あんしんはしんどい日記の最近のブログ記事
2012年5月 7日
未来に残したい財産は、ここにある
未来に残したい財産は、ここにある。
特段珍しくもないけど、
それでも美しい (と感じるのはそれぞれの個人史によるようだけど)、
資源の宝庫、ニッポンの里山。
僕のゴールデンウィークは、ここ会津・喜多方市山都町での
" 堰さらい " ボランティアが年中行事となった。
毎年5月4日に実施される、地元総出での水路の清掃作業。
6年連続6回目の出場、ということで秘かに自分を褒める。
この作業の説明はもういいですかね。
毎年書いているので、昨年のブログ を見ていただくことで省略したい。
今年のボランティアは、過去最高の49名を数えた。
大地を守る会からは職員・会員合わせて13名 + 将来のボランティア後継者1人。
ついに二ケタ到達! 一大勢力と言われるまでになった。
苦節6年、ウウッ(泣)。。。
前夜祭で盛り上がった後、二つの公民館に分泊したボランティアたち。
我々が泊まったのは本木(もとき) 集落組。
朝みんなで朝食をつくって、食べて、お昼用のおにぎりを握って、片付けて、
7時半集合。
堰守りから挨拶があり、班分けが読み上げられる。
「頑張りましょうね、皆さん」 と余裕をかましていたら・・・
今年の作業は、ちょっと、、、違った。
通常の堰の土砂さらいとは別に 「特別班」 なるチーム編成が行なわれ、
大地を守る会から僕と須佐(農産チーム職員) が指名された。
「何をやるかと言うとですね・・・・」 と
何やら意味深な 「堰と里山を守る会」事務局長・大友治さん。
「崩れたところとか、倒木の片づけとか、詰まっていそうなトンネルの箇所とか・・・」
状況が想像できるだけに、一瞬うろたえ、唾を飲む。
しかし、、、ここでひるむワケにはいかない。
腰に手をやって、にっこり笑って、覚悟を決める。
というわけで、僕と須佐は地元の二人に連れられて、
別働隊として堰に分け入ることになった。
今年の冬は雪が多く、春が遅かった。
なだれ的に崩れた箇所がある。 倒木もでかいのが落ちてきている。
そして・・・
この溝に潜って土砂を掻き出す・・・ わけですか?
そう、らしい。
隊長の遠藤金美(えんどう・かねみ) さんが先に入り、
土砂をバケツに汲んでリレーする、と言う。
2番手は、大地を守る会のプライドをかけて、、、行くしかない。
四つん這いではない、文字通り、腹這いで。
体を上げることも向きを変えることもできない。
天井の隙間から冷たい水がボタボタと落ちてくる。
あんまり想像してもらいたくないけど、
水というやつは、どんなに細かい隙間にもしみ込んでくるのである。
あっという間に全身ずぶ濡れ状態。
それでも、家庭菜園用のスコップで土砂を浚ってはバケツに汲み、
ヤモリのように水の中を這いながら、前進-後退を繰り返す。
中は当然暗い。
入口から懐中電灯を照らしてもらいながら作業を進める。
闇の先で金美さんの声がした。 「こりゃ、ベトコンだぁ!」
圧倒的戦力を誇るアメリカ軍に対し、地下トンネルを張り巡らせて
ゲリラ戦で対抗した 「南ベトナム解放戦線」。 米軍は彼らをベトコンと呼んで恐れた。
ベトコンと聞いて、アドレナリンが吹き出してきたか。
負けるわけさ、いがね! ってなもんで。
しかし、体はどんどん冷えてきて、やがて震え始める。
間もなく、ここは作業ポイントではなかった、という落ちがつくのだが、
ま、それはともかく、
金美さんが気遣ってくれて、お昼前に中断して里に下り、
金美さん宅でシャワーを借り、
着替えを一式用意してもらって (パンツと股引はもらうことにした)、
お昼を食べて、午後再び山に入るという、
6年目にして戴いた、貴重な 「ベトコン体験」 であった。
やっぱりボランティアでは本当のご苦労は分からないですね、と聞けば、
「いやあ、オレも入ったの、初めてだあ」 と金美さんも笑ってくれる。
足手まといになったのか、力になれたのか、分からない。
でも、この堰にいっそうの愛着が涌いたのは確かだ。
水よ、巡ってくれ、この里に。
作業終了後、例によって早稲谷の公民館前で打ち上げ。
気を使ってくれたのか、乾杯の音頭に指名された。
風呂に入って、夜は 「里山交流会」。
今年の勉強会には、二本松市東和の菅野正寿さんが呼ばれていた。
菅野さんの話には意外な報告があって、
ちょっと重たいので次回に回すとして、
ここでまったく想定外の人に会ったので、触れておきたい。
人気長寿漫画 『美味しんぼ』 の原作者、雁屋哲さんだ。
雁屋さん一行は今、
福島を取材して回っている。
実は昨年暮れ、雁屋さんから
知り合いの会津農家の米を売ってくれないかと依頼されたのだが、
僕らも契約農家の米を売るのに手一杯であることを伝えた経緯がある。
雁屋さん推薦の米ですら・・・ですか、と言いながら。
みんな苦労しながら、突破口を目指している。
僕らは近いうちに、ひとつの出口で出会うことになるだろう。
出会わなければならない。
頑張りましょう。
一緒に作業すればよかったのに- という台詞はさすがに抑えた。
すっかり地元のキーマンになった浅見彰宏さん。
気がつけば、
チャルジョウ農場、小川光さんも登場。
アコーディオンを奏で、女子に取り囲まれている。
息子の未明(みはる) さん、曰く。
「こういうところでのオヤジは、すごいんですよ。 かないません。」
「種蒔人基金」 で用意したお酒 「種蒔人」 24本は、完売で足りないくらい。
自腹で確保していた6本も供出して、里山交流会は熱く終了した。
2012年5月 6日
すべての原発が止まった「子どもの日」
昨夜、2012年5月5日午後11時3分、泊(3号機) が止まりました。
日本で稼働していた原発すべてが停止した、記念すべき 「子どもの日」 。
にくい計らいですね。。。てことはないか。
このまま再稼働がなければ、
二度とフクシマのような大惨事は起きないですむ(だろう)、、、日本では。
これ以上悪くなることはない、と思いたい。
しかし厖大な核廃棄物の管理は未来永劫にわたって続くわけで、
そのコストは子々孫々に負わせ続けなければならない。
ただひたすら厳重に隔離させるためのコスト。
不条理なことだと思う。。。
仮に一部再稼働させても、将来へのツケは増すばかりである。
いったい誰のための再稼働なのだろうか。
「電力不足」 で危機を煽る方々には、
「節電で乗り越えられるならOKですか?」 と問い直したい。
「乗り越えられるならいいですけど」 と答えるなら、提案がある。
全国の自動販売機を停止してはどうだろうか。
特に煙草の自販機は不要である。
利用者だって、ないものと思えば、少々の工夫で何とかなるだろう。
何とかしようぜ! コンビニだってあるんだからさ。
みんなで知恵と工夫を出し合い、また企業なら
次代に向けての技術革新・市場創出のチャンスと捉えるべきだ。
とにかく、廃炉に向けての道のりは、これからである。
福島第1原発の廃炉完了には、
僕には確かめることすらあやうい時間 (30年以上) が必要とされている。
せめて 「持続可能な社会」 の夜明けを見とどけ、確信をもって眠りたいものだ。
頑張らないとね。
「子どもの日」 がいつも希望の笑顔で輝いていられるように。
加藤登紀子さんが提唱した 「緑の鯉のぼり」。
僕の机にも女子がさりげなく立ててくれて、眺めては自らを励ます。
未来に残したい財産は、ここにある。
どこにでもある(あった、と言うべきか)、しかも美しい、日本の里山風景。
資源の宝庫、でもある。
・・・・・という流れで、会津・堰さらいの報告へと進みたいのだけど、
昨日遅くに帰ってきて、今日は一日遅れの 「子どもの日」 の感慨に
どっぷり浸かってしまった。
レポートは明日に回して、あちこち張った筋肉と腰をさすりながら
このまま思いにふけることを、お許し願いたい。
2012年4月20日
近未来の90億と、100,000年
ブログをサボっている間にも、桜は満開の一瞬を過ぎてしまって、
春の枯葉が街路を舞い始めたかと思っていたら、
樹々は早くも鮮やかな新緑を用意してきている。

( 4月8日(日)、飯田橋・逓信病院の桜。
元大地牧場社長・道場公基さんのお見舞いにて。 前の土手は花見客だらけ。
みんな一気に飛び出してきたって感じだ。)
4月が新学期というのは日本だけだと聞いたことがある。
ホントかどうか調べてないけど、この慣わしは捨てがたい。
心身をリフレッシュさせて新たな成長に向かう節目といえば、やっぱ春だよね。
- とか言いながら、枯葉を眺めて複雑な心境になってしまうのは、
去年の秋とまだ変わっていない。
ブログをサボっていたのは、
今年度の新しい計画の仕込みに追われていたこともあるけど、
気分としては、一本の映画と一冊の本、そして政治のせいでもある。
映画は、デンマークのマイケル・マドセン監督によるドキュメンタリー作品、
『100,000年後の安全』。 遅ればせながら観ました。
本は、オーストラリアの科学ジャーナリスト、ジュリアン・クリブ著 『90億人の食糧問題』
(片岡夏実訳、柴田明夫解説、シーエムシー出版)。
この2点。 ちゃんとノートしておかなきゃ、と思いつつも、
近未来に迫ってきている生存の危機と、
どんな人類が住んでいるかも分からない10万年後にまで、
厳しい管理を伝え残さなければならない私たち世代のツケ(核廃棄物) の重たさに、
言葉を失っていた、というのが本音。
一方で、腰が抜けるような言葉を聞かされ続けてきた。
大飯原発再稼動に向けての、責任ある立場の方々の発言の軽さときたら。
「(対策は) おおむね妥当である」
「(安全に制御できると) だいたい確認できた」
「(機能を保持できる状態) と推定された」
これらの言葉の意味は、課題が残されているということだ。
自らの甘さを堂々と見せながら進められる政治的 " 見切り発車 " からは、
この一年間の人々の苦しみへの配慮は欠片(かけら) も感じられない。
これはさすがに、醜い。
この電車には、乗るワケにはいかない。
果ては、「(全停止は) 集団自殺」 「(原発が) 一瞬、ゼロになります」・・・
桜吹雪を背中に彫って、乗り込んでいきたくなる。
軽くても、この花びらには " いのちのつながり " に対する美学があるというものだ。
福島第1原発1~4号機の 「廃止」 が決定した。
今さらって感じだけど、これで日本の商業用原発は 「50基」 となった。
「廃止」 になっても、 「廃炉」 までの道のりはまだまだ長い。
悔しいけど、僕は結末を見届けることはできないだろう。
核燃料処分のコスト試算も発表された。
2020年までに原発をゼロにして、再処理しないで地下に埋設処分したほうが、
原発エネルギー35%を維持させながら再処理に回すより、27%安いという。
しかしそれだって、いつまでのコストなんだろう。
僕らはすでに、「10万年後の安全」 に向けて、
国民的議論に入らなければならない局面にある。
いろいろと腹に溜まったものを吐き出したところで、
サボり期間中の諸々からいくつかピックアップして、報告しておかねばと思う。
新たな計画もお伝えしたいし。
日々少しずつ小刻みに、
しかも順不同のレポートになると思いますが、ご容赦を。
2012年3月 9日
ムッシュ と呼んでくれ
" ムッシュ・エビスダニ~ "
・・・ウ~ン、心地よい響きだ。
7日(水) の朝、やってきたのはフランスからの一団。
フランス緑の党の州(だったか) のリーダーと有機農家に女性のジャーナリスト。
福島原発事故以降の日本の状況を知りたくて来日した。
福島の各地を回り、またいろんな団体の話を聞く予定だという。
カメラ班もくっついてきている。
ドキュメンタリーを一本、ねらっているようだ。
説明係に指名され、大地を守る会の説明から始まり、
放射能汚染の経緯と現状、弊社の取り組みなどお話ししていくなかで、
話題は、国や電力会社の事故後の対応のまずさとその影響、そして
安全神話がつくられていった背景などへと広がっていく。
また脱原発の方向を支持する国民が多数を占めてくる中で、
事ここに至ってもなお原発に依存しようとする自治体があることの理由まで聞かれた。
原発マネー (電源三法交付金や電力会社からの寄付金) が
自治体の経営を逆におかしくしてしまったことや、
原発の新規誘致が同じ場所に集中していった原因となったことなどをお話したところ、
何とフランスでも似たような問題はあるのだという。
原発大国フランスでも、内実はもちろん一枚岩ではないということだ。
内部被ばくのリスクに対する日本人の認識はどうか?
バンダジェフスキーは知っているか?
-内部被ばくに対する認識は、ICRP(国際放射線防護委員会) のリスク評価が
全体の基調になっている。
低線量内部被ばくの問題を指摘する学者や医者は存在するが、採用されていない。
バンダジェフスキーの研究成果も、ECRR(欧州放射線リスク委員会) のレポート 【注】
も、昨年11月あたりから翻訳されて出てきたばかりである。
しかしまだ、" ヨーロッパのみどり派の学者が言っていること " という感じだ。
この学問的にグレーな様子が消費者の不安心理に影響を与えていることは、あるだろう。
最後に、ジェイラップが作成した測定MAPや、
河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部) たちが作成した
南相馬の詳細な汚染MAPを見せて、
民間レベルでも頑張ってきたことがたくさんあることを伝えた。
お役に立てたかどうかは定かではないが、事務所を案内し、
習志野物流センターの測定体制を見てもらい、お帰りいただいた。
これがフランスでどう扱われるのかは、分からない。
ムッシュ・エビはフランス人の目に耐えられるのだろうか・・・
なんて心配しても仕方ないか。
そういえば20年以上も前、雑誌の取材を受けて、
「パリのいたずらっ子のような~」 と書かれたことがあった。
もしかして、意外と合ってるんじゃないか?
