「持たざる国」 の資源論』 より)。
その意識は今だ根強く、この国は国土や環境(資源の土台) を
荒らしまくりながら、裸の自由貿易へと走ろうとしている。
一方で、エネルギー資源の発想はドラスティックに変わろうとしているのだ。
このテーマ、たっぷりと議論する必要がある。
続いて、もっと強面(こわもて) なお父さんが登場するのだが、
本編続く、でごめんなさい。
2011年9月23日
「地球大学」 の講義録
台風によって大量の水が太平洋から運ばれてきて、
人里には災害ももたらすけれども、水が潤沢に溜まることは幸いでもある。
百年後のミネラルウォーターの源泉だから。
でも山 (森) が崩れれば、その保証はできない。
台風一過で、水蒸気やちり(ダスト) が取っ払われて、天高く感じる。
秋が来ましたね。
今年はピッタリ " 暑さ寒さも彼岸まで " になったようです。
今日、幕張の歩道橋で赤とんぼと遭遇しました。
でも、やっぱり気は晴れません。
彼方此方から農産物被害の報告を聞かされることもあるけど、
一昨日のひと言がいけなかった。
「この崩壊現象は、なんだ。。。。 ヤバイね。本当にヤバイ。」
と書いてから、どうもいろんな場面で反芻してしまっているのです。
ロバスト(強健) な社会を再構築したい! いや、しなければいけない。
-そこで、おススメの本を一冊。
このところ本の紹介や引用が多くなっているのを気にしつつ、
でもこれは挙げなければならないワケがあって。
実はワタクシも登場しているのです。
『地球大学 講義録 -3.11後のソーシャルデザイン』
竹村真一+丸の内地球環境倶楽部・編著。 日本経済新聞出版社から。

このブログでも何度か紹介した、丸の内 「地球大学」 の講義録に
コーディネーター・竹村真一さんの一文が追加された形になっている。
2ヵ月前に出版されてすぐに送られてきていたのだが、
ようやく読むことができた。
収録された講義のいくつかは聴いていたものだけど、
改めて整理されたものを読んでみれば、やはりスゴい提言集である。
『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ刊) に続いて、
しばらくは本棚に納めず、手元に置いておきたいと思わせる。
「 " 3.11後 " は、
私たちのなかでは少なくとも3年前に始まっていた。」 (「はじめに」より)
そうなのだ。
3.11後の日本にとって避けられないテーマに対する次の設計図が、
次から次へと可視化されてゆく。 しかしこれらは
「震災後になされた問題提起ではない。 ~すべて震災前に語られた内容である。」
「第Ⅰ部 宇宙船地球号のエネルギーインフラ」 から始まって、
「第Ⅱ部 未来をつくるソーシャルデザイン」、
「第Ⅲ部 地球公共財としての生物多様性」、
「第Ⅳ部 地球目線で考える都市の未来」、
そして最終講-「東日本大震災後の 「コミュニティ・セキュリティ」 デザイン」 で締め括られる。
飯田哲也さんら総勢38人による " 次なる時代へのプレゼンテーション " 。
僕はⅢ部のなかで、島村奈津さんと一緒に
「宇宙船地球号の 「食」 を守る」 のテーマで話をさせていただいた。
ラインナップに加えていただけただけでも光栄の至りである。
本書には、実に刺激的な言葉が溢れている。
「地域の人たちが発電者になるのです」(飯田哲也さん)
「数万人規模の 「住・職・食・楽・交・教・医・憩」 が一体となったコンパクトシティ群」(山崎養世さん)
「歩いたり踊ったりする日常の活動が 「発電行為」 になる」(速水浩平さん)
「流せば洪水、溜めれば資源」(村瀬誠さん)
「ゴミとは 「デザインの失敗」 である」(益田文和さん)
「味覚の刺激を経験していない子どもは、大人になる準備ができない」(三國清三さん)
「シルクと草木染めを合わせれば、化学物質を使わない防虫効果が出ます」(長島孝行さん)
「人間が自然と共存していた、以前の姿を新しい形で再生させること。
これは 「懐かしい未来」 とでもいえるでしょうか」(同)
「木を家づくりに活かすことは街に森を作ることにつながります」(小沼伸太郎さん)
「人間や鳥の 「食べる」 過程がないと、海に入った栄養物質は陸に戻りません」(清野聡子さん)
「 「俺たちの街」 という 「俺たち」 の集合体を作っていかないといけません」(村木美貴さん)
コーディネーターの竹村さんも呼応して、素晴らしい言葉を繰り出してくる。
- 私たちは新しい地球文明という一つの大きな 「物語」 を作ることに参画している。
- 地球号は 「水冷式」 の宇宙船であり、水に祝福された宇宙のオアシスだ。
- クルマの進化から、クルマ社会の進化へ-。
- 20世紀の文明はある意味で、「人間をバカにした文明」 だったと思う。
- 宇宙を身にまとう。
- 季節の変化に敏感な人が住んでいる街こそが真の 「エコシティ」 なのではないか?
- 「いのちの安全保障」 を国に頼る時代そのものが終わりつつある。
- 人類は進歩したからではなく、その技術文明が 「未熟」 すぎたがゆえに
地球環境を破壊してきた。
いかがでしょう。 想像力が刺激されないでしょうか。
そして、可能性はまだまだ無限にあるのだ、と思えてこないでしょうか。
" ロバストな未来社会 " は、
僕らの想像力のはばたきと、みんなの構想力がつながってゆくのを、
今か今かと待っているような、そんな気さえしてくるのです。
これらが今後の東北の復興と日本新生、ひいては未曾有の共感で
震災後の日本を支えてくれた世界への応答責任を果たす一助となれば
幸いである。(竹村さん)
「応答責任を果たす」 -そのメンバーであり続けたいと思う。
2011年9月21日
深層崩壊をもたらす放置人工林
台風12号の傷痕もまだ痛々しいところに、15号が襲ってきた。
またもや全国各地に災害をもたらし、各産地の農産物にも被害が出ている。
収穫や出荷が遅れるだけでなく、実が落ちたり傷んだり・・・
産地担当も各地の情報を集めながら、生産者の無事に安堵しつつも、
一方で品揃えに苦慮するのである。
しかし思えば、豊作でも頭を下げ、不作でも頭を下げ、なんだよね。
こんな日々が延々と続くのが農産物仕入の宿命なのかもしれない。
自然現象に対して怒りをぶつけても仕方がなく、
まあ人が無事なだけでも 「よかった」 という台詞が口をついたりする。
つくづくこの列島の人々は、自然に対して受容的というか 「耐え忍ぶ」 民だと思う。
哲学者・和辻哲郎が昭和初期に著した 『風土』(岩波文庫) の有名な一節。
「 湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。
その理由の一つは、陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。
洋上において堪え難いモンスーンは、実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。
この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、旺盛なる植物によって覆われる。
~ 大地は至るところ植物的なる 「生」 を現わし、
従って動物的なる生をも繁殖させるのである。
かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充溢し横溢せる場所となる。
自然は死ではなくして生である。 死はむしろ人間の側にある。
だから人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である。
それは砂漠の乾燥の相反にほかならぬ。」
しかし現代における自然災害は、
そんな 「自然な」 事象によるものだけではないことにも
目を向けなければならなくなってしまっている。
実は9月6日の日記で、台風12号の影響を心配しつつ、
「元々雨の多い熊野地方で、深層崩壊らしい山崩れが起きるのだから、
尋常な雨量ではなかったことと思う。」 と書いたところ、
山崎農業研究所事務局の田口均さんよりメールを頂戴した。
「深層崩壊」 の真の原因は雨量ではない。 放置人工林の問題がある、と言うのだ。
アッと思って、軽はずみな一文を反省した。
田口さんから紹介されたのは、
『植えない森づくり』(農文協) の著者、森林ライター・大内正伸さんのブログ である。
そこで大内さんは、僕が呑気な事を書いた翌日に
「深層崩壊も放置人工林が下手人」 との見解と解説をアップされていた。
ここで重要なところを転記し始めると長くなるので、
関心を持たれた方はぜひご一読いただきたい。
僕が迂闊だったのは、あの雨だらけの、深い谷を有する紀伊半島が、
それほどまでに人工林だらけになっているとは思ってなかったことだ。
しかも間伐も遅れた放置林でそこまで荒廃してきていることにも。
熊野の強いイメージで、勝手な思い込みがあった。
「深層崩壊と言われたその亀裂の始まりをみると、根の浅い線香林ばかりである。」
の指摘が重たい。
そして紀伊半島をフィールドとした生物研究家、故・後藤伸さんの講演録からの
引用の言葉が、どれも貴重である。
「照葉樹のまともな森林があったら何も怖いことはない。水害のもとにはならんのです。
~ もともと照葉樹林ていうのは、そういう雨の多いところで発達した森林ですから、
そういう大雨に耐えるようにできとるんです。」
「結局、こういう山の生態系のつながりというのは 「原因」 と 「結果」 の間に
20年とか30年とかいう長い時間がかかるわけです。
~ 昔は、植林によくないところは全部自然林で残しておったんです。」
昔から受け継がれた知恵を捨ててやみくもに人工林を増やし、
グローバル経済がその山を見捨てさせた。
" それくらいの雨 " でニッポンの山が崩れ出し、人が埋まり、あるいは流される。
ああ、熊野ですら、である。
この崩壊現象は、なんだ。。。。 ヤバイね。本当にヤバイ。
まだまだ勉強が足りません。
田口さん。 貴重なご指摘、有り難うございました。
2011年9月11日
稲田の挑戦は続いている
今日は一週間遅れとなった 「稲作体験田」 の稲刈りの日なのだが、
こちらは若い実行委員会諸君にお願いして、
僕は急きょ須賀川・ジェイラップに向かうことになった。
ここに当社の放射能測定器を一台据え付けてもらったことはお伝えしてきた通りだが、
これまで測定してきた200件あまりの土やイネの結果を検証して、
取ってきた対策やこれからやろうとしている方向が誤ってないかどうかを
確認することになったのだ。
測定結果の評価と対策のアドバイスに協力してくれることになった専門家は、
四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。
NPO法人「チェルノブィリ救援・中部」 理事という肩書のほうが有名か。
8月にジェイラップで地元の方々も招いての講演を開いてから、
測定にもお付き合いを頂いている。
河田さんをジョイントさせたのは 『通販生活』 のカタログハウスさんである。
今日は河田さんのご都合に合わせて設定された。
しかもNHKが取材に入ることにもなって、少々ものものしい雰囲気になった。
収穫が近づいてきた稲田の田んぼ。
カリウム散布に各種の実験。
" やれるだけのことはやった " の思いがある一方で、
それでもこの半年、ざわざわとした胸騒ぎは消えることはなかっただろう。
イネは、何事もなかったように、元気に穂を垂れてきている。
収量は- 「平年作並みだね。 味はイイよ、ゼッタイ」 と胸を張りつつも、
けっして気は晴れていない。
3.11以降味わった激しい怒りや悔しさは消えることはなかった。
原発事故さえなかったら、
俺たちは震災から立ち直ったぞ! と声を張り上げて叫びたいところだろう。
ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん(右)と、測定結果を分析し合う河田昌東さん。
「すごいです。 数だけでなく、これまで仮説だったものの裏付けが取れた
ものもある。 国にもこれだけのデータはない」 と、感心することしきりである。
今の段階でのイネ体と土をサンプリングする小林章さんと伊藤大輔さんを、
NHKが追いかける。
「もうそこらへんの土壌分析の専門家並みですよ」
と小林さんをホメまくる伊藤社長。
こう言う時は、相当働かせているに違いないのだ。
でもホント。 実にていねいな作業である。
土は5センチ刻みで計測する。
セシウムはまだ表層に残っていることが、彼には見えている。
NHKさんの要望もあって、採取してきたばかりの生のモミのまま
測ってみる。 玄米より高く出てしまうことになるが・・・
30分後、結果は「不検出」! 胸をなでおろす。
「不検出」とは「検出限界値以下」と表現されるものだが、
実際の解析グラフを見れば実にきれいで、「0.0」 と発表してやりたいくらい。
これまでの測定結果を、河田さんのアドバイスも頂きながら、
「ちゃんとしたレポートにまとめますから、期待しててください。」(伊藤さん)
やっぱこの人は、自信に溢れた顔でいてほしい。
こんな米作優良地帯なのに、耕作を放棄した田んぼがある。
すでにいろんな草が繁茂して、花を咲かせていたりする。
専務の関根政一さんに聞けば、
「今年は作付してもダメだと思ったんでしょうね。 いや、切ないっすよ。
見たくないねぇ、こういう風景は。」
大丈夫だと分かって来年作ろうと思っても、これでは戻すのも大変だ。
「3年続いたら、もう戻せないですね。」
この草たちもセシウムを吸っているとしたら、土をきれいにしてくれているわけだ。
できれば刈って上げた方がいいのだが・・・
そういえば、ヒマワリを植えた場所で、
そのまま土にすき込んでいるという話を聞いた。
ヒマワリの葉茎はかさばり、分解も時間がかかりそうなので、
早目にすき込んでいるのだとか。
何だよ・・・と言いたくなる。
各地の葛藤が、葛藤そのままに聞こえてくるようだ。
我々の取り組み結果が、悩む生産者たちを元気づけられるものにしたい。
早く朗報を送りたいと、我々の気持ちはますます逸(はや)ってくる。
10月1日(土)には、大地を守る会の会員さんを迎えて、
「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 が予定されている。
「そこでは、喜んでもらえる中間報告をできるようにしますから、
ぜひ期待しててください! 」
稲田の挑戦は続く。
これはみんなの " 希望への挑戦 " でもある。
収穫祭の参加者募集は23日まで。
今年は頑張って、東京~須賀川間をバスで送迎します。
詳細は 「コメント」 にて、アドレスを付けてお問い合わせください。
なお、NHKの取材はこのあともあちこちと続けられるようで、
放送予定は、11月頃になりそうだとか。
放送日と番組名が決まれば、またお知らせいたします。
「それでも土をあきらめない!」
そんな農民の魂が届けられれば嬉しいのだが・・・
NHKさん、お願いします!
2011年8月28日
みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!
8月18日(木)、
「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。
二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。
用意されたタイトルは-
-3.11フクシマ後のエネルギー戦略-
自然エネルギーによる「第4の革命」
テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。
論点は一貫している。
- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。
- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、
かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。
- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。
- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。
- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、
「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。
- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。
かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。
- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。
- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。
東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。
- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。
地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。
自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。
- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。
持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。
お二人の講演を受けて、戎谷より、
大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、
次の展開に向けての野望も提出させていただく。
「 ここからは、我々が考える時です。
大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、
脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」
無理矢理(?)、拍手で確認。
食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、
我々の手でやれることはすべてやろう。
そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、
という議論に入っていきたい。
できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、
武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。
夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、
翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。
「放射能除染対策から地域再生へ」
事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。
日本短角牛の里で取り組む除染対策。
事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。
水田での様々な除染試験から総合対策へ。
事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。
動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。
【資源循環・エネルギー自給に向けて】
事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。
「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。
事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。
「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。
事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。
ここまできたエネルギー自給農園。
意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、
おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。
司会をしながら、少し熱くなる。
「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」
午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。
放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。
ここにガンマ線スペクトロメータが4台。
現在、週120検体のペースで測定を続けている。
さらには現地(福島県須賀川市) に1台。
こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。
そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。
ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。
生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。
各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。
帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。
「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」
試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。
こんな嬉しいことはない。
2011年8月 3日
いつか孫に褒めてもらえる仕事をしたい
7月23日のレポートを書いている間にも、そしてその後も、
日々めまぐるしく動きはあるのであって、
もうこんな日記の調子ではとてもついてゆけない。
でも、どうにもスタイルを変えられないでいる。
つらいつらいと言いながら、まだこだわりが残っているか。。。
ま、取り急ぎ、この間の行動を振り返ってみよう。
7月26日(火)、東京・竹橋で開催された
「2011夏期学校給食学習会」 の模様を覗かせていただく。
「全国学校給食を考える会」 と 「東京都学校給食栄養士協議会」 の主催で、
毎年夏休み期間に、全国から栄養士さんや調理師さん、教員が集まって
開かれている学習会である。
今年は 「震災・津波・原発事故後の学校給食を考える」 というテーマで、
講演や実践の報告会、そして意見交換会が展開された。
僕がこの学習会に久しぶりに (10年ぶりくらいか) 参加することになったのは、
3名の方の報告を聞くためであったが、最後に行なわれた意見交換会では、
実に重たい話が語られていた。
福島の方からの報告。
人の転出・転入が続いていて、学校は今も落ち着かない状況である。
福島県では来年は教員採用がなくなったそうだ。
給食現場では、放射能 「検出せず」 の野菜を選択したいが、
自主的な判断はできない。
子どもの被曝検査は県内でできず、県外の病院に頼んだが断られた。
みんな風評被害を恐れていて、
余計なことはするなという雰囲気になっている。
そんなつらい空気を吹き飛ばすかのような発言をしたのが、
ジェイラップ (稲田稲作研究会/福島県須賀川市) の伊藤俊彦さんだ。
「安全」 を語るには科学的根拠が必要になっている。
徹底的に現状を調査して、必要な除染対策を立て、前に進みたい。
目標があれば頑張れる。
幸い大地を守る会から高精度の測定機を貸し出してくれることになったので、
できることなら全部の田んぼと米を測りたい。
自分の子供に食べさせたくないものは、消費者にも届けたくない。
「こういう人が作ったものなら安心だ」 と言われたいし、
いつか孫に褒めてもらえるような仕事をしたい。
今の現実から、新しい、福島ならではのイノベーションを起こしたい。
今年の 「大地を守る会の備蓄米」 は、
こんな伊藤さんの思いがぎっしり詰まったものになる。
食べてほしいなぁ、たくさんの人に。
続いて、千葉・さんぶ野菜ネットワークの下山久信さん。
この日は 「食と農の再生会議」 事務局長の肩書で登場。
将来を見据えながら、この3年で15人の新規就農者を育てた。
しかし、これから秋冬の作付が始まる中で、
取引先から計画の20~30%減という販売予測が伝えられてきている。
このままでは希望を持って就農した若者たちもやっていけなくなる。
いま野菜を測ってもほとんどND (検出せず) なのだが、
降った放射能は土壌には残っている。
我々も、ポイントを決めて、毎月土壌検査を始めている。
茨城県八郷町(現石岡市) から来られた 「提携米研究会」 代表、橋本明子さん。
23年前に東京から移り住み、仲間とともに地域の有機農業を育ててきた。
原発事故は自分にとって、そんなこれまでの時間をすべて呑み込んだ大津波だった。
深い絶望で農作業ができなくなった。
それでも食べてくれる人の励ましと、若者たちの農業継続の意思に勇気づけられた。
この先、放射能汚染がどうなっていくのか、何も分かってないが、
みんなの力を信じてやっていこうと、ようやく心が定まってきた。
健康なくして教育はあるでしょうか。
子どもたちの健康を守る学校給食を、どうか築いていっていただきたい。
切実な現場報告に、全国から集まってきた栄養士さんたちも
最後まで真剣な面持ちで意見交換が行なわれていた。
すでに私たちは地球が汚染されてしまった時代にいて、
ある種の覚悟が求められている。
福島だけが当事者ではない。
原発は各地にあり、老朽化が進んでいるのだ。
みんなの力で、原発は止めるしかない。
子どもたちの未来のために、それぞれの現場で、やれることを進めましょう。
2011年7月22日
エメラルドグリーンの海
わあ~きれい! と叫ぶ人がいる。
台風6号が去った翌日、
千葉市幕張の海の一帯がエメラルドグリーンに染まった。
まるで沖縄のサンゴ礁のように美しく見える。
コンパクトカメラなので分かりにくいかもしれないけど、
乳青色の水域が見て取れるかと思う。
これが、いわゆる " 青潮 " ってやつ。
アサリや海苔にとって命取りになりかねない危険信号である。
幕張に本社が移転してから、何度となく目にしてきた。
「青潮」 -実は広辞苑にも収載されていない。
その発生メカニズムは、こんな感じである。
東京湾にはいくつもの河川から生活排水が流れてくる。
排水には、窒素やリンなど栄養塩類が含まれていて、
閉鎖系の内湾では、湾内に溜まり、富栄養化状態となる。
それらは植物プランクトンの餌となって浄化に向かうのだが、
夏場に水温が上昇してプランクトンが異常発生したりすると、
海が赤茶色に染まる " 赤潮 " の現象が生まれる。
過剰に発生した植物プランクトンは死んで海底に蓄積される。
その死骸を分解するのがバクテリアであるが、
分解活動の際に大量の酸素が消費され、海底が貧酸素水状態になる。
特に東京湾には、埋め立て用に土砂が持ち出された穴ぼこがたくさんあって、
その穴は無酸素状態になっていると言われている。
そこに北か北東からの強風が吹くと、
表層の海水が沖 (太平洋側) に向かって流され、
それに伴って海底の貧酸素水塊が表層に湧昇してくる。
無酸素水塊には硫化水素が含まれていて、
上昇したところで酸素と反応して、硫黄酸化物となる。
その粒子が太陽光を反射して見せてくれるのが、
鮮やかなエメラルドグリーンの海、というわけだ。
そこは酸素不足の水塊で、腐卵臭を放ち、
硫化水素によってアサリの斃死などにつながってしまう。
幕張テクノガーデンD棟22階から東京湾を望む。
ここから西、つまり東京方面に向かうと、
習志野を経て船橋、三番瀬の干潟地帯へとつながっている。
僕らがそこで、2000年から取り組んできたのが、
やはり窒素やリンを吸収して繁茂する海藻・アオサを回収して陸に戻す
「東京湾アオサ・プロジェクト」 である。
アオサは発酵させて鶏の餌にしたり、堆肥化する試験を行なってきた。
例年だと、春・夏・秋と回収作業を行なうのだが、
地震により三番瀬海浜公園も液状化の影響を受けていて、
秋の回収も中止を余儀なくされてしまっている。
今年は残念ながら開店休業状態。
台風や強風のあと、エメラルドグリーンの海が登場する。
これはただのきれいな景色ではなくて、
ヒトビトの暮らしの影響を受けながらも必死で生態系の浄化に向かう
生物たちのもがきの現場である。
僕らはもっと、目の前の海と付き合う機会を持たないといけないね。
2011年7月15日
しあわせな食事のための映画たち
- という名の、映画の連続上映会が開催されている。
(イラストは 平尾香さん )
主催は NPO法人 アグリアート さん。
神奈川県や逗子市、逗子市教育委員会が後援に名を連ねていて、
大地を守る会も協力している。
場所は神奈川県逗子にある 「シネマ・アミーゴ」 。
オーガニックな食事を楽しみながら映画鑑賞ができる シネマ・カフェ 。
夏の日差しを浴びて目も眩むような湘南の、浜辺の通りの一角にある。
先週の土曜日(7月9日)、
この連続上映会のプログラム2 - 「オーガニックの哲学」 の初日に
トークを依頼されたので、出かけてきた。
プログラム2 で上映された映画は、
『根ノ国』 と 『みんな生きなければならない』 の2本。
住居を改造してつくられたカフェ&ミニ・シアター。
余計な手が入ってないナチュラルな感じの庭。
ぼんやりと眺めながら癒される。
お客さんは10人ほどで、 まずは2本の映画を観賞する。
『 根ノ国 』 -1981年、制作:菊地周。
陸上の生物は、特殊な文化で暮らすヒトなど一部をのぞいて、
およそみな土に帰り、土を肥やす。
その土の中では、無数の虫や微生物が小さな宇宙を織り成している。
1グラムの中に1億ともいわれる生命が互いを食べ合いながら共生し、
豊穣の土が作られていく。
植物の根もそこから養分を吸収し、かつたたかいながら生きている。
そして動物は、太陽エネルギーと土の力で育つ植物に支えられている。
つまるところ、陸上の生命はすべて土の生命力に依存しているのである。
健全な土の中では自然の理が働いていて、独裁者の登場を許さない。
この " 根の国 " 、ミクロの生命循環を可視化させた作品。
人はなぜ、なんのために、この世界を壊そうとするのか、という問題提起でもある。
『 みんな生きなければならない 』 -1983年、制作:菊地文代。
世田谷区等々力で有機農業を営む大平博四さんの農場を舞台に繰り広げられる
生きものたちとの共生の世界。
農薬の害を自らの病いによって感じ取った大平さんは、
昔ながらの堆肥づくりに還り、土を蘇らせた。
そこではトリもムシも仲間である。 害虫と益虫の区分すら不要になってくる。
そして大平農場の循環を支えるのは、「若葉会」 という消費者組織の存在である。
上映終了後、スクリーンが上がり、
お昼前の自然光が部屋を包むように入ってくる。
ここで30分ほどお話をさせていただく。
主催者であるNPO法人アグリアートの事務局長・畠山順さんからは
「この映画をスタート地点として、どのように話が向かってもよい」
と言われていた。
かえってプレッシャーだよね。
2本の映画は以前にも観たものだが、改めて一緒に観たことで、
湧いてくる感慨があった。
そこで想定していた話の段取りを変えて、こんなふうに始めさせていただいた。
今日の上映会でスピーチをさせていただくことは、
自分にとってとても光栄なことだと感じています。
なぜなら、私が大地を守る会に入社したのが1982年の秋のこと。
『根ノ国』 がつくられたのがその前年で、入社して早々に、
先輩から、この映画は観ておくようにと勧められました。
また同時に、「生物みなトモダチ」 制作委員会という会から
映画制作へのカンパの要請が入ってきたように覚えています。
その映画が完成したのが翌83年。
この二つの映画は、私の原点に重なるものです。
この場を与えてくれたことに感謝申し上げたい。
実は私が有機農業の世界と関わるようになったきっかけは、娘のアトピーでした。
しかし妻が決意を持って始めた食事療法を、私は当初信じていませんでした。
それが食材から調味料まですべて切り替えて続けたところ、
娘の症状がだんだんと改善されていくのが見えたのです。
そしてある日、当時はまだほとんど世に出回っていなかった、
有機米でつくった 「純米酒」 というのを購入して飲んだ時、
私はこの運動は本物だ! と確信し、履歴書を持って大地を守る会を尋ねたのです。
20代半ばの決断でした。
(娘じゃなくて酒かよ・・・・・という視線を感じ)
ま、まあ、え~と、そんな不純な動機は置いといて、
食を生産する世界が消費者の知らないところで変質させられていくなかで、
負の側面が子どもに現われ始め、かたや有機農業の世界では、
生命の土台に対する科学的な解き明かしの作業が始まっていた。
その後またたく間に 「アトピー」 という言葉は社会に広がり、
有機農産物もまた数少ない先駆者の運動から
社会的に認知される時代へと飛躍してゆきます。
1980年代の初頭、そんな時代変化の予兆を背負って登場したのが、
このふたつの映画だったように思います。
あれから約30年という年月が経ち、
大平博四さんは3年前に亡くなられましたが、
5年前に有機農業推進法の成立という、
国が有機農業の価値を認め、それを推進するための旗を振った、
そんな時代の変化を見せられただけでも、
後進の一人として、よかったかなと思っています。
あとは映画の世界と重ね合わせながら、
生命の歴史から見た土の役割やら、生物多様性の意味やら、
舌足らずにお話しさせてもらい、最後に
放射能汚染に対する有機農業の力について、希望を述べさせていただく。
私たちの生命を守ってくれるのは、微生物たちの力をおいて、ないように思う。
土を保全し生命の健全な循環系を育む有機農業こそ、
一縷の、しかし確かな希望だと私は確信するものです。
そしてなお、その世界を支える鍵は、「消費」 というつながりです。
大平農場に 「若葉会」 という消費者組織があって支えているように、
消費という行為を通じて、どの生産(者) とつながり、どの環境を支えるのか、
そういう " つながり " の意味が、いっそう深く問われてくるように思います。
ま、そんな感じで生意気な話をさせていただいたのだが、
さて驚いたのが、この会場に映画の制作者、菊地文代さんが登場したことだ。
大先輩にひたすら恐縮する若者の図。
30年近く経っても、まだ観ていただける方がいるだけでも幸せなことだと、
菊地さんは謙虚に語る。
いやいや、充分にその生命力は衰えていないです。
自分の原点であることを、感謝とともに伝えることができて、
想定外の感激の一日になった。
菊地さんは今も若葉会の会員として大平農園を支えている。
帰りがけに見た、湘南の海。
こう見えても海で育った血は、僕のDNAである。
胸をざわめかせながら会社にトンボ帰りするわが身の貧しさが、悲しい。
「しあわせな食事のための映画たち -未来のこどもたちへ- 」
プログラム3は、「都市と農業」。
8月13日に、吉田太郎さんがキューバを語ります。
第2期は9月10日から11月18日。
「森と海と食」 「水はみんなのもの」 「種子と農業」 といったプログラムが続きます。
今度はまったくの客として、寺田本家の 「五人娘」 の生酒など飲みながら
楽しませてもらえたらと思うのであります。
2011年7月12日
畜産物&乳製品生産者会議 -ここでも放射能の勉強
続いて、ふたつ目の生産者会議報告を。
7月7日(木)、小暑、七夕の日。
東京は神宮にある日本青年館の会議室で開かれた
「第5回畜産物生産者会議 & 第6回牛乳乳製品生産者会議」。
つまり畜産と酪農の合同会議だ。
今回のテーマは
「畜産物の放射能汚染の影響について」。
畜産・酪農家の間で牧草の汚染に対する不安が広がっている。
自身の行為とはまったく関係ない要因に対しても配慮しなければならない
時代になってしまった。
被害者が加害者にもなってしまう放射能社会。
もはや食の生産者として、「知らなかった」 ではすまされなくなっている。
ということで、
まずは放射能とその影響について、正確な理解をもつことが必要である。
講師としてお願いしたのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。
お話は、放射能の基本知識から始まり、
福島原発事故の概要とその影響について、
被曝ということの正しい理解、
食品への移行や暫定基準値をどう見るか、
そしてこれからの放射能環境をどう生きるか・・・・。
さすがに集まった生産者たちは真剣である。
質問もいろいろと出るのだが、
たとえば、放射能の影響は動物に対しても同じだと考えていいのか?
という基本的な質問ひとつとっても、
いかんせん、こと家畜や肉への影響についてはデータがあまりになくて、
分かっていないことだらけのようなのだ。
放射線の影響は原理的には人間と同じはずだが、
牛や豚がどれくらいの時間で、どれくらいの割合でガンに罹るかなどは、
過去にも調査されていない、いや 「少なくとも私は見たことがない」 と伴さん。
チェルノブィリ原発事故によって人に影響が出始めたのが5年。
だとすると、そもそも影響が出る前に出荷されることになるだろうか。
ではそのお肉は大丈夫なのか。
粗飼料(ワラなど) から筋肉への移行係数は示されていて、
たとえば、放射性セシウムの牛肉での暫定規制値 500ベクレルを超えないためには、
粗飼料の許容量は 300ベクレル/㎏ となる。
しかしこれも正確かどうか分からない。
牛肉の規制値自体も 「暫定」 であって、含まれている以上、
食べ続ければリスクは高まっていく。
福島の農家と飼料用の稲で契約したが、使って大丈夫でしょうか?
-水田では土壌の濃度が5,000ベクレル以下なら作付が認められたが、
最終的に稲を測って判断するしかないのではないだろうか。
では規制値以下であれば、餌に使って、消費者は食べてくれるでしょうか?
----- これは伴さんが答えられるものではない。
しかし流通者としては、彼らの悩みに少しは応える義務もあるように思い、
マイクをお借りした。
モヤモヤとしたまま帰らせるわけにもいかないし。
法律上 「作ってよい」 「使ってよい」 ものであり、
私が調べたところでも、作付可能土壌から稲の子実への移行は規制値より
さらに10分の1から100分の1レベルになると推定できるので、
現時点で、その契約農家の稲を使うなとは言えない。
最終的には収穫物を測定して判断することになるけど、
その際には、規制値を根拠にした単純な判定では実はすまなくて、
わずかでも残留が認められた場合、それを使うには、
我々の思想とモラルが問われることになるでしょう。
・ このレベルなので使わせてほしい。
・ 使うことで、その農家とともに " 農地の再生・浄化 " に取り組みたい。
それが将来につなげるための、我々の使命だと思う。
- と、強い気持ちで生産者の姿勢を語れるのなら、私は支持したい。
きちんと情報を開示して、思いも精一杯語って、売りましょうよ。
この生産者や販売者に対する評価は、
消費者と言われる方々に一任するしかない。
みんなの悩みは深い。
しかし、明解な答えはない。
質問する、中津ミートの松下憲司さん。
除染についての質問も挙がる。
微生物が放射性物質を分解するとか無害化するとかいい情報があるが、
有効な微生物はあるか?
-食べる微生物はいるが、それは核種が微生物に移行したものであって、
基本的に元素が分解されるということはない。
放射性物質である以上、その害が消える (無害化される) ことも考えられない。
ただし、食べる人の健康のために、食用部分に移行させない、
ということを第1の目標にして利用することを否定するものではない。
まだ分かってないことも多いので、いろんな試験をやることは必要だと思う。
ナタネでは、種には放射性物質は移行しないので、油で使うことは問題ない。
ただし、除染という効果で考えると、データで見る限り、
実はそんなに吸収されていない。
ゼオライトなどは有効性が認められている。
ただし、いずれにしても移行 (吸収) したものの最終処分は、
現在のところ、埋めるしか方法がない。
なかなかしんどい会議だった。
安全をお金で買える時代ではなくなってしまったが、
大地を守る会CSR運営委員会の消費者委員の方が最後に語ってくれた言葉で、
少しは救われただろうか。
私はずっと、買う (食べる) ことで生産者を支えていると思ってきた。
震災の翌週、さすがに今週は宅配は来れないだろうと諦めていたが、
当たり前のように配送員が来た時は、涙があふれた。
支えられていたのは、実は私のほうだった。
これからも感謝して、食べていきたい。
大地を守る会が測定結果をしっかり開示してくれることをありがたいと思う。
この安心感は捨てがたく、素性の分からないものを買うくらいなら、
わずかの残留なら大地を守る会を選びたいと思う。
有機農業のほうが、最終的には放射能にも強かった、
という結果が出てくると嬉しい。
最後の期待には、応えられると思う。
なぜなら、もっとも努力するのが彼らであり、ここにいる人たちだから。
2011年6月22日
特効薬はない、でも始めるのだ。
2022年まで生きてみたい。
そう書いたはいいけど、ドイツと違って僕らにとってこの10年余は、
けっして楽しい道のりではない。
明るい未来を信じたいと願いながら、目に見えない不安とたたかう。
この時間を、希望を失うことなく、かつ
ある種の覚悟を持って歩み続けなければならない。
前回、二つの会議から-
と書き出したところで寝ちゃったのだけど、もうひとつ。
先週の金曜日(17日) に、つくばにある国立環境研究所を訪問して、
セシウムを濃縮(吸収) する微生物の実証実験をやった実績をお持ちの
富岡典子さんからもレクチャーとアドバイスを頂戴してきたので、
そこでうかがった話も含めて、いくつか参考情報として整理してみたい。
まず、当初問題になっていたヨウ素131は、短期間で減衰していくので、
新たな放出がない限り、大きな問題にはならない、と考えてよい。
これからの問題はセシウム134 と 137 である。
プルトニウムは水に溶けない(=植物は吸わない) し、問題にする量ではない。
ストロンチウムも量的に問題ないとのこと。
土壌に降ったセシウムは、数十年以上、地表に留まっている。
それはアメリカや中国が核実験をやった影響を調べた過去のデータからも読み取れる。
(この半世紀で蓄積されてきたものがある・・・ってこと。)
いま表層 5cm くらいまでに留まっていると言われたりするが、
深度分布を調べたところ、実は表層 0~2cm にほぼ集中している。
特に表層 5mm に。 したがって 1cm 剥ぐだけでも充分に有効である。
処分する土の容積も格段に減らせることができる。
また一般的な測定では 0~15cm の表土をとって測るケースが多いようだが、
測定方法は統一させないと情報により混乱が生ずる (これは大気測定でも言える) 。
残留は土の性質によって異なることも頭に入れておかなければならない。
粘土はつかむが、砂地では流れやすい。
雨で除去されるということは、時間経過とともにあるだろうが、
土への吸着性が強いので、粘土質だと地下水への移行はかなり低い。
アスファルトの道路や家屋の屋根等に降ったものは、雨によって側溝に集り、
結果として下水処理場で高い濃度が出ることになる。
逆にみれば、浄水場で捕捉されやすいので、上水は心配ないと言える。
(これも新たな放出がなければ、の前提で。)
その意味で、下水汚泥は放射能を集めてきているとも言えるものなので、
焼却処分してしまうと、せっかく集めたアブナイものをまた拡散させてしまうことになる。
これは、はぎ取った土同様、埋めるしかないのではないか。
埋める場合は、30cm より地下に埋め、土をかぶせること。
校庭の土をはぎ取って、隅に積んでブルーシートをかけるなど、論外である。
また森林では、腐植層に捕捉されて留まるので、水への移行は少ないが、
長く林産物に影響する可能性がある。
きのこで高く出るのは、菌根菌のセシウム吸収能が高いことと、
菌糸を張り巡らせて表面積が増えることによって、
結果的により高い濃度となると考えられる。
重量に対して表面積が大きい葉菜類が高く出るのも、同じ原理であろう。
これまで農作物で検出されている放射性核種は
直接経路 (大気中から直接葉面に付着) によるものなので、
皮をむく、よく洗う、等である程度の減少は期待できる。
しかし今後はだんだんと経根吸収 (土壌から根による吸収) が問題となってくる。
経根吸収された農作物は、当然のことながら除染は難しくなる。
稲では、土壌が5,000ベクレル以下の田んぼでは作付が許容されたが、
それは、土壌から米への移行は最大でも10分の1 (500ベクレル=食用の基準値)
以下になるという計算による。
過去のデータによれば、実際はもっと低く、100分の1~1000分の1 程度。
かなりの安全係数をかけているとは言える。
なお米では、放射性核種は胚芽と白米表面に多く残るため、
玄米のほうが濃度が高くなる。 白米では玄米の約半分になる。
汚染 (吸収) されにくい作物というのは、あるようだ。
ナス科 (トマト、ナス、ピーマンなど) は最も少ないと言われる。
続いて、ウリ科 (きゅうり・カボチャ・スイカ・メロンなど) 、ユリ科 (ネギ類)。
逆に吸収しやすいのは、アブラナ科、アカザ科、豆類。
じゃが芋はナス科だが、食する部位は茎なので、実よりは高くなる。
河田昌東さんおススメは、トマト、だって。
また、酢漬けにすると、セシウムは6~7割減るんだとか。
抗酸化作用物質 (ビタミンA、C、E、β-カロチン、カテキン、ペクチンなど)
もイイらしい。 この辺はもっと根拠を聞きたかったところだ。
「 まあ、少しでも避けたいという人は、産地を選ぶしかない。
子どもや若い女性には、産地を選ぶ権利がある。
しかし・・・・50歳以上は、ここは責任をもって、しっかり食べましょう。」
それが河田さんの答えである。
セシウムを吸着する効果の高い鉱物としては、
ゼオライト、ベントナイト、バーミキュライトがあるが、これに活性炭を併用すると、
逆に植物の吸収を促進させるというデータがある。
原因は分からない。
また窒素肥料も、粘土や鉱物が掴んだ放射性物質を剥離させ、
吸収を促進させるので要注意、とのこと。
チェルノブイリでは、牛乳対策として、
牛の餌にプルシアンブルー (シアン化鉄) を混ぜ、
効果があったことが確かめられている。
シアン化鉄とは人工の色素で、セシウムをくっつける力があり、
かつ水に溶けないので分離させることができるようだ。
ナタネやヒマワリによる除染 (ファイトレメディエーション) は、
メカニズムは同じだが、ヒマワリはバイオマスのかさが大きく、
またリグニン (木質) が多いので、残さの扱いが厄介になる。
チェルノブイリでのナタネ実験では、
種はバイオ燃料 (油) にし、残さはメタン発酵させてバイオガスに利用している。
セシウムは種に集まるが、油には入らず、
最終的に移行した廃水にゼオライトを施用する、という行程のようだ。
なお、国立環境研究所の富永先生が立証した微生物-ロドコッカス・エリスロポリスは、
能力を発揮するにはその条件を整えてやる必要があり、
実用化には至っていない、とのこと。 自然界にも存在しているものだが、
それを抽出して開放系で比較試験するのは無理なようだ。
いずれにしても植物や微生物がセシウムを吸収してしまうのは、
必須の栄養素であるカリウムとイオンのサイズが類似していることによる。
したがって、食用である植物にセシウムを貯めさせないことを優先するなら、
カリウムを多めに土壌に施用し、セシウムまで取りにいかせない、
という手もあるが、カリウム過剰となると、生育上の別な問題も発生させる。
結局、いろんな手があるにはあるが、
これでよし、と言えるカンペキな除染技術はないということだ。
各種の効果や技術を組み合わせ、自然の力を借りながら、
時間をかけて浄化させて行くしかない。
何という恐ろしいものと共存(?) しなければならなくなってしまったことか。
それでも、そのスピード (=効果) を高めるために人智を尽くしたい、
と思うのである。
福島・須賀川のジェイラップ (稲田稲作研究会) の伊藤俊彦さんに、
国立環境研究所に出向くことを伝えたら、つくばまで飛んできた。
環境や安全に配慮した米づくりをひたすら追求してきた者として、
「一日も早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせる!」
- それが彼の、必死の決意なのである。
僕はその意思に付き合う約束をしてしまった。
ジェイラップでは、試験ほ場をこしらえて、
いろんなパターンでの除染方法での実験が進み始めている。
ありがたいことに、河田昌東さんもバックアップしてくれることになった。
ひとつのプロジェクトの絵が、描かれつつある。
特効薬はなくても、始めることで、前に進むことで、気持ちが変わってくる。
「美しい福島」 を、みんなの手で取り戻す10年に、したいと思う。
2011年6月10日
までいの力 -福島行脚レポート(補)
5月6日(金)、視察・交流団一行が福島から相馬~南相馬~と回っていた頃、
東京・八重洲にある福島県八重洲観光交流館では、
飯館村産の米で仕込んだ日本酒の販売会が催されていた。
飯舘村は、原発事故にも 「 負けねど!」
という意気込みを首都圏の人たちにアピールしようと企画されたものだが、
午前10時の開館と同時に長蛇の列ができて、
大変な売れ行きだったらしい。
報告してくれたのは、大和川酒造代表社員、佐藤弥右衛門さんである。
飯舘村酒販組合では、25年前より村内産の米で造られた酒 「おこし酒」 を
村内限定で販売してきた。
その醸造を委託されていたのが大和川酒造さんというワケで、
弥右衛門社長もこの日は勇んで応援に行ったようだ。
会場で振る舞われたのは、その 「おこし酒」 と大吟醸 「飯舘」 の2種類。
「飛ぶように売れた」 らしいが、
それはそれで 「極めて複雑な心境」 にもさせられたことと思う。
原発事故により全村避難となって、
飯舘村では今年の米の作付も制限されてしまった。
26年間続いた酒の製造が今年は途絶えることになる。
来年以降も酒を造れる保証はないが、
「味を舌に記憶してもらって、再び販売できた時に、また応援してもらえれば」
と飯舘村酒販組合の会長さんが希望を語っている。
翌日の帰り、二本松駅で買った 「福島民友」 に、そんなコメントが報じられていた。
記事を読みながら、振り返る。。
5月3日、山都に入る前に大和川酒造店に立ち寄り、
現地への差し入れ用の 「種蒔人」 を車に積み込んだ際、
弥右衛門社長から 「6日か7日、東京で会えないか」 と声をかけられたのだ。
飯舘村を応援したい、何か考えたいんだよ、と言われた。
「考えたい」 に 「だよ」 が付くときは危険信号である。
それはイコール 「一緒に行動しろ」 という意味であることを、
20年近いお付き合いの中で、僕は骨身に染みている。
今回ばかりは、さすがに手が回らない、というのが正直なところだった。
それでも社長の気持ちは、びんびんと伝わってきた。
彼は、飯舘村から任命された 「までい大使」 の一人なのだ。