いつか、生きている間に、セーヌ河畔に立ってみたいものだ。
【注】
1.ユーリ・Ⅰ・バンダジェフスキー著
『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響
-チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ- 』 (久保田譲訳、合同出版)
著者は元ベラルーシのゴメリ医科大学初代学長。 チェルノブイリ原発事故後、
10年にわたって亡くなった患者の病理解剖を続け、また汚染地域住民の大がかりな
健康調査を実施し、セシウム137の人体への影響の解明に取り組んだ。
放射性セシウムの影響は特定ガンの発生だけではなく、
多様な病気に関連していることを示した。
2.ECRR(欧州放射線リスク委員会) 編
『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価
-欧州放射線リスク委員会2010年勧告- 』 (山内知也監訳、明石書店)
ICRPのリスク評価は政治的で意図的な操作がされていると批判するとともに、
様々なデータをもって、内部被ばくのリスクを厳しく、かつ総合的に評価し直している。
バンダジェフスキーもECRRのメンバーである。
2012年2月20日
あっという間の10日間
やれやれ・・・まったくブログに手が回らない状態でした。
もう立春、とか言ってたと思ったら、
すでに季節は 「雨水」(うすい。雪が解けだし草木が芽吹き始める頃) へと移ろっている。
実際はまだまだ寒いのだけど、どうも昔の人はきざしのようなもので季節を感じ取り、
気持ちを前に向かわせたのかもしれない、なんて思ったりして。
春が近づいている・・・・・
僕はどんな思いで今年の春を迎えることになるのだろうか。
報告したいことがいろいろと溜まっているのだけど、
事ここに至っては一つ一つ振り返る余裕もなく、
でもとりあえず(未練がましく)、この間の動きを駆け足で拾ってみると-
8日に宮城から帰ってきてエネシフ・ジャパンの勉強会に参加。
実はここで一番感激したことは、秘かなファンである冒険家・関野吉晴さん と
お会いできたことだった。
関野さんは現在、多摩美術大学で文化人類学を教えておられ、
この日は教え子と思しき若者を連れて聞きに来てくれた。 嬉しかったな~
10日(金)は、有機JAS認証機関であるアファス認証センターによる年次監査を受ける。
農産グループ長の任は解かれても、年に一回の事ゆえ、
引き継ぎもかねて立ち会うことにした (前半戦だけだったけど)。
この一年間の産地への内部監査業務は不充分なところがあって、少々ばつが悪い。
指摘されたことは認めざるを得ない。
でも腹の中は、" 今年はそれどころではなかったんすよ " が偽らざる本音である。
監査とは自分たちの仕事の検証であることを、後任の方々に知ってもらえばいい。
O山部長、監査をなめていると、いずれ痛い目にあうかもしれないので、
気をつけるように。
11日(土)~12日(日) は、
" これはオレの生きがい " と言ってはばからない 「大和川交流会」。
大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」(たねまきびと) の故郷、
会津・喜多方 「大和川酒造店」 での新酒完成を祝う、
誰が名づけたか " この世の天国ツアー " 、その第16回めの開催である。
今年もいい酒ができた (例年より少しソフトな感じか)。
しかも原料米の栽培にあたっては、苗までジェイラップ(稲田稲作研究会) で作り、
その苗を大和川酒造の自社田(大和川ファーム) に移して田植えをするという
産地リレーで乗り越えた。
「種蒔人」 の物語がまたひとつ生まれたことを、皆で喜び合ったのだった。
写真とかは改めてアップさせていただきたい。
続いて、ちょっと飛んで17日(金)、
「食品と放射能問題検討共同テーブル」による勉強会を実施。
お招きしたのは、元放射線医学総合研究所の白石久二雄さん。
こちらも詳細、後日。
翌18日(土)は、以前予告した朝日新聞のシンポジウム 「放射線と向き合う」
にパネラー参加する。
いつものように早口でとちりながら、忙しなく喋ってしまった。
反省しきりなのだが、何人かの方から好評やお褒めの言葉を頂戴して、
少し安堵しているところ。
これもレポートしたいところだけど、手が回らないかも・・・。
シンポの概要が29日付の朝刊に掲載されるようなので、もしよかったらご一読を。
そして今日、
食品における放射性物質に対する大地を守る会の 「自主基準」 を発表した。
(HPでのリリース参照 ⇒ http://www.daichi.or.jp/info/press/2012/02/1518110220.html
会員の皆様には来週配布いたします。)
内部被ばくについての明確な答えはなく、
放射性物質の動向も見定められない中での検討は、けっこうつらいものだった。
産地側からは厳しい反応も出ることかと思う。
覚悟してコミュニケーションに努めなければならない。
・・・・・とまあ、そんな流れで、あっという間の10日間でした。
溜まったレポートは書けるかどうか自信がないですが、
自主基準のほうはスルーさせて逃げるわけにはいかないので、
少しずつでも書き綴りたく思います。
2012年1月15日
哀しい、農の始め
くそッ、俺としたことが、、、久しぶりに風邪を引いてしまった。
咳とくしゃみが治まらず少々熱っぽい。
昨日は楽しみにしていた横浜パシフィコでの脱原発世界会議はパスして、
厚労省が出した放射性物質の新基準値案に対する、
共同テーブルとしての声明文案の作成を進めることにした。
4団体での合意に持っていかないといけないので時間はかかるが、
24日までに仕上げる、というゴールラインを決めてある。
ぐじゅぐじゅとパソコンに張り付く、情けない週末。
新聞をめくれば、昨日の脱原発世界会議の開会式で、
福島から避難してきている小学生が壇上に立ったことが紹介されている。
彼は訴えている。
「国の偉い人たちに聞きたい。 大切なものは命ですが。 それともお金ですか。」
こんなことを子どもに言わせてしまう社会を、僕らはつくってしまったのか。
悔しい。。。
机の上には、NPO福島県有機農業ネットワーク理事長で二本松市在住の
菅野正寿(すげの・せいじ) さんから届いた賀状がある。
『農(の) の始め 』 と題した詩が書かれている。
山に木を植えることが、略奪の文明と対峙する道と
山の神はいう
春の柔らかな土に種を蒔くことが
暴走した科学に対峙する道と
田の神はいう
原子の鬼を土のふところに 塊として埋葬する技を
自然の治癒力として耕す
耕す農の営みは 花を咲かせ実を結び
彩りが里山をつつみ
老いも若きも おだやかな顔をあらわす
未来永劫へと続く農の道は 美しい国への道しるべ
山の神 田の神が降りてきて
共に五穀豊穣の酒宴をする 農の始め (2012.1.2)
実は、菅野さんからは、年末に悲痛なメッセージが
関係者に向け発せられている。
「年の瀬にあたり、ふくしま有機ネットからの訴え」
3.11大震災・原発事故に揺れた2011年の年末にあたり、
この1年の温かいご支援、ご協力に心から感謝を申し上げます。
年の瀬のこのときに、
伊達市(霊山町) のイチゴ農家、二本松市(東和町) のりんご農家が
自ら命を絶ちました。 もうこれ以上農民から犠牲者を出さないでください。
福島県の米は農協の倉庫に業者の倉庫にそして農家の納屋に
生き場をなくして年を越す状況にあります。
とくに消費者との産直で取り組んできた有機米、減農薬米の生産者の
「これでは年を越せない」 との悲痛な声に耳をかたむけてください。
すでに報道されているように、検査の結果100ベクレル以下は95% (不検出は85%)
であり、基準値を超えたのは0.3%です。
もちろん検査し、不検出の米のみの支援をお願いするものです。
出荷停止となっている伊達市小国地区などの地域は特異な例であり、
それをもって福島県産米が否定されることは悲しくてなりません。
セシウムの米への移行が極力少ないことが検証され、
来年の米づくりに光が見えてきているこのときに、
この希望の芽に心を寄せてください。
責任は東電にあり、農民を責めることができるでしょうか。
原発のない新しい次代を創るために今こそ、
都市と農村の新しい関係を構築していくこと、
私たち農民も農の営みを続けて、
さらに安全安心はふくしまを再生していくことを約束して、
緊急に米のご支援を訴えさせていただきます。
2011年12月30日
大地を守る会としても、ジェイラップややまろく米出荷協議会など、
契約産地の米を販売するのに一杯々々という状況にあり、
菅野さんのネットワークの米まではどうにも手が回らない。
「産直とはなんだったのか・・・」 の声が、つらすぎる。
他からもいろんな依頼が舞い込んでくるが、我々にも限界があって、
応えられないことは多い。
鼻水すすりながら考え込む日曜日。
あれこれ考えあぐねても、答えは 「王道でいくしかない」。
粘り強く徹底的に対策を進め、
有機農業の力によって 「ふくしま復活宣言!」 までもっていくことだ。
そのプログラムを持とう。
ああ、こういう時は、思いきって横浜パシフィコにでも
出かけたほうがよかったかもしれない。
2012年1月 4日
" 希望の復興 " を始めよう
皆様、明けましておめでとうございます。
本年が皆さまにとって " 希望 " を実感できる一年になりますよう
祈念して、仕事を再開します。
歴史はかなり大きな激動のステージに突入しています。
しかし目の前の動きは今だ道標(しるべ) を求めさ迷う龍のようでもあり、
3.11後を経験したにもかかわらず、
さらに奈落に向かっている危うさすら感じさせます。
必要な変化なら勇敢に立ち向かいたいものです。
春にはすべての原発が停止します。
2012年を、正真正銘の 「脱原発元年」 にしたい。
新しいエネルギーの構想は色々と提示されているのに、
「現実的ではない」 とか 「説得力がない」 とか 「コストが合わない」 とか
「温暖化が進む」 とか、否定する人たちがまだ厳然と存在します。
しかも流れを潰そうとするから困ったもんです。
しかし、もはや老朽化してきた原発に 「安全保証」 を預けるわけにはいかないし、
手に負えない有害ゴミを排出し続ける未熟な技術に優位性がないことも、
すでに明らかです。
次世代技術を切り開く者にこそ光は当てられる。
そんな時代に入っていることを確認して、エンジンを加速させましょう。
有機農業の力を信じるワタクシとしては、
「この星の生命体を支えるエネルギーの根源は、太陽と植物の光合成である」
から出発したい。
石炭や石油だって、
もとは太陽エネルギーを変換させて増殖した太古の生命体の化石だし。
しかもそもそも、エネルギーとは電気だけではない。
生命活動を支える力を、
たとえばアジア・モンスーンに暮らす人々は、
一粒の種が1生命サイクルで1500~2000粒に増殖する湿生植物=稲(米)
との共存技術を進化させることによって獲得してきた。
その共存システムをできるだけ安全で
永遠に持続可能なかたちで育むのが有機農業である。
しかも、この一年でどうやら見えてきた世界は、
厄介な放射性物質をがっちりとつかみ、生命循環系への拡散を防ぐ力は
土壌のキレート力にあり、それを安定的に支えるものこそ
生物多様性という土台世界なのではないだろうか、ということである。
放射能リスクから自己を防衛するために必要なことは、
" 逃げる・避ける " だけではない。
免疫力強化のためにも、有機農業は貢献する。
逃げて別なリスクを摂取しては、元も子もないしね。
土を守る、その力を回復させる、無駄にしない (荒れさせない)、
新しいエネルギーを生む基盤にもする、
その力を 3.11以前よりも強固にする。
これこそ 復興 というものではないか。
そのためにも、生産と消費の流れの再建が必須である。
「流通者とは、価値のネットワーカーでなければならない」
なんて偉そうに喋ってきたツケから逃げるワケにいかなくなって、
いよいよもってしんどい一年が、始まった。
2011年12月30日
感謝の心で 「良いお年を!」
今日で仕事納め。
といってもたった4日間の休暇だけど。
この一年を締めくくる言葉が、浮かんでこない。
心臓が止まりそうになった光景から一瞬にして未経験領域に突入して、
取り返せない後悔の念に苦しんでいる暇もなく
ただただ 「判断を誤るな」 と言い聞かせながら走ってきて、
振り返ってみれば、どうしようもなく悲しい思いもしたけれど、
感動のほうが多かったようにも思う。
それもあり得ないような感動で、たくさん泣かされたことだった。
月並みだけど、「感謝」 、この言葉しかない。
希望を与えていただいたすべての人たちに、
心から、 「有り難うございました!」 だね。
2011年、「神話」 がついに自壊した。 しかしその代償はあまりにも大きかった。
来年は、ホンモノの 「脱原発元年」 の年にする。
もう二度と後悔はしたくない。
つくるのに莫大な金と時間をかけて、地域や人々の絆を破壊して、
たった40年ほどの稼働で、回復不能な環境汚染と、
何万年も厳重に管理しなければならないゴミを生み出し続ける。
こんなエネルギーへの依存を次代に継がせるのはやめにしたい。
代替案は、目の前にある。
僕らは普段、たいがいの傷は自己修復したり癒しながら生きている。
そんなふうに回復できる範囲にヤツを封じ込めながら、生きてゆくしかない。
冷静に向き合える力を獲得したい。
そのテーマに挑んでいきたい。 新しい知や技術を発見・創出しながら。
もはやここまで。
- という感じで宿題をいっぱい散らかしたまま、
とりあえず暫しの休息をいただくことを、お許しください。
2012年が皆さまにとって幸多い一年になりますよう祈念して、
今年のエビ日記を閉じさせていただきます。
お付き合いいただいた皆さまに、深く深く、感謝します。
(2011年12月30日17:00pm,千葉市美浜区より富士山を望む。)
2011年12月23日
厚生労働省・新基準案と、私たちの質問書
栃木・那須塩原から福島・須賀川に足を延ばして、
19日はジェイラップでの勉強会に参加。
そして昨日は長野県松本市の菅谷(すげのや)昭市長を訪ねてきた。
それらのレポートを続けるつもりだったのだけど、
その前に、お国の動きがあったので、その報告を急ぎ。
昨日、厚生労働省 「薬事・食品衛生審議会 食品衛生分科会 放射性物質対策部会」
が開かれ、暫定基準に替わる新基準案が示され、了承された。
すでに報道されていた内容と同じだが、簡単に概略すれば、
食品による放射性セシウムの許容被ばく線量を、
暫定基準の 5 ミリシーベルトから 1 ミリシーベルトに引き下げ、
それを各食品群に振り分けた格好だ。
「一般食品」 については、年代や男女別で平均的な摂取量を導き出して、
その中で一番厳しい数値である 120 ベクレル
(13~18歳の男...... 一番食べる量が多い年代ということらしい)
をもとに、さらに安全を見込んで 100 とした、ということである。
また干しシイタケやお茶などは、摂食する状態で 「一般食品」 基準を適用する。
新基準の実施は来年4月から。
一方、4団体で結成した 「食品と放射能問題共同テーブル」 では、
この日の審議会が設定される前、12月12日付で、
以下の質問書を厚生労働省に提出している。
(「公開質問状」 的な格好にならないよう、公表は控えていた。)
【質問事項】
1.新たな規制値での食品区分が 4 分類と報道されていますが、
米など摂取量が多い食品や、水産物など汚染の拡がりに懸念があるものについては、
区分を分ける必要があると考えますが、どのような検討がなされたのでしょうか?
2.規制値を設定する場合は、その規制値が守られていることを担保できるだけの
検査体制の確立が必要と考えますが、いかがお考えでしょうか?
3.規制値を超過した場合、生産者等に対して補償する体制が必要になると考えますが、
その賠償主体、およびどのような手続きと、
どの程度の予算措置を想定しておられますか?
4.民間の検査能力を超えるストロンチウムやプルトニウム等の核種については、
国が継続的にモニタリングする態勢を強化し、公表していく必要がある
と考えますが、いかがお考えでしょうか?
またヨウ素、セシウム以外の核種については、どのような検討がなされたのでしょうか。
5.新規制値は年間1ミリシーベルトを基礎とすると伝えられていますが、
暫定規制値ではなく、恒久的規制値として設定を検討されているとすれば、
内部被ばくだけでなく、外部被ばくの割り当ても考慮すべきであり、
かつ ALARA 原則に従ってできるだけ低い値を設定すべきだと考えますが、
いかがお考えでしょうか?
6.乾燥食品等については、摂食時の状態に換算すると伝えられていますが、
同一食品であっても様々な戻し方は摂食方法があるものについて、
どのような基準設定をお考えなのでしょうか?
今回示された新基準案は一歩前進とは言えるものの、
私たちが提出した疑問はまだ疑問のままである。
引き続き回答を求めてゆくとともに、
私たち 「共同テーブル」 においても、上記の質問事項は
基準を考える際に必要な視点だと認識しているところのもので、
専門家への聞き取りも含めて検討を進めているところである。
昨日、菅谷昭・松本市長を訪ねたのも、その一環だった。
菅谷さんは、1996年から5年半、ベラルーシ共和国で暮らし、
小児甲状腺ガンの医療活動を行なってきた医師である。
質問事項から、私たちが留意しようと思っていることを
読み取っていただけると嬉しい。
この基準は単純な数字の発表だけではすまない、
というのが 「共同テーブル」 の共通認識になってきている。
それだけに悩みも深まっているのだけど。
取り急ぎ報告まで。
2011年12月16日
カキの鉄人に学ぶ
NHKで放送されている人気番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 。
今週12日の放送は見なくちゃと思いながら、仕事が終わらず見逃してしまった。
録画もしてなくて、昨夜、深夜0時15分からの再放送を見る。
今回の登場は、カキの巨人、気仙沼の畠山重篤さんだ。
題して 「それでも、海を信じている」 。 カッコいいね。
" 森は海の恋人 "
-世紀をまたいだ最大のコピーだと思っている。
畠山さんの紹介は不要だよね。
気仙沼湾に注ぐ大川の上流部に木を植えて23年、その数2万本。
気仙沼の海とカキを再生させた男の物語はあまりにも有名だ。
僕が訪ねて行ったのは17~8年前だったか。
アポとって行ったのに、畠山さんは小学校の講演が入っていて、
お陰で校長室での挨拶まで付き合わされた思い出がある。
そして今年、震災で壊滅したカキ養殖復活の一章が加えられた。
この章は始まったばかりだ。
畠山さんはこの震災で、苦しい時から支え続けてくれた母、小雪さんを失っている。
小雪さんの言葉- 「自分の信念をつらぬきなさい」 に泣けてくる。
畠山さんの物語を解説する資格はないので、一冊の本を紹介してすませたい。
『鉄は魔法つかい』 (小学館刊、本体価格1,300円) 。
小学校高学年なら読めると思う。
命と地球をはぐくむ 「鉄」 のすごい世界が、
カキ再生にかけた男の道のりとともに語られている。
上梓間近で震災に遭って、
でも気を取り直して出版させた力は、お母さんの言葉と、自然の力だったんだと思う。
テレビ放送を楽しみにした理由はもう一つあって、
僕はこの番組に一枚の画像を提供してあったんだよね。
畠山さんに 「鉄の力」 を教えることになった松永勝彦さん (当時北海道大学教授) の写真。
なんと 2年前のこのブログ から見つけてくれた。
登場したのは一瞬だったし、「写真提供」 のクレジットも記してくれなかったけど、
まあちょっと、誇らしい気分になったのだった。
今日はもう一つ。
二日前に藤田社長が安受け合いしちゃったもんだから、
午後、国会議員の先生の部屋に行くことになった。
食品の放射能測定の現状とか、情報公開の問題点とか、課題などについて
レクチャーしてほしいいうことらしい。
と言うわりには永田町の議員会館まで来いと・・・。
「え、え、え、え、、、」 と 「え?」 を5回くらい言っただろうか。
「それって、、、命令ですか?」
「命令じゃないけど、エビスダニってやつを行かせると言っちゃったし・・・」
という感じ。
大地を守る会もいろんなセンセーから声はかかるけど、
特定の政党を支持することはないので、ここでは政党名は伏せておきたい。
で、衆議院第一議員会館まで足を運んで、
測定というものの実情と課題に始まって、情報公開の意味とリスク、
我々が生産者と一緒に取り組んだ対策などなど、一所懸命語ってきた。
先生は、聞きたいところだけを急ぎ足で確認していたみたいだけど、
低線量内部被曝への関心を高く持っておられたこと、
除染が有効に働いているか、今後の食の汚染がどうなっていくかなどに
強い懸念を抱いていることは、ありがたいことだと思った。
情報公開(表示) の充実に関して、国会議員はまだ懐疑的な人が多いことを嘆いていた。
「国民が政治を信頼してないんじゃなくて、政治が国民を信頼してない」 と。
流通の末端(小売店等) での測定の体制強化よりも、
上流 (生産現場) でのきめ細かい検査と情報公開、
そして結果的に濃度が高かった地区の対策の徹底こそが、
消費を安定させる基本であることを訴えてきた。
公と上流がきっちりと責任もってやっている、という形づくりが必要なのだ。
ありとあらゆるものが流れてくる下流(小売現場) で
「全品検査」 をすべてに徹底させることなど不可能であるし、
トレース(産地を遡る) ができない場での対策は、形だけの 「撤去」 しかできない。
産地での予備検査がおざなりであったことによって
福島県産米全体に影響を与えたことをもって知るべし、である。
福島の 「やまろく米出荷協議会」 の佐藤社長が嘆いていた。
今年は本当に美味い米ができたのに・・・ この悔しさはいかばかりか。
その先生は、「せっかくだから」 と他の議員の秘書さんも呼んでくれたりした。
共同テーブルで出した厚生労働省への質問書にも賛同してくれた。
頑張ってほしい。
無駄ではなかったみたいだけど、
お陰でワタクシは残業なのである。
何人かが楽しげに飲みに行ってる。 ああ、この世は不条理に満ちている・・・
でも、カキの鉄人を見た後だから、頑張れる。
「鉄」 のような流通者になりたい。
2011年12月13日
ゼロ・ベクレルを目指して
有機農業学会での発言後、頂いた質問や意見は二点に集中した。
そのひとつが、
" ゼロリスクを求める " を否定せず、本能と受け止めたい -に対して。
放射能は広く飛び散り、ほぼ北半球をあまねく汚染したと思われる。
均質に落ちたわけではなく、まだら模様のようであり、
距離によって相対的に薄まっているものではあるが、しかしそれも流動している。
この国に住んで放射性物質ゼロの食べものを求める姿勢は、
すでに無理というものである。
しかもそういう消費心理と行動が生産地や生産者を切り捨て、
国土の浄化や復興への思いを分断させることにつながっていないだろうか。
大丈夫と思われる程度のものなら、食べよう。 食べてつながろうじゃないか。
- この主張は、支持する。 というより僕自身、強くそう思っている。
しかし、だからといって放射能ゼロを求める姿勢を批判しても、
問題の解決にはつながらない、とも思っている。
放射能から逃れたいのは、生産者も消費者も、みんな同じなのだ。
そこから出発したい。
ゼロを 「求める」 や 「探す」 行為で終わらず
(これは批判ではなく、 " 終わらず " という提案です)、
一緒に " ゼロを目指そう " の共通認識を持ちたい。
ゼロの目標は、生産者だけの仕事では達成できないのだから。
努力する生産者の、その都度の結果を 「食べる」 ことで支える消費者の存在が欠かせない。
ゼロをよこせ、に対して僕がいま提供できるものは、
「検出限界値以下」 という選択材料としての測定結果(事実) と、
" ゼロを目指す生産者 " の意気地だけである。
そして作ろうとしている基準値もまた、
ゼロに向かうプロセスと思想を表現したものになるだろう。
「ゼロをよこせ」 とは = 「美しい国土を返せ」 だと受け止めていて、
そのために生産者と一緒に頑張っているつもりである。
そして " ゼロを目指す共働 " が成り立てば、
元を絶つことの共通認識も成立すると思うのである。
原発止めないと、ゼロリスクは達成できないわけだし。
そしてふたつめの視点へと続くのだが-
・・・すみません。 今日はここまでで。
昨日、「食品と放射能問題共同テーブル」 では、
厚生労働省で進められている放射性物質暫定基準値の見直し作業に対し、
6項目の質問書を提出しました。
回答が届き次第、お知らせします。
この質問は、実は喧嘩を始めたわけではなく、我々自身の悩みでもあります。
2011年11月 5日
米と塩と、酒 -原発を止めた町から
二つのシンポジウムの報告を約束したのだけど、
ベトナムに飛ぶ前にどうしても書いておきたいことが、もう一つ。
10月6日付の日記に書いた一節。
3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。
「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、
まずはこの人に仁義を切っておきたかった。
20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。
15年ぶりの表敬訪問。
僕がこの任務を受けるにあたって、自分に言い聞かせたのは
「希望を示せなければ、全うしたことにはならない」 ということだ。
その意味で、この先駆者を訪ねることは恩師への報告のようなものだったのだけど、
それ以上に、ここは何より、先進地なのである。
この間しつこいくらいに 「備蓄米」 産地 (稲田稲作研究会とジェイラップ) の
取り組みを書いてきたけど、僕にとっての先駆的モデルは、ここにある。
僕と島岡さんとのお付き合いの発端は、原発ではない。
減反政策とのたたかいだった。
米が余っているからと言って、なぜ国から減反を強制させられなければならないのか。
生産調整などというものは、民の力 (主体性) に任せるべきだ。
それぞれの地域づくりと結びつきながら。
減反政策の失敗は、滋賀県の面積相当分の耕作放棄地が示している。
地球人口70億に突入した今日、耕地を荒らす国など、ありえない。
制度を強制しておいて、
荒らしたのは 「公」 じゃなく 「民」 だ、という政治家や官僚が、僕は大嫌いだ。
言っとくけど、社会科学徒の前では通用しないからね。
島岡幹夫にとっては、原発も減反もいらん、この町はワシらの手で作らせてよ、
ということだったんだと思う。
10月4日、秋晴れの日本列島を飛んだ。
あとは、
採用いただいた " 原発を止めた男たちが対案で示したアイテム " 3品
の同時販売にあたって、営業サイドに投げた粗原稿ですませたい。
原発を止めた町から生まれた、米、塩、酒、のコラボに挑戦してみました。
会員の皆様には、メニュー148で同時投入です。
会員外の方は、ウェブサイトで購入できます (近々登場)。
コンセプトは、「原発止めても、楽しう生きとりますきに!」 って感じか。
原発を止めて23年、
美しいふる里づくりは今も続いています。
高知県窪川町(現四万十町) で、
無農薬での米作りに励む島岡幹夫さんのヒノヒカリをお届けします。
島岡さんは1980年代、
町の原発誘致計画を8年かけて止めたリーダー。
原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、
いったんは対立した農家も巻き込みながら有機農業の仲間を増やし、
耕作放棄された棚田の再生や森林保全そして自然エネルギーの創造と、
島岡さんの " どこよりも美しいふる里づくり " への挑戦は
尽きることなく今も続いています。
島岡さんたちは今、耕作放棄された棚田を開墾し直している。
この上の山林も手入れして、子どもたちの体験と憩いの森にしたい、と語る。
「ワシらの世代がやれることは、そんなことやろ、エビスダニ君。」
タイの農民自立のための支援活動も長く続けていて、
タイ北部のタラート村で 「島岡農業塾」 を開き、
私財を投じて3つ目の池を完成させました。
村の人々は 「島岡基金」 として大切に運営しています。
「原発に頼らんでも暮らしは守れる!」
-信念の男・島岡幹夫が育てた " 未来への懸け橋 "
のようなお米です。
限定70俵。 ぜひ食べて応援してください!