『 までいの力 』 (SEEDS出版刊、2500円(税込))
「までい」 とは、東北地方の方言で、
" 手間ひま惜しまず、丁寧に心を込めて、つつましく " という意味らしい。
それは、「もったいない」 や 「思いやり・支え合い」 といった精神にも通じている。
飯館村は、各地で市町村の合併が相次ぐ時代にあって、
「自主自立の村づくり」 という、真逆の道を選択した。
しかしそれは、すべて自分たちの力で切り開かなければならない道でもあった。
菅野典雄村長は、村の振興計画を模索する中で
「スローライフ」 という言葉に出会う。
「それだ!」 とひらめいたものの、村民の反応は冷たかった。
その言葉は、村の人の心には響かなかったのだ。
村の精神を表現する言葉が見つからない。
そんなとき、 「それって 『までい』 ってごどじゃねーべか」
という一人の呟きによって、エンジンがかかった。
飯舘村の挑戦は、独創的というより、
現代社会を生きる者たちへの本質的な問いかけ、と言ったほうがふさわしい。
村長と村民たちの徹底的な対話から生まれた様々な取り組みがある。
嫁たちのヨーロッパ研修旅行 -「若妻の翼」。
それをきっかけに女性の起業家が生まれ、
男には育児休暇が義務づけられ (それは研修と位置づけられる)、
" 座り読みOK " の村営本屋さんが誕生し、全国から1万冊の絵本が届けられる。
村内産100%の学校給食への挑戦。
小学6年生を対象にした 「沖縄までいの旅」。
ラオスに学校をつくるプランを発案する子供たち。
自宅で家族と過ごしているような介護施設。
村人がもてなす " ど田舎体験 " ・・・・・などなどなどなど。
「自立する」 とは、とても厳しいことだが、かくも楽しいかと思わせる力がある。
みんな頭を柔らかくし、年寄りが生涯現役を誇る村。
資源は 「までい」 にあり、その気づきによって、
何もないと思っていた里山からも、資源は無尽蔵に生れ出てくる。
これこそまさに地元学のいう 「 ないものねだり から あるものさがし へ 」 である。
高橋日出夫さんが語った 「理想郷に向かっている村」 が、
たしかにあったのだ、2011年3月11日までは。
翻ってみるに、
福島第一原発のある双葉町は、全国トップクラスの債務超過の町に陥っている。
東電から落ちていた莫大なお金は、町や住民に何を与えたのだろうか。
いや、奪ったんだ、実は。
原発の論点は、安全性やエネルギー問題だけではない。
地域の自立や資源を奪いつくすものとして、いま目の前に現れている。
本当の豊かさとは-
使い古された言葉だけど、よくよく考えなければならないことだと思う。
震災後、飯館村へ、あるいは相馬へと、
大和川酒造店の方々は、一升瓶に水を詰めては届けて回った。
それでも、までい大使・佐藤弥右衛門は悩んでいる。
いただいたメールから-
応援し、支援するということは、物資を送ることだけではなく、
私たちの生活のなかに、その痛みを共有し受け入れていくことなのだと思う次第です。
いま、すべての人が試されている時とも感じています。
2011年6月 8日
地域の再生を誓う人々 -福島行脚その⑦
5月3日から5日間にわたる福島行脚のレポートも、
ようやく最終日に辿りついた。
重かったな、今年のゴールデンウィーク。
このツケが家庭のメルトダウンにつながらなければよいのだが・・・
いや、私的な話は慎んで、レポートを続けよう。
「二本松ウッディハウスとうわ」 という宿泊交流施設で一泊した我々視察団一行は、
5月7日(土)、まずは地元の堆肥センターを見学する。
循環型有機農業を目指す有志19名の出資で、
「ゆうきの里」 づくりの土台を形成すべく建設された施設である。
案内してくれたのは、
協議会初代理事長を務めた菅野正寿(すげの・せいじゅ) さん。
地元の牧場から出る牛フンに稲ワラや籾殻、食品加工で発生する食品残さなど、
地域資源を最大限に活用して、一次発酵、二次発酵・・・ と
半年かけて四次発酵まで行ない完熟堆肥を完成させる。
それを 「げんき堆肥」 と銘打って、直売所で販売する。
農家は畑の土壌診断を行ない、それに基づいた施肥設計を整え、
「げんき堆肥」を適正に使用し、農薬は極力使わず、
栽培履歴を自ら開示する。
それが 「東和げんき野菜」 のブランドとなり、直売所を潤す。
しかし、彼らの精一杯の取り組みにも、原発事故は容赦なかった。
この 「げんき野菜」 も、事故直後から
県内の生協やスーパーから拒否される事態となった。
消費者の買い控え(防衛行為) と、流通者の脅えた自主規制は、意味が違う、
と僕は思っている。
" 売れるか、売れないか、どう売るか、何を伝えるか " の悩みを経ずに、
早々とつながりを断ち切るのは、流通者のやる仕事ではない。
しかしながら、地域資源の循環を支える静脈である自慢の堆肥にさえも、
不安は緩やかな津波のように浸潤してきているのである。
この罪は大きい。
見学の後、「道の駅東和 あぶくま館」 に戻り、
現地農家からの報告と意見交換会が再び持たれた。
菅野正寿さんが今の状況を語る。
露地野菜がほとんど出荷できなくなった。
しいたけは出荷できているが、周辺地域では制限されたところもある。
測定器を購入して観測しているが、場所によってかなり差があるようだ。
ヒマワリの資料を集めタネも買ったが、はたして植えていいものか・・・
「耕すな」 という人から、「深く耕せ」 という人までいて、
私たちは何を基準に判断していいのか、不安は増すばかりである。
それでも桑の生産の準備には入ろうと思っている。
全戸避難の指示が出された飯館村から来ていただいた
高橋日出夫さん。
今は松川(福島市) に避難されているが、時々は見回りに帰っている。
ブロッコリィを6~7月に収穫する予定で、4月に1町歩(≒1ha) 作付けした。
花のグラジオラスを7月からお盆にかけて、
トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に出荷、、、そんな計画だった。
やませによる冷害のある地域なので、複合経営に取り組んできて、
何とか食べていける、ようやく暮らしの見通しが立ってきたところだった。
「原発事故の後、子供がいる若い夫婦はみんな外に出ました。
残っているのは年寄りだけ。
私は、できれば村に残って来年に備えたいと思っていたんですが、
全戸避難となってしまって。
それでも地区のみんなとは、いつか飯館に戻ろう、そう誓い合って移りました。
私の住む松塚地区は45戸あって、以前から機関紙を出していまして、
この機関紙を何とか続けて、みんなに配りながら、
つながりを持ってやっていこうと思ってます。
私は本当は野菜が好きで、
農業高校でカリフラワーを見たときの感激が今でも忘れられないんです。
家は当時、葉タバコと水稲だけだったんですが、野菜作りに魅力を感じて、
20代半ばに菅野正寿さんと知り合って、安全でおいしい野菜を作って食べてもらおうと
「福島有機農業産直研究会」 を結成しました。
末娘はその頃作っていたレタスの味を今でも忘れられないと言ってくれます。
いま村民が一番知りたいことは、畑や田や山の、土の実態です。
いろんな取り組みがありますが、どうなんでしょう。
来年は作付できるんでしょうか。 それが知りたいです。
飯館はどことも合併せず、 「自主自立のむらづくり」 の道を歩んできました。
私は理想郷に向かっていると信じていました。
あの美しい自慢の村が、こんなことになろうとは・・・・・ 」
東和に新規就農して5年目の春を迎えた関元弘さん。
元農水省の官僚である。
出向先として勤務した東和町に魅せられ、
8年前に霞ヶ関を捨て、夫婦で東和に移り住んだ。
農業の現場で有機農業を実践するのは、以前からの夢だったという。
3年前には有機JASを取得している。
公とも組み、農協や既成の流通ルートを活用した新しい仕組みをつくろうと
4月に 「オーガニックふくしま安達」 という組織を結成したばかり。
実は3月14日が、その設立総会の予定だった。
心昂ぶる絶頂直前での原発事故となったわけだ。
事故で一時心が折れそうになったが、
農業をしたくてもできない人がいるのだと思うと、
「ここで負けてられっか」 という気持ちになった。
「立ち上がって、前に進もうと決心しました。」
会のシンボルマークは、ヒマワリ。
「土壌浄化とかではなく、復興のシンボルとして」 みんなでヒマワリを植えている。
いずれ二本松全体を有機の里にしたい、と抱負を語る。
手元に、菅野正寿さんが書かれた文章がある。
そのなかの一節を紹介したい。
原発の安全神話は崩れた。
有機農業生産者は、農民は、命の大地を守るため、声をあげなければならない。
戦後、都市生活者のため労働力も食糧もそして電力も提供し、
支えてきた東北の農民の声なき声を受け止めなければならない。
消費文明と人間のエゴの帰結が今回の事故をうみ出したのならば、
エネルギー政策の抜本的転換、
つまり持続可能な自然エネルギーへの転換が求められる。
そしてわたしたちは力をあわせて、希望の種を蒔かなければならない。
「山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」 と唄われた、
赤とんぼと桑畑と棚田のふるさと ~
今年、黄金色の稲穂に赤とんぼは舞うのだろうか。
現地視察と生産者との交流から、早や1ヶ月が経った。
「皆さんのところで育ててほしい」 と、
飯館村の高橋日出夫さんから託されたグラジオラスの球根が、
僕のちっこいプランターで芽を出してしまった。
高橋さんの願いが乗り移ったかのように、逞しく伸びてくる。
こんなところでゴメンね、だよね、まったく。
最後まで付き合うから、許してくれ。
2011年6月 5日
美しい村々に降った放射能 -福島行脚その⑥
改めて振り返るまでもなく、
原子力発電という技術は、実に事故やトラブルとのたたかいの歴史だった。
" 一歩間違えば大惨事 " という事態を繰り返しながら、
世界に誇るニッポンの技術者たちは、
" 未来の国産エネルギー " に途方もない夢を賭けて未知の領域に挑んできた。
しかしこの技術は、放射能を発散するという宿命により、
不幸な足かせも必要とした。
" 事故は起きない " という神話を前提にしなければ、
一歩も前に進めなかったのだ。
技術革新にとって失敗とは、物語に感動を加える絶妙なダシのようなものなのに。
安全神話は、国を挙げて、極めて強固に築かれていった。
放射能漏れや隠蔽・改ざんをさんざん繰り返しながら。。。
「こんな危険なモノとは共存できない」 「事故が起きてからでは手遅れになる」
という反対論は、その神話の壁と政治力、そしてマネーの力を崩すことは出来なかった。
地震との関連でも、その危うさはつとに指摘されてきたにも拘らず、
「明日起きても不思議ではない」 という主張は、
危険人物の煽動的発言であるかのようにシカトされた。
そうして虚しくモロかったはずの " 安全神話 " は、いつしか
リスクを最も理解し警戒していたはずの科学者や技術者の頭をも支配してしまった。
それこそが最強のリスク因子であることに気づくことなく。
まあ、しかし、、、そう批判したところで、我々だけが逃げられるワケではない。
この責任は、賛成論者・反対論者を問わず、
現代社会を生きるすべての大人が背負わなければならない。
・・・ そんなことをボンヤリと思いながら、景色を眺め続ける。
遺留品の保管所を示す墨で書かれた張り紙が静かに立っている街を後にして、
視察団一行は、浜通りの南相馬から再び内陸へと踵を返した。
何台もの自衛隊の災害救助車両とすれ違いながら、
20km も南に下れば、原発事故によって
行方不明の家族を捜すことすら許されなくなった町があることを考えようとするが、
僕の想像力はとてもついてゆけない。
二本松市・旧東和町に向かう途中、飯館村を通過する。
「日本でもっとも美しい村」 のひとつ -福島県南相馬郡飯館村。
原発から約40km離れた地で、全村民が避難を余儀なくされてしまった。
放射能の影はどこにも見えないけど。
この田畑も、間もなく放置される。 酷い話だ。
夕方、二本松市・旧東和町にある 「道の駅 あぶくま館」 に到着。
ここで、有機農業をベースに、
地域の自立と自然循環のふるさとづくりに取り組んできた
生産者たちとの意見交換会を持つ。
東和の町づくりを担ってきたのは、
NPO法人 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」。
二本松市に合併された2005年、
それまで築いてきた 「ゆうきの里づくり」 を継承しようと設立された。
かつて県内屈指の養蚕地帯といわれた山村に広がる耕作放棄地を再生させ、
桑を使った特産品を開発し、新規就農者を受け入れ、
「里山の恵みと、人の輝くふるさとづくり」 に邁進してきた。
その実績が評価され、一昨年、過疎地域自立活性化優良事例として、
総務大臣賞を受賞した。
大地を守る会の生産者団体でもあるが、彼らの基本はあくまでも 「地域」 である。
僕はその精神を気高いと思う。
95%が東和町の産品で並べられているという直売所。
壁側の棚には、生産者たちの栽培履歴のファイルが並べられている。
それがトレーサビリティの証明である。
協議会理事長の大野達弘さん。
以前は 「福島わかば会」 のメンバーで、前日の福島での会議でも一緒だった。
今は地元・東和の、有機農業の指導者として若者たちを育てている。
里山再生を掲げ、復活させた桑園は60ヘクタール。
仲間と一緒に 「桑の葉パウダー」 や 「桑茶」 、そしてジャムから焼酎まで、
次々とヒット商品を開発してきた。
育てた新規就農者は16組20人を数える。
新しいふるさとづくりに手ごたえを感じ取ってきた。
そこに起きたのが、原発事故である。
「山がどうなるのか、心配で途方にくれている状態」 だと語る。
「でも、みんなで頑張って乗り切ってゆくしかない。 この地で踏ん張っていきたい。」
副理事長の佐藤佐市さん。
こちらも元 「わかば会」 のメンバー。
家庭菜園用の苗も作っていて、園芸福祉も取り入れたいと抱負を語る。
しかし・・・地域資源を循環させることが 「有機」 だと信じてやってきたが、
今は落葉の汚染を心配しなければならなくなった。
悩みは尽きないが、有機農業の 「ゆうき」 は 「勇気」 でもあると思って、
頑張っていきたい。
山の落葉、しいたけの原木・・・ 山は資源の宝庫なのに、
今はそれを心配しなければならなくなってしまった。
「使っても大丈夫でしょうか」
実態が正確に分からない以上、明解に答えられる専門家はいない。
県は野菜の分析で手一杯なのだという。
「民間の検査機関に出せ」 と言われて問い合わせたら、
バカにならない検査費用だった。
ガイガーカウンターも買ったが、どうやって再生につなげたらいいのか・・・
意見交換会を終え、夜には懇親会が持たれたのだが、
山都での堰浚いから福島での生産者との厳しい会議を経て、今日の体験・・・
正直言って、ひどく疲れた感が襲ってきて、
自分でも信じられない。 得意の 「飲み」 に付き合えない。
愛媛大学の日鷹一雅さんと溜池や水系の除染についてしばし話し合って、
みんなより早く休ませてもらった。
東和の若者たちと語り合おうと思っていたのに。
・・・ああ、終われないね。 続く。
2011年6月 3日
福島・浜通りの苦悩 -福島行脚その⑤
さてと・・・・・ 忘れてはいません。
福島行脚レポートが、実はまだ終わっていないのです。
でもこれが、ななかな気が重くて、書けないでいました。
でも、書かなければならない。
ワタシはこの体験を記憶しておかなければならない、とも思うのであって。。。
どうも、いつまで経ってもまとめられそうな気がしないので、
どんな形で終了するのか判然としないまま、書き綴ってみます。
言葉が浮かばないところは、写真だけで、
しかも細切れで続くことになるかもしれないけど、お許し願いたい。
5月5日、福島の生産者たちとの会合を終えて (福島行脚④ 参照)、
僕は福島駅前のビジネスホテルに一人宿泊して、
翌6日、日本有機農業学会の有志で企画された
「被災地視察と生産者との交流会」 に参加した。
朝、福島駅集合。
ホテルの玄関に掲げてあるスローガンに一礼する。
参加者は、日本有機農業学会会長代行の澤登早苗さん(恵泉女学園大学) に、
このところ会うことが多い茨城大学の中島紀一さんやコモンズの大江正章さん他、
総勢21名。
一行はワゴンのレンタカーを調達して、まずは被災の現地・相馬市に向かう。
例年なら観光客も多いだろうと思われる新緑の山間地を過ぎ、
海から2~3km という相馬市柏崎地区に入る。
いきなり、圧倒される。
防風林の松がきれいさっぱりと倒され、ここまで流されてきている。
田んぼがひび割れしている。
でもこれはただの乾いた田んぼではなくて、表面を覆っているのはヘドロである。
めくればその下に、津波で運ばれた " 異物 " が見える。
干からびた鮭とゴルフボールが、同居していたりして。
この田の再生は、、、想像するだけでため息が出てくる。
ここに来る前に、相馬市で有機農業を営む生産者を訪ねたのだが、
集まってこられた生産者たちから聞かされた経験譚は
まるでSF映画のような話だった。
「海岸から200mくらいの交差点の赤信号で止まったら、前から津波が来るのが見えて、
慌ててUターンして逃げた。 何も知らずに海に向かう車が通り過ぎていったが、
助けることができなかった。」
「地震の時はトラクターに乗っていたが、まるで遊園地の回転木馬のようだった。
降りたら立ってられなかった。」
「津波に遭って、姉は流木につかまって間一髪助かった。
あちこちに悲鳴が聞こえて、家が壊れる音やらで凄い音とスピードだった。
堤防が決壊して、地盤沈下もあるので、大潮になると今も水が入ってくる。」
「地震の時は浪江町を車で移動中だった。 津波が来たとは知らなくて、
次の日に浜に行ったら海だった。 親戚を探そうとしたが、避難所も分からず、
とにかく足で稼ぐしかなかった。 親戚夫婦が4km流されたところで発見された。
供養できただけでも良かったと思う。
(こっちも大変だったんだけれども) 原発で避難してきた方を受け入れて、
しばらく3世帯10数人で生活した。」
そんな話を淡々と聞かされる。
相馬市は、今年も米の作付を行なうことを決定したが、
まだ行方不明者がいるので、捜索に支障をきたさないよう、
5月8日までは田んぼに水を入れないことも、申し合わせたという。
「捜索と営農のギリギリの選択が、5月8日っつうことになったわけです。」
田に水を入れることがどういうことか・・・
こんな米づくりを経験することになろうとは、、、言葉が出ない。
相馬市から南相馬市に移動する。
地震からもう2ヵ月近いというのに、立ちつくすしかない風景が続く。
東京電力福島第1原発から20km圏ギリギリで圏外にある杉内清繁さん宅で、
20km圏内の根本洸一さんも同席されて、話をうかがう。
杉内さんは93年から有機農業に転換したが、
今回の震災の影響よって、有機JAS認証は外さざるを得ない、
と認証機関から言われたとのこと。
そのあたりの判断は認証機関で統一されているのだろうか、心配なところである。
「 3月11日から二日間は余震も激しくて、夜は車の中で過ごしました。
13日に行政の指示が出て小学校に避難したが、ドーンという音を聞いて
原発が爆発したのではないかと思って、翌日に家族4人で郡山に避難しました。
その後、宮城県亘理町の叔父の家に移って、4月24日に帰宅したんですが、
周りでは空き巣や窃盗もあったようです。」
南相馬市は、原発事故とその後の行政方針によって、
「警戒区域」 と 「計画的避難区域」 「緊急避難準備区域」、
そして制限のない区域に分かれることになった。
制限のない区域には米の作付は問題ないとされたのだが、
4月14日、市は全域での稲の作付禁止を決めた。
損害賠償を睨んでの措置だと思われるが、
しかし稲以外の作物はOKとなったため、農家の悩みは深くなるばかりである。
20km圏内で有機農業を営んできた根本洸一さんは、
福島県の有機農業ネットワークの代表も務めた方。
家の蔵から有機米50袋 (25俵=1,500㎏) を何とか持ち出したが、
大豆23袋を残してきたことが心残りである、と語る。
とにかく田畑を一刻も早くきれいにしたいと、あれこれ今から考えている。
地域のみんなが原発の安全神話を信じていた。
" 二重三重のセーフティネットが整っている " と聞かされてきたんだけれど・・・
お二人の抑揚を控えた口調が、
かえってその悔しさや苦悩を感じさせるのだった。
(続く)
2011年5月29日
それでも種をまこう の会
予想外に遅くまで話がはずんだ 「月の会」 から一夜明け、
昨日(28日) はまた別の集まりで同様の話をする機会をもらった。
この集まり・・・ というのが少々説明しにくい集まりなのだが、
原発事故の影響が深刻さを増してゆく3月下旬、
この問題にこれからどう対処してゆくべきか、
有機農業に関わる有志で集まって考えないか、という声がかかってきた。
呼びかけたのは、「農業生物学研究室」 の明峯哲夫さんと、
出版社 「コモンズ」 の大江正章さん。
有機農業学会関係の研究者や生産者、ジャーナリストなどが集まって、
4月8日に1回目の会合が持たれ、今回が2回目となる。
そこで、震災や原発事故に対する、この間の大地を守る会の活動について、
報告する時間が与えられた。
振り返りながら、報告させていただく。
広範囲にわたる生産者の安否や被害状況の確認から始まり、
ライフラインが大混乱する中での物流対策に追われつつ、
復興支援基金を創設したこと、
物資や炊き出しによる支援活動 (これは今も続いている)、
食べて応援プロジェクトや 「福島と北関東の農家がんばろうセット」 の企画、
「大地と海の復興プロジェクト」 では
水産生産者のネットワークを使って漁民に船を送る活動や、
避難された農民を農家で受け入れる情報提供を行なっていること、
そして慎重に検証した上での放射能測定結果の公表、、、。
刻々と変わる情勢に振り回されながらも、
とにかくやれることは全部やろうと思って進めてきた。
現在の課題は、
支援の継続はもとより、
損害賠償や現地での測定体制をどうバックアップできるか、
そして生産現場での放射能除去の取り組みをどう進めるか、である。
食品の放射能測定に対しては、
その結果で本当に実態をつかんだことになるのか、
という本質的な問題点が指摘された。
野菜ひとつとっても、畑によって差があったりする。
キャベツなら外葉を数枚はがすだけで値は違ってくる。
大気なら地上からの距離によって違ってくる。
わずかのデータで 「安全」 や 「危険」 を判断しようとしていないか。
局地的に測れば測るほど全体が見えなくなる危険性を孕んでいないか。
安直な情報開示は風評被害の発信元になりかねないし、
本質を曇らせる恣意的なデータがかえってリスクを高めてしまう可能性もある。
論評されればそういう問題はあるだろう。
しかし日々生身の生産と消費をつなぐ立場にあっては、
数値によって現実の一端を知ることは、
「知らない」 ことによる不安を鎮める上での有効な手段ではある。
「測定」 という行為の検証力を僕らは持つ必要があり、
やってみなければその意味が分からない、という意味においても、
徹底して議論しつつ通過しなければならないプロセスなのではないだろうか。
放射能の除染への取り組みについても、
「ベスト・アンサー」 がない。
「たいして有効とは思えない」 ものでも、
「何でも試してみたい」 「一年でも早く (土壌を)キレイにしたい」
という生産者の思いを、僕は優先したいと思うものであるが、
放射能を拡散させるリスクは犯すべきではない。。。
統括された研究が必要なのは充分承知しているのだが、
いま目の前の畑をどうするか、への答えは誰からも提示されない。
「行動」 に出たい!
その一方で放射能という確証のない相手に皆が逡巡している。
明峯さんが語る。 「これは知性への試練」 だと。
その通りなのだが、カッコいい台詞で決められると、
焦っているわが身には少々腹も立ったりして。
会議ではさらに、他の発表者から様々な問題点が提出された。
正確な現状把握の困難さ。
方向の定まらない子供対策。
損害賠償の対象にならない山村自然 (=資源) の損失の大きさ。
新潟・山古志村の教訓が活かされない避難の状態。
" 復興 " に名を借りてのTPP参加への懸念。
農漁民たちの損害賠償請求は必要なことだが、
売買の対象になったモノへの賠償だけではない、
失われた価値の総体を見える化し、問う行動が必要である。
そして私たちは、
(食べる行為をやめられない以上) それでも種をまく以外にない。
この集まりを、「それでも種をまこう の会」 とする。
「種をまく」 とは、具体的行為である。
知識人の議論で終わらせないよう、お願いしたい。
次回は 「種蒔人」 を持参させていただこうかと思う。
2011年5月28日
「月の会」で、原発と農そして食について語り合う
僕がここ数年愛用しているカレンダーに 「月と季節の暦(こよみ)」 がある。
太陰太陽暦、いわゆる旧暦にもとづいたカレンダーである。
このカレンダーを制作しているのは 「月と太陽の暦制作室」 という。
志賀勝さんという方が主宰されている。
4月のある日、その志賀さんからメールが入ってきた。
この暦を愛用する人たちで開いている 「月の会」 という集まりで、
震災後の状況や、特に原発事故の農業への影響などについて
話をしてくれないかという。
なぜ月の会が僕なんぞを・・・
と一瞬思ったのだが、理由は分からないではない。
(僕が適切な人選かどうかは怪しいが。)
この星のすべての生命活動は、何がしか月の影響を受けている。
月を愛でる人たちは、自然や風景というものへの感受性が奥深い。
当然のことながら食文化や農業・漁業のありようにも関心を寄せる人たちである。
志賀さんの著書 『月 曼荼羅 -384話月尽くし-』 にも、
月と動植物の生命活動との関係や、農業との深い関わり合いが随所に登場する。
月のリズムにしたがって農作業を組み立てるシュタイナー農法の紹介もある。
志賀さんのお話では、会の皆さんが今の状況を深く憂えているとのこと。
異例のテーマ設定ではあるが、この機会に、
日本の農業の行く末や、原発の問題などについてしっかり考えたいのだと。
「月の会」 はいつも満月の日に開いているそうなのだが、
何と今回は僕の都合に合わせて設定してくれた。 激しく恐縮・・・・。
そんなわけで、昨日の夜は、
蔵前の隅田川沿いのビルにある 「月の会・東京オフィス」 に
お邪魔させていただくことになった。
本来なら聞き手に回って、月にまつわるお話をたくさん伺いたいところなのだが、
それもこれも原発のせいだね。
座布団のカバーまで月が配われていて、まさにお月さん尽くしのお部屋。
そんな一室に集まっていただいたのは20人ほど。
なんとその中に大地を守る会の会員の方が2名おられて、嬉しくなる。
話を約1時間ほどさせていただく。
大地を守る会の簡単な説明から始まり、
今回の震災と原発事故後の、我々が行なってきた様々な取り組みについて。
それらを通じて、現地で見てきたこと感じていること、
放射能測定の結果と生産者の思い、これからの対策・・・などなど。
お題として指定された 「農業の行く末」 については、
被害自体がまだ進行形のなかにあって、なかなか明確に語れないことをお詫びする。
ただ、大地に降った放射能を取り除く対策に、最も前向きに挑もうとしているのが
有機農業者たちであることを、お伝えする。
すでに北半球全体が汚染の影響を受けているとさえいわれる中で、
私たちが 「食」(食べる) を通じてつながるべきは誰なのか、
この問いに対してだけは、僕は確信を持っていることも含めて。
そして、「原発は止めるしかないです」 。
農業のみならず、日本の行く末は、
自然再生エネルギーの技術大国になるかどうかにかかっている、と思っています。
お酒と料理が出されて、皆さんと語り合う。
志賀さんが直接取り寄せているという農家の名前を聞いてビックリする。
なんだ、いろんな形でつながっているんですね。
話は尽きず、おいとました時には10時をすっかり回っていた。
地球という星に寄り添って周回しながら、天空から僕らの振る舞いを見つめ続ける月。
満ちては欠け、消えては現れる月の姿に、人は太古より不死の願いを重ね、
豊穣の神として崇め、また時に夜(死) の恐怖と結びつけて様々な伝説をつくり上げた。
原子力は太陽崇拝の技術だと言う人がいる。
たしかに、このエネルギーを都市は礼賛し、空から月や星を排除した。
ゆっくりと月を眺めながら、きれいな空気と清涼な水に不安を感じることなく、
季節感ある食を楽しむ、そんな時間は喪われてしまっている。
月の復権は、本来あったはずの生命の律動を取り戻すこととつながっている。
植物は満月に向かって光合成を高めていくことが知られている。
病気に対する耐性も強くなるという。
志賀さんの本によれば、
多量の出血が想定される手術は満月の日は避ける、という話が医学でもあるという。
僕らは月のリズムで生かされているのだ。
志賀さん、今度はじっくりと月の話を聞かせてください。
「月と季節の暦」 -今月の句
俤(おもかげ) や 姨(をば) ひとりなく 月の友 (芭蕉)
2011年5月21日
「食の安心・安全」て何だ? -茨城大学で講義
茨城大学農学部に、お邪魔してきた。
電車を乗り継ぐこと約2時間、JR常磐線・石岡駅からバスに揺られること約20分。
稲敷郡阿見町というところにある。
うららかな陽光を浴びて、ちょっと汗ばむくらい。
土曜日ということもあってか学生の影もなく (それでいいのか・・・とか思いながら)、
落ち着いた~ というより、のんびりとした風情のキャンパス。
都心のなかで喧騒を撒き散らしながら過ごした我が学生時代の空気とは
エライ違いである。
別に青田刈りに来たわけではない (人事担当でもないし)。
全国有機農業推進協議会や日本有機農業学会の理事でもある
中島紀一教授から呼ばれて、
学生さん相手に講義をする羽目になってしまったのだ。
こちらでは通常のカリキュラムとは別に、学部内の全学科横断的な講座があって、
今年の前期課目として 「農産物総合リスク論」 という特別講義が設定された。
対象は3年生と4年生。
そのなかのひとつ- 「農法と安全性」 という講義のなかで、
「有機農業の農家と結びあって」 というテーマで話をしろ、というお達し。
授業計画を見れば、他にも
家畜飼育法とその安全性、食の安全と市民の役割、農薬の安全性、
遺伝子組み換え作物の安全性、機能性食品の安全性、食品の摂取方法と健康管理、
といったテーマが組まれている。
各テーマそれぞれで、意見の異なる二人の論者を招いて話を聞き、
学生自身で議論しあう、という構成になっている。
今回の、もう一人の講師は生協の品質管理の責任者の方で、
講義は聞けなかったのだが、レジュメを拝見したところ、
以下のような骨子で話されたようである。
商品価値は、「価格」 と 「品質」 のバランスで成立し、
「価格」 と 「安全」 は関係ない。 「農法」 と 「安全」 も関係ない。
安全性の確保とは、法令順守を基本として、
(製造・生産に係る) すべての工程における管理の徹底、
そして正確かつ適正な情報提供にある。
食品には、食中毒菌や異物、ウィルス、食品添加物、農薬、アレルギー物質など
様々な危険要素が存在し、それを予防、除去、または低減に努めること。
それらのリスクを正しく理解し、適切に管理すること。
農法については、(慣行とか有機とかで) 安全性の区分はしない。
農薬は、環境に配慮しつつ、必要な場合に適正に使用する。
持続可能な農業とは、生産者が主体的に取り組むもので、
天候不順や市場動向などの状況変化に臨機応変に対応しつつ、
適正な利益を確保すること (経営の持続性) によって成り立つ。
それを前提としつつ、
提供するすべての商品とフードチェーン全体での安全性を確保するために、
仕様書の更新や産地点検、各種検査等のチェックを実施してゆく。
よくまとまっていて、さすが大きな生協さんである。
僕らの考えも重なるところが多い。
ではどこが 「意見の異なる論者」 になるのだろうか。
違いが生れる基点は、農法に対するこだわり、に尽きるだろうか。
農法といっても、肥料や資材や菌等の選択によって、また栽培技術や理論によって
いろんな 「農法」 が存在するので、
とりあえずここは有機農業と慣行農業 (一般栽培) とで区分けして話を進める。
論点の違いを際立たせるためには、ここから始めなければならない。
大地を守る会は、1975年、「農薬公害の追放と安全な農畜産物の安定供給」
を掲げてその活動をスタートした。
中島先生を一瞥すれば、歴史からかよ・・・ という顔をしている。
故有吉佐和子さんの小説 『複合汚染』 をきっかけに、
農薬問題(その危険性) にアプローチするなかで、
農薬の害に警鐘を鳴らすお医者さんと有機農業を実践する農民に出会い、
彼らの育てた野菜を消費者に届けるパイプ作りの必要性に気づかされたことで、
僕らの仕事は始まった。
有機農業を広め、その農産物が社会に安定的に供給される仕組みを築くことによって、
生産者、消費者、両者にとっての農薬リスクを排除・低減することができる。
" 安全な食生活・暮らし " を保障する社会を築いていくこと、
それこそが最大のリスク対策であり、リスク管理の前提である。
仕様書確認や検査といった管理の仕組みというのは
(我々も、どこにも負けないくらいの自負をもってやっているが)、
あくまでもその結果の確かさを検証する、
あるいは " 見える化 " させるツールであって、
それだけでは安全や安心を保障する社会をつくったことにはならない。
(講義じゃなくて、アジ演説になるんじゃないだろうな・・・ と教授は不安を覚えただろうか)
さて、昨今当たり前に使われる " 食の安全・安心 " であるが。
「食の安全」 とは何か?
「食の安心」 とは何か?
逆に、「食におけるリスク」 とは何か?
さらには、 「食べる」 って、どいういうこと?
生徒さんに問いかけながら、進めさせていただく。
(ほとんど自分で喋ってんだけど・・・)
すべての人にとっての安心・安全の 「基準」 というのが
明確に見定められているなら、コトは実に簡単である。
しかし、「安全」 を語る際には、考え方や人の事情によって
様々なレベルの基準が発生するのが、「食」 というやつだ。
" 国の基準値にしたがっているなら、それは 「安全である」 " という視点と、
" リスクはひたすらゼロを目指すべきである " という 「予防原則」 の観点の間には、
無限の選択肢があって、
どういう立場に立っているのかによって安全基準は異なってくる。
私たちは、現状で設定されている社会規範 (法律) は守りつつ、
一方で 「予防原則」 も懐に持って、基準そのものを進化させていく姿勢を
持たなければならない。
しかもそれはただ単純に、厳しくなることを意味するものではない。
社会の水準を底上げしていくためには、しなやかさも求められる。
であるがゆえに、それらの行動と結果を検証し、改善してゆくために
管理の仕組みは存在する。
最も大切なのは、食を通じた生産と消費の " 信頼 " を取り戻すことである。
作る者に必要なモラルや責任感は、
" 食べる " という行為によって支えられ、維持されるワケだから。
そのつながりによって、食を支える土台である環境も維持される。
「ただちに健康危害はない」 から
「ずっと大丈夫」 と言える社会に進むことが大切なんじゃないでしょうか。
であるからして、エヘン、大地を守る会は原発にも反対してきたのです。
小賢しい管理の手法は社会人になってから覚えればよい。
学ぶ時間が与えられている今は、
人の健康を脅かすリスクというものの根源がどこから生れてくるのかをこそ、
探求してほしい。
と言って、書籍まで紹介する。
『肥満と飢餓 -世界フード・ビジネスの不幸のシステム- 』
(ラジ・パテル著、作品社刊) くらい読んでおけ。
(やり過ぎだよ、お前・・・ と苦笑いする教授)
本来のテーマに沿えたのか、まったく自信がない。
生徒たちは、ワケ分からなくなっちゃったかもしれない。
中島先生、スミマセンでした。
2011年5月 9日
母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③
「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。
原発と放射能汚染の講演に続いては、
この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、
石巻と南相馬での " 泥だし+炊き出し " ボランティアに参加した報告がされた。
TV等で何度も見せられた惨状であっても、
やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、
臨場感を持って迫ってくるものがある。
「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」
ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。
生死の境目でなお人を思いやれる心とか、
普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。
自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。
講演と報告の後の質疑では、
一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。
「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・
先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。
そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。
どうすればいいんでしょうか。」
長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、
質問者には歯がゆい回答になってしまう。
今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、
出来る防衛策をとりながら、、、
長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・
と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、
その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、
僕は目を伏せてしまったのだった。
昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、
参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる " 集中してる " 感じが漂っている。
厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、
こんな会議を、、、
やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。
さて、重たい雰囲気はここまでとして、
約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。

(写真提供:浅見彰宏さん)
暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。
それしかない。
今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯!
久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら
の元気な姿も確認できた。
「山都の農場は " どうしようもないバカ息子 " に託して、私は西会津に住んでます
(注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、
西会津の名刺を頂戴する。
バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 " がいなくなって清々している様子。
面白いね。
振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。
こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。
「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、
水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。
昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。
浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。
農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。
食と環境を支える土台が崩れていっている。
それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。
ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。
来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。
2011年5月 8日
里山で原発の勉強会 -福島行脚その②
7日(土) の夕方に福島から戻り、今日は会社で溜まりまくったメールを処理。
これをやっとかないと明日からの仕事にスムーズに入れないので。
それにしても・・・ とても濃密な五日間だった。
畜産・水産グループの 吉田和生のツイッター を覗けば、
3日に我々が常磐道に迂回した頃、
彼らは神奈川・三浦の岩崎さん (シラスの生産者) から譲り受けた船を積んで、
宮城に向かってすでに渋滞の中にいたことを知る。
気になっていたのだが、首尾よく届けられたようだ。
三浦半島で漁船を調達して、船を失った三陸の漁業者まで届ける。
いつものことながら、吉田隊 (社内用語) の行動は豪快である。
福島行脚最後の夜 (6日) は、
二本松市 (旧東和町) の 「ウッディハウスとうわ」 という宿泊施設に泊まったのだけど、
二人部屋で一緒になった放送大学の先生 (NHKのOBさん) と寝ながらした会話が、
「菅さん (実話では呼び捨て) も浜岡 (原発) を止めるくらいの英断がほしいですねぇ」(エビ)
「あいつはできないね」 (先生) だった。
それが翌日の朝刊を見てびっくりした。
『浜岡原発、全面停止へ -首相要請、中電受け入れ』
(5月7日付 「福島民友」 1面)
一日経てば裏事情も含めいろんな情報が耳や目にに入ってくるのだが、
いずれであろうが胸に迫ってくるのは、
歴史という時の中にある " 今 " をしっかりと捉えたい、という強い思いである。
どんなふうに社会が進むか、そして自分はどう行動するか、、、
後になって 「一生の不覚」 とならないように進まなければならない。
「思想とは覚悟である」 なんていう物騒な言葉も頭をよぎったりして。
若い頃に読んだ、あまり好きじゃない三島由紀夫の 『葉隠入門』 だったか。。。
長い余談はさておき、福島行脚レポートを続けたい。
5月4日、堰さらい (地元では 「総人足」 と呼ぶ) の夜は、
地元の方々との楽しい交流会になるのだが、
今年は全体の空気を読んで、
" その前に震災の現状を知り、原発の問題を考えよう " という時間が用意された。
『東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会と里山交流会』
第一部 -「私たちは放射能汚染とどう向き合うべきか」
講師は、東北農業研究センター研究員・長谷川浩さん。
日本有機農業学会の理事もされている。
(写真提供:浅見彰宏さん)
有機農業技術についての会議等で話は何度か聞いてきたが、
原発と放射能についても講義されるとは、さすがである。
長谷川さんの話は、まずは今進んできる事実確認から始められた。
放射能漏れ事故で最も深刻な打撃を被ったのは福島県だが、
汚染は北半球全体に広がっていっている。
福島県は東京電力の電力を1ワットも使っていないのに、
福島の農民、漁民が最大の犠牲者になってしまった。
浜通りでは第1原発を中心に南北60km がゴーストタウンになった。
続いて放射能の基礎知識をおさらいする。
放射性物質というものについて、放射能と放射線の違い、生物に与える影響、等々。
放射能の出ない原子力発電所は理論的にあり得ないことを知っておくこと。
その上で、100%安全な技術というのは存在しないことも。
日本列島は火山、地震、津波、台風の常習地帯であることも。
原子力や放射能の専門家ではないので、と断った上で、
長谷川さんの私見が語られた。
放射能も放射性物質も五感では分からないため、数値に頼ることになる。
しかしながら、人間の健康に影響が出ると分かっている最低値=100ミリシーベルト
以下の放射線量についての健康被害は、長期的な影響まで含めると、
実はまだ科学的に証明されていないのである。
疫学調査は、年齢・性別・喫煙・生活習慣などに左右されて、必ずしも明確な結論が出ない。
そこで、「危険であることを証明し切れていない」 を元に、
「大丈夫」 から 「少なければ少ないほど」 という予防原則の観点の間で、
幅広い解釈が成り立ってしまう。
数値に対する判断が、専門家の間でも正反対になることがある、
それが放射能という問題である。
いま進んでいる事態は、
低線量を長期間被爆した場合の人体実験にさらされているようなものだが、
しかし開放系空間に放出された放射能の影響を 長期的に見ようとすればするほど、
因果関係の証明は困難なものとなるだろう。
長谷川さんの " 私見 " はさらに続く。
これまで数多くの大気圏核実験やチェルノブィリ事故、そして今回の事故等によって、
もはや北半球にゼロ・リスクの場所はない。
どの説を採用するか、どこまで許容するかはあなた次第です。
より低いところを望むならば、疎開してください (どこがいいのかは言えないけど)。
でも200万の福島県民が疎開することはほとんど不可能。
そうなったらそれは難民である。
水田は kg の土壌あたり 5,000ベクレルまでなら耕作できることになった。
しかしできるだけ土壌中セシウムを吸わない (+減らす) ために、
農民こそが知識を持つ必要がある。
いかに汚染されようが、人はそれでも種を播いて、たべものを収穫し、食べ、
水を飲まなければ生きてゆけない。
電気や資源を湯水のように使う「文明病」は、もう終わりにしよう。
不便な生活が正常で、いまほど便利な生活は異常である (それには裏があるが)。
東京は、電気はもちろん、水、食べ物の自給率はほぼ 0% である。
地方を収奪して肥大化してきた。
首都圏の皆さん。 福島県を買い支えてください。
配布資料は、電気を使いまくる都市に対する挑発的な文言で締めくくられているのだが、
彼に対する誤解を避けるために紹介は控えておきたい。
研究者の前に、彼も人間なのだ。
では、長谷川さんの講義を受ける形で、大地を守る会の戎谷さんからコメントを。
ヤな役回りだな、いつも ・・・・
僕の結論はいわば、ご覧の通り、である。
原発というのは低コストなものではなく、温暖化防止につながるものでもなく、
永久的に廃棄物を管理し続けなければならず、
決して人をシアワセにするエネルギーではない。 止めるしかないですよね。
消費者の間では確かに福島産の野菜に対する買い控えが起きているけど、
それを風評被害と言って責めてはいけません。
風評被害とは、小さなお子さんを持つ母親の防衛行動とは別にある。
今ここで生産者と消費者が対立してはならないです、ゼッタイに。
ともに暮らしの基盤である食と環境を守るために
支え合いの精神をこそ発揮して前に進みたいものです。
そのために、大地を守る会では 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画し、
消費者と生産者のつながりを維持していこうと頑張ってます。
・・・と上手に言えたかどうかは不明だけど。
なんだか今回のレポートは長くなりそうだ。
一杯やりたくなったので、この項続く、で。
2011年4月23日
ファイトレメディエーション
放射能による土壌汚染の程度によって、
米の作付を見合わせる (米を作るな) 、という指導がされ始めている。
この判断は、いいのか? 逆じゃないのだろうか?
- と前回書いたが、思うところを書いてみたい。
昨日、原子力災害対策本部長・菅直人内閣総理大臣は、
福島県知事に対して指示を出した。
「貴県のうち、避難のための立ち退きを指示した区域 (半径20km圏内)
並びに新たに設定した計画的避難区域及び緊急時避難準備区域においては、
平成23年産の稲の作付けを控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者に
要請すること。」
そして農林水産省では、稲の作付けを禁じる基準として、
「土壌中の放射性セシウム濃度が土1kgあたり5,000ベクレルを超える水田」
と設定した。
これは過去のデータから、水田の土壌から玄米への放射線セシウムの移行は
10分の1と示されたことによる。
つまり、玄米中の放射性セシウム濃度が、食品衛生法上の暫定規制値(500ベクレル)
以下となるための土壌中放射性セシウム濃度の上限値は5000、というわけだ。
過去のデータとは、独立行政法人農業環境技術研究所が、
1959年から2001年まで、全国17カ所の水田の土壌および米の放射性セシウムを
分析した合計564の測定データで、それをもとにして算出された。
福島県内の水田113地点の土壌を検査した結果、
幸いにして (という言い方は不適切か)、20km圏内および避難区域外からは
基準を超える水田はなかったようだ。
避難区域はその意味からしても、営農そのものが持続困難なのだが、
それにしても、ただ 「作るな」 でいいのだろうか。
また仮に区域外で基準超過の水田が発生した場合においても、
「作るな」 より 「作らせる」 ほうがよい、と僕は考えるものである。
もちろんその米を人に食わせてよい、と言っているのではない。
稲が土壌の10分の1を吸い上げるのなら、何もしないより、
むしろ稲にセシウムを吸わせて土壌を浄化させる方がよい。
収穫された米は東京電力さんに買い取ってもらって、バイオ燃料にする。
燃料にしても移動したセシウムの問題はついて回るかもしれないが、
生命をつなぐ基盤である土壌からの除去・浄化は何より必須の課題である。
しかも、半減期30年というセシウムが相手なので、
基準値を超えた水田では 「来年はつくれる」 という保証もない。
何もしないで放置された水田はだんだんと再生が困難になってゆく。
「つくり続ける」、作り続けながら土壌の浄化を進める、のがよい。
土壌に蓄積された様々な汚染物質 (重金属類や農薬、PCB、ダイオキシン類等々) を
植物の持っている機能や力を利用して吸収させ、あるいは分解させることで
土壌を浄化する技術がある。
「ファイトレメディエーション」 という。
植物が大気や水を浄化する機能を持っていることは多くの人が知っていることかと思う。
逆に、植物によって特定の有害物質を吸収(蓄積)する特質があることも、
部分的ではあるが分かってきている。
こと放射性物質についていえば、
アカザ科の植物がセシウムに対する吸収特性が高いことが確かめられている。
アカザ科 -野菜でいえばホウレンソウ! だ。
福島原発事故はまさにそれを証明してくれた格好になったか。
しかしそれはまた、ホウレンソウが指標作物になる、ということでもある。
土壌からの除染だけを考えるなら、回転の速いホウレンソウを植えまくる、
という考え方も、ないわけではない。
現実には、そのホウレンソウをどうするか、だけど。
こういった植物を、汚染物質を吸収するからといって排除するのでなく、
むしろその力を借りて浄化に取り組もうというのがファイトレメディエーションである。
チェルノブイリ原発事故では、菜の花 (菜種) やヒマワリを栽培することで
土壌浄化に効果があったというのは有名な話で、
篠原孝・農林水産副大臣はこの手法を提唱している。
汚染土壌の修復に土の入れ替えといったことが言われているが、
20km圏内に加えて避難区域まで含めた広域にまたがる水田土壌を入れ替えるなんて、
不可能というより絵空事としか言いようがない。
とにかく物理的あるいは化学的な方法による修復は、べらぼうなコストがかかる。
ファイトレメディエーション技術は時間はかかるが、
エネルギー消費やCO2の排出といった環境負荷がなく、
汚染土壌の拡散を防止できるし、緑化にもつながる。
太陽エネルギーによって植物が生長する、ただそれだけで環境汚染物質を
土壌から吸い上げていくという、究極の環境調和型修復技術であり、
経済合理性に適った考え方として、
欧米ではすでにその応用、つまりいろんな形での産業化が進んでいるものである。
ファイトレメディエーションにはいろんな考え方・方法が研究されている。
生長中の植物の根から分泌される物質によって根の周りに微生物が増加する原理
を応用して、汚染物を分解・無害化する菌を繁殖させるという方法。
あるいは植物根や分泌物に汚染物質を吸着させることによって
固定させる (地下水への流出を防ぐ) といった方法、などなど。
読みにくいカタカナを駆使して書いているけど、ここまでくると要するに、
根圏微生物を増やす、つまりは土壌を肥沃にしていくことが、
有害物質の除染にも有効である、ということになる。
有機農業の力はここにある、というのがわたくしの結論である。
「化学肥料でも肥料効果は同じである。」
あるいは 「農薬は適正に使えば、農産物の安全性は同じである。」
こういう論がいまだに跋扈しているが、土から目線で言えば、
農薬は土壌に残留する有害物質のひとつであり、いずれ植物に吸収される。
化学肥料は植物を育てる食べ物にはなっても、土壌の肥沃性を増すものではない。
最終的に放射性物質も含めた汚染物質を除去あるいは固定・無害化する力は
菌であり、それを育てる土壌の力、ということになる。
土が豊かであるほど、私たちの健康は保たれる。
その関係にあることを忘れてはいけないだろう。
私たちが有機農業を目指す生産者たちを大事にしたいと思うのは、
環境修復の担い手でもあると思うからだ。
それは長期的な時間でみれば経済合理性にも適っている。
いずれにしても、自然界の力と調和しながらきっちりと安定化させていく、
といのが最も効率がいい、ということになると思うが、いかがだろうか。
大切な食料基地でもある福島を、荒涼とした大地にしてしまうのでなく、
稲やヒマワリや菜の花を咲き誇らせながら修復へと向かおうよ。
その田園はきっと僕らに 「希望」 を語りかけてくれるはずだ。
2011年4月16日
原発はいらない! と タン君も叫んだ。
予告してしまった以上は実行しないとまずいか。 まずいね。
天下無敵の百姓どのにもしっかりコメントで発破かけられちゃったし。
4月16日(土)。 渋谷、宮下公園の先にある神宮通公園。
短角牛の短君を台車に乗せて(こいつは自力では歩けない)、午後1時過ぎに到着。
だんだんと人が集まってきて、2時には公園に収まりきれないほど膨れ上がった。
「野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!」
やるしかない!
(あ・あ・・・右手が落ちた・・・)
胸のプラカードは夕べやっつけで作ったもの。
気温がどんどん上がる中、まるでサウナ状態 (-_-;) 。
いや、泣き言はやめよう。
牛にも一言いわせろと、せっかく岩手から応援参加してくれたんだ。
東北の風土に根ざし、東北の大地に生きて、100%国産飼料で育てられた日本短角牛。
この仔には岩手の畜産農家たちの思いが託されているのだ。
腹をきめて、
行くぞ~! オオーッ! (写真左の人は弊社広報グループ・中井徹) 。
東北の方々の思いを背負って、なんてとてもできないけど、
都会の消費者に、少しでもメッセージを伝えたい。
" 美しい大地と きれいな海を とりもどそう "
そのためにできることを考えよう。 子どもたちの未来のために。
デモの前に集会が始まる。
被災地の原発被害の状況を、
グリーンピースジャパンの高田久代さんが報告する。
次に各地からの悲痛な叫び声が伝えられる。
真剣に聞き入る参加者たち。
涙する女性もいる。
茨城から、オーガニックファームつくばの風の松岡尚孝さんも参加。
大きな希望を抱いて就農して3年。
自分たちが受け入れた覚えもない放射能によって、ホウレンソウも、のらぼう菜も、
出荷できなくなった。
出荷できる野菜まで影響を受けているが、それでも自主的に検査をして
責任を持って届けたいと頑張っている。
今はとにかく、明日につながる道筋がほしい。
千葉県成田市三里塚に就農した若者が決意を語った。
「楽しく、いきいきと生きたい、そう思って成田に就農した。
もしかしたら僕たちの農地も汚染されてしまうかもしれない。
でも僕は、何があってもここに残って農業をやる、やり続けると決めました!」
福島の農家からのメッセージが読み上げられ、
続いて流通の立場から発言を求められる。
たんくんのままではきつかったので、頭は脱がせてもらう。
私たちは原発を 「トイレのないマンション」 と呼んで、ずっと反対してきました。
原発は温暖化防止に貢献できるエネルギーでもありません。
ひとたび事故が起きた時のリスクは測り知れないものになる。
・・・それがついに現実のものとなってしまいました。 実に辛いですね。
20km 圏内の仲間の生産者は、慈しんだ大地を離れて避難しています。
一人は、もう帰れないと諦め新天地を探し始めました。
30km 圏内に畑を持っていた生産者は、
屋内退避勧告に応じず、敢然と畑に通ったのですが、
その努力は報われることなく、出荷を断念せざるを得なくなりました。
その圏外にも放射能は飛び、たくさんの生産者が被害を被っています。
いくつかの市町村がまるごと捨てられる、これが原発が持っているリスクです。
そんな中で私たちは、食べられるものは食べようと呼びかけ、
福島・北関東の農家を応援する野菜セットの販売を始めました。
食べることでつながりが確かめられ、
消費者は応援していると生産者に少しでも希望のメッセージになればと願っています。
そしてみんなの力で、
新しい 「いのちと暮らしの安全保障システム」 を築いていきたいと思う。
そのシステムには、原発というハイリスクで超コスト高な装置は入る余地はありません。
(廃炉まで10年という時間とコストとその間の汚染を想像してみてほしい)
希望はこの道にある。 そう信じて今日は皆さんと一緒に歩きたい。
- とまあ、そんなふうにスピーチするはずだったのだけど・・・ 68点。
PARC理事で出版社・コモンズ代表の大江正章さんが、集会をまとめた。
原発事故は人災と言われているが、
復興構想会議の特別顧問となった哲学者・梅原猛さんの言葉を借りれば、
「文明災」 である。 文明が裁かれているとは、まさにその通りだと思う。
原発がなくても、私たちの暮らしは何ら問題はない。
いま日本は電力の29%を原発に頼っているが、その数字を引いても
1985年当時の電力量より多い。
はたして85年はそんなに不便だったろうか。
かたや、内閣府で出している国民生活白書を見れば、
生活の満足度は84年をピークに、85年からずっと下がりっぱなしである。
原発はいらない! をみんなで確認して行進しましょう。
では、いざ、出陣! です。
短君、カッコイイね。 堂々としているぞ。
神宮通公園からJRのガードをくぐり、東電の電力館前で
一斉にシュプレヒコールが上がる。
オールドスタイルの掛け声は、もうやめたほうがいいんじゃないかと、ふと思う。
それより、道行く人たちに向かって
「原発のない社会をつくりたいのです。 どうか一緒に歩いてください」
と真摯に語りかけた方のほうが好感が持てた。
あれ。
エビが疲れた表情で歩いているけど、短君じゃないの?
いえ。 集会の1時間だけ着て、デモに移る時に若手の O 熊くんにバトンタッチしました。
こういう経験は若いうちにさせなければ、という美しい先輩心です。
水色のシャツはびしょ濡れです。
O 熊くんは頑張りました。
渋谷駅前では注目度ナンバー1 じゃなかったか。
国内外の報道系だけでなく、通行人からも車の運転席からもカメラを向けられ、
ちょっと得意にポーズをとったりして。
「渋谷の駅前はチョー気分よかったっすね。」
お疲れさまでした。
応援に来てくれた会員の皆様、スタッフの方、そのご家族の方。
急な集会でしたが、来ていただいて有り難うございました。
プラカードを持って、お巡りさんにガードされながら、車道を、声出しながら歩く。
なかなかに照れくさいもので、通行人に呼び掛けているのだけど、
目を合わせるのは何となくはばかられる。
手を振ってくれる方もいれば、胡散臭そうに眺める方もいる。
ハーヴァード大学名誉教授の社会生物学者で、2度のピューリツアー賞を受賞した
知の巨人、エドワード・O・ウィルソンは書いている。
「 抗議活動団体は、自然経済の早期警戒システムであり、
生きている世界の免疫反応である。」 (『生命の未来』 角川書店 )
2011年4月 9日
原発とめよう会の緊急講座から
「福島と北関東の農家がんばろうセット」 を企画した途端、
マスコミが殺到してきた。
風評被害から農家を守ろう、という取り組みはそれほど珍しい、ということなんだろうか。
たしかにここにきてスーパーマーケットでも
「福島応援フェア」 などが開かれたりしているが、
普通のコーナーに並べられることはない。
僕としては 「(流通OKなものは) 普通に食べようよ」 と言いたいだけなんだけど。
それよりもっと大きな方向にベクトルを向かわせたいと思うのに。
一昨日(4月7日) は、NHKさんから取材を受けた。
昨日の夕方の首都圏ニュースで3分ほど流れたようだけど、
自分は外での会議に出席していて見ることができなかった。
応援セットの主旨より放射能の自主検査について色々と聞かれてしまい、
これについてはわずかでも間違ったことをいうわけにはいかないので、
カメラの前で言葉を選んでいるうちに、自分でも緊張してくるのが分かった。
見た方からの感想は 「ちょっと元気がなかった感じ。 疲れてる?」 。
いえ、喉が渇いて、大きな声が出なくなっちゃったんですよね、トホホ。。。
でも視聴者から 「私も応援したい」 という連絡も入ったようなので、
その報告だけを記憶して、今日は寝ることとしよう。
いや、寝る前に、今日開かれた講座の報告をしておかなければならない。
大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 が開催した
緊急講座- 「福島原発とどう向き合うか」 。
場所は、新宿区早稲田にある 「戸山サンライズ」の大研修室。
講師は、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。
仕事の都合でちょっと遅れて行ったところ、定員200名の席がほぼ埋まっていた。
原発をテーマにして、これだけの人が集まったのは、チェルノブィリ以来だね。
心境は複雑である。
原発事故や放射能についての解説は、原発とめよう会ブロク他の媒体に譲るとして、
取り急ぎ、誰もが気になっていることだろうと思われる疑問について、
伴さんのコメントを紹介したい。
ただ紹介するだけでは無責任なので、→ のあとにエビの見解を示します。
1.政府が出した暫定基準値は甘い。
被曝は単純な比較で終わるものでなく、足し算で考えなければならない。
被曝の影響として語られる 「ただちに健康への影響はない」 とは、
将来に影響が出る可能性があるということである。
放射能にこれ以下なら安全という量はない。
→ その通りだと思う。 だからこそ 「ただちに」 止めなければならない。
と同時に、今は危機管理体制の中にある、というのが僕の認識で、
暫定基準値は、最低ここまでのラインで行動する、という統一基準として理解している。
それをいたずらに危険だと煽ったり店頭から撤去するのは賢明な判断ではないと思う。
「この基準を恒常的なものにしてはいけない」 は、まったく同感である。
平時にあっては予防原則に則って安全性を確保する社会づくりに努める。
しかし非常時にあっては、できるだけ多くの人を救うための共通する行動原理に従って
一刻も早く事態を収束させる。 それが危機管理の鉄則じゃないだろうか。
そして、すべての不安を、「ただちに」 次の行動に結集させたいと思うのである。
僕が腹の底から願うのは 「いのちの安全保障」 ビジョンである。
2.乳幼児ではヨウ素の影響は大人に比べて10倍くらい高い。 子供は4倍くらい。
できるだけ情報を集めて、自分で判断しよう。
→ この数字の根拠までは語られなかったので、検証はできてないが、
こういう数字を示してくれると、やっぱホッとするのは消費者心理ではある。
一方で今の基準値は子供への影響も考慮したものである、という見解もあるが、
とりあえず伴さんの説明に基づいて計算するなら、
野菜類の乳幼児の暫定基準値は200ベクレルということになるか。 子供で500ベクレル?
当会で放射能汚染食品測定室に依頼したホウレンソウの比較試験で得られた結果は、
洗って約4分の1、茹でて半分。 なら葉物で400ベクレル、というのが指標になるか。
乳幼児向けだと、葉物でひっかかる場合がある、というレベルである。
真の大人なら、当たり前に食べてほしい。
気になるなら、厚生省や官公庁で日々発表されているデータをHPでチェックして
参考にしていただきたい。
じゃが芋や玉ねぎ・人参・大根といった根菜類はまず問題ない。
トマトやきゅうりなどの果菜類も大丈夫でしょう。
ちなみに、ホウレンソウなどの葉物が高く出るのは、
太陽に向かって葉っぱを広げて伸びようとしている、その生長段階のものを食べるから。
落ちてくるものを受け止める面積が広いからです。
単位重量に対して、表面積が大きいものは高く出ることになります。
そういったことも頭に入れながらいろんな野菜を判断していただけたらと思います。
ただ、この汚染が長引くと、問題は半減期の短いヨウ素ではなくセシウムになる。
大地に降ったセシウムを植物がどう吸収するか、これからいろんな情報が出てくることだろう。
私が考えるポイントは腐植や微生物の役割、つまり有機農業の力である。
生態系の力で安定させていく事こそもっとも合理的で、これこそ地球の原理だから。
これは専門化レベルの話になるが、いずれ挑戦したい。
3.子供を外で遊ばせてよいか?
雨が降ると放射性物質も一緒に落ちてくるから、当然濃度も高くなる。
濡れないように注意してあげる必要がある。
普通の日に外で遊ぶ場合は、砂場などで土や砂をいっぱい体に付着させるのは
なるべく避けたほうが良いと思うが、それ以外は神経質に考える必要はない。
部屋に閉じ込めてストレスを高めることのほうが問題だと思う。
→ 有り難うございます。 そのように伝えていきたいと思います。
他にもいくつかあるけど、取り急ぎこんなところで。
昨日キャッチした情報。
全国漁業協同組合連合会 (全漁連) の服部郁弘会長は6日午前、
都内の東京電力本社に勝俣恒久会長を訪ね、
同社が福島第1原発で高濃度放射能汚染の貯蔵スペースを確保するため
低濃度の汚染水を海に放出したことに対し、
「何の相談もせずに強行した一方的な暴挙だ。
われわれ漁業者の神経を逆なでするもので、許し難い」 と強く抗議した。
服部会長は、「国と東京電力の責任は免れない」 と強調。
政府と東電に、関係者への最大限の補償を速やかに行うよう求めた。
これに対し、勝俣会長は
「大変なご迷惑をお掛けしたことを、心から深くおわび申し上げます」 と陳謝。
汚染水の流出防止や補償の問題に 「最大限の努力をする」 と述べ、
同社として誠意を持って対応する姿勢を示した。
服部会長は東電側との会談後、記者団に
「これからはどんな説明を受けても信頼できない」 と強い不信感を表明。
福島、茨城両県以外の漁業者にも不安を広げた東電や政府の対応に怒りを示し、
今後全漁連として、全国で運転もしくは計画中の全ての原発の中止を訴えていく
考えを示した。 (4月6日12:29、時事通信発)
今日改めて確認しようとしたが、どうやら最後のセンテンスはカットされてしまったようだ。
考えさせられるね。
ここは一発、断固支持のエールを送っておきたい。
がんばれ!全漁連・服部会長!
2011年4月 4日
答えのひとつは 畑にある
" 答えの一つは畑にある。
土や小さい生き物の浄化力を信じて 明日もがんばろう! "
阿部豊さん、コメント(3月28日付) 有り難うございます。
まったくその通りだね。
「土を損なう国は、国全体を損なう」
と言ったのはフランクリン・ルーズベルトだったっけ。
私たちの未来、人類の文明の行く末とまで言ってしまおうか、
その鍵を握るのは、土(土壌) の力と人の関わり方、になるように思う。
(写真右が阿部豊さん。左は桑原広明さん)
阿部さんの師匠、魚住道朗さんから頂いた
エアハルト・ヘニッヒ (ドイツの農業指導者、1906~1998年) の
『生きている土壌』(中村英司訳、農文協) を今読んでいるけど、
最初のほうにこんな一文がありました。
「 生命それ自体は共に終わりを迎えるのではない。
崩壊の過程の中から、「廃墟からの新しい生命」、
つまり、まさに肥沃な土壌が生まれてくるのだ! 」
有機農業は、進む危機の中にあって、いよいよ確かな道標としてある。
しかし火急的に求められている問題は、、、まさに今、であって、
これがつらい。
阿部さんからは、茨城大学の先生を呼んで測定した報告を頂いているので、
紹介したい。 詳細な説明は省略でごめんなさい。 ( ) 内はエビの注です。
本日、茨城大の助教の先生に来てもらい、放射線測定をしてもらいました。
結論から言うととてもいい知らせとなります。
測定にはGMサーベイメーターを使い、出てくる値は CPM という単位で、
放射線の通った跡をカウントしているもの。
通常時は空気中、食品ともに80が基本となるものです。
今回使った機種は原子力機関で一般的に使われている精密なものです。
結果からわかるのは、
べたがけやトンネルは影響を半分以下におさえる効果があるということ。
次に、洗って茹でてみた。
洗いは放射性物質の低減にとても有効。
さらに茹でるとホウレンソウでも普段の2倍(2分の1)
程度まで放射線を減らすことができ、まったく問題ないと思われる。
ここは消費者にも安心して食べてもらえる結果となった。
ちゃんと説明すれば支援先でも受け入れてくれるだろう。
(阿部さんは八郷の有機農家たちと一緒に、福島に支援物資を送っている)
今、土の上に薄~く放射性物質が降り積もってる。
つくば産総研のデータから類推すると、90%以上はヨウ素で、半減期8日。
ヨウ素は大量の降雨がない限り、植物も根から吸わないだろう。
数%がセシウムで、半減期30年。
セシウムはカリや炭を畑に入れれば60%以上植物が吸収するのを抑えられる。
つまり、普段どおりバランスのいい堆肥やぼかしなどを入れて作付すれば問題ないのでは。
気になる人は、カキガラやくん炭を多めに入れればいい。
当会がずっと測定サンプルを出している 「放射能汚染食品測定室」 に依頼した
ホウレンソウの比較試験でも、阿部さんと似たような結果が得られている。
ホウレンソウを洗うと、76%に減少(24%除去)、
洗った後に茹でて絞った状態で、53%に減少(47%除去)、となっている。
阿部さんからは、
放射性物質の暫定規制値についての、実に冷静な考察も寄せられている。
政府基準が適用されたとしても、
自分が納得して出荷できるかどうかが一番重要だし、
安心できると消費者に伝えることができるかも大切。
あの数字に納得しないまま振り回されるのも嫌なので、調べたのだと言う。
阿部さんはWHO(世界保健機構) やFAO(国際連合食糧農業機関)、
各国の輸入基準などをチェックした上で、こう考察された。
政府の食品衛生法の暫定基準は、国際基準と大きく外れてはいませんでした。
すべての基準のもとになるのが、国際放射線防護委員会(ICRP) の
年摂取限度量(ALI) の数字。飲食等による内部被ばくの場合、
たとえばヨウ素の場合、甲状腺への実効線量50ミリシーベルトが限度値。
その他の核種の場合、それぞれ5ミリシーベルト。
この元となる基準は、今までの放射線被ばくの実データやシュミレーションによって
算出されており、現在最も信頼されている数字。
日本の基準には独特の考え方が盛り込まれているので難解。
ヨウ素2000ベクレルの野菜を1年食べて内部被ばくしても
放射線限度の50ミリシーベルトには達しない。
この数字は野菜だけを考えて決められているのではないから。
計算にはいろんな統計資料が用いられており、
核種、年齢によってまた違う計算式になっている。
たとえばヨウ素の場合、成人が年間限度50ミリシーベルトに達するには、
ヨウ素が2000ベクレル含まれた野菜を227gずつ365日食べる。
ヨウ素が300ベクレル含まれた乳製品を105gずつ365日飲み続ける。
ヨウ素が300ベクレル含まれた水分を1.65リットルずつ365日取り入れる。
この3つの条件が合わさって、ようやく制限値の66%に達する。
つまり、かなりの悪条件が一年続くと健康を害する可能性が高まるということだ。
官邸、マスコミが 「ただちに健康は害しない」 というのは正しい。
わかったことは、あの基準はそれなりの根拠があるということ。
本当に 「ただちには健康を害しない」 ということだ。
2000ベクレルのホウレンソウを100g食べただけでは0.003ミリシーベルトしか
被ばくせず、しかも洗うと放射線は2分の1になる。
消費者が理解してくれるといいね。
(今年のだいち交流会・錦糸町会場で歌う阿部豊)
そう言いながらも、阿部さんが代表を務める 「頑固な野良の会」(茨城県石岡市) では、
県下一斉に出荷停止になったカキナだけでなく、
のらぼう菜、石岡高菜も自主判断で出荷を控えている。
「 あとから、消費者の皆さんが後悔することのないように、
生産者にとっても難しい判断です。 」
茨城からは、「オーガニックファームつくばの風」 代表の松岡尚孝さんからも
同様な文書が届いた。
群馬 「くらぶち草の会」 からは、県の検査結果が日々送られてくる。
こうやって、食べる人への責任を全うしようと、
できる限りの対処をしてくれる生産者がいてくれることは、
とても有り難いことではないだろうか。
土壌の力を育てる技術も、彼らの中にある。
ここで彼らを切り捨てるわけにはいかないと、切に思う。
リスクはゼロであるに越したことはない。
しかし、ゼロはもはや現実にはなくなってしまった。
ここで " 最低守るべきライン " を共通尺度として設定した以上、
それ以下は、よく洗う、生では食べない、など念のための防御をしながら、
普通に食べていただくしかない。
多数の意思で受け入れた文明の結果でもあるし。
怒りは、新たな文明設計へと結集させたい。
2011年3月31日
人類はアブナイものをつくり過ぎた
3月31日。
年度末という日程も完全に無視。 2トントラックをレンタルして、
「大地を守る会の備蓄米」 の産地、福島県須賀川市・ジェイラップに
お見舞いもかねて救援物資を運んできました。
救援物資といっても偉そうなものじゃなく、水とお茶約1.5トン+ α 程度で、
地震前から予定していた仕事の用件もあって、、ということなんだけど。
それでも皆さん、恐縮するくらいに喜んでくれたのでした。
(右から、ジェイラップ・伊藤大輔さん、同・関根政一さん、左が弊社農産チーム・須佐武美)
この日の報告は追ってしたいと思いますが、その前に
この間届いている、放射能汚染に対する生産者からの様々な声も紹介したいし、
ずっと当社で放射能測定を依頼してきた 「放射能汚染食品測定室」 の話もしたいし、、、
という感じで、お伝えしたいことがどんどん溜まっていきます。
まったく前代未聞の非日常の連続の中で、いろんな仕事を散らかしたまま、
とうとう年度を越してしまう事態となってしまいました。
そこで、モロモロの報告は次に回させていただき、
ここは、忘れもしない歴史的コピーを改めて蘇らせることで、
新しい年度へと、気持ちをつなげたいと思う。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
これは、1988年に行なわれた " いのちの祭り シンポジウム "
で使われたキャッチ・コピーである。
コメの市場開放が争われる真っただ中で、
" 日本の食と農業を守ろう " のスローガンのもと、
全国農業協同組合中央会(全中) と自治労などの労働組合、
そして有機農業団体や市民団体が初めて手をつないで開催された、
画期的な集会だった。
会場はなんと、これまた特例中の特例として解放された 国技館 である。
会場のど真ん中に土俵があり、米俵が積まれ、
発言するパネラーの表情が、でかいスクリーンに映し出された。
大地を守る会の藤田和芳会長はこのシンポジウムの実行委員として参画し、
農協や労働組合のトップたちを前に、
「 食と農業を守るためには、環境を守る農業に転換しなければならない。
加えて安全な食や環境と相いれないものとして、原発がある。
農民も、労働組合も、原発に反対してほしい! 」
と壇上から訴えた。
司会は作家の立松和平さんだった。
このシンポジウムの冠コピーを書いてくれたのは、
コピーライターという職業をブレイクさせた筆頭格、仲畑貴志さんだ。
この方の作品で僕が一番好きなのは、
反省だけなら猿でも~ ではなくて、
「荒野に出ることだけが 冒険じゃない」 かな。
上がってきた原稿を見て、 オオーッ! と叫んだのを覚えている。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
- これから農業
チェルノブィリ原発事故から2年。
昭和から平成に移る直前の、今思えば、
食や環境の安全が一部の人の関心事ではなく、
国家的に議論しなければならない時代に突入していることを、
社会的に提示した " 事件 " だったと言える。
実はこのシンポジウムは前哨戦で、これを皮切りに各地で機運を盛り上げていって、
翌年には代々木公園を借り切っての大きな " 祭り " 本番に突入するという構想だった。
大地を守る会はこの大ムーヴメントの事務局構成メンバーとなり、
僕は生け贄として赤坂の事務所に出向させられた。
全国から農民が、労働者が、そしてたくさんの市民団体や消費者が
代々木公園に結集して、
日本の農の大切さを、そして食の安全を守ろうと謳い上げる、
という壮大な仕掛けが進んでいた。
すべてが信じられないくらい、うまくいっていた。
しかし・・・ " 祭り " は実現しなかった。
昭和天皇が危険な容態となって、農協がギリギリになって自粛を判断した。
労働組合は怒り狂った。 全国からバスを仕立ててやってきた闘士たちを前に、
僕はスタッフの一人として公園の入口でひたすら頭を下げ続けた。
引き返す際に浴びせられた数々の罵声は忘れられない。
「本当にすごいことが起きると、ワクワクしてきたのに- 」
「これがどんな意味を持ってんのか、知ってんのかッ! 」
「 何とか皆を説得して農協と組むのを承認させたんだ。 オレの首も飛ぶよ。 」
これだけの規模と質を獲得した国民運動は以後、つくられてないよね。
その年の暮れに昭和は終わり、あれから22年。
今こうして アブナイ が本当に目の前に繰り広げられる現実のものとなって、
空も大地も水も人々も、行き場のない哀しさと怒りで充満している。
震災だけなら、むしろ人をつなぐ力にもできる。
しかし目に見えない放射能という恐怖は、分断させるばかりだ。
生命をつなぐはずの貴重な収穫物が、
生産者のまったく関与していない理由で " 危険 " のレッテルが貼られていく。
この原因は誰がつくったのだろう。。。
" 誰でもない、みんな です " という声も聞こえてくる。
それぞれに己れがたどってきた生き方を振り返ることが求められているのだろう。
2011年3月31日。
とっ散らかったまま来てしまった年度末を、
改めて引っ張り出したこの言葉で締めて、明日に向かいたい。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
-これから農業
大地を、社会を、立て直す力は、有機農業にこそある。
いや正確には、数え切れない微生物も含めた " いのち " の共同作業が、
誰を恨むなんて感情をもつことなく、せっせと壊れたつながりを修復させ、
地球を安定化させていくのだ。
その " つながろうとするエネルギー " と、連帯したい。
2011年3月20日
畑にも被害が及び始めました。
厚生労働省は昨日(3月19日)、
福島県産の原乳と茨城県産のホウレンソウから、
食品衛生法に基づく暫定規制値を超える放射線量が検出されたと発表しました。
ともに県が実施したサンプル調査によるものです。
原乳は福島県川俣町で採取されたもので、
1キロ当たり932~1510ベクレルの放射性ヨウ素が検出されました。
ホウレンソウは茨城県の高萩市や日立市など6市町村のもので、
6100~1万5020ベクレルのヨウ素が、
また524ベクレルのセシウムが検出されたとのことです。
なお同時に分析されたネギは規制値以下の結果でした。
食品衛生法に基づく暫定規制値というのは、
今回の福島原発の事故を受けて急きょ設定されたもので、
この規制値を超える飲料水や生鮮食品については出荷させないように
(正確には 「食用に供されることがないよう販売その他について十分処置されたい」)、
という通知が都道府県に出されています。
牛乳の規制値は、放射性ヨウ素=300ベクレル、同セシウム=200ベクレル。
野菜は、ヨウ素=2000ベクレル、セシウム=500ベクレルとなっています。
いずれも 1㎏あたりの量です。
ただし規制の範囲は定められておらず、
これを受け、茨城県では県内の露地栽培のホウレンソウの出荷停止を各市町村に
要請しました。
この要請にともない、大地を守る会においても、
茨城県産ホウレンソウの流通をいったん停止しました。
再開は未定です。 今後の情勢により判断、という形にならざるを得ません。
とうとう畑や家畜にも影響が出てきました。
メディアでは、「食べてもただちに健康に影響が出る値ではない」
「野菜は洗ったり、茹でたりすれば、相当量が除去される」 と報じています。
それはそうなのですが、とはいえ、
これ (放射能) ばっかりは、どこまでが 「安全」 と言い切れるものはありません。
残念ながら私たちにも、断定できる閾値は設定できません。
大地を守る会は、25年間にわたってそう主張してきました。
社会を変えるまでに至らなかった非力さを、無念や悔悟とともに深く自省しつつ、
しかしけっして諦めることなく、
未来のために、為すべきことを為したい、と自らに念じています。
2010年12月 8日
「都市の食」 ビジョン
時間は矢のように過ぎて、巷の空気はもう Merry Xmas だ。
30回目のジョン・レノンの命日がやってきて、街に HAPPY XMAS の曲が流れている。
老いた人も若い人も、肌の黒い人も白い人も、金持ちの人も貧しい人も ~
A very Merry Xmas , And a Happy New Year ~
War is over!
If you want it
War is over! Now!
歴史的アルバム 『イマジン』 と同じ年(1971年) に発売された、
ジョンとヨーコの 「愛と平和」 のメッセージ。
「 あなたが望むなら 戦争は終わる! ハッピー・クリスマス ジョン&ヨーコ 」
願いの込められた Merry Xmas を聞きながら、
昨日は午後から丸の内での会議に出向いていた。
新丸ビル10階 - いつもの 「エコッツェリア」。
ここで 「丸の内地球環境倶楽部 都市の食ワーキング・グループ」 という集まりがあって、
今年の春より 「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめる作業を進めてきた。
一方で丸の内シェフズクラブによる 「食育丸の内」 が展開されてきたことは、
この間お伝えしてきた通りである (直近では 10/18の日記 をご参照ください)。
「都市の食」 ガイドライン策定では、
『 " 食 " を通じた 「都市」 と 「生産地」 による持続可能な環境共生型の地域づくり 』
を目的として、次のようにポイントが整理された。
◆消費者のために・・・ ①おいしい食 ②安全・安心な食 ③身体にいい食
◆つながりを取り戻す食・・・ ④自然とつながる食 ⑤人とつながる食 ⑥地域とつながる食
◆大丸有だからできる食・・・
⑦本物を知る食 ⑧創造力を育てる食 ⑨世の中を変える食 ⑩自分でつくる食
このガイドラインを形にしてゆくために、提供者・流通者がそれぞれに行動指針を持ち、
具体化に向けた検討の段階へと進む。
昨日はそのための、改めての検討会の立ち上げである。
第1回 『 「都市の食」 ビジョン具体化に向けたまちづくり検討会
-大丸有 食の低炭素化と自立に向けて- 』
予定では2月の第3回までの間に骨格をつくり上げる計画だ。
いわば第2ラウンド、根幹となる物流の仕組みづくりとなり、
僕はステークホルダーとかいう立場で引き続き関わらせていただくことになった。
ビジョンに賛同する生産者とレストランを、それぞれの立場や都合をマッチングさせながら、
しかも効率や環境負荷にも考慮しながら、結ぶことができるか。
価値のネットワーカーでありたい、などと偉そうなことをほざいてきた者の
まさに真価が問われる場になってきた。 血が騒ぐ・・・
検討会の座長は金沢工業大学産学連携室コーディネーター・小松俊昭さん。
ステークホルダーには、環境省や農水省、東京都も参画している。
第1回目の検討会はお互いのイメージや課題を出し合うような形となったが、
次からいよいよ本格的な議論になる。
会議終了後、ビジョンとガイドラインに沿った食材の試食会が持たれた。
東京都内の生産者の野菜、八丈島の海産物を、
フレンチのお店 「イグレット丸の内」(新丸ビル5F) の市川健二シェフが
素材の特徴にあわせて調理してみせてくれた。
そして大地を守る会は、テッテイして国産にこだわった食材の提供として、
東京駅エキュートのお弁当・お惣菜店 「大地を守る Deli 」 からのケータリングで協力。
国産素材だけで色々なラインナップが可能です、という提案。
ただ Deli はケータリングの体制を持ってなく、また初めての年末体制ということもあって
神経ピリピリ状態だったのだが、何とかイレギュラーなオペレーションをこなしてくれた。
容器等は一般品でご容赦願う。
産地・生産者グループが特定でき、フードマイレージも表示できる。
フードマイレージについては、広報室・大野由紀恵が説明する。
畑とレストランそして消費者を結ぶ、しかもガイドラインで示された理念を体現する形で。
自給率の向上に、食文化の発展に、そして食べる人の健康や豊かさの実感にも貢献する
新しい仕組みづくり。
いろんな視点での " 結び " の作業が、これから始まる。
2010年12月 4日
いのちの海を守りたい
先週は金曜日にもう一つ夜の集まりがあったので記しておきたい。
11月26日(金)、幕張の本社に祝島 (いわいしま) からお客さんがやってきた。
山戸孝さん。 山口県熊毛郡上関町祝島在住。
びわ農家であり、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」 のメンバー。
9月5日の日記 で紹介した元祝島漁協組合長・山戸貞夫さんの息子さんだ。
鎌仲ひとみさん監督の映画 『ミツバチの羽音と地球の回転』 にも登場している。
本来は翌日に開かれる 「上関どうするネット」 の集会に合わせて上京されたのだが、
到着したこの日の夜に時間をとって千葉・幕張まで訪ねてくれた。
そこで専門委員会 「大地・原発とめよう会」 のスタッフが中心になって、
「孝さんを囲んで話を聞く会」 が用意されたのだった。
孝さんはほとんど寝てない状態だという。
埋め立て工事を強行しようとする中国電力の作業台船 (地盤改良船) が、
26日の午前1時に工事を断念して引き揚げるまで、抗議と監視を続けてから
こちらに駆けつけてくれたのだ。
28年も経って、ここにきて埋め立て工事を急ぐのも、
2012年9月までに埋め立てを完成させなければ免許が失効するからだとか。
まあそれもきっと延長申請されるのだろうが、
未だに2本のブイを立てたのみという実態と、この先つぎ込まれるであろうお金を鑑みれば、
やっぱりこの原発計画は白紙に戻すことこそが賢明な " 歴史的英断 " というものだろう。
この間の経過を現地感覚で感じ取りたい方は、
ぜひ 祝島島民の会のブログ をご参照願うとして、
この日の孝さんの話は、ただただ島の暮らしを守りたいという、
一徹でかつ素朴とも言える " 生き方 " の問題だった。
島で千数百年にわたって継承されてきた祭り 『神舞(かんまい)』 を守りたくて、
10年前、孝さんは島に帰ってきた。
この島で生きるということは、この島で死ぬことなんだと、その覚悟を持ったことで、
原発の問題も語れるようになった。
生物多様性のホットスポット、「瀬戸内の楽園」 と謳われるこの地で、
海とともに生きたい。
朝日が昇る方角の目の前に原発を眺めながら日々を暮らし、
ひとたび事故が起これば、私たちはどこにも逃げられない。
「反対するしかないでしょう。」
じいちゃん・ばあちゃんたちは病気になると本土の病院に搬送されるけど、
みんな 「島に帰りたい」 「島で死にたい」 と言って泣く。
みんなが安心して最後まで暮らせる島にしたい。
島民の緊急時の搬送体制の確立、高齢者福祉・介護の充実化、
島の歴史的・文化的遺産の見直しなどに取り組みながら、
孝さんは経済的自立と地域活性化に向けて、
島の特産品を販売する 祝島市場 を運営する。
そして将来はエネルギーも自給したいと夢を、じゃない、プランを語る。
「私たちは食べものを選べる時代に生きてますが、まだ電気は選べない。
何によってつくられた電気なのか、それを選択して暮らせる社会にしたいです。」
エネルギーと自然環境が調和したモデルケースにしたい。
山戸孝は反対者であるより、未来開拓者だ。
「もっと話をしたい。」
散会の後、緑提灯の店に流れる。
孝さんの目がしょぼしょぼしてきている。 明日が本番だというのに。
それでも、語り合いたいという思いのほうが強くて、なかなか終われない。
2010年11月29日
5668
てんさん、農民たかはしさん、まっちゃん、Anonymousさん、sakuradaさん、
コメントを頂戴しながらすぐに返事できずにスミマセン。
遅ればせながらコメント追加してますので、ご確認ください。
それから、訂正です。
前回の日記で、自分が発言している写真のところで、
「背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピー。
『日本の風景をつくりなおせ』 (羽鳥書店) の著者、梅原真さんのデザインによるものらしい。」
と書いてしまいましたが、思い込みによる記述でしたので削除しました。
お詫びいたします。
でも梅原さんの仕事は、地域力を考えたい人、デザインを目指す人は注目です。
上記の著書に加えて、お詫びついでに紹介したい一冊を。
『おまんのモノサシ持ちや! -土佐の反骨デザイナー・梅原真の流儀- 』
(篠原匡著、日本経済新聞出版社刊)。
で、早稲田で飲んだ翌24日、当会六本木分室で開かれた
「生物多様性農業支援センター(BASC)」 の理事会に、夕方遅れて出席する。
僕は理事ではなく、理事に名を連ねる藤田会長の代理出席である。
ここだけの話(ある意味当然のことだけど)、会長の代理は各分野にいて、
米とか田んぼとかのキーワードがあると指名がかかってくる。
場合によっては代理の代理で突然に指令が降りてくることもある。
困るのは、時々思いつきで声がかかることだ。
光栄と思うべきなのだろうけど、
「エビスダニ、この日は暇か?」 とか聞かれると、ムッとなるね。
ヒマです、と言える日がほしい・・・・・
内輪話はやめよう。 あとがコワいし。
話はBASCの理事会である。
原耕造理事長からこの間の活動報告と今後の方針案が説明され、理事の方々で審議される。
正直言って、厳しい運営状況である。
たくさんの有識者や団体からの支援と熱い期待を受けて、
生物多様性を育む農業を支援するナショナルセンターたるべく設立された組織だが、
独立した事業として確立させることは容易なことではない。
理事代理の立場で無責任な論評は避けるが、
田んぼの生物多様性を育て確認するノウハウはそれこそ多様にあって、
田んぼの生き物調査にしても、手法や価値の伝え方は農家自身の手で発展させられる
ものだったりするので、事業ベースとして (つまり収入源として) 展開するには
オリジナルなテキストや人材派遣(講習会などの開催) だけでなく、
実践する農家を魅力的にネットワークして新たな価値を創出する手立てを
考えなければならないように思える。
難しい課題である。
久しぶりにお会いした NPO法人たんぼ 理事長の岩淵成紀さんから
とても素敵なクリアケースをいただいた。

この秋名古屋で開催されたCOP10 (生物多様性条約第10回締結国会議)
に向けて制作された 「田んぼの生きもの全種リスト(簡易版)」 の表紙デザインだ。
「田んぼおよび田んぼ周辺に生息する動植物の全種リスト」 -5668種。
14名の専門家によって作成委員会(委員長:桐谷圭治氏) が結成され、
足かけ4年、いや5年になるか。 3度の改訂を経て、5668種がリストアップされた。
その間、100人近い専門家が手弁当で協力している。
田んぼとその周りには5668種の生きものがいて、食べあいながら共生している。
その曼荼羅のように織り成される生命のネットワークによって、
それぞれの生命もまた支えられている。 もちろん私たちも、だ。
この土台はきわめて強靭ともいえるし、繊細な綾のようでもある。
宇宙のごとく深遠な世界が、ずっと農というヒトの営みに寄り添うようにあって、
あたり前に維持されてきた・・・・のだが。
リストは、そんな世界の見える化への執念の賜物だ。
国家的財産が出現したと言ってもいい。
「5668、5668、世界をオオーッと驚かせた数字です。 皆さん、覚えてくださいね」
岩淵さんが熱く語っている。
厳しい運営の話とは別に、楽しかったのはそのあと。
残った数名で、例によって 「懇親会」 という名の一席。
福岡から来られた宇根豊さんと、宮城から来た岩淵成紀さんの両巨頭を囲んで
農政談義からミクロの話まで花が咲く。
なかでも岩淵さんが取り出したⅰPad をめぐって噴き出した論争は、
二人の個性を面白く表現していて、
ちゃんとやってくれるならお金を払ってもいいと思ったほどだ。
" 先端技術が生み出した世界が広がる道具 " を、生きもの曼荼羅の世界から見つめる。
宇根豊 Vs.岩淵成紀。 どう?
さすがに三日連荘で、疲れが出てきたか・・・
部下の視線も厳しい今日この頃。
2010年11月27日
「地域の力」 で結び直す希望を
今週もよく飲んだ一週間だった。
いつも飲んでると思われているかもしれないけど (それも否定できないけど)、
こんな会合続きの週はそんなにはないです。
月・火・水そして金と。
気がつけば週末で、財布は空っぽだし、出るのは溜め息のみ。
まずは月曜日、22日の夜。 東京湾アオサ・プロジェクトを共同で運営する
NPO法人 ベイプラン・アソシエイツ(BPA) の方々と一席。
場所は船橋。
BPA代表で船橋漁協組合長・大野一敏さんの船 「太平丸」 直送の魚が
食べられる居酒屋 「轟」 (とどろき) にて。
結局ただの飲み会になってしまった感もないわけではないが、
このところやや精彩を欠くアオサ回収-資源循環の取り組みを再活性させることを
確認できただけでも、まあ成功だと思おう。
2001年、『アオサ・プロジェクト 出航宣言』 で掲げたスローガン、
" 海が大地を耕し、有機農業が海を救う! "
をもう一度思い起こして、ネットワークづくりを再開しよう。
東京湾アオサ・プロジェクトを結成して10年。
大野さんも組合長に復帰し、僕らも実に忙しくなった。
でも、同じ問題に悩む人たちは、全国各地に増えている。
漁民と農民、上流と下流をつなぐことで、この課題を飛び越えることが出来るはずだと、
感性先行で取り組んだ僕らのプロジェクトは間違っていない。
この確信は、いっそう深まってきている。
しんどいけれど、誰かが動かなければならない。
- 酒は純米、燗ならなお良し -
「酒造界の生き字引」 と呼ばれる上原浩大先達の言葉を見つめながら
ぬる燗の清酒が進む。
「日本酒は温度を変えることによって味わいが変わる稀有の酒だ」
(上原浩著 『純米酒を極める』、光文社新書より) ・・・・まさに。
続いて翌23日(火)。 勤労感謝の日でも僕らは働く。
-と言いながら外出許可をいただいて、
20年ぶりくらいになるだろうか、
もう来ることはないだろうと思っていた母校のキャンパスに足を踏み入れる。
都の西北、早稲田の杜に -
アルバイトと大学当局との喧嘩、虚しい党派闘争、合間に勉強とお酒の訓練、、、と恋愛。
そんな喧騒の思い出ばかりの大学時代だが、多少の母校愛は残っていたか、
思わずカメラを取り出してしまった。
校歌に謳われる " 進取の精神 学の独立 " は今も息づいているのだろうか。
ま、僕の場合は " 新酒の精神 " てところで、偉そうなことは言えないけど。
で、この日行なわれたのは 「第2回 地域力フォーラム」 という集まり。
今回のタイトルが 「持続する価値観と文化のために-自給の力、場所の力、農の力」。
グローバリズムが例外なき自由貿易へと突き進む時代に、
地域の力を考える - そのココロは。
哲学者・内山節さんが基調講演で語る。
ムラとは周辺の自然も含めた暮らしの空間であって、
すべての生命活動が見える世界だった。
自然と人間の生命活動が連鎖しあう世界では、互いが助け合う 「関係」 があった。
それが地域という主体である。
しかし手段としてあった貨幣や市場 (しじょう) がいつの間にか目的と化して、
基盤である生命活動が見えなくなってしまった。
地域の自律を取り戻すために、地域を越えた関係を築き直す必要がある。
「開かれた地域」 によって、新しい都市と農山村の関係を取り戻したい。
都市にも多様な共同体が生まれ、
それぞれの共同体が、自分たちの山、自分たちの自然を持ち、
自分たちのふる里となる、そんな 「結びつき」 を。
そしてTPPなんてどうでもいい、と言えるような農民をつくっていきたい。
自然とともにある持続、持続する価値観と文化を見つけ直し、
新たな 「地域主義」 を創造しよう。
地域をデザインする鍵は 「関係」 である。
聞きながら、夕べの " 飲み " を思い返している。
上流と下流のつながりで資源循環モデルをつくる。
これもまた内山さんの言う 「地域を越えた関係」 であり、
「開かれた地域主義における都市と農山村」 の関係の修復でもあり、
「地域と多層的な関係」 づくりなのではないか。
共催団体として5分間のスピーチを求められていて、
当初、僕の頭の中では、山間地に移り住んで有機農業をベースに村の活性化に
貢献する若者たちを支援する試みを始めている、といった事例があったのだが、
内山さんの視座でアオサも見つめ直してみようか、そんな気になった。
まとまらないまま登壇し、出たとこ勝負の5分間。
農文協電子制作センターの田口均さんが写真を送ってくれたので、アップしてみる。
背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピーです。
地域を拠点にした活動事例を発表された方が8名。
長崎・五島で食から衣料、エネルギーの自給まで進める歌野敬さん。
佐渡で宮司を務めながら農業・漁業・文弥人形の保存と興行活動・除雪オペレーターなど
多職の力で島の活性化に挑む臼杵秀昭さん。
新潟と富山で、新しいスタイルで福祉事業を展開するお二人の女性。
柚子しかない過疎の山村を逆に " 売り " にして発展させた
馬路村農協組合長、東谷望史さん、など。
皆さんとても元気がよくて、しかもここに至るプロセスが刺激的なのだ。
頑張ろう、という気になった参加者も多かったのではないだろうか。
地域の力を取り戻す。
それは価値でつながる共生の 「関係」 づくり、なんだね。
世界が 「市場価値」 に呑まれてゆく中で、
いま僕らは次の希望のタネを播いているんだ。
そんな気にもなって、関係者たちと、また一杯やってしまう。
俺たちの学生時代にはなかったようなコジャレた店で。
昔入りびたった 「水っぽい酒、まずい焼き鳥」 という看板を掲げていた汚い店は、
見つけられなかった。
2010年10月31日
世界のシェフ・三國清三、「フランス共和国農事功労章」 受章
同い年の友人が一人、逝っちゃった。
いつもブログを読んでくれてたヤツ。
西洋医学を拒否しながら生き、ついに議論を尽くせないまま旅立ってしまった。
どんなに後悔しても帰ってくるわけではなく、茫然自失している暇もなくて、
昼間は仕事で気を紛らわせながら、でも夜になると、
無理矢理ヤツを枕元に呼んでは対話を試みたりして。
「いつも楽しみにしているから」 と言ってくれてたのを思い出し、
おとといの夜も夢の中で急かされてしまったので、ようやく気を取り直して、
命日(23日) の日に途中まで書いて放ってしまった日記をアップする。
これからも遅れ遅れしながら、日々の " しんどい " を綴っていこうと思う。
読んでくれよ、とヤツの目を意識しつつ。
さて、二つの臨時総会をやって夜は35周年記念パーティという、
昨日の長~い一日の話はあと回しにして、この一枚から。
ヤツが亡くなる前夜だということが、今となってはとてもつらいのだけど、
僕はあるパーティに呼ばれて、楽しい時間を過ごしていたのだ。
このところ、丸の内での取り組みなどでご登場いただいている
東京・四谷 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ、三國清三さんが
フランス共和国から 「農事功労賞オフィシエ」 なる素晴らしい栄誉を授与された。
フランス食文化の普及に大きな功績を残した、と認められた人にのみ与えられる勲章である。
そこで22日、 「オテル・ドゥ・ミクニ」 の25周年とあわせての祝賀会が催されたのだった。
祝賀会の呼びかけ人代表である大御所・服部幸應さんも入ってくれて、
記念の一枚を頂戴する。
胸の勲章が光っている。
サイズにも美というものがあるのだと思った。
食育の提唱者である服部さんからは、大地を守る会への熱い期待も頂き、身が引き締まる。
会場となったレストラン 「ミクニマルノウチ」 には、
たくさんの料理人や食に関係する専門家、メディア関係者が参集された。
お歴々の会話にさりげなく登場する人物の名前もスゴイのだが、
僕がただ尊敬するのは、地元・東京野菜に光を当てようとしてくれる
三國さんの姿勢である。
今日も並べられた東京野菜。
小平・川里さんの名前も登場する。
料理の写真はあまり撮らないので (表現も下手なので) 控えるが、
味の素晴らしさはいうまでもなく、
肉も魚も果物も、東京産で披露されたところに、
三國シェフの強い意識が感じられる。
フランス食文化の真髄は、調理への探求だけではない。
どんな国際交渉にも毅然と対峙できる " 我が文化への誇り " を持て、ということだと
僕は感じてしまうのだった。
そしてまたしても、恐るべきサプライズ! に立ち会うことになる。
「今日はもう一人、お客さんが来ています」 と三國さんに呼ばれて登場したのは、
なんと、世界の巨人! ではないか。
20世紀最高の料理人と謳われる
" フレンチの神様 " ジョエル・ロブションさん。 生で見る神様。
どんな挨拶をしたのかは覚えてない。
ただ江戸野菜のカブや大根を生でかじって、
頷きながらコメントをしていた姿だけを記憶している。
北海道増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、
中学卒業と同時に料理の世界に飛び込み、" 世界の食 " の頂点まで登った男、三國清三。
記憶の底にあるのは、働き者の母の、台所での包丁の音だという。
帰りに頂いた一冊のレシピ本。
飾らない、でも極上の " 家庭でフレンチ " 。 僕でも出来そうなレシピが嬉しい。

(小学館刊。 1300円+税)
この夜、僕が三國さんと語り合ったのは、来年から本格的にやりたいと言う
「味覚の一週間」 である。
そして僕の脳裏に浮かぶのは、たとえばこんな言葉である。
「 運よく豊かな食物とともに生きることになった私たちにとって、問題は移り変わっている。
大昔からの料理への依存を、より健康的なものにしなければならない 」
( リチャード・ランガム著 『火の賜物 -ヒトは料理で進化した』、NTT出版)
「 おそらく食は、グローバル化が脅かす様々な価値、たとえば地域特有の文化や
アイデンティティ、そして風景や生物多様性の存続を力強く象徴するものなのだ。」
「 アメリカ人が自分をトウモロコシの民族だと考えないことは、
想像力の欠如か、資本主義の勝利、あるいはその両方を少しずつ意味する。」
「 まっとうなことをするのは、最も楽しいことであり、
消費という行為は、引き算ではなく足し算的な行為なのだ 」
( 以上、マイケル・ポーラン著 『雑食動物のジレンマ』、東洋経済新報社)
2010年10月23日
オヤジを越えて進もう -『土と平和の祭典2010』
良い酒は悪酔いしない。
それは個人差と飲む量による、とまあもっともな反論はあろうが、
それでも、多少の無理を押して断言しておきたい。 良い酒は悪酔いしない!
それに良い酒は、人を、またその場を、幸福にする。
酒呑みの自己弁護と言われれば、その通り、と答えるしかないけど。
10月17日(日)、純米大吟醸の余韻も冷めやらぬ朝の6時に喜多方を発ち、
シアワセに爆睡して、気がつけば郡山、そして東京。
フラフラと日比谷公園にたどり着けば、今日も楽しいお祭りである。
大地に感謝する収穫祭、
先代の会長、故藤本敏夫さんの遺志を受け継いで、
娘の八恵(歌手名:Yae ) ちゃんが実行委員長を務める
次代の食と農を開拓する者たちの祭典。
食や環境問題に携わるたくさんの市民団体やお店、生産団体、ミュージシャンたちが
手弁当で集まって祭りをつくり上げる。
僕は二日酔いだからということではなくて、
昨年、野菜をたたき売って顰蹙(ひんしゅく) を買った反省から
売り子に立つのは自粛させられて、
小音楽堂でのトーク・セッションの司会というおつとめを仰せつかったのだった。
「土と平和の有機農業セミナー」 と銘打ってのセッション。
開始前に簡単な打ち合わせをして、ぶっつけ本番。
実行委員長・八恵ちゃんの開会の挨拶に続いて、
" 有機農業のカリスマ " 埼玉県小川町・霜里農場、金子美登(よしのり) さんの
基調講演が行なわれる。
金子さんはNPO全国有機農業推進協議会の理事長でもある。
有機農業を始めて40年になる。
30軒の消費者を探すのに数年かかり、30年経って村も動くようになった。
今では行政の支援で地元の学校給食に使われるだけでなく、
加工も含めた食の地域循環を進める " 有機農業の里 " として、
小川町は全国に知られるまでになっている。
研修生を受け入れるようになって31年。
育てた100数十人の研修生の9割が非農家というのも、霜里農場の特徴である。
「農民が元気になったら、美しいムラになる」
と金子さんは語る。
食の自給だけでなく、タネの自給、エネルギーの自給、
そこから見えてきた平和で安定した社会・・・
40年の実践を経て到達した金子さんの世界は深く、重みがある。
「いのちが見えない文明に未来はない」
この国の農をつくり直す起爆剤は、非農家かもしれない。
--と基調をつくってもらって、北海道から九州まで7人の若者たちが登壇。
北海道瀬棚町から参加してくれた元ミュージシャンの富樫一仁さん。
ギターを鍬に持ち替えて10年。 農業に転身した理由は、自身の重いアトピーから。
" 自然の摂理に従った農業 " をモットーに、20haの農地でコメや大豆などを栽培する。
食べ物で健康を保てることの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと語る。
秋田県大潟村から、入植2世の武田泰斗さん。 有機稲作をベースに80頭の肉牛を飼う。
こちらも就農して10年。 悩みは家畜の世話で休みが取れないことと草取りの人材確保。
親と対立することもしばしばあり、正直やめたいと思うときもある、とこぼす。
でも親と対立するのは自信がついてきた証拠だし、経営に悩みを持つのは
それだけ真剣に生きているってことだよ。 発展途上の33歳である。
山形県鶴岡市、庄内協同ファームの小野寺紀允(のりまさ) さん。
横浜でサラリーマンをやっていたが、
「やっぱり山形が好きだから」 1年前に帰って就農した。
父の農業、母が経営する農家レストランを手伝いながら、
食の都・庄内を農業で活性化させたいと夢を膨らませている。
神奈川県愛川町に新規就農して1年という千葉康伸さん。
8年間東京のど真ん中でサラリーマン生活を続けるも、
「都会に飼われている」 と感じて、都市を見切って転進を決意した。
高知の土佐自然塾・山下一穂さんのもとで 「お金を払って」 勉強して、
ようやく販路も見つかってきて、今はまだ 「どうにか食べていける」 状態だけど、
自分の足で立っている、生きている実感があると言う。
就農を希望する人へのアドバイスは - 「行動すること」。
千葉県匝瑳市,佐藤真吾、29歳。 就農して7年。
米は有機でやれるようになったが、ピーマンなど施設(ハウス)での野菜栽培は
特別栽培レベル。 もう新規就農者というより落ち着いた農業者の姿を醸し出しつつある。
米どころ新潟からは、農業生産法人 「いなほ新潟」 の社員として働く関徹さん。
実家は米農家だが、ストレートに家には入らず、他流試合で学ぼうとしている。
腹の中で実家の田んぼを気にしながら。
「子どもの頃から田舎の風景が好きだった。 耕作放棄の田畑を見ると胸が痛みます。」
田んぼを残したいと語る27歳。 僕らはこういう人に近未来の食を依存することになる。
最後に長崎有機農業研究会の松尾康憲さん。
親が有機農業の世界に入り、自分も当然と思って就農したが、
今ではとにかく親父と対立する日々だと言う。
どうしたらオヤジを乗り越えられるか・・・
会場からも質問が出たが、答えは簡単なことだ。
納得させられる結果を残すこと、それしかない。
そのためには、オレの (やりたいようにやれる) 畑を持たせてもらうことも必要だけど。
否定される理由にはその上を行く理論武装も必要だ。
「分かってくれない」 だけでは子供のまんまとしか思われないからね。
7名の若者たちを眺めながら思ったことは、みんなカッコいい! イケメン揃いだということだ。
顔立ちだけじゃなく、爽やかな感じがとてもイイ。 内面の強さや誇りも顔に出ていて、
すべてを前向きにとらえている。 語る言葉は甘いが、捨てたもんじゃない。
司会をやってたもんで、写真をお見せできないのが悔しい。
最後は金子さんと、歌手の加藤登紀子さんにも上がっていただき、まとめをお願いする。
お登紀さんが、司会を無視して仕切り始める。
「ここにこそ希望がある」 でまとめさせていただくことにする。
与えられた仕事が終わった途端に、気が抜けた。
大地を守る会のブースでは、さんぶ野菜ネットワークのお母ちゃんたちが
人参ジュースの販売に精を出してくれている。
埼玉から助っ人に駆けつけてくれたのは、志木の三枝さん。
川越の吉沢重造さん。
ダブルの上着にシャレた帽子。
ゼッタイにウケをねらってきたとしか思えない。
でも男なら、似合っていようがいまいが、死ぬまでダンディズムを枯らせてはいけないのだ。
それが藤本さんの教えだったしね。
出店でご協力いただいた生産者の皆さん。有り難うございました。
このイベントの総括は、もう僕の守備範囲を超えているので、割愛させていただきます。
2010年10月19日
子どもたちを救え! 『味覚の一週間』 日本上陸!
さて、昨日の夜、新丸ビル 「エコッツェリア」 で開催された
『 地球大学アドバンス 第35回
TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン 』 。
ゲストは 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんと、
金沢工業大学産学連携室コーディネーターで
「都市の食」 ビジョン・ガイドライン検討委員会の座長を務められた小松俊昭さん。
ナビゲーターは、いつもの竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、ELP代表)。
竹村さんは、この日名古屋で開幕した
COP10 (生物多様性条約第10回締約国会議) の会場から駆けつけられた。
100年前に17億人だった地球の人口が、1970年に35億人になり、
まもなく70億人に到達しようとしている現在(いま) 。
穀物の生産量は頭打ちになり、表土の劣化が進み、
多様性の喪失が重要な地球的課題となって、まさに今日から国際会議が始まっている。
「 私たちは20世紀的な 「豊かさ」 の概念を超えて、
宇宙船地球号の食のあり方=「地球食」 の リデザインを
根本から行なうべきギリギリの地点に立っています。 」
そんな問題意識のもと、
" 日々地球を食べる " 巨大な胃袋=日本の首都・TOKYOで示すべき
新たな 「地球食」 のモデルとは・・・・・
そこでゲストのお二人から、「都市の食」 ビジョンの構想や、
丸の内シェフズクラブで取り組む食育活動がプレゼンされる。
- というのが事前にインフォメーションされた内容だったのだが、
ここで三国さんはご自身の話の前に、超ビッグなゲストを登場させたのだった。
親子三代にわたって三ツ星シェフを獲得という栄光を持つ、
フランス料理界が世界に誇る アン=ソフィー・ピック シェフ。
フランスで、1990年から毎年10月に開催されてきた
『ラ・スメーヌ・ドゥ・グ (「味覚の一週間」) 』 という国民的イベントを、
日本でも来年から本格的にやろうということになって、
その日本展開 「大使」 として来日された。
ピックさんの日本での活動にはテレビ局が帯同し、この会場にもカメラが入った。
お陰で、参加者は写真撮影禁止! (ということで今回は画像はなし)
「味覚の一週間」 日本展開も、19日午前11時の公式発表まで
「公的な場やネット上でのおしゃべりなどは控えていただきたい」 と。
味覚の一週間 -とは何か?
( ↑ ピックさんのお姿は、ここからご覧になれます。)
(以下、パンフレットより引用しつつ構成)
美食の国フランスで20年以上続いてきた、国民的な食のイベント。
次代を担う子どもたちにフランスの食文化をきちんと伝えたい、
という思いにかられた一人のジャーナリストとパリのシェフたちが集まって開いた
「味覚の一日」 というイベントに端を発する。
今や全国民がフランス料理という国家遺産の素晴らしさを再発見、再学習する場として、
一週間にわたって様々な催しが企画されているのだという。
フランスの、国を挙げた 「食育」 というわけである。
始まった90年当時、フランスですら、子供たちを取り巻く食の乱れが
深刻な問題になっていたというから、食の簡便化というか商品経済の力というのは
いずこにおいても魔力なのかと思ったりする。
(ちょっと安心したりする自分を感じるのが恥ずかしいけど。)
「味覚の一週間」 では、三つの柱で企画が展開される。
まずは 「味覚の授業」。
料理のプロがボランティアで小学校に出向き、味覚が発達する大切な時期である
子どもたちに、味の基本を教える授業を展開する。
「しょっぱい」 「酸っぱい」 「にがい」 「甘い」 の4つの味を五感を使って学び、
食べることの楽しさを体験する。
味覚の違いを覚えれば、その違いを話すことができ、それを伝えることができるようになる。
また子どもだけでなく、教員や給食・食堂の責任者に対しても同様の授業が行われる。
学校は 「味わう」 感性を目覚めさせる役割を果たし、
子どもたちは文化としての 「食」 の継承者となり、また良質の作物を作る助けとなる。
今ではフランス首都圏の98%の教育機関が 「味覚の授業」 を支持しているという。
次に 「味覚の食卓」。
料理人たちは、期間中に特別なメニューを発表する。
料理人の技量、創造性、旬の食材の利用法、前例のない食材の組み合わせなどを競って
コース料理を用意するのだ。
素晴らしい! と思ったのは、そのオリジナル・メニューを普段の価格で出すだけでなく、
学生には30%の割引価格で提供していることだ。
学生証を見せるだけで、学生には縁遠い一流レストランの食を味わうことができる。
そこでシェフの料理に対する思いを学生たちも知ることになる。
" 我がフランスの食 " に対する誇りもいや増すというものだろう。 ニクイ手だ。
これはシェフズクラブの方々も、すぐにでも取り入れてほしいと切に願う。
三つめが 「味覚のアトリエ」。
期間中、様々な味覚体験のイベントがフランス各地で繰り広げられる。
シンポジウム、農園体験、フードマーケット、食の屋台イベント、
青少年対象の料理教室、味覚ワークショップなどなどが、
市役所や市民団体、商工会議所、学校、協賛企業などによって実施される。
そしてついに、この素晴らしい食育イベントが日本でも始まろうとしている。
昨日、日仏のシェフ (ピックさんと三国さん) による、
日本で初めての 「味覚の授業」 が、目黒区の小学校で実施されたのだ。
ピックさんは20歳のときに来日して、日本文化にカルチャーショックを受け、
日本人の繊細さ、慎み深さが好きになったという。
そんな彼女の授業の感想が、嬉しい。
「子どもたちの反応は、フランスの子どもたちとまったく一緒でした!」
三国さんは 「食育とは、子どもたちの味覚を守ることだ」 と言う。
子どもたちを救わなければならない! と熱く語る。
味覚を覚えるとは、「よく生きる」 ことにつながっている。
食とは、栄養を摂るだけでなく、頭、精神を活性化させるものだから。
味を知る、楽しむ、味わう喜びを知って大人になってほしい。
そのためにも、味蕾(みらい) が形成される12歳までに伝えなければならないのだと。
三国さんは、こうも語る。
自然の食材は薄味だから、味蕾を増やして感じ取ろうとする。
味が濃いと " 感じ取ろうとする努力 " をしなくなり、鈍感になる。
また 「噛む」 ことの退化は、味覚の刺激による喜びを感じなくさせてしまう。
「食べる」 ことの意味を考えなくなり、
多様で個性のある地域の文化や宝物を見失わせてしまう。。。
文明の根幹は 「食」 (とどうつながるか) にある。
「食」 をしっかりと リデザインすることで、地球の文明を立て直そう。
大袈裟な話ではあるが、
世界とのつながりを築き直すための、私的で具体的なアクションのひとつ
であることは間違いない。
「味覚の一週間」
- 日本をしびれさせるようなイベントに育てたいと思う。
曲がった背筋を伸ばしつつ・・・・
2010年10月18日
イタリアンの国産米粉パスタ饗宴-東京野菜で応援!
東京駅前・丸ビル1階にある 「丸の内カフェ ease (イーズ)」 にて、
今日から始まった食のイベントをご案内させていただきます。
4名のイタリアン・シェフが、
国産(新潟産)米粉と東京野菜・東京魚を使ったオリジナル・レシピで競演する
「秋の情熱 ご馳走パスタ」 。
米粉にアモーレ!
期間は本日18日から31日までの2週間。
前半(~24日)が、「イル ギオットーネ」 笹島保弘シェフによる
「金目鯛と東京野菜のもっちもち米粉タリアテッレ」、
そして西麻布 「アルボルト」 片岡譲シェフによる
「米粉のスパゲティ ~フレッシュトマトソース、伊豆七島のイサキと共に~」 の2品。
後半(25~31日)が、「アンティカ オステリア デル ボンテ」(丸ビル36F)
ステファノ・ダル・モーロ総料理長による
「米粉のタリアテッレ ~豆乳スープ仕立て、金目鯛と東京野菜のメリメロ~」、
そして「Essenza」(丸ビル5F) 原田慎次シェフによる
「チェリートマトと水菜の米粉ペンネ、イサキのカリカリポワレ添え」 の2品。
いずれもミニサラダ、米粉のシフォンケーキ、ドリンク付きで1,000円。
ランチ企画なので時間帯は11:30~14:00まで。
丸の内を舞台に展開されている 「食育丸の内」 のランチ企画第3弾となった本企画。
今回のテーマは、「都産都消」 そして 「食料自給率UP」。
いずれもそうそうたるシェフのオリジナル・レシピに、
東京有機クラブ(阪本啓一、川里賢太郎、藤村和正) の水菜と小松菜で参画しています。
夕方、「丸の内カフェ ease」 を訪ね、望月料理長から初日の反響をお聞きする。
反応は上々で、想定した二日分くらい出ちゃったとのこと。
「モノも良かったですよ」 にホッとする。
「食育丸の内」-
「大人の食育」 を掲げ、 まずは大人から食に対する知識を持つこと、
そして生産者・消費者・レストランの連携によって、
" 心身ともに健康になる社会づくり " を目指して活動を展開しようというプロジェクト。
旗振り役は、丸の内エリアに出店しているレストランの
オーナーシェフたち26名で構成する 「丸の内シェフズクラブ」。
会長は大御所、服部幸應さん。
ジャンルを超えて情報交換をしながら、食に関する新たな提案を仕掛けている。
「食育丸の内」 活動の推進母体である 「丸の内地球環境倶楽部」 では
「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめようとしていて、
僕もその検討委員会に参加させていただいている。
東京のど真ん中で提供する 「食」 とはどういうものであるべきか。
そのビジョンとモデルづくりは、けっしてモノが集中する都市の我がままではなくて、
東京だからやらなければならない責任の表わし方にもなるだろう
と思って、参加してきたつもりだ。
おいしい食、安全・安心な食、身体にいい食、自然とつながる食、
人とつながる食、地域とつながる食、本物を知る食、創造力を育てる食、
世の中を変える食、自分でつくる食・・・・・と、ようやく
" 10のビジョン " としてまとめられようとしている。
ビジョンは言葉で終わるものでなく、それに基づいた行動指針が策定され、
生産と消費をつなぐ魅力あるプランを、具体的に創出させていかなければならない。
国産の食材を大切にする、食の安全性や環境にも配慮する、は当たり前の柱として。
今回のランチ企画に合わせてくれたのか、
今日、ネット・マガジン 「丸の内ドットコム」 に、
シェフご推薦の東京野菜生産者として、川里弘・賢太郎親子がアップされた。
こだわり食材と出会える 「青空市場 × 丸の内マルシェ」 のコーナー。
「シェフをうならせる東京の食材の実力」 -小見出しも嬉しい。
よかったら覗いてみてください。
先月、取材の記者さんをお連れした時の様子。
8月のミクニマルノウチでの試食会で好評を得た川里さんの島オクラ。
実は9月にシェフズクラブのレストランからリクエストが入ったのだが、
「もう終わりなんです。 残っているのも 『山藤』 の契約分のみしかありませ~ん」
ということで、来年に向けての応相談となった。
トップ・シェフが 「採用しよう」 なら、こっちは 「じゃあ作ってやろう」 である。
美しいビジョンを実現させるにも、この人たちをつなげなければならないわけだ。
流通者(ネットワーカー) の苦労は、そのためにある。
さて、その足で新丸ビル10F-エコッツェリアに向かう。
夜は 丸の内地球環境倶楽部 主催 『地球大学アドバンス・第35回』
- TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン。
今回のゲストは、丸の内シェフズクラブのコーディネーターであり、
都市の食ビジョン・ガイドライン検討委員でもある、
「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんだったのだが、
すっご~いサプライズ! つきのセミナーになったので、明日はその続きを。
2010年10月15日
5年間で22%の農民がいなくなった・・・
農林水産省が5年おきに行なっている農林業の動態調査
-「農林業センサス」 の2010年版が、先月発表された。
すでにチェックされた方も多いと思うが、改めてこの衝撃を記しておきたいと思う。
まず、農業就業者人口は260万人。 5年前に比べて75万人! 減少した。
5年間で22.4%、およそ島根県の人口相当の農業者が消えたのである。
平均年齢は65.8歳。 2.6歳上昇した。
これは平均年齢だから、70代あるいは80になっても頑張ってくれている人がいる、
ということを表している。 5年後ははたしてどうなるんだろう。
耕作放棄地の面積は、5年前の39万ヘクタールから40万ヘクタールに増えた。
埼玉県の面積に匹敵する面積が耕作放棄されている、と言っていたのが
これからは、滋賀県の面積、ということになった。
たった5年間で22.4%の減少。 埼玉県から滋賀県へ。
しつこく言いたい。 たった5年間での変動である。
歴史的視点で見れば、崩壊現象の真っただ中に入ったとしか思えないのだけど、
相変わらず対岸の話のように語られてないだろうか。
これは子供たちの未来への不安という話でなく、
いよいよ目の前に迫ってきた食の危機を語っているはずなのに・・・
農業への補助が必要なのか、国民の食選択への支援策が必要なのか、
本当は同義であるべきはずなのだが、相変わらず分断したままの生産と消費。
様々な農業政策の結果がこうである。
もう農林水産省なんて要らないんじゃないの、とまで言いたくなる。
唐突な事例かも知れないけど、
たとえばイースター島の文明の崩壊はなぜ起きたのか。
生態系が痩せていく中で、島民はなぜモアイ像にこだわり最後の木を切れたのか。
謎と言われたその答えは、いま目の前で進行している状況にありはしないだろうか。
センサスの数字は、予測していたとはいえ、いざ目の前に示されると、
背筋が震えるような近未来的現実を想像せざるを得ない。
僕はこのブログという手法を使って、
現代の 「希望」 を伝えたいと思ってやってきたのだけど、
いま進行形の事態は、農地の集約化とかいう話ではすまない、
この国を支えた共同体(経済) の崩壊まで予測させるものだ。
崩壊は、5,4、3、2・・・ という形で進むわけではない。
だって、だいたい経営の破綻というのは、6、5 、4 → -X であるから。
農林業センサスとは、食と暮らしのセンサスなんだけど、
だれもそんなふうに伝えてくれない。
危機感を持たなきゃいけないのは、農民より、
食べ物を作れない僕ら消費者のはずなのに。
目の前で繰り広げられる責任転嫁政治と、
静かに進行する集団的想像力疾患にめげることなく、
僕らのたたかいはいよいよ本物の正念場に入りつつあるように思う。
2010年9月29日
しつこく、ミツバチとネオニコについて-
3回に分けて書いた 「ミツバチと農業」 は、それなりにリキを入れたつもりだが、
何人かの方から質問や意見も頂戴し、多少誤解を受けた面もあったかと反省している。
ポイントはやはり、CCD (蜂群崩壊症候群) とネオニコチノイド系農薬問題の
とらえ方である。
僕は決してCCDという現象を軽視しているつもりはない。
ネオニコ系農薬に対する独自の対策も進めている。
それは個々の農薬を精査して、生産者とともに対策を立てていこうというものだ。
違いといえば、ただ単純にネオニコ系農薬を排除すれば問題が解決するとは
全然思ってない、ということに尽きる。
コトの本質は、ミツバチが健康に育ち働いてもらうこと、つまり
養蜂と農業の健全な関係を取り戻すための環境整備にある。
そのための対策は、まだ灰色の雲の中にあるCCDに焦点を当てて
危機感を煽って済むものではない。
伝染病やダニ被害のリスクだって無視してはならない重大事項なのだ。
ミツバチ「不足」 や 「大量死」 に対して、できる対策を進めることを考えたい。
そのほうが具体的で前向きな姿勢ではないかと思うし、
できるところから着実にミツバチにとっての環境を整えていく、
これこそが目に見えない失踪 (CCD) の原因を取り除いていくことにもつながる
のではないだろうか、というのが実のところ、僕の秘かな確信でもある。
これが、「大量死とCCDはつながっている」 とにらむ藤原誠太さんに対する、
僕なりの応えだったのだけど。。。
それに、カメムシは農薬で叩く、という思想が前提にある限り、
ネオニコを排除しても、別なあるいは新たな農薬が登場するだけではないか。
ネオニコを殊更に問題視すると本質的な対策を遅らせる危険性がある、
と懸念するのも、そういう側面を感じるからだった。
病虫害に対する対策思想を変えるのは容易ではない。
農家にとっては目の前の経営の問題でもあるし、
これは技術の再確立という長いたたかいであることを自覚する必要がある。
改めて、ローワン・ジェイコブセン著 『ハチはなぜ大量死したのか』
から引用させていただくなら-
この状況を避けるには、チームとしての取り組みが必要だ。
養蜂家だけでなく、昆虫学者も自然保護活動家も一緒になって
奇跡を起こさなければならない。
私たちがしなければならないのは、土地の酷使をやめること、
私たちの文化に養蜂と農業の場所をふたたび組み入れること、
そして昆虫を仲間に組み入れることだ。
もしそうしなければ、果樹園だけでなく、
私たちのあらゆる努力も実を結ばなくなってしまう。
そのための想像力と根気が必要だと思うのである。
2010年9月21日
ミツバチと農業 -優しい連携を取り戻したい
ミツバチと農業
- 先週中にまとめるつもりが書き切れず、イベント案内などはさんでしまったが、
何とかまとめに入っていきたい。
読んでいただいた方には、もうこちらの問題意識と立ち位置は
ご想像いただけているのかと思う。
もしかしたらガッカリされた方もいたりして。。。
勉強会のタイトル -ミツバチと農業- から察せられるように、
僕らがつかみたいのは、養蜂と農業の共存の世界である。
話題のネオニコチノイド系農薬に対する評価も、その文脈の中で考えたいと思う。
まずもってはっきりさせておきたいことは、
日本における花粉交配用ミツバチの不足 (=農業生産への影響) と、
蜂群崩壊症候群 (ほうぐんほうかいしょうこうぐん:CCD) は別問題である、ということだ。
なおかつCCDの原因はまだ推測の域を出ていないのが現状であること。
という以前に、日本ではまだCCDと特定できる事例を抽出して
原因を調査できるレベルに達していない。
そもそもちゃんと実態を把握するための調査体制ができていないのだ。
中村教授の説明によれば、行政改革やコスト削減の影響で、
農業試験場が養蜂関係から撤退して研究者がいなくなったということである。
都道府県の家畜保健衛生所にも、「家畜」 であるミツバチの被害に対応できる
担当係官はいない、というのが実態のようなのだ。
農薬被害があっても現場を見に行く人がいない。
したがって被害の実態が行政に届かない。
農業生産を支える花粉媒介者が黙示録的な兆候を示し始めているというのに、
この国には 「農業に対する包括的な政策がない」(中村教授)。
- これを事実を正確に知るための 「対策・その①」 としたい。
CCDで騒ぐなら、ネオニコ糾弾の前に、「実態と原因調査を急げ」(その体制を整えろ)
という要求にして欲しい、というのが僕からの 「提案・その①」 でもある。
この現状を軽んじては、真実がつかめないまま結果的に対策を誤る可能性があるし、
いたずらに論争を長引かせ、対立を深めてしまいかねない。
問題を正しく区分けしたい、としつこく書くのもそんな思いからである。
(花粉交配用ミツバチの) 「不足」 は起きているが、
その原因はCCDと言われる 「働き蜂の失踪」 ではない。
国内での 「失踪」 の実態は明らかでない。
ということなのだが、とはいえ、ただ手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。
「事件は現場で起きている」 だけに、コトは複雑なのだ。
昨年4月に名古屋大学の門脇辰彦准教授が実施したアンケートでは、
CCDに似た現象を経験した養蜂家は約四分の1にのぼっており、
その多くは 「農薬が原因ではないか」 と感じ取っていることが浮かび上がっている。
原因は未解明としても、農薬の可能性は、否定できない。
なぜなら農薬が 「大量死」 の原因のひとつ であることはほぼ間違いないからだ。
ここで 「大量死」 の問題が絡んでくる。
中村教授によれば、養蜂被害の30%は農薬が原因だという。
藤原さんは先に書いたとおり、「大量死とCCDは、つながっている」
と確信している (しかしそれを言い切っちゃうと反発も起きる)。
可能性があるのなら、現場サイドでも手は打っていかなければならない。
そこでネオニコチノイド系農薬も必然的に検討の遡上にあがるのだが、
僕らが前提としているスタンスは、
農薬は一つ一つの毒性によって判断しなければならない、である。
「○○○系」 といって十把一絡げにして扱うなんて乱暴なことは、したことがない。
現にミツバチへの影響のある農薬はネオニコ系だけではない。
有機リン系、カーバメイト系、ピレスロイド系・・・といった農薬のなかにもあるのだ。
増野の熊谷さんのように、リンゴの減農薬栽培を進めるのに、
ただ防除の回数を減らすだけでなく、
人や環境への影響度の強いものを出来るだけ排除しようと努めた結果、
現状においてネオニコ系農薬も防除計画に組み込まれているというケースは、実は多い。
彼らの姿勢を批判の対象にしてはならないと思う。
ましてや、ハチが飛ぶ開花期には農薬散布をしない、という配慮をしている人たちである。
彼らとこそ連携を強固にして、前に進みたいと思うのである。
(ハチの扱い方について質問する、茨城から参加した小野寺孝一さん。
美味いメロンをつくる生産者である。)
そこで、大地を守る会のなかで定期的に開いている生産基準の検討会議では、
以下のネオニコチノイド系農薬を 「できるだけ使用を控える」 農薬として
指定する方向でまとまりつつある。
イミダクロプリド(商品名:アドマイヤー)、クロチアニジン(ダントツ)、
チアメトキサム(アクタラ)、ジノテフラン(スタークル)、ニテンピラム(ベストガード)
それぞれにLD50(半数致死量) や影響日数などのデータをもとにした判断である。
「できるだけ~」 とは、生産者と一緒に代替策を考えながら、
完全に排除できると判断した段階で 「使用禁止」 農薬に設定するというレベルになる。
批判には提案が伴わなければならない。
- これが僕らの 「対策・その②」 であり、
同時に 「ネオニコ、ネオニコ」 と批判する方々にぶつけたい 「提案・その②」 である。
イネのカメムシ被害への対策は、小林亮さんが語ったように、
有機農業の世界が答えを出してくれることだろう。
加えて周辺環境の整備が求められる。
そこで訴えたいのが、こういった生産者の取り組みを支えるのが他でもない、
「消費の存在」 だということ。
カメムシ斑点米があっても食べろとは、流通サイドからはなかなか言えないことだけど、
少しの理解はお願いしたい。
温暖化の影響で、暖地のカメムシがどんどん北上していたり、越冬するようになって
繁殖力を強めている、という事態もちょっと想像していただけると有り難い。
今年もカメムシが多発した地域では、
ネオニコチノイド系農薬(ダントツ、スタークル) の散布が指導されている。
こういう状況に対する突破口は、有機農業の推進だと、僕は確信している。
ちなみに小林亮さんたちの地元(山形県高畠町) では、
農薬の使用に対する指導が適切にされているということで、
交配用ミツバチの確保に支障はきたしていない、との報告があったことも付記しておきたい。
- これを 「対策・その③」 および 「提案・その③」 とさせていただく。
改めて再度、中村教授の指摘に耳を傾けてみたい。
ハチの採餌エリアが、農産物生産を目的とした農地 (の植物) に依存し過ぎる
ようになってしまったがために、農薬の直接的影響を受けることが多くなった。
背景の一つに林業政策の失敗があるのではないか。
杉山はハチが利用できる山ではない。
農地の植物 (野菜・果物) を餌資源として利用せざるを得ないということは、
(畑地とは目的とする作物に特化している 「用地」 であるために)
多様な植物が咲き競う自然生態系の衰えを示していて、栄養的ストレスももたらしている。
農地の整備、土地開発による餌資源の減少もある。
農業での花粉交配用資材としての需要増の時期 (秋~春) は、
ミツバチの増殖時期とずれているために、季節が逆の南半球からの輸入に頼る
構造になってしまっている。 これは農産物の自給率の見えない脆弱さを示している。
日本でのミツバチ産業を疲弊させたのは、ハチミツの自由化である。
輸入ハチミツとの競争下で養蜂業は斜陽化した歴史がある。
ミツバチ 「不足」 の原因は、実は複合的であり、
不足下の悪循環が、「大量死」 や 「CCD」 とも底辺でつながっているのかもしれない。
負のスパイラル的に。
複雑にからんだ構造的問題であるだけに、簡単に処方箋は出せないけど、
ただ二つの視点は提出しておきたい。
その1 - 農家がレンタルしたミツバチを、できるだけ健康を保たせてお返しできるように、
養蜂家から農家への養蜂技術の伝授を進めるべきだと思う。 農家にもメリットになるはずだ。
その2 - 農薬を問題にするだけでなく、みんなの力で出来ることがある。
四季折々に花を咲かせることで交配用昆虫を増やすこと。
食糧危機が叫ばれる中で増える一方の耕作放棄地や、道路沿いや畦道や、
あるいは家庭の庭などを使って、花粉と花蜜源を増やすのだ。
レンゲやヘアリーベッチなど、農業生産にメリットをもたらす植物も活用したい。
- 以上を 「対策・その④」 として提示したい。
おまけを言えば、もっとミツバチに親しむという意味で、昨今、ニホンミツバチを飼う、
という行為が、俄然人気を博してきている。
ニホンミツバチの世界は、知れば知るほど取り憑かれそうな魅力を感じさせる。
ずいぶんとしつこく書いてしまった。
それだけ慎重になってしまったということで、お許し願いたい。
今回のレポートにあたっては、勉強会で得た情報だけでなく、
以下の文献を参考にさせていただいたので、付記しておきたい。
・ 『ミツバチの不足と日本農業のこれから』 (吉田忠晴著、飛鳥新社)
・ 『ミツバチは本当に消えたか?』 (越中矢住子著、ソフトバンク クリエイティブ)
上記2点は、入門編としておススメ。
この問題をじっくり考えたい方には、次の書を-
・ 『ハチはなぜ大量死したのか』 (ローワン・ジェイコブセン著、文芸春秋)