写真左は、二日間案内してくれた 「高生連」 代表・松林直行さん。
佐賀県出身ながら、高知大学時代に学生運動と原発問題に立ち会うこととなって、
この地に根を生やす羽目になってしまった (と僕は解釈している)。
島岡幹夫・愛直(まさなお) 親子と一緒に、次にに向かったのは
旧大正町にある、無手無冠 (むてむか) 酒造さん。
社長の山本彰宏さんは酔狂な人で、
店をたたんだ銀行の支店を買い取って、こんなふうにしてしまった。
四万十川焼酎銀行・・・
口座を開こうか、とも思ったが先が不安なのでやめた。
店内の中で、山本彰宏・頭取! を囲んで島岡親子。
う~ん、絵としてはどうも・・・ 使えないね。
しかし、山本社長には、こっぴどくやれれた。
「3.11のあと、大地はもっとやってくれると思うとったけど、なんかイマイチや。
もっとガーンとやってくれ!」
人の苦労も知らんと・・・ 高知のクソ親父め。 くやしい。。。
普段は饒舌な島岡さんが、ただニヤニヤと笑っている。
以下、宣伝の原稿より。
「美しいふる里づくり」 を陰で支える
四万十純米酒
高知県窪川町(現四万十町) の島岡幹夫さんが育てた
無農薬米を原料とした、大地を守る会オリジナルの純米酒です。
「その土地の匂いがする酒を醸したい」 をモットーに、
どっしりとした濃醇タイプに仕上がっています。
社名の 「無手無冠(むてむか) 酒造」 は、
一切の混ぜものをしない(「無添加」 から) というポリシーを表わしています。
島岡さんとのお付き合いの中から生まれた、
無農薬栽培を支え、「美しい里づくりに貢献する」 日本酒。
続いて、山間部の大正町から一気に下り、太平洋を望む黒潮町へ。
土佐の海を守らんと生まれた天日・手揉み塩
「美味海(うまみ)」
( 地元の杉を使った手づくりのかん水設備。
海水を何度も循環させ、海水の6倍まで濃縮させます。)
土佐・黒潮町の浜から汲んだ海水を、太陽と風が濃縮させてゆく。
それを手で優しく揉み、音楽を聴かせ、じっくりと結晶させることで、
塩が 「美味海(うまみ)」 になりました。
自然エネルギーの力を最大限に生かして、
ひと粒ひと粒に微量元素(ミネラル) が凝縮された、いのちの母なる塩。
窪川町の原発誘致計画に対して、
「自然豊かな土佐湾には、原発ではなく、天日塩のタワーを!」
という対案によって生まれた塩づくりも、
今では天日塩を振りかけただけの鰹のタタキが静かなブームになるなど、
高知県自慢の特産品へと成長しました。
まろやかで甘味を感じるお塩。素材の味を引き立たせてくれます。
おにぎりに、天ぷらや刺身のつけ塩に、焼き魚に、他なんでもOK。
「海工房(かいこうぼう)」 代表の西隈隆則さん。 1982年「生命と塩の会」設立より、 土佐の黒潮とともに生きてきました。
今宵は龍馬になった気分で、
南国土佐の " どこよりも美しい里 " にかける男たちと
黒潮に思いを馳せながら、
MSC認証・一本釣りカツオに美味海の塩をふって、一献。
-は、いかがでしょう。
ニッポンを洗濯しちゃりたく候。
原発なんかないほうが、豊かになる。
自立心と創造力が、未来を建設する!
以上、提案でした。
では、いざベトナムへ-
戻りは11日・・・の予定です。
2011年9月28日
人事異動の季節です
会社の乱暴な判断というより、自ら墓穴を掘ってしまった感がある。
秋の人事異動。 とんでもない辞令が降りてきた。
生産者の方々には一昨日の夜にお知らせを配信させていただきましたが、
10月1日付にて、農産グループを離れて、
事業戦略部付-「放射能対策特命担当」 なる任務を仰せつかりました。
「特命担当」 ・・・ 少々大げさな名称ですが、
お金もなく、窓際に設置された一人部署です。
まさかこんな仕事が発生することになろうとは、
しかも自分に・・・・・
六本木でCSR運営委員会が開かれたあと、残った人で食事となって、
お酒も入って最後に少し藤田会長にからんでしまって、
反省しながら部屋に戻って、フテ寝 -する前に寝酒。
「とくたろうさん」 で届いた 「あいづ耕人会たべらんしょ」 のかおり枝豆を茹でて、
郡山・仁井田本家の金寶(きんぽう) 自然酒 「秋あがり」 で仕上げる。
今夜も福島三昧。
それにしても、、、放射能対策、、、特命担当、、、
反芻しながら、このミッションの重さに震えている。
で、何やるの? なんて難しいこと聞くのはやめてね。
これまで書いてきた延長上に 「お前が喋ってきたことを実現しろ」 という指令、
と受け止めるしかないワケで。
したがって、後に引くわけにもいかないワケで。
雑多な書類をガンガン片づけて、後任への引継ぎは積み残しながら、
明日に向かって動き始めるワケです。
農産グループ・有機農業推進室で発行する生産者向けニュース
『今月のお知らせ』-10月号で退任の挨拶を書いた。
3年半の任期を振り返れば、心残りの課題が悔やしくこみ上げてくる。
でも農産から離れるわけではない。
放射能問題は、畜産や水産も含め広く一次産業全体の問題として
降りかかってきているのだから、
ここは 「改まった挨拶の言葉はありません」 と書かせていただいた次第である。
取り扱い品全分野の基準を整理して、そのトレース体制を築いていった
安全審査グループの5年間を経て、農産グループ長を拝命したのが3年半前。
今年の3月は、農産グループ4期目の事業計画を、
背伸びしながら立てていたところだったのに、
たった一日で世界が一変した。
この事態に必死に挑んできた結果が 「特命担当」 なら、受けるしかない。
社会的企業を宣言した大地を守る会の真価をかけて、やるしかない。
このブログを始めて2回目の部署変更となりました。
不穏当な発言で 「短命」 に終わらないように気をつけたいと思います。
酔っ払って茹でながら、気づいたことがある。
私が頑張って社内に通した、
希望の生産者グループ 「あいづ耕人会たべらんしょ」 諸君。
ラベルぐらい統一して出せよ!
枝豆(香り) と、かおり枝豆・・・・・
君たちねぇ~え。 頼むから、仲良くやってくれる。
2011年9月20日
さようなら原発! 歩けない人たちのぶんまで歩こう
2011年9月19日(月)、敬老の日。
忘れないようにしたい一日が追加された。
正午を30分ほど過ぎた頃。
JR中央線の千駄ヶ谷駅に降りた途端、
まるで大惨事が起きた時のような状態に巻き込まれてしまった。
ホームが人で埋まっていたのだ。
自動改札を出るのに15分くらいかかっただろうか。
満員電車さながらの駅構内を出れば出たで、大量の人が立ち往生している。
みんな、続々と明治公園を目指している。
ホッとひと息ついて振り返れば、後から後から人が続いてくる。
今日はすごい一日になる、と確信した。
「さようなら原発 1000万人アクション」 主催による
「9・19さようなら原発集会&パレード」 の開催。
これまでいろんな集会に参加してきたけれど、
僕の経験で最大規模であることは間違いない。
明治公園の広場に入ることすら難儀しながら、何とか後ろの一角に場所を確保して、
妻に握ってもらったおにぎりも立ったままで食べるしかない状態。
会場のキャパは常態で2万人ほどだと思うのだが、
13時開会の時点で、お隣の日本青年館のほうまで人が溢れていた。
未確認情報だが、
千駄ヶ谷駅は混雑が激しくて、隣の信濃町駅から降りて歩くよう
JRがアナウンスまでしたらしい。
もはや誰も正確な人数は把握できない。
警察発表-2万7千人。 主催者発表-6万人。
僕のこれまでの経験値ではだいたいその中間が実態に近いのだが、
今回に限っては後者の数はかなり実感値である。
13時30分。 開会が宣言され、呼びかけ人たちがアピールを始める。
「 " さようなら " には " また会いましょう " の意味も込めらますが、
今日の 「さようなら」 は、 " もう二度と会わない " のメッセージです」(鎌田慧さん)
「原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を生む・・・」(大江健三郎さん)
「まだこの世に生を受けてない人たちから " ありがとう " と言ってもらえるような、
新しい一歩を。 いのち輝く国への一歩を・・・」(吉岡斉さん)
落合恵子さんは、ジョン・レノンの 『イマジン』 を想起しながら、
生まれ落ちる国を選択できない子どもたちや、福島の人々を思う想像力を、
僕らに投げかけてきた。
ぎりぎりに駆けつけてくれた俳優の山本太郎さんは、
「今日来れない人の分まで歩く!」 と宣言した。
一番後ろにいた自分にはよく聞き取れなかったのだけれど、
呼びかけ人の方々のメッセージは下記で聞くことができます。
正確な言葉を聞きたい方は、こちらをぜひ!
http://www.youtube.com:80/watch?v=k5Q5cRWpQaU
福島からも、たくさんの人が参加された。
つらい、つらい、思いのたけがある。
でも、つながりを紡ぎ直すために、美しい言葉でメッセージが伝えられる。
僕はそれを書き留められなかった。
14時半を過ぎて、デモなのかパレードなのか、とにかく出発。
大地を守る会の一団は、組織文化もあるのかもしれないが、
ややバラバラになりながら、でも楽しくお喋りしながら、
時折シュプレヒコールもやって、明治公園から新宿駅まで歩いた。
「原発はいらない!」
「海と大地を守ろう!」
「いのちが大事。 子どもたちを守ろう!」
気がつけば、何と娘が参加してくれていた。
「やあ、お父さん。」
嬉しくなったが、まあそこは顔に出さず、「おお、旗持つか」 てなもんで。
ありがとう、と言えない。 ヤだね、って自分でも思う・・・。
延々とパレードの帯が続く。
場慣れした運動家から、オシャレな若いカップル、まるで散歩気分の家族連れまで。
我々市民団体が担当したCコースは新宿駅南口まで。
ゆるゆる感が良くも悪くもたまらなく、
「これじゃデモじゃなくて、ウォークラリーだね」 の声まで上がる。
楽しくメッセージを送りながら歩く。
一人でも多くの人に共感を与えたいと、皆それぞれに表現したのだ。
NO! と言ってみよう。
原発のない社会が不安ですか?
あることのほうこそ不安ではないですか?
NO! と言って、街に出れば、新しい扉が開く。
それが次の時代をつくり始める。
この感覚は、一歩前に出れば、分かる。
今日のおかげで久しぶりに大学時代の旧友に会い、一杯やることになった。
紆余曲折を経て広告代理店に勤める、自称 「大人になった」男。
腹の中は左右混交でありながら 「平和教育」 を語り続けるヤクザな高校教員。
大企業に居座っていれば良いものを独立して苦労を背負い込んだ経営者。
大学で教鞭をとる、かつてのマドンナ。
互いの頭や体型を笑いながら昔話に興じ、消息が分からなくなった友を案じ、
未来を語り、 また合おうと手を挙げて別れる。
3.11が与えた インパクトを、みんなそれぞれに見つめ直し、整理しながら、
明日に向かって歩こうとしている。
僕はどう表現することができるのだろうか、この仕事の中で。
6万人の人々とともに歩けるか、忘れないようにしたい。
歩けない人の、一人ぶんでも背負って歩けたら、と思う。
2011年9月 8日
有機農業のニーズとソーシャルビジネス・・・
北海道に降り続いた大雨で、富良野は3年続きの水害。
またしてもニンジンが大打撃。
札幌・大作幸一さんの玉ねぎも雨続きで収穫に入れないとの連絡。
今年も大不作となること必至の状況。
物流は延々と綱渡りの日々が続く。。。。。
そんな穏やかならぬ心境を押さえながら、今日はつくば(茨城) まで出かけた。
農水省が主催する 「平成23年度農政課題研修-有機農業普及支援研修」 で
講師を依頼されたのだ。
3ヶ月前に約束してしまったものなので、行くしかない。
対象は、各地の農業改良普及センター等から集まった普及指導員の方々。
つまり農業指導を仕事とする公務員の方たちである。
与えられた課題は、
「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。
3泊4日のカリキュラムで、10講座の一コマを与えられた。
20年前ちょっとには有機農業そのものを認めなかったお国から、
このテーマでお声掛けいただける時代になったとは、実に感慨深いです。
-と冒頭でお礼を申し上げる。
しかし、こういうタイトル自体に、私は違和感を感じるものである。
-と続いてジャブを打たせてもらう。
僕らは消費者ニーズをつかんで有機農産物の流通を始めたわけではない。
「こういう食べ物こそ当たり前に流通されなければならない」
という思いからスタートしたものである。
有機農業の生産者と出会い、彼らの生産物を街に運ぼう、
東京のど真ん中で 「有機農業」 の存在とその意味を " 可視化 " させよう。
これは1960年代から急激に進みだした生産現場の変容が、
食の安全 (=人の健康) を脅かしつつあることを伝えることでもあり、
「食」 から社会を見つめ直す作業にもなった。
そして大地を守る会の活動は、幸か不幸か 「仕事」 として成立してしまった。
「ソーシャルビジネス」(社会的企業) なる言葉は
ここ数年で広がってきた概念のように思うが、
我々にとっては、1975年に誕生した時点から、
「仕事を通じてどう社会に貢献するか」 は生きる前提のテーマだった。
そもそも、およそすべての仕事はソーシャルビジネスの側面がある筈で、
そうでなかったら存在価値がないと思うのですが。。。
「皆さんの仕事だってそうですよね」 と問うてみれば、多くの方が頷いてくれる。
それだけ 「お金」 を生むことのみを追い求める世の中になったってこと
なんでしょうかね。
そんなワケで、僕の話は必然的に大地を守る会の歴史から始まる。
ニーズをつかむではなく、「発見」 を伝え、「喜び」 を届けたいと
ひたすら歩き回ってきたこと。
「食の安全」 という当たり前の価値を守るために、
やらなければならないと思ったことをやってきたこと。
「お金」 がついてこないことも、随分とやってきた。
大地を守る会が自らに課したミッション(使命・任務) について、
歴史を辿りながら、テーマの本質に向かう。
僕らが考える流通とは何か。
そして現在の、有機農産物をめぐる制度や市場(マーケット) の動向を、
どう眺めているかについての私見を述べさせていただく。
要するに " 有機農業 " はいまだ未成熟なのである。
農業技術を指導する人たちに求められている社会的使命が、
すでに見えてこないだろうか。
いま目の前に直面している事態をひとつの事例として出させていただく。
原発事故と放射能汚染に対して取ってきた行動について。
生産現場に300万円の放射能測定器を貸し出した意味から
次のステップをどう考えているか、などについて。
最後に、大地を守る会が進めている挑戦について。
CSR (企業の社会貢献) を事業の本業に明確に位置づけたこと、
投資社会の姿を変えたいと、夢のようなことを考えていること、など。
「ソーシャルビジネス」 なんて言葉は、早く死語にしたい。
有機JASマークを超えるのか、それとも進化させるのか。
この問いはいずれみんなの手で決着させなければならないことだが、
有機農業が社会に広がり育ってきた背景を理解して、
それぞれの立場に与えられたミッションを忠実に 「仕事」 とすることで、
社会は変わってゆくのだと僕は信じていて、
制度も含めた到着点は、
私たちの仕事をどういう質で積み重ねていくかにかかっている。
例によって喋りまくった1時間半。
学校みたいにチャイムが鳴っても質疑応答が続き、教官を困らせてしまった。
もしかして多分に自慢話に聞こえたかもしれない。
ただ僕は、「大地を守る会」 という組織が、現代という社会を語るに、
いろんな意味でとても面白い題材であることに、夢中になってしまうのである。
けっしてサクセス・ストーリーではなく、チャレンジ・ストーリーとして。
普及員の方々が、有機農業を始める若者たちに向かって、
JASマークに頼る前に自分の言葉で自分の農業を語ることが大切だと、
伝えてくれることを願っている。
2011年9月 6日
放射能に台風に・・・
9月4日は千葉・山武の 「稲作体験田」 の稲刈り日に設定していたのだが、
地主である佐藤秀雄さんのお母様・しげさん(享年90歳) がお亡くなりになり、
葬儀もあって、稲刈りは1週間延期することになった。
それでこの日は想定外の時間が生まれ、
僕はおそるおそる、朝8時からの日本テレビ 「シューイチ」 をチェックしたのだった。
あ~あ、恥ずかしい顔が出てしまってる・・・
タレントの中山秀征さんと並んで歩きながら、
放射能測定データの公開の意味などを、偉そうに喋っている。
穴があったら入りたい。。。
講演などで喋った話を、あとでテープで聞くのは、だいたい耐えられない。
もっと上手に話していたつもりだったのに全然ダメじゃん・・・とか思うのだ。
ましてや自分の間の抜けた顔をテレビの向こうに見るのは、ホントに度胸がいる。
まあ、届いた食品の安全をていねいに確認していることを
紹介していただいたことに感謝しよう。
生産者にもフィードバックして、除染等の取り組みも支援しているというような話も、
ワンカットはさんでくれたし。
ただ一ヶ所。
器械が受け止める環境中の放射線値は常に変動しているのだけど、
一番低いところを見せて、あえて野菜との差を出そうとされたのは、
少々意図的な匂いがしましたが。
でもって、布団かぶってフテ寝していると、ケータイが鳴り始めて、
「読売テレビ見たぞ~、頑張っとるな~」 と懐かしい訛りの声。
高校時代の仲間からだ。 どうやら関西方面でも流れたらしい。
「 お前文系やったくせに、何や偉っそうに放射能の話やしよって・・・
ほんでも大変やなあ、放射能は。。。
まあ活躍しとるようで、わしも嬉しいわ。 また飲も~、ほなな~。」
放射能を他人事みたいに・・・くそ!