アメリカで発生したCCDの背景を追究した迫力ある作品である。
オーガニックへの期待も込められている。
福岡伸一さんの解説、ニホンミツバチの魅力に触れた追録もある。
ちなみに、ネオニコチノイド農薬にも切り込んでいるが、そこは慎重に読んで欲しい。
彼が示唆しているのは、農薬の複合的影響だから。
考えるほどに骨の折れるテーマだったけど、今回の勉強会は始まりでしかない。
我々の姿勢と現実的対応力が問われ続けることになるだろう。
逃げるつもりはない、という意思の表明で終わりにしたい。
キューバの革命家、エルネスト・チェ・ゲバラが、
「革命兵士とは何なのでしょう」 という若い兵士の質問に対して応えた言葉がある。
「農民こそが花であり、我々はミツバチなのだ」
農民が花ならば、オレたちはミツバチになろう! じゃないか。
2010年9月15日
ミツバチと農業 (続)
さて、話を急がなければ。
続いての講師は、岩手県盛岡市、藤原養蜂場場長・藤原誠太さん。
「日本在来みつばちの会」 会長として、ニホンミツバチの普及にも努めている。
藤原さんはネオニコ系農薬を批判する急先鋒の養蜂家として、
今やあちこちに講演に招かれるほどの有名人になっている。
05年、06年と岩手県内でのミツバチ被害を目の当たりにした藤原さんの主張は、
はっきりしている。
「ネオニコ系農薬が生れてからおかしくなってきた」 という現場での実感が彼にはあるのだ。
大量死の事例は過去にもあったが、8月になって発生することはなかった、と。
しかも、大量死とCCDは、死体が目の前に見えるか見えないかの違いはあっても、
両者はつながっている可能性があると、彼は読んでいる。
合成農薬がだいたい神経伝達物質を標的にするものである以上、その可能性は否定できない。
まさに 「事件は現場で起きているのだ」 派である。
藤原さんが真っ先に槍玉に挙げるのは、ダントツという殺虫剤 (成分はクロチアニジン)。
近年になって、イネのカメムシ防除で、有機リン系農薬(スミチオンなど) に替わって
よく使われるようになった。
岩手と同様の事故は、北海道や中部地方など各地で発生の報告がある。
岩手や北海道の 「大量死」 の原因は農薬であろう、
ということは中村教授も認めるところである。
しかも、ミツバチが直接浴びるだけでなく、花粉と一緒に運ばれ巣内で蓄積されると、
外役蜂(年寄りのハチ) だけでなく若いハチにも影響がでて、
蜂群の崩壊が進む可能性がある、というところまで、両者は一致している。
生産者は現場感覚で断言し、学者は慎重に 「可能性がある(あるいは高い)」 と表現する。
立場の違いによる表現の差異は、聞く側のセンスで読み解けばいい。
しかしこれが、「ネオニコ」 とすべてをひと括りで語ったり、CCDの原因だ
と断定されるにいたると、学者は眉をひそめることになる。
原因 (犯人) を単純化してしまうと、
かえって真実が見えなくなる (対策を誤る、あるいは遅れる) ことも怖れる。
これは僕もその立場であることを表明しておきたい。
悪事をはたらいた会社の社員全員を悪人扱いするのは、アブナイ社会のすることだ。
それに農薬の影響でミツバチが大量死した事例は、
ネオニコチノイド系農薬が登場する前から実はあったのだから。
さて第二部。 ここからが大地を守る会ならではの展開だといえるだろうか。
実際に農薬を使用している農家にも登場してもらっての意見交換の設定、である。
これによってまたひとつ、違った現場の世界が見えてくる。
まず今回、一研究者の立場として参加してくれた根本久さん。
(下写真左。 公的肩書きは伏せる。 こういう人が来てくれるのが嬉しい。)
根本さんの説明と主張はこんなだろうか。
- ネオニコといっても、ダントツとスタークル(成分:ジノテフラン) では影響は違ってくる。
また、かつての有機リン系に戻せばよいワケではない。
防除せざるを得ない現実があるのならば、選択にあたって正確な情報提供が必要だ。
- なぜミツバチが花蜜のない水田に立ち寄るのか。 水を求めてきていると思われるが、
花粉を求めてきているとすれば、その時期に周囲に花粉源が減少していることも
考えなければならない。
- ハチへの影響があるものは、サイズの小さい天敵昆虫にはもっと強い影響を与えている。
また米国では乳幼児へのリスクがあるということで、有機リン系の全面禁止に動いている。
事はハチとネオニコだけではない。
農薬の影響評価の全面的なやり直しが必要な時期にきている。
根本さんの隣は、長野の農事組合法人増野・熊谷宗明さん。
リンゴや洋ナシを栽培する熊谷さんには少々居心地の悪い場だろうけど、
率直に発言してもらう。
「リンゴの減農薬栽培をやる上で、ネオニコ系農薬は防除計画に入っているし、
実際に使っています。 急性毒性が弱いという部分もあります。
有機リン系の農薬を使っていたときは臭いがきつくてつらかったですが、
ネオニコに替わって楽になったのは事実です。
ハチへの影響も考慮して、開花期には防除しないという申し合わせもしながら
やってるんですけど・・・ 」
移動養蜂でハチミツを生産する (株)フラワーハネー代表の西尾清克さん。
北海道で採蜜中という忙しいなか、参加してくれた。
1月の三重から始まって岐阜、北海道と、ミツバチと一緒に移動しながら蜜を集めている。
今年の北海道は集中豪雨が多く、まったく採れない状態だという。
雨の影響は野菜だけじゃないということか。
農薬散布期になると急いで山に上げるといった苦労も聞かされる。
交配用ミツバチも農家とリース契約で出したりしているが、
農家から帰ってきたミツバチは弱っていて使えないのだとか。
農家がミツバチの扱い方を知る必要がある、というのは、
生産収益率を上げる意味でも、また輸入依存率を下げていく意味でも、
けっこう重要なポイントである。
山形から来ていただいた、おきたま興農舎代表・小林亮さん。
長いこと無農薬でコメを作ってきたが、カメムシで苦労したことはそんなにない。
コツは、チッソ濃度を上げないこと、そして畦の雑草管理にある。
カメムシの棲み家にならないよう草刈りをするが、穂が出た後は逆に刈らずにおく。
カメムシは決して稲が好きなわけではない。
畦に留まらせて、稲を吸いに侵入しなくてもよい環境にするのである。
それを受けて根本さんが補足する。
カメムシが水田に集まらないよう、河川敷の草も刈らないようにしているところがある。
棲み家を残してやるのだ。
キレイにすることだけを考えていると、水田に皆集まってくる。
結局農薬に頼らざるを得なくなる。
イネの花が咲く時期に、周囲にもっと花蜜源があるようにすることも大切である。
農薬に頼らない生産方法の普及と、ミツバチに影響を与えない環境整備、
それらが総合的にリンクした施策が求められる。
農家と養蜂家が農薬をめぐって対立するのでなく、
共存に向けての処方箋と環境づくりを進めなければならない。
それは可能である。 共同のテーブルさえできれば-。
始まる前は、正直ヒヤヒヤしていたのだが、何のことはない、
みんな前向きである。
多少、伝え残したところがあるか。
あと一回いただいて、まとめとしたい。
2010年9月14日
ミツバチと農業
ようやっと夜が涼しくなってきて、
この夏ハマってしまった省エネ・水シャワーも終わりかな、という今日この頃。
日々先送りしていた気がかりな宿題を片づけておきたい。
8月26日(木)、東京は神宮球場の隣にある日本青年館にて開催した
「ミツバチと農業」 勉強会の報告を。
数年前からミツバチに異変が起きている、そんな話を聞いた方も多いことかと思う。
ミツバチが不足して農業生産に影響を与えている、
あるいは原因不明の大量死が発生している、
あるいは突然女王蜂を置き去りにしてハチが姿を消す蜂群崩壊症候群(CCD)・・・など。
しかしどうも情報は錯綜していて、やや短絡的な報道も見受けられる。
中には 「いい加減にしてよね」 と言いたくなるような論評もあったりする。
冷静に事態を見つめ直し、私たちのとるべき方向性を見定めていきたい。
そんな問題意識で、大地を守る会の生産者会議のテーマとして初めて設定された。
お願いした講師はお二人。
まずはミツバチ研究60年の歴史を有する玉川大学ミツバチ科学研究センター
教授、中村純さん。
中村さんは養蜂専門の学者らしく、
ミツバチを取り巻く現状と農業とのかかわりを概括的に説明してくれた。
蜂の巣を連想させる絵柄のシャツを着てきたところに、
ひそかなツカミのねらいも感じられたりして。
まず 「養蜂 (ようほう)」 といわれる産業は、日本においては畜産分野に位置づけられている。
つまり動物を飼育して生産物を得る分野という意味で、
ミツバチは昆虫ではあっても 「家畜」 なのである。
しかしこの家畜は、餌を生産物に転換する、たとえば穀物を与えて肉をつくる、
というような他の動物とは決定的に異なる。
彼らは自然の資源 (植物の花) から蜂蜜という 「生産物」 をつくる (濃縮させる)、
という " 働き " によって我々に貢献してくれている。
養蜂業とは、蜜や花粉を集めて回るという、ミツバチが生きるための行為を
うまく管理しながらその生産物を頂く、という共存のシステムによって成り立っている。
ところが今日においては、実はミツバチはもう一つの役割のほうが
経済的には重要になってしまった。
ミツバチは、花粉を採取する際の行動によって、
おしべについていた花粉がめしべに移る 「花粉交配」 を助けている。
植物が花の形や色や匂いなどで動物を呼ぶシグナルを発し、
訪れた動物は蜜や花粉をもらっては交配を助けるという、
これこそダーウィンが " 忌まわしき謎 " と呼んだ、
億年単位の時間をかけて創りあげてきた植物と動物の共存共栄の仕組みなのだが、
この宿命的提携関係を利用しているのが、今日の農業というわけなのである。
人間がハチを使って野菜や果物を効率よく生産する技術は、
この半世紀近くのうちに実にいろいろな作物に利用されるようになった。
イチゴを筆頭に、メロン、サクランボ、スイカ、トマト、ナス、キュウリ、カボチャ、
タマネギ、リンゴ、モモ、ナシ、ウメ、マンゴー、ブルーベリー ・・・・・
農業に利用するとは、花粉交配用にミツバチが売買 (あるいはレンタル) されるということである。
そして今や直接養蜂生産物 (蜂蜜、ローヤルゼリー、蜂ろう) より
花粉交配による経済貢献 (交配によって得られる作物総生産高) のほうがおよそ5倍、
全体の98%に達する、という具合だ。
ミツバチによる交配の助けがないと、クリスマス・ケーキにイチゴは乗らない。
それどころか農産物の供給は年じゅう不安定になるだろう。
ましてやミツバチが滅んでしまったら ・・・
アインシュタインが言ったと伝えられている言葉がある。
「ミツバチが絶滅したら、人類は4年で滅亡する。」
実際にアインシュタインが言ったという文献的根拠はないのだが、
それくらいミツバチの働きは重要なのだという警告だと思えば、伝承されるのも頷ける。
ま、学者である中村さんに言わせれば、
「主要穀物は風媒花かイネのように自家受粉する作物なので、食料危機には直結しない」
ということになるのだが (ちょっとつまんない?)、
しかしそれも、あくまでも 「ミツバチ利用作物がなくても、それだけでは死ぬことはない」
という食料生産量の数字上の話である。
ミツバチをめぐる今日の状況は、" アインシュタインの警告 (予言と言う人もいる) "
がまことしやかに語られるだけの不安な兆候を見せてきているのはたしかなのだ。
ただ、ミツバチの 「不足」 と 「大量死」 と 「働き蜂の失踪(CCD)」 が
ごっちゃになって語られ、また不安を煽る論評もあって、
中村さんたち専門家を苛立たせてしまっている。
「不足」 の原因はといえば、最大のきっかけは2007年11月、
オーストラリアから輸入していた女王蜂に
ノゼマ病という病気 (監視伝染病) が発見されたことによる輸入停止である。
それによってイチゴ農家などの需要に対してミツバチの欠品が発生し、
価格の高騰=農業生産コストの上昇 - 採算割れ (=生産の減退) という現象が生まれた。
またハワイから輸入していた女王蜂からは
バロア病という伝染病の原因となるダニが発見され、こちらもストップされたのだが、
国内でも発見され、新たな被害が拡大している。 これも要因のひとつらしい。
さらには気候変動による影響も指摘されるが、因果関係は未解明の世界である。
そもそもなぜ輸入なのか、についてはあと回しにして先に進みたい。
一方で5年前に、岩手県で大量に死んだミツバチから農薬が検出されたことによって、
農業生産現場での農薬散布が原因でミツバチの 「大量死」 が発生している、
という事例が報告されるようになった。
岩手で検出された農薬は、「ネオニコチノイド系」 農薬のクロチアニジン。
ネオニコチノイド系農薬は、人への毒性が (これまでの農薬に比して) 低いということで、
90年代から使用が増えてきた新しい系統の農薬群である。
しかし花粉交配昆虫への影響度の度合いにより、
使用にあたっては 「ミツバチへの影響」 の注意喚起がされている農薬がある。
クロチアニジンはそのひとつである。
具体的な話はあとに回して次に進みたいが、記憶しておいてもらいたいことは、
ネオニコチノイド系農薬にも多種あって、ミツバチへの影響度は個別に異なるという、
ある意味であたり前の前提である。
さらに話をややこしくさせたのは、2006年の秋から
(現実にはその前から予兆的に発生していたのだが)、
北米大陸で原因不明の 「ミツバチの失踪」 が多発したことである。
それは女王蜂を残して働き蜂が忽然といなくなる (巣に戻らない) という現象で、
「蜂群崩壊症候群(CCD)」 と名づけられた。
「2007年の春までに、実に北半球のミツバチの四分の一が失踪したのである。」
(ローワン・ジェイコブセン著 『ハチはなぜ大量死したのか』 文芸春秋刊 より )
原因はまだ諸説紛々なのだが、大量 「死」 も確認できないという不気味な現象は、
" アインシュタインの予言 " を想起させるに充分な要素を持って
私たちの視界に出現したのである。
日本でも経験した養蜂家はいる。
しかしその原因は農薬とはまだ断定できない、というのが今の調査研究段階なのだが、
日本国内では、「不足」 も 「大量死」 も 「CCD」 も、すべてネオニコのせい、
という論調に支配されようとしている。
中村さんにしてみれば、それぞれの原因が何によるのかを正確に見極め、
あるいは複合的な要因ならその問題も整理して有効な対策を立てていかないと、
かえって取り返しのつかないことになる、という感覚がある。
でなければ養蜂家だけでなく、農家にとっても不幸なことだ、と。
そこで次は現場の養蜂家の登場となるのだが、ここまでで話が長くなってしまった。
このテーマに関しては、とても慎重になっている自分を自覚する。
視野脱落が怖い。。。
冒険的な断言も避けなければならないと思っている。
だからといって、 「いい勉強会でした」 で済ませたくもない。
続きは明日 (もしかしたら数日後) に。 すみません。
2010年9月 5日
祝の島
山口県熊毛郡上関町祝島 (いわいしま)。
瀬戸内海・周防灘に浮かぶ周囲12kmの小さな島。
瀬戸内海屈指の豊かな魚場に恵まれ、釣り人のメッカとも謳われる。
島内は山の傾斜を利用してミカンやビワ栽培が営まれている。
大地を守る会も一時期、無農薬のビワの販売でお付き合いした時代がある。

海と山しかないのどかな島。
一方で祝島といえば 「原発反対運動の島」 として全国にその名を馳せる島でもある。
この島に、8月21日(土)~22日(日)、
大地を守る会の専門委員会 「大地・原発とめよう会」 の主催でツアーが組まれた。
10数人ほどの会員が島を訪ね、島民たちと親交を温められた。
僕も誘われたのだが、実はこの日程は、
大和川酒造の佐藤工場長たちと飯豊山に登る計画を立てていて、お断りするしかなかった。
結局は仕事でどちらも行けなくなってしまったのだけど。。。 哀しいね。
ツアーに参加したU君から写真が送られてきたので、お借りして、紹介したい。

この平和な島に原発問題がふって涌いたのは1982年のこと。
上関町長が町議会で原発誘致の意向を表明したのだ。
翌年、祝島漁協が原発反対を決議して、長い長いたたかいが始まった。
「上関原子力発電所」 の建設予定地は
祝島から4km東の対岸にある上関町長島の田ノ浦湾。
この美しい名前の湾を埋め立てる計画である。
建設されれば、祝島島民は目の前に原発を見ながら日々暮らすことになる。
おそらく観光客は激減することだろう。
今年からいよいよ埋立工事が始まることになったが、
現在のところ島の人たちの必死の実力阻止にあって着手できていない。
島民のほとんどは建設反対だが、あくまでも 「ほとんど」 であって、
島には今も深いしこりが刻まれている。
そんな中で、島民たちはこの28年間、毎週月曜日に欠かさず島内デモを行なってきた。
「原発ハンターイ、エイ、エイ、オー!」 という掛け声をかけながら、
集落の路地裏まで練り歩くのだ。

毎週のデモは、みんなの結束を確かめ、島の意思が衰えてないことを示すだけでなく、
実はおっちゃんおばちゃんたちの楽しいお喋りの場でもあったりする。
犬もハチマキして参加していたりして。
実は僕も一度この島を訪ね、月曜デモに参加したことがある。
1987年の、季節は秋だったか。
(デモの、エイエイオー!にはちょっと馴染めなかったけど・・・)
祝島漁協組合長(当時) の山戸貞夫さんが反対運動のリーダーで、
大地を守る会は漁協を通して無農薬ビワやビワ茶の販売で支援をしたのだった。
今回のツアーでは、山戸さんの息子さんと交流できたとのこと。
またビワの生産者を取りまとめてくれていた坂本育子さんは、
僕のことを覚えてくれていたようで、とても嬉しく思った。

祝島はまた、岩の島でもある。
掘っても掘っても出てくる岩を家の練塀や段々畑の石垣に利用してきた。
傾斜のきつい山だが、島民は島の隅々まで利用し、共生して生きてきたのだ。
これは平満次さんの棚田。
1段5メートルはあるだろうか。落ちたら死にそうな棚田である。

この石垣を、満次さんの祖父、亀次郎さんが一代で築いたというから驚愕である。
子や孫の代まで米で困らないようにと願いながら、
巨大な岩石を一個一個運んでは積んでいったのだという。
日本人の米に対する恐るべき執念を感じさせる。
ツアー一行と語らう平さん。
眼下は海。 こけたら一気に海まで滑落しそうな風景だ。

こうやって島の風景は人の営みとともにつくられてきた。
海の環境を守るのも、実は漁民の倫理と矜持(きょうじ) こそにかかっているのだ。
原発は、自然も、人々の絆も、人と自然の絆も、傷つけてしまう。
それは営々と紡がれてきた絆の歴史を愚弄するものでもある。
反対する現地の人々が嫌悪するのは、そういう精神への冒とくを感じるからだ。
賛成あるいは推進する人々は現地の深い苦悩を慮ることがない。
だから 「公共」 の名のもとに 「人 (あるいは自然) は死んでもいい」 に票を投じることができる。
その究極の選択が 「戦争」 だと思う。
反対した人は敵となった人々の死にも自身の判断の責任を考えようとし、
賛成派はだいたいが他人事のように批評する。
ま、戦争はともかく、原発に 「公共」 性としてのメリットがはたしてあるか、
これはとことん慎重に議論したいところだ。
あらゆる観点から見て、原発は本当にどれだけの貢献をしてきたのだろうか疑問である。
未来永劫にわたるリスク管理 (ストレス社会) を子孫に強制し、
建設から廃炉・廃棄物管理に至るコストは補助金 (税金) なしには採算は合わない。
事故はレベルによるが、最悪の場合、取り返しのつかないたくさんの生命危機につながる。
原発受け入れで得られるのは交付金や法人税による経済効果だが、
他人のお金(税金) をあてにして、持続可能な社会資産を差し出していいのか。
海と共生しながら暮らしていきたい、とはそういう意味で
基本的人権以上の意味を持つものだと思う。
昨日に続いてジャレド・ダイヤモンド (カリフォルニア大学教授) の言葉を借りるなら、
「先進諸国が現在味わっている繁栄は、預金口座にある環境資本
(再生不能のエネルギー源、天然の魚介資源、表土、森林など) を食いつぶすことで
得られたものだ。 引き出した預金を稼いだお金と勘違いしてはならない」
ということだ。
ましてや、今のエネルギー政策の世界潮流は、石油やウランなど枯渇資源に依存しない
太陽エネルギー経済に移行しようとしている。
地球に降り注ぐ太陽エネルギーの1万分の1を効率利用できれば、
エネルギー問題はなくなるとまで言われているのだから。
そのための技術確立に向けての推進力が加速している。
引っ張っているのは砂漠の産油国である。
西欧諸国もそこで技術提携の権利を得るのに躍起である。
日本は乗り遅れようとしている。
次世代エネルギーの覇権争いはすでに 「原子力発電所」 ではない。
誰も電力不足を感じていない中で、
中国地方の電力需要は増える、という前提のもとでの、
28年に及ぶ建設をめぐる争いなど、もうやめたほうがいい。
エネルギー源は、空と海と大地にあるのだ。

祝島周辺海域には、国の天然記念物であり絶滅が危惧されているスナメリ (小型のクジラ)
や海鳥・カンムリウミスズメの生息が確認されている。
科学者から活断層の存在も指摘されながら、ちゃんとした調査は実施されていない。
こんな島の人々の暮らしと自然を、実に優しい目線でとらえた映画がある。
纐纈(はなぶさ) あや監督作品 『祝(ほうり) の島』 。
ゆったりと生きながら、しかし敢然と原発を拒否する島の人々の強さとその意味を、
「原発は必要だ」 と思っている人たちにも見て欲しいと思う作品である。

東京では現在、東中野 「ポレポレ東中野」 で上映中。
一日1回、19:00~で、今月10日まで。
ご来場者には、当会からのプレゼント応募用紙が配られています。
応募された方から抽選で50名様に、
祝島の対岸・愛媛県は明浜町の生産者団体 「無茶々園」 のちりめんをプレゼントします。
どうぞご応募ください。
以上の写真はすべて内田智明さんからの提供です。
原発ネタは久しぶりだけど、写真を見て、ちょっと熱くなりました。
感謝します。
2010年8月10日
Grobal Sensor と 田んぼスケープ
本ブログでこれまで何度も登場している
文化人類学者の竹村真一さん (京都造形芸術大学教授) から連絡あり。
FMラジオ 「J-WAVE」(81.3 KHz) で毎週月曜から金曜日の夜に放送されている
番組 「Jam the World 」 の中の 「 Grobal Sensor 」 (グローバル・センサー)
という彼のコーナーで、久しぶりに 「田んぼスケープ」 を取り上げます、とのこと。
時間帯は以前より少し早まっていて、9時35分から。
短いトーク・コーナーだが、地球環境に関する様々な問題が語られている。
- と紹介している自分も、残業や外出が多くてなかなか聞けないのだけれど、
今日は漁業資源の保全と " 海のエコ・ラベル " -MSC認証の話だった。
前回聞けたのはたしか車の中で、火山の噴火がもたらす功罪について、だったかな。
火山の噴火は大変な災害ももたらすが、
一方で土壌の形成に重要な役割を果たしてくれている、と。
思わず膝を打つ。 これは正しい。
河川の氾濫もそう。 土壌材料の " 若返り " をもたらしているのだ。
竹村さんは文明や環境の様々な問題を、地球史の観点で見ている。
まさに Grobal Sensor だね。
そのセンサーから見える 「田んぼスケープ」 とは-
一日3分のトークで、竹村ワールドにハマる。
タイミングが合った時はぜひ一度、聞いてみてほしい。
2010年7月11日
一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞
福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら
若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは
先日の猪苗代レポートで触れたが、
昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。
それは意外と小さな会議室で、
出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。
詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある
故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。
会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、
ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。
「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など
様々なテーマで研究会を開催するほか、
官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。
その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)
を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。
アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に
有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、
まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。
表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。
それがかえってこの賞の品格を形成している。
賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。
小川さんの受賞理由。
「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、
その存続が危ぶまれています。
小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、
就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。
その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。
ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」
受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。
小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。
そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては
雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。
東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。
官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。
しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、
どうやらけっこう辛い時代だったようだ。
98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。
小川光、50歳の時だった。
今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、
小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。
山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、
中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、
会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、
中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。
上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、
地域との軋轢も相当に経験してきている。
それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、
という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。
自己史を実直に振り返りながら、
時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。
小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。
今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。
でも今日の白い足袋は " よそ行き " なんだそうだ。
今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。
お祝いの言葉を述べさせていただく。
(写真提供:表彰選考委員・田口均さん)
小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、
僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、
でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、
引き受けさせていただいた。
夜の懇親会で、小川さんから
「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」
と言われたのを、嬉しく思う。
この日は山崎農業研究所の総会でもあって、
農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の
「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。
それは21世紀への新しい提言というより、
20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、
有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、
学問的にも認められるところまできたことを示していた。
四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に
到達しつつある。
小川さんの苦労は報われる。 間違いない。
わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。
できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた
祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。
浅見さんと相談してみよう。
2010年7月 4日
中山間地はみんなの共通資産だから
愚痴をこぼしつつ、ついついしつこく書いてしまう悲しい性(さが) 。
しょうがないので続ける。
二日目(6月27日)は、現地視察が組まれた。
まずは、地元の人たちとボランティアの協働で維持する山都町の堰を見る。
集落の上にある棚田を通って行く。
耕作されなくなった場所もあるが、ここは変わらずきれいだ。
水はゆっくりと、温みながら流れて、一帯の田を潤してくれている。
江戸時代にマンパワーで切り拓いてより、地域の共有資産として、
数百年にわたって修復を繰り返しながら皆をつないできた血脈である。
いま僕らは、21世紀のボランティア(志願兵) として
その歴史の一員に連なっている。
続いて、チャルジョウ農場を訪れる。
有機農業学会の方々も、こんなハウスは見たことがないのでは。
ハウス内に傾斜がある。 もしやこれも小川理論?
いえ、下の土地を確保したので、そのままハウスを伸ばしただけだと。。。
小川光さんの有機農業のポイントは、自家採種できる品種選択から始まる。
栽培においては、
間隔をあけて苗を植えて、1株でたくさんの枝を立てて実を成らせる 「疎植多本仕立」、
堆肥を深く掘った溝に入れることで初期の肥効を抑えて生長とともに効かせ、
かつ水分保持力も高める 「溝施肥」、
野草をいろいろ選別しながら残す (これが重要。除外すべきものは取る) ことで
害虫の天敵昆虫を増やすとともに土壌侵食を防ぐ 「野草帯管理」、
といったところが大きな特徴である。
さらには徹底した資材のリサイクル利用がある。
もらってきた資材でハウスを作り、落ち葉でたい肥を作り、土に水を保持させ、
少ない苗でたくさんの実をつけさせ、天敵との共生で生態バランスを整える。
種も残して自給力を高める。
これらの総合によって、灌水設備のない山間地でも、
「農薬・化学肥料いらず」 でやってゆけることを実証する。
一本気で、裏表がなく、したがってどこか生きにくさを感じさせる小川さんだが、
山間地の農業をただただ守りたいという思い、守れるのだという信念と、
実践によって構築していく徹底した実証主義が、
若者たちを育てる力になっているように思う。
一方その性格ゆえに、若者たちから意外にも慕われたりするのだ。
この山間部で、小川さんの世話で住み着いた家族の間に、生まれた子供が22人。
これが小川光という人物の、内容証明である。
最後の視察先は、熱塩小学校。
日曜日なので誰もいないが、
小林芳正さんと鈴木卓校長が待っていてくれた。
農業科の新設とともにつくられた食育スペースがある。
小林さんは農業の持つ教育力を信じている。
それは生命を育てるという行為そのものだから。
稲を育て、いろんな野菜を育てることで、感性豊かな大人に成長してほしい。
そして同時に大人も育つんです。
そんな美しい共生の 「村」 を、小林さんはいつも思い描いて、
子どもたちに日々農作業を教えている。
「育苗からいっさいの化学物質を使わせないんです。
そんな小林さんのしつこさやこだわりが、
いつの間にか子どもたちにも伝わっていくんですねぇ。。。」
と苦笑しながら説明する鈴木校長先生。
授業は年間42時間の計画だが、天候事情などによって、
実際には50時間以上におよぶらしい。
小学校から農業教えてどうすんの、という地域の反応も強かったそうだが、
鈴木先生は自信を持って語る。
「畑を耕すことで、心も耕す。
知育を高め、食育・体育を高め、徳育にもつながって、
結果として学力すべてを上げる。
実際にここの生徒の成績は上がってるんですよ。」
農業科の畑と田んぼは学校を取り囲むようにあり、
3階の窓から全部見渡せる。
眺めるだけで、地域が支えていることを実感させる。
廊下にも階段にも、子どもたちの作品が張り出されている。
ハイ、こんにちは。 いいなあ、この感じ。
中山間地問題となると、きまって 「課題」 が語られる。
- 販路の開拓、6次産業化、、、しかしそんな視点より、
まずは足元の環境や暮らしや農業スタイルを誇れるようにすることが大切だ。
水路の意味から都市にメッセージを発信する浅見彰宏さんや、
山間地で飯の食える技術として有機農業を教える小川光さん、
そして子どもたちも父兄も誇る、わが村の農業と自給給食。
地域の文化を美しく 「食べさせる」 料理人の存在。
骨太に活性化させる土台は、地域への " 愛 " だね。
都市生活者あるいは消費者という立場にいる者にとって、
中山間地域というのは、けっして " 救うべき " 過疎地などではなくて、
とても大事な、守っていただかなければならない水の源、のはずである。
この社会資産は未来の人々のものでもあるわけだし。
外国資本に買われていい場所ではない。
守るための条件は-
そこにちょうどいい数の人がいて、持続性の高い、すなわち循環型で
環境と調和した生産によって、
質素だが楽しく、助け合いながら、誇りを持って暮らしてくれている。
それをどう支えられるかってことだよね。
都市の人たちにもできることがある。
その地域の価値の " 新たな発見 " だ。
足元にある当たり前の姿が、当たり前じゃない力をもっていることを
発見させてくれるのは、外の目だったりする。
そういう意味でも、人の交流は、互いの価値の発見を促す力になる。
守りたければ、税金で、とかいう前に、まず手をつなぐことだ。
山都の堰さらいへの参加も、未熟者たちの野菜セットも、
共通の資産を守り育てるための " 輪 " づくりだと思っている。
2010年7月 3日
食文化の伝道師と若者たち
6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、
帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。
こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。
30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。
7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。
『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。
一週間出ずっぱりとなってしまった。
こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。
ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、
どう転んでも書けそうにない。
何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、
遅れの帳尻を合わせることにしたい。
「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、
猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。
実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。
フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)
「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」
というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、
もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。
今回はこちらでお願いする。
このホテルの総料理長になって22年。
最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った
" 華 " のある料理を披露されていたのだが、
福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。
有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。
その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。
食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。
山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。
しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、
地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。
それが 「料理」 による地のおもてなしだと。
現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、
ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。
山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、
大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。
料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、
たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、
調理に変化を持たせたりするのだという。
また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。
さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。
昨年には 「体験農場」 も開設した。
宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、
夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。
そんなコースを楽しむ人が増えている。
生産者の思いや地場作物の物語を 「食」 を通じて伝えるなかで、
地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。
「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。
ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。
気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。
さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。
板橋 大(ゆたか) くん。
大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。
酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。
今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。
チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。
前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。
2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。
チャルジョウ農場からもう一人。
写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、
有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。
「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。
小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」
彼女たちには、農業への偏見がない。
牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、
美しい被写体を見ている。
要は生き方だよなあ、と感じさせる。
(オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)
これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、
それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。
こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が
もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。
この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。
途中で折れることなく、大事にしてほしい。
実践報告でも、若者たちのリレートークでも、
実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。
素直に誇りたい。
次は二日目の現地視察。
山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、
このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。
すみません、明日に回します。
2010年6月27日
有機農業が中山間地活性化の鍵となる、か?
ジェイラップさんのお荷物になって、新潟から福島県猪苗代に。
昨日の (株)大地を守る会の株主総会も、
今日の 「大地を守る会の稲作体験」 の草取りもパスして、
こちらでの集会に参加させていただく。
「日本有機農業学会」 公開フォーラム
- 『有機農業を基軸とした中山間地活性化 -福島県会津地域の事例- 』 。
中山間地は農業者の高齢化、後継者不足、耕作放棄地増大など、
多くの課題を抱えている。
福島県会津地方において、有機農業を基軸として活性化を図っている事例から学ぶとともに、
今後の方向性について検討するフォーラム。
6/26(土)、一日目は2つの基調講演と5つの実践報告が行なわれた。
基調講演1-「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」
演者は、宇都宮大学農学部の守友裕一さん。
中山間地対策に係わる施策の変化と課題について概括するとともに、
" 豊かさ " という概念の捉え直しと、
地域が内発的に発展していくためのいくつかの視点が提出された。
基調講演2-「中山間地域と有機農業」
演者は、日本大学生物資源学部の高橋巌さん。
これまで調査に歩いてきたいくつかの事例から、有機農業が高齢者の生きがいを刺激し、
あるいは新規就農の動機となり、山間地の活性化に結びつく効果がある一方、
販路確保の問題、加工も含めた6次産業化の方向、都市に対する情報発信の大切さ
などが課題として語られた。
分析や課題抽出が中心なので、致し方ないことなのだけれども、
いまひとつ、ピリピリするような刺激がほしいところだ。
自分の意識が分析より新しい " 仕掛け " を志向しているからかもしれない。
次に実践報告。 ここから僕は、応援団だ。
トップバッターは、本ブログでも常連になった感のある浅見彰宏さん。
千葉県出身。
東京の大学を出た後、4年間、鉄鋼メーカーに勤務。
95年に退職し、埼玉県小川町の金子美登さんのところで1年、有機農業の研修を受け、
96年から山都町に移住した。
耕作できなくなった田んぼや畑を頼まれたりしながら増やしてきて、
現在は田んぼ1.5町歩 (150 a)、畑5反 (50 a) を耕すほか、
採卵鶏150羽を飼い、鶏肉ソーセージや味噌、醤油などの加工もやっている。
山間部の堰の清掃(堰さらい) に都会のボランティア受け入れを始めたのが2000年。
この活動によって集落全体による都市との交流が始まり、
11年目の今年は41名のボランティアが集まった。
僕は地元の人から、「浅見君には感謝している」 という言葉を何度も聞かされている。
浅見さんは冬になると、喜多方・大和川酒造で蔵人となる。
僕らは、大和川酒造での 「種蒔人」 の新酒完成を祝う交流会で出会い、
4年前から堰さらいに参加するようになり、
山都に足を踏み入れたことで、このあとに登場する小川光さんとの交流が生まれ、
山の中で働く研修生たちともつながったのだった。
2008年、浅見さんと研修生たちとで 「あいづ耕人会たべらんしょ」 が結成され、
彼らの野菜セットが大地を守る会に届けられるようになった。
この野菜セットは、山都に定住した人だけでなく、この地で学ぶ
就農意欲のある若者たちも含めて応援するというコンセプトであるゆえに、
人が変わっても継続される。
いわば " 就農へのプロセスを含めて支援する " という特殊なアイテムであり、
僕らの山間地有機農業との付き合い方の姿勢も表現するものだ。
まだわずかな数だけど、限界集落とまで言われる山間地の維持を、
これから長く担うことになる彼らの " 夢 " をつなぐものだと思っている。
山間部は、少数の大規模専業農家で維持できるものではない。
自給的・小規模農家がたくさん存在してこそ、地域の環境や農地そして文化が守られる、
と浅見さんは考えている。 まったくそのとおりである。
そういう意味で有機農業は、中山間地の価値をよく表現できる思想であり技術である。
続いては、熱塩加納村(現在は町) のカリスマ、小林芳正さん。
農協の営農指導者だった時代、1980年から村全体での有機米作りに取り組んだ。
僕らは、反農協の農協マンと呼んで注目した。
熱塩加納村は 「有機の里」 と呼ばれるようになり、地元より先に首都圏で評価を獲得した。
そして1998年から村内の学校給食に導入され、無農薬野菜の供給へと続く。
給食関係者や消費者団体の間で 「熱塩加納方式」 と注目を浴び、全国区の村となった。
画期的だったのは、2001年、それまで特例として認められていた自村産米の使用が
特例期間終了をもって廃止されようとした時の父兄の行動である。
県への請願や村の成人90%におよぶ署名活動も認められなかったのだが、
そこでPTAは臨時総会を開き、
「父兄負担がかさんでも、かけがいのない子どもたちに、
村産の安心できる米を食べさせたい。 米飯給食の補助金がなくとも継続する 」
と満場一致で決議した。
食においては自立した村であろう、という宣言である。
戦後日本の食の歴史に残しておいていいくらいの事件だと思うのだが。
2007年には構造改革特区の認可を受け、
喜多方市内3小学校に 「農業科」 が設置された。
熱塩小学校では、学校の周りの農家から、13a の畑と 6a の水田を借り受け、
小林さんの指導で野菜や米作りを学んでいる。
できた野菜はもちろん給食の食材として利用される。
食農教育の成果が見えてくるのはこれからである、とまとめたいところだが、違う。
鈴木卓校長によれば、「他の教科の学力も上がっています」 - のである。
余談ながら小林さんは、村が喜多方市と合併した際に、
喜多方市熱塩加納町という住所になったのが気に食わない。
村を 「村」 として愛するがゆえにたたかってきた反骨の士としては、
いきなり 「町」 に変わってしまったことで、
自分の誇りが軽いものなってしまったような悔しさを覚えているようだった。
3番めの実践報告は、「会津学を通じた地域の再発見」 と題して、
「会津学研究会」 代表、昭和村の菅家博昭さんの報告があった。
子どもたちが、家に残る古い写真を題材に、
お爺ちゃんやお婆ちゃんから昔の暮らしを聞き取りして、残している。
地元の文化や自然・環境との関わりあいを再発見する地元学の取り組みである。
それにしてもご自身の住所に、「福島県 " 奥会津 " 大沼郡~」 と書くあたりに、
会津人の心奥が覗いている。
司馬遼太郎さんの 『街道をゆく -奥州白河・会津のみち- 』 にも、こんな一節があるね。
「福島県人ですか」
というと、
「会津です」
と答えた。 その誇りと屈折は、どこか大ドイツ統一以前のプロイセン王国に似ている。
さて、4番バッターは、小川光さんだ。
福島県の園芸試験場などの研究職員を辞して、山都に入り、
灌水設備も整えられない山間部で、ハウスを使った有機栽培技術を確立させた。
それを惜しげもなく若者たちに伝えることで、
環境保全と耕作放棄地の解消、そして山間地の活性化をはかろうとしている。
研修生には経営能力も身につけさせたいと、
一人13a 程度の農地を割り当てて、そこで収穫・販売したものは自身の収入になる、
という方式をとっている。 もちろん畑づくりやハウスづくり、苗作りなど
共同で行う作業をベースにしながらであり、これを小川さんは 「桜の結」 と名づけている。
しかし人の育成というのは生易しいものではない。
毎週木曜日には 「ゼミナール」 を開講し、農業の基礎を学んだり、
農家や鍛冶屋などの技術者を訪問して話を聞くといった機会をつくっている。
悩みも多々あるようで、
「作物を粗末に扱う者を見ると腹が立つ」
「道具や部品がしばしば紛失したり壊れたりする。 それはすべて私が買ったもので、
無償援助の資材が粗末に扱われるのはODAと同じだ。 できれば本人に買わせたい」
「この方式は儲からない、という人に限って、その人のハウスには
熟しすぎて割れたトマトが大量に成っていたりする」
などなどなどなど・・・・・
いやいや、額に♯を浮かばせた小川さんと呑気な研修生たちのやり取り風景が、
微笑ましく (失礼) 浮かんでくる。
そんな愚痴をこぼしつつも、小川さんが育てた研修生はすでに100人に達する。
小川さんの世話で山都に定住した数40世帯90人、地元で生まれた子供が22人!!
活性化の課題? - この人を見よ、って感じか。
こんな功績が認められ、小川さんは今年、歴史ある 「山崎農業研究所」 による
「山崎記念農業賞」 を受賞された。
授賞理由-
「省力的で経費のかからない合理的な栽培技術の追求と中山間地への就農支援を
結合させた小川さんの取り組みは、過疎化にあえぐ中山間地の農業・農村に
希望を与えてくれるものといえる。
このことを高く評価し、第35回山崎記念農業賞の表彰対象に選定する。」
小川さんには晴天の霹靂のような連絡だったようだ。
何を隠そう、選考にあたっては、わたくしのブログも少し参考に供されたようで、
ちょっとプチ自慢したいところである。
山崎農業研究所の説明は、HPを見ていただくとして、
僕が研究所の存在を知り、関係者の方と知己を得たのは、
発行書籍 『自給再考 -グローバリゼーションの次は何か 』 を
偉そうに論評してしまってからである。
小川さんの授賞式は7月10日(土)にあり、
なんとお祝いのスピーチをしろ、という要請を受けてしまった。
オレなんかでいいのかと戸惑いつつ、
こちらにとってもありがたい栄誉なのだと思って、出かけることにしたい。
ちなみに、小川さんは第35回の受賞だが、
小林芳正さんは第8回 (1982年) の受賞者である。
他にも、敬愛する福岡の宇根豊さんが第11回(1985年)、
一昨年の第33回には野口種苗研究所の野口勲さんが、そしてなんと、
先だっての後継者会議レポートの最後に紹介した宮古島の地下水汚染対策で、
土着菌と地域資源を活用した有機質肥料を開発した宮古農林高校環境班が、
第28回(2003年) の受賞者に名を連ねている。
こういう団体の存在は、貴重だ。
ここんところ、ネタそれぞれに深みがあって、
どうも長くなりすぎてますね。 スミマセン。
今回も終われず、「有機農業を基軸とした中山間地~」 をもう一回、
続けさせていただきます。
2010年6月20日
ダイアログカフェ & キャンドルナイト
沖縄レポートの途中だが、今日はキャンドルナイトの日。
増上寺に行く前に、昼間、もう一つの集まりにも参加してきたので、
二つあわせて報告しておきたいと思う。
まずは午後1時から、青山学院大学で開かれた
「第2回 環境ダイオログカフェ ~食から考える生物多様性~ 」。
昨年、米づくりと環境教育プログラムでお手伝いした 「NPO法人 たいようの会」 と、
青山学院大学小島ゼミの主催で開かれた。
小島ゼミとは、元環境省地球環境審議官の小島敏郎さん (現青山学院大教授) が
持っているゼミのことで、小島さんはたいようの会の専務理事でもある。
今年10月、「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」 が
名古屋で開催されるが、世間の関心はまだイマイチの感がある。
そこで学生から社会人までが一緒になって、
生物多様性を身近な 『食』 との関係から考えてみようということで召集がかかった。
大地を守る会もおつき合いのあるクリエイティブ・ディレクター、マエキタミヤコさんを
コーディネーターとして、ダイアログカフェという手法で進められる。
写真前のテーブルの左にいるのが小島敏郎さん。
ダイアログカフェとは、まず立場や年齢や文化の異なる人たちが
小さなテーブルに分かれ、それぞれで意見を交わし、アイディアを出し合いながら、
そのテーブルでの合意を導き、ひとつの文章にまとめる。
スローガン的なコピーではなく、具体的で主語述語の整った文章にする。
次に最後に全体で討論しながら出された文章を加筆したり削除したり
別々のものをくっつけたりしながら、
会議全体の総意としてまとめ上げてゆく、というもの。
民主的な合意形成の方法として、昨今は国際会議でも採用されているようである。
今回の討議テーマは、次のように設定された。
「食」 に対しては、安心、安全、味、価格など多様な要求があるが、
それらの個人的な要求と 「生物多様性」 を共存させるための具体的提言をまとめてみよう。
出された意見は、
できるだけ国産のものを食べる(自給率の向上)、地産地消の推進、
ゴミを出さない、メディアやネットを活用して多くの人に伝える、などなど
特段目新しいものはなかったが、討議の結果を全体の提言として文章にまとめる、
という作業の行程が面白い。
「もっと具体的に」 とか、「それで目的がどう達成できるのか」 と
キャッチボールが繰り返されているうちに、それなりの提言にまとまっていくのだ。
学生たちから 「(安全・安心や生物多様性保全のために) 農家に補助金を出す」
といった提案がなされ、それに対して社会人から 「安易な補助金頼りはいかがなものか」
といった反応が出る。
なかには 「(食情報の乱れに対して) マスコミに規制をかける」 といった意見が出て、
批判を浴びる場面もあったりして。
テーブルでのセッションは2回に分かれ、出された提言は40を越えていたか。
時間切れで、結局最後のまとめまで進められなかったが、
食と生物多様性というテーマに学生たちが感じ取っているレベルが推し量られ、
それなりに楽しい刺激を受けた会議となった。
会議後の懇親会はパスして、増上寺に走る。
けっこう集まってきている。
なにより雨でないのが嬉しい。
我々スタッフの感覚では、それだけで成功である。
到着後、ただちに会場警備を指示される。
トランシーバーを渡され、境内をウロウロする係。
所定外ののところでロウソクをつける人がいたら控えていただき、
後ろが込み合ってきたら前に詰めるようそれとなく誘導し、
トランシーバーからは 「アーティストの写真撮影は注意するように」 と指示が入り、
迷子のお子さんの連絡が入るとそれらしき女の子を捜し、
東に喧嘩あればツマラナイカラヤメロトイヒ・・・・・
ま、このイベントに来る参加者は基本的に行儀がいいので、
さほどの仕事はなかったのだが、さて皆さん満足していただけたかどうか。
会場関係で見きれなかった点、至らなかった点などあったら、ごめんなさい。
17時50分、明星学園の和太鼓でステージ開演。
田んぼスケープでコラボさせていただいている文化人類学者・竹村真一さんと
大地を守る会会長・藤田和芳のトークが行なわれる。
続いて、Yaeさん+カイ・ペティートさん(ギター)、Skoop On Somebody さん
のライブ。
20時を前に、東京タワー消灯のカウントダウン。
10,9,8,7,6,5 ・・・
4,3,2,1,ゼロッ !
お見事。
あとはゆったりと、中孝介さんの歌声を聴きながら
それぞれの時間を、ロウソクの灯とともに、どうぞ。
我々は静かに見回りつつ、
石段に落ちたロウを剥がしたりしながら片づけに入る。
22時過ぎ、解散。
やっぱビールでも飲まないと、となって・・・・
いつになっても、俺たちにスローな夜は許されない。
2010年6月 3日
「だいち村」 -ちょっとやられた感も・・・
「(株)NTTデータだいち」 さんが開いた栃木県那須町の農場運営を
お手伝いすることになったという話をしてから、2ヶ月が経った。
まだ手探りながら栽培も始まっていて、
拠点となる事務所には看板も掲げられていた。
その名がなんと、「だいち村」 。
そうくると思ってたよ。 もう、これしかないよね、というよな命名。
先日見せてもらった農地の一角にはハウスが建てられ、
また近隣の造成から出た黒土をもらって、盛られている。
赤土状態からの出発なので、ここはまだこれからである。
土づくり、土壌診断から協力する。 それはそれで面白い。
新たに2枚のほ場が追加された。
じゃが芋が植えられている。
「今年はすべて勉強です」 と実直な若いスタッフ、儘田くんは語る。
好青年だ。
栽培管理の体系づくりは、自分たちの思想を語ることから始める、
という王道を、僕は 「NTTだいち」 さんに提案した。
農場の理念を謳い、それに沿った生産基準を策定し、生産行程管理規定を設計する。
規定に従って、日々の仕事管理までの帳票を整備する。
第3者監査に耐えうる仕組みづくりが一から始まっていて、
楽しいとも言えるが、「責任」 もだんだんと感じつつある。
僕の原理原則的な話とは別に、同行した農産チーム・市川職員が、
作付予定表を眺めながら、一芸を披露し始めた。
「たとえばね、イチゴの隣にニンニク、トウモロコシの隣に枝豆、
バラバラのようで全部理に適ってるって感じで・・・」
「あそこのほ場は時間がかかるとしても、今年は麦とか緑肥を蒔いてみたら。
それから今からハーブの苗を用意するといいね、ウン。
●●●●●●××××△△~~、これでねぇ、女子の心をつかむんスよ。 ふっふ」
なかなか芸の細かいアドバイス。 さすが、である。
しかしイチカワ自身はなんで女子のハートをつかめないんだろう。 不思議だ。
これは 「NTTだいち」 さんには伏せておきたい社外秘とする。
ま、こんな感じで、イメージを膨らませながら、
だいち村と大地を守る会のコラボレーションが進み始めている。
障がい者 (という言い方も何か抵抗があるな) と一緒にどんな農場がつくれるか、
これは俺たちにとっても実に幸運なトレーニングの機会だと思う。
IT企業はストレスも多くて、社員の人たちがリフレッシュできる
園芸療法などもプログラムに組み入れたいと 「NTTだいち」 さんは考えているようだ。
農が人を救う。 社会はそんな時代を求め始めている。
では人を救う農の世界とはいかようなものだろうか。
現役のうちにここまで来れたことを幸せに思う。
ずっとアウトサイダーのままで、あるいはニッチ(隙間) とか言われながら
朽ちるんだろうと思っていたからなぁ。
いや、世の中がそれだけピンチになっているんだ、きっと。
2010年5月22日
生物多様性農業支援センター総会
今年は国際生物多様性年。 10月には名古屋で国際会議(COP10) も開かれる。
そして今日は、国連が定めた 「生物多様性の日」 である。
当方としては、わが 「稲作体験2010」 田植えの前日ということもあって、
本来はその準備のために現地(千葉・山武) に入るのだが、
今回は若手職員たちによる実行委員会にお任せして、
NPO法人「生物多様性農業支援センター」(略称:BASC、バスク) の総会に出かける。
場所はなんと高尾。 町田市相原の山の中にあるJA教育センター。
設立されてから丸2年が経った。
その間、田んぼの生きもの調査の全国的な展開やインストラクターの養成、
映画 『田んぼ』 の制作、シンポジウムや国際会議の開催などに取り組んできた。
その活動内容を確認するとともに、今期の活動方針・予算などを審議する。
総会というと、通常なら議案の提案(読み上げ) と多少の質疑で終了したりするものだが、
昨年度の決算状況が芳しくなかったこともあって、
今期の方針と予算見込みの実現性について、また執行部の運営体制について、
ずいぶん厳しい声も上がって紛糾したのだった。
なにしろこのNPO、JA全農という大御所から生協、環境保護団体などなど、
そうそうたる団体の代表が理事に名を連ねて設立された
重量級の特定非営利活動法人である。
大地を守る会からも藤田会長が理事になっている (僕はいつも代理での出席)。
それだけに運営に甘いところがあると、実に手厳しい。
なんとか議案がすべて承認され、緑豊かなJAの研修施設をあとにして、
夕方から何名かで高尾駅前の居酒屋で一杯やる。
NPOの運営というのは難しいものだ。
田んぼの生き物調査を実施するにも経費がかかる。
しかしそれで収益を上げようとすると農家もなかなかついてこない。
そもそも全国どこでも手軽に実践できるようにと、
指導者を養成する講習会なども開いてきたのだ。
田んぼの生き物調査のナショナルセンターをつくろう、
という理念は良しとして、その運営の自立に向けては、まだまだ課題が山積している。
「大地さんも、もっと働いてよね」 -原耕造理事長のセリフが重たい。
帰りの電車では、福岡から毎回理事会に出てこられている宇根豊さんと
二人だけになって、ほろ酔いでお喋りしながら帰ってくる。
「市民による民間型環境支払い」 を応援する 「田んぼ市民」 なる制度も立ち上げ、
おいそれと引けないね、とか何とかかんとか。
宇根さんも、今年が正念場だと感じている。
しかし、みんなそれぞれに自分のところで手いっぱいな面もあって、
どうしても執行部に任せてしまうところがある。 いや、なかなかに難しい。
稲作体験のスタッフに電話を入れると、
準備は順調にはかどって、
何人かが事務所に戻って参加者全員に電話掛けをしている、とのこと。
天候が悪いと不安になって問い合わせてくる方が多いので、
先に 「明日は、雨でもやります」 という連絡を入れようということになったようだ。
今年の稲作体験は、応募者78世帯240名。
抽選で約160名まで絞らせていただいたが、それでもけっこうな件数だ。
まあ、よく判断して動いてくれていると思う。
こうして僕の出番はだんだんとなくなってゆくんだよね。
明日、何とか小雨ですみますように。
2010年5月 6日
堰が人をつないでいる
さて、堰浚いを終えて、夜の 「里山交流会」 までの時間を使って、
チャルジョウ農場 を訪ねる。
元は福島県農業試験場の指導者だった小川光さんが、
中央アジア乾燥地帯での農業指導を経て、
山都町に入植して自ら有機農業の実践に入った。
そして彼独自の技術と理論によって、東北の雪深い山間地の潅水設備もない環境で、
ハウス施設を使っての無農薬栽培の技術を確立させたのだ。
以来、たくさんの若い研修生を育てては、就農の斡旋まで引き受けている。
堰浚いボランティアの呼びかけ人である浅見彰宏さんも
小川さんの世話で当地に入植した一人である。
農場の名前は、小川さんが惚れたトルクメニスタン国・チャルジョウの町名に由来する。
この日、光さんは新しく借りてほしいという西会津町の畑を見に行って留守だった。
耕作放棄という言葉を許すことができない、一直線の農業指導者なのだ。
" 山都町の空き家情報を最もよく知る人 " とも言われる。
一昨年から小川さんとこの農場の研修生たちの作った野菜をセットにして販売している。
研修生たちが名づけたグループ名は 「あいづ耕人会たべらんしょ」 という。
堰浚いに参加された当会の会員の方と、
埼玉県小川町の金子美登さんの農場で研修された二人の若者もお連れする。
実は小川光さんのご長男、未明(みはる) さんも
金子さんの 「霜里農場」 で勉強した経験を持っている。
なかなかイイ男だと思うのだが、いかがでしょうか。
独身です。
この日はやや遅れ気味であったミニトマトの定植作業に追われていた。
今年、小川さんが引き受けた研修生は10人。
堰浚いにも何人か参加してくれた。
楽しそうに、農作業にいそしんでいる。
農作業は楽しいと、彼らは一様に言う。
しかし、それで生活するとなると、途端に厳しいものになる。
佐賀の農民作家・山下惣一さんのセリフが思い出される。
「農作業は楽しい。 しかし " 農業 " となると一転して腹が立つ。」
この農場で育てるミニトマトの品種は 「紅涙(こうるい)」 という。
光さんが育ててきたオリジナル品種。
水がやれないため逆に味が濃縮される。 酸味もしっかりあって実に美味い。
今年は 「たべらんしょ」 の野菜セットの他に、
庄右衛門インゲンなどが 「とくたろうさん」 で取り扱える手はずになっている。
若者たちの息吹が、そう遠くない将来、
この山間地の環境と暮らしを支える担い手になることだろう。
彼らを応援することで、この国は豊かになる、と僕は思っている。
温泉に入って、公民館に戻る。
夜の 「里山交流会」 の開催。 テーブルには山菜料理が所狭しと並べられる。
里山の自然の恵み一覧のようだ。
心地よい疲れもあって、皆早く 「乾杯!」 といきたいところなのだが、
今年はその前にお勉強会の時間が設けられた。
せっかくの機会をただの飲み会にするんじゃなく、
堰の大切さや農業のことなども学んで意見交換の場にしたい、
というのが浅見さんのねらいである。
それはまことに結構なのだが、その一番バッターに指名された者は可哀想だ。
浅見さんから出された宿題は、「食と農と堰のかかわりについて」。
しかもお酒を前にしての講演なんで、30分くらいで- だと。
みんなの視線が厳しいなあ、と感じながら話をさせていただく。
僕なりに考えた堰の価値と、将来にわたる大切な役割について。
地球規模で進んでいる生物多様性と水の危機という視点を盛り込んで考えてみた。
堰自体はその地域の方々のものだけれど、自然環境と水を巧みに生かしながら
食と農を支えてきた水路は、貴重な国民的資産でもある。
それはとても税金で賄えるものではない。
ボランティアはよそ者だけれど、未来の食と環境と、その土台技術を守る仲間として、
この堰が人を呼び、つないでいるとも言えるのではないだろうか。
堰を守ることは根っこのところでは食糧安保の問題でもある、
とまとめたかったのだが、時間が気になって言い忘れてしまった。
実にプレッシャーのきつい講演だったよ、浅見さん。
多くの方に褒めてはいただいたものの、出来のほどは自分では分からない。
あとはひたすら飲み、たらふく山菜料理を味わい、語り合い、
深夜まで至福の時を過ごさせていただいた次第。
カンパで持参した 「種蒔人」 は、瞬時に空いてしまった。
翌日、小川未明さんから連絡あり、後のほうの記憶がない、とのこと。
「何か失礼なこと言いませんでしたか?」
もったいないことに、当方も、ただただ楽しかった、という残像のみである。
小川光・未明父子や若い研修生たちとの出会いも、堰がくれたものだ。
自然は折り合いさえつければ、たくさんの恵みを与えてくれる。 しかも無償で。
腰は痛いけど。
2010年5月 5日
堰さらいは大人の環境教育?
ゴールデンウィークはマジに会津詣が恒例となってしまった。
5月3日、我々 「大地を守る会の 堰さらい ボランティア班」 は、
渋滞にはまったり迂回したりしながら、
夕刻前には福島県喜多方市山都町早稲谷地区に到着した。
4回目にして出迎えてくれたのは、満開の桜である。
4月の寒さで、稲の苗の生育もだいぶ遅れ気味とのこと。
短い春に、ハチたちもせっせと働いている。
まずはゆっくりと温泉に入って、夜は公民館で、
地元の方や集まったボランティアの方々と 「前夜祭」(という名の飲み会) を楽しむ。
今年はボランティアがさらに増えて、40名を超えた。
大地を守る会からも去年より一人増えて、5名 (+子供一人) の参加である。
しかしその一方で、地元では2軒の農家が耕作をやめたとのこと。
堰の維持は今ではボランティアの力にかかっている、とまで言われるようになった。
「本当にありがたい」 と地元の方々に感謝されたりする。
しかし、この水路を地域の協働で営々と支えてきた歴史に感謝すべきは誰なのか、
堰さらいに参加する人たちは知っている。
4日朝、みんなで作った朝ごはんを済ませて、
7時半から 「総人足」 (全戸総出での清掃作業を地元の人はこう呼ぶ) 開始。
総延長6キロに及ぶ 「本木上堰 (もときじょうせき)」 を、
上流の早稲谷の取水口から下っていく班と、
下流の本木集落から上がっていく班に分かれる。
作業は両班が出会うまで終われない。
僕は今年は早稲谷班に配属される。
下の写真の右手が、早稲谷川から水を引く取水口。
ここから堰に溜まった土砂や落ち葉を浚(さら) っていく。
最初は楽しく会話しながら、それが段々と沈黙の作業に変わっていく。
実は前々日から、またしても腰痛をぶり返してしまった私。
立ったり座ったりがひどく辛いのだが、意地もあって必死で作業する。
時々フォークを杖代わりにして、、、
運動会の前になると熱を出す子供みたい、とからかわれたりしながら。。。
ま、そんなダメおやじの体たらくにかまうことなく、
ひたすら浚う、浚う、のボランティア諸君。
浚う、浚う、浚う。。。
たまさかの休憩時間。
時折は山野の植物を愛でたりもする。
カタクリの花、発見。
しかし・・・くそッ、ピントが合ってないぞ。
午後2時過ぎくらいだったか、ようやく合流。
お疲れ様、でした。
これで今年も水がしっかりつながります。
見てお分かりいただけるだろうか。
この堰には傾斜がほとんどない。
尾根筋に沿って掘られた水路はゆっくりと水を集め、温ませながら里に下りてゆく。
しかも素掘りのままの形が残っている。
掘ったのは江戸時代中期、会津藩の命により寛保7年 (1747年) に完成した。
地形と水の原理を操った土木技術は驚嘆に値する。
以来260年余、部分的に少しずつU字溝などで補修されながら、生き続けてきた。
5月10日にもなれば、この棚田にも水が入ることになる。
この風景すべてを、堰が支えてきたのだ。
公民館前の広場で、お疲れ様会。
例によってサバの水煮缶とお豆腐、そして豚汁に麦酒が振る舞われる。
連れの職員Sは会津若松出身で、今もサバ缶は常備品だと言って、
自分の分も上げると、すかさず受け取る。
ま、こいつが一緒に来てくれる限りは運転を任せられるから、安いものだ。
夜にも地元の方々との 「里山交流会」 が予定されていて、
僕は宴席の前に講演を依頼されていたこともあって、麦酒は控えめにして、
合い間を縫って、別集落にある小川光さんの 「チャルジョウ農場」 を訪ねることにした。
というところで疲れてきたので、この話、明日に続けます。
腰が痛いよ、本格的に。。。。。
2010年4月25日
アースデイ・ちば
4月22日はアース・デイ、「地球の日」。
地球の環境を守ろうよ、そんな気持ちをみんなで表現する一日。
40年前にアメリカ・ウィスコンシン州の上院議員の提唱から始まった
このムーヴメントが日本に上陸したのは88年頃だったか。
今では175ヶ国、5億人が参加する一大イベントになっている。
先週(4/17~18日)、東京・代々木で開催されたアースデイ東京には、
約13万5千人の参加があったとのこと。
大地を守る会も出店したが、当方は三番瀬でのアオサ回収もあって出られなかった。
一週間後の今日、千葉でも開催されたので、駆け足ながら覗いてみた。
会場は千葉市美浜区、「幕張海浜公園」。
京葉線・海浜幕張駅から南に15分ほど歩けば突き当たる。
我が本社からも歩いて行ける範囲にある公園だ。
海浜公園の先にある幕張の浜。
海浜幕張の街自体が埋立地だから、ここは昔の遠浅の海だったところになる。
では、「アースデイ ちば 2010」 の様子です。
このところの天候が嘘のような、暖かい祭り日和になった。
餅つきは自然の恵みを祝う際の定番か。 日本人のDNAが騒ぐ。
フリースペースでは、ダンスの講習(?) でしょうか。 みんなで楽しく踊っている。
大地を守る会も出店しました。
今回は、専門委員会の 「おさかな喰楽部」 と 「原発とめよう会」 が中心になって
準備にあたってくれた。
東京湾アオサ・プロジェクトや宅配のPRも。
ブースを訪ねてくれた方にいろいろ説明する農産チーム、秋元浩治 (写真左)。
風土に根づいた種を守る企画 「とくたろうさん」 を担当している。
なんか・・・熱っぽく語ってるねぇ。。。
海産物や加工品、せっけんの販売も行なう。
こちらはミニ・コンサート。 子どもたちが飛び跳ねている。
おや、お久しぶり。 「オリジナルTシャツ 亀吉」 の小畑麻夫さん。
アパレル会社の役員を辞して、2003年、夫婦で千葉県いすみ市に移住した。
米と野菜を作りながら、地域の人たちともつながって、
移住希望者のための情報発信などに取り組んでいる。
彼が制作した 「おコメのTシャツ」 は、大地内でもファンが多い。
彼が着ている新作が気に入って、1枚購入。
これでコメのTシャツは3枚目だ。
小畑さんから、いすみへの移住希望者向けのガイドブックを頂戴する。
いろんな分野から移ってきた人たちの、生き生きした暮らしぶりが紹介されている。
魅力ある地域づくりは、伝統や地域文化への敬意と新しいセンスによる創造との融合によって
進化していくんだね。
向こうに見える建物は、千葉マリーンスタジアム。
タイガース・ファンには悪夢の球場である。
出店者ものんびりと、自分のペースでイベントを楽しんでいる。
「アースデイ ちば」 は今年で9回目になる。
規模は代々木公園ほどでなくても、全国各地で開催されるようになって、
それぞれに人や団体のつながりができてきているようだ。
ただちょっと物足りなかったのは、なんだろう。
トーンが全体的にヒップな印象で、広がりがもう少しという感じが残った。
しかし、これまで続けてきた人たちに、初参加でそんなことを言う資格はないか。
あんたも眺めるだけじゃなく、もっと伝えていってよ、ということだね。
菜の花だって本来は、観賞してもらうためじゃなく、
種 (次世代) を残すために咲いているわけだし。
2010年4月23日
田植えを前に、水路を清める
桜は散ってもなかなか春の実感が涌いてこないのだけど、
それでも新学期に入ってゴールデン・ウィークの声が聞こえてくると、僕にとっては、
会津の山あいを縫って水を運ぶ、あの堰(せき) の清掃日が近づいてきたことを意味する。
福島県喜多方市山都町の本木・早稲谷地区で、毎年5月4日に行なわれる
本木上堰の清掃作業、通称 「堰浚(さら) い」。
地元では全戸総出で行なわれるため、「春の総人足」 とも呼ばれている。
参加するようになって、もう4回目のGWを迎える。
主催は 「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」。
事務局の浅見彰宏さんからの案内を転載することで紹介に代えたい。
喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、
町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。
周囲は飯豊連邦前衛の山々に囲まれ、
深い広葉樹の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。
そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。
それは田んぼに水を供給する水路の存在です。
水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく山の上部にまで田んぼが拓かれ、
田畑と森と民家が調和した風景が作られているのです。
その水路は 「本木上堰」(もときうわぜき) と呼ばれています。
早稲谷地区を流れる早稲谷川上流部から取水し、右岸の山中をへつりながら
下流の本木地区大谷地まで延々6キロあまり続きます。
水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、
すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。
深い森の中を済んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、
先人の稲作への情熱が伝わってきます。
しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、人海戦術に頼らざるを得ない
この山間の水路の維持がいよいよ困難な状況となってきました。
水路が放棄された時、両地区のほとんどの田んぼは耕作不可能となり、
美しい風景も一挙に失われてしまうでしょう。
そこでもっとも重労働である春の総人足のお手伝いをしてくれる方を募集しております。
皆さん! 先人の熱き想いとたゆまぬ努力が築き上げたこの素晴らしき生活遺産を、
そして山村の美しき田園風景を後世に引き継ぐため、ぜひご協力ください。
作業日は5月4日ですが、早朝から開始するため、前日には現地に集合していただきます。
宿泊は公民館か山荘になります (現地の方にお任せ)。
3日の夜は前夜祭、4日の夕方には交流会が用意されています。
費用は、現地(JR磐越西線・山都駅) までの交通費、宿泊の集会所使用料実費分のみです。
作業着・着替え、軍手、長靴、雨具、洗面具をご用意ください。
もうGWの計画を立てられている方が多いかと思いますが、
もしまだ予定がなく、興味を持たれた方がおられましたら、どうぞお問い合わせください。
「堰と里山を守る会」 では会員も募集中です。
堰さらいボランティアに参加できない方で、ご支援いただける方はぜひ。
(メール・アドレスをつけてコメント投稿していただければ、お返事を差し上げます。)
大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
「種蒔人基金」 を活用して、この堰さらいボランティアに協力しています。
参考までに、過去の日記を貼り付けますので、読んでいただけると嬉しいです。
・2009年5月 5日・・・「 堰(せき) -水源を守る 」
・2008年5月 6日・・・「 水路は未来への財産だ! 」
・2007年7月10日・・・「 日本列島の血脈 」
さらに今年は、喜多方市の市民グループにも支援の輪が広がって、
福島県からもわずかながら助成が下りたとのこと。
そこで交流会でも、真面目なお勉強の時間を設けるとのことで、
なんと僕に、食と農と堰の関わりについて話をしろとのお沙汰である。
腰だけでなく、気まで重たくなっちゃったりして。
ご恩返しになれば幸いであるが・・・
2010年4月 2日
農政はともかく、農は国の礎である。
4月1日午後、久しぶりに東京・霞ヶ関に出向く。
桜がもう満開に近い。
国会議事堂周辺の桜はいつも早くて短いように思うのは、気のせいかしら。
警備員に守られた議事堂を横目に、お隣の由緒ある 「憲政記念館」 に入る。
ここで、『 「農」を礎に日本を創る国民会議 設立総会 』 という集会が開かれた。
「 農を礎 (いしずえ) に、日本を創る、国民会議 」
いかにも硬く、まるで右翼のようなタイトルだが、
「農」 を国民生活を守る大本として育て直さなければならないという強い問題意識での
「国民会議」 結成の呼びかけである。 ケチをつけるのは控えておこう。
大地を守る会会長・藤田和芳も、呼びかけ人の一人として名を連ねているし。
中心となった団体は、NPO法人ふるさと回帰支援センター、全国農業協同組合中央会
パルシステム生協連合会、生活クラブ生協連合会、そして大地を守る会。
「農」 は国の基(もとい)。
「農」 が生む 「食」 なくして国民の命の存続はない。
「農」 は国民の 「礎」 である。
気候変動や新興経済諸国の台頭によって、世界の食糧需給が逼迫してきているなかで、
日本は未だ食糧危機に極めて弱い状況にある。
にもかかわらず農業人口の減少と高齢化、耕作面積の縮小に歯止めがかからず、
市場原理主義の拡大と世界的不況は、農業経営をさらに悪化させている。
国の基である 「農」 を再生させ、日本の 「食」 を安定的に確保するために、
農業・農村を元気にすることが必要であり、市場原理主義と規制緩和を見直し、
食料自給率の向上をはかるとともに、
食料安全保障を国家戦略として明確に位置づけることが必要不可欠である。
(「国民会議」設立趣旨から要約)
赤松広隆農林水産大臣が来賓として来られ、賛同のエールが贈られた。
設立趣旨や規約、活動方針案が提案され、承認を受ける。
活動方針案を読み上げる藤田会長。
主な活動計画は、
1.食料安全保障政策を立案し提案すること。
2.それを社会のコンセンサスとするため、
各界への働きかけやシンポジウムの開催等を展開する。
3.生産、流通、消費の各分野に 「国民会議」 への参加を呼びかける。
4.情報発信、メディア対策、出版の検討、など。
役員の選出では、
早稲田大学副総長の堀口健治氏はじめ6名の役員が選任された。
大地を守る会からは野田克己専務理事が入る。
役員会から委嘱の形で5名の顧問が選出され、藤田が常任顧問となる。
総会終了後、
首都大学東京(旧東京都立大学) 教授、宮台真司氏による記念講演が行なわれた。
テーマは、「日本の農業と食料安全保障 ~若者にとっての農村回帰の意味」。
宮台真司氏。 サブカルチャーや若者文化論から天皇制まで語る気鋭の社会学者。
メディアにもよく登場し、著書も多い方である。
宮台氏は語る。
「農業の再生」 と言うが、社会はつまみ食いができない、ということを忘れてはならない。
「農業」 だけを切り取って 「再生」 するのは不可能で、
社会の様々な側面も同時に変えていかなければならない。
先進国最低水準の食料自給率は社会指標のひとつであるが、
他にも自殺率の高さ、労働時間の多さ(=社会参加の低さ)、
家族のきずな度、幸福度などの指標も、日本はかなりの低水準である。
幸福度調査では日本は90位以下。
物質的に貧しい、将来的に危ない、といわれる国の人たちのほうが、
日本人より、シアワセ感が高いとはどういうことか。
この国の社会には大穴が開いている。
農業を保全しなければならない理由は3つだと思う。
国家の安全保障と、国民への " 食の安全 " の確保、そして国土保全、である。
日本では安全保障の概念が理解されておらず、
危機に対する思考を持った政策をつくれる人がいない。
食の安全の観点も、ただ有機栽培とか無農薬といったレベルで考えるのでなく、
食の安全思想の基本は、「みんなのために-」 というモチベーションではないだろうか。
ヨーロッパのスローフード運動には、共同体思想が根幹にある。
国土保全とは、単なる景観でも多面的機能とかでもなく、
社会のホームベース (人が帰れる空間) を分厚くする、ということだ。
日本は経済(お金) だけを追い求めてきた結果、
人や地域との絆、つまりホームベースを壊して、ただ便利なところに流れている。
アメリカだって、本当は市場原理主義の国ではない。
共同体的自己決定の思想と市場原理をどう折り合いつけていくかを考えているのが、
アメリカやヨーロッパである。
日本は市場原理主義こそが権威と勘違いして、生き残れるはずの思想を失った。
日本農業の再生の真の意味は、自給率や食の安全や就業人口を増やすことなどが
個々に課題としてあるのではなく、
" つながり・絆 " をベースにした安心度の高い社会の再生、にあるのではないか。
僕流に解釈してしまったところもあるかもしれない、と断りつつも、
随所で、なるほど、そういうことか、と感じさせられた。 さすが、である。
「では、どうしたらいいのか」 という会場からの質問に対する宮台氏の答えは、
「単純な解はない」 と明快である。
まあ、これは俺たちが可視化していくしかない、ってことだね。
今日、地方紙の新聞記者さんが、
4月1日からスタートした戸別所得保障制度についての考えを聞きたい、と取材に訪れた。
この制度については、僕は一切のコメントを控えてきた。
「農業の再生」 という観点からはマイナスにしか見えない、と思いつつも
今後の動きが読めないし、とにかくよう分からんところがあり過ぎるのだ。
今日は宮台氏から頂いた視点をちょこちょこと拝借し、はぐらかしながら、
最後は持論で締めさせていただいた。
農業の外部経済 (生産された食べ物の値段以外のたくさんの価値) を理解できる
民意づくりこそが大切であり、そのための政策が必要である。
食の安全保障は、農民の所得を保証する前に、消費者の問題だからである。
2010年3月14日
農はいつもそこに・・・「農と自然の研究所」 解散
昨日は朝から春嵐の一日。
御茶ノ水から本郷に向かう聖橋の上で、
僕は思わず、懐かしいアリスの歌の一節を口ずさんだのだった。
春の嵐が吹く前に 暖かい風が吹く前に
重いコートを脱ぎ捨てなければ 歩けないような そんな気がして
なんて曲だったっけ・・・・・
出かけたのは、先日も報告した宇根豊さんが代表理事を務める
「農と自然の研究所」 の解散総会に出席するためだった。
「農と自然の研究所」 という団体があった・・・・
こんなにすぐに過去形で言われると・・ つらくなる。
会場は、本郷・東京ガーデンパレス。 最後の総会とあって、ちょっと気張ったか。
宇根豊さんについては、もういろいろと書いてきたので、いいよね。
僕にとっては、常に道しるべのように前を歩いてくれた人だ。
最後の総会の記念講演は、この人。
農民作家、山下惣一。
この人に最初に会ったのは、20年くらい前の (もう正確に思い出せない)、
九州・長崎での 「百姓一揆の会」 だったか。
言うことはやはり常人と違うところがあったが、飲めばただのオッサンだった。
今も変わらず、毒舌は衰えてない。
宇根さんと歩んできた時間を面白おかしく振り返りながら、
「宇根豊をこの時代に輩出したことのシアワセ」 は、山下さんも感じていることだった。
農薬を撒けという指導は机の上でも出来るが、農薬を撒くなという指導は
田んぼを見なければ出来ない。
宇根豊が出てくるまで、こんなことを言う普及員はいなかった。
息子が農薬を撒かんのですよ。 聞いたら 「虫がおらんから」 という。
そんなこたあないだろう、と虫見版で確かめたら、ホンマにおらんとですよ。
いかに上からの指導がおかしかったか・・・
生産から消費までの間には様々な行程があって、昔はそれらがみんな
農業の中にあった。種を採ることから肥料も農薬に相当する作業も、食品加工も・・・
それがそれぞれ産業になって、いつの間にか生産だけが取り残された。
百姓仕事の復権に、宇根はたしかな仕事をしてくれた。
時代は少し、彼によって動いたように思う。
虫身板に続くヒット作となった、「田んぼと生きもの」 下敷き。
そのポスターを前に語る宇根豊。
こんなクソ忙しい、食も何もかもグローバル化した時代に、
「おたまじゃくし ● 匹と一緒に育つ稲株 ● 株=ごはん ● 杯」
という計算をした人がいたのだ。
今日の宇根さんは作務衣ではなくて、ブレザーだった。
こんなに生きもの(=自然という世界) と百姓仕事のつながりに執着して
思索した人はいない。
僕らが、今で言う 「生物多様性を育む農業」 の世界を、もっと豊かに語りたい
という情熱を持てたのも、彼の存在があったからだ。
総会後の懇親会で、一枚頂く。
僕の前に座っているのは、大地を守る会の産地監査でお世話になっている
(有)リーファース代表の水野葉子さん。
宇根さんの右隣の方は、静岡でお米を作っているという方。
「農」 はいつも、そこに、あたり前にあった。 今もあるのだ。
しかし・・・ 「近代化」 とは何だったのだろう。
「まなざし」 を失った環境論は、おかしい。
「食べもの」 とは紛れもなく自然の恵みなのに・・・・・
百姓は 「儲かる農業」 を目指してしまったがゆえに、産業に敗北してきたように思う。
「カネにならない百姓仕事」 が風景を育ててきたことに、少しは光を当てられたように思う。
20数年の思いを伝えたくて、手を挙げてしまう。
(写真提供:山崎農業研究所・田口均さんより)
虫見版
- それは百姓に向かって 「自分で見て、考えろ」 と発している
メッセージのように思えて、僕はただ物真似をしました。
ただの虫
- この概念をもらったことで、今まで見えなかった虫の姿が見えてきた。
本当に見えてきたのですよ、こんな僕にも。
「まなざし」 という言葉の意味を、少しは捉えたように思ったことがあります。
ただの虫を無視しない農業
- 生物多様性という視点よりも何よりも、僕はここでようやく、
有機農業と平和の思想をつなげることが出来たのです。
そして、風景論へ。 まだまだ付き合わせていただきたい。
20代後半から秘かに学ばせていただき、手前勝手に 「情念」 を共有させていただき、
ようやく僕は、「田んぼスケープ」 まで到達した。
これが今の、僕なりの風景論への挑戦である。
宇根豊が終わるとも、枯れるとも思ってないので、
いったん野に放たれる宇根さんに、感謝とともに乾杯を。
「10年で終える」 を貫徹した、見事な仕事っぷりだと思う。
新しい春を告げる風を受けながら、
僕は僕の10年を貫徹したい、と思う。
2010年3月12日
丸の内地球環境倶楽部
いま、東京のど真ん中で、食と環境の議論が繰り広げられている。
しかも、かなり魅力的な人たちが集まって、
本気でこの街を変えていこうと、いろんな試行が始まっている。
エリアは大手町・丸の内・有楽町で、総称して大丸有 (だいまるゆう) という。
そのエリア内の地権者や店舗経営者、シェフたちが集まって、
「安全・安心を基本にした食の提供」 「環境と調和した食スタイルの提案」
「持続可能な街づくり」 「自給率の向上への貢献」 などのテーマに対して、
具体的にどう切り込んでいくかの議論が進んでいるのである。
そのネットワークと場づくりを提供しているのが、「丸の内地球環境倶楽部」 。
前にも紹介したエコッツェリアを拠点に展開されている。
「地球環境倶楽部」 自体は、食に関する活動だけでなく、
広く都市社会をどう持続可能なものにするか、
人々の感性を豊かに育てられる街のあり方はどうあるべきかという視点で、
いろんなイベントやセミナーを開催してきている。
食についても、すでに 「食育丸の内」 とか 「丸の内丸シェフズクラブ」 と銘打って、
レストランのシェフたちが連携して、生産者とつながって国産食材の大切さを訴えるなど
の活動を行なってきているのだが、
いよいよもって、これを本格的な都市の取り組みとして進めるための
ワーキング・グループがつくられ、
今日はその2回目のトークセッションが開かれた、という経過である。
実は1回目のトークセッションが開かれたのが2月12日で、
僕はパネリストとして、有機農業と環境や生物多様性との関係について
話をさせていただく機会をもらった。
また昨年の暮れには、この展開の基本コンセプトづくりの打ち合わせにも呼ばれていて、
そんな手前、このワーキング・グループにはきちんとお付き合いせねばならない、
と思い定めている。
1回目のテーマは、「都市が食と農に果たすべき役割ってナニ?」。
パネリストは、農林水産省大臣官房政策課長・末松広行さん、
東京農大准教授・上岡美保さん、そして私。
大丸有で、生産地や自給率向上に貢献できる仕組みができないか、
またこのエリアとして持つべき食の理念をどう築いていくかが、話された。
(上記3枚の写真は1回目の様子。 ソニー・ミュージックコミュニケーションズの
榎本洋子さんからご提供いただきました。)
そして今回の2回目のテーマは、「食と農の現場で、都市は何ができますか?」。
生産者とつながりながら 「サステナブルな食」 を築くには、
どんなアクションが必要なんだろう-。
パネリストは、新丸ビル内で生産者の顔が見える食材でレストランを運営する
「MUSMUS」オーナー・佐藤としひろさん、
千葉の農事組合法人「和郷園」代表・木内博一さん、
東京農大教授・長嶋孝行さん。
トークセッションでの論議は、まだイメージの域を出ないところもあるが、
これからだんだんと本論に入っていくことになるだろう。
パネリストの方々のお話も詳しく紹介したいが、書き出すと終われなくなるので、
今日のところは、東京駅周辺で、こんな動きが起きているという
" さわり " 程度の話で、お許し願いたい。
何といっても、昼間の人口が24万人というビジネスセンター、
巨大な胃袋密集地が相手である。
どこからどんなふうに手をつけていくか、悩みつつも、
けっこうゾクゾクしていたりして。
ちなみに、「食育丸の内」 では現在、丸の内シェフズクラブのシェフ4名が
プロデュースした 「スペシャルシェフのまかないカレーライス」 というのが開催されている。
エスニック・イタリアン・フレンチ・中華のシェフが、
地元・東京野菜を使って考案したオリジナル・カレーの競演。
場所は「丸の内カフェ ease 」。 3月26日まで。
詳細はホームページにてご確認を。
2010年2月25日
宇根豊さんを囲んで
21日の日曜日の午後、エキュート大宮を覗いたあとで、
秋葉原にある日本農業新聞社という新聞社に出向いた。
ここの会議室で、「宇根さんを囲む会」 なる集まりが開かれたので、
遅まきながら報告しておきたい。
宇根豊さん。
このブログでも何度となく登場していただいている、" 農の情念 " を語る人。
長く農業指導にあたった公務員職を投げうって、10年限定の活動と定めて
NPO法人「農と自然の研究所」 を設立したのが2000年の時。
早いものでもう10年が経ってしまった。
3月の解散総会を前に、
宇根さんに触発されながら生きてきた人たち有志による、小さな集まりが企画された。
研究所の解散を惜しむ人はあまりいない。 これで宇根豊が枯れるワケじゃないから。
むしろこれからの宇根ワールドの展開を期待しつつ、
これまでの労をねぎらいたい人、感謝する人、注文をつけたい人、
農業団体の方、林業家、研究者、マスコミ人、出版人、市民団体のリーダーなどなど
各方面から約30名ばかりが集まった。
こういう会にお声かけいただくとは、光栄なことだ。
ここは女房に何と言われようが、出なければならない。
(別に何か言われたわけではないけれど、決意の程の表現として-)
この日の宇根さんの話は、研究所10年の活動を振り返るようでいて、実は
宇根さんが 「虫見板」 なる道具を使って害虫の観察を指導した頃からの、
30年で到達した地平と、まだ出ていない " 解答 " について、だった。
「10年で、まあまあ布石は打てたか、と思う。
生き物調査は、生物多様性農業支援センターに引き継がれたし。」
「さて、虫見版はどこまで深まったのだろうか。。。ということです。」
ここで宇根さんが描く次の地平を語る前に、
改めて宇根豊がいたことによって開眼された世界を振り返ってみたいと思う。
この席に呼んでもらった者の仁義として。
僕なりに時系列的に追ってみると-
虫見版は当初(80年代初頭)、害虫対策として始まった。
ただ言われた通りに農薬をふるのではなく、
たとえばウンカが今どれくらいいるのか、どの生育期にあるのかを確かめた上で、
「適期(最も効率のいいとき) にふらんといかん」 という、
極めて当たり前のようでいて、当時の上からの一律的な指導とは一線を画すものだった。
そのことは、田んぼの状態は一枚一枚違うのだということを思い出させ、
また自分の判断で農薬を撒くという主体性を取り戻させた。
結果的に農薬散布回数は劇的に減っていったのである。
それは 「減農薬運動」 と称されて注目を浴びるのだが、
しかし 「減~」 であるゆえに、有機農業側からは、自分たちとは違うものとして扱われた。
虫見板(による減農薬運動) の普及は、
百姓 (ここは宇根さんの表現に倣って使わせていただく) たちに虫を眺める姿勢をもたらした。
そこで発見されたのが、「よい虫・悪い虫・ただの虫」 という概念である。
田んぼには、害虫や益虫だけでなく、
実にたくさんの " どっちでもない、よく分からない " ただの虫たちがいるのだ。
しかもその数は、益虫よりも害虫よりも、圧倒的に多い。
(ちなみに、宇根さんたちがまとめた生きものリストでは、害虫より益虫のほうが多い。)
その虫たちの名前を知りたい (名前で呼びたい)、
どんなはたらきをしているのかを知りたい、という欲求は、さらに観察力を高めた。
そしてそれまで見えていなかった世界をつかむことになる。
トビムシはワラの切り株を食べて土に還すはたらきをしている、という発見。
虫たちのためにも農薬をふるのをやめよう、という感性の復活。
虫たちが食い合いながら共生して田んぼの豊かさをつくっているという、
今でいう生物多様性(生命循環) と、百姓仕事がつながっているという世界の獲得。
「宇根さん。今年、ウチの田んぼでタイコウチが見つかったんだよ! 30年ぶりかなあ。」
「あんたは30年ぶりに見たかもしれんが、タイコウチは30年、あんたを見とったとよ。」
「そうなんだよ。そうなんだよ。」
この世界は、田んぼだけのものではない。
見渡せば、風景そのものが生きものたちで構成されている。
ヒトはそれらを手入れしながら、一緒に生きてきたのである。
生物多様性と農業のかかわりが見つめ直されてきた時代にあって、
今では有機農業者たちも、宇根さんたちが獲得してきた世界と思想から学ぼうとしている。
そして、宇根さんがこれからまとめようとしているのが、「風景論」 である。
自然は生命の気で満ち満ちている(天地有情)、その生命たちで構成された風景をこそ、
私たちは美しいと感じるのではないか。
さて、この世界を百姓仕事の側からどう表現するか・・・・・
「自然」 と言わず 「天地」 と語り、
「景観」 と言わず 「風景」 と語りながら、宇根さんはまだ深く言葉を探し求めている。
参加者の中から、北の宮沢賢治に南の宇根豊、という言葉が漏れた。
う~ん、分からなくもない・・・・・
脳裏にあるのは、たとえば賢治の 「農民芸術論」 だろうか。
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ。
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。
ここにはわれら普段の潔く楽しい創造がある。
都人よ 来ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ。
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
・・・おお朋だちよ。 いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と
われらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・
「景観」 とか 「自然」 とか 「多様性」 とか 「農業技術」 とか、
口に出した瞬間から、思いが指の間からこぼれ落ちていくような焦燥とたたかっている
彼の追い求める道が、農民の芸術を創り上げたいという渇望にも通じているとするなら、
たしかに彼は " 農の思想家 " であるのみならず、
農民、いや " 百姓の芸術 " 論を紡ぎ出すことのできる、希望の一人だろう。
帰りたがらない一行は、アキバの中の古民家づくりの居酒屋で気炎を上げる。
宇根さんを囲んで宇根豊談義は尽きず、
まあ実に熱い人たちだ。
虫見板からはじまって、6000種に及ばんとする田んぼの生き物リストの完成まで、
実にたくさんの 「語れる道具」 を編み出し、惜しみなく僕らに与えて、
「農と自然の研究所」 を約束どおりきっちりと閉める宇根豊の表情は、
少し晴れやかにも見える。
彼の思索はまだまだ続くのだが、僕らもただ彼の仕事を待つのでなく、
歩かなければならない。
あさっての東京集会で世に出る 「たんぼスケープ」 は、
実は僕なりの 「生きもの語り」 「風景の発見」 「まなざしを取り戻す」
ネットワークづくりへの挑戦でもある。
2010年2月 9日
東京うんこナイト
先週は宮城から帰ってきてから、ついに溜まった宿題に沈没。
4日に開かれた最後の合同新年会・茨城編をパスする羽目になってしまった。
行方市での有機農業モデルタウンの報告をお願いしていた濱田幸生さん、すみません!
とことん議論しよう、と内心楽しみにしていたのですが、まことに残念。
今度改めて伺える時間を取りたいので、どうかお許しください。
と、そんな言い訳をしながらも、翌 5日の夕方には、
周りの目を気にしつつ、不審なトーク・セッションに出かけてしまうワタシがいた。
この世界に生きていると、時折とんでもない人に出会うことがある。
経験の蓄積とともに、たいがいのことでは驚かなくなるのだが、
今回はかなり度肝を抜かれた。
久々に、過激な確信犯に出会った、という感動である。
イベント・タイトルは、「東京うんこナイト」。
(このタイトルゆえに、一般紙での案内掲載はことごとく断られたらしい。)
場所は新宿・歌舞伎町のトークライブハウス、「ロフト・プラスワン」。
潰れちまった新宿コマ劇場前の、コンビニ店脇から地下に降りた、妖しげな空間。
ああ、70年代にもあった、ような・・・・
そこで出会った男の名は、井沢正名(いざわ・まさな) さん。
肩書きは褌(ふんどし)、じゃなかった 「糞土師」。
どう言ったらいいんだろう。 早い話が 「のぐそ」 で生きている人なのだ。
水洗トイレでのうんこを拒否して36年。 一日一便 (びん、じゃなく、べん)。
積み重ねてきた 「のぐそ」 が1万●●●●回 (メモし忘れた)。
「人間が作り出す最高のもの、それは・・・うんこしかない!と思うのです。」
生物の命を食べて生きていることへの恩返しとして、自然に返す、をひたすら実践してきた。
これはただのヘン人ではない。
彼の著書 『 くう・ねる・のぐそ -自然に「愛」のお返しを 』 (山と渓谷社刊) から
その経歴を見れば、筋金入りだということが読める。 長いが引用したい (一部略)。
1950年、茨城県生まれ。中学、高校と進むうちに人間不信に陥り、高校中退。
1970年より自然保護運動をはじめ、1975年から独学でキノコ写真家の道を歩む。
以後、キノコ、コケ、変形菌、カビなどを精力的に撮り続け、長時間露光の独自の技術で、
日陰の生きものたちの美を表現してきた。
同時に1974年より野糞をはじめ、1990年には井沢流インド式野糞法を確立。
2003年には1000日続けて野糞をする千日行を成就。
2007年、「野糞跡堀り返し調査」 を敢行し、それまで誰も見ようとしなかった、
ウンコが土に還るまでの過程を生々しく記録した。
主な著書・共著に 『キノコの世界』、『日本のキノコ』、『日本の野生植物、コケ』、
『日本変形菌類図鑑』 などがある。
錚々たる作品歴を持つ、立派なキノコ写真家なのである。
まあだいたいこのブログを覗いてくれる常連の方には、
もう文脈はご想像いただけるだろうか。
キノコとは菌であり、多種多様な微生物とともにある必須の自然界の分解者であり、
有機物 (炭素) の循環と土づくりの大切な担い手である。
免疫力を高める食用価値のあるものから人を死なせる力を持つものまで、
その種の多様性も、実にあなどれない。
井沢さんは、そんなキノコに取り(撮り?) つかれた人生から始まり、
ヒトの排泄物が自然に還っていない現代都市文明の矛盾に対する敢然たる意思表示として、
ウンコを自然に還す生き方に至ったようだ。
写真左で語っているのが井沢正名さん。
自宅(茨城県某所) の裏山の雑木林に、毎日、印をつけながらウンコをして、
それを掘り返しながら、自然に還っていく経過を記録した。
カメラに収められた映像は、自然界の生命循環そのものである。
もちろんその目線にあっては、キノコは日陰者ではない。 主役の一人である。
この 「テッテー的に記録した」 というのが、アブナイ人と講演料を取る人の分岐点である。
(ワインを飲みながら生々しい写真に驚嘆する参加者も、なかなかの人たちだ・・・)
井沢さんの講演の後、しばしの休憩を経て、第2ラウンドとなる。
もう一人のゲストは、日本トイレ研究所の上幸雄さん。
第三世界の人々のために衛生的なトイレを普及させる活動から始まった団体で、
神戸の震災経験などを経て、都市での災害時のトイレ(排泄) 対策や公衆トイレの問題など、
トイレ環境の改善をテーマに活動している。
水洗トイレの問題にも詳しく、上さんの説明によると、
汚泥の最終処理は、かつての海洋投棄や処分場埋設を経て、
今は焼却処分されているようである。 井沢さんが怒るのも、分からなくもない。
上さんは、井沢さんの思想には共鳴しつつも、現実論として
排泄物をリサイクルできる技術を提案したい、というスタンスである。
詳しくは著書
『ウンチとオシッコはどこへ行く -水洗トイレの深ーい落とし穴 』 (不空社刊)
を参照とのこと。
実は、上さんとは20年ぶりくらいの再会である。
こんなところで会えるとは・・・・うんこよ、ありがとう。
現在のし尿処理を経て作られる人糞由来の肥料 (汚泥肥料)
には化学物質などの問題もあり、単純に土に返せばいいとは言えない。
有機物を土に返す技術をベースに持つ有機農業でも、
今の有機JAS規格では、人糞利用は認められていない。
そこで有機農産物の流通に携わる大地を守る会のエビちゃんという人が出てきて、
いろいろ知ったかぶりに解説したりして、最後は3名+司会でのセッションとなる。
司会は、今回の仕掛け人、山と渓谷社の斉藤克己さん。
5年前、大和川酒造さんとの縁で、一緒に飯豊山に登ってからのお付き合いである。
井沢さんがスライドで見せたところの、菌や小さな分解者たちの手によって
ウンコが腐植土へと変わってゆくプロセスは、有機農業における堆肥づくりと同じである。
僕なんかが理屈で説明するより、すべての人の日々の行為の結果である排泄物から
生命循環の世界を見せることの、けた外れの説得力は、
正直、「目からウンコ!」 の感動モノだった。
ただもうひとつ、僕が伝えたかったのは、井沢さんの思いは良しとしても、
今の私たちは何を体に入れているのかも問題にしないといけないのではないか。
つまり健全なウンコを出せる暮らしをしたいものだ、ということ。
食べ物の出入りの収支も完全に狂ってしまっているしね。
自給率40%の国で、メタボ状態になって生ゴミを捨てている状態を見つめることも、
できればして欲しい、とつけ加えさせていただいた。
人糞のリサイクルとは、いわば食(=生命) のサイクルと同義だと思うので。
そこで司会の斉藤克己氏が、江戸の話をしろと水を向ける。
たしかに江戸の街は、その点ではすごかった (らしい) 。
人糞は買い取られ、運ばれ、武蔵野の大地を潤した。
100万都市で自給が成立した、世界でも稀有なモデルである。
しかも、街は美しかった。
見たわけでもない人間が解説しても説得力がないので、一冊の書物を紹介した。
渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー)。
明治初期に日本にやってきた欧米の知識人たちが残した紀行文や記録を辿って、
当時の風景や文化の諸相を再現した名著である。
間違いなく世界で最も衛生的な都市であり、質素で、礼節があり、
子どもたちがほがらかに笑っている、そんな国が描かれている。
たとえばこんなふうに-
「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。 山の上まで見事な稲田があり、
海の際までことごとく耕作されている。 おそらく日本は天恵を受けた国、
地上のパラダイスであろう。」
文明の劣った国だと思ってやってきた欧米人に、こんな感嘆の声を発せさせた日本は、
残念ながら、もうない。
この時代の美しさを支えたのは、排泄物を土に還すインフラの存在である。
井沢さんの実践と観察からの計算によれば、一人あたり1アールの土があれば、
日本人みんなが毎日 「のぐそ」 をしても大丈夫なのだと言う。
クソ真面目に反応すれば、都会に人が集中している限り不可能な話ではある。
ではあるが、今の私たちの暮らしを見つめ直してみる素材としては、
これに勝るものはないかもしれない。
彼が都会に出てきたときにやる 「のぐそ」 については、僕の口から喋るのは止めておこう。
とりあえず法律とは違ったモラルをもって実践している、とだけは付記しておく。
彼は紙も使わない。 その営み時に使う葉っぱの研究にも余念がない。
彼はそのモラルと、生命の循環につながる歓びを武器に、
国家権力ともたたかう決意をもって生きている確信犯である。
権力が相手にするかどうかは別として。
あっという間の3時間だった。
美しいキノコや人糞が土に還るまでの実写の威力は、
僕の口先の有機農業論よりずっと説得力があったのは、
口惜しいかな、認めざるを得ない。
斉藤さん。 呼んでくれてありがとう。
忌み嫌い、隠しつつ、しかし避けられない排泄行為と 「うんこ」 という現実からの
循環と生物多様性の論理は、とてつもなく刺激的だったよ。
「食」 の現実や水循環の問題など、もっと語り合いたかったけど、
まあ今回はよしとしよう。
心残りなのは、「明日のウンコを、今日のうちにやっておく」
などという技がどうしてできるのか、その極意が分からなかったことである。
( ※ 2枚目からの写真は斉藤克己さんから提供いただいたものです。 )
2010年2月 7日
映画情報(補足)
1月31日に紹介した2本の映画、「ブルー・ゴールド」 と 「アンダンテ」。
改めて公式HPを見ると、ちゃんと各地での上映日程が出ていました。
「アンダンテ ~稲の旋律~」 HPはこちら。
「ブルー・ゴールド ~ねらわれた水の真実~」のHPはこちら。
→ http://www.uplink.co.jp/bluegold/
サム・ボッゾ監督は来日されていたようで、
昨日の朝日新聞(朝刊) にインタビュー記事が掲載されてましたね。
「映画のメッセージは、水不足の国よりも豊かな国にとって、より重要な意味を持つ。
自国の水資源が他国のターゲットになるかもしれないということを
意識できるだろう」 と語っています。
水源地とは、中山間地のこと。
過疎・高齢化・耕作放棄・限界集落・・・と、他人事のように評論しているあいだに、
中国資本が山間地を買い占め始めているという噂を聞いたのは数年前のことです。
今もって事実は分かりません。 ジャーナリズムも追いかけてないようです。
水の豊かな、緊張感のない国、でないことを祈りたいものです。
おススメ映画情報の補足でした。
2010年1月31日
水戦争と 稲の旋律
今日はふたつの映画を観た。
場所はともに 「ポレポレ東中野」。
ひとつめはこれ。
世界の各地で不気味に進む水の私物化 (水の危機) と、
噴出する争いや悲劇を描いたドキュメンタリー作品。
水に恵まれた日本ではまったく信じられないような恐ろしい出来事が、
世界の各地で起きている。
原因は、この星に生息するすべての生命体にとってのコモンズ (共有財産)
であるべき 「水」 が、特定の企業に奪われていっていることにある。
これはSF映画なんかではなく、
上下水道システムの民営化とか水源地の買い占めだとか、現実に進んでいる話であり、
争いで人が死ぬ事態まで起きている、生々しい 「今」 の記録映像である。
内容を解説しようとすると、映された現実を長々と追っかけてしまいそうで、やめたい。
ここでは、この映画の原典となった本がすでに邦訳されているので、
その紹介をもって替えることにしたい。
『 「水」 戦争の世紀 』 (集英社新書、760円+税)。

「水のない惑星を救える科学技術など存在しない」
「資源の配分は支払い能力によって決定される」
「生態系から湧水を取るのは、人間から血液を抜くのに等しい」
本書では、水や水源が一部の企業に独占されることによって起きる恐ろしい事態を
告発するだけでなく、農薬・化学肥料に依存した農業やグローバリゼーションによって
進む汚染、生物多様性の減退、要するに生態系そのものの危機を訴えている。
映画監督サム・ボッゾは、水がなくなった地球を描くSF映画を構想中、本書に出会い、
今地球で起きている現実を撮らなければならないと決意したのだ、と語っている。
世界中の現場を回り、科学者や環境活動家と語り、映像によって、
世界が 「水」戦争 (水パニック) の時代に入っていることを可視化した。
「ブルー・ゴールド」 -青い黄金。
21世紀が、水という究極の生命資源を奪い合う時代になろうとは・・・。
終末論者になってしまいそうになるが、
希望は、未来への責任を果たそうとする人たちの存在である。
登場する人々は力強く行動し、語りかけ、観る者を励ましている。
残念ながら観るのが遅くて、ポレポレ東中野での上映期間は2月5日まで、とのこと。
スミマセン。 今後の上映予定もよく分かりません。
いずれDVDで。 当面は本だけでも・・・・・
さて、続いては、こちら。
お昼もとらず、出口から入口の列に直行。

(画像がモノクロなのは、カラー・スキャンができなくなったプリンターのせいです。)
金田敬監督、新妻聖子主演 - 「アンダンテ ~稲の旋律~」。
原作は、旭爪(ひのつめ) あかねの同名小説。
絶望的な水戦争の映像を見せられたあとで、ニッポンの美しい風景を眺める。
引きこもってしまった女性に生きる喜びを与える、田園と農の力。 もちろん人のつながりも。
水はなんとも美しく、豊かに流れている。
女性を救う農民を、筧利夫が好演している。
ああ、もう解説はいいよね。
ドラマの筋立ても泣けるが、先の映画の影響が強くて、
" 僕らはまだ、水に守られている " という歓びと安堵に浸ってしまったのでした。
水の共同体を支える水脈を、僕らは死守しなければならないよ。
人類の未来のためにも。
こちらは12日まで上映中です。
おそらく各地でも上映されると思うので、よろしかったら。
2010年1月27日
木村秋則さん
・・・の名前は、ご存知の方も多いことかと思う。
青森県中津軽郡岩木町のリンゴ農家。
このブログをチェックする方なら、すでに木村さんと直接話をしたり、
現地の見学までされた方もおられるのかもしれない。
不可能といわれたリンゴの無農薬栽培に挑み、しかも無肥料で実現させた方。
彼のリンゴは 「奇跡のリンゴ」 と言われ、
一昨年にはNHKの人気番組 「プロフェッショナル ~仕事の流儀」 に登場して、
時の人になった。 その後、本も何冊か出版されてベストセラーになっている。
農業関係では、異例の社会現象である。
僕も木村さんの著書は読ませてもらったが、お話を聞く機会はなかった。
実は大地を守る会でも、講演と見学を申し込んだ経緯があるのだが、
園地の見学はお断りしているとのことで、残念ながら実現しなかった。
そんなワケで、木村秋則さんの名は僕らには実に気になる存在としてあったのだが、
昨年の暮れ、知人から講演会のチケットを譲ってもらうという幸運に恵まれた。
1月24日、日曜日。 場所は埼玉県ふじみ野市。
3~400名くらいは入ろうかという会場が、満杯だった。
木村さんの話し口調は、テレビや著書で感じていた通りの実直さで、
苦節10年、どん底まで見てきた方だから出せる優しさと、そして強さを感じさせた。
ひと言ひと言、丁寧に言葉を選びながら、しかも途切れず話を続けるなかに、
ゆるぎない自信も垣間見せながら。
木村さんが無農薬・無化学肥料でのリンゴ栽培に移行したのが1978年。
きっかけは農薬によるご自身と家族の健康被害だった。
それもつらかっただろうが、しかしその後の苦難も、聞けば聞くほど壮絶である。
病気で葉っぱが落ち、夏に枯れ木のようになったリンゴからは実はできない。
収入が途絶え、木村さんはいろんな働きに出るのだが、
その10年を僕が解説するのは憚れる。 とても出る幕ではない。
言えることは、この人は、その間も執念をもって樹とその周辺を観察し、
土壌の下まで調べ、虫を眺め続け、相当な研究と勉強を重ねたことだ。
木村さんは語る。
「虫が涌くのは、土のバランスが悪いからではないでしょうか。
害虫は、人が食べてはいけないものを食べてくれているように思うのです。」
木村さんが、書著 『リンゴが教えてくれたこと』 (日経プレミアシリーズ) のなかで、
「高かった本も買って読んだ」 と書かれてある J.I.ロディル著の 『有機農法』
(一楽照雄著、農文協刊) には、こんなくだりがある。
「ほかのすべての虫も、自然の総合計画のなかで、それぞれ特殊の役割を果たしている
のであろう。 害虫は植物の病気の原因ではない。
彼らは、生育が不完全であるとか、その植えられている土壌の肥沃度がたらないとか、
作物に何らかの不都合がともなっていることを指摘する自然からの使者である。」
語りかけ続けた樹は枯れなかった、とかいうくだりは、
実は僕も、稲作体験などで思い当たった経験を持っている。
科学的立証はない。 まだない。 ただ昔の人は、みんなそう言う。
これって何だろう。 オカルトで済ましていいのだろうか。
「結論は、未来に期待すべきである。」 (上掲・ロディルの 『有機農法』 の一説)
が冷静な姿勢だろうか。
しかし一点、これだけは納得できない。
木村さんは、ご自身の自然栽培と、有機栽培、そして一般栽培の米や野菜の保存試験をして、
スライド写真を使ってこう言うのだ。
自然栽培は枯れてゆく。 しかし有機JAS農産物は腐る。 一般栽培はもっと早く腐る。
この論法は、危うい。
" 腐る " という行程は腐敗菌との関係だろうから、
自然栽培でも傷があって菌と接触すれば腐るのではないか。
それに僕自身、有機栽培の人参が見事に枯れた状態になっていたのを、
我が家で確認したことがある。 そんな単純明快な話ではないと思うのである。
この論にこだわってしまうのは、正直に言えば、
僕が有機農産物の流通に携わっているから、でもある。
木村さんが個人的実験で確信を持ったのなら、まあしょうがない。
しかし嫌なのは、それを自社の宣伝に使う人たちがいることである。
いざそこの店に行けば木村さんのリンゴはなく、
特別栽培のリンゴが売られていたりすることに、セコい僕は違和感を感じてしまうのだ。
あらゆる技術には発展段階があり、仲間が増えれば増えるるほど
育てるべき人は増えるのであって、その段階を批判してはならないのに、と思う。
木村さんでも 「堆肥を使うときは、完熟にしてね」 と言っているのに、
堆肥利用をまるで 「自然栽培以下」 と語る人たちがいる。
僕は、肉を食べる以上、家畜の糞尿を良質な堆肥に変えて土に返す有機農業の技術を、
資源循環の観点から否定することはできない、と思う立場である。
大地を守る会の会員からも、木村さんのリンゴがほしいとか、
大地の生産者も (無農薬で) できないのか、といった質問が寄せられる。
お答えします。
木村さんのリンゴをお届けすることはないでしょう。
それはまず、木村さんのたたかいに付き合った人たちのものだから。
ただ有機農業の発展と拡大のなかで、木村さんの世界が広がっていく過程で、
その仲間たちを応援することは、充分ありえることです。
また木村さんのリンゴを使ったお酢、という形でのお付き合いは始まりますので、
どうかメニューに載った折には、ご支援ください。
今はただ、大地を守る会と長年付き合ってきてくれたリンゴ生産者と一緒に、
木村さんの思想や実績を吸収することに努めたいと思うのであります。
この日は、前にも紹介した野口種苗研究所の野口勲さんの、
種に関する大切な講演もあったのだが、すみません、野口さん。 もう書けません。
いずれ、でお許しください。
2009年11月29日
エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~
PARC(パルク : アジア太平洋資料センター)という団体が主宰する
自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので
説明は省かせていただくとして、
その " オルタナティブな市民の学校 " のひとつの講座 「エコを仕事にする」
の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。
というわけで昨日、
5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち
20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。
午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。
「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。
僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・
有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。
有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。
しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、
これは生々しく " 物流 " の世界となる。
モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。
温度管理のためにはエネルギーも使う。
何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・
僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。
物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。
入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。
青果物の保管には、温度管理は欠かせない。
保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。
有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、
また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。
その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。
「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」
説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。
宅配用のピッキングのライン。
参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。
「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、
それでも3年前にこのセンターを建設した際には、
壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。
配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。
言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、
「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。
センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを
説明させていただく。
歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。
1975年、創設時のスローガン-
「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、
つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。
オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、
「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための
" もうひとつの道 " を提案し、模索し続けてきた。
消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、
食肉や水産物の加工場を建設した。
今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。
今でいう " 社会起業 " の先頭を走ってきたという自負が、ある。
最終回の講座を終えて、
「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、
カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。
最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。
半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、
すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。
シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。
ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。
ツチオーネだったら行く! と、
この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。
ご機嫌で、ひと演説。
すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!
-でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。
最後にみんなで記念撮影。
すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。
僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。
ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。
それはそれで、誇りにしたいと思う。
僕らはたしかに、ここまでは来た。
2009年11月15日
舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ(続)
我々 「打瀬舟の森を訪ねる」 一行は、舟の原木の森を目指し、
東京湾岸の浦安から北総台地へと入り、東金にある千葉県木材市場にやってきた。
県内各地から、スギ、ヒノキ、サワラ、サクラ、ケヤキ、・・・・・いろんな原木が
集まってきている。
スギの大木が並んでいる。
これで200年くらいですか。 -いやァ......150年くらいかなぁ。。。
ちょっと定かではなかったが、150年とすれば江戸末期である。
動乱のさなかに木を植え続けた先祖たちは、今の山の様子をどう見ることだろうね。
職員の方に話をうかがう。
山武杉とは、山武地方(旧山武郡一帯) で育てられてきたスギで、れっきとした品種である。
挿し木技術によって17世紀後半から発展してきた。
その特徴は、幹がまっすぐで形や色艶がよい。
材質は硬くて丈夫。 柔軟性もあり、建築材や建具材に適している。
特に赤身は油分が多いので、水に強く腐りが遅い。 船材には最適である。
花粉が少ない、という特徴もあるんだとか。
今はもう山は荒れていく一方です。
赤身だけでなく、白身も源平(赤・白の混在した材) も、節有りも、
用途によってちゃんと使えるんですよ。 国産材をもっと利用して欲しいですね。
さて、天気も良くなってきたし、実際の山武杉の山を見に行きましょう。
よく手入れされた山も、ちゃんとあります。
山武郡芝山町というところにご案内します。
芝山町といえば、大地の生産者も何人かいる地域である。
成田のそばで、ちゃんと山を管理している林業家もいるんだ。 偉いですね。
とか参加者とお喋りしながら、ついていく。
さて、こちらです。
ちゃんと下草も刈られ、枝打ちもし、等間隔で、まっすぐに伸びている。
入れば土の柔らかいこと。 スポンジの上を歩いているような弾力があって、
参加者からも感嘆の声が上がる。
上の木で、45年。
下の木で、90年になります。
説明する市川の大工さん、大屋好成さん。
ここは三ノ宮さんという方の山です。 ちゃんと杉の手入れをしてくれています。
え?? 三ノ宮さん? すみません、下のお名前は・・・・・
「ヒロシさんと言いますが・・」。 三ノ宮ヒロシ。 ここは芝山町菱田。
もしや三里塚の三ノ宮廣さんでは---
「ええ、ええ、そうです。 有機農業やってる方です。」
三里塚農法の会 - 三ノ宮廣!
この名前をここで聞くとは。
僕は三ノ宮さんが山武杉を育てているとは、まったく知らなかった。
不覚なり!である。
それでも逆に、なんだかとても嬉しくなって、きれいな杉林を360度見回して、
" ああ、来てよかった " と心の中で叫んだのだった。
三ノ宮廣さん。
成田空港建設に反対して農民たちがたたかった " 三里塚闘争 " については、
僕は学生時代のただのシンパでしかなく、とても語る資格は持たない。
水俣とともに日本の戦後史上最大の悲劇といわれ、今もなお決着はついていない。
廣さんは、闘争の中で亡くなったお兄さんの後を継いで農業の道に入った方だ。

これは、七つ森書館から出版された
『生命 めぐる 大地』 (地球的課題の実験村編、2000年刊)
の中に掲載されている廣さんの写真。
仲間と一緒に楽しく語り合っている、とても穏やかに。
兄の文男さんは、1971年、
自らの体に鎖を巻いて抵抗した大木よねばあさん宅への
だましうちといわれる強制代執行に抗議して、自死した。
「この土地に空港を持ってきたやつが憎いです」 という言葉を残して。
廣さんが大事に育てている森。 ここの杉は45年前に植えられた。。。
「いいでしょう」(大屋さん)。 「いいです。 とてもいいです 」(エビ)。
こういう木で、打瀬舟を復活させて、東京湾を走らせたい。
その日はきっといい風が吹いて、海と森のつながりの復活を宣言する帆が
パァーっと踊るように舞いながら、掲げられるのだ。
東京湾に打瀬舟を復活させる協議会(打瀬舟の会) では、一口船主を募集中です。
URLはこちら ⇒ http://utase.yokochou.com/
2009年11月14日
舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ
かつて東京湾には、昭和40(1965)年頃まで、動力ではなく、
帆(風) で走りながら漁をする打瀬舟(うたせぶね) の姿があった。
その東京湾に、打瀬舟の復活を! 一口1万円の船主募集!