ちなみに、「ほな」 は、関東で 「じゃあ」。
「ほなな」 は 「じゃあな」 に相当する。
上京した頃は、「じゃあ」 と言って手を振る若者たちの姿がとてもカッコよく見えたものだ。
そういえば、郷里には別れ際の挨拶が 「ま!」 だけという地域があった。
「ま!」 「ま!」 と言い合って別れるのだ。
あそこはどういう先祖なのか・・・言語学者か民俗学者の方、いかがでしょう。
そんなどうでもいいことを思案している場合ではなくなってきた。
問題は、台風12号である。
夜、西から応援野菜セットでお世話になった王隠堂農園(奈良県五條市) の
和田専務に電話する。
「 いや~スゴイ雨ですわ。 まあ所々崩れたりしてるらしいんやけど、
まあ生産者は皆さん大丈夫ですわ。 えらいご心配おかけしてすんません。」
元々雨の多い熊野地方で、深層崩壊らしい山崩れが起きるのだから、
尋常な雨量ではなかったことと思う。
月曜日には、みんなからの 「見ましたよ。 よかったですよ」 という
お愛想や慰めはそっちのけで、各地の状況を聞いて回る。
幸い人は無事だが、被害はあちこちに出ている。
三重県南牟婁(むろ) 郡御浜町にある王隠堂グループの 「御浜天地農場」 では、
一部畑が流されたようだ。
しかも今回の台風は、日本海に抜けて終わりではなく、
関東にも高原産地にも、そして北海道にまで雨を運んでしまった。
西日本に北海道・・・・・
野菜の出荷が混乱すること必至。 品質も心配なところだ。
ああ、ため息が出る。
ウロウロしていたら、「シューイチ」 に対する極めつけの反応が届く。
鳥取・境港の 福栄・岩田健二郎 から。
「 にっちょう (日曜) 日の朝イチに見る顔ではないな~ 」
ムカつく! どうせアタイは夜型ですが、あんたに言われたあない! です。
いや、そんなセコい反応をしてはいけないのである。
みんな喜んで、励ましてくれているのだ。
礼を言え、バカ者!
はい、すみません。
声をかけてくれた皆様に、遠くからお電話かけていただいた皆様に、
この場を借りて感謝申し上げます。
不肖エビスダニ、引き続き精進に努めます。
奈良から一気に北海道へ。
2月の東京集会の、異常気象をテーマにしたトークセッションで、
岩田さんと一緒にステージに上がってもらった
富良野の石山耕太さん(太田農園) が心配になってきた今日である。
2011年8月31日
自戒をこめて-「メルトダウン後の世界を結い直す」
原子力利用の長い道のりは、目前の目的のためにあせればあせるほど、
ますます遠い見果てぬ夢となっていく。
原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである。
武谷三男編 『原子力発電』(岩波新書) の冒頭の一節である。
発行されたのは1976年2月。
変色してカビ臭い新書本の序文の最初の2行に、赤線が引いてある。
振り返れば、四国の漁村から上京して、
住み込みで新聞配達をやりながら浪人生活を送っていた頃に、
僕はこの本に出会っている。
郷里が原発誘致計画で揺れていたこともあって、本屋で手にとったような、
今となれば微かな記憶しかない。
3.11を経て、5月に入ったあたりから、
合い間をぬって高木仁三郎さんや武谷三男さんの著書を読み直していて、
僕は30数年ぶりに、忘れていた言葉に再会した。
僕には武谷三男という巨人を語る資格は一片もないが、
この頃の武谷さんは、核兵器に反対しながらも、
その平和利用の可能性は否定していなかった。
しかし、であるからこそ、原子力の怖さや技術的・社会的問題点を訴えなければ、
という意思に溢れていた。
この問題点をクリアできなければ、原子力発電は人類の敵のままであると。
以下、いくつか言葉を拾ってみたい。
私は許容量概念を根本から考え直すべきことを主張した。
許容量とはそれ以下で無害な量ということではなくて、
その個人の健康にとって、それを受けない場合もっと悪いことになるときに、
止むをえず受けることを認める量であり、人権にもとづく社会的概念であることを
明らかにして闘った。
絵に書いたモチを現実のものと見あやまる歴代の原子力委員長のならわしが
ここにはじまった。
初期にはエネルギーは厄介な副産物として、大気中や川の水の中に棄て去られていた。
エネルギーが注目されるようになったのは、原水爆の軍備が肥大化して、
材料生産が過剰になったあとのことである。
この高レベルの廃液が、原子力発電のもっとも頭のいたい存在なのである。
それをどう始末すればよいか、まだ解決は得られていない。
......このいずれをとるにしても、固形化した死の灰をどこにどのようにしまっておけばよいか、
数百年、数千年に耐える方法は全く誰にも知られていない。
......現実の日本の社会は、地域的な、あるいは階級的ないくつかのグループに
分かれていて、リスクを受ける人々とベネフィット(利益) を手にする人々が
別々である場合が少なくない。
私たちが当面している原子力発電と放射線障害の場合もまさにそうである。
公共の名を利用して社会全体として利害のバランスが成立すると主張している。
こういう錯覚から開放されることが必要なのである。
どのくらいの害なら受け入れられるか、それを決めるのは、被害を受けつつある
あなた なのである。
......つまり、大型原子炉は人里遠く離れた所におくほかはない。
距離というものが何よりの安全装置なのである。
こうして、発電炉の立地条件がもっとも信用のおける安全装置として登場してくる。
高速増殖炉が成功しなければ、核分裂エネルギーは 「未来」 のエネルギー資源とは
なりえないのだが、以上のような現状は、原子力全体がまだ
工業実験をも含む開発研究の段階にあるということを示している。
......生産されたプルトニウムを燃料として還流するのはまだ試験的な段階で、
それは将来に期待して倉庫につみ上げられている。
国民の主要な蛋白源を漁業に依存しているわが国にとって、
原子力施設と漁業との関係を、従来のように前者による漁業権の買取り、
したがって漁業権の消滅といったやり方で処理してきたことは大きな間違いである。
......再処理工場には同等な環境基準が何ももうけられてないといった
明らかな矛盾は放置しておくべきではあるまい。
燃料にするためのウラン濃縮はすべてアメリカに依存している。
......これほど外国依存度の高いエネルギー源は他にない。
現在の日本の原子力行政を最も毒しているのは、原子力基本法に盛り込まれた
三原則の存在にかかわらず、「公開」 の原則を無視した極端な秘密主義である。
基本的に 「公開」 「民主」 「自主」 の三原則を忠実にまもる以外に、
日本の原子力の将来はなく、住民に納得される道もありえない。
実に長々と引用してしまったが、すべてが腑に落ちないだろうか。
しかしこれらの問題提起は、今日まで何ひとつ解決されなかったばかりか、
原発の 「安全神話」 は逆に強固に築かれていった。
スリーマイル島やチェルノブイリを経験しながら、
日本では 「もんじゅ」 や東海JCOの事故を経験しながら、
みんなの税金は湯水のごとく使われて・・・。
武谷さんが35年前に伝えた 「つきまとう死の灰」 「プルトニウム社会のゆううつ」 は、
現実の恐怖となって飛び散ってしまった。
僕らは10万年後の子どもたちからも 「責任」 を問われることになったのだ。
怒っているだけではすまないよね。
今からでも、ひとつずつ創り直してゆきたい。
こういうセンスから再出発してもいいか、という導きの本が出された。
脱原発社会を説く30人の提言集。
懲りずに引用したくなる言葉があちこちにあるけど、
それはこの先、小出しに使わせていただくとして、
執筆人の名前だけでも列記してみれば (敬称略)-
作家・池澤夏樹、音楽家・坂本龍一、ジャーナリスト・池上彰、アーティスト・日比野克彦、
社会学者・上野千鶴子、写真家・大石芳野、世田谷区長・保坂展人、
城南信用金庫理事長・吉原毅、文化人類学者・上田紀行、映画監督・纐纈あや・・・
有機農業者では、山形県高畠町の星寛治、福島県二本松市の菅野正寿。
そして、生産者会議でお呼びした篠原孝さんも、飯田哲也さんも、
大地を守る会会長・藤田和芳も寄稿している。
これだけの忙しい人たちを集めて緊急出版に漕ぎ着けた
大江正章さん(コモンズ代表) の力技にも敬服するしかない。
大江さん自ら書いたまえがきには、 「メルトダウン後の世界を結い直す」 とある。
そうだね。
これから10万年後に向けての再出発を。
結い直しましょう。 自戒をこめて。
そして、僕が身の丈を怖れず挑戦したいと思うのは、
引用した一節 -
「許容量とは・・・止むをえず受けることを認める量」 という、
武谷三男が提唱した 「がまん量」 の 限界を超えたいということだ。
2011年8月23日
脱原発と自然エネルギーを考える・・・前に
立秋を過ぎて、やけに暑くなったり、一転して涼しくなったと思えば
また暑くなったり、、、ゲリラ豪雨に泣いている産地があるかと思えば、
北海道からは昨年以上の不作が伝わってくるこの頃。
皆様、体調のお加減はいかがでしょうか。
千葉・幕張でクマゼミを見る前に、埼玉・飯能でヒグラシの合唱を聞かされるという、
不思議な夏です。
今日も習志野物流センターに駆り出されて、テレビの取材を受けました。
日本テレビで平日の夕方に放送されている 「News every.」 という報道番組。
例によって放射能測定体制と、「子どもたちへの安心野菜セット」 について。
シンチレーション・サーベイメータによる入荷した野菜全ロットの一次検査、
ガンマ線スペクトロメータによる二次検査、
そこで 「不検出」(検出限界値・10Bq以下) を確認した野菜で構成される
「子どもたちへの安心野菜セット」。
しかし実際は、今やほとんどの野菜が 「不検出」 になってきていることも
付け加えながら説明させていただいた。
事故渋滞等で取材班の到着が遅れ、取材自体も少々長引いたこともあって、
農産グループ内の会議をパスして、対応する。
本職がおろそかになっていないか・・・・・と自問しながら。
放送は25日の夕方とのこと。
今回はパワー不足だったかも。。。
さて、8月18日(木)から19日(金)、
千葉・新習志野にある幕張セミナーハウスにて
「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」 を開催したので、
その報告をしなければならない。
この会議には、けっこう気合入れたつもりである。
僕らが25年前から主張し続けながら、止められなかった原子力発電。
みんなが大切に育んできた田畑にも放射能は降り、
もっとも恐れていた事態が現実のものとなった。
その度合いと体への影響については様々な議論があるところだが、
はっきり言えることは、放射線の影響は限りなくゼロであることが望ましいこと、
そしてやっぱり、こんな厄介なものと未来永劫にわたって共存することはできない、
ということだ。
そこで改めて、大地を守る会の生産者の総意として、
きっぱりと脱原発社会を目指すことを宣言しようではないか。
しかもただ " NO!" の意思表示で終わることなく、
分散型・地産地消型の自然再生エネルギー社会を、みんなの力で推し進めよう。
我々の " 提案型運動 " として。
集まった生産者・メーカーは全国から約150名。
1日目は講演を中心にした勉強会。
2日目は各地で取り組まれている実践例をもとに生産者同士で意見交換を行なう、
という設定。
お願いした講師は、農林水産副大臣の篠原孝さんと、
NPO法人・環境エネルギー政策研究所の飯田哲也(てつなり) さん。
ともに3.11以降、精力的に政策提言を行なってこられた方である。
篠原孝さん。
「元」 副大臣と紹介しなくてすんだようだが、政局騒々しい中、
本当に来れるのか、随分と気をもませられた。
概要の報告は、ゴメン、、、次回に。
忙しい々々、を口ぐせにしながら、夜は都心での会合に出かけ、
またついつい飲んじゃったのでした。
お二人の講演内容は、USTREAM でもアップしたので、
きっちりと聞いてみたい方は ↑ で。
取り急ぎ動画のご案内で、今日のところは・・・ スミマセン。
2011年8月16日
測定は目の前の安全を確かめるためだけでなくて・・・
今日は夏休み明けだというのに、事務所ではなく、
習志野物流センターに直行となった。
朝からテレビ局の取材を受ける羽目になったのだ。
休みに入る直前に日程が決まり、休み中に取材の概要がメールで入ってきて、
朝9時から現場打ち合わせ、10時から撮影に突入。
この一件だけで、なんだか休んでいる気分になれなかった。
しかもこのところ、広報の僕 (しもべ) みたいな日々だ、、、ブツブツ。
本日の取材は、日本テレビ 「シューイチ」 という日曜日の朝8時からやっている番組。
メイン・キャスターは、タレントの中山秀征さん。
その中山さんが弊社習志野物流センターまでやってきて、
食品の放射能測定の現場を見ていただくことになった。
物流センター玄関の前で、中山さんが語り始める。
「 はい、そういうわけでですね。 今日は、放射能の測定に力を入れている
『大地を守る会』 の物流センターにやってきました・・・」
ふ~む。 スタジオから飛び出してきた、という展開だね。
「案内をしてくれるのは、農産グループ長の戎谷さんです。 こんにちわ!」
「こんちわ!」 (この前のラジオのような失敗をすまいと思うと、声が上ずる。)
センターの中を案内しながら、検査の概要を説明し、
また 「食の安全」 に対する大地を守る会の考え方などをお話しさせていただいた。
検査の概要はHPでも紹介しているので、ここでは割愛。
こんな感じ。 ⇒ http://www.daichi.or.jp/info/news/2011/0714_3017.html
また取材現場を写真に撮ることはできなかったので、今回は写真はなし。
シンチレーション・サーベイメータ で青果物をロットごとに測るところでは、
野菜や果物に測定器をしっかり当てている場面のアップが何度も撮影される。
「 これです、これ。 この作業を入荷した野菜全品でやっているということを、
伝えたいですよねぇ」 と強調してくれる。
またガンマ線スペクトロメータ 4台を使って測定しているところでは、
コンピュータの画面を見てもらいながら解説する。
日々入荷してくる食品が、その安全性を確かめられた上で届けられる。
「安心」 につながる作業としてお褒めの言葉も頂いたのだが、
測定体制をここまで強化した理由は、実はそれだけではないこともお伝えする。
放射性物質は目に見えず、静かに拡散していってる。
ワラから牛肉へ、水系から魚へ、下水から肥料へ・・・
食物連鎖と生物濃縮が進み始めている。
僕らは今、届いた食品を網羅的に測って確かめるだけでなく、
生産者が使っている、あるいは使おうとする肥料やその原料、
あるいは家畜の餌やその原料など、
口に入れる 「食品」 の上流まで可能な限り遡ってトレースし、
放射性物質の移動をキャッチし、抑え込みたいと思っている。
それによって、食べる人 (特に子ども) をガードするだけでなく、
生産者がある日突然加害者の身に晒されてしまうことのないようにしたい。
加えて、各産地で取り組む除染活動をバックアップしたい。
適切な効果測定によって次の対策も有効になる。
だから現地 (福島県須賀川市、ジェイラップ) にも1台据えたのだ。
そして、それやこれやでこれから蓄積されていくデータは、
将来へのリスク管理にも役立つ貴重なデータになるだろう。
なんたって、これから原発は廃炉の時代に入っていくのだから。
目の前の安全だけでなく、未来を守るものにしたい。
この辺の話は放送時間の都合上、割愛されることになるかと思う。
それでもいい。 せっかくお越しいただいたのだから、
中山さんやスタッフの方々に理解してもらえたなら嬉しい。
で、取材を終えたあと、さらに思い切って切りだす。
「もうひとつ、何としてもお伝えしておきたいことがあるので、
聞いていただけませんか。」
放射線は細胞や遺伝子を傷つけて、癌や白血病などをもたらしますが、
ヒトの身体は本来、多少のDNA損傷は元に修復する力を持っています。
しかしその修復力を減退させる作用をおよぼすものとして、
様々な化学物質があります。 農薬もその一つです。
したがって、放射能を心配すればするほど、もう一方で、
できるだけ化学物質を体に取り込まないように配慮することも必要になります。
普段から、バランスの良い食事、体に良い食材を心がけることが基本です。
また、食の安全性や環境汚染に対して
最も配慮してくれている人たちが作ったものを食べる。
それが将来の 「安全」 と 「安心」 にもつながると思うのです。
中山さんがしっかり頷いてくれたことで、今日は満足、としたい。
放送は9月4日(日) とのこと。
よろしかったら、見てやってください。
2011年8月 9日
ヒマワリをシンボルに、里山再生を誓う
だれのために 咲いたの それはあなたのためよ ♪♪
(伊藤咲子 「ひまわり娘」)
いえ、未来の子どもたちのために 咲かせたの。
祈りながら 蒔いたの ヒマワリの種を。
須賀川・ジェイラップで測定器の作動とこれからの測定計画を確認した
翌7月30日(土)。
郡山から二本松市に移動して、
「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 代表の大野達弘さん、
副代表の佐藤佐市さんと会い、今後の除染計画について情報交換を行なう。
協議会では 「里山再生・災害復興プログラム」 が策定されていて、
いくつかの民間団体の基金からの助成も準備されている。
茨城大学や新潟大学の先生たちも連携したプロジェクトがようやく形となって、
動き始めているのだ。
会員の農産物や畑・里山の放射能測定によって実態をつかみ、
測定マップに基づいてく対策を立てる計画だが、
そのひとつに 「SVO」(ストレート・ベジタブル・オイル) 構想がある。
農地にヒマワリやナタネを植えて土壌改善をはかり、
収穫した種を搾油して、その油を飲食店、豆腐屋さん、一般家庭などで使い、
使用済み廃食油を回収-濾過して車や農機具の燃料として使用する、
エネルギーの自給と循環の仕組みづくりを目指すものだ。
ここは協議会前代表の菅野正寿さんのヒマワリ畑。
地域農業の再興とエネルギー地域循環のシンボルとして、
見事に咲いたヒマワリたち。
しかし、すべてのプログラムに要所要所で立ちはだかるのが、
放射能の移行や挙動である。
測定は福島に設置された市民放射能測定室が連携することになっているが、
測る検体の数はおそらく相当な数になるだろう。
大地を守る会でつくってきた測定体制も必要に応じて協力する旨をお伝えして、
お別れした。
農水省を退職して東和に就農して5年。
決意も新たにしている関元弘さんのヒマワリ畑も見て、引き返す。
郡山に戻り、今度は福島わかば会と打ち合わせ。
こちらでも今後の対策と測定計画を話し合う。
どこもかしこも、あれもこれも、と測定の要望が高まる中で、
ちゃんと計画と目標を立てて取り組まないと、
ただ右往左往する結果にもなりかねない。
みんなの努力が最大限の成果につながるよう、
しっかりとサポートしなければならない。
やらなければならないことを指折りながら、深呼吸をひとつ。
涙なんかいらない いつでも微笑を ♪♪
すべての予定が狂ってからもう5ヶ月。
僕はいま、フクシマを回っている、向日葵に勇気づけられながら。
この時間の意味を腹に刻み込んでおくこと、だ。
2011年8月 6日
ガンマ線スペクトロメータ、稲田で始動
7月29日(金)、
専門委員会・おさかな倶楽部を中心に、生産者・消費者・職員20数名による
「三陸応援炊き出し隊」(吉田和生隊長) が元気よく出発したこの日、
僕は僕で東北新幹線に乗り、福島県須賀川に向かった。
「大地を守る会の備蓄米」 の産地、稲田稲作研究会の生産者を束ねる
ジェイラップ(伊藤俊彦代表) に、測定器 「NaI(TI) ガンマ線スペクトロメータ」
を設置するためだ。
わざわざ貴重な測定器を現地に据えるのは、
ただ我々にとっての大事なブランド産地を守りたいだけではない。
測定器を駆使して様々な除染試験データを取るためである。
光合成細菌、乳酸菌、海藻粉末、天然軟質多面多孔性凝灰岩、貝化石・・・・
賛否両論あるEM菌も、ごちゃごちゃ言い合っている場合ではない。
しっかり第3者の目で検証してみようじゃないか。
また稲の生育過程でのデータも、できるだけたくさんのほ場で取る予定でいる。
歴史的にも貴重なデータの集積になると思う。
我々なりの、明日につなげる挑戦である。
測定器メーカーのEMFジャパン代表、谷口明さんから説明を受ける伊藤俊彦さん。
右端は当社品質保証グループ長・内田義明。
その光景を撮影しているのは、海外のTV局。
なんとあの、中東の 「アルジャジーラ」 の英語放送のスタッフである。
取材依頼のタイミングが合って、飛んできたのだ。
我々の取り組みはインターナショナルに注目されている、
と偉そうに言っておきましょうかね。
ま、そんな話はともかく、
デスク左脇にこじんまりと、台車に乗っかるように置いてあるのが測定器。
意外と小さいと思われるかもしれない。
しかしこれで、重さ200kgある。
このステンレス・カバーの内側に、厚さ50mmの鉛+無酸素銅3mmから成る
鉛シールドがブロック状に張り込まれ、外部環境からの放射線を遮断する。
そして中心部に、直径3インチ・長さ3インチのNAI(TI)シンチレータが格納される、
という構造になっている。
台車には4輪とも自在形のキャスターが付けられていて、免震機能を果たす。
組み立てて、PCやプリンターを接続させて、調整すること約4時間。
次に測定方法、データの読み方などを細かくレクチャー受ける。
器械が正常に働くことを確認したところで、早速、試験をしてみる。
試料 (検体) は、田んぼからとってきた稲。
手前の円筒型ポリ容器(330mℓ) に試料を詰める。
従来タイプだと、試料用容器はマリネリ容器と呼ばれる1または2リットル容量の
特殊容器が使われているのだが、体積(=検体の必要量) が大きすぎるのと、
移し替える作業に手間がかかったりする。
このポリ容器だと、土なんかを現地で詰めて持ち帰り、そのままセットできる。
器械を汚す心配がなく、そのまま保存しておいて
翌年同じ場所で採種したサンプルと比較することもできる。
本器械での定量下限は、15分測定で20Bq/kg、10分だと25Bq/kg。
定量下限や検出限界というのは測定時間によって変わることは知っておいて欲しい。
もし何かの検査結果を確かめるときには、
検出限界値と測定時間を確認しておくことは必須です。
大地を守る会では、この機器で1検体2時間かけている。
そこでの限界値は、セシウム134、137など核種それぞれで10Bq/kgである。
さて、結果やいかに。
稲田稲作研究会では、土壌に残留しているかもしれないセシウムを
稲に吸収させないために、ほ場全部にカリウムを投入した。
その成果は---、セシウム定量下限以下!