そんな呼びかけのパンフレットをもらったのは数ヶ月前のこと。
くれたのは、大地を守る会理事の遠忠食品(株)専務・宮島一晃さん。
見れば、発起人代表に木更津の漁師・金萬智雄(きんまん・のりお) さんの名前がある。
NPO法人 盤州里海の会代表で、アサクサノリの復活にも挑んだ方だ。
「へぇ~、金萬さん、また酔狂なことを始めましたね。」
これが最初の感想だった。
「で、いくら集めるんですか?」 - 「目標2千万だって。」 ウ~ン・・・
興味は抱きつつも、話はそのままで終わったのだが、
今月に入って、おさかな喰楽部 (大地を守る会の専門委員会) のメーリングリストに、
金萬さんから案内が入ってきた。
11月14日開催 『打瀬舟建造プロジェクト 舟の森を訪ねて』
の参加申し込み締め切り日を過ぎましたが、まだ多少の空きがあります。 よろしかったら-
" 舟の森 " -の言葉に響くものがあった。 そうか、そういうことか、みたいな。
打瀬舟を育てた千葉・山武杉の森を訪ねる。 これは行くしかない。
11月14日(土) 9時30分。 集合は東京駅鍛冶橋駐車場。
ここからバスに乗って、浦安から山武まで見学コースが組まれていた。
一行はまず、浦安市郷土博物館 に到着する。
ここで、本日のガイド役として大屋好成さんが合流する。
地産地消型の家作りを謳い、数奇屋建築や社寺建築を得意とする市川市の大工さんである。
打瀬舟など和船の建造技術にも詳しい。
背中の壁には、古き良き時代の浦安風景を描いたレリーフが飾られている。
海苔や魚の干し台が並び、女たちが元気よく働いている。
小舟(ベカ舟という) の向こうには打瀬舟も見える。
打瀬舟にも、千葉の検見川型とか浦安型、神奈川の子安型といったタイプがあったそうだ。
小型のものは干潟のアマモ場での 「藻エビ漁」 などで活躍したが、
干潟の干拓や埋め立てによって藻場は消え、
この伝統漁法もついに博物館に眠ることになった。
打瀬網漁は、今では北海道・野付湾での北海シマエビ漁に残るのみとなっている。
(熊本・芦北の不知火海では観光船として操業されている。)
展示されている舟や漁具の数々を、駆け足で見て回る。
窓越しに撮影。 向こうからマキ船 (その中にベカ舟)、打瀬舟、小網船。
船大工道具なども展示されている。
「仮屋」 と称する木造船の製造場も。
ここでベカ舟製造の実演が見れる。
ベカ舟とは、一人乗りの海苔採り用の船で、東京湾では一番小さな船だったらしい。
遠浅の海で漁を営んだ浦安を代表する漁船として親しまれたのだろう。
山本周五郎の 「青べか物語」 も読んでみたくなった。
これらの木造船の本体には、房総の山武地方で古くから育てられてきた山武杉の、
赤身 (芯の部分。赤くて油分が多く、腐りにくい) が使われたのだそうだ。
金萬さんのねらいが、いよいよ見えてくる。
当時の浦安の風景が再現されている。
館内には干潟のジオラマなどもあって、
今度は時間をとって、じっくりと見に来ようと思う。
途中、浦安市内を流れる境川沿いを歩く。
朽ちてゆく打瀬舟が佇んでいたりする。
まだ使える状態の舟がつながれてあった。
金萬さん-「形も美しいだろ。 オレ、こいつを狙ってんだよね。」
これは子安型なのだという。
金萬さんたち 「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」(略称:打瀬舟の会) は、
打瀬舟復活の意義を、次のように考えている。
〇 かつて東京湾に広範に存在していたアマモ場などの生物生息地の再生と、
自然と人々とのかかわりの復活を象徴するものとして、打瀬舟を復活させる。
〇 日本の伝統である木造船技術を持つ舟大工の技術を継承する。
それは単なる復元ではなく、最先端の技術 (知恵) を取り入れながら発展させる
ためにも必要なことである。
〇 木造の舟をつくるには、手入れされた森が必要である。
打瀬舟の建造を通じて、東京湾とその流域のつながりを取り戻したい。
〇 自然エネルギーを利用した漁法の見直しと、漁業資源との共生を考える素材とする。
〇 子供たちへの打瀬漁体験などを通じて、森林と海のつながりや藻場干潟の大切さを
学んでもらい、藻場の再生から豊穣の東京湾再生へとつながることを期待したい。
森は海に栄養を届け、その木材は魚貝類を取るために用いられ、
漁獲は海に流れた栄養を陸に返す。
そんな循環を取り戻すための、打瀬舟の復活、ということか。
東京湾で生きてきた漁師の胸には、打瀬舟に対する深い郷愁もあるのだろう。
あの頃はみんな活きていた、みたいな。
その心に、" 東京湾 " と聞くと血を騒がせてしまう人たちが共鳴しているわけだ。
遠忠食品・宮島一晃さんもその一人として、協議会の監事に名を連ねている。
みんな、熱いね・・・・・とか思いながら、
ウトウトとバスに揺られながら、山武杉の森へと移動する。
雨模様だった天気も回復してきた。 森も見られそうだ。
そして -
山武杉の森で、僕は思わぬ人の名前を聞くことになったのだった。
(すみません。 明日に続く、で。)
2009年10月20日
地球大学アドバンス -日本の 「食」 をどうするか?
東京駅前・新丸ビル10階、ECOZZERIA (エコッツェリア) 。
大手町・丸の内・有楽町一帯を環境共生型のまちにしょうという
「大丸有環境共生型まちづくり推進協会」 の事務局が設置されていて、
環境に関する様々な情報を発信する基地として、またエコを創造していく 「広場」 として、
開設されている。
大地を守る会とは20年以上のお付き合いである文化人類学者・竹村真一さんは、
エコッツェリアのコンテンツ・プロデューサーとして参画している。
彼が開発した 「触れる地球」 も常設されている。
この実際の1,000万分の1サイズのデジタル地球儀は、
2005年にグッドデザイン賞を受賞したものだが、デザインという範疇を遥かに超えた、
新しい現代的な想像力を刺激する偉大な 「発明」 である。
地球の気象や環境変化の様子が、インターネット情報をもとに
リアルタイムで映し出されるという、壮大な可能性を秘めたものだ。
全国の学校にひとつ、あるといい。
さて、ここで月に一回のペースで開催されている 「地球大学アドバンス」 。
毎回いろんな角度から地球的課題が取り上げられてきた。
23回目となった昨夜のテーマは、
『 日本の 「食」 をどうするか? - 「地球食」 のデザイン、日本食の可能性 』 。
ゲストは、スローフード・ムーブメントを日本にもたらした
ノンフィクション作家・島村奈津さんと私。
話は、竹村さんからの論点整理を導入部として、
戎谷が約40分 (30分と言われていたのだが) 話をさせていただき、
それらを受けて、竹村さんと島村さんがトークを展開して全体質疑へ、
という流れで進められた。
( ポジションが悪く(?) て写真は取れず。
上の写真は島村さんのご友人である中村哲さんから提供を受けたもの。)
自分が話した内容をつらつら語るのは恥ずかしいが、
今の 「食」 をめぐる社会状況や自給率の問題、その背景としての
農業・食料政策の変遷とグローバリゼーションの問題、
そしてそれらの結果としての農業の公益的機能や生物多様性の脆弱化は、
私たちの 「食」 = 生存条件をきわめて危ういものにしてきていること。
私たちは、何を食べるかによって何とつながるか、の重大な選択を迫られている、
というよな話を偉そうに早口でまくしたてたのだった。
かたや島村奈津さんはソフトでフランクな語り口が魅力的な方で、
各地のスローフードの先進事例を紹介しながら、
特にアジアの多様性と食文化の豊かさについて強調された。
質問はけっこう多岐にわたって、ここに集う人たちの幅の広さ
(研究者から企業の方、自治体の方、地域開発や環境教育のNPO、学生などなど) と、
バラエティに富んだ問題意識は、僕にとっても刺激的なものだった。
時間を相当に延長して、最後はスローな食事で懇親会。
新丸ビル7階にある 「MUSMUS (ムスムス)」 という蒸し料理レストランからの提供。
今日は秋田の食材でまとめた、とのこと。
旨い酒も用意されて嬉しかったのだが、いろんな人につかまって、
話しているうちにお開きとなってしまった。
でもそれだけたくさんの方から質問やら意見をいただけたのだから、満足すべし。
2年ぶりの地球大学からのお声がかりで、
用意したパワーポイントはこれまでのつぎはぎのようなものだったけど、
ま、ちょこっとは進化した部分をお見せできたのではないかと思っている。
2009年10月18日
種まき大作戦 -『土と平和の祭典2009』
東京・日比谷公園は、良い天気に恵まれた。
『大地に感謝する収穫祭 -土と平和の祭典-』 の開催。
半農半歌手・Yae ちゃんが実行委員長を努める 「種まき大作戦」 のイベントである。
謳う Yae 。 もう2児の母である。
今、世の中には、将来に不安を抱え、仕事もできず、どうしたらいいのかわからない
若者が増えている。 でもその反面、確かな目的を持って、元気いっぱいに突き進む
若者たちが急増している。 本当の豊かさとは? 幸せとは何か?
自分にとって無駄なものをそぎ落としていったところに満たされるという価値が存在すること。
「楽しくなければ人生じゃない」 と言った父の言葉は、今輝きを帯びて、
私たちの心に語りかけてくる。
お父さん (藤本敏夫さん/大地を守る会前会長) の志を受け止め、
歌いながら鴨川自然王国で農を実践する、まったく強き女性になった。
こちら 「種まきファーマーズ・マーケット」 の風景。
大地を守る会も祭典に参加。
青森・新農業研究会のリンゴ、長崎有機農業研究会のミカン、
沖縄・畑人村の無農薬バナナ、関東各地からの無農薬野菜などをブースに並べ、
生の人参試食やリンゴジュースの試飲でPRする。
千葉・さんぶ野菜ネットワークもブースの一角に陣取って、
野菜ミックスジュースの販売で協力してくれた。
埼玉から応援に来てくれたのは、本庄の瀬山公一くんとゆみさん夫妻。
「借金知らず」 とかいう品種の枝豆を茹でて持参してくれた。
「大地さんに食べてもらおうと思って・・・・・」 -クゥッ!...ありがとう、グスン。
美味しかったよ。
今回、大地を守る会ブースを華やかにしてくれたのが、
タレントやモデルさんたちで結成された 「メルマガ農業部」 の方々。
山武の畑で農業を実践するニューウェーブの芸能人たちだ。
手前の方が MEGUMI さん。 母になって食べものの安全性に目覚めたとか。
真ん中の麗しき娘さんが、モデルの KANA さん。
後ろにいる鈴木克法!(山武の生産者です) 鼻の下が伸びてないかぁ。
さんぶ野菜ネットワーク事務局の花見博州(写真左) も、
心持ち、いつもより気合いが入っているような・・・。
この少女もタレントさんだとか。
たしかに、ジュース販売では一番の稼ぎ手だったような気がする。
「お願いしま~す」 なんて元気よく声出して。 僕も思わず買っちゃう!
こちらもタレントの愛川ゆず季さん。
別世界の方々だと思っていたモデルさんやアイドルさんたちが、
畑仕事に精を出し、野菜を売る。 この現象は何なんだ?
農家のこせがれ諸君! 農業はカッコいい!んだって。 本気でつかむか、時代を。
彼女たちがデザインした麦わら帽子はすぐに売れちゃったようだ。
これは軍手。
なんだか使うのがもったいないようなデザイン。
フィットしたので僕もひとつ、買ってしまう。
トークステージでは、「列島縦断農家トーク」 が行なわれていた。
ゆっくりとは聞けなかったけど、
秋田・花咲農園の戸澤藤彦、山形・庄内協同ファームの富樫俊悦、
千葉・さんぶ野菜ネットワークの鈴木克法、愛媛・無茶々園の宇都宮俊文、
長崎有機農業研究会の溝田督史・・・いずれも有機農業の次代を担う面々。
それぞれに農業にかける思いや消費者へのメッセージを語っていた。
若者らしく、軽~い辛口批評も交えながら。
全国有機農業推進協議会が用意した就農相談コーナー。
けっこうな手ごたえだったようだ。
イベントの終盤、慰問に覗いた私に、" ちょうど良い客 " が来てしまった。
「農家を継ぐだけじゃなくて、自分で会社を興して " 売り " もやりたいんっすよね」
とかのたまう若者登場。
担当者 - 「そんな相談には乗れないわ。 この人に聞いて」 と俺に指を指す。
若者相手に偉そうにブっているエビがいた。
今回は全体を見て回る時間が持てなかったが、かなりな人が入った模様である。
噴水広場のビッグ・ステージ前の芝生は、後ろの方まで全体に人が入っていて、
くつろぎながらステージの音楽を楽しんでいた。
このあと、Yaeちゃんの母、加藤登紀子さんも登場したようだが、お会いできなかった。
昔、お登紀さんちに配達してたなんていっても、もう覚えてないだろうなぁ。
雪の日に飯を食わしてもらった 記憶 は、僕の原点のように刻まれているのだけど。
あれから20数年。
ヒトは意外と滅びへの道をただ走ることなく、しぶとく " 農 " に回帰し始めているよ。
どうもそれは、知識や理屈というより、
DNAに導かれているようにも思えたりするのだった。
藤本さんが残した言葉 - 楽しくなければ、人生じゃない。
究極の命題のような気がする。
2009年8月23日
『未来の食卓』 -地元での自主上映はいかが?
天下無敵の百姓さん。
いつもコメントを寄せていただき、有り難うございます。
映画 『未来の食卓』 の地方上映なんて、採算合わなくて無理だろうなあ、
とは誰でも思うところですよね。
でもしかし、ところがいや待て、ホームページをよく見てみると、
自主上映の申し込みについてのページがあります。
↓
http://www.uplink.co.jp/film/howto.html
これによれば、なんと5万円 (+消費税) で上映が可能です。
最悪の場合、一人5万円、10人寄れば一人5千円の自腹を切る覚悟があれば、
上映できます。 50人が千円出せば、劇場で見るより安い勘定です。
もちろん、会場の確保から人集め、宣伝 (ポスターやチラシの配布など)、
といった多少の追加経費と労力が必要になりますが、
やる気になれば、手の届かない話ではありません。
黒字にさせることだってできるかもしれませんよ。
実は僕も何か考えたいとは思っているところです。
大地を守る会の生産者が中心になって、各地で自主上映が展開される、
てのはどうでしょうかね。
いずれにしても、周りの人に考えていただく素材として
充分使えるツールであることは間違いありません。
2009年8月18日
未来の食卓
2回にわたって久しぶりに言いたい放題書いてしまったけど、
ぼくのカリカリした言葉よりも、もっと説得力のある映画が
タイミングよく上映されているので、紹介したい。
ジャン=ポール・ジョー監督 『未来の食卓』 。
村内のすべての学校給食と、高齢者の宅配給食をオーガニックに切り替えた
フランスの小さな村の話。
1年にわたって村の変化を追った作品である。
舞台は南フランス、ラングドック地方。
ワインの産地でもあるガール県バルジャック村。
牧歌的な風景に教育番組的なストーリーが展開されるのかしら、
などと予断をもって劇場に足を運んだのだが、
ところがどうして、かなり刺激的な映画ではないか。
フランスで公開されたのは昨年11月。
当初20館で上映されたのが、56館まで広がり、
ドキュメンタリーとしては異例のヒット作になった。
学校給食をオーガニック (+地元の野菜) に切り替えたのは、
ショーレ村長はじめ10数人の村議会議員たちの決断だった。
当然、村内は賛成・反対入り乱れた議論が起こる。
特に一般栽培農家には面白くない事件に映ったことだろう。
しかし子どもたちの評判はいい。 もちろん 「嫌い」 という男の子もいるけれど。
村長が自信をもって村民に語りかけている。
「オーガニックに費用がかかる?
しかし代わりに払わされているものがあるんじゃないか。
大事なのは人の健康である。 相談相手は、自分の良心だ。」
オーガニック農家と一般栽培農家を同じテーブルに招き、話し合いをさせる。
病気対策、害虫対策・・・・・オーガニック農家は代案を示してゆく。
「大事なのは土だ」 と。
対立ではなく、選択肢を示し、対話で進める。
農家の奥さんの証言が生々しい。
「農薬散布は夫の仕事だけど、撒いたあとに鼻血が出るし、排尿ができないの。」
農村でガンが多発するのを眺め、自身の体の不調が農薬によるものだとも感じながら、
生活のために 「やるしかない」 と思っている農民たち。
子どもがガンに侵され、悔いている母親。
・・・隣で観ていた女性の席から、微かに鼻をすするのが聞こえてしまった。
調理員たちの労働時間は増えた。 しかし、これからも続けたい、と語る。
「もう加工食品の缶詰は開けたくない。 後戻りはしたくないんだ。」
村長は、そんな彼らを教育者だと称えている。
ここでの給食の風景は、誰もがいいなぁと思うだろう。
そして映画の冒頭に出てくるのが、前回紹介したユニセフ会議のシーンである。
記者からの質問に対するガン研究者の答えがすごい。
「 (化学物質が病気の原因である) 証拠はあるかって?
証拠は科学誌を読めばいい。 今は一刻も早く対策が必要な時なのだ。」
「小児ガンが確実に増えている。
親よりも弱い子どもたちが増えている。 これは人類史の危機である。」
フランスは殺虫剤の使用量が世界一だという紹介がされていた。
しかし単位面積当たりの農薬の総使用量は日本の方が多いはずだ。
けっしてよその国の話ではない。
映画が上映された後、バルジャック村には全国から共感の声が寄せられ、
視察が殺到しているそうだ。
村役場では映画の反響に対応する担当者を置かなければならなくなったとか。
村の人々に先駆者としての誇りが生まれ、
オーガニックに転換する農家も現れてきている。
変えることは可能なのだと、この映画は教えてくれている。
「オーガニックは、環境のすべてだ」 -なんてカッコいいセリフだろう。
ちなみに映画の原題は 『 NOS ENFANTS NOUS ACCUSERONT 』
" 子供たちは私たちを告発するでしょう "
そうならないためには、
私たちは 「未来の食卓」 を今から作り直さなければならないってことだ。
映画 『未来の食卓』 は現在、シネスイッチ銀座、渋谷アップリンクで上映中。
詳細は、下記ホームページで確認できます。
http://www.uplink.co.jp/shokutaku/
映画のチラシを持参された方には、割引もあります。
地方の方は、ぜひ地元での上映の声を!
2009年6月23日
八百屋塾
6月21日(日)は、キャンドルナイトの前に、
午前中もうひとつの集まりに参加した。
「八百屋塾」 という。
都内の八百屋さんたちが有志で結成した野菜の勉強会。
事務局は秋葉原の 「東京都青果物商業協同組合」 のビルの中にあり、
月一回開かれる勉強会もこのビルの会議室で行なわれる。
いつもは我が農産グループの職員が勉強がてら参加しているのだが、
今回はみんな都合が悪いとかいうので、自分が参加することにした。
まるでグループ長が一番ヒマみたいな話だけど、
一度出てみたいと思ってはいたのだ。
今月のテーマは、茄子(ナス) 。
いろんな茄子とともに、時節柄、これから入荷が増えてくるハウスみかんなどが
部屋に並べられている。
今回の参加者は約60人くらいか。
ほとんどが、八百屋で働く店主さんや店員さんだが、
スーパーのバイヤーさんや野菜ソムリエの女性なども参加しているようだ。
この塾を仕掛けたのは、野菜の先生の先生、八百屋の師匠
といわれた故・江澤正平さんである。
野菜の消費が減っているのは、野菜を売る連中が野菜を知らなくなったためだ。
見た目や値段や薄っぺらな栄養学知識だけで野菜を売るのでなく、
野菜ひとつひとつに秘められた文化や魅力、食べ方を語れなければならない。
量販店ではできない、街の八百屋こそ野菜の魅力を伝える使命がある。
江澤さんはよくそんなことを言っていた。
ここは江澤さんの遺志をついで勉強を続ける八百屋さんたちの集まりである。
八百屋塾実行委員長の杉本氏から、ナスについての講義が始まる。
野菜がどんどん画一化されているなかにあって、
ナスは各地に数多くの品種が残っている面白い野菜である。
ナスは大きく分けて長ナス、丸ナス、その中間の卵型ナスがあるが、
その他にも、青ナス、白ナス、ヨーロッパ・ナスがある。
ナスは1300~1400年前に中国から渡来した。
台湾から九州に入ったのは長ナス系統、朝鮮経由で東北に流れたのが丸ナス系統。
原産はインド東部からバングラデシュあたりで、したがって高温多湿を好む。
西洋にも流れたが、乾燥地帯では定着せず、アジアで品種が多様化しながら育ってきた。
まさにアジアの野菜なのである。
長ナスには、熊本の大長ナスや赤ナスがある。
大長ナスは皮が薄く、焼きナスに適している。 赤ナスも柔らかい。
写真の左が赤ナス (品種名=肥後むらさき)、右が大長ナス (同=黒紫)。
大長ナスは輪切りにしてドレッシングで食べる。
しかし棚持ちが悪いので、売るには気合いが必要だ。
フランスパンみたいに並べて、「何、これ?」 と聞かれたら、こっちの勝ち。
ホットプレートを置いて、オイル焼きして食べてもらえば、ゼッタイに買ってくれる。
丸ナスは、新潟の長岡と山形が品種の宝庫だ。 伝統ナスが残っている。
長岡にはナスを蒸す食文化がある。
梵天丸という品種があって、非常にウマい。
味噌炒めがいい、と言ってピーマンやパプリカも一緒に売ろう。
山形には伝統品種、固定種が残っている。 こういうのも売ってやりたいね。
奈良の大和丸ナスは、京都に流れて賀茂ナスになった。
賀茂ナスは京野菜のブランドになったが、こっちのほうが断然ウマい。
泉州(大阪)の水ナスは浅漬け。
朝に漬けて夕方には漬け上がるので、店頭に出して食べてもらう。
今はまだハウスなので価格は高めだが、ナスは成り始めると止まらない。
" 親の意見とナスの花は無駄がない "
と言いますよね (すみません。知りませんでした)。
八百屋の腕の見せ所はこれからだってワケだ。
見た目だけで売っていては、いいものが来なくなる。
味が伝えられなくなる。
俺たちが卸しにプレシャーをかけないとだめなんだ。
関東の主流は皮の固い卵形。 これは黙っていても売れる。
もっと個性的な売り方を考えないと、こんなに魅力的な野菜を八百屋がダメにしてしまう。
・・・・・こんな感じで講義とやり取りが続く。
野菜が好きで、野菜をもっと食べてもらおうと勉強する八百屋さんがいる町は
かなり楽しいはずだ。 ただ有機についての知識はイマイチの感がした。
いつか、こういう人たちとも繋がっていきたいものだと思う。
後半は、食べ比べ。
実は、僕はこれが苦手なのである。
匂い・肉質・味・総合評価、こういう感じで微妙な差異を表すのは難しい。
実際に参加者の感想も、全く逆の意見が出たりする。
きっと、それぞれの育った食環境の影響なのだろう。 それは自然なことである。
僕の今回の最高点は、山形の小ナスの塩もみ。
皮が柔らかく、シャキシャキ感があって香りもよく、美味しかった。
次は愛媛の絹皮ナスってのが印象に残った。
大和丸ナスが試食できなかったのが残念。
ハウスみかんについては割愛するが、ひとつだけ面白い質疑があった。
「みかんのワックスって何なんですか?」
「ワックスはワックスだろ。 ・・・油だよ。」
写真を撮ってみたが、照り加減の違いがお分かりいただけるだろうか。
左がワックスがけしたもの。
これはフルーツワックスと言って、食品添加物である。
鮮度保持被膜剤とか、フルーツコーティング剤として、お菓子 (チョコレートなど) や
錠剤医薬品などのコーティングに使われているものである。
こういう知識だけは八百屋さんより詳しいというのも、
いびつな生き方をしているようで、なんだかヤだね。
みかんの皮自体にもワックス成分はあるのだが、
選果の過程で洗ったり、ブラッシングされて天然のワックスが剥がれ、
水分が蒸発して、瑞々しさが失われる。
八百屋さん曰く - ワックスがけしたミカンは萎びない。 しなびる前に傷むんだよね。
そんなレベルで終わっていいのか、と思うが。
大地のみかんはもちろんワックスがけなどしていないが、
それは一般市場出しのような作業を必要としないからでもある。
しかし選果は甘くなる。 この辺をちゃんと語る必要があるということか。
いろいろ考えさせられ、勉強になりました。
ま、それはそれとして、失礼ながら最後に興味を引いたのが、
このビルである。
ヨドバシAkiba ビルにへばりつくように建っている。
このビルの中に全国中央市場青果卸協会や全国青果卸売市場協会の本部がある。
ここは1989年に太田市場ができるまで、神田青果市場があった場所である。
神田市場跡地とJA (旧国鉄) 所有地の再開発計画の過程では、
第2東京タワー建設の案も出たところだ。
そこにヨドバシカメラ進出の話が出て、電気街が騒然となったという歴史がある。
もしかしてこの建物は、地上げに一人で対抗する地権者のような
八百屋のたたかいがあったのではないか・・・・・
なんて勝手に物語を想像しながら、増上寺に向かうこととする。
今日は長い一日になるんだよね、雨なのに、とか思いつつ。
2009年6月12日
コモンズ -小さな出版社に伝統の賞
「コモンズ」という名の出版社がある。
1996年創業で、12年間に発行した書籍は150点というから、
まだ若い小さな出版社である。
代表は大江正章さん。
コモンズを設立する前には 「学陽書房」 という出版社に勤めていて、
15年くらい前だったか、大地を守る会の歴史と活動をまとめた
『 いのちと暮らしを守る株式会社 』 を出版していただいた。
それ以来のお付き合いである。
コモンズの本は当会でも何点か販売してきたので、馴染みの方も多いかと思う。
そのコモンズが、「第24回梓会出版文化賞」 の特別賞を受賞した。
といっても出版業界に縁のない方には、ほとんど知られてないのではないかと推察する。
梓会は専門書系の出版社100数社で運営されている社団法人で、
「出版ダイジェスト」 という情報紙を発行している。
今でも気の利いた本屋さんでは無料で配布しているんじゃないかな (-ちょっと自信ない)。
その梓会が、文化的に価値のある出版活動を行なっている出版社を表彰するのが
「梓会出版文化賞」 というわけ。
作家や作品を表彰する賞はいくつもあるが、これは日本で唯一、出版社を表彰するものである。
綱渡り的な経営で生き延びている中小出版社にとって、この受賞は誉れなのだ。
ということで、昨日の夜、関係者が集まって、ささやかな祝賀会が開かれた。
秋葉原の居酒屋で、というのが、この人たちの日頃の生態を表しているように思う。
参加者の多くは同業者たちだが、著者や市民運動関係者の顔もある。
環境・食・農・アジア・自治、をテーマに、腰をすえて一点一点大切に本を出してきた
大江さんの姿勢を尊敬する人たちだ。
みんなで大江さんを称える。
同種の出版活動を行なっている人たちにとっても嬉しいことであり、
かつ相当な励みになったようだ。
大江正章。
編集者でありながら、古くから有機農業運動に関わり、
自らも茨城県八郷町で田んぼを耕している。
昨年自ら著した岩波新書の 『地域の力』 がけっこう売れていて、
講演依頼も増えていると聞く。
照れ屋のくせに、喋りだすと意外と饒舌で、熱い男である。
彼と僕とは同世代で、学部は違うが同じ大学出身で、
何と、かなりご近所に下宿していたことが、昨日飲んでいて初めて判明した。
西早稲田の、神田川にかかる面影橋の近くの、あの銭湯、あの質屋・・・・・
分かる、分かる、エビちゃんがいた下宿屋、ほぼ分かる。
あの運動、あの集会・・・・・え? エビちゃんは〇〇派だったの?
いや、周りはそう思っていたようだけど、俺はただ学生の自治を守ろうとしただけだ。
そんな話で盛り上がる。
すみません、ワタクシ事でした。
大江さんが皆さんに僕を紹介してくれる。
「この人が、かつて 『大地を守る出版社の会』 をつくったエビちゃんです。」
すっかり忘れていた。 そうだ、そんな会をつくったことがあった。
大地も伸び盛りになって、いろんな出版社の営業を受けるようになって、
僕はただ良書を紹介して売る、というのが面白くなくて、
あるとき、出版社の方々に集まってもらって、
" 同じ思いを持った出版社であることを表現したい " という提案をしたのだった。
今はもう取引先の数はそれどころではなく、時代も変わったけど、
「大地を守る出版社の会」 が、大江さんにとっての戎谷であることに、
僕は絶句し、静かに反省した。
大江さんにエールを送っているのは、『大地を守る手帖』 を出していただいた、
築地書館の土井二郎さん。 一昨年の宇根豊さんの集まりで会って以来か。
「手帳ではお世話になりました。 けっこう (制作上) 厄介な注文だったんじゃないですか」
「いや、それはプロですから。 それに苦労したのは印刷・製本屋さんですから。
それより、あの手帳で使った写真。 何点か大胆なのがあって気になりましたけど、
会員さんからハレーションは起きなかったですか?」
さすが編集者である。
「ありましたよ。 違和感を感じた方からは強い拒絶反応を頂きました。
ただあの手帳のコンセプトに統一感を持たせる以上、我々の既成感覚では手を入れない、
ということに担当は徹したようです。 僕らの感覚であれやこれやと切り刻むと、
本来の狙いも成果の検証も不透明になってしまうことが過去には随分とあってね。
これも挑戦だと思ってます。 不愉快な思いをさせてしまった方には申し訳ないですが。」
隣で聞いていた女性のライターの方が、そこらへんは本当に難しいところですね、
と相槌を売ってくれて、ちょっと救われる。
あ、また脱線してしまった。
脱線ついでに言うと、僕は大地を守る会に就職する前は、
実はこの業界、しかも同じようにこだわりだけは強い弱小出版社にいたもんで、
いろんな人と懐かしい昔話などもできたのだった。
業界内では 「本が売れない」 というのが挨拶代わりなんだそうだ。
しかしそんな話は、僕がいた時からあった。
実際には、膨大な量の新刊本が発行されて、あっという間に消えてゆく様を見ていると、
「売れない本」 を作りすぎる、というほうが真実だろう。
そこには出版流通業界の危険な商慣習に依存する体質も見え隠れしている。
その洪水の中で、本当に読みたい本は駅前の本屋さんにはなかったりする。
その辺が課題だと、僕がいた頃も言われていた。
四半世紀経っても、何だかあまり変わってないようだ。
いや、それでもこいつら生き延びているんだからスゴイ、とも言える。
ここに来た人たちのつくった本が続々と売れていくような現象が生まれたら、
それはそれで怖い社会のような気もするしね。
だから大江さん、および志を同じくする皆さん。
貧しく、粘り強く、信念に従って、頑張ってください。
引き続き (できる範囲で) 応援しますので。
貧しい仲間同士で意地を張って生きていくのは、楽しい。 また飲みましょう。
2009年4月29日
森林浴に谷津田の話など
大地を守る会にはいろんな通信物が送られてきていて、
そこで目にとまった情報をもうちょっと掘り下げて分析できれば、
面白いネタは尽きないだろうに、なんて思うことがある。
しかし、それがなかなかできない。
たとえば、北里大学学長室から発行されている通信 『情報:農と環境と医療』
というのが送られてきていて、最近届いた号を開けば、こんなトピックが紹介されている。
つくばにある独立行政法人 「森林総合研究所」 が発刊する 「森林総研」 第3号で、
『森林浴が働く女性の免疫機能を高める』 という記事が掲載された。
森林浴によって、女性の抗がん免疫能が上昇し、その効果が持続し、
さらにストレスホルモンが低下する、という研究結果が出たのだそうだ。
研究内容はこのようである。
東京都内の大学付属病院に勤める女性看護士13名が、
長野県にある森林セラピーに滞在し、ブナやミズナラの落葉広葉樹林や、
スギ人工林などのセラピーロードを、森のガイドと一緒に二日間ゆっくり散策する。
森林浴の翌朝8時に採血し、
がん細胞やウィルスを殺傷するNK (ナチュラル・キラー) 細胞の活性や、
NK細胞が放出してがん細胞を攻撃する抗がんタンパク質の量を測定する。
また血液や心拍数を上昇させる副腎の分泌物であるアドレナリンの尿中濃度を測定する。
さらに森林浴の持続効果を調べるために、
森林浴の一週間後と一ヵ月後に同様の測定をする。
その結果-
東京在住の時に比べ、被験者のNK活性は、二日間の森林浴によって38%高まった。
活性値は一週間後も33%の高い値を維持した。
また免疫能は一ヵ月後でも10%高く持続した。
尿中のアドレナリン濃度は、森林浴一日目で57%に、二日目で68%も低下した。
・ ・ ・
森林浴には免疫機能を高める効果がある、とはよく聞くが、
裏づけとなる科学的データを得ると、それは自分の中でも客観的真実に近づく。
しかも、この数字は、かなり高い。
すると、こんな話も紹介してみたいな、とか思うのだが、
しかしトピック記事を読んだだけで (これはまた聞きのようなものだから)、
何かを語るのは憚られる。 ちゃんと原典となる試験報告書にもあたってから、
なんて思うのだけど、そうすると書けなくなる。
このブログではこの手は使わないと決めていたのだが、と思いつつ-
上の話に関心を持たれた方は、(独)森林総合研究所のHPにアクセスしてみてください。
自分の話にまるで責任のない、ただの紹介ですましちゃうわけだけど、
調べようとして、結局紹介もできないのでは、宝の持ち腐れになってしまうし・・・
こんな日があってもいいでしょうかね。
こういうのならなんぼでも書けるのだが、でもなんか、つまらない。
もうひとつ、こんなのもある。
こちらはつくばからの直接情報。 独立行政法人 「農業環境技術研究所」 から、
研究トピックスをまとめた 「農環研ニュース」 というのが送られてくる。
だいたいが解説も困難な小難しい研究をやっているのだが、3月号には、
「谷津田が植物の多様性を高めるしくみを解明」 というレポートがあった。
農村地域には、肥料源や飼料を採取するために、定期的に草が刈られる
「半自然草地」という場があった。 「あった」 というのは、今はほとんどなくなりつつある、
という意味で、多くは草刈りもされずに放置されていっている。
では放置 (ある意味で自然化) された場所には、動植物が増えるかというと、
実は逆で、畑の放棄地や造成跡地に見られるススキを主体とした植物群落では、
草原性の動植物がいないと言われる。
つまり、ヒトが手入れしていた場所がいったん放棄されると、
生物多様性が減退する、という現象が生まれるのだ。
その比較調査が試みられている。
ここで選ばれたのが谷津田 (やつだ:山や丘陵に囲まれた谷底にある水田) で、
水田を取り囲む斜面林の下部は、田面が日陰になるのを防ぐために
定期的に草刈りが行なわれる場所 (裾刈り草地) である。
そこで、植物社会学の手法を用いて、裾刈り草地における植物の多様性が、
造成跡地や放棄畑、過去に調査された半自然草地と比較された。
その結果-
谷津型と松林型 (主にアカマツ林の林床タイプ) では、ワレモコウなど
在来の多年生草本植物の多様性を示す値が高いことが明らかになった。
秋の七草の一つであるフジバカマなど多くの希少植物も見られた。
これによって、谷津田での農作業の一つである隣接斜面の定期的草刈りが
植物の多様性を維持していることが明らかになった、というワケだが、
この研究レポートには、もうひとつ解析が加えられていて、
関東地方東部 (千葉~茨城) の台地地域を調べたところ、
水田と森林が接する部分が長い場所の減少が顕著に見られた、とのこと。
つまり谷津田の耕作放棄が進むことによって、
その地域の植物の多様性が失われていっている、という結論である。
田んぼの生物多様性の話をするときに、
「中規模かく乱説」 というのをもち出すことがあるが、この研究は、
適度に人の手でかく乱したほうが多様性が増す、という説を裏づけたことになる。
これは、放置すると優勢種の天下になる、ということも表わしていて、
草を刈る (撹乱する) とは、実はその場での強きをくじいている作業でもあるワケだ。
2009年4月15日
PARC自由学校
もうひとつ、募集のお手伝いを。
NPO法人 アジア太平洋資料センター (PARC) という団体がある。
知る人ぞ知る、なんて言っちゃうと、かえって失礼にあたるかも。
世界経済のグローバル化が一気に進み、貿易の構造も変質して、
いわゆる 「南北問題」 がクローズアップされてきたのが、
1960年代の終わり頃から70年代だったろうか。 その頃からずっと
南と北の経済的不平等の問題に取り組んできた団体である。
世界各地のNGOとネットワークし、様々な情報を集め、発信するとともに、
今では民衆交易の支援なども行なっている。
東チモールでの、現地の人たちの自立を助けるコーヒー栽培には、
大地を守る会も販売に協力している。
そのPARC (通称:パルク) が、1982年から始めたのが 「自由学校」 だ。

パンフレットの紹介文から引用すると-
「私たちが生きている世界のこと、そしてその世界の一部としてある日本社会のことを
知りたい。 より豊かな暮らし方や、いきいきできる生き方のヒントがほしい。
表現するための技術を身につけたい。 そんな人たちが出会い、学びあうのが
自由学校です。 新しい視点や新しい知識に出会うと、発想が変わります。
すると、これまで思っていたのとは違う世界や社会が見えてくるかもしれません。
~ 自由学校はそのきっかけとなる場でありたいと考えています。」
今年のプログラムは、全部で26 (+特別講座がひとつ)。
Ⅰ.ことばの学校
「英語で憲法9条を語ろう」 や 「海外NGO資料から世界を読もう」 など6講座。
Ⅱ.世界の学校
「一杯の紅茶から見る世界」 「映像で出会うアフリカ」 など6講座。
Ⅲ.社会の学校
「社会的起業!-わたしの思いをカタチにする」 「人の移動から見る近・現代史」 など4講座。
Ⅳ.環境・暮らしの学校
「麻ではじめる自然生活」 「オルタナティブ健康術」 など6講座。
Ⅴ.表現の学校
「金村修の写真教室」 「ムーブメント三線」 など4講座。
- とこんな感じだ。
だいたいが、5月から始まって、11月から来年の1,2月あたりまで、
隔週くらいのペースで開講される。
僕も毎年パンフレットを見るたびに、「ああ、これ出てみたいな」 と思いつつ、
いつも忙しさに負けていた。
それがなんと、今年のプログラムのひとつで、講義の依頼が入ったのだった。
受けたのは 「環境と暮らしの学校 - エコを仕事にする!」。
12回シリーズの最終回、11月28日に
「有機農産物を通して生産者と消費者を結ぶ」 というテーマで、
弊社の物流センターを見ていただきながら、お話をすることになった。
ここだけの話だけど、実は、僕はパルクの会費が払えず、脱会した人間なのよね。
スミマセンでした。 今回の講師料 (出るのかどうかも怪しいけど) は
過去の延滞した会費に充当していただけると、救われます。
ま、そんな話はともかく、エビからの今回のおススメをひとつ。
「世界を知る学校 - 食糧危機がやってくる !? 」 だ。
経済がグローバル化して、人は食い物を奪い合わなければならなくなった。
ヘンな話である。 21世紀に入って、いったい誰がシアワセになったのか・・・・・
5月から12月まで14回の講座が組まれている。
敬愛する出版社・コモンズの大江正章さんのオリエンテーションから始まり、
古沢広祐さん (国学院大学教員) の世界食糧争奪戦争の構図解説へと続き、
不平等を生み出す食糧政策の問題から遺伝子組み換えの問題まで考えつつ、
日本と世界の食の未来を構想しようというプログラムになっている。
本音を言えば、こっちでやらせてよ、という気分である。
講師陣の一人、大野和興さん (農業ジャーナリスト) とは、
いつか本気でバトルしてみたいと思っている長~い関係だしィ。。。
僕たちは、「なぜ世界の半分が飢えるのか」 (スーザン・ジョージ) という
1970年代の問いを、ずっと超えられずに今日の 「貧困」 問題まできたのだけれど、
その内部的問題も切開してくれるに違いない・・・・・期待しています。
講座は夜です。
関心ある方、ぜひパルクのHPにアクセスしてみてください。
2009年3月17日
ap bank fes ワークショップ
大地を守る会の広報担当・ U からの指令により、ある会合に出席させられる。
ここは渋谷のとある公共の会議室。
会議名は、「 ap bank fes 飲食出店ワークショップ (第1回) 」。
ap bank については、皆さんご存じのことと思う。
音楽プロデューサー小林武史さんと、Mr.Children の櫻井和寿さん、
音楽家の坂本龍一さん、という超ビッグ・ネームの3人が設立した、
環境に関する様々なプロジェクトに融資を行なう非営利組織である。
その ap bank が、5年前から静岡県掛川市の 「つま恋」 で開催している
野外音楽イベントが 「 ap bank fes 」。
毎年、7月の海の日前後の3日間にわたって開催され、
ミス・チルを中心に、大物と言われるミュージシャンが続々と友情出演し、
また食や環境にかかわるたくさんの団体や市民グループが出店を出して盛り上げる、
一大イベントである。 昨年の入場者数は、なんと2万7千人( × 3日)。
大地を守る会も第1回目から協力して出店してきた。
その fes の今年の出店募集がすでに始まっているのだが、
主催者から、飲食関係の出店者を集めてワークショップをやるので出て来い、
との連絡が事務局にあって、なぜか 「エビスダニという者を出させます」 となって、
フラれたのだった。 だいたいこういう時は、面倒な話なのだ。
「俺だって、ヒマじゃない」 とか言いながら、結局出かける。
この日の参加者は30名ほど。
今年も fes の出店に名乗りを上げているグループの人たち。
さてそこで、何やるの?
主催者 ( ap bank 運営事務局) の言うには、こういうことだった。
ap bank fes では、05年に開催してより、
" 体にも環境にも負荷の少ない素材を使った食事や消費のあり方を通して、
「おいしい」から感じるエコを提案したい " との想いから、飲食出店の皆様にも、
オーガニック純度の高いメニューの取り扱いを推奨してきました。
そこで今年は、新たな試みとして、「オーガニック」素材を扱うことへの意識や、
「食」だけではなく、ごみや環境のことといったイベント全体の趣旨・想いなどを
より深く共有すること、また出店者同士のつながりや情報交換の場として機能する
ことを目指して、出店者説明会とは別に、ワークショップをすることにしました。
いま一度、「オーガニック」について正しく理解することと、ap bank fes における
オーガニックフードの提供に関して、活発な意見交換と情報共有の場となるべく
開催いたします。
要するに、これまで 「オーガニック」 な食材を基本姿勢としながらも、
出店内容 (の素材) や出店者の理解の仕方に多少の温度差があったようなのだ。
また思いはあっても、相手する(用意すべき) 数、規模があまりにも大きくて、
手当てしきれない、という現実もあったようだ。
「やりたくても、カレーの具を全部有機で揃えきれないよ」 というわけだ。
そこでまずは、オーガニックについての基本的なところから共通認識をつくりあげ、
このネットワークで可能な限りオーガニックの純度を上げるようにできないか、
というねらいかと理解した。
そもそも 「オーガニック」 (有機) とは何なのか、
それを fes で音楽を聴きに来た人たちに伝える意義とは何か、
を語り合おうというわけだ。
生産者の立場から、流通の立場から、小売りの立場から、それぞれに思いや実情、
悩みなどを語り合う場となって、僕もいろいろと喋らされてしまった。
「オーガニック」 というより、僕は 「有機」 という言葉を使うが、
それはたんに 「無農薬・無化学肥料」 の栽培技術だけを指しているわけではない。
人と人の有機的つながりや、有機的社会づくり、という視点も含まれている。
栽培技術の側面からいっても、それはただ農薬をふらない、ということではなく、
農薬を必要としない土づくり、という観点が土台になるし、
その土台づくりは必然的に周囲の環境との調和を求めるようになる。
つき詰めていけば、大根一本から世界が見えるようになる。
その世界を有機的な関係で築き直していきたいと思う・・・・・。
ここでは、厳格な定義を示してガイドラインを設定したりするより、
まずは ap bank の基本精神に共感して出店するということを強く自覚して、
一歩でもその純度を上げるために取り組んでいる自分を表現する、
ということではないだろうか。
ちょっとテキトーな発言だったか・・・・
まあ、こういうコミュニケーションを重ねることで、fes (の真意) との一体感を
つくり上げていきましょう。
司会進行をされた南兵衛さん。
何の準備もせずぼんやりと出てしまってすみませんでしたね。
もし次の機会が頂けるなら、もう少し整理して臨むようにします。
とりあえず主催者の想い、は受け止めさせていただきました。
ただし、モノの流通(ネットワーク) は、そう簡単なものではなさそうなので、
慎重に考える必要があると感じました。
過去4年間は、別な予定があったりして、fes には出られなかったけど、
今年はこういう所に顔を出してしまった以上、出させていただきましょうかね。
あっつ~い 「つま恋」 体験をしてみたいなぁ。
今年の ap bank fes は7月18(土)・19(日)・20(月)、です。
チケット入手はお早めに。
2009年2月11日
地球の目線
大地を守る会とは古くからのお付き合いであり、
100万人のキャンドルナイトの企画・運営でもご一緒している
文化人類学者の竹村真一さんが本を出された。
このブログでも、大手町での 「地球大学」 などで何度か紹介させていただいた方。
本のタイトルは 『地球の目線 -環境文明の日本ビジョン-』 (PHP新書、760円)。
地球大学で展開されていた竹村さんの視野と構想が凝縮されたような内容である。
昨年末に頂いて、すぐに読んだのだが、
ちゃんと紹介したい思いがあだになってか、遅れてしまった。