まったくキレイなのだ!
しかも、カリウムはしっかりと捉えている。
カリウム施肥の成果が数字になって現われた瞬間に、皆の目が輝いた。
ようし。 これでガンガン測っていこう。
伊藤さんの気合いが、さらに高まった。
ただこの試料はちょっと量が少ないです。
もっと小さく刻んで一定量をきちんと入れないといけません。
- と、そこは冷静に抑えにかかる内田・品質保証グループ長。
アルジャジーラから取材を受ける伊藤さん。
フクシマの農家の苦しみ、悔しさを語りつつも、
不安を抱いたままじゃない、出来る限りの手を尽くして前に進みたい、
と希望を語ることを忘れない。
ニッポン農家は、負けてない、と伝えてくれ。
検査用サンプルを取る伊藤さん。
この取り組みは、稲田だけで終わらない。 須賀川市全体に刺激を与えつつある。
俺たちの仕掛けは、まだまだ続くのだ。
見てろ!
2011年8月 4日
「安全」 「安心」 はみんなの汗で築かれる
話は続いて翌27日(水) の夜。
さんぶ野菜ネットワークで放射能の勉強会が開かれ、
下山さんから 「来い」 との指令。
組合員・准組合員・研修生各位~ に出された案内文を見ると、
「重要な会議なので、必ず出席してください。 」
と筆で書き加えられている。
夏の農作業の後にペンを持って集まってくる生産者は、それだけでも偉い。
講師は、農水省大臣官房政策課技術調整室長の吉岡修さん。
本省から連れてくるところに、下山さんの気合いが示されている。
生産者や地元の人を集めての勉強会ということで、
話は放射性物質の基礎的知識から始まり、
千葉県の測定調査結果の推移についての説明、農作業の際の注意点と続き、
最後に食品安全に係るリスクについての考え方が示された。
食品についての 「安全」 と 「安心」 の関係について、吉岡氏はこう説明した。
「安全」 = 「安心」 ではない。
「安全」 は科学的評価により決定される。
そして行政、食品事業者等の誠実な姿勢と真剣な取り組み、
消費者への充分な情報提供によって 「信頼」 が生まれ、
「安全」+「信頼」 によって、心理的・主観的な判断である 「安心」 へとつながる。
では皆さんに聞きます。
「信頼」 と 「安心」 を得るために、やってはいけないことが二つあります。
それは何でしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・
はい。 ひとつは、嘘をつかないこと。
ふたつめは、隠すこと、です。
ナイス!
ただ、ここで農家を前に言ってもねぇ。 しかも相手は有機農家だ。
それはぜひとも電力会社に向かってやっていただきたい。
それと、霞ヶ関に帰ってもだ。
前日の学校給食学習会で発言した下山さんの緊張感はみんなも同じだ。
なかなか鋭い質問がいくつも出され、時間をオーバーしても質疑が続いた。
なかにはよく勉強している方もいる。
いつもの彼らではないみたいだ (失礼・・)。
さて、過去のレポートはまだ続けるとして、珍しく最新ネタを。
本日20:20~ FMラジオ局 「J-WAVE」 から
生番組の電話インタヴューを受けたのだった。
広報に依頼の電話が入ってきて、振られたのはお昼頃。
新米に対する放射性物質汚染調査が行なわれることに対して、
夜の番組の中で電話取材を受けてくれと。
8時10分から、雑音の入らない別室で待機せよ、との指示。
まったく、日々会社の内外から指令が飛んできて、
ワタクシの上司はいったい全国に何人いるのだろう。
本番の1~2分前に電話がかかってきて、ディレクターさんから、
「今聞こえているコマーシャルが終わり次第、
仲野から声がかかりますので、始めてください。 よろしくお願いしま~す。」
最近はナビゲーターとか言うのよね。 DJってのはもしかして死語?
・・・・なんて考えている場合ではない。本番突入。
で、頭から失敗した。
東京・六本木ヒルズから仲野博文がお送りしています。
J-WAVE 「JAM THE WORLD」 。 続いては、「CUTTING EDGE」 のコーナーです。
新米に対する放射性物質の汚染調査が本格的に始まります。
主食や他の食品に、どんな影響を及ぼすのか。
生産農家はもちろん、私たち消費者も危機感を募らせています。
そんななか、生産者と消費者をつなぐ食品流通業界は、
「今」 と 「これから」 を、どのように考えているのでしょうか。
株式会社大地を守る会農産グループ長の 戎谷徹也さんに伺います。
エビスダニさん、こんばんは。
・・・・(お、おお、本番か) は~い、エビスダニです。今晩は。
どうぞ、よろしくお願いします。 時々聞かせてもらってま~す。
え? 時々?ですか ・・・・・
しくじった。。。
ここは 「よく」 だろう、「よく聞いてます」 だよ、まったく!!!
僕はたぶん、如才なく社交辞令で返事するオジサマたちよりは、
よくこの番組を聴いていると思う。
このブログで 番組を紹介 したことだって、あるしぃぃぃ。
ただ、なかなか8時にラジオをつけられるわけではない。
スミマセン、仕事で・・・ 言い訳もしっかり流れた。
ワタクシの人生を、象徴するような、瞬間だった。
与えられた時間は10分。
丁寧に説明しようとしても、質問は矢継ぎ早やにトントンと入る。
放射性物質に関して、お客さんからはどんな不安の声が聞こえてきますか?
-汚染が拡散していくなかで、現状を知りたい、これからどうなるのか、など
応えにくい質問が多くなってきている、というような話をしてから、え~と・・・
仕入れの段階で、または販売する直前にチェックするなど、独自の対策をお考えですか?
-待ってましたよ、その質問。
ええ、わが社では、、、測定体制を縷々自慢し始めると・・・
なるほど。 ところで、米の汚染調査が発表になりましたが、
かえって昨年産米を買い求める人が増えるなど、目立ってきた動きはありますか?
-米業界からは聞こえてくるけど、当会に限っては・・・(つまらない回答だ。)
やはり少し突っ込まれ、社会的な購入動向について喋る。
(本当は、ここから不気味に想定している近未来を語りたかったのだが・・・)
農林水産省が示した、収穫の前後2段階での調査は、
消費者の不安を解消するものだと思われますか?
-微妙ですねぇ。 ワラと牛肉のように対策が後手にならないよう考えたことと思うが、
「暫定基準値以下」 に実態が埋もれてしまうことになると、
不安は消えないどころか、かえって増すかもしれない。
(僕が最も怖れているのは、" 米離れ " である。)
しっかりと情報を開示して、その上で適切な対策を打つことが必要だと思う。
最後に、これだけは言えた。
私たちは今まで経験したことのない大変な事態のなかにいて、
国がやることにも当然限界があって、批判したり要求するだけではなくて、
農家も、民間も、みんなで力を出し合い、知恵もお金も結集させて、
やるべきことを、それぞれが出来ることを、やらなければならない時だと思うのです。
制限時間10分では伝えられなかったが、
2段階調査に足りないことや不安は、たくさんある。
ただ、すでに新米の刈り取りが進み出したなかで、とにかく食用の米だけは
「安全」 「安心」 を担保させたいという思いなのだろう。
ならば最低限、稲ワラへの注意喚起だけは徹底して欲しい。
田んぼに放置しない、確実に回収できる刈り取り方法が望ましい。
使えるものは有効に使い、使えないものは適切に処分できるように。
もしセシウムを吸収していたら、そのワラは土を浄化したのだ。
また土に帰したり、家畜にあげたり、堆肥材料にしたり、
あるいは燃やしたりしては、かえって拡散 (循環) させてしまって
始末できなくなるどころか我々に還ってくる。
ナウシカふうに言うなら、
「汚れているのは土なんです (汚したのは人間)。 ワラはそれをキレイにしてくれてるの!」
大切にしてあげたい。
大地を守る会が高価な測定機器を現地 (「備蓄米」 産地=福島県喜多方市) に
据えたのも、可能な限り数多くの、生育段階からのデータを取るためだ。
今年だからこそ、遅れてでも、やっておかなければならないことがある。
国への文句も言うが、俺たちだって
必死で汗と知恵と、なけなしの金を投げ打ってやったんだと
胸を張れるだけのことは、やってみせたい。
「安全」 「安心」 を築くのは、説法ではなくて実践だから。
さんぶでの勉強会に出る前に 「大地を守る会の稲作体験」田に立ち寄った。
なんと! すでに穂が出て、垂れ始めている。
花が咲く出穂期には田んぼに入るわけにはいかず (受粉を阻害しないため)、
7月23日の草取りはやれなかったとの報告を受けていた。
前代未聞の早さである。
コナギとオモダカが繁茂して、稲に相当のストレスを与えている。
周りより早すぎると、カメムシも集中してくる。
無農薬22年、これまでと違う対策が必要だ。
ヤバイね。 かなりヤバい。
実行委員諸君、稲刈り後にも汗をかく必要があるぞ。
本日の教訓。
「安全」 「安心」 は説法ではない。誠実な汗で築くものだ。
ただしバカ正直は、渡る世間では、時に冷や汗につながる。
2011年7月26日
福島 -希望の道筋を探りながら
7月23日(土)、グラジオラスの花が咲いた。
5月の被災地視察の際にお会いした
ついに花を咲かせたのだ。
蕾がふくらんできたかなと思っていたら、
朝起きれば一斉に開いていた。
グラジオラスを7月からお盆にかけて、
トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に、、、と
高橋さんが出荷計画を立てていた花。
あろうことか千葉・幕張の片隅で、たくさんの人に愛でられることもなく、
どこに飾られるわけでもないのに、それでも強く、健気に咲いてくれた。
やや切なくもあり。。。
難民と なれど孤高の 唐菖蒲 ・・・なんちゃって俳句。 失礼しました。
ま、そんな感じで少しカツを入れられた気分にもなって、
ありがとうの気を送り合って、出かけたのだった。
この日は 「稲作体験2011」 の2回目の草取りと蛍見会の日なのだが、
そちらはすべて実行委員諸君に一任して、
今日は二つの集まりのはしごとなった。
午後1時半から、四谷にて、山崎農業研究所 の総会とシンポジウム。
報告者として呼ばれたので、出席する。
(写真は同研究所幹事の田口均さん提供)
本研究所とのお付き合いは、昨年、 福島県喜多方市山都町の 「チャルジョウ農場」主、
小川光さんが 「第34回 山崎記念農業賞」 を受賞 した際に、
お祝いのスピーチをさせていただいてからである。
その由緒ある団体の総会記念シンポジウムで
僕に与えられた課題は、「福島-希望の道筋を探りながら」。
シンポジウムで最初に発表されたのは、同研究所幹事の渡邊博さん。
宮城から福島にかけての被災地をつぶさに見て回ってきての報告。
たくさんの現場写真を映しながら、被害の要因を分析し、
復興に向けた提言や問題点を指摘された。
詳細は省かせていただくが、この間いろんな学者・研究者の講演や報告を聞いては、
話の内容とは別に、いつもモヤモヤとした消化不良感が残ったりしたのだが、
渡邊さんの最後の言葉で、わだかまっていたものの真意が少し見えた気がした。
やや挑発的に、こう言い放ったのだ。
「(研究所創設者の) 山崎不二夫先生は、いつも
" 現場を大切にしろ・現場から学べ " と教えておられた。
今こそその意味を捉え直し、実践しなければならない時ではないか。
研究所がサロンになってはいけない。」
研究所への指摘については、僕には論評する資格はない。
農業土木史に名を残した故山崎不二夫東大名誉教授の思想に共鳴される
研究所会員の方々なら、当然現場を大事にされていることと思う。
いやだからこそさらに、という発破なのだと受け止めたい。
加えて、学者・研究者と言われる人たちは、僕が知る範囲では、
皆さんおしなべて血を騒がせながら現場を回ろうとしているように見える。
(現場を回らない方には出会えないから、
僕は象の鼻だけ見ているのかもしれないけど・・・)
とは言え、どうも、、、なのだ。
専門家の現場分析が復興の社会政策づくりにつながってない感が
拭えないのだ。
銘々一所懸命に調べてはいろんな提言が語られるのだが、
それはいったいどこにつながっていってるんだろう。
僕の焦燥は、そこにあった。
実は、僕がここでのツカミに用意していた言葉は、
「今ほど生産現場が専門家を欲しがっている時はない」
だった。 渡邊先生の挑発に倣って言うなら、
「調べて論文を発表するだけですか。 現場からのメッセージは聞こえていますよね 」
という感じか。
ただ言うべきはここにいる方々に向かってではなく、さすがにそこは自粛した。
放射能汚染の影響を受けたと想定される範囲の生産者はすべて、
いま自分のほ場がどんな状態なのか、知りたくて知りたくて、焦っている。
その一方で、知ることはとても怖い。
ガックリくるような結果だったらどうしよう。
知ったら知ったで、その現実にどう立ち向かったらいいのか。
消費者は離れていかないだろうか、という不安も募る。
当然のことだ。
そこで彼らに勇気を与えるのは、事実に基づいた対策の提案と、
「やってみよう」 の後押しだと思う。 そして 「付き合う」 ことだ。
やってみよう。 やるしかない。
これは未来を守るべく、俺たちがやらなければならない仕事なんだから・・・
そんな 「希望」 に転化させたい。
僕らは今、充実させてきた分析機器をもって、
その勇気の後押しをしようと次のステップに進みつつあるのだが、
この挑戦に欠かせないのが、行動の裏づけと成果の科学的解析である。
やってみれば、成果がゼロだった、なんていう結果は、実は存在しない。
" ない " と思ったときに、ゼロになるのであって。
そうならないためにも、計画と、チームが必要である。
付き合ってくれる専門家が欲しい。
「復興の社会政策につながる」 とは、上へ上へと提案を上げていって、
国の政策に到達させる道筋、ということだけではないと思う。
現場から、様々な試行錯誤と大量のデータが集積された時、
それはとてつもない力になると、僕は信じている。
事実を客観的に検証しながら、対策を粘り強く進めた者に、結果は与えられる。
不明なことが多すぎる状況に対しては、実証精神で臨みたい。
今、僕らはあらゆる意味で、試されている。
試行錯誤でも行動することが問われている、一歩前に向かって。
だからこそ、研究者、専門家が欲しい。 これが現場の強い思いである。
一つの生産現場に一人の冷静な検証者がいてくれれば・・・・・
与えられた約1時間は、
大地を守る会が取り組んできた各種の復興支援活動の概要から始まって、
放射能汚染に対して取った行動を裏話なども交えながらお話している間に、
タイムアウトとなってしまった。
僕が描いている希望への道筋を、舌足らずにお伝えして、終わり。
生産者の除染対策から、有機農業の力を再発見したい。
土の中に潜む生命力とそれに寄り添う人の技術が合わさった総合力で
「希望」 を示したいと、今強く思っています。
市民科学者・故高木仁三郎さんが2000年7月、亡くなる3ヵ月前に
書き残した言葉で締めたかったのだが、カッコよくまとめられなかった。
ここに記したい。
開けてしまったパンドラの箱を閉じることはできないでしょうが、
その中に残った 「希望」 を取り出し、育てていくことはできるのではないでしょうか。
- 『原子力神話からの開放』 の結びの言葉 -
<補足>
本書は2000年8月に光文社から刊行されましたが、最新の注釈が加筆され、
今年の5月に講談社+α文庫より再刊されました。
病苦と闘いながら " 原子力神話 " の本当の姿を語った警世の書。
しかも今日の状況を、高木さんはしっかり見抜いていたことも思い知らされます。
「2010年 ~ そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、
私は本当に心配しています。」 是非ご一読を。
もうひとつ補足を。
山崎農業研究所の創設者である故山崎不二夫博士(1909~1994) は、
生前より (チェルノブイリ以前から) 原発の危うさを指摘されていた方です。
その遺志を継がれた方々が、怒りを抑えながら現場を回られ、
力になろうと尽力されていることに、この場を借りて敬意を表したく思います。
2011年7月21日
西から応援 野菜セット
台風6号が 「上陸した模様」 と伝えられた 「徳島県南部」 という、
どうせ大雑把に括られるだけのしがない漁村地帯に住んでいる年寄りの、
意地っ張りのセリフはともかく、
紀伊半島にまで記録的な雨量を残していったことで、
俄かに不安になったのが 「西から応援 野菜セット」 である。
このセット。
奈良県五條市に本拠を置く 「王隠堂農園」 さんがつなげている生産者の野菜から、
色々とバランスを考慮しながら、現地で箱詰めまでしてくれている野菜セットである。
王隠堂農園さんとは、
最初は梅と柿という特定品目でのお付き合いから始まった関係だが、
年々少しずつ取り扱い品目も増えてきて、
今回の野菜セットの販売へと至った。
これは王隠堂さんがこの間取り組んできた耕作放棄地対策や
新規就農者支援のための一環としてつくられたものであるが、
その販路を広げたいとの提案を受けていたものだ。
当会にとって、原発事故の影響があったことは、正直認めるところである。
子どもには放射能汚染の心配のない産地を選びたいという消費者の要望が
ひしひしと伝わってくる中で、
かねてよりの王隠堂農園さんからの提案が符合した。
とはいえ、ただの場当たり的な企画ではないことは、申し上げておきたい。
両者の相互支援という格好で、ひとつの企画が成立したのだから。
「西から応援セット」 をご購入いただいた方には、
心理的に安心できる西日本方面の野菜が手に入るとか、
復興支援の義援金も含まれているから、ということだけでなく、
西への連帯にもつながっている、という意味合いが隠されていることも
お含みおき願いたい、ということであります。
全国に有機農業者の輪を広げ、山や里が荒れるのを防いでいくためにも、
新規就農者の受け皿作りは必須のテーマであり、かつ
僕らは今、しなやかに、かつしたたかに、
支え合いの全国的ネットワークを強化しなければならないのです。
したがって 「福島と北関東がんばろうセット」 も応援していただきたい。
僕はもっぱらこっちで頑張ってます。
念のために言っときますけど、
これは悲壮な決意主義で食べているのではありません。
いま、福島・北関東の野菜はほとんどND (検出せず=検出限界値以下)
で安定してきています。
この先の土壌からの影響については未知数だけど、
そこは先進的な農家たちと、先進的な取り組みでもって答えを出したい。
(畜産と稲ワラについては別途整理したい。)
さて、「西から~」 へのオーダーが週を追って増えてきたところで、
大型の台風がやってきた。
王隠堂農園さんは気丈に、頑張りますわ! と言ってくれているけど、
台風の影響は直後だけでなく、その先の出荷や品質にも影響を及ぼす可能性がある。
まったく、青果物の仕事は報われないことが多い 。。。
「西から応援野菜セット」 をご購入の皆様。
もしかしたら流通途中で品質劣化が起きたものが届くかもしれません。
入荷時の検品も気をつけますが、もし、葉物が一部溶けていたりとか、
気になったところはご指摘ください。
食べられなかったものは返金させていただきます。
ただ、「西から応援~」 とは、たんなる一時しのぎの商品ではなく、
みんなの力で築き直そうとしている世界につながっていることだけは、
どうかご理解願いたい、と思うのであります。
なお 「西から~」セットは、8月22日~の週を持って、いったん終了となります。
これからいろんなセットが波状的に組まれてくる予定なので。
王隠堂さんからの野菜で継続して取り扱うものは、
「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収する形になります。
放射能測定体制 もだんだん整ってきて、
農産物については全産地・全品目を検査・確認する体制に入りました。
夏から実りの秋へ、いろんなバリエーションで届けられる野菜を、
どうぞ楽しんでいただければと思います。
2011年7月 2日
今日も悶々と放射能対策を学ぶ
今日も一台のトラックが被災地に向かって走っている。
職員の間で 「復興大臣」 の異名をとる吉田和生 (畜産水産グループ長) が
自ら配送車に食料や物資を積んで、
炊き出しボランティアとして昨夜から宮城・石巻に向かった。
かたや、僕が担当する専門委員会 「米プロジェクト21」 (略称 「米プロ」)
のスタッフは、夏の白神山地の自然散策と
大潟村の田んぼ見学を兼ねたツアーを実施してくれている。
硬軟織り交ぜながら、土日も何だかんだとせわしない、いや
元気な組織だ、ということにさせていただこう。
では、お前は何をやっているのかと問われれば、
また今日も、土壌の放射能対策についての研究会に参加していたのだった。
今回は日本有機農業学会のテーマ研究会 「放射能汚染と有機農業」 。
場所は池袋にある立教大学。
何度聞いても、状況への理解は深まっても、
特効薬のような処方箋を出してくれる専門家はいない。
しょうがないね。 そういう手に負えない厄介モノを放出させてしまったんだから。
それならそれで、一つ一つ丁寧に結果を検証していくしかないのだが、
とにかく、各地の生産者の取り組みが無駄にならないように、
また間違わないようにしたいと思うのである。
そして早く、全体的な除染対策の見通しを立てたいと思う。
悩ましいのは、森林に降った放射能である。
表層の腐葉土がしっかりセシウムをつかんでくれることで、
水系の汚染をガードしてくれているのだが、
一方で落葉を利用することには不安が募る。
地域の自然資源を活用する循環型の農業のほうが、
かえってリスクが高まる恐れがある、と指摘されたりするのだが、
では自然資源利用はやめて購入資材に頼ればよいというものでもないと思う。
水田なら、一定のほ場内循環 (生物多様性が肥料分も生産する世界) が
可能かもしれないと思ったりはするが。
もっと奥深い世界が、この迷路の向こうにあるのではないか、
という気がしてならない。
追求したいのは、微生物の力、そして醗酵という世界、である。
今、大地を守る会では放射能の測定体制を構築中だが、
体制が整った暁には、
ただ入荷する食品を3段階で検査する (安全性を確認する) だけでなく、
生産者の様々な取り組みや試験を、測定という科学でバックアップしながら、
新しい扉をこじ開ける力も獲得したい、と思うのである。
復興大臣・吉田と相方の嶋田 (会員サポート・グループ長) は、
今日は石巻で " お酒抜き " の夜だ。
米プロの西田と大熊は、ライスロッヂ大潟の生産者たちと
楽しく語り合っているのだろう。
僕は、悶々としながら面白くない論文を読んでいる。
3.11以降、消えてしまったオイラの休日を返せ! と叫びたい。
いや、そうじゃない。
すべての人の平穏を返せ! だ。
2011年6月25日
「田んぼスケープ」-お詫び。
一昨日の日記 「田んぼスケープ」 に、農民たかはしさんからコメントが入った。
この前スマートフォンから送ろうとしましたが、
携帯から送って下さいとエラーメッセ来ました...
エ・エ~ッ!
そんなはずは。。。 もしかして、、、
至急、システム・チェックに入りましたので、
すみませんが、少々お待ちいただけますでしょうか。
ELP・アラカワさ~ん、お願いしま~す。 ヨ・ロ・シ・ク、です。
皆さま。
他にも何かお気づきの点がありましたら、情報お寄せ下さいませ。
2011年6月22日
特効薬はない、でも始めるのだ。
2022年まで生きてみたい。
そう書いたはいいけど、ドイツと違って僕らにとってこの10年余は、
けっして楽しい道のりではない。
明るい未来を信じたいと願いながら、目に見えない不安とたたかう。
この時間を、希望を失うことなく、かつ
ある種の覚悟を持って歩み続けなければならない。
前回、二つの会議から-
と書き出したところで寝ちゃったのだけど、もうひとつ。
先週の金曜日(17日) に、つくばにある国立環境研究所を訪問して、
セシウムを濃縮(吸収) する微生物の実証実験をやった実績をお持ちの
富岡典子さんからもレクチャーとアドバイスを頂戴してきたので、
そこでうかがった話も含めて、いくつか参考情報として整理してみたい。
まず、当初問題になっていたヨウ素131は、短期間で減衰していくので、
新たな放出がない限り、大きな問題にはならない、と考えてよい。
これからの問題はセシウム134 と 137 である。
プルトニウムは水に溶けない(=植物は吸わない) し、問題にする量ではない。
ストロンチウムも量的に問題ないとのこと。
土壌に降ったセシウムは、数十年以上、地表に留まっている。
それはアメリカや中国が核実験をやった影響を調べた過去のデータからも読み取れる。
(この半世紀で蓄積されてきたものがある・・・ってこと。)
いま表層 5cm くらいまでに留まっていると言われたりするが、
深度分布を調べたところ、実は表層 0~2cm にほぼ集中している。
特に表層 5mm に。 したがって 1cm 剥ぐだけでも充分に有効である。
処分する土の容積も格段に減らせることができる。
また一般的な測定では 0~15cm の表土をとって測るケースが多いようだが、
測定方法は統一させないと情報により混乱が生ずる (これは大気測定でも言える) 。
残留は土の性質によって異なることも頭に入れておかなければならない。
粘土はつかむが、砂地では流れやすい。
雨で除去されるということは、時間経過とともにあるだろうが、
土への吸着性が強いので、粘土質だと地下水への移行はかなり低い。
アスファルトの道路や家屋の屋根等に降ったものは、雨によって側溝に集り、
結果として下水処理場で高い濃度が出ることになる。
逆にみれば、浄水場で捕捉されやすいので、上水は心配ないと言える。
(これも新たな放出がなければ、の前提で。)
その意味で、下水汚泥は放射能を集めてきているとも言えるものなので、
焼却処分してしまうと、せっかく集めたアブナイものをまた拡散させてしまうことになる。
これは、はぎ取った土同様、埋めるしかないのではないか。
埋める場合は、30cm より地下に埋め、土をかぶせること。
校庭の土をはぎ取って、隅に積んでブルーシートをかけるなど、論外である。
また森林では、腐植層に捕捉されて留まるので、水への移行は少ないが、
長く林産物に影響する可能性がある。
きのこで高く出るのは、菌根菌のセシウム吸収能が高いことと、
菌糸を張り巡らせて表面積が増えることによって、
結果的により高い濃度となると考えられる。
重量に対して表面積が大きい葉菜類が高く出るのも、同じ原理であろう。
これまで農作物で検出されている放射性核種は
直接経路 (大気中から直接葉面に付着) によるものなので、
皮をむく、よく洗う、等である程度の減少は期待できる。
しかし今後はだんだんと経根吸収 (土壌から根による吸収) が問題となってくる。
経根吸収された農作物は、当然のことながら除染は難しくなる。
稲では、土壌が5,000ベクレル以下の田んぼでは作付が許容されたが、
それは、土壌から米への移行は最大でも10分の1 (500ベクレル=食用の基準値)
以下になるという計算による。
過去のデータによれば、実際はもっと低く、100分の1~1000分の1 程度。
かなりの安全係数をかけているとは言える。
なお米では、放射性核種は胚芽と白米表面に多く残るため、
玄米のほうが濃度が高くなる。 白米では玄米の約半分になる。
汚染 (吸収) されにくい作物というのは、あるようだ。
ナス科 (トマト、ナス、ピーマンなど) は最も少ないと言われる。
続いて、ウリ科 (きゅうり・カボチャ・スイカ・メロンなど) 、ユリ科 (ネギ類)。
逆に吸収しやすいのは、アブラナ科、アカザ科、豆類。
じゃが芋はナス科だが、食する部位は茎なので、実よりは高くなる。
河田昌東さんおススメは、トマト、だって。
また、酢漬けにすると、セシウムは6~7割減るんだとか。
抗酸化作用物質 (ビタミンA、C、E、β-カロチン、カテキン、ペクチンなど)
もイイらしい。 この辺はもっと根拠を聞きたかったところだ。
「 まあ、少しでも避けたいという人は、産地を選ぶしかない。
子どもや若い女性には、産地を選ぶ権利がある。
しかし・・・・50歳以上は、ここは責任をもって、しっかり食べましょう。」
それが河田さんの答えである。
セシウムを吸着する効果の高い鉱物としては、
ゼオライト、ベントナイト、バーミキュライトがあるが、これに活性炭を併用すると、
逆に植物の吸収を促進させるというデータがある。
原因は分からない。
また窒素肥料も、粘土や鉱物が掴んだ放射性物質を剥離させ、
吸収を促進させるので要注意、とのこと。
チェルノブイリでは、牛乳対策として、
牛の餌にプルシアンブルー (シアン化鉄) を混ぜ、
効果があったことが確かめられている。
シアン化鉄とは人工の色素で、セシウムをくっつける力があり、
かつ水に溶けないので分離させることができるようだ。
ナタネやヒマワリによる除染 (ファイトレメディエーション) は、
メカニズムは同じだが、ヒマワリはバイオマスのかさが大きく、
またリグニン (木質) が多いので、残さの扱いが厄介になる。
チェルノブイリでのナタネ実験では、
種はバイオ燃料 (油) にし、残さはメタン発酵させてバイオガスに利用している。
セシウムは種に集まるが、油には入らず、
最終的に移行した廃水にゼオライトを施用する、という行程のようだ。
なお、国立環境研究所の富永先生が立証した微生物-ロドコッカス・エリスロポリスは、
能力を発揮するにはその条件を整えてやる必要があり、
実用化には至っていない、とのこと。 自然界にも存在しているものだが、
それを抽出して開放系で比較試験するのは無理なようだ。
いずれにしても植物や微生物がセシウムを吸収してしまうのは、
必須の栄養素であるカリウムとイオンのサイズが類似していることによる。
したがって、食用である植物にセシウムを貯めさせないことを優先するなら、
カリウムを多めに土壌に施用し、セシウムまで取りにいかせない、
という手もあるが、カリウム過剰となると、生育上の別な問題も発生させる。
結局、いろんな手があるにはあるが、
これでよし、と言えるカンペキな除染技術はないということだ。
各種の効果や技術を組み合わせ、自然の力を借りながら、
時間をかけて浄化させて行くしかない。
何という恐ろしいものと共存(?) しなければならなくなってしまったことか。
それでも、そのスピード (=効果) を高めるために人智を尽くしたい、
と思うのである。
福島・須賀川のジェイラップ (稲田稲作研究会) の伊藤俊彦さんに、
国立環境研究所に出向くことを伝えたら、つくばまで飛んできた。
環境や安全に配慮した米づくりをひたすら追求してきた者として、
「一日も早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせる!」
- それが彼の、必死の決意なのである。
僕はその意思に付き合う約束をしてしまった。
ジェイラップでは、試験ほ場をこしらえて、
いろんなパターンでの除染方法での実験が進み始めている。
ありがたいことに、河田昌東さんもバックアップしてくれることになった。
ひとつのプロジェクトの絵が、描かれつつある。
特効薬はなくても、始めることで、前に進むことで、気持ちが変わってくる。
「美しい福島」 を、みんなの手で取り戻す10年に、したいと思う。
2011年6月15日
2022年まで、生きてみたい
福島行脚のレポートを続け、野菜の供給に明け暮れている間にも、
世界は動いていた。
6月6日、ドイツが、2022年までに脱原発を果たすことを閣議決定した。
新聞が報じている。
「私たちはエネルギー構造の変革と経済成長とが調和することを
世界に示す 」 (メルケル首相)
「今日の決定はドイツ社会にとっての一里塚だ。
私たちは先駆的な社会プロジェクトを始める 」 (レットゲン環境相)
「このような変革を成し遂げる技術・経済力を
我々以外のどこの国が持っているのか 」 (専門家委員会の会見より)
何という力強いコメントだろうか。
僕の内にあるナショナリズムが、悔しくて震えた。
いや、そんなことより、
明日からの10年を生きてみよう、生きて、2022年を見たい!