地球温暖化対策が叫ばれて久しくもなりつつあるのに世界はまだ綱引きが続いていて、
一方で未曾有の世界同時不況が一気に襲ってきている時に、
混沌は希望への道筋と言わんばかりの、大らかな未来ビジョンが描かれている。
この時代に出るべくして出た、と言ってもいいだろう。
とにかく、いま私たちが持つべきセンスが開かれたという意味で、
この本の登場は世界にとってもシアワセなことではないかと、素直に思うのである。
たとえば、こんな書き出し。
水に祝福された惑星
アル・ゴアの 『不都合な真実』 は、地球環境の危機に注意を喚起することで、
逆にあたりまえすぎてだれも注意を向けなかったこの惑星の 「好都合な真実」 に
多くの人々が気づくきっかけを与えてくれた。
あるいは、こんなふうな語り。
-本来、地球という惑星に " エネルギー問題は存在しない " 。
-石油の枯渇や高騰などに振りまわされないおおらかな文明を子どもたちにプレゼントする
準備はすでにできているのだ。
- " 京都の失敗 " にこだわるより、中東の石油に過剰依存した現在の経済構造を
一刻も早くリセットして、石油・資源価格の乱高下から自由になるための道を
(地球の公益・共益として) プロデュースしてゆくという、
はるかに大きな政治・外交的な課題がいま目の前にある。
-地球はつねにダイナミックに変化している!
-宇宙に浮かぶ無数の球体のひとつに過ぎない地球、しかし同時にきわめてレアな
進化の実験を行う " ありがたい " 球 (Globe) としての自己認識 -こうした宇宙的な
Globalism に立脚して、新たな文明観と社会デザインを構築すべき時だろう。
そんな感性と知力をもって、エネルギー・資源問題や気候変動のとらえ方、
食と自給の問題 (日本の食糧自給化が地球を救う)、多様性の意味、
都市設計のビジョンからグローバル社会でのヒトとⅠTの関係性のデザインのありよう、
などなどが小気味よく、具体的事例も提出されながら語られてゆく。
いま目の前にある危機は、文明が進歩しすぎたからではなく、
私たちの社会デザインがまだ未熟であるゆえであって、私たちが進むプロセスは
「新たな人間の発見」 「 " 地球世代 " の新たなコモンセンス」
の獲得へとつながっている・・・・・
まったくこの、地球民の想像力を持った大胆な楽観主義者にかかれば、
日本の森は宝の山であり、危機は創造へのバネでしかないようだ。
そんな困難だけれどワクワクするような新たな地球デザイン、国家デザインの道
-人類が 「若年期」 の資源とマネーの暴飲暴食から、人間としてのクリエイティビティを
真に発揮しうるような成熟した段階へと移行するための 「自己変革」 の旅路が、
いよいよ始まろうとしている。
そのおおらかな希望には、ケチの一つもつけたくなる向きもあるかもしれない。
甘い分析だと笑うネクラの政治学者もいるかもしれない。
しかし、未来は人の知力を信じる者たちによって切り拓かれるのだ。
自分の感性に何がしかの新しいセンスが与えられたような、刺激的な本である。
まったく、学ぶことは喜びだ、と思える。
読んで損はない。 今年のおススメ第一号は、かなりイイはず。
ちなみに、大手町カフェでの連続セミナー 「地球大学」 は今、
東京駅前・新丸ビル10階、ECOZZERIA (エコッツェリア) というスペースで、
「丸の内地球環境倶楽部」 として発展してきています。
竹村さんが開発した 「触れる地球」 も体験できます。
東京駅で少しの時間ができた際には、ぜひ。
竹村さんの地球大学セミナーを紹介したアーカイブ、参考まで。
2008年12月24日
私の 「水俣」
さてさて、またもや数日の時間がたってしまったが、水俣での話に戻りたい。
生産者会議解散後、僕は一人てくてくと、ある場所を尋ねた。
財団法人 「水俣病センター相思社」。
今ではほとんどお付き合いはなくなってしまったけど、
かつて、ここで1982年から10年ほど続いた、
水俣病と有機農業を学ぶフリースクール-「水俣生活学校」 というのがあって、
僕はその学校設立にあたっての出資 (債権) 者の一人だった。
大地を守る会に入る前の話である。
出資金額はたかが一口5万円だけど、まだペエペエの自分には、
とてもきつい、決意のいる金額だったんだ。
(今でもしんどい額だけど。 いや、今なら出さないかも・・・セコクなったねぇ)
閉校になった後、出資金は返せないと言われてしまった。
というわけで、この地に来た以上、外すわけにいかない表敬訪問だったのだ。
べつに借金の取り立て、とかの意味ではなくて。
上の写真は、相思社のなかにある 「水俣病歴史考証館」 という建物。
水俣病の歴史を語る資料が展示されている。
元は、水俣病患者さんたちの自立を支援するために建てられたキノコ工場である。
水俣病の歴史を解説するのは、ここでは省きたいが、
チッソ水俣工場から工場排水と一緒にメチル水銀化合物が水俣湾に流されたのは、
1932 (昭和7) 年から始まっていること、
その後不知火海 (八代海) 一円で水俣病が発生し、風土病とか言われながら
患者さんおよびその家族は婚姻などで差別された歴史があったこと、
水俣市が公式に水俣病を 「確認」 したのは1956 (昭和31) 年、
国がチッソ株式会社の排水による公害病として認定したのが1968 (昭和43) 年、
という時間があったことは押さえておいてほしい。
「水俣病」 が世に知られてから、すでに半世紀の歳月が流れている。
公害病と認定されるまで、いや認定されてからも、
日本の化学・軍需産業の発展を担った " 天下のチッソ " の城下町として栄えた
この町で、チッソと喧嘩することがどんな苦しみや迫害を伴ったか、
想像するだに辛いものがある。
そして悲劇は、より残酷な現実を世に送り出した。
母の毒を一身に引き受けて、母を救うために生まれたような
「胎児性水俣病」 という病名を背負った生命の誕生である。
僕が初めて水俣病を知ったのは、中学生の頃だったか。
NHKの 「新日本紀行」 とかの番組で、水俣で奇妙な病気が発生している、
という報道だったように記憶している。
それが企業の排水による公害だったということになって、チッソの株主総会に
「怨」 の字を縫い付けた法被を着た漁民たちが攻め込んでいた。
僕も四国の片田舎で毎日海を見ながら生きていた者である。 連帯感を感じたものだ。
くわぁーっと胸が熱くなって、「よし、弁護士になってやる!」 と決意した。
いっぱい勉強しないとなれないと分かったのは、高校生になってからだったかな。
正義の味方だと胸を張っても、近道はないのだった。
諦めも早かったなぁ。 何たってテキは社会悪の前に、 「ベンキョー」 だったから。
ま、そんな与太話はともかく、
相思社を訪ねれば、「もうその頃のスタッフは残ってませんねぇ」 とか言われながら、
でもさすがに、元生活学校の債権者という威力だろうか。
栃木出身の高嶋由紀子さんという若い女性が丁寧に応対してくれた。
患者さんたちの位牌を預かっているというお仏壇に、お線香を上げさせていただく。
この儀式は、今の自分への改めての問いかけである。
歴史考証館を見学させていただいた後、
水俣の今を案内してもらった。
ここは最も水俣病の発症が多かった茂道という地区。
当たり前のように佇む、海。
海の神さんや山の神さんらと楽しく共存していた無辜な漁労の民が、
近代化という遠い雷鳴のせいで、なんで生きて地獄を見なければならないのか。
切なさが込み上げてくる・・・・・悔しいなぁ。
港々のいたるところにエビス様が、鎮座している。
エビス様は、漁師の安全と豊漁祈願の神様である。
僕の田舎では、エベっさんって言われてるけど-。
高嶋さん- 「はい。 こっちでもそうですよ。 エビスダニさんて、もしかして由緒ある・・?」
・・・・・いえ。 えべっさんとは呼ばれてたけど、べつに、ただの貧しいウチです。
ハァ・・・(つまんない) 。
ここが元工場の百閒 (ひゃっけん) 排水口。
昭和の初期から30年以上にわたって、
70~150トン、あるいはそれ以上の有機水銀が垂れ流された。
堆積した水銀汚泥は、厚さ4メートル以上になっていたという。
1977年、県は汚泥除去をかねた湾の埋め立てを行なった。
工事期間14年、総工費485億円、失われた海58ヘクタール。
水銀ヘドロとともに、汚染された魚もドラム缶に詰められ、埋められた。
結局、誰が儲かったのか。 誰が負債を請け負っているのか・・・・・
その土地は現在、公園になっている。 公園に立つ記念碑。
ここで2004年8月、石牟礼道子さんの新作能 「不知火」 が上演された。
台風も一日待ってくれた、とか。
その埋め立てられた海の上に立って、はからずも泣きそうになる。
この足の下に・・・・・もう、なんも言えねぇ。
高嶋さんはよく気のつく方で、「ガイア水俣」 にも立ち寄ってくれた。
大地を守る会では、乾燥アオサをいただいている。
患者さんたちがつくった甘夏栽培の会 「きばる」 の事務局を務めながら、
いろんな水俣産品を販売して水俣の再生と活性化に尽力している。
右が藤本としこさん。 水俣市初の女性議員となった方。
隣のお二人は、高橋昇さん・花菜さん親子。 東京・世田谷から水俣に移り住んだ。
水俣は、ただの悲劇の街ではなく、その歴史ゆえに、
希望の意味を深く考えさせる力を持っているのかもしれない。
「一生かかっても、二生かかっても、この病は病み切れんばい」
わたくしの口を借りて、そのものたちはそう呟くのである。
そのようなものたちの影絵の墜ちてくるところにかがまり座っていて、
むなしく掌をひろげているばかり、わたくしの生きている世界は極限的にせまい。
年とった彼や彼女たちは、人生の終わり頃に、たしかに、もっとも深くなにかに到達する。
たぶんそれは自他への無限のいつくしみである。 凡庸で、名もないふつうのひとびとの
魂が、なんでもなく、この世でいちばんやさしいものになって死ぬ。
祈るべき天とおもえど天の病む
- 石牟礼道子 『不知火』 (藤原書店刊) より -
2008年12月21日
現代の種屋烈士伝 -野口種苗研究所
さて、水俣の話を続ける前に、今日のちょっとした出来事を挟ませていただきたい。
埼玉県飯能市に、小さな種屋さんがある。
飯能の市街から名栗村 (現在は飯能市に合併) に向かう県道沿いの
小瀬戸という地区、並行して流れている入間川 (名栗川とも呼ぶ) との狭間に
その種屋さん、「野口のタネ・野口種苗研究所」 はある。
玄関で出迎えてくれるのは、なぜか手塚治虫のキャラクター、
アトムくんにウランちゃん、そして火の鳥。
何を隠そう、ここのご主人、野口勲さんは、
手塚治虫が創設したアニメ制作会社 「虫プロダクション」 の元社員で、
手塚治虫担当の編集者だったという経歴の持ち主なのである。
ちゃんと手塚先生お墨付きの看板というわけだ。
で、日曜日になぜここを訪ねているかというと、
とある出版社の編集者とライターさんが、野菜の品種改良の世界についての実情を
知りたいということで問い合わせがあり、野口さんを紹介したというワケ。
そのライターの方とは6年前に米のことで取材を受けてからのお付き合いで、
今回久しぶりに仕事がらみでの連絡、「面白い人を知りませんか」 となったのだ。
とっておきの面白い人、知ってますよ。
大手の種苗メーカーに行く前に、この方の話を聞いておいて損はないはずです。
-ということでご案内したのだった。
しかもウチはここから少し奥に行ったところの、ご近所みたいなものなので、
自分でご案内しないことには面子が立たない、という事情でもあった。
店内に並べられているタネの数々。
しかしこれらは、そこら辺のお店に並んでいるものとは、決定的に違う。
いわゆる固定種、つまりタネが自家採取できる品種が集められているのだ。
店主・野口勲さんが自称する 「日本一小さな種屋」 で、
細々と (失礼) 、しかし確固たる哲学を持って集められ、販売することで守られてきた、
文化の集積である。 どっかの研究所の冷蔵庫ではない。 農家に使われながら、
生き続けてきたタネである。
「伝統野菜」とか言われて、ちょっとしたブームになっている地方品種もある。
それらが、野口さんがパソコンを駆使して自らデザインしたタネ袋に納められている。
野口さんのタネは、ネットで購入できます。
家庭菜園されている方には、ぜひこういう個性的な品種にチャレンジしてみて欲しい。
ご案内した編集者、ライターの方を前に訥々(とつとつ) と、時にちょっと短気に、
品種改良の歴史を語る野口勲さんである。
話の内容は取材者のものなので、関係上、ここで解説するのは控えたい。
今日は大地を守る会でのタネを守るプロジェクト企画-「とくたろうさん」 の担当・秋元くんにも
同行してもらったので、エッセンスは 「とくたろう」 ブログでも語られることだろうし。
要するに、品種改良の歴史や科学的解説は、ややこしくて面倒くさいのである。
野口さんは、今年の8月に本も著している。
発行は、創森社から。 定価は 1,500円+税。
取材インタビューの途中、中座して、タネ袋を眺めていると、先代 (二代目) の
庄治さんが声をかけてくれた。 大正3年生まれ、94歳。
目も耳もしっかりしていて、いろいろと解説してくれる。
その中で注目したのは、これだ。 発芽試験器-『メネミル』 。
戦後の混乱期、不良品のタネが出回る中で、
仕入れたタネがちゃんと発芽するものかどうかを確かめるために、
庄治さんが考案した " 芽と根を見る " 道具。 特許品である。
今も業界内で売れていると言う。
地方の小さな種屋さんが、農家や、自給菜園で食いつなごうとする人々のために
考え出した道具。
どんなにシンプルなものでも、新しい道具というのは、
強い動機がないとなかなか生まれるものではない。
もちろん、自身の商売の信用維持ということもあっただろう。
ホームセンターも多いこの町で、
「タネは野口から買え」-そんな地元の声が今もあることを、僕は知っている。
庄治さんには、さらにもうひとつの " 顔 " がある。
詩人・野口家嗣。
若い頃には、西条八十に師事し、数多くの詩を残している。
一年365日を、その時期々々の花や野菜や植物を題材にして詩を編んだ。
あるいは全国都道府県の花や木をテーマに歌を書いた。
「世界の花言葉を見るとね、その花に寄せた思いは実は同じものがあるんですね」
なんてすごいことを、さらりと解説してくれる。
地元の同人から出したものだろうか、簡易印刷で綴られた詩集も取り出してくれた。
『 野菜畑の詩集 -野菜作りも楽しい詩作り 』
-めくってみれば、こんな詩がある。
らっきょうの夢
畑のへりの らっきょうも
時を重ねて その根には
ひとひら毎に 思い出の
小さな夢も 秘めている ...............
この人、なんか、すごくない?
帰ってから調べてみると、野口家嗣作詞の童謡がいっぱい検索された。
ただもんじゃなかった・・・・・た、大変失礼しました。
戦後の混乱期に、種屋の二代目を継いだ詩人。
発芽試験器なんぞを考案しながら、植物や花を愛で、旅をし、詩を詠んできたんだろう。
そして、人の営みと一緒に育くまれていく、文化としてのタネを売ることに
矜持 (きょうじ) をかけているかのような三代目。
すっかりF1品種に支配された時代、遺伝子組み換えまで来てしまった21世紀に、
庶民の手で受け継いでゆけるタネが維持されていることは、希望である。
思い切って、種屋の 「烈士」 と呼ばせてもらおうではないか。
(右端は勲さんの奥様、光子さん)
ちなみに、野口さんは、先日紹介した 『自給再考』 を編纂された
山崎農業研究所から、今年、山崎記念農業賞を受賞されている。
研究所の横にちょっとへんなバナナが植わっているのを、
僕はいつもこの前を通りながら見ていた。
今日は思い切って、聞いてみる。
これもきっと何か、研究目的があって・・・・・とか?
野口家嗣翁、僕を静かに見つめて、曰く。
あなた、これはバナナではありません。 バナナはこの辺では・・・ (フッ)
これは、芭蕉です。 観賞用ですな。
それにそこは、お隣の庭です。
あっ......す、スミマセン・・・・・
2008年12月16日
「自給率」の前に、「自給」の意味を
先日、一冊の本が送られてきた。
他のを読んでいた途中だったので、しばらく置いてしまったのだが、
なかなか刺激的で、日曜日に一気に読み切った。
本のタイトルは
『 自給再考 -グローバリゼーションの次は何か- 』
山崎農業研究所編。 発行元は農山漁村文化協会 (略称:農文協)。
送っていただいたのは、その研究所の編集委員会代表の田口均さん。
田口さんは、当会も古くからお付き合いのある農文協の
出版物制作部門の会社にお勤めである。
田口さんとは、本ブログでよく登場する宇根豊さんが主宰する 「農と自然の研究所」
の会合などでもお会いしていて、何と、この日記もチェックされているとのこと。
嬉しいような、怖いような。
本書のテーマは、まさに書名の通り。
自給率向上が喧しく唱えられる時代であるが、ただ数字だけで何かを語るのでなく、
そもそも 「食の自給」 とはどういうことなのか、その意味を再考し、
ただしく捉え直してみようという試みである。
執筆陣は10名。
いずれも僕が尊敬し、あるいは注目している方々というのが、何より嬉しい。
まずは巻頭に西川潤氏 (早稲田大学名誉教授) を据えて、
世界の食料危機の背景を整理されている。
この半世紀での爆発的な人口増加とグローバリゼーションの進展は、
新興国の肉食化やアメリカのエネルギー戦略の変化、投機マネーの穀物への流入、
さらに世界的な農畜産業の工業化と生態系の悪化、気候変動の激化、
新しい感染症の発生・・・などなどと相まって、
グローバルに貧困を拡大させ、各地で暴動が起きるまでに至ってきている。
そんな世界的に食料危機が常態化しつつある時に、
わたしたち (日本) の食と健康はますます多国籍企業の影響にさらされていて、
「まことに憂慮すべき (心寒々とする) 状態にある」 。
しかしそれでも、地域自立を目指した動きがあちこちで始まっていることに、
希望をつなごうとしている。 もちろんその中に有機農業もある。
西川先生の国際経済論の講義は実は僕も受けたことがあって、
まったくお世辞でなく、僕が真面目に受けた数少ない授業の一つだった。
今なお一線でご活躍され、何よりです。
さて、すべての論考を解説してしまうととても長くなるし、
解説して読まれたような気になられると田口さんに叱られるので、
以下、タイトルと論者を列記することでお許し願いたい。
◆ 『貿易の論理、自給の論理』 -関 廣野氏
◆ 『ポスト石油時代の食料自給を考える』 -吉田太郎氏
◆ 『自然と結びあう農業を社会の基礎に取り戻したい』 -中島紀一氏
◆ 『 「自給」 は原理主義でありたい』 -宇根豊氏
◆ 『自給する家族・農家・村は問う』 -結城登美雄氏
◆ 『自創自給の山里から』 -栗田和則氏
◆ 『ライフスタイルとしての自給』 -塩見直紀氏
◆ 『食べ方が変われば自給も変わる』 -山本和子氏
◆ 『輪 (循環) の再生と和 (信頼) の回復』 -小泉浩郎氏
どの論も簡潔で、小気味よく、気合いが入っている。
関廣野さん (本当は「廣」の右に「日」偏がつく) の文章は久しぶりだけど (スミマセン)、
やっぱ名調子だなと思う。
「世界貿易の課題は相互に必要な物資の交換でなく市場の無限の拡大にある」
「対等な交換の見せかけをした恒常的な略奪」
「食料危機は重大な問題ではあるが世界の現状は悲観すべきものではない。
コロンブスの航海に始まる世界貿易の時代は終わりつつある」
「貿易と自給をめぐる議論は最後には民主主義の再定義という問題に行きつく」
人類史の視点から自給を考えた吉田太郎さんも面白い。
(いまの)米国農業は、収穫される食物1カロリーに対して、機械・肥料その他で
2.5カロリーの化石燃料を燃やし、加工、包装、輸送も含めると、
朝食用の加工品3600カロリーを作るのに1万5675カロリーを使い、
270カロリーのトウモロコシの缶詰一個を生産するのに、2790カロリーを消費している
「世界で最も非効率な農業」 だと・・・
吉田さんがこの論考で引っ張ってきている人類学という学問は、
「原始時代と現代とで、はたしてどちらが幸福か」 という問いを現代人に与えた。
僕もかつて読んだことがある。
現代の進歩として考えられているものの大部分は、実は、先史時代に広く享受されていた
水準の回復なのである。 石器時代の人びとは、その直後に続いた時代の人びとの
大部分より健康な生活を送っていた。
おいしい食べ物、娯楽、美的よろこびといった生活を快適にするものについても、
初期の狩猟民や植物採集民は、今日のもっとも裕福なアメリカ人にしかできない贅沢を
享受していた。 森と湖ときれいな空気の中で二日間過ごすために、現代では
お偉方たちでさえ五日間働くのである。 当節は、窓の外にわずかな芝生を眺める特権を
得るために、家族全員が30年間こつこつと働き貯蓄をする。
~ 『ヒトはなぜヒトを食べたか ~生態人類学から見た文化の起源~』
マーヴィン・ハリス著、鈴木洋一訳 (1990年、早川書房刊) から
人類学とは、まったく嫌な事実を発見するものである。
しかし、石油のピーク・アウトが現実のものとして視野に入りつつある今、
次の 「どうやって食うのか」 は、とても切実な課題として迫ってきているわけで、
人類学の各分野から示されてきているヒト史からの教訓は、
大事な基礎データであることは疑いない。
そして、中島紀一さんへ。
有機農業技術は、単なる無農薬無化学肥料栽培のための技術的ノウハウでも、
有機JAS規格クリアのための技術集積でもない。
有機農業の技術形成とは、近代農業からの転換を踏まえ、自然と共生する農業を
それぞれの現場で創っていく過程だという理解である。
有機農業のこうした新しい展開が、日本農業の未来にどのような現実を拓くことになるのか。
取り組みはまだ端緒の段階にあり、その具体的未来像はまだ見えてきてはいない。
その未来像を生産者とともに切り拓くために、
僕は僕なりに、大地を守る会の新しい監査システムを指向しながら、
まずは有機JAS規格の向こうを目指したく思っています。
他にもいろいろ紹介したいところがあるのだけれど、
あとは、もしよかったら、書店かネットでお買い求めください。
グローバリゼーションがもたらした世界をわが暮らしとも関連づけて見つめ直し、
「自給」 という言葉を自分のものにするために、人が動き始めている。
そんな確信をもたらせてくれます。
気になったのは、各地で盛んになっている 「直売所」 を、
地産地消の成功モデルとして無造作に礼賛し過ぎていないか、という一点だろうか。
2008年11月12日
"ニッポンの食の安心" を考える工務店
腰痛も時折の衝撃程度に治まってきた先週末、
今度はパソコンがいかれてしまった。
何とか代替機にデータを移し変えて作業を復旧したところである。
すっかりコンピューターに支配されてしまって、しかも手も足も出ない我が身の情けなさよ。
一方で、こういう時のシステム担当の方が神様・仏様に見えてくる。
拝み倒しながら、腹の中では 「忌々しい時代になったことだ」。 ブツブツ・・・・・
-とか何とかボヤイたところで、お構いなしに働かされ続ける私。
先週の土曜日(11月8日)には、東京・中野サンプラザの研修室にて、
自然住宅でお付き合いいただいている河合工務店さんが主催する
「暮らしのセミナー」 で講演したのだが、タイトルが恐ろしい。
『日本の食の安心、安全を目指して-』
ニッポンの~ かよ。
この不安渦巻くご時勢に、よくぞまあ、こんな大胆なタイトルの講演を引き受けたものだ。
-と日が近づくにつれ緊張も高まり、直前ギリギリまで
パワーポイントでの講演用スライド資料づくりにかかったのだった。
自分のノートパソコンを使って。
もったいないので、このネタで一本書き残しておきたい。
話した内容を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいが、
要約すれば、こんなことをお話させていただいた。
今の食べ物生産をめぐる状況は、グローバリズムと低価格競争のなかで、
モラル・ハザード (危機) が激しく進行している。 危機というより崩壊に近いかもしれない。
正直にモノをつくることができなくなってしまったのだ。
また食は環境と密接につながっているのだけれど、
これも今一瞬の利益確保のために後回しにされ、
私たちの命を支える地球の生態系は、その生命力の土台ともいえる多様性を失いつつある。
そして消費者には食についての正確な情報が遮断されてしまっている。
" つくる人 " と " 食べる人 " の分断が、 " 安心の喪失" と " 安全の後退 " を
ひたすら深めてきたと言えるのではないだろうか。
私たちは誰 (何) とつながるのか、衣・食・住の観点から見つめ直す必要があるのではないか。
そして暮らしのネットワークを築き直したい。 それは私たちの手でできることである。
作り手の誇りや責任感やモラルを支える消費があって、
暮らしを支え合うネットワークの中でお金も一緒に回れば、
エンゲル係数は上がるけれども、安心は揺るがず私たちの中にいてくれるはずだ。
それはまた未来の環境を守ることにもつながっている (無駄な税金も要らなくなる)。
土曜日の夜に100人近い人たちが集まってくれて、
最後までしっかり聞いてくれて、終わった後も懇親が続いて、
お別れしたのは11時を回っていた。
腰痛も忘れさせてくれた、けっこう熱いセミナーだったなぁ。
こういう人たちをつなげている主催者、河合工務店さんのポリシーにも唸らされた。
「地元 (何かあったらすぐに駆けつけられる距離) の方からしか注文を受けない」
地産地消の工務店なんだという。 名刺には 『我が街と共に歩む』 と刷られている。
こうやって暮らしのネットワークが、ひとつまたひとつとつながり、広がっていくことに、
「希望」 という言葉を重ねたいと思うのだった。
2008年9月24日
汚染米緊急集会
久しぶりに爽やかな秋晴れの朝を迎えたのに、
気分はブルーグレーのような雲のなかにあって、
午後、永田町の衆議院議員会館に向かう。
『汚染米 農水省追及緊急集会』 というのが開かれたのだ。
全国43の団体が呼びかけ人になって、100人近い人が集まっている。
議員会館の会議室もいっぱいで、座ったが最後、席を立つのも息苦しいような雰囲気で、
この事件に関する農水省とのやり取りが始まる。
現場では気づかなかったけど、追及の及の字が違ってるね。
ま、そんなことは許容範囲として、
許し難い事態となってしまった責任を農林水産省がどのように受け止めておられるのか、
確かめたくて参加したのだが、
結果はさらに虚しく、喩えようのない複雑な怒りを抑えながらの帰途となってしまった。
農水省へのこちらからの質問は事前に提出してあって、
回答は文書で出して欲しい旨伝えてあったのだが、紙は一枚も用意されず、
すべて口頭での回答となった。
質問は多岐にわたった。
以下、いくつかピックアップしてご紹介する。 ( )内は私の解説。
ちなみに、会場の人たちは 「汚染米」 と言い、農水省は 「事故米」 と言う。
前提から、認識というか視点の違いが存在する。
★汚染米の転用や処理については、どのような法律に基づいて、どのような基準で、
どのような用途・方法がとられるのか?
-物品管理法に基づき国が管理。 事故米は食用不適と判断し、用途を決定して
指名競争入札にかける (少量の場合は相対で売買契約もある)。
用途を決めるのは農政事務所の判断 (要するに人による現場判断か)。
「事故米」とは、水に濡れたり、カビたり、袋が破けたり、基準値以上の残留農薬が
あったもの、など (数字から見ても、とても杜撰な管理体制のように思える。
政府米倉庫ってちゃんとしたものだったと記憶しているのだが・・・)。
★ミニマムアクセス米 (MA米:最低限の輸入義務量-正確には「輸入機会を与える」量-)
の輸入開始以来の年ごとに、輸入量、購入総額、事故米発生数量、事故の内訳、
処分方法、処分先の業者名を明らかにされたい。
- (ばあ~っと直近5年間の数字が報告される。
処分先の業者については、この間公表された企業名が列挙されたのみ。
「事故米」の数量と残留基準を超えた米の数量の計算が合わず、質問したところ
「2年後、3年後に再検査して発見されたものが追加されているので、
年度ごとでの数字は合わない部分もある」 との事。 これまた釈然としない。)
★汚染米の輸出国への積み戻しはどうしてできなかったのか?
-相手国の港を出た時点で契約は成立するため、返却は困難。
★こちらの検疫検査で引っかかって積み戻す事例はたくさんあるはずだが?
-MA米については現地で (委託された商社による) 検査・確認がされ、
現地で契約となっている。
★アフラトキシン汚染米の動物飼料への転用はあったか?
-それはない。 焼酎に使われた2.8トン以外はすべて在庫を確認している。
(検査で発見された数量に関しては、ということで、見つけられなかった汚染米
も相当あるのではないか、との疑問も出されたが、
さすがに、見つかってないものを 「ある」 とは言えず、ここまで。)
★汚染米を海外援助にまわしたことはないか?
-ない。
★(MA米でない) 国内産の事故米の実績と処分方法を明らかにされたい。
-(年度ごとの数字が読み上げられ、処分方法についてはMA米での回答と同様。
ということは、国内産の事故米についても疑惑が残る。)
★カドミウム検査で基準を超えたものはどのように処理されているか?
-ゴミ処分場で出た焼却灰といっしょに固めて人工骨材になるものと、
合板用の糊の増量剤として使われている。
米は粉砕し、(転用されないよう) 着色した上で、
国が直接、合板用糊の加工業者に販売するので、トレースもできている。
(カドミウム米と事故米を処理する部署は同じ 「総合食料局」 内にあるのだが、
連携はもちろん、情報交換もまったくされていない。 我々には理解不能。)
★非食用とした米の入札に、なぜその用途先の専門業者に限定せず、
穀物業者を参加させていたのか?
-そういった加工用の販売先を持っている業者なので・・・・・
★そもそも業者に対してどんな検査をしていたのか? 96回も行って、なぜ見抜けなかったのか?
-検査はしていた。 していたが見抜けなかったということ。
(具体的にどんな検査方法をとっていたのかは結局不明のまま。
これでは 「ただお茶飲んで出された饅頭でも食ってたのか」 と罵られても仕方ない。)
★汚染米を工業用糊に回したというが、具体的に何に使われたか?
使ったメーカーまで確認しているか?
-糊といっても普通の一般的に使われている糊ではなく、合板用の接着剤である。
販売先については、現在調査中である。
(絶句! 調査中なのに何故用途先が明言できるのか。
そもそも最初の発表からもう20日も経ってしまっている・・・イライラが募る。)
調査の結果はお渡しする (ことをしぶしぶ約束)。
★汚染米はトレース可能な処理方法が必要だ。農水省の対応策を明らかにされたい。
-これまではちゃんとした検査のマニュアルがなかったので、早急にマニュアルを
作成するとともに、検査にも専門知識を持った者をあてるなどの対策をとりたい。
!!! ついに怒り爆発。 ぶち切れ状態で質問する。
それはいったいどんな専門知識のことを言っているのか?
では過去96回も出向いた職員は、なんの知識を持って出かけていたのか?
そもそもこの問題は、特別な専門知識やマニュアルを必要とするレベルではない。
売った先を確かめ、そこでの処理と内容を作業記録等で確認しながら
末端まで辿ってゆく、という真面目な人なら誰でもできる作業である。
それをしていたのではなかったのか。
私の団体は、農水省から監査を受ける立場にある有機農産物の認定事業者であるが、
もうやってられない!
ここでようやく 「申し訳なく思っています」 の発言を引き出す。
目の前の個人を責めているのではないのだが、あまりにも情けない公僕の姿ではないか。
トレサビリティの問題ではなく、国民に対する責任感の問題である。
リスク・コミュニケーションの問題ではなく、正直であろうとする姿勢の問題である。
誇り高き和菓子職人が頭を抱え、
事故米の食品転用に手を染めてしまった仲介業者の経営者が自殺し、
数多くの食品会社が経営の危機に瀕するような事態を、誰がつくってしまったのか。
そこで働く従業員やその家族らがどんな思いで日々を過ごしているのか、
思うことはないのだろうか。
これは 「事業者か、消費者か」 というような二者択一の問題では決してない。
食のサプライチェーンをしっかり見ることで、
事業者と食べる人の間に信頼を確保し、ともに守ること、それが国の責任だろう。
出口が見えない。
2008年9月20日
底なしの汚染米
いったいどこまで落ちていってしまうのか......底なし沼の汚染米問題。
「農水省に責任はない」 とか開き直っているうちに、
とうとう仲介業者の経営者に自殺者が出て、
コンビニおにぎりが10万個、学校給食45万食......もはや言葉が見つからず、
何も書けずに嘆息ばかりしてたら、何と!大臣&次官の同時辞任ときた。
一週間前に、この大臣には退陣願いたい、と書いたけど、
今度は、ホンマに辞めてどないすんねん! の心境である。
もう一度書くけど、
「私の責任にかけて、問題を切開し、徹底的に改善措置をとる」
と、どうして言えないのだろうか。
これじゃ、敵前ならぬ国民からの逃亡ではないか。
就任したのはつい先月のこと。
「私を選んだのは正解です」 と胸を張ったのは、あんたですよね。
こうなったら言い放ちついでに、
どうせならその胸のバッジも外すべきじゃないか、くらいは言わせてもらおうか。
その間にも、米国産豚肉に中国産松茸と、国産に化けていた話が
ちっちゃく報道されてたり、かたやウナギ業界にも自殺者が出たり、
報道の裏で相当な数の食品会社が潰れていってるんじゃないか、
なんて考えこんでしまう。
・・・・・・・・・・だめだ。 何も書けない。 頭の中が、まだ整理できないでいる。
「劇場政治」 の舞台裏は、堕落と絶望で渦巻いているようだ。
現実が信じ難いものである一方、
偽善と妄想はいちばんしっかりした真実として重視される。
( ヘンリー・ソロー 『WALDEN:森の生活』/真崎義博訳 より)
一世紀半も前の言葉である。
2008年9月13日
ああ、怒り収まらず・・・・・
事故米(汚染米と言いたいが) をめぐって次から次へと出てくる事実は、
これまでの自分の知識なんか関係なく世の中が流れていたのかと思い知らされているようで、
もういっぺん頭をニュートラルに戻して、この問題を俯瞰し直す必要がある。
この国は相当な病いに侵されているか、
ちょっとしたカラクリに振り回されて泥沼に陥ったか、見極めもつかないまま、
誰も彼もテキトーな論評でお茶を濁していて、どれも納得ゆかない。
少し冷静になろう、と思っている自分がいるんだけど、
それでもやっぱり、沈黙に入らせてくれないのが、つまらない政治家ってヤツだ。
すみません、政治に立ち入ってしまいますが、
太田農水大臣には退陣願いたい、というのが今の私の切なる願いです。
「体に影響ないことは自信を持って申し上げられる。 じたばた騒いでいない。」
おそらくは国民を落ち着かせようとしての発言なんだろうが、
決定的にポイントを外している。 たまたま見ていた報道番組でのインタビューでも、
「消費者の立場だけじゃなくてね、たくさんの事業者の立場もありますから。」
-これはダメよ、あんた。 すべての被害は消費者に行き着くんだから。
" (消費者も事業者も含めた) すべての人のために、
問題を切開して、制度をつくりかえる "
と断固表明してほしいものだ。
「やかましい消費者」 には笑ったけど (つまり、当座は許そうと思ったんだ)、
ここまでくると、もう君の寄って立っている位置が透けて見えてしまっている。
いっとくけど、
1.メタミドホスもアセタミプリドも、残留数値からいって、すぐに健康被害が起きる
ということはないだろう。
しかし、それが学校給食や老人ホームのお赤飯 (-というのが哀しい) にも、
和菓子や米菓子にも、色んなルートに広く流れる構造が出来上がっていることに
(私の想像では、レトルト・惣菜・外食・・・となるが) 危機感を抱かない者に、
食の監督長は任せられない。
「すぐに健康危害はなく」 っても、 基準値を超えて食用に回さないと決めたものが、
今日食べた食材の何品に入っていたのか分からない、という生活は
君だって耐えられないでしょうが。
2.カビ毒のアフラトキシンB1。 これはダメです、ということがどうもお分かりでないようだ。
これは遺伝毒性のある発がん物質であり、
許容値も定められてない 「検出されてはならない」 ものだということを。
しかもこの物質は、日本国内には存在しなかったものであるゆえに、
検疫の検査でもきっちり食い止める必要がある、と認識されていたものだ。
この汚染がこれからどこまで広がるのか、あまり危険を煽りたくはないが、
検疫チェックに携わる方々の苦労は、この大臣のお陰で報われなくなるかもしれない。
焼酎だけなら恐れることはないかもしれないが、
それで済ませられると思っているなら、その椅子に座る資格はないです。
今日はせっかく、能天気で、でもほのぼのとして、かつ嬉しい
ケント・ロック (米国・ノンGMコーンの生産者) からの手紙が届いたので、
紹介したいと思ったのに、
これだけは言っておかないと気がすまない状態になってしまった。
で、もう疲れました。 明日は稲刈りだし。
汚染米の問題は、ちょっと頭を冷やして、
脳みそか胸の奥に引っかかっているものをつきとめたく思ってます。
2008年9月12日
糊(のり) に米は使われてないって?
書けば書くほど腹が立ってくる事故米の話なんかはやめて、
西オーストラリアのGMOの続編をお伝えしなければ、と思ったりしてたところ、
この問題はさらに恐ろしい扉を開いたようで、
もはや論評だけではすまなくなってしまった。
今朝、提携米研究会 (以前の 「提携米ネットワーク」 ) 事務局の
牧下圭貴さんから緊急メールが届き、驚愕する。
-とんでもないニュースがネットで配信されている。
おとといの驚愕とは比較にならない驚愕である。 なんて言えばいいんだ。
工業用糊に米は使われていない!!! -農水省は知っていた?
え? ええ? ・・・・・・・絶句する。
J-CASTニュースというネット専門のサイトで、昨日流れた情報。
農薬やカビ毒に汚染された「事故米」が食用として出回っている事件で、
農林水産省は 「糊など工業用に限定して販売を許可している」 と説明していたが、
実は国内では、接着剤などの原料に米を使用することはほとんどないことが判った。
くだんの三笠フーズの場合も、「工業用糊加工品」 に用途を限定して販売したとされているが、
J-CASTニュースが取材したところ、糊メーカーの大手3社 (ヤマト、不易糊工業、
住友3M) は、いずれも 「米を原料にしている製品はない」 という回答だったという。
また
「米を原料に糊を作っているメーカーがあるという話は聞いたことがない」 と。
澱粉糊の原料は米ではなく、タピオカやコーンスターチだと。
また同ニュースは森林総合研究所にも取材をしており、
合板をつくる際や修正材に使う接着剤の原料も、
小麦を使う例はあるものの、米を使ったものは見たことがない、とのこと。
これが本当なら、農水省の説明の大前提が崩れることになる。
使い道のない米を、穀物業者に引き取らせていた・・・・・
もう少し調査の経過や報道を待つ必要があるが、
色んな疑問に、それぞれうがった推測が可能になってくる。
農政事務所の検査で販売先までの追跡 (トレース) をしなかったのは、
裏の事実を知っていたからか。
なぜ汚染や事故米を輸出元に返さず、国内で処理しようとしてきたのか。
なぜ 「工業用原料に限定」 された米の入札に
(食用の)穀物業者だけしか参加していなかったのか。
なぜ糊加工のメーカーや業界は、国の誤った説明や、
みんなが鵜呑みにしていた" 常識とされていた非常識 " に対して、
今までコメントを出さなかったんだろうか。
そして、同様に説明されていた過去のカドミウム汚染米は、どこへ行ったんだろうか。
事故米は、販売過程で相当広範に混ぜられて流通されていたことも判明してきている。
給食にまで流れていたとか。
毒は長~い流れのなかで薄まりながら、広く行き渡っていったみたいだ・・・・・
家畜の飼料にまで。
想定範囲以上に、知らずに混ぜられた原料を購入している可能性まで出てきた以上、
こっちはこっちで、足元からその先まで見直す作業を
改めてやらなければならなくなってしまった。
今までの確認でOKだと認識している、では済ませられないだろうから。
このエネルギーは、どこにも転嫁できない。
食に関わるあらゆる企業がとばっちりを受けている。
もう農林水産省なんて解体してもらっても構わない、という心境である。
2008年9月10日
汚染米転売-これもグローバリズムが生んだ悲劇か・・・
本ブログの画面を開いて、オオーッ!と声を上げる。
先週お詫びしたばかりのカレンダー機能が、さりげなく顔を見せているではないか。
内心ではもう諦めていたのだが、ちゃんと気をつけてくれてたのね、管理人さん。
ありがとうございます。
お怒りのメールを頂戴したTさん、いかがでしょうか。
管理人さんへのお礼に、幕張界隈で見つけた秋の訪れを感じさせる画像を。
なにこれ? すみません。 石榴 (ザクロ) を見つけたんですよ。
熟したら生で食えますよ。 どうぞ。
よかったら柿もあります。 こちらもまだ早いですが。
彼らも必死で、自然の摂理を読み取りながら都会の中で生きてます。
ゲリラ豪雨の波状攻撃が去って、蝉の声も消えたと思ったら、
夜はいっせいに鈴虫が鳴き始めていて、だんだんと秋の風情ですねぇ・・・
しかしそんな爽やかさも束の間のようで、台風と熱帯低気圧がやってきてます。
日曜日の稲刈りが心配。
さてと。 実をいうと、私の気分は全然爽やかでなく、
先週末からの怒りが、収まるどころか、さらにヒートアップしてきているのであります。
三笠フーズによる輸入汚染米の食用転売事件について。
おとといの日記で、農水省はいったいどんな調査をしたのだろうか、と書いたけど、
今日の新聞では、さらに驚愕の事実が明らかにされている。
調査は2回の立ち入り調査だけではなかった。
過去5年間で計96回、粉にする加工の立ち合いをやっていたというのだ。
昨年1月の 「告発」 を受けての調査では、
『 -700トンが未開封のまま在庫としてあるのを確認しただけ。
担当者は 「二重帳簿になっていて不正を見抜けなかった」 と釈明。』
加工の立ち会いでは、
『偽の帳簿を疑わず、出荷先に本当に納品されているのか、裏付けをとることは一度もなかった。』
三笠フーズの社員は、
『現物は確認されないし、粉にした後に 「すぐに出荷して、物はありません」 と言えば済んだ 』
と語っている。
要するに、現物も作業現場も確認せず、
トレース (追跡) もまったく取らなかったわけね。 サイテーじゃない?
これでは何もしなかったどころか、
結果からみれば、完全な行政の業務怠慢による犯罪幇助ではないだろうか。
彼らの 「立ち会い」 とは、事務所でお茶を飲むことか。 迷惑千万な話である。
不祥事は企業だけでなく、国の監督省にまで及んでいた、ということだ。
これまでの数々の違反事例とは様相を異にするものとして、
" 食の安全を脅かした事件史 " を堂々と塗り替えたと言えるだろう。
また新聞記事によれば、農水省幹部が、
「疑ってかからないと検査にはならない」 などと偉そうに語っている。
まるで他人事のような発言もしゃくにさわるが、
その姿勢そのものが、決定的に間違っていると思う。
疑う前に、適切なトレースを怠った足元を見よ、と言いたい。
トレーサビリティの意味は、「疑って調べる」 ではなくて、「信頼の補完」 である。
まずは、伝票や作業記録をたどって、モノの流れがきちんと追える体制ができていることを
確認する。 管理体制に不備があれば改善をうながす。
その上で、処理や作業が適正になされたこと (不正がないこと) を確かめる。
裏付けのトレースも含めて。
この作業をていねいに進めることで、企業への信頼を守ってあげることなのだ。
企業からすれば、検査があることで自分たちの管理状況のチェックができ、
信頼が担保されることにつながる。
その関係があってこそ、あるがままを見せようという姿勢も生まれる。
疑う者と疑われる者の関係では、お互いの手口が巧妙になっていくだけだ。
そんなことに税金をかけないでもらいたい!
商道徳を守る健全な企業を育ててほしいのです!
農政事務所の立ち会いと調査・確認行為が適切になされていたら、
ここまで傷を深めることなく、立ち直りの可能性もあったかもしれない。
『 農水省とは共存共栄でやってきた... 』 と語る三笠フーズの
社員の方々は全員解雇されたらしい。 哀しい話だ。
ここで農水省はどんな内部治療をしてくれるのか、注視したい。
この一件によって、輸入汚染米を工業用途として引き取る業者もいなくなるように思われる。
保管料が1トンにつき年間1万円。 焼却処分にも1万円。 プラス運搬費。
糊に活用されることもなく、膨大な税金とエネルギーだけが無駄に消費されることになる。
そして、思えばこれも、ミニマムアクセス (輸入義務) というグローバリズムの裏で
翻弄されている現場の悲劇、と言えなくもないような気がしてくる。
みんなで損をしながら義務米をお金に換えようとして、そこに
マネー・ロンダリングのような悪魔の技が見事にはまってしまったような。
これも幕張周辺で拾った一枚ですが、花の名前が分かりません。
どなたか教えていただけますでしょうか。
街路樹のマテバシイ。 どんぐりも、いつの間にか成長している。
みんなたくましいね。
2008年5月 6日
水路は未来への財産だ!
昨日 (5月5日) から全身が痛い。
腕も太モモも尻の筋肉も張って、おまけに腰までキツイ。
日頃の怠慢がタタっている。 加えて数ヵ所、虫に刺された痕がカユい。
世間はゴールデン・ウィークのまっただ中という5月4日、
わたくし、エビは予告通り、真面目に
会津・喜多方、旧山都町での棚田の水路補修のお手伝いに行ってきたのでした。
日本百名山にも数えられる霊峰・飯豊 (いいで) 山の登山口もある山都町、
早稲谷 (わせだに) 地区。
清流が当たり前のように流れる谷筋の里の風景。
ここは、飯豊山系の雪解け水がブナの原生林に蓄えられたあと、
最初に溢れ出て形成される早稲谷川の最奥の集落である。
それは最も汚染のない上流部でもあるわけで、この水系で育まれる稲はシアワセである。
と同時に、この水系を最初に利用する地域の人々が手作業で守ってきた水路 (本木上堰) は、
麓の人たちにとっても、貴重な財産なのである。
その地域がいつの間にか 「限界集落」 と言われるような過疎の地となり、
堰の維持が困難となってきた。
その堰の補修作業に、都会からのボランティアを募る提案をしたのが、
11年前に入植した浅見彰宏さんである。
2000年。 地元の方の不安も漂う中で初めてボランティアを受け入れたときは、
おそらくは浅見さんが全責任を追うような格好だったのではと想像する。
それが今や違和感なく、喜んで受け入れてくれるまでになった。
' 新規就農者の鏡 ' と言えば簡単だが、苦労もあったことだろうと思う。
今年も20人を越えるボランティアが集まって、総勢50人くらいで清掃作業に入る。
この堰の特徴は、すべて山の中にあることだ。
水系の最も上流部にあり、しかも流末までの標高差が少ない。
つまり、なかなか高度が下がらず、ずっと平行とも思えるような水路が延々と尾根伝いに続いて、
里に水を供給する緩やかに長く続く水路。
それによっておそらくは周囲からの湧き水を集めることで水量が確保され、また温み、
あるいは逆に厳しい雪や大雨に耐えることができる。
これは高度な技術であり、システムなのだ。
したがって、なくなることは災害のリスクを高めることにもつながるだろう。
しかし、であるが故にか、作業は結構つらい。
コンパクトカメラのレンズのカバーに泥でもかかったか、下の部分が開ききってない。
本木上堰の長さは6キロ。 最上部から下る班と、下から登る判に別れ、
双方から、落ち葉や土砂をすくいながら前進してゆく。 出会うまで終われない。
体はなまくらなくせして、地元の人に舐められたくないと、意地も張ってしまう。
写真を撮るのもためらわれるが、突如、こんな光景にぶつかったりする。
万年雪と落ち葉が重なり合って水路に迫っている。
この地の冬の厳しさが推測される。
ちょと開けた所から、里を眺める。
水路を守り、水路に抱かれて暮らしがある。
写真には収められなかったけど、途中で色んな小動物にも出会う。
驚いて逃げはするも大人しく手に乗るアカガエル、水路の真ん中で動かない交尾中のヒキガエル、
名前も同定できない小さな魚......、サンショウウオもいるらしい。
不思議なことに、放置するよりも中規模の撹乱があった方が、
生物の多様性は高まるのだ。
休憩風景。 ちょっと疲れが見えてきている。
江戸時代に掘られたという手掘りのまま残っている所もあれば、
大雨や融雪で決壊したりするたびに修復を繰り返してきたなかでコンクリが打たれた箇所もある。
たたかいの跡が偲ばれる。
こんな水路が、日本列島に40万km。 地球10週分。
これはとんでもない歴史遺産ではないか。 遺産にしてはいけないが。
お昼を食べた後、木陰の草むらでダウン。眠りこける。
これは労働なのか、癒してもらっているのか......
朝の8時半から始動して、作業が終わったのは午後3時半頃。
公民館の庭で慰労会が開かれる。
地元の人から感謝されるのが面映い。
この日は夜も交流会が予定されていたのだが、翌日に仕事もあって、
後ろ髪を引かれる思いでおいとまする。
去年からまだ2回の参加ではあるけど、この水路から
営々と暮らしを築いてきたヒトの歴史や文化というものの奥深さを思った。
見極めることはできないかもしれないが、漠とした感傷で評価するだけでなく、
突き止めたいと思うのである。 この意味を。
未来を考える上でも、遺跡にしてはならない。
帰りの山都駅まで 「俺が送っていく」 と申し出てくれた地元のUさんが、
車の中で語ってくれた。
「こういう出会いを大切にしたいと思ってる」
「浅見さんには本当に感謝してるんだ」
新規就農者だからできること、はある。
未来をつくることは、面白いのだ、やっぱり。
最後におまけ。
5月3日の行きの途中。 幸運にも、会津若松からSL列車に乗ることができた。
「SL ばんえつ物語」 号。 観光客が大勢来ている。
しばらく懐古趣味に浸る。
列車から見た飯豊山系の姿。
何度見ても、懐の深い山並みである。
喜多方から山都に向かう途中で見えた、
我らが純米酒 『種蒔人』 の蔵元、大和川酒蔵店の飯豊蔵 (いいでくら) の佇まい。
パトカーが出ているのは、けっして大和川酒造を見張っているのではなく、
SL を撮影したりする沿道の観光客の監視と思われます。
2008年3月16日
東京の水のデザイン (続)
まったく、IT社会はストレス社会だ。
一瞬のキーボードのタッチミス (のよう) で、書いたものが全部、パッと消えてしまった。
原稿用紙ならこんなことはゼッタイに起きない。
しかも、それが2度も続くと、脳みその血管が切れそうになる。
しかも、だいたいノッてきた時とか終了間際に起きたりするんだよね、これが。
原因がつかめないまま、気を取り直して3度の書き直し。
チマチマと保存しながら、結局疲れ果てて、途中でアップする。
そんでもって、消えた原稿の方がよかったと思ったりする。
トホホ.........(って、なんかほのぼのする表現だよね。人に優しくなれそうな。)
さて、改めて続けたい。
第3部-「東京の水のデザイン~数百年の計で考える」
ではこの都市に暮らす私たちは、何をどうすればいいのか。 どんな方法があるのか。
具体的な実践例や提案を出せ、ということで前に立たされた、いや、座らされたお三方。
写真右が 「ドクター雨水」 こと村瀬誠さん。
中央がワタシで、左は法政大学教授の陣内秀信さん。
村瀬さんは、墨田区の雨水利用システムを編み出して、一躍有名になった方だ。
「すべての水は天が大本」 「下流に小さなダムを」 と、雨水を貯める 『天水尊』 を地域に広めた。
東京の水需要が20億トン。 一方で東京には、実は25億トンの雨が降っている。
その雨はコンクリートの地面では地下に貯えられることなく、海に流れるだけである。
水循環を支える天水を受け止め、暮らしに活かし、あるいは地下水に貯える、
それは東京に住む人間が考えなければならない義務ではないか。
利根川に依存し、上流にたくさんのダムを造って東京に回す前に、
ここに暮らす者どもとしてやることがあるだろう、というわけだ。
僕が村瀬さんと知りあえたのは、1995年、
水俣病の映画を撮り続けたシグロという映画会社が制作した 『続・あらかわ』 という
ドキュメンタリー映画がきっかけだった。
ウチは荒川の支流になる入間川の上のほうで、
家庭排水を浄化する 「ニイミ・システム」 というのを取り入れたことで取材を受けたのだが、
そんな一軒のささやかな取り組みと違って、
村瀬さんは海抜ゼロメートル地帯で家庭サイズのダム (天水尊) を普及するという
面的な展開をつくった、ある意味で革命的な行政マンとして映画に登場していた。
荒川の源流・甲武信ヶ岳から東京湾まで、
水と共生する営みを追いながら川を下り、墨田区に辿りつく。
映画の副題は 「水の共同体を求めて」 。 いい作品だった。
久しぶりにお会いしてみれば、村瀬節はますます磨きがかかっていた。
さて、そんな村瀬さんの、実践に裏打ちされた話を受けて、
ワタシに与えられた課題は、「東京の水循環と農業」 -である。 難しい。
で、こんな話をさせてもらった。
食料自給率1%の東京で、目先の安さを求めて、供給地 (依存先) との距離を
どんどん離れさせてきた。 そのツケが回ってきたひとつの事例がギョウザ事件であり、
税金を使った検査体制の強化である。 自治体の赤字はそれによって膨らんでいる。
そもそもモノの流れのなかで、最下流での監視やチェックというのは、
もっとも効率が悪い作業であり、それによって "安全・安心" を担保するのは不可能である。
検査や分析とは、ある行為の裏づけや結果を確かめるのに有効なものなのであるからして。
暮らしの安心をちゃんと確保したいなら、食べものの距離を縮めることだ。
それによって、生産と消費を信頼 (モラル) でつなぐ "顔の見える関係" も築くことができる。
一個や一本の単価は上がっても、安心の基盤が確保され、社会全体のトータルコストは下がる。
その方が環境にも良い。 つまり永続的であるということになるはずだ。
したがって、都市にこそ周辺に農地が必要なのだ。
農地という地べたはまた、水を地下に染みこませてくれる。
最も安く、効率の良い貯水装置は、水田である。
千葉県市川市では、つい10数年前まで、つまり平成の時代に入ってもなお、
真間川洪水対策のために水田を残そうとしてきた。
農政課とかではなく、土木課が、大雨の時に水を張ってもらう約束をして、
農家に補助金をつけて米を作ってもらっていたのだ。
利根川と荒川に挟まれた危険な街・埼玉県草加市もそう。
こちらはせんべい屋さんと連携して、地元のせんべい屋さん用に出せば補助金をさらに乗せる、
という手法だったと記憶している。
地場産業と田んぼを一緒に保護しながら、治水対策に懸命になっていた。
今はもう、そんな制度はともになくなったようだ。
洪水の記憶はどこかに消え、土地はお金に変わった。
では地価の上がってしまった東京で、周辺に農地といったって無理、なんだろうか。
ビルの屋上を、ただの緑化ではなく、田んぼにしてはどうか、と思う。
30センチの畦をつくって雨水を受け止めれば、1haで3000トンの水が手に入る。
ビル内のトイレの水の相当量が自給できるのではないか。
みんなで米をつくる、社会的食育活動にも活かせば、
農水省も文科省も喜んでくれるように思うのだが。
東京は肥料源の宝庫でもあるし。 食品残渣がゴミでなく、資源になる。
人も多いので、当然、無農薬でなければならないね。
一ヶ所に集めてアルコール燃料 (バイオエタノール) にすることもできる。
屋上緑化から 『屋上田園』 へ。 屋上を地べたに!
みんなで 東京田園構想 をつくりませんか。
時間も押していて、腹も減ってたし、かなり早口で一方的に喋っておしまい。
でも、これはただの思いつきではない。 実現可能なことだと思っている。
これまで、こんな話を農業論や都市論や環境論の観点でやっても、
なかなか真剣に聞いてくれることはなかったのだが、
僕にヒントと勇気を与えてくれたのが、実は 『Water展』 だった。
つまりデザインの力で、美しく、魅力的に表現することができるのではないだろうか。
東京湾アオサ・プロジェクトのPRもつけ加えておいた。
生活のありよう、その内実を受け止めている海。
そこでの循環は、生命の浄化機能だといえる。
海と陸の窒素循環を再生させるには、やはり近隣に農地 (土) が必要である。
さてさて、また長くなってしまいました。
最後にご紹介。
こちらが、地球大学のホスト役、竹村真一さん。 文化人類学者であり、京都造形芸術大学教授。
2年にわたって、毎週々々、時代のテーマを取り上げては、
新しい文明ビジョンのコンテクストに組み込んできた。
間違いなく、
21世紀の 「知」 を切り拓いている
一人である。
こういう人が大地の会員であることに、
僕はふるえる。
ところで-
環境を意識して設計され、
グッドデザイン賞まで受賞した
この 「大手町カフェ」 が、
ビルの都合により
4月いっぱいで閉鎖されるとのことである。
それまでにもしお時間があれば、一度覗いて見られることをおすすめしたい。
カフェは閉鎖されるが、地球大学でつながったネットワークは、
とどまるところを知らず、刺激的にパワーアップされていっている。
『 水をキーワードに、東京をリデザインする 』
次なるイメージの爆発を、楽しみに待ちたい。
いや乗り遅れないよう、こちらも仕込みも忘れず、だ。
『地球大学』 セミナーのアーカイブは、こちら (←) でご確認できます。
2008年3月15日
『地球大学』-東京の水のデザイン
東京・大手町の大手町ビルにある 「大手町カフェ」 で
毎週開催されている環境セミナー 『地球大学』 。
昨夜( 14日 )、番外編の企画が組まれた。
テーマは 「東京の水のデザイン ~利根川から考える~ 」 。
夕方5時半から始まって、終了は9時半過ぎ。 長丁場のセッションとなった。
プログラムは3部構成で、ゲストが10人という贅沢な仕掛け。
これまで行なわれてきた水をテーマにしたセミナーと、
六本木 「21_21」 で開催した 『WATER』 展までの中間総括として、
足元・東京の水について整理しておこうというねらいで企画された番外編。
多彩なゲストも皆、手弁当での参加である。
第1部-「なぜ 『利根川』 なのか?」
まずはホストの竹村真一さんが、利根川水系を源流 (群馬と新潟の県境・大水上山) まで
辿ってきたフィールドワークをベースに、概略を説明する。
首都圏2500万人の水を支える利根川。
戦後、急速に経済発展と人口増加を遂げた東京は、
1964年の水不足 ( " 東京砂漠 " という言葉を生んだ) と東京オリンピックを境に、
水道水の8割を利根川に依存するようになった。
しかし治水と利水の観点から眺めれば、極めて脆弱な基盤の上に成り立っている。
竹村さんは、源流から河口までの地勢と水循環を、立体視地図を駆使して示しながら、
東京の潜在的リスクの可視化を試みる。
国交省の河川調査官・渡邊泰也さんが、
家康の時代から今日までの江戸-東京の治水の歴史を、災害の歴史と重ね合わせて、
竹村さんが示唆したリスクを裏書きしてくれる。
しかも、世界平均の倍の雨が降る日本でも、
首都圏の一人あたりの降水量にすれば世界平均の4分の1となり、
一人あたり 「貯水量」 となると、ニューヨークの10分の1しかない。
今進んでいる温暖化は、さらに激しい洪水と渇水の繰り返しを予測させていて、
水利用率の急激な低下が、近未来の現実のものとして想定されてきている。
法政大学エコ地域研究所の神谷博さんは、「源流からの眺め」 と題し、
やはり立体視地図を使って、地球史の流れから 「東京水圏」 を再現させる。
キーワードは、「東京水圏」 と 「古東京川」 だと。
縄文海進で関東平野が水浸しになる前には、東京には古代の川があった。
利根川と荒川と多摩川は一つの河川・流域であった。
その時代、人は源流の高みから関東の地勢・地形を見通していただろう。
そうか......僕らは今、コンピュータのお陰で新しい視点を発見したような気になっているが、
実は失ったまなざしであったのか。
そこで第2部は、「利根川の可視化、可触化」 のためのワークショップへと進む。
京都造形芸術大でデザインを学ぶ上林壮一郎さんの仕掛け。
関東平野に注ぐ河川をテーブルの上で立体化する。
そこに色をつけた水を源流から流して、関東平野から東京が浸食される動きを感じ取ってみる。
コーヒーや洗剤や雑排水が混じり溶け合いながら、暮らしを支える水系を染めてゆく。
これが今の私たちの暮らしの様子、ということか。
東京芸術大学の川崎義博さんは、源流から拾ってきた音を天井のスピーカーから再現する。
目を閉じて耳を澄ませば、冬の水音に混じって、鳥の声が採取されていたりする。
何より、水の息づかいは、動物の心を癒す。
" 生きられる安心 " 感は、すべて水によって与えられているのだ。
さて、第3部・・・・・ワタシの出番なのだが、すでに相当に時間が押している。
竹村さんも少し気が急いてきて、3部のゲスト3人を前の椅子に座らせる。
(すみません。 作業中に瞬間的にデータが飛んで消えてしまうという現象が何回も続いてしまって、
疲れてしまいました。 もう耐えられません。 続きは明日にします-)
2008年3月10日
自給率とメタボリック?
内心、過剰反応だったかしら、などと思い返しつつも、数日たってもやっぱり気持ちは変わらない。
農水省と全農の新聞全面広告のことだ。
日本の農業(食料) を守る手立ては、生産と消費を健全につなぐ作業にかかっていて、
そこにこそ想像力を働かせたい。 それが常に僕の関心事でもあって。
しかも、これからの物資の高騰に耐えるのは、消費者である。
ここでの 「消費者」 には当然生産者も含まれるから、要するに国民すべてか。
ならなおさら、具体的施策が欲しい。
で、周辺に目をやれば、もう一人、自給率にハマッたヤツがいた。
「とくたろう」 ブログ - 農産の仕入担当・朝倉裕が2回にわたって書いている。
大地公認のブログ2本が、こんな調子になっちゃっていいのか、という不安もよぎるが、
なんかこう、そんな "流れ" になっちゃったんだよね。
彼の論考は、自給率の低下からメタボへとつながっている。
たしかに、この半世紀近くで決定的に増えたのは、肉と油脂の消費量で、
また米以外の穀物もほぼ外国に依存するかたちになってしまった。
それが自給率の低下と相関関係にあるわけだから、
結果としてのメタボリックと言えば、言えなくはない。 いや、その通りだ。
ま、私としても、型どおりの 「日本型食生活を見直そう」 より、
「メタボ不安からの脱却のために」 とか言われた方が、真剣になるような気もする。
ちなみに、コレステロールを心配するのも、実は現代の欧米食生活特有のものであって、
ヒトの普遍ではない。
これは文化人類学者・竹村真一さんが明快に語ってくれているので、お借りする。
「たまたま現代の先進国のような肉食中心の飽食社会では、 " (コレステロールが) 溜まりにくい "
遺伝子のほうが良いように思われるが、人類は何万年も肉食が日常ではあり得ない環境に暮らして
きたし、これから地球は再びそうした時代に逆戻りするかもしれない。
家畜を育てる飼料の穀物をそのまま人間の食糧にすれば10倍の人が食べられるのだから、
食糧危機の時代にはそんな非効率を許す余裕はなくなり、
肉食は年に数回の贅沢となるかもしれない。
そんな時代には、コレステロールという人体に必須の要素が溜まりにくい体質の遺伝子は
不利になるだろう。」 (『Voice』 08年3月号 「地球文明への条件」 より)
加えて、米の生産量が800万トンあたりの国に、生ごみ (食品残渣) が2000万トンとは、である。
(2150万トンという数字もある。 家庭からの排出量計算の誤差と思われる。)
国土はヒト以上に超メタボ状態である。 そのほとんどは輸入農産物、でなかったら計算が合わない。
自給率39%の国で、輸入超過でメタボ。 これがこの国の自画像だ。
これに対する医療費はどう考えたらいいんだろう。 絶望する方が楽だと言えるくらいだ。
でもって、ついつい、税金の使い方が気になってしょうがない。
また新規就農の斡旋や単純な規模拡大論では自給率は向上しない、のもたしかである。
「とくたろうさん」 の結論
-「自給すべき品目に対しては、どうしても適切な補助、支援が必要だ。」 に同意しつつ、
「健全な食」 を維持するために、補助金 (税金) をどう健全に回すか。
食べ物を作ってない我々消費者こそ、考えるべき時が来ているんだと思う。
幕内秀夫さんの 『粗食のすすめ』 じゃないけど、
「食生活は豊かになったのではなく、でたらめになっただけ」 なんだろう、たしかに。
でも・・・価格の安さである程度の (贅沢ともいえない) "豊かさ" を手に入れようとしてきたことも、
今の僕らの暮らしの側面でもあって、
偉そうに否定したからといって、簡単に乗り越えられるものでもない。
であるからこそ、これからの苦しい消費生活の先に、希望の有効打を打ちたい。
僕の、かの全面広告に対するイラ立ちとは、実は、
自分への焦りなのかもしれない。
2008年3月 7日
新聞の全面広告 -怒りがおさまらん・・・
夕べは、外を眺める余裕を失っていた自分に愕然となって、
独り手酌酒の挙句に、ヘンな境地にハマってしまった。 反省・・・
気分を変えて-
実は先週、東京集会後の溜まった新聞を見ていて、どうにも違和感を感じたものがある。
癪(しゃく) に障る、と言ってもいい。 しかも連続攻撃で見せられたから、たまらない。
ともに朝日新聞から。
まず2月27日付朝刊。 32面に全面広告が出ている。
刺身にたけのこ煮、納豆、しょうゆ、白菜の漬物、ご飯に味噌汁の写真。
キャッチコピーはこう。
「和の食材だから日本産、というのはほぼ思い込みです。」
まあ食材の出所に関心のある方なら、だいたい、あるいは薄々とでも知っていることではあると思う。
はて、どこが出したのかと眺めれば、「農林水産省」 とある。
いま、私たちが口にする食料の6割を海外から輸入していることをご存知でしょうか。
私たちの食卓は、洋風化が進み、国内で賄えるごはんの消費は減り、
輸入に依存する肉や油の消費が増えてきました。
また、古くからある身近な食材まで輸入に頼ることも多くなってきました。
~(中略)~
海外への依存度合いが高いほど、海外の需給動向の影響を強く受けます。
海外に多く依存する私たちの食卓のリスクを少なくするために、日本にある食材を
見直してみませんか。
こういった解説とともに、日本の食料自給率の推移がグラフで示されている。
昭和40 (1965) 年には73%あった自給率が、平成18 (2006) 年には39%となっている。
そして、「食べることで自立する、日本の食」 だと。
思うに、日本の自給率を下げた根本的な背景は、国策である。
労働力を農村から都市に移動させ、工業製品を売って稼ぐ。
一方で、食は安い海外から持ってくる。
そうやって国民の消費力を向上させてきた。
食の洋風化もまた、かなり意識的に誘導された結果である。
胃袋 (生命線) を世界にさらしてきた結果、「食べることで、食の自立は失われてきた」 のである。
今や耕地まで荒れさせている。
農水省は何をしてきたのか。 自らを省みず、とはこのことではないか。
しかも、セコイことを言わせてもらえば (いやけっしてセコくはないと思うが)、
この広告代が何百万円 (制作費も含めればもう一桁上か) かかったのかは知らないが、
これは農水省が稼いだお金ではない。 我々の税金である。
世は中国産ギョウザの一件以来、一気に国産回帰の勢いだが、
値段も必然的に上がっている。
穀物や燃料や資材の高騰であらゆる食材が値上がりするなかで加速されたこの状況は、
台所には、かなりきついボディブローである。
健康や環境のために、
「まずもって、食べることこそ、大事にしよう」 と大地は訴えてきた。
「国産のものを食べよう」 とも言い続けてきた。
この30数年、僕らはどれだけ農水省に喧嘩を売ってきたことだろう。
あんたたちは買ってもくれず (ぐやじい!)、無視してきたんじゃないか、こういう主張を。
私は言いたい。
この広告を出す金があるなら、ずっと国産の食べものにお金を払い続けてきた消費者に、
キャッシュバックすべきだ。 あるいは、国産消費特別控除みたいなことをやれ。
国産野菜は消費税カット、はどうだ。
だって、「国産を支援する消費」 を訴えるためにこんなに税金を使ってるんだよねぇ。
消費者にヒイヒイ言わせて、自分たちは、そんな彼らから徴収した税金を食いながら、
平然と 「もっと高いものを食べましょうよ」 キャンペーンをしようとしている。
なら答えはこうならざるを得ない。
私たちは国産のものを食べる。 その分、税金を減らすか、農水の経費削減をお願いしたい。
これは感情的な怒りではない。 経済の理屈である。
・・・ああ、だめだ。
「やっぱり書いておこう」 が、書けば書くほど、また腹が立ってきた。
もう一つが、二日後の2月29日。
今度はJA全農、つまり農協の元締めが全面広告を出したのだ。
「安心して食べられる国産農産物を守るために。」 ~
ううう・・・モノ言いたいが、ひと言だけ。
こちらの経費は、農民から吸い上げたものだ。
どうも、どちらもギョウザを "追い風" と見たか。
これだけ中国に依存してきて、
一元 (中国の通貨単位) しか出さないくせに百元の管理を求めてきて、
中国バッシングでは一転して、ここぞとばかり国産キャンペーンか。
もう止めよう。 終われなくなる。
今日の結論。
高みからのキャンペーンよりも、腰を低くしてのお願いよりも、
いま必要なのは、消費 (者) を具体的に支援することだ。
目線を台所に置いてみれば分かることだ。
農林予算を、消費 (国民経済) 支援に回せ!
※ 昨日の日記は、書き出した時にはすでに日付が変わっていましたが、
ワタシ的には昨夜なので、無理やり6日に変更しました。
基本的には、書き出した日時で表示されてますので、写真の貼り付けが遅れたり、
中断しているうちに1日、2日と経ってしまったりして、なかなか手際よくできません。
ブログって難しいですね。 というよりむしろ、怖いです。
2008年1月21日
水の世紀と日本文明
先週の1月17日(木)夜、久しぶりに大手町カフェでの 『地球大学』 に参加する。
毎週々々、環境に関連していろんな面白いテーマが採り上げられ、
ついに80回を数えた。
今回のテーマは、「水の世紀と日本文明-100年を見通して-」。
講師は、立命館大学客員教授で日本水フォーラム事務局長の竹村公太郎さん。
今回もなかなか刺激的な話が聴けた。
数日経ってしまったが、聴きっ放しで済ませてはもったいないと思い直して、
以下、ざっくりとメモを辿ってみたい。
今から6000年ほど前の縄文前期。
最終氷河期が終わって、世界は温暖化のピークを迎えていた。
平均気温は今より2℃ほど高く、海面水準は5メートル上にあった。
いわゆる縄文海進というやつ。
日本で真っ平の所(平野部) はほとんど海の底だったのだ。
つまり日本の沖積平野というのは、水はけの悪い元海底であり、
東京もまた途方もない湿地帯だった。
そこでの昔の稲作というのは(実は半世紀くらい前まで)、
胸まで水に浸かったりしながらの作業だったが、
しかし日本人はそこから膨大な富を得てきた。
有史以来、日本にとってもっとも重要なエネルギー資源は森林だった。
権力者は建造物を建てるのに材木を伐り集め、
すでに戦国時代には近畿地方一帯は禿げ山と化していた。
秀吉は日本中から木を集めた。
家康は崩壊した関西の森を目の当たりにして、
江戸に拠点を築く決意をしたのだ (これは講師の推論)。
1600年のころの江戸は100戸くらいしかなく (ホント?)、
周囲はエネルギーの宝庫だった。
ちなみに近畿地方の山並みは、明治以降の植林によるものである。
幕府が江戸に移って心血を注いだのが、治水である。
生活用水を確保するために虎ノ門辺りにダムを造り水を貯めた。
(現在の「溜池」という地名が、その名残りだそう。)
そして東京湾に注いでいた利根川の大改修をやって、
言ってみれば洪水(のリスク) の70%を銚子に流したのだ。
その国土の10%しかない沖積平野に、
50%の人口と75%の国家資産が集中している。
温暖化で5メートル(2℃分) 海面が上昇すると、そのかなりが水没する。
しかし、森林を中心とした90%の国土は残る。
日本列島の土地利用を見直すべき時に来ている。
温暖化で、日本の降水量は年々バラつきが激しくなってきている。
干ばつと集中豪雨が繰り返される(=落差が激しくなる)。
そのときに必要なのが、雨を集める装置=森である。
ピーク時に水を抱える力は限られるが、森があることによって土の崩壊が防げる。
森が崩れるとすべてが崩れる。
このまま温暖化が進むと、100年後には、
北海道は関東の気候に、関東は台湾の気候に、九州が亜熱帯地方になる。
これは極めて劇的な変化である。
冬の雨は一気に海に流れ、'春の雪解け水' はなくなる。
春から水不足の不安が生まれ、水田稲作はこれまでのような形では維持できない。
エネルギー源では、石油はあと43年とか言われているが、
石油はたくさんの製品の原料としても使われている。
その需要と供給のバランスで価格が暴騰してゆけば、
もっと早くに(エネルギー源として)「燃やす」ことができなくなるかもしれない。
水は太陽エネルギーそのものなのだ。
各地に自給型の水車を提案したい。
太陽光や風力、水力などによる分散型のエネルギー政策が必要。
そして次に期待できるのは、水素だ。
日本列島を、「水と水素の国」 にしよう。
そのためにも、日本は大急ぎで山のメンテナンスをはからなければならない。
すでに熱帯林の値段が上がってきている。
日本の山村を 「限界集落」 とか言って嘆いているうちに、
中国資本が買い占め始めている (これも本当だろうか?)。
地方とどうタイアップするかは、都市の問題なのだ。
食料自給率はカロリーベースで40%を切ったが、金額ベースでみれば70%である。
肉さえ諦めれば自給できる。 日本型食生活を見直しませんか。
またリン鉱石が今世紀中に枯渇する。これは化学肥料がなくなるということだ。
いまアメリカが買い漁っている。
リン鉱石の大もとは、鳥のフンである。
糞のリサイクルを考えないと、食料生産はおぼつかなくなる。
(つまりは有機農業ってことね。しかも糞のリサイクルを考えるなら、実は
自給型畜産=肉も重要な位置になる。そこは分かって欲しいところだ。)
また海が荒れている。
近海資源(=沿岸の保全) を早急に立て直さなければならない。
どこでも獲れていたアサリまで輸入されているが、
近海の魚介類資源を維持・再生させなければならない (アサリは海の浄化者だしね)。
最後に、日本本来の特徴は、Small is Beautiful だ。
地域の多様性を守り、文化の多様性を守る、新しい社会モデルをつくろう。
それをつくれるのが日本だと思う。
......と、そんな話でした。
日本には資源がある。
日本に生まれてつくづくよかった、と思えるようにしたいものですね。
2008年1月19日
食料の安全保障について考える(続)
(昨日から続く)
あの年(93年)、冷害によってコメは歴史的な不作となった。
作況指数はたしか75だったか。
(あの冷害でも75%の収穫があるコメの強さと、
それだけ日本の環境に適した作物である、という視点もあるが、ここではおいといて)
国の備蓄もなく、年末には緊急輸入となって、
タイ米をめぐる恥ずかしい騒動なども起こしつつ、一気に市場開放へと進んだ。
86年から続いた市場開放論争が、
一度の凶作という事態で、あっという間に方をつけられた格好になった。
翌年の豊作の声が聞こえ出した頃には、
実はコメ(の在庫) はあったことに気づかされるのだが、
ま、それもおいといて、
そんな騒ぎのさなかでの、深夜の討論会だった。
『コメをどうする?』 みたいなタイトルだったが、
だいたいあの番組(「朝まで生テレビ」) は、人数が多いこともあってか、
討論というよりは、だいたいがぐちゃぐちゃの喋くり合いで終わる。
あの時もそんな感じだった。
もう15年も前の話なので、
その時の市場開放派の論調をここで解説するのは省かせていただくが、
昨日書いたグローバリズム推進派の論点と、土台はほとんど一緒である。
わたし的に共通点を整理すれば、こうなるだろうか。
まず、食料は金さえ出せばいつでも手に入るし、日本には買う力がある、
という前提がある。
それが貧しい国から食料を奪うことにつながっていることは、あえて無視するか、
「別な形で援助すればよい」 という論理にすりかえられる。
93年の日本の緊急輸入がコメの国際価格を高騰させ、
コメが食べられなくなった人々がいたことは見ようとせず、
したがって心が痛むこともない。
自国のことしか考えてないことを、見事に表現してないだろうか。
『すべての人々が、健康に暮らせるために必要な量の、
安全で栄養のある食料を、手に入れることができること』
これが 「フードセキュリティ」 の国際的な共通概念なのだが、
自国の農地を改廃させて、他国から買い漁る国は、
実は極めていびつで、世界標準から大きく逸脱しているとしかいいようがない。
それはまた、輸出力(国際競争力) のある産業がこの国を守っている、
という強烈な固定観念にもよるようだ。
工業を優先して、その貿易を守ることが日本の豊かさを守っている。
食料(農業)の保護主義は捨てろ!むしろキケンだ、という信念のようなものがある。
しかし、こんな国運営をしている国は、実はどこにもなくて、
あの手この手で国内の食料生産力を守ろうとしているのが、万国共通政策である。
食料の安定的確保は、貿易のみで保証されるものではない。
極めてリスキーで、食の安定はどの国においても「国家の基本施策」 である。
昨日紹介した、日本を揶揄したブッシュさんの演説が象徴的だ。
要はバランスの問題であることを、すっかり忘れてしまっている。
いや、特定の利益を守ることを最優先したいがために'仕立て上げられた'論、
そのお先棒を担がされていると言えば、言いすぎだろうか。
15年前の「朝生」討論で、こんな発言があった。
「コメも自由化して、海外からの圧力によって、日本の農業の甘さを立て直しましょう」
あの頃よく使われていた言い方である。
こんな無責任な亡国の論を到底許すわけにはいかないと常々思っていた。
本音は '農業は潰れてもいい' に近い。
自分でも分かるくらい興奮して、必死で叫んでいた。
「そんなのは、政策でもなんでもない!
他国の力を借りてこの国の農業を立て直すなんて、暴論を通り越して
ただ無責任に国(民)を放り投げようとしているだけだ。
僕たちの食料と農業と環境をどうつくるのかは、僕たちの手でやらなければならないことだ」
番組終了後、テレビ局の方から、あなたの発言が一番良かった、と
言ってもらえたのを、今でも覚えている。
経済(数字) だけで国力を語るなら、次のことを考慮に入れる必要がある。
外部経済という観点だ。「外部不経済」 の観点といってもいいか。
そのモノがつくられることによって、タダで得られているものがあるとすれば、
そのモノの価格には、お金に換算されてない別な価値が潜んでいる。
その価値を 「経済」学として捉えてみれば、
その価格で買うことによって守られている価値が見えてくる。
逆にそのモノがつくられなくなったら、潜在的に保証されていた価値も消える。
たとえば、ある製品が環境を汚染して、
その汚染を除去するのに税金が使われたとするなら、
それはその製品の外部不経済部分として検証される必要がある。
農業こそ、外部経済の視点も含めてで捉えなければならない典型産業だと思う。
水田によって保たれている環境や生物の多様性の世界。
その地域に適切に農家が存在することによってタダで保証されてきた森や水系からの恵み。
(もちろん、農薬による地下水汚染といったリスク-不経済部分-もある。)
食料貿易の議論では、なぜか自由化推進派はこの論を意図的に排除する傾向がある。
食料と環境の結びつきは、市場の論理と相容れない要素を強く持っているのである。
フードセキュリティに環境の視点を含めると、
さらに'世代間の公正さ'(数世代後の人たちも同等な安全が保証されるか)
という視点も生まれてくるが、
そこまでいくと話が終わらなくなるので、ここでは触れずに、置きたい。
要するに、どう考えても、まず '市場開放ありき' なのだ。
なににつけても、'ためにする'論構成は、やっぱヤバイ。
最後に、4月から農水省に設置される 「食料安全保障課」という部署。
これにかかる費用も税金である。
外部経済(不経済) の観点から検証してみたいものだ。
2008年1月18日
食料の安全保障について考える
正月明けから穀物やら環境やらと、しんどい話題を続けてしまって、
少々心苦しいところもあるのだけれど、
その後も追い討ちをかけるような情報ばかりが入ってくる。
やっぱ、これは俺のせいじゃない。
小麦の値上げからフードセキュリティ論まで、一気に進めてみたいと思う。
今日の新聞報道によれば、
製粉最大手の日清製粉が、3月からパスタを値上げすると発表した。
業務用パスタが30~40%、家庭用パスタが15~20%の値上げ幅である。
昨年11月にも値上げしたばかりだが、
その後も原料のカナダ産小麦の高騰が続いているため、とある。
カナダ産デュラム小麦の国際価格は、昨年8月からすでに倍以上になっている。
業界2位の日本製粉も、3位の昭和産業も
「日清さんと同程度の値上げを検討している」 と。
どこも状況は同じであるからして、
まるで申し合わせたかのように、と言っては失礼なのかもしれないが、
業界内のバランスが図られているようではある。
いずれにしても過去最大の値上げ幅である。
カナダ産の小麦が高騰する背景には、
EUでのデュラム小麦の不作、バイオ燃料原料への転作、ロシア・中国などでの需要増
などが挙げられている。
奪い合いになっているわけだ。
一方で、中華麺や餃子の皮に使われるオーストラリア産小麦は、
2年連続の干ばつに見舞われている。
こちらは、06年度に28万トンあった輸入量が、今年は1万トン程度になる見通し。
そしていよいよ、小麦輸出国が相次いで輸出を規制し始めた。
ロシア、アルゼンチン、カザフスタン、中国、ウクライナ、セルビア、インド...
「価格上昇どころか、現物の確保自体が難しくなっている」
と農水省の幹部が語っている (1/9付朝日)。
危機感を強めた農水省は、4月から 「食料安全保障課」 なる部署を新設するという。
新たな輸入ルートの開拓を目指すほか、国際需給などの情報をこまめに発表し、
食料安保の必要性を訴える、とのこと。
これぞまさに 「泥縄」 ってやつだ。
「新たな輸入ルートの開拓」って、どこにあるんだろう。
米・豪・カナダ以外に輸出余力のある国は、ないはずだが。
「3カ国とのパイプを広げるのが現実的」 との意見も出されているが、
すでに奪い合いの状況下にあるっていうのに、「パイプを広げる」 とは???
別な形で金を積んで、無理やり引き出させようとでもするのだろうか。
みんな引き締めに入っている中で-。
とんでもない高い買い物になりそうだ。 しかもそれには税金が使われることになる。
私たちは別な形でツケを払わされるのか。
ここで、
グローバル化を唱えてきた偉い人たちの、
その主張されてきた論を振り返ってみたい。
こんな感じだ。
世界の穀物価格が高騰しても、購買力の高い日本には危機となりえない。
購買力が低い国のためには、国際的な緩衝在庫や緊急融資制度を用意し、
先進国が輸入自由化を進め、国際市場の変動を吸収すべきである。
輸出国の禁輸措置を防ぐためには、国際協調に沿って行動し、
輸出国のよき顧客となるべきであって、農業保護に固守することはかえってマイナス。
国内生産基盤の維持に必要なのは、潜在力としての生産力であって、
平時から農業生産が維持されねばならぬわけではない。
平時の自給率にこだわる必要はない。
自給率に拘泥することは政策の自由度を狭め、改革の芽を摘むことになりかねない。
<以上は、農林水産政策研究所・川崎賢太郎氏が論点整理をした論考-
「グローバリゼーション下の食料安全保障」(『農業と経済』2007年8月臨時増刊号)
から引用させていただいた。>
どう思われるだろうか。
ひとつひとつの論に、自分なりの言葉を対置していきたいと思う。
●購買力の高い日本。
-あらゆる食品が数10%値上げしても日本の消費者は大丈夫って、誰のことよ?
格差社会が広がる中で...
-すでに国際市場では、買い負けたりしてるんじゃなかったっけ。
●先進国が自由化を進め、輸出国のよき顧客となる。
-ブッシュさんの演説に、すでに答えがあるようだ。
「食料自給は国家安全保障の問題であり、それがつねに保証されている
アメリカはありがたい。」
「食料自給できない国を想像できるか?
それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。」
どこも自給率の維持は国家の使命だと考えている。
'よき顧客' はありがたいが、国内需要を保証するのが先決だろう。
各国の小麦輸出制限はそう語っている。
●必要なのは非常時の生産力で、平時から自給率にこだわる必要はない。
-行を割くことすら腹立たしい。
非常時の生産を保証するためには、平時の生産力が維持されなければならない。
優良農地も、生産技術も、不断の営みによって保たれる。
錆びついた刀は、抜けなくなる。
抜けたところで、斬る力と技の衰えた者は、たたかうことすらできないだろう。
ここまでつらつらと書いてきて、ふと思い出したのが、1993年。
'平成の米パニック' が起きた年の冬、
テレビ朝日の 「朝まで生テレビ」 なる討論番組に呼ばれて、議論に参戦したことがあった。
ああ、あの時とおんなじ気分だ。
(長くなってきたので、明日に続けます)
2008年1月13日
1秒の世界
世界は日々刻々と変化を遂げている。
その動きを1秒という時間に切り取って、様々な数字で表した1冊の本、
『1秒の世界』(山本良一責任編集、ダイヤモンド社)。