とさえ思わせる宣言だ。
続いて13日、イタリアの国民投票が成立し、
原発凍結賛成票が90%を超えたことが判明した。
こちらの首相は、
「イタリアは原発にサヨナラを言わなければならない」 と、
気持ちイイくらいに潔よい、敗北宣言だ。
当の事故を起こしてしまったこの国では、
震災から3ヵ月後の6月11日(土)、
全国140ヵ所で脱原発を求めるデモが繰り広げられたのだが、
要職にある政治家が堂々と 「原発ヒステリー」 と他人事のように評し、
経済界は目先の電力コストに執着している。
廃炉や未来永劫にわたる核廃棄物管理のコストは、
国民の負担であって我が社とは関係ない、とでも思っているのだろうか。
君はいったい誰なのか、どこにいるのか -と問いたい。
21世紀の社会・産業革命のレースが始まっているというのに。
その陰で、全国デモが行なわれた11日、福島県相馬市では、
縊死 (いし ...首吊り自殺とは書きたくない) した酪農家が発見された。
牛舎の黒板には、
「原発で 手足ちぎられ 酪農家」 と書かれてあったそうだ。
そんななか、エビはというと、仕事の合い間を縫って、
放射能の除染 (土壌浄化) 技術情報の収集に歩き回っていたのだった。
6月3日(金) は、夕方から東京大学で開かれた
土壌物理関係の先生たちの勉強会を覗かせていただく。
5日(日) は、日本有機農業研究会の講演会を聞きに、渋谷の國學院大學に出向く。
講師は四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。
チェルノブイリ原発事故の被災者救援や土壌浄化に取り組んできた方だ。
二つの会議から有用と思える情報を拾ってみると-
...... ごめん、眠いので、続く。
2011年6月 3日
福島・浜通りの苦悩 -福島行脚その⑤
さてと・・・・・ 忘れてはいません。
福島行脚レポートが、実はまだ終わっていないのです。
でもこれが、ななかな気が重くて、書けないでいました。
でも、書かなければならない。
ワタシはこの体験を記憶しておかなければならない、とも思うのであって。。。
どうも、いつまで経ってもまとめられそうな気がしないので、
どんな形で終了するのか判然としないまま、書き綴ってみます。
言葉が浮かばないところは、写真だけで、
しかも細切れで続くことになるかもしれないけど、お許し願いたい。
5月5日、福島の生産者たちとの会合を終えて (福島行脚④ 参照)、
僕は福島駅前のビジネスホテルに一人宿泊して、
翌6日、日本有機農業学会の有志で企画された
「被災地視察と生産者との交流会」 に参加した。
朝、福島駅集合。
ホテルの玄関に掲げてあるスローガンに一礼する。
参加者は、日本有機農業学会会長代行の澤登早苗さん(恵泉女学園大学) に、
このところ会うことが多い茨城大学の中島紀一さんやコモンズの大江正章さん他、
総勢21名。
一行はワゴンのレンタカーを調達して、まずは被災の現地・相馬市に向かう。
例年なら観光客も多いだろうと思われる新緑の山間地を過ぎ、
海から2~3km という相馬市柏崎地区に入る。
いきなり、圧倒される。
防風林の松がきれいさっぱりと倒され、ここまで流されてきている。
田んぼがひび割れしている。
でもこれはただの乾いた田んぼではなくて、表面を覆っているのはヘドロである。
めくればその下に、津波で運ばれた " 異物 " が見える。
干からびた鮭とゴルフボールが、同居していたりして。
この田の再生は、、、想像するだけでため息が出てくる。
ここに来る前に、相馬市で有機農業を営む生産者を訪ねたのだが、
集まってこられた生産者たちから聞かされた経験譚は
まるでSF映画のような話だった。
「海岸から200mくらいの交差点の赤信号で止まったら、前から津波が来るのが見えて、
慌ててUターンして逃げた。 何も知らずに海に向かう車が通り過ぎていったが、
助けることができなかった。」
「地震の時はトラクターに乗っていたが、まるで遊園地の回転木馬のようだった。
降りたら立ってられなかった。」
「津波に遭って、姉は流木につかまって間一髪助かった。
あちこちに悲鳴が聞こえて、家が壊れる音やらで凄い音とスピードだった。
堤防が決壊して、地盤沈下もあるので、大潮になると今も水が入ってくる。」
「地震の時は浪江町を車で移動中だった。 津波が来たとは知らなくて、
次の日に浜に行ったら海だった。 親戚を探そうとしたが、避難所も分からず、
とにかく足で稼ぐしかなかった。 親戚夫婦が4km流されたところで発見された。
供養できただけでも良かったと思う。
(こっちも大変だったんだけれども) 原発で避難してきた方を受け入れて、
しばらく3世帯10数人で生活した。」
そんな話を淡々と聞かされる。
相馬市は、今年も米の作付を行なうことを決定したが、
まだ行方不明者がいるので、捜索に支障をきたさないよう、
5月8日までは田んぼに水を入れないことも、申し合わせたという。
「捜索と営農のギリギリの選択が、5月8日っつうことになったわけです。」
田に水を入れることがどういうことか・・・
こんな米づくりを経験することになろうとは、、、言葉が出ない。
相馬市から南相馬市に移動する。
地震からもう2ヵ月近いというのに、立ちつくすしかない風景が続く。
東京電力福島第1原発から20km圏ギリギリで圏外にある杉内清繁さん宅で、
20km圏内の根本洸一さんも同席されて、話をうかがう。
杉内さんは93年から有機農業に転換したが、
今回の震災の影響よって、有機JAS認証は外さざるを得ない、
と認証機関から言われたとのこと。
そのあたりの判断は認証機関で統一されているのだろうか、心配なところである。
「 3月11日から二日間は余震も激しくて、夜は車の中で過ごしました。
13日に行政の指示が出て小学校に避難したが、ドーンという音を聞いて
原発が爆発したのではないかと思って、翌日に家族4人で郡山に避難しました。
その後、宮城県亘理町の叔父の家に移って、4月24日に帰宅したんですが、
周りでは空き巣や窃盗もあったようです。」
南相馬市は、原発事故とその後の行政方針によって、
「警戒区域」 と 「計画的避難区域」 「緊急避難準備区域」、
そして制限のない区域に分かれることになった。
制限のない区域には米の作付は問題ないとされたのだが、
4月14日、市は全域での稲の作付禁止を決めた。
損害賠償を睨んでの措置だと思われるが、
しかし稲以外の作物はOKとなったため、農家の悩みは深くなるばかりである。
20km圏内で有機農業を営んできた根本洸一さんは、
福島県の有機農業ネットワークの代表も務めた方。
家の蔵から有機米50袋 (25俵=1,500㎏) を何とか持ち出したが、
大豆23袋を残してきたことが心残りである、と語る。
とにかく田畑を一刻も早くきれいにしたいと、あれこれ今から考えている。
地域のみんなが原発の安全神話を信じていた。
" 二重三重のセーフティネットが整っている " と聞かされてきたんだけれど・・・
お二人の抑揚を控えた口調が、
かえってその悔しさや苦悩を感じさせるのだった。
(続く)
2011年5月 5日
GWは堰さらいから -福島行脚その①
福島行脚中です。
3日から会津・山都に入り、堰さらいに参加して、
今日は福島市で4つの生産者団体とつらい会議を行なって、
いま福島駅前のホテルに潜り込んで、シャワーして飯を食って
ひと息ついているところ。
明日6日~7日は日本有機農業学会の方たちと一緒に、
相馬~南相馬の被災地を回り、現地の生産者と交流する予定です。
以下、順次振り返りながら報告を。
5月3日(火)、我々「大地を守る会堰さらい隊」 は、
東北道の渋滞情報をチェックしながら、常磐道に迂回して、
いわきから郡山へ、そして磐越道を走って会津若松で降り、喜多方市に入る。
大和川酒造に立ち寄り、差し入れ用の酒 (種蒔人+α ) を積んで、山都に向かう。
5年連続となった堰さらいボランティアも一人二人と仲間が増えてきて、
今年の参加者は6名となった。
変わらぬ里の風景が出迎えてくれる。
ちょうど桜の満開に当たるのも嬉しい。
今年のボランティアは総勢30名弱といったところか。
大地を守る会からは6名だが、
他のグループや単独参加者にも会員さんがいらっしゃって、ちょっと誇らしく思ったりして。
3日の夜は公民館で、前夜祭と称して地元のリーダーやボランティアの方々と懇親会。
そして4日、朝飯をみんなで作って食べ、昼のおにぎりも用意して、
例によって上流から下る組 (早稲谷チーム) と
下流から上る組 (本木チーム) に分かれて、出発。
我々は上流組に編成される。
一番上の取水口に到着。
この 「本木上堰」 の長さが6kmというから、それぞれ約3kmの行程を、
落葉や土砂をさらいながら、ムカデのように進んでいく。
こんな感じで。
江戸時代に掘られたという 「本木上堰」。
どれだけの年月がかかったのだろうか。 全貌を示す記録は残ってないようなのだが、
この疏水のお陰で麓の田んぼに水が行き渡るようになった
(いや、これによってたくさんの新田が開かれたのだろう) ことを思えば、
米にかけた執念が偲ばれる。
毎年々々雪や災害で潰されながらも、
連綿と水循環の血脈となって会津山間部の暮らしを下支えしてきた。
5月4日は、田植え前の、集落総出での堰の清掃日というわけだ。
水は地域共同体の絆もつないできたに違いない。
コンクリ等で修復された箇所も随所にあって、
人と水路の長い長い付き合いの歴史が想像される。
今年の冬は尋常じゃなく雪が多かった。
まだ雪に埋まっている場所もある。
大雪の影響か地震によるものか聞きそびれたが、
壁が壊れた箇所もある。
大人が四つんばいになってようやく入れるかという洞穴がある。
これもいつ掘られたのか、定かな記録はない。
山の随所から湧き出る水が一本の水流となって、それを堰が受け止める。
緩やかに下りながら、水は温められ、水田を潤す。
堆積した落葉や土砂を浚いながら進む我々にまるで寄り添うように、
水もついてくる。 水量を少しずつ増しながら。
途中、スギの大木が倒れて水路を塞いでいたりする。
これはチェーンソーでも持ってこないと始末できない。
何とか枝だけでも落とし片づけ、水を通すようにする。
花粉を10年分くらい浴びただろうか。 スギ花粉症の方には無理な仕事だ。
作業の合い間は、風景で癒される。
こういう生命と自然が一体となった姿を眺めながら汗を拭くときが、
「ああ、今年も来てよかったな」 と思い、感謝するひと時である。
下から上ってきた班と合流したのは午後3時前くらいだったか。
終了後は、公民館前で恒例の打ち上げ。
お酒や豚汁が振る舞われ、これまたいつものように豆腐一丁にサバの水煮缶。
豆腐とサバ缶を出すようになった由来は地元の人もよく分からない。
たぶん手軽に用意ができ、その場で食べてもよし、そのまま持ち帰ってもよし、
蛋白源として誰にとっても 「ほど良くありがたい」 ものとして定着したのではなかろうか。
勝手な想像だけど。
堰に水が通り、いよいよ田の仕事が始まる。
この棚田にも、間もなく水が入る。
こうしていつもなら元気が涌いてくるところなのだが、
人々の気持ちに陰鬱な陰を落としているものがある。
原発事故と放射能汚染という問題だ。
夜に開かれた交流会は、そんな今を反映して、
地元住民に広く呼びかけての原発勉強会からスタートした。
続きは、スミマセン。 帰ってから。
2011年4月16日
原発はいらない! と タン君も叫んだ。
予告してしまった以上は実行しないとまずいか。 まずいね。
天下無敵の百姓どのにもしっかりコメントで発破かけられちゃったし。
4月16日(土)。 渋谷、宮下公園の先にある神宮通公園。
短角牛の短君を台車に乗せて(こいつは自力では歩けない)、午後1時過ぎに到着。
だんだんと人が集まってきて、2時には公園に収まりきれないほど膨れ上がった。
「野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!」
やるしかない!
(あ・あ・・・右手が落ちた・・・)
胸のプラカードは夕べやっつけで作ったもの。
気温がどんどん上がる中、まるでサウナ状態 (-_-;) 。
いや、泣き言はやめよう。
牛にも一言いわせろと、せっかく岩手から応援参加してくれたんだ。
東北の風土に根ざし、東北の大地に生きて、100%国産飼料で育てられた日本短角牛。
この仔には岩手の畜産農家たちの思いが託されているのだ。
腹をきめて、
行くぞ~! オオーッ! (写真左の人は弊社広報グループ・中井徹) 。
東北の方々の思いを背負って、なんてとてもできないけど、
都会の消費者に、少しでもメッセージを伝えたい。
" 美しい大地と きれいな海を とりもどそう "
そのためにできることを考えよう。 子どもたちの未来のために。
デモの前に集会が始まる。
被災地の原発被害の状況を、
グリーンピースジャパンの高田久代さんが報告する。
次に各地からの悲痛な叫び声が伝えられる。
真剣に聞き入る参加者たち。
涙する女性もいる。
茨城から、オーガニックファームつくばの風の松岡尚孝さんも参加。
大きな希望を抱いて就農して3年。
自分たちが受け入れた覚えもない放射能によって、ホウレンソウも、のらぼう菜も、
出荷できなくなった。
出荷できる野菜まで影響を受けているが、それでも自主的に検査をして
責任を持って届けたいと頑張っている。
今はとにかく、明日につながる道筋がほしい。
千葉県成田市三里塚に就農した若者が決意を語った。
「楽しく、いきいきと生きたい、そう思って成田に就農した。
もしかしたら僕たちの農地も汚染されてしまうかもしれない。
でも僕は、何があってもここに残って農業をやる、やり続けると決めました!」
福島の農家からのメッセージが読み上げられ、
続いて流通の立場から発言を求められる。
たんくんのままではきつかったので、頭は脱がせてもらう。
私たちは原発を 「トイレのないマンション」 と呼んで、ずっと反対してきました。
原発は温暖化防止に貢献できるエネルギーでもありません。
ひとたび事故が起きた時のリスクは測り知れないものになる。
・・・それがついに現実のものとなってしまいました。 実に辛いですね。
20km 圏内の仲間の生産者は、慈しんだ大地を離れて避難しています。
一人は、もう帰れないと諦め新天地を探し始めました。
30km 圏内に畑を持っていた生産者は、
屋内退避勧告に応じず、敢然と畑に通ったのですが、
その努力は報われることなく、出荷を断念せざるを得なくなりました。
その圏外にも放射能は飛び、たくさんの生産者が被害を被っています。
いくつかの市町村がまるごと捨てられる、これが原発が持っているリスクです。
そんな中で私たちは、食べられるものは食べようと呼びかけ、
福島・北関東の農家を応援する野菜セットの販売を始めました。
食べることでつながりが確かめられ、
消費者は応援していると生産者に少しでも希望のメッセージになればと願っています。
そしてみんなの力で、
新しい 「いのちと暮らしの安全保障システム」 を築いていきたいと思う。
そのシステムには、原発というハイリスクで超コスト高な装置は入る余地はありません。
(廃炉まで10年という時間とコストとその間の汚染を想像してみてほしい)
希望はこの道にある。 そう信じて今日は皆さんと一緒に歩きたい。
- とまあ、そんなふうにスピーチするはずだったのだけど・・・ 68点。
PARC理事で出版社・コモンズ代表の大江正章さんが、集会をまとめた。
原発事故は人災と言われているが、
復興構想会議の特別顧問となった哲学者・梅原猛さんの言葉を借りれば、
「文明災」 である。 文明が裁かれているとは、まさにその通りだと思う。
原発がなくても、私たちの暮らしは何ら問題はない。
いま日本は電力の29%を原発に頼っているが、その数字を引いても
1985年当時の電力量より多い。
はたして85年はそんなに不便だったろうか。
かたや、内閣府で出している国民生活白書を見れば、
生活の満足度は84年をピークに、85年からずっと下がりっぱなしである。
原発はいらない! をみんなで確認して行進しましょう。
では、いざ、出陣! です。
短君、カッコイイね。 堂々としているぞ。
神宮通公園からJRのガードをくぐり、東電の電力館前で
一斉にシュプレヒコールが上がる。
オールドスタイルの掛け声は、もうやめたほうがいいんじゃないかと、ふと思う。
それより、道行く人たちに向かって
「原発のない社会をつくりたいのです。 どうか一緒に歩いてください」
と真摯に語りかけた方のほうが好感が持てた。
あれ。
エビが疲れた表情で歩いているけど、短君じゃないの?
いえ。 集会の1時間だけ着て、デモに移る時に若手の O 熊くんにバトンタッチしました。
こういう経験は若いうちにさせなければ、という美しい先輩心です。
水色のシャツはびしょ濡れです。
O 熊くんは頑張りました。
渋谷駅前では注目度ナンバー1 じゃなかったか。
国内外の報道系だけでなく、通行人からも車の運転席からもカメラを向けられ、
ちょっと得意にポーズをとったりして。
「渋谷の駅前はチョー気分よかったっすね。」
お疲れさまでした。
応援に来てくれた会員の皆様、スタッフの方、そのご家族の方。
急な集会でしたが、来ていただいて有り難うございました。
プラカードを持って、お巡りさんにガードされながら、車道を、声出しながら歩く。
なかなかに照れくさいもので、通行人に呼び掛けているのだけど、
目を合わせるのは何となくはばかられる。
手を振ってくれる方もいれば、胡散臭そうに眺める方もいる。
ハーヴァード大学名誉教授の社会生物学者で、2度のピューリツアー賞を受賞した
知の巨人、エドワード・O・ウィルソンは書いている。
「 抗議活動団体は、自然経済の早期警戒システムであり、
生きている世界の免疫反応である。」 (『生命の未来』 角川書店 )
2011年4月14日
野菜にも一言いわせて! さよなら原発!
個人的にお付き合いのある NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC) から
4月16日(土) に表記のタイトルで集会とデモをやるので、
スピーチしてほしい、という依頼が入った。
当会の専門委員会 「原発とめよう会」 に打診したのだが、
祝島に行くなど色々と予定があって皆さん都合が悪いようで、
「野菜にも言わせて」 ならお前だろうとも言われ、
結局回り回って、自分がスピーチを引き受けることになってしまった。
以下、急な話で恐縮ですが、集会のご案内をさせていただきます。
野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!
◆ 日にち: 2011年4月16日(土) 14:00~集会 15:00~デモ
◆ 会 場: 渋谷・神宮通公園 (東京都渋谷区神宮前6-21)
◆ デモコース:
神宮通公園 ⇒ 神宮前6丁目右 ⇒ 東電電力館前左 ⇒ 渋谷駅前左
⇒ 宮益坂下左 ⇒ 神宮通公園
◆ 主 催: アジア太平洋資料センター(PARC)
「野菜にも一言いわせて!サヨナラ原発デモ実行委員会」
◆ 詳細は、以下のURLをクリックしてください。
http://beingb.com/yasaidemo/index.html
14:00からの集会では、
原発の現状と放射能汚染が農業・漁業に与える影響についての報告、
現地調査の報告、漁業者・農業者からの声、などが発表される予定です。
戎谷の持ち時間は5~10分。
福島の生産者の思いの一端でも伝えられれば、と思っています。
またデモでは仮装大歓迎! ということなので、
岩手県山形村(現久慈市山形町) から
短角牛のたん君(着ぐるみ) の応援参加をお願いしました。
荷が間に合えば、牛さんになって渋谷駅の周りを歩きます。
デモなんて久しぶりだけど、小さな行動でもやれることはやろう、
と腹を決めています。
見物人でも結構です。 一人でも多くのご参加を!