人間の心臓が1回の脈を打つ、1秒間に、
252トン(大型トラック63台分) の化石燃料が燃やされ、
39万㎥(762トン、体育館32棟分) の二酸化炭素が排出されている。
5100㎡(テニスコート20面分) の天然林が消失し、
710万トンの酸素(140万人が一日に必要とする量) が減少している。
といった具合である。
この本を題材に、昨夜(1/12) 「1秒の世界Ⅲ」というTV番組が放送された。
帰りが遅かったので、ビデオで観る。
大地でもお付き合いのある 「未来バンク」 の田中優さんが
コメンテーターで出演している。
とても話の上手な方だ。
シリーズ3回目となった今回のテーマは 「命」。
温暖化で北極の冬の到来が遅くなり、
カナダ・ハドソン湾岸の街・チャーチルでは、ホッキョクグマが民家に出没するようになった。
ホッキョクグマは今、半数が2歳以上生きられない状態だと言う。
本によれば-
グリーンランドの氷河が1620㎥溶け、
地表の平均気温が0.00000000167℃上昇し、
0.002種(7分に1種) の生物が絶滅している。
一日に200種以上の生物が消えているのだ。
これは 「雪崩を打って」 と表現しても誇張ではない数字だろう。
ゴミの一秒では、
対馬に流れ着く大量の漂流物(ゴミ)の山の処分に多額の税金が使われている。
エネルギーの1秒では、これからのエネルギー・水素の力を
でんじろう先生が実験で見せる。
続いて、戦争の1秒。
1台の戦車で自動車200台分、戦闘機1機で1万台分の二酸化炭素を出している。
そこでTVクルーは中米、ニカラグアとコスタリカに飛ぶ。
80年代から内戦が続いたニカラグアは重債務最貧国となったにもかかわらず、
国家予算の12%を軍事費に充て、貧しい人々はゴミの山で暮らしている。
かたや隣国コスタリカは、「街は整備され、活気に満ち溢れている」。
1949年に平和憲法を制定して、軍隊を放棄した国。
軍事費は医療費や教育費に回して、国力を立て直した。
たしか合言葉は、「兵士の数だけ教師を」 だ。
環境保護の国としても名高く、
地球上の5%の生物が生息していると言われる豊かな自然を活用して、
エコツーリズム発祥の国となった。
両国を分けたのは 「戦争」 である。
-とひと言で片づけられては、ニカラグアの人々が少々可哀想だとも思う。
左翼政権を潰そうとしたアメリカがゲリラを支援して泥沼の内戦が始まった歴史は、
いちおう頭に入れておいた方がいいように思う。
世界で浪費される軍事費は123兆円、1秒間に420万円。
本では320万となっている。
手元の本の発行日が2003年だから、それだけ増えたということか。
田中優さんが解説する。
123兆円を、地雷の撤去や安全な飲み水へのアクセスと下水の完備、
飢えた人への食糧援助、教育の整備に回しても、100兆円が余る計算になる。
戦争は最大の環境破壊、ということは伝わっただろうか。
他にも泣けてしまう家族愛の話もあったが、すべては紹介できない。
最後に、これだけは-
5歳以下の子ども48人が汚染された水や食料で下痢になり、
0.3人(4秒に一人) が飢えによって命を落としている。
かたや日本では、
2000㎥に相当する水が食糧に変わって世界中から運ばれてきている。
そして、600kgの食べものが捨てられている。
一秒間に......
これらの数字は、もはや私の想像力を超えてしまっている。
それでものん気に、希望を持っている自分がいるのだけど。
いずれにしても、土曜日の7~9時というゴールデンタイムに放送されるほど、
事態は切迫してきているということである。
2008年1月 8日
穀物高騰の裏で ~米国の農場から~
(昨日から続く)
ファンドマネーで翻弄される穀物。
それは私たちの暮らしもストレートに直撃してきている。
家畜の餌が上がり、卵を使った加工品も上がって、
4月からは小麦が上がることが、すでに発表されている。
パン、菓子、めん類...影響は広範囲に及ぶ。
値上げ幅は最低でも2~3割という。
そんな中で、今もアメリカの農家は、
昨日報告したようにウハウハ浮かれているのだろうか。
「では現地からの声を聞いてみましょう。
ケントさ~ん。聞こえますか。そちらの様子はどうですか?」
「ハーイ。こちらイリノイ州。では現場からケント・ロックがお伝えします」
なんてヴィヴィッドに中継できればカッコいいんだが、
私の英語力は、とうに大学受験で終わっている。
成績はまあまあ良かったんだけどなぁ。
街ではまったく通用しない、ていうかァ、18歳で四国から上京してェ、
ガイジンさんの生の言葉がァ、ホンモノの英語だと知った時のショックといやぁァ......
ま、そんなことはどうでもいいか。
実は、週に1回くらいのペースで、メールでレポートが送られてくるのだ。
昨年の視察でお会いしたケントさんに、
本人とは会えなかったけど息子さんとは一緒に食事をさせていただいたチェットさんから。
ともに非遺伝子組み換えのセンチュリーコーンを作ってくれている農家だ。
『チェットさんのセンチュリーコーン・ニュース』 といったタイトルで、
日々の仕事や家族の様子、周囲の動向などがフランクに語られたレポート。
カーギル・ジャパンの女性の方が、こなれた翻訳までして、送ってくれる。
アメリカらしい楽しい家族の話題もあるが、時に生々しい報告がある。
昨年末、クリスマス前の二人からのレポートには、少し震えた。
「イリノイ州カントンにあるエタノール工場が、稼動を前にして破たんしました。
工場は予算オーバー、そして規模が小さかったのです。投資資金の多くは
地域の農家から集められましたが、投資分は回収できないでしょう。」 (ケントさん)
「私が思うに、工事はほとんど終わって、工場を引き受けていた業者が
2千万ドル以上の不払いを理由に引き上げてしまったようです。
この工場へは約400人が投資していて、その多くは農家の人々で、
彼らはこれによって多くのお金を失いました。
この工場に投資していた私の友達によれば、このエタノール工場は高利の融資、
なんと年19%もの金利を払って資金を手当てしていたとのことです。」 (チェットさん)
カントンの、建設中の中規模の工場といえば、
もしかして俺たちが見てきた、あの工場だろうか。
あの時の懸念が、現実として進んできているようだ。
経営の甘さとも言えるが、バブリーなトレンドになっているということではないだろうか。
「穀物市場は今週また上がりました。ある人によると、市場は、あるニューヨークのファンドが
巨額の資金を穀物に投資するといっている1月の第2週から上昇するようです。」
「私は大豆の作付けを増やすことについて、農家の話を聞きました。人によりますが、
大豆の作付けを増やすといっている人が多かったです。
~(中略)~
大豆の種子会社から手紙が届きました。種子はもう在庫がなく、もしもっと必要なら、
今すぐ注文しなければならないということでした。」 (チェットさん)
地価 (農地価格-オークションで売買される) も上がり続けているようだ。
「今週、近所の農地がエーカー辺り7200ドルで売られました。
この値段は非常に高く思えます。
7200ドルの現金には、金利6%でエーカー辺り432ドルの金利が発生します。
さらに元金を年360ドルずつ20年をかけて払い終えます。
さらに耕作するのに300ドルの費用がかかります。
合計するとエーカー辺り1092ドルの費用が発生し、これを払って損益ゼロです。
これではたとえトウモロコシの値段が4ドルでも高すぎて払えません。」 (チェットさん)
「地価は1年間でエーカー辺り5000ドルから7500ドルに上昇しました!
7500ドルに対して5%の利回りは、エーカー辺り375ドルの賃借料と税金を払うことと同じです。
現金で年にエーカー375ドルを払って利益を生むことは、農家にとって大変なことです!
土地の入札に参加しているのは農家以外の投資家をパートナーにした土地を買いたい農家です。
どんなことにおいても、パートナーシップというものは、
入りは簡単ですが、抜け出すのは難しいのです。」 (ケントさん)
農機具も、トラクターも、肥料も、そして種も......
「とうもろこしの種子の値段は、
トリプルスタック種(遺伝子組み換えの組み合わせ種子)でエーカー辺り85ドル、
NON GMO種で50ドルです。
トリプルスタック種の価格は2007年に13%も上がりました。」 (ケントさん)
みんな振り回されている。
それでも必死で分析し、日々を乗り切っているのだろう。
来年は大豆だぞ、とか言いながら。
決して農民は、ファンドの言う、WIN、WIN! の恩恵には浴していない。
投資で儲けるのは犯罪ではない。許された権利である。
しかし、できるだけ等しく行き渡らせることが、
古今東西、政治の使命でもあった 「穀物」 というものを、
指でこめかみを指しながら 「ここで儲けるんだよ」 と得意げに私利の対象にするのは、
どう考えても、人道にもとる (私の価値観では)。
誰も手をつけなかったモラルの枠を破壊したことを、知るべきだ。
あのファンドのゼネラルマネージャーも、日曜日には教会に行くのだろうか。
正月に、牛頭さま、薬師如来さま、お稲荷さま、弁天さま、観音さま、と
「何でこんなにいっぱいおるんよ」 とか言いながらも、
神仏に小銭を捧げて回った私の方がずっと信心深い、とだけは宣言させてもらいたい。
何の力にもならないけど・・・。
本当は国内の論争にも触れたいのだが、それはまた。
2008年1月 7日
穀物高騰の裏で
一ヶ月くらい前に放送されたNHKスペシャル。
『ファンドマネーが食を操る ~穀物高騰の裏で~ 』
録画もしてあったのだが、芸術作品ならともかく、
だいたいこの手の '鮮度がいのち' のような番組を再度観ることはまずなくて、
「消しちゃおう」 と思ってビデオを回したところ、改めてじっくりと眺めてしまった。
放送された時は、'激しい怒り' のような感情が湧いたのだけれど、
二回目となると、何だろう......ただ腕組みして言葉を探すって感じ。
トウモロコシから自動車燃料用エタノールを!
の掛け声のもと、アメリカ国内でエタノール・ビジネスが急激に拡大して、
トウモロコシの価格が高騰した。
この辺の事情は、昨年の米国視察レポート(10/30~11/10)でなぞったのと
ほぼ同じで、自分の説明に間違いなかったかと思う。
しかしここで登場しているのは、レポートでまったく触れられなかった
もうひとつの背景である。
穀物がエネルギーになったことで、
利益を見込んだ大量のファンド・マネーが流れ込み、穀物市場が一変した。
これまでの需要と供給のバランスで動いてきた穀物の価格が、
投機の対象となって激しく揺れ動いている。
アメリカでは、昨年のトウモロコシは史上最高の大豊作であった。
9月12日、今年の収穫予想が発表された時点で、相場は間違いなく下がる。
これがこれまでの常識であった。
穀物を買い付けるプロのディーラーたちが、買い時を計算している。
翌朝9時30分、シカゴの商品取引所が開く。
しかし下がったのは開始5分だけ。その後は一気に跳ね上がる。
「穀物が株と同じように取引されるようになった」 と嘆くアメリカのディーラー。
長年トウモロコシを見てきた日本の商社マンが、呆然としている。
コモディティ・ファンドと呼ばれる、先物商品に投資するファンド会社の社長が語る。
「穀物が単なる食料でなく、エネルギーになったことで価格が大きく変わるようになり、
チャンスが生まれた。市場を読む力さえあれば、いくらでも儲けられる」
「金・銀から大豆・トウモロコシまで、どんな商品であれ、儲かればいい。
我々は市場を活性化する役割がある」
大量に買い付け、単位(ブッシェル)あたり数セントの差益で売り抜く。
一日に数億円の利益が転がり込むこともある。
「トウモロコシで車が走る。農家も私も儲かる」
WIN(勝利)、WIN、WIN! ワンダフル、ワンダフル、ワンダフル!
暴騰に躍り上がって喜んでいる。
「今日は畑に行く気がしないよ。
ラジオでマーケット情報を聞きながら金儲けしてたほうがいい」
ファンド様々である。
この農家は今年(昨年のこと)、大豆を減らしてトウモロコシを増やした。
「日本向けの、豆腐用の大豆(非遺伝子組み換え)を作るのが好きだった。
しかし、ビジネスが第一だからね」 と語っている。
当然のごとく、ファンドにはさらに大きな資金が流れ込んでくる。
アメリカで最大の年金基金までが-
老後のための貯金が、穀物の高騰を後押ししている。
慌てた日本の商社が契約農家を回る。
「来年も契約していただけますよね」
「それは分からんよ。これはビジネスだからね。有利な方を選択するまでだ」
「穀物が値上がりして日本の消費者が大変困ってるんです」
誠実そうな日本人商社マンの説明が、空しく聞こえてしまう。
マーケットが農地を奪い合っている。
すべてが、あの9・11の大惨事から始まった。
中東のトラウマを払うかのように、大統領は「エネルギーの多様化」を叫び、
エタノール増産に税金を投入し、
穀物から莫大な利益が生まれ、投資家を肥やす。
世界がどうなろうと、知ったこっちゃない。
ファンド会社の社長が、次の獲物を捕えた。
-大豆である。
「世界的に見れば穀物は足りないんです。いくらでも儲かる」
資本主義経済学の祖、アダム・スミスがこの光景を見たら......
血管キレて、卒倒するだろうな。
人々を幸せに運ぶ力となる 「神の見えざる手」 は、
あくまでも人間の良心を前提にしてのことだから。
悪魔に操られてないか?-と思う。
さて、こんな話をしてしまった以上、
今の状況をトレースしないと収まらないよね。
久々に、ケント・ロック氏に登場願おうかと思う。
(明日に続く)
2007年12月24日
water [水:mizu] 展
六本木の新しいスポット-東京ミッドタウン。元防衛庁跡地がすっかり変貌した。
ほとんど縁のない所と思っていたのだが、どうしても見ておきたいものがあって、やってきた。
ミッドタウン内といっても、北のはずれの独立した一角にある、
「21_ 21 DESIGN SIGHT」 という展示館。(21_ 21 はツウ・ワン・ツウ・ワンと読む)
展示館といっても、ただのミュージアムではなく、「デザインを通して世界を見る場所」 なんだという。
そこでいま、 『 water [水:mizu] 』 という企画展が開かれている。
「デザインによって水を示す」 実験だと......
デザイナー佐藤卓さんのディレクションによるものだが、
この企画コンセプトづくりに深く関わったのが、
キャンドルナイトなどでご一緒させていただいている文化人類学者、竹村真一さんである。
竹村さんは、東京・大手町にある 「大手町カフェ」 で、
『地球大学』 という市民講座を2年前から主宰されていて、
昨年の秋には、"地球食" と銘打っての連続セミナーでご一緒させていただいた。
(そういえば、「種蒔人」で参加者と忘年会をやったのは、ちょうど一年前の今頃だった。)
そこで米(食)と水と地球環境の深い関わりについての話で盛り上がったのだが、
竹村さんは、「水」 への探求をさらに進めて、
デザインという視点から 「水」 の意味を表現する、という地平を獲得した。
そんなわけで、これは必見、となった次第。
中は撮影禁止なので、写真はお見せできないけど、
いや実に不思議な感覚に包まれる空間であり、展示内容だった。
まず目に飛び込んでくる 「立ち上がる水」 という写真。
コップから空に向かって、水が 「立ち上がって」 いる。
実際に自然界でも、水は落ちるだけではないが、この仕掛けは分からない。
試験管のような一輪挿しが並んでいる。挿されているのは、花ではなくて水の言葉。
「世界は水」
「日本の上空には常に100億トンの水が浮かぶ」
「水は人と人をつなぎ、過去と未来をつなぐ」
「アメリカで日本の水がなくなる」 ・・・・・
「ことばな」 と名づけられたこの作品が、会場の展示をつないでいる。
竹村さん自慢の、世界初のデジタル地球儀 『触れる地球』 もある。
中庭には高さ8.5mの巨大な傘が立て掛けてある。
芝生には光学ガラスで作った様々な大きさの水滴が落ちている。
ネズミか虫のサイズになって水滴を眺めてみたら -ということのよう。
ちなみにポスターのデザインにもなっている 「さかさかさ」(逆さ傘) は、
水をよけるための傘も、逆にすれば水を貯めるものになると、
発想の転換を刺激している。
「見えない水の発券機」
食堂のショーウィンドーに飾られているような、
精巧にできた牛丼、ハンバーガー、ざるそば、オムレツ、味噌汁などが並んでいて、
食券の発券機を押すと、「牛丼 2000L」 という券が落ちてくる。
丼一杯分の米や牛肉・たまねぎなどを作るのに必要な水の量。
バーチャルウォーターってやつだ。
ちなみに、ハンバーガーは1000L、味噌汁は20L、となっている。
円筒形の筒の中に入れば、木の幹を立ち昇る水の音と一体になる。
歩くと、歩にあわせて 「ポチャ、ポチャ」 と水が跳ねる音が響く道。
水の循環を表現した、透明な鹿威(ししおど)し。
魅入ったのは、12個の 「水の器」。
水が一杯に張られた半球状の器をのぞくと、様々な映像や音が、
底から流れてくる。子供の頃、古い井戸をのぞくって、
たしかに異世界への扉のようではあった。
そして、「ふるまい」 と名づけられた作品。
細い棒の上に撥水加工された紙皿が乗っている。
そこに水滴を落として、皿回しのように棒をゆすると、
まるで小さな生き物のように水がくっついたり離れたり...。
これは水分子の特異性が為さしめる行為(ふるまい) なのである。
だらだらと全部を紹介するわけにはいかないが、
水をめぐる、アーチストたちの競作とコラボレーションにしばし酔える、
静かな空間だった。
隣で、若いカップルが12種類の水のふるまいを楽しんでいる。
ふと女の子が彼にささやいた。
「水って、可愛いね」
そこで彼女にすっかり参っている彼氏は応える -ほんとだ。可愛いね。
何か知らんが、皿を落としそうになって、慌ててその場を立ち去る。
でも、こうやって '当たり前にある水の特別さ' を感じて、
水への眼差しが変わるなら、
それこそデザインや表現の力、ということになるのだろう。
参りました。
玄関を出た時、またアベック、もとい! 若いカップルとすれ違う。
なんと、青いパラソルを持っている!
振り返ってみれば......ヤルねぇ、今の若いもんは。
Water [水:mizu] 展-期間は1月14日まで。おススメ、です。
2007年12月 8日
上堰米
......というお米が届く。
差出人は、福島県喜多方市山都町早稲谷の浅見彰宏さん。
10年前にこの地に移り住み、夫婦で有機農業を始めた方。
彼の農園の名前は 「ひぐらし農園」 という。
あの晩夏の夕暮れに鳴くセミが好きなのか、農園の暮らし向きを表現したのか、
その辺は聞いてないので分からないが、おそらくは......いや、やめておこう。
地元のきれいな棚田の写真が貼られている。
山都町早稲谷地区は、霊峰・飯豊山の麓に位置し、
ブナの原生林やナラを中心とした広葉樹林に囲まれた美しい山村である。
250年も前に拓かれた手掘りの水路が、今も棚田を支えている。
今年の5月4日、
その山間を縫うように張り巡らされた水路(堰)の補修のお手伝いをした。
そのお礼にと、送られてきたものだ。
≪7月10日の日記-「日本列島の血脈」もご参照いただければ≫
玄米、7kg。 この数字が、なんかほのぼのとさせる。
5㎏でも充分なのに、
浅見さんは誠実に、収穫物から送れる量を人数で割ってくれたのだろう。
これが当日の堰浚(さら)いの様子。
一年分の土砂や落ち葉などを浚い、水回りを取り戻す。
けっこう重労働だったが、これで棚田に水が回る。
村じゅう総出での作業である。
我々ボランティア組はすぐに腰が痛いとか言っては休みたがるが、
地元の方々は黙々と続ける。
バカにされちゃいかん、と意地も出すが、すぐにため息をついては汗を拭う。
この作業人足がだんだんと減ってきている。
高齢化も進んでいる。
この堰が埋まった時、写真にあるような美しい棚田も滅ぶことになる。
この棚田も。
ここが堰の源流の地点。
ブナの原生林に育まれたミネラル豊かな水が、麓にまで行き渡る。
浅見さんは、外からの入植者であるゆえの人脈を活かして、
またネットも駆使して、この仕事のボランティアを募っている。
地元の人からの期待や信頼も獲得して、いまや貴重な若手人材となっている。
本木上堰と名づけられた全長6kmに及ぶ水路を、
上流から下る組と下流から上る組に分かれて、合流するまで作業は終われない。
堆積物を上げ、壁を直し、草を刈りながら、行軍する。
下流から上った我々が、ようやく上流組と出合った時の一枚。
さすがにしんどそうだ。村の人たちに混じって浅見くんの雄姿も(左から二人目)。
すっかり村の人だ。
彼も実は、7月23日の日記 「全国後継者会議」 で紹介した、
埼玉県小川町の有機農業のリーダー、金子美登さんの門下生である。
金子さんのところで学んだあと、この地に入植した。
金子さんの話によれば、
農業条件の良い土地よりも、自分を必要としてくれる場所に行きたい、
と語っていたそうだ。
すっかり頼られる存在になって-。 働いたんだね。
彼は今、冬の仕事として、麓の大和川酒造店で働いている。
毎年2月にやっている、 「種蒔人」 の新酒完成を祝う 「大和川交流会」 では、
蔵人・浅見彰宏と会うことになる。
夏は上流の水を守りながら米をつくって、冬はその地下水を汲んで酒をつくる。
すっかり飯豊(いいで)山水系に生きる人である。
上堰米を炊いてみる。
美味しかったです。ありがとう。
※大地のオリジナル日本酒 「種蒔人」 でつくられた 「種蒔人基金」 では、
本木上堰の清掃作業の支援をこれからも続けたいと考えています。
「種蒔人」を飲みながら水源を守る。
お値段もいいお酒ですが、たまのハレの日などに、ぜひ!
※来年の大和川交流会は、2月9日(土)です。現在参加者募集中。
会員の方は今週配布された 『だいちMAGAZINE』12月号をご覧ください。
お問い合わもお気軽にどうぞ 。
2007年11月22日
よみがえれ、ブナの森
ちょっと遡ってしまうけど、残しておきたい。
記録-その3
11月3日(土)、文化の日。
秋田は五城目町、馬場目川の上流部にて、ブナの植林が行なわれた。
毎年この日に開催され、今年で15回目となる。
今では全国あちこちで聞かれる 「ブナの植林」 だが、
杉などの商業材が伐られた跡地をブナ (広葉樹) の森に戻す、という
直接的にお金にならない取り組みに先鞭をつけたのは、ここである。
馬場目川は、大潟村のある八郎潟に注ぐ川。
戦後最大の干拓事業と鳴り物入りで誕生した大潟村にとって、
村を囲む形で残された残存湖は、農業用水であるとともに生活用水でもある。
馬場目川は、彼らにとって文字通り生命線のような川なのだ。
その大潟村の米の生産者たちが、子々孫々まで八郎潟の水を守るために、
川の上流部を豊かな森として残そう、と始めたのがブナの植林活動である。
地元営林署はじめ、秋田県内の自然保護団体、ボーイスカウトなど
たくさんの団体が一緒になって活動を広げてきている。
大地が提携する生産団体 「ライスロッヂ大潟」(黒瀬正代表) もその主体団体のひとつで、
大地が応援して参加するようになったのは、黒瀬さんからの呼びかけによる。
たしか3回目の植林からだった。毎年少人数ながらお手伝いを続けてきた。
そして今年も、全国各地から約150名の支援者が集った。
開会式の挨拶や説明もそこそこに、時折小雨がぱらつく中、植栽地に向かう。
黄葉したブナ林と清流が我々を迎えてくれる。
水は変わりなく、美味しかった。
10班に分かれて、植林開始。
下草が刈られ、植えるポイントごとに白い棒が立てられている。
道路の補修もされていて、これは事前の準備こそ大変だっただろうと思われる。
親子で植えたブナ。
君がお母さんになった時にも、子どもを連れて訪ねて来るといい。
でっかい樹になってるはずだ。
その時も今と変わりなく、川には水が溢れるように流れていることだろう。
麓の田を潤し続けながら- と願わずにはいられない。
生産者の黒瀬正さんも、精を出している。
植えたら植えただけですまなくなる。
夏の下草刈りなど、米作りの合い間に山の管理作業も入って、大変でしょう。
「ほら大変よ。ほなけど、しゃあないやんけ。将来のためやからなぁ」
関西弁丸出しの黒瀬さんは、滋賀県からの入植である。
15年で植えた数は、1万2,600本に達した。
もちろんブナという単一樹種だけでなく、ミズナラやカツラ、トチなどを植えた年もあって、
広葉樹の混交林として育てている。
14年前に植えた樹は、すでに幹周りは60センチ、高さ8メートルほどになっている。
若木の森では小鳥や野うさぎなど野生動物の姿も増えてきている。
ブナの実は熊の好物であるが、人間でも生で食べられるのだそうだ。
水が豊富にある。しかも美味い。
これはすべての '安心' の基盤である。
風景が心を癒してくれる。
この風景は、生き物たちによって構成されている。
生き物が多様であるほど、その風景は美しく輝くのだと、つくづく思う。
植林後は、廃校になった小学校の体育館で昼食交流会となる。
餅つき大会に焼肉バーベキュー、汁物やおしんこがふるまわれる。
もうすっかり恒例になったソプラノ歌手・伊藤ちゑさんの 「ぶなっこコンサート」。
我々もけっこう顔馴染みになっていて、いろんな方が
「今年も来てくれたんですね」 と声をかけてくれる。 嬉しいね。
事務局長の阿部さんから指名され、今年も挨拶をさせていただく。
最後は、これまた恒例となっている、「私の子供たちへ」の合唱。
日本でのフィールド・フォークの草分け、笠木透の名曲である。
生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
生きている君たちが 生きて走りまわる土を
あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
農業を営む人たちが、当たり前のことのように森を手入れする。
その結果として、当たり前のように手に入る '環境' と '食'。
お米の値段には、山の作業費は含まれていない。
農業の再生産を支えられれば、
つまり農家の言う '当たり前の値段' で食べてさえくれれば、水も守れる。
しかし世の中はそのように進んでいない。
今日の作業を税金で賄うより、ずっと楽なはずなのだが...
敷き詰められた落ち葉は、やがて土となる。
樹が、水をしっかりと蓄える土を増やしている。
みんな当たり前のこととして、静かに、生命を循環させている。
本当に、奇跡の星だと思う。
2007年10月17日
全国水産物生産者会議(後編)-干潟をイメージする
講演のあとは、海洋大学・川辺みどり先生の音頭で、
藻場・干潟をテーマとしたワークショップ。
参加者が少人数のテーブルに別れて、4つのお題に挑戦する。
①藻場・干潟と聞いて、何をイメージしますか?
②沿岸漁業は、浜(藻場・干潟)の環境保全にどんな役割を担っていると思いますか?
③沿岸漁業者が、藻場・干潟の保全や再生を行なうことによって、
どんな社会的効果が生まれると思いますか?
④政府が沿岸漁業者の藻場・干潟保全活動に対して交付金を払うことについて
どう思われますか?
各自、思いついたイメージを言葉にし、ポストイットに書いて、解説する。
そこから派生して感じたことを、また書き、発表する。
ルールは、
まずポストイットに自分の意見を書いて、テーブルに広げられた模造紙に貼ってから、
自分の意見を言うこと。人の言うことをちゃんと聞くこと(途中で口を挟まない)。
他の人の批判(それは違う)ではなく、自分の意見(こう思う)を書くこと。
新しい気づきがあったり、他者との違いに驚いたりしながら、
想像力が広がり、いつのまにか理解が深まる。
正解や結論を求めるわけではなく、人の話を聞きながら、
自分の思いや考えを言葉に変えることで、
漠としていた理解が整理されてゆく。
私が司会をしたテーブルで、なかなか言葉がまとまらなくて
カードが出なかった若い方に、最後に感想を求めた。
今までほとんど考えてもいなかった干潟という存在が、
とても大切な場所なんだということを、だんだんと感じてきて、
すごく理解が進んだような気がした。
この手法って、もしかして 「非暴力トレーニング」 が原点ではないだろうか-
ふとそんな気がした。
川辺さんも、特に内容に対して講評はせず、
「皆さんの意見はとても貴重で、いま水産庁中心に検討されている、
環境・生態系保全支援調査・実証委託事業検討委員会のほうでも
役立たせていただきます」 と締めた。
大の大人が、しかも普段威勢のいい水産生産者が、
以外に素直に思いや意見を書き、語ったのが、印象的であった。
自分の考えや理解を優しく深めるだけでなく、
コミュニケーションの力を確かめ合う時間でもあったように思う。
少しは教条的じゃない伝え方ができるようになったか -その辺は短時間じゃね。
でもヒントはもらったような気はしたのだった。
2007年10月16日
水産物生産者会議(前編)-海のエコラベルの可能性
さて続いては、10月13日(土)、成清さんを偲ぶ会の前に開かれた、
『第17回全国水産物生産者会議』 をレポートする。
大地に水産物(加工品含む)を出荷して頂いている漁業者・メーカー・卸し関係者が
年に一度集まって、
各種の視察や研修、情報交換などを行なう会議。
毎年各地の生産地で開催してきて、もう17回目になる。
今回は、ビシッとお勉強の日、とします。
ということで、ちょっとシニア大学といった感もあるが、学問の府に集まっていただく。
場所は、東京・品川にある東京海洋大学。
昔の水産大学と商船大学が合併してできた国立大学である。
テーマは、
「MSC認証」-持続可能な漁業・水産物供給の促進について-
「MSC」とは、
MARINE STEWARDSHIP COUNCIL (海洋管理協議会) の略。
漁業資源の乱獲を防ぎ、持続可能な漁業の推進を目指して、
1997年に設立された国際的非営利組織。本部はイギリスにある。
どんな活動をしているのか-については、
要するに、まぁ・・・まずは下記の講演スライドを見ていただきましょうか。
要するに、まあ、
持続可能な水産業を保護・発展させるために、
ちゃんとした基準に則って、
海洋資源を適切に保全・管理する漁業(あるいは加工・流通)を認証して、
独自のラベルを貼って推奨してゆこう、というもの。
MSCは、いま世界で唯一の水産物に対する第三者認証機関である。
(ちなみに講師はMSC日本事務局プログラムディレクター・石井幸造氏)
言わば 『海のエコ・ラベル』 である。
少しずつではあるが、世界の各地で広がっていて、
日本でも取り扱い店や団体も増えている。
今回はまず、その概略を理解すること。
そして、こういう取り組みが求められてきていることに対して、
それぞれどんなふうに考え、自分たちの仕事や経営に生かすか、を考えていただく。
そこでもう一人、日本初のMSC認証を取得された築地の仲卸しさん、
(株)亀和商店の代表・和田一彦さんにも登場願った。
和田さんのMSC認証取得は、かの長寿漫画 『美味しんぼ』 でも紹介された。
いま大地とは、昨年5月に日本最初のMSC認証製品となった、
アラスカの天然キングサーモンの話が進んでいる。
3人乗りトロール釣り漁船で、一本ごとに釣り上げたサーモン。
素晴しい話、ではある。
しかし、国内漁業や近隣での話となると、コトはそう簡単ではない 。
(なんか、いつもこんな話の展開のような気がする...)
資源が枯渇に向かえば向かうほど、やまないのは乱獲だ。
あるいは汚染は、海の向こうから (手前から?) やってくる。
これらの問題が厳然と残る限り、
一人で頑張って認証を取得しても、空しくなるばかりではないか-
実に素朴な疑問であり、これこそ漁業者の目の前にある最も厳しい現実だとも言える。
自身の努力と技術次第で認証が可能な有機JAS規格とは異なる世界が、
海にはある。なんたって相手は、漁業資源なのだ。
MSCの基準-「持続可能な漁業のための原則と基準」 は
FAO (国連食糧農業機関) が2005年に採用した 「水産物エコラベルのガイドライン
に則っている。
この基準と、認証と、漁業者の経営(生活)が上手にリンクするには、
国の規制制度ともちゃんとつながらなければうまくいかない気がするし、
かつ地域的 (あるいは海域的・国際的) 取り組みを支援する仕組みも必要だろう。
そして問題解決の鍵を握る 「消費行動」 に、どうアプローチするか。
あるいはどういうコミュニケーションをとるか、とれるのか。
そのために何が必要か・・・霧の向こうに目を凝らして、考えよう。
あらゆるジャンルで認証が花盛りとなった時代。
それだけ不安な世の中とも言えるけど、
根本的には生産と消費がうまくつながってないことの証左であって、
特別なマークに寄りかかっても、上手くはいかないのだ。
基準の精神が社会のスタンダードにならなければ・・・
ともかくもまずは、
和田さんが多大な手間とお金をかけて先鞭をつけた、
漁師の顔が見える 『MSC認定-天然キングサーモン』 から、
我々は何を語れるか、を大事に追求してみたいと思う。
もちろん、目の前の海を見つめながら。
2007年10月 4日
『地球大学』 -地球の水はどうなるのか?
東京は大手町、都心のビル街のどまん中に、環境を意識してつくられたカフェがある。
そこで毎週水曜日の夜、刺激的なセミナーが開かれている。
カフェで学ぶ地球環境セミナー 『地球大学』。
文化人類学者の竹村真一さん(京都造形芸術大学教授)がホストとなって、
毎回多彩なゲストをお呼びしては、様々な角度から環境問題を切り取っている。
開講したのは去年の春。
大地から薦(こも)かぶり(酒樽)を持参して、種蒔人で鏡開きをした。
それに先立つ一昨年暮れのプレ・イベントでは、
日本の気候風土における田んぼの役割について話をさせていただいている。
昨年10月には 「食」 について考えるシリーズが組まれ、
私も話す機会をいただき、
またその期間、フードマイレージをテーマに大地の食材でのお弁当を販売した。
その後もちょくちょく聴講させていただいてたのだが、
最近はなかなか出られないでいた。
さて、昨日(10/3)、外出したついでに、久しぶりに顔を出してみた。
テーマは、『地球の水はどうなるのか?-「水の世紀」にむけて』
講師は、東京大学・生産技術研究所教授の沖大幹さん。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書の水問題に関する執筆者、
水循環の権威である。
いま世界人口の5分の1が、安全な水にアクセスできないでいる。
年間300~400万人が、水に関連した病気で死んでいる。そのほとんどが乳幼児である。
世界中での過度な取水は、生態系へのダメージを増大させている。
温暖化や都市化の進行は、各地に渇水と洪水被害の深刻化をもたらしている。
水というのは循環資源であって、失われることはない。
ふんだんにあるのだ。しかし水不足は生じる。
ある時とない時があるから。
また、'ふんだんにある'といっても、
実際にヒトが使える水は地球上の水の0.01~0.02%でしかない。
'水資源を使う' とは、'流れを使うこと' だと沖さんは説明する。
ストックではなくフローである。
雨が落ち、川を辿って海に流れ、あるいは湖沼にとどまり、地下にしみこみ、
気温変化とともに蒸発し、植物の蒸発散も含めて大気を上昇し、雲になり、
また雨となって落ちてくる。あるいは氷となってしばし落ち着く。
そんな'流れ'として存在する水という資源。
人間の体内も循環している。生命活動に欠かせない'水'というやつ。
つまり、水の循環(流れ)を絶やすことなく、また汚さないようにしながら、
どう使い、暮らすか、ということなのだが、
人口増加と工業の飽くなき発展は、水需要を大きく変化させ、
いまや大河も干上がる様相である。
また膨れ上がるいびつな食料需要は、世界の肺・アマゾンさえ切り崩している。
温暖化によって想定されるシナリオのひとつは、
同じ地域で渇水と洪水の頻度がともに上昇する、というものだ。
いずれにしても水はヒトの手の中にはなく、今世紀、水ストレスは間違いなく増大する。
さて、沖さんは「バーチャルウォーター」の権威でもある。
よく使われるものでは、牛丼一杯あたりの水消費量は約2000ℓ、というやつだ。
牛を育てるのに消費される水、餌を作るのに必要な水、などを計算すると、
牛丼一杯つくるのに、1ℓペットボトル2000本分の水が使われている。
日本の食糧の総輸入量は水に換算して年間640億㎥だと。
国内での農業用水の使用量は570億㎥。
これを僕らは、「水を奪っている」と表現したりするが、
沖さんはこう考える。
水をある所からない所まで長距離輸送させるのは、経済的にもエネルギー的にも合わない。
だから、水を使って作られたものを送るのを、悪と決め付けてはいけない。
必要とされる水が、モノに代わって運ばれてきているということを理解する
その指標として提示されたのが、「バーチャルウォーター」である。
アメリカ産牛肉を使った牛丼の向こうに、膨大な水消費があって、
しかも数値で示されることによって、ある種のリアリティをもって現実を感じることができる。
この手法は説得力がある。
そこから簡単に善悪を決め付けるのも、たしかに戒めなければならないことだ。
しかし、沖さんなら当然ご存知のはずだが、
日本では、米の国内生産量以上の食糧が、ゴミとなって捨てられているのだ。
やっぱり、どうしても僕には、「奪っている」指標になってしまう。
沖さんは、食べものに水資源消費量を表示したらどうか、と提案する。
牛丼:1890L ハンバーガー:2020L
立ち食いそば:750L 讃岐うどん:120L
面白い。フードマイレージと組み合わせてはどうだろうか。
最後に、沖さんはひとつの期待を語った。
グローバリズムが進むことによって、技術移転が進み、人口調節も進めば、
水ストレスは緩むだろう・・・
しかし、これはあまりにも楽観、というか現実認識が僕とは異なる。
グローバリズムが国家間の均衡をもたらす-とは、私には思えない。
もっと話を聞いてみたかったが、まあ、また機会もあるか。
いずれにしても、それぞれの分野で最前線にいる方々の話が
ドリンク付1000円で、身近に聞ける。
こういう場は他にそうないと思う。
『地球大学』はすでに68回を数え、
来週からは、開催曜日が木曜に変わり、シリーズ「森林」が始まる。
2007年9月 4日
飯豊山に登る
福島・山形・新潟三県の県境に聳える霊峰・飯豊(いいで)山。
標高2105m。
(一番奥の山が飯豊山。手前の切合小屋から望む)
2年前より年に一度登るようになって、
先週の土日(9/1~2)、3回目の飯豊山行を決行。
月曜日の朝、会津・喜多方から帰ってきた。
(朝9時からの会議に間に合わず、バツの悪い一日)

飯豊山の南・三国岳から北が山形県。西が新潟県。
しかし三国岳から飯豊山~御西岳にいたる登山道は福島県という、
なにやら曰くありげな県境設定。
(飯豊山頂上の神社が福島県に入るということで、こうなっている)
この山に登るのは、ワケがある。
私が所属する大地を守る会の専門委員会「米プロジェクト21」
で企画開発した日本酒 『種蒔人』(たねまきびと) というのがあって、
この酒の原料となる仕込水の、大本の源が飯豊山なのだ。
懐深い山系が豊かな水を育んでいる。
大地オリジナル日本酒 『種蒔人』(純米大吟醸) の醸造は、
喜多方市の大和川酒造店さんにお願いしている。
93年の大冷害の年にスタートした、私にとっては '思い入れの深い' 酒である。
毎年2月には、「種蒔人」新酒完成を祝って 『大和川交流会』 という集いが催されている。
日本酒好きには堪えられない、至福の時間が用意されている。
数年前のその席で、私は宣言してしまったのだ。
「この酒を企画した者の仁義として、俺は飯豊山に登る!」
絶えることなく水を湛える飯豊山に、感謝の気持ちを捧げたい、と-。
「おぅ、よう言った」
と応えたのが、大和川酒造・佐藤和典工場長。
東京農大醸造学科卒、というより山岳部で鍛えた山男であった。
飯豊山は幼少の頃から先代(親父)に連れられて登った、庭のようなもの。
私は約束を果たさなければならなくなった。
仕事のせいにしながら逃げること数年。
「行かねばならない」と覚悟したのが2年前。
それ以来、ついに恒例となってしまった。
そして3回目の今年。だんだんと、ただの登山ではなくなってきた。
飯豊山と三国岳の間に、「種蒔山」という山がある。 標高1791m。
登山道から少しずれてしまっているために、
三角点(頂上)が藪の中にすっかり埋まってしまっている。
登山者にとって今ここは、ひとつの通過ポイント・道標でしかない。

この山の名にも由来がある-と工場長は語る。
飯豊山を仰ぎ見ながら暮らしてきた人々にとって、種蒔山は意味のある山なのだ。
そんなわけで、今年は、その埋まってしまった道を復活させる
道普請をやろうということになった。
大地でつくった酒が「種蒔人」。 いやあ、いい名前だぁ。
「種蒔人基金」(※)もつくられて、
そんでもって 「種蒔山」の復活とくりゃあ、エビさんは当然つき合うよね。
まるで脅しである。
行くしかないだろう。やるしかないだろう。引くわけにはいかない。
いいよぉ。行きましょう。やりましょう」 (やけくそ気味)
「種蒔人」を持って、いざ「種蒔山」へ!
飯豊山への感謝と、きれいな水を守りたいという思いで始めた登山である。
「種蒔人」というお酒が、何かを動かしたとしたら、こんな嬉しいことはない。
種蒔山へのルート再興に加え、
もうひとつやったことが、山小屋周辺のごみ掃除。
私も少しは山に恩返しができたかな、と思った。
しかし、キツい山である。
去年よりさらになまくらになってしまったようで、今年は登りから膝にきた。
かなりへばって、写真は
一眼レフに交換レンズまで背負ってきた健脚のSさんにお任せしてしまった。
ブロガー失格。
到着次第、正式の登攀レポートとしたい。
バテバテ、体パンパンで、つらい今週ということもあり...
※「種蒔人基金」とは......原料米生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)と、蔵元・大和川酒造店、販売者である(株)大地の3者が共同で、「種蒔人」一本につき100円を積み立て、水(水系)や米(田んぼ)を守るために役立てよう、という趣旨で2002年から開始。
「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」 というコンセプトで、飯豊山の環境整備や、麓の棚田の水路補修作業へのボランティア等の取り組みが進み始めている。
2007年8月29日
『天地有情の農学』-消費者に問う農学?
8月7日の日記で、宇根豊さんの新著に触れ、
「うまく整理できれば改めて」 なんて書いてしまった手前、
どうも棚にしまえなくて、今日まで脇に置いたままである。
私なりに書けるだけ書いて、いったん収めておきたいと思う。
『天地有情の農学』
天地とは '自然' のこと。
有情とは '生きものたち' のこと。
この世は生命のいとなみで満ちている、というような意味。
それを支える 農'学' の道を切り開こうというメッセージなのだが、
私には、迫られているような圧力を感じたのである。
こんなふうに-
消費者にこそ '農学' が必要なのではないのか?
1960年代より進められた「農業の近代化」というやつは、
農薬や化学肥料に依存し過ぎた生産方法によって、
環境(生態系)を壊し、人々の健康も脅かす要素を、高めてきた。
その反省や批判をベースに有機農業や減農薬運動は興り、
ようやく 『環境や生物多様性を育む』 仕事 としてまっとうに評価されるまでになった。
たとえば、農薬を使わない水田は生物多様性が増し、水系(地下水)も保全する。
カエルは、カエルの餌となる生き物や、カエルを餌とする生き物とつながっていて、
それやこれやの生き物の多様な循環が、環境の豊かさを構成する。
そのつながりを目に見える形で示すひとつの試みが、「田んぼの生き物調査」である。
この価値や、農業と自然の関係を、
きっちりと学問(科学)的にも明らかにする「農学」の確立を、
アプローチの手法、道筋を含めて提示しようとしているわけだが、
ことはそれだけではすまないから厄介だ。
無農薬のお米が環境を守ることにつながっているとしても、
その「環境保全」部分は、米の価格には含まれていない、という問題である。
価格には含まれていないが、それがあることによってもたらされるメリットを
「外部経済」と呼ぶが、
百姓(宇根さんは胸を張ってそう言う)が、
当たり前に百姓仕事をしてくれることによって得られている、
米代に含まれない大切な外部経済の部分を、誰がどうやって保障するのか。
そこで宇根さんは「環境デカップリング」の導入を提言する。
EUなどですでに実施されている仕組みで、
環境を維持するための指標を作って、それを実施する生産者に一定の所得保障をする
という考え方である。
この考え方はたしかに、
「有機農業推進法」の「推進に関する基本方針」の中でも、
検討の必要性が盛り込まれている。
しかし・・・・・ここで私は靄(モヤ)に包まれたような気分に陥る。
私の知る農民の本音は、
田んぼでたくさんの赤とんぼを育てたところで、補助金を貰おうなんて思っちゃいない。
フツーに米や農産物を売って、フツーに食っていければいい、という感じである。
とはいえ、安い輸入農産物に押されて価格が低迷する今のご時勢、
このままでは外部経済の価値が守れない。
そこは税金で補償するしかない......のか。
宇根さんの「天地有情農学」論に賛辞を送りながらも、
私はこの最後の経済の部分で、わだかまりを捨てきれない。
税金を使うには国民の合意が必要である。
たとえ消費者が納得したとしても、生産者は喜ぶのだろうか。
安い米を買って、別な形で税金をつぎ込んで補償するという格好は、
けっして生産と消費のまっとうな関係とはいえないのではないか。
私としては、例えば
1kg=600円でお米を買った後に、環境支払いという名目でもう100円徴収されるよりは、
1kg=700円を "佐藤さんの米代" として出したい。
それで佐藤さんが当たり前に有機農業が持続できる価格として。
(これが今の「大地」の基本姿勢でもある)
その方が消費者の'支持の選択'権も多様になる。
しかし、そんな悠長なことは言ってられない、ようなのだ。
水や空気はすべての人に同等に与えられているわけだから、
国民には等しく負担してもらわなければならない、と。
安さを求める人には別途税金を-
生々しい話であるが、こういう議論もしなければならないほど、
「農の危機はイコール環境の危機」 という構造になってしまった。
天地有情の農学は、こんなふうに我々消費者に'農学'を迫っている。
私はまだ結論が出せない。
とりあえずは、農業の価値に国民的合意を得る上での論として支持しつつ、
一方で、大地の提唱する「THAT'S国産」運動の方が好きだ、
とは言っておきたい。
※「THAT'S国産」運動......'国産のものを、まっとうな価格で食べよう' という運動。
畜産物の餌も国産にこだわることで自給率を上げ、
輸送コストを下げることでCO2削減にも貢献できる。
2007年8月 7日
「農と自然の研究所」東京総会(続き)
昨日は宇根豊という人物についての紹介で終わっちゃったけど、
総会の内容にも、ちょっと触れておきたい。
ひとつは、この総会に農水省の役人が来たことだ。
少し頼りない感じの若い方だが、報告した内容は無視できない。
7月6日、農水省が出した「農林水産省生物多様性戦略」について。
「安全で良質な農林水産物を供給する農林水産業及び農山漁村の維持・発展のためにも
生物多様性保全は不可欠である」
どうも役人の文章は好きになれない。あえて分かりにくくさせているようにすら思える。
という感想はともかく、
第一次産業という人の営みが生物多様性を育んできたことを農水省も認め、
それを高く評価して、
安全な食べものを供給する上で、生物多様性の保全は欠かせない「戦略」である、
と言ってくれているのだ。
農水省が、農業生産と生きものの豊かさの間に重要なつながりがあることを認めた、
という意味では、画期的なことと言える。
しかし・・・・と思う。
君らが推進してきた'農業の近代化'こそが、生物多様性(生態系)を壊してきたんじゃないか。
反省はあるのか、こら!
それが、あるんだ。いちおうは。
「しかしながら、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地や水路の整備、
生活排水などによる水質の悪化や埋め立てなどによる藻場・干潟の減少、
過剰な漁獲、外来種の導入による生態系破壊など
生物多様性保全に配慮しない人間の活動が生物の生息生育環境を劣化させ、
生物多様性に大きな影響を与えてきた。」
そう進めてきた張本人のわりには、何だか客観的な言い方が気に入らないが、
生物多様性の保全のための具体的な取り組みとして挙げてきた内容は、ほとんど我々の陣営から育ってきた主張が並んでいる。
有機農業の推進も盛り込まれている。
それもそのはず、宇根さんはこの「戦略」作りの委員だったのだ。
里地・里山・里海の保全、森林の保全、地球環境への貢献......と
総花的内容にどこまで期待できるかはともかく(いずれにしても具体化や予算化はこれからだし)、
よくぞここまで書かせたものだと、脱帽するほかない。
説明する農水の若手役人も、「やります。本気です」と言う。
省内では色々な突き上げもあったようだが、
昨年の「有機農業推進法」といい、
農水省内部も変わりつつあることは確かなようだ。
有機農業運動にとって、宇根豊という思想と個性を得たことは、
これで運動に血が通ったような幸運すら感じさせる。
時代を変えるパワーの発信源のひとつであることは間違いない。
生産者の方は、この「戦略」をどう読み、活かすか、ぜひともご一読を。
(↑この2文字をクリックすると見えます)
総会の後半では、
これまで宇根さんと関わりの深い出版社の編集者が呼ばれ、
『農の表現を考える』と題してのセッションとなる。
ここまで獲得してきた世界を、その価値を、どういう全体像に現わしていくか。
ただの観念論に陥ることなく、「科学」(的視点)もしっかり取り込み、
新しい'表現'をつくりあげたい。
宇根さんは、もう次に行こうとしている。
そして、このタイミングで、宇根ワールドの現在の地点を示す書が出された。

尊敬する出版社のひとつ、コモンズから。
渾身の1冊!である。
この書の意味は、実に深い。うまく整理できれば、改めて。
「農と自然の研究所」の活動は、あと3年。
きっちりと、ついていってみたい。
2007年8月 6日
「農と自然の研究所」東京総会。農の情念を語る人、宇根豊。
昨日(8月5日)、
NPO法人「農と自然の研究所」の東京総会というのが青山で開かれた。
この研究所の本部は福岡にあり、宇根豊さんという方が代表をしている。
会員は全国に885人。私もその一人である。
この宇根豊という人物。
農学博士の肩書きを持つが、
もとは福岡県の農業改良普及員(農業の技術指導をする人。県の職員)である。
その、まだ若かりし普及員時代の1978年、今から約30年も前、
当時の農業指導理論の常識を逆さまにひっくり返して、
初めて'農薬を使わない米づくり'を農家に指導した公務員として知られている。
それは「減農薬運動」と言われた。
ただ'農薬をふるな'というのではない。
マニュアル通りに機械的に農薬を撒くのではなく、
一枚一枚微妙に違う田んぼの様子をしっかり観察し、害虫の発生状態を自分の目で確かめて、
本当に必要な時に撒くことが農業技術だ、と伝えていったところ、
農薬散布が劇的に減っていった、という話である。
当たり前に持っていたホンモノの百姓仕事をしよう、と言ったのだ。
これは農民の主体性を取り戻す運動となった。
僕と宇根さんとの出会いは1986年、
東京・八王子で開催した「食糧自立を考える国際シンポジウム」だった。
米の輸入自由化が社会的に大きな議論を呼んでいた時代。
アメリカやタイ、韓国など、たしか10カ国くらいから農民や研究者が集まって、
食料の自由化がどんな問題を孕み、どんな影響を与えるかを討論した、
かなり画期的な国際会議だったと思う。
大地はこのシンポジウムの事務局団体のひとつとして参加していて、
宇根さんには、日本側パネラーの一人としてお願いし、招聘していた。
彼は海外からやってきた農民や研究者の前で、
「赤とんぼは、田んぼから生まれるのです」 とやったのだ。
「田んぼはたくさんのいのちと文化を育んでいる」
農民団体が「一粒たりとも・・」とか叫んでいる中で、
僕は宇根さんによって、
「もっと視界を広く持て」 と教えられたような気がしたのである。
さて、思い出話はともかく、
彼は、周りは敵だらけの減農薬運動から始まって、
その後も思想を深め、理論を発展させ、2000年、とうとう県職員を辞し、
活動を10年と限定して「農と自然の研究所」を設立した。
研究所を設立してからは、田んぼの生き物調査の手法をガイドブックにまとめて
全国に広げる一方で、自らの思想を「百姓学」として構築しつつある。
福岡県は、この生き物調査を「県民と育む農のめぐみ事業」と称して、助成金をつけた。
環境に貢献する農業仕事として、価値を認めたのだ。
そして昨年、研究所は朝日新聞社の『明日への環境賞』を受賞した。
見事なたたかいっぷり、と言うほかない。
宇根さんは、いま僕が最も尊敬し、注目もしている'思想家かつ実践家'の一人である。
しかし、宇根さんの思想は、僕の力ではなかなか解説できない。
たとえば、こんなことを言う人なのである。
お金に換算できない百姓仕事が、実は自然や環境といわれるものを一緒に育ててきた。
近代化や科学には、この価値がとらえられない。経済合理性の目では'見えない'のだ。
私たちはその広大な世界を見つめ直さなければならない。
あるいはこうだ。
田の畦草刈をしていて、カエルが足元の草刈り機の前を跳んだとき、私は立ち止まる。
何回も立ち止まってしまう。
それを経済学者は生産効率を低下させる無駄な時間だととらえる。
また生態学者は、この田んぼにいるカエルの数から見て、数匹殺したところで影響ないと答える。
しかし、2~3匹斬っちゃっても問題ない、と立ち止まることをしなくなった時、
私の生き物を見る'まなざし'は、間違いなく衰えるのだ。
彼が目指すのは、'農と百姓仕事の全体性'の復活と再構築、とでも言えようか。
それを土台に据えて、虫たちとともにたたかいを挑んでいる。
まるで『風の谷のナウシカ』のオウムのようだ(ナウシカでなくてすみません)。
そして圧巻だと思うのは、こんな表現である。
私たちが美しいと感じる風景は、生き物たちの情念によってつくられている。
それを見る百姓の情念と交錯しながら、
「環境」や「自然」はたくさんの生き物たちと一緒に育てられてきた...
たとえば、ここにある大地の稲作体験の風景。
この風景は、すべて生き物によって構成されている。
生き物たちの「情念」で満ちている。
私たちヒトは、その「情念」と交感できているだろうか。
「情念」というコトバを、そのコトバのもつ情感も含めて使いこなせる人を、
私はこの宇根豊という男以外に知らない。
話が長くなってしまった。でもここまできて、途中で終わるわけにはいかない。
この項続く、とさせていただきます。
2007年7月31日
原発3題
このテーマ、「そのお題、いただきます」と始めるには重たすぎる。
正面切っての論陣は、この場にはふさわしくないようにも思われるし、
そこは長く関わってきた人にお任せするとして、それでも私は私なりに、避けて通りたくない、という思いがある。
"許せない" というより "やるせない" という陰鬱な感じが抜けないのです。
うまく語れるかどうか心許ないけど、吐露してみたい。
まずは先週の土曜日に開かれた、青森・六ヶ所村での核燃料再処理工場
の稼動に反対する全国ネットワークのキックオフ集会。
赤坂のドイツ文化会館で開かれ、全国から400人ほどの人が集まった。
再処理工場が稼動すれば、原発一基が一年間に放出する量の放射能が
一日で環境に放り出される。
国も県も、農産物や海産物の放射能濃度が高くなることを認めている。
それでも「大丈夫」なのだという。
大地にりんごや米を出荷する新農業研究会・今井正一さん。
自然豊かな青森の農林水産物が放射能で汚染される。
何としても止めたい。支援してほしいと訴える。
スクリーンには、大地の消費者とりんご畑で交流している絵が映し出されている。
今井さんの訴えを聞きながら、
原発を科学的視点だけで考えると大事な部分を失う、
そんな思いに取りつかれた。
放射能は一ベクレルといえども、'確実なリスク'である。
なければない方がいい。
その汚染が確実に高まる。
青森県は、再処理工場稼動後も一次産品の放射能汚染レベルをモニターするというが、
実際にどれくらいの汚染になるのか、
どういうふうに魚介類に蓄積し、食物連鎖や生態濃縮が進むのかは、
正確には予測不可能である。
濃度が高まって、その数値を示されて、
「でも安全です」と言われたところで、人々は電気の代償にその魚を食べるだろうか。
これは生産者の深い疑問である。
しかし、それ以上に思うのは、
食べものを育てる(あるいは採取する)人々にとって、
生産地というのは極めて神聖な場であって、
そこの安全性の確保は生産者の意気地のようなもののはずだ。
それを他人が勝手に踏み込んできて、
「まあ、大丈夫なはずだから」 といって
大切なフィールドを汚染してもかまわないという感性は、許されていいものだろうか。
食べるヒトの健康を維持できる「閾値(いきち)」さえ守ればいいものではない。
(それさえも守れない可能性があるのだが)
これは理屈で押し倒すレイプのような気がする。
「俺らにも、誇りはあるだべしな」 (という言い回しでよかったかしら...)
僕は誰が何と言っても、今井さんを支持することを宣言したい。
さて次に、柏崎刈羽。
いったい、どうなってんの......だよね。
地震による被災者の復興報道は少なくなっても、
原発関連では毎日新たな事実が明るみに出てくる。
変圧器が黒焦げになり(これはとってもヤバイことだと思うのだが)、
7基のすべての核燃料貯蔵プールから放射能を含む水が漏れ、
原子炉上の天井では巨大クレーンが破損し、
地震の揺れは想定してあった上限の6.8倍だったとか。
もはや再稼動は無理であろう、
とかいう冷静な分析より重要な問題があるような気がしてしょうがない。
企業としての基本姿勢(モラル)に欺瞞がなかっただろうか。
そもそも原発を稼動させるための「必要な想定」でしかなかったんじゃないか。
地震がなかったら、数年後、もっと怖いことが起こったのではないか(運がよかった)。
耐震設計の基準(指針)を守り、安全確保するための運用体制すらなかったんじゃないか。
だとすると、この間の食品偽装で叩かれた企業に匹敵するような話になるけど。
この疑問を、どなたか解いてほしい。
最後に3題め-
秋田県上小阿仁(かみこあに)村で、村長が手を挙げていた
高レベル放射能廃棄物の最終処分場誘致(のための立地調査)につき、
7月28日、立地調査への応募を断念表明した、とのこと。
核のゴミを引き受けよう、という男気のような話ではない。
立地調査だけで多額の補助金が入る。
それを村の逼迫した財政の建て直しに充てたいと考えたが、
村民が反対して、村長も騒動を治めざるを得なくなったという話。
先発では、高知県東洋町で同様の騒ぎがあり、町長が失職した。
置き去りにされた地方に、札束を見せながら手を挙げさせる、という構図。
東洋町の'近隣市町村'出身の私としては、歯ぎしりではすまないのだが、
頑張って私情を捨てても、あまりにも哀しい話である。
こんなに人心を情けなくさせても、進めないといけないのだろうか。
こうまでしないと、僕らは暮らしてゆけなくなったのだろうか。
海に放射能を垂れ流し、トイレを探しながら......
たとえ大惨事が起きなくとも、未来をいま、食い尽くしているような気がする。
これはどう考えても、「退廃」ではないのか。
矜持(きょうじ)を持った生産者と、未来を切り拓きながら生きたいと、思う。
2007年7月18日
「食の輸入は外来生物の輸入」という視点
米生産者会議での桐谷圭治さんの講演については、
15日付「ただの虫を~」の項で紹介させて頂いたが、
講演のなかで、桐谷さんはもうひとつ重要なことを話されているので、
やっぱりここでお伝えしておきたいと思う。
常識のようで、あまりちゃんと語られてないような気がする、という類いの話。
食料の輸入は、それにくっついて外来生物も運んできている、ということ。
食料にくっついて、あるいは船のバラスト水(※)に入って、
地球のあちこちから運ばれてくる。
侵入害虫はいつの間にか自然界に出て、人知れず繁殖して、ある日突然発見される。
同種の在来種を駆逐しながら広がるものもいれば、
国内に天敵がいない場合は、一気に繁殖域を拡大するものもある。
そしてこれが農薬散布を増やすひとつの要因になっている。
農薬使用の増加は、先に書いたResistance(抵抗性の出現)によって、
農薬耐性の発達(?)も促すことになる。
'農薬と耐性のいたちごっこ'の矛盾は、輸入の増加によって後押しされている。
新しい害虫の増加は、有機農業の現場をも悩ませる厄介な問題である。
例えば、1976年、愛知県で初めて発見されたイネミズゾウムシ。
(※)
カリフォルニアから干し草に潜んで密入国したといわれていて、
10年余で全国に拡がった。
この虫のために相当な量の農薬が散布されているし、
有機の稲作現場でも結構悩ましい虫となっている。
輸入食料の増加は、経済面だけでなく、環境と農業技術の面でも、
国内での安全な食糧生産を阻害している、ということになる。
そして温暖化が拍車をかける。
虫の生息域がどんどん北上しているのだ。
北上スピードは植物より速く、その地の生物バランスを変化させる。
また越冬昆虫が増えている。
輸入農産物の増加は、その食品自体の安全性という問題だけでなく、
国内の生産における安全性確保、環境、生態系(生物多様性)の安定といった
人の健康に関わる側面からみて、何らいいことはない。
オーガニックなら輸入でもいい、という立場には、私は立てない。
やむを得ず選択するにしても、そこは謙虚でありたいと思っている。
桐谷さんはまた、カメムシが'害虫化'した要因に水田の減反政策を挙げていた。
これも気になるテーマであるが、これはいずれ検証した後に報告したいと思う。
(※)バラスト水......船を安定させるために入れられる海水。到着した港で捨てられるため、世界で年間約百億トンのバラスト水が移動している(国際海事機構調べ)。バラスト水と一緒に生物も放出され、生態系の攪乱や養殖魚類への害、細菌の蔓延、有害プランクトンによる貝毒の発生などが問題となっている。
2004年にはバラスト水規制条約がつくられている。
(※)イネミズゾウムシの写真は、茨城県病害虫防除所のHPよりお借りしました。
2007年7月 3日
獅子ヶ鼻湿原-水と妖精の森
とんぼと田んぼの庄内ツアーから
鳥海山麓・獅子ヶ鼻湿原の湧水
滝のような激流。この圧倒的な水量。
とてもこのすぐ奥から湧き出ているなんて、信じられない。
この水が川を形成し、また地下に染み込み、
水田地帯を潤す。
ブナの原生林もある。
長い風雪に耐え、鬼神ここに宿る。
人はこの樹を 『ニンフの腰かけ』 と呼んだ。
ブナの腕に抱かれて眠る森の精霊を見たのだろうか。
水の源にはブナ林が似合う。特に東北では、そう思う。
"1尺のブナ1本で1反の田んぼを潤す" と言われるほどの保水力を持つブナ。
水と森に感謝する心に、妖精もその姿を現わし、微笑んでくれたのかもしれない。
※「ニンフ」とは、ギリシャ神話に出てくる森の妖精のこと。
※「一尺」=約30cm。「1反」=300坪、約10a(1,000㎡)。