2011年4月 9日
原発とめよう会の緊急講座から
「福島と北関東の農家がんばろうセット」 を企画した途端、
マスコミが殺到してきた。
風評被害から農家を守ろう、という取り組みはそれほど珍しい、ということなんだろうか。
たしかにここにきてスーパーマーケットでも
「福島応援フェア」 などが開かれたりしているが、
普通のコーナーに並べられることはない。
僕としては 「(流通OKなものは) 普通に食べようよ」 と言いたいだけなんだけど。
それよりもっと大きな方向にベクトルを向かわせたいと思うのに。
一昨日(4月7日) は、NHKさんから取材を受けた。
昨日の夕方の首都圏ニュースで3分ほど流れたようだけど、
自分は外での会議に出席していて見ることができなかった。
応援セットの主旨より放射能の自主検査について色々と聞かれてしまい、
これについてはわずかでも間違ったことをいうわけにはいかないので、
カメラの前で言葉を選んでいるうちに、自分でも緊張してくるのが分かった。
見た方からの感想は 「ちょっと元気がなかった感じ。 疲れてる?」 。
いえ、喉が渇いて、大きな声が出なくなっちゃったんですよね、トホホ。。。
でも視聴者から 「私も応援したい」 という連絡も入ったようなので、
その報告だけを記憶して、今日は寝ることとしよう。
いや、寝る前に、今日開かれた講座の報告をしておかなければならない。
大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 が開催した
緊急講座- 「福島原発とどう向き合うか」 。
場所は、新宿区早稲田にある 「戸山サンライズ」の大研修室。
講師は、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。
仕事の都合でちょっと遅れて行ったところ、定員200名の席がほぼ埋まっていた。
原発をテーマにして、これだけの人が集まったのは、チェルノブィリ以来だね。
心境は複雑である。
原発事故や放射能についての解説は、原発とめよう会ブロク他の媒体に譲るとして、
取り急ぎ、誰もが気になっていることだろうと思われる疑問について、
伴さんのコメントを紹介したい。
ただ紹介するだけでは無責任なので、→ のあとにエビの見解を示します。
1.政府が出した暫定基準値は甘い。
被曝は単純な比較で終わるものでなく、足し算で考えなければならない。
被曝の影響として語られる 「ただちに健康への影響はない」 とは、
将来に影響が出る可能性があるということである。
放射能にこれ以下なら安全という量はない。
→ その通りだと思う。 だからこそ 「ただちに」 止めなければならない。
と同時に、今は危機管理体制の中にある、というのが僕の認識で、
暫定基準値は、最低ここまでのラインで行動する、という統一基準として理解している。
それをいたずらに危険だと煽ったり店頭から撤去するのは賢明な判断ではないと思う。
「この基準を恒常的なものにしてはいけない」 は、まったく同感である。
平時にあっては予防原則に則って安全性を確保する社会づくりに努める。
しかし非常時にあっては、できるだけ多くの人を救うための共通する行動原理に従って
一刻も早く事態を収束させる。 それが危機管理の鉄則じゃないだろうか。
そして、すべての不安を、「ただちに」 次の行動に結集させたいと思うのである。
僕が腹の底から願うのは 「いのちの安全保障」 ビジョンである。
2.乳幼児ではヨウ素の影響は大人に比べて10倍くらい高い。 子供は4倍くらい。
できるだけ情報を集めて、自分で判断しよう。
→ この数字の根拠までは語られなかったので、検証はできてないが、
こういう数字を示してくれると、やっぱホッとするのは消費者心理ではある。
一方で今の基準値は子供への影響も考慮したものである、という見解もあるが、
とりあえず伴さんの説明に基づいて計算するなら、
野菜類の乳幼児の暫定基準値は200ベクレルということになるか。 子供で500ベクレル?
当会で放射能汚染食品測定室に依頼したホウレンソウの比較試験で得られた結果は、
洗って約4分の1、茹でて半分。 なら葉物で400ベクレル、というのが指標になるか。
乳幼児向けだと、葉物でひっかかる場合がある、というレベルである。
真の大人なら、当たり前に食べてほしい。
気になるなら、厚生省や官公庁で日々発表されているデータをHPでチェックして
参考にしていただきたい。
じゃが芋や玉ねぎ・人参・大根といった根菜類はまず問題ない。
トマトやきゅうりなどの果菜類も大丈夫でしょう。
ちなみに、ホウレンソウなどの葉物が高く出るのは、
太陽に向かって葉っぱを広げて伸びようとしている、その生長段階のものを食べるから。
落ちてくるものを受け止める面積が広いからです。
単位重量に対して、表面積が大きいものは高く出ることになります。
そういったことも頭に入れながらいろんな野菜を判断していただけたらと思います。
ただ、この汚染が長引くと、問題は半減期の短いヨウ素ではなくセシウムになる。
大地に降ったセシウムを植物がどう吸収するか、これからいろんな情報が出てくることだろう。
私が考えるポイントは腐植や微生物の役割、つまり有機農業の力である。
生態系の力で安定させていく事こそもっとも合理的で、これこそ地球の原理だから。
これは専門化レベルの話になるが、いずれ挑戦したい。
3.子供を外で遊ばせてよいか?
雨が降ると放射性物質も一緒に落ちてくるから、当然濃度も高くなる。
濡れないように注意してあげる必要がある。
普通の日に外で遊ぶ場合は、砂場などで土や砂をいっぱい体に付着させるのは
なるべく避けたほうが良いと思うが、それ以外は神経質に考える必要はない。
部屋に閉じ込めてストレスを高めることのほうが問題だと思う。
→ 有り難うございます。 そのように伝えていきたいと思います。
他にもいくつかあるけど、取り急ぎこんなところで。
昨日キャッチした情報。
全国漁業協同組合連合会 (全漁連) の服部郁弘会長は6日午前、
都内の東京電力本社に勝俣恒久会長を訪ね、
同社が福島第1原発で高濃度放射能汚染の貯蔵スペースを確保するため
低濃度の汚染水を海に放出したことに対し、
「何の相談もせずに強行した一方的な暴挙だ。
われわれ漁業者の神経を逆なでするもので、許し難い」 と強く抗議した。
服部会長は、「国と東京電力の責任は免れない」 と強調。
政府と東電に、関係者への最大限の補償を速やかに行うよう求めた。
これに対し、勝俣会長は
「大変なご迷惑をお掛けしたことを、心から深くおわび申し上げます」 と陳謝。
汚染水の流出防止や補償の問題に 「最大限の努力をする」 と述べ、
同社として誠意を持って対応する姿勢を示した。
服部会長は東電側との会談後、記者団に
「これからはどんな説明を受けても信頼できない」 と強い不信感を表明。
福島、茨城両県以外の漁業者にも不安を広げた東電や政府の対応に怒りを示し、
今後全漁連として、全国で運転もしくは計画中の全ての原発の中止を訴えていく
考えを示した。 (4月6日12:29、時事通信発)
今日改めて確認しようとしたが、どうやら最後のセンテンスはカットされてしまったようだ。
考えさせられるね。
ここは一発、断固支持のエールを送っておきたい。
がんばれ!全漁連・服部会長!
2011年4月 5日
支援は多様に展開したい
いま 「大地を守る会震災復興支援基金」 に
たくさんの義援金が寄せられてきています。
ご協力ご支援いただいたすべての方々に深く感謝申し上げます。
お寄せいただいた義援金は、
被災された方々へのお見舞いとしてお渡しさせていただく他、
現地での炊き出しなどの生活支援や復興に向けての各種の支援に
活かさせていただきます。
支援の活動内容については、当会広報室スタッフによる
にて逐次レポートされますので、ご覧いただけると嬉しいです。
(私のブログは個人の行動範囲とアンテナ・体力・気力に常に左右されてますので。)
炊き出し隊は昨日から岩手に入り、活躍してくれています。
隊長・吉田和生のツイッターからは、リアルタイム(と言っていいよね) で
現場からの情報が発信されています。
(平時ではテキヤ部長の異名も持つ彼の公式肩書は、「畜産水産グループ長」です。)
最近は誤字や変換ミスをむしろ売りにしつつある吉田のツイッターはこちらです。
http://twitter.com/DWMK_yoshidak
我が農産グループでは、今週から
風評被害に苦しむ産地をバックアップしようと、
『福島と北関東の農家がんばろう セット』
という、ネーミング・センス度外視の野菜セットを企画しました。
(これでも農産チーム諸兄は喧々囂々やってたようですが・・・)
福島・北関東の野菜は今が出盛りの時期。
にもかかわらず、出荷規制の対象外の野菜も
「福島県産」 「茨城県産」 というだけで買い控えが広がっています。
自分たちが誇りを持って育てた農産物が、人々から忌み嫌われる生産者の悲しみ、
苦しみ、怒りは察するに余りあるものがあります。
そこで企画したのが上記の " 福島&北関東 がんばろう! " セットです。
ご支援いただける方は、ぜひ食べて応援してください。
これはけっして抵抗を感じる方にまでお願いするものではありません。
支援の方法は一つではないですから。
基金へのカンパ、被災地の商品の購入、救援物資の提供、ボランティア、節電、
みんなが出来る方法で力を合わせ、
ただただ、いのちと暮らしの復興に進んでいきたいと思うのみです。
ご支援いただけたなら幸いです。
2011年3月30日
有機農家の死
天下無敵さん、たかはしさん、
いただいたコメントに 「有り難う」 と返してよいのか、言葉が浮かびません。
福島県須賀川市で、有機農業30年という農家の方が亡くなられました。
我々の関係者ではないのでお名前も分かりませんが、本当につらいすね。
報道によれば、キャベツの出荷が止められた (正確には 「摂取制限の指示」)
その翌日に縊死(いし) されたとのこと。
福島県産というだけで、大気汚染濃度だってさほども進んでいない土地で。
朝日新聞(3月29日付朝刊) には、こう書かれていました。
男性(64歳) は30年以上前から有機栽培にこだわり、
自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。
キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、
この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。
農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。
「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。
そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。
安全安心に誇りを持っていたことの裏返しとしての絶望が、その方を襲ったのでしょうか。
生きられた喜びで雄々しく再建に向かう人々がいる時を同じくして、
自ら人生を絶つ人が現われてしまいました。
しかもこれから私たちが頼りにしなければならないはずの
土壌の力を知る人の中から。
もっとも誇りとした世界が、もっとも嫌忌するものによって汚される、
その絶望が心身の破断へと至らせたのか、真実は知る由もありませんが、
「原発に殺された」 -遺族の方のコメントがやるせません。
その方の魂に向かって、
あえてこう呼びかけることを、お許し願いたい。
- まだ眠ることなく、私たちとともにいてほしい。
いまそれぞれの胸の中にある無念や悔しさを
全部集めて、進軍したい。 希望に向かって。
2011年3月28日
出荷停止は危機管理になっているか?
被災者の一日も早い暮らしの安定と復興を願って、
力を合わせて前に進もうとした矢先、
放射能という、永遠に眠らせておかなければならなかった怪獣が
爆発とともに天空に吹き上げられ、
のたうっては人の善意をあざ嗤い、かき乱し、
私たちの心を被災地から遠ざけていく。
この怪獣は自らを制御することができない、愛をもってしても。
いま首都圏の人々は、" がんばろう日本 " に共振する市民の顔と、
" 放射能への恐怖 " にうろたえる消費者心理で悶えている。
牛乳やら野菜やら水やら、あちこちのいろんなモノが測定され、
ひとつのサンプルが暫定的に設定された規制値にひっかかると、
出荷停止や摂取制限という形で、一気に 「県」 単位で規制がかけられる。
「食べてもただちに健康危害がおきるものではない」 という解説付きで。
タバコよりリスクは少ない、という記事もあった。
しかし疑心暗鬼は増幅するいっぽうで、つながりが分断されていってる。
家族を守りたいと思う行動は当然であり、責めるわけにはいかない。
しかし、いま進んでいる食品規制は、はたしてこれでいいのだろうか。
このままでは相当にヤバイ、そんな気がしてならないでいる。
なんだろう、この激しい焦燥感は。
何か本質的なものが欠落していないだろうか。
風評被害から生産者も消費者も守らなければならないはずの行政が、
風評被害を広げてしまっていないだろうか。
悶々とする中で、問題はやっぱこれだよ、と思ったのは、
風向や大気も含めた汚染の状態も無視して、内陸部の会津地方まで、
福島県だからとひと括りにされて何種類かの野菜が出荷制限されたことだ。

(3月24日付・朝日新聞夕刊)
福島・浜通り(太平洋沿岸地帯) では、この時期はだいたい風は西よりで、
海に向かって吹いていたと思う。
汚染はけっして規則正しく同心円的に拡がるわけではない。
水であれば、たとえば利根川上流が汚染されれば、
汚染は群馬県という行政区分ではなく、あるいは半径何キロという円でもなく、
水系に沿って一気に東京(河口) へと伝ってくる。
空から降ってくるものの影響を測るのは、単純な直線距離ではなく、
風の向きと力、そして地形だろう。
現場は実験室の中のシャーレではない。
西に100キロ離れた会津地方まで 「県」 という単位で同列に規制する
この判断基準はどこからくるのか。
答えはこれでいいだろうか。 -判断を県という自治体にさせているからだ。
どなたか専門家の方がいらっしゃれば、教えてほしい。
この危機は、地球儀を見ながら考えなければならないと思う。
中国から黄沙が飛んでくる季節のうちに、
何としても収束させなければならなかったのだ。 もう無理のようだけど。
出荷停止(あるいは自粛) という措置に怒っているのではない。
その規制値に文句を言っているのでもない、今は。
とりあえず疑問は置いて、僕らも従っているワケだし。
ただ、放射能汚染という超ド級の非常事態にあって、
「県」 単位の判断というのは、いくらなんでも稚拙で乱暴すぎないだろうか。
各地の大気モニタリング測定や風をもとに拡散実態を追い、
モノの検査測定値も見ながら、人も含めて規制を指示してゆくべきではないか。
地方自治体の防衛本能に任せる話ではない。
非常事態にあっては、行動原理はひとつにしなければならない。
ここでいえば、それは国でなければできないことだ。
「国が情報を集約し、(ひとつの物差しに沿って) 指示する」
こそが必要だと思う。
危機管理の基本だと言ってもいい。
すでに県レベルで 「出荷停止」 の判断が異なってきている。
めいめいの小賢しい計算はやめて、行動の目安は一緒にして動かないと、
疑心暗鬼は加速し、必要な人のところに必要なモノが行き渡らなくなる。
大地を守る会がいま採用している流通可否判定基準は、
国が出した暫定基準値である。
「そんなんでいいのか!」 というお叱りの言葉も聞こえてきている。
しかし・・・ふだん厳しい安全基準を謳ってはいても、
こういう時に跳ね上がった勝手な行動は慎むべきだと思うのである。
これは自信をもって言ってるわけではなくて、
それしかないんじゃないか、というのがあれこれ考えた結果での、
偽らざる本音である。
いたずらに基準をあらそって消費心理を混乱させないために、
行動の基準は一致させて動くことが必要だ、と肝に銘じたいと思うのである。
流通がバラバラに動くと、
生産はゆるいほうに流れ、消費は厳密なほうに流れる。
モノの流れがバラバラになって、対策は後手後手になってしまう。
重ねて強調しておきたい。
これは平時の話ではなく、
放射能という、安全を保証する閾値(いきち、しきいち) を明解に設定できない
敵を相手にしている、いままさに進む極めて危険な非常事態での行動規範について、
である。
危険度最強レベルの非常事態が進行している。
誰も 「安全です」 と断言できる世界は喪われてきている。
最低ここまでのラインは維持したい、というレベルが国によって示されたなら、
いったんはそれに基づいて行動しよう。
そこに最も多くのデータが集積され
(それは僕らがこれまでやってきたサンプル数の比ではない)、
現状に基づいて適切な判断がそこでされるなら。
しかし、その必死の信頼を担保するだけの判断と指導体制がないとなると、
危機管理システムは機能しない。
みんなが自己保身に走ったら、社会は崩壊する。
ここは骨太でいきたい。
ホウレンソウは食べても大丈夫ですか?
-大丈夫です。 僕も食べてます。
ただし長びけば長びくほど、そうは言えなくなる、という事態が進行しています。
落ち着いた行動が、みんなを守ります。
対策や対応も早くなります。
ただ、国や行政の動きがバラバラなままだと、いつまでも紳士ではいられなくなる。
「ここは独自路線で自らの身とみんなを守りましょう」
と叫んでしまう時がきそうで、怖い。
せっかく入荷したにも拘らず流通停止にしてしまった
「くらぶち草の会」(群馬) のホウレンソウをたくさん持ち帰って、
せっせと茹でて、毎日食べている。
草の会の皆さん、僕が食べた分は払います。
上に貼り付けた新聞記事。 最後のところで、大地を守る会の生産者である
二本松市の大野達弘さん (NPO 東和ふるさとづくり協議会) が登場して、
語っている。
「安全安心に自信があった品物なのに・・・」。
地域をあげて無農薬や有機栽培に取り組み、
山あいの不利な条件を克服する農業を実践してきた。
県外から新規就農する若者も出てきていた。
その矢先の原発事故。
「我々は何も悪いことをしていないのに、なぜこんなことになるのか。
早く作物が安全だといってもらえるようになりたい」
2011年3月15日
安否確認
昨日の日記へのコメントを通じて、
宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (「志津川アグリフード」) の
消息をたずねてこられた潮田沙織 様。
仕入担当・須佐があちこちアンテナを張って調べていたところ、
ようやく 「無事のようです」 の情報提供を得ました。
直接本人と会ってないので、まだ確定とは言えませんが、
ご本人とご家族は近くのホテルと小学校に避難されているようで、
南三陸町の生存者名簿にも記載されているとのことです。
お体の様子がつかめませんが、とりあえずひと安心、というところでしょうか。
よかったです。
これで農産関係の生産者はほぼ無事が確認ができました。
「ほぼ」 というのは、団体のメンバー全員の確認まではまだやり切れてない、
という事情です。
弊社・幕張本社と習志野物流センターは、
計画停電情報と交通機関の混乱に振り回されながらも、
何とか人の手当てから臨機応変な業務オペレーションまで、
やりくりしながらつないでいます。
昨日は職員の送迎で、京葉線・海浜幕張から総武線・西船橋間の
ピストンもやりました。 車に自転車まで積まされたのは参りましたが。。。
配送も遅れ遅れながら、頑張ってくれています。
ただ産地からの物流が、道路事情だけでなく燃料の確保がままならず、
随所でストップしている状態です。
茨城県行方市の卵の生産者、濱田幸生さん (キジムナー農場) が
彼のブログ 「農と島のありんくりん」 で、
あまり報道されない茨城の状況を伝えています。 ぜひ読んでみて下さい。
亡くなられた方やご家族の方々には本当に申し訳ない言い方ですが、
大地を守る会の生産者は皆さん、何とか無事で、頑張って生きてます。
気持ちを切らすことなく復旧に入られた方々には、本当に頭が下がる思いです。
いろんな食材が欠品になっています。
それでも他の生産者・メーカーさんのもので代用できるものは
手当てさせていただいています。
食べていただければ、生産者にとっても嬉しい限りです。
どうか事情ご理解くださいますよう、お願いします。
地震に加えて、原発の状況がますます緊迫してきています。
ヘンな情報も乱れ飛び始めているようです。
冷静に判断しながら行動しなければならないですが、
とはいえ最悪の事態になったら・・・ 身も震えてきます。
大地を守る会は、86年のチェルノブイリ事故以来、ずっと原発に反対してきました。
その力が足りなかった悔しさに歯ぎしり噛んでいますが、
しかしここはとにかく、一人でも多くの人を救いたい、その思いに集中したい。
日々のつなぎ (物流と情報の流れ) に汲々としながらも、
やれることはやりきろう、と鞭打っています。
2011年3月14日
東日本大震災
ため息や涙も飲み込んでしまうような事態が進行していますね。
刻一刻と情勢が変化するなか、情報収集や物流関係での判断等に追われて、
なかなかブログまで手が回りませんでした。
まずはとにもかくにも、
被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、
一人でも多くのご無事と一日も早い復旧を願わずにはいられません。
大地を守る会の公式情報は、HPを見ていただくとして、
取り急ぎ、3月14日午前11時時点での状況です。
生産者関係では、これまでのところ、「人」 は無事です。
なかなか安否確認できなかった宮城・岩手・福島方面もようやく連絡が入るようになり、
順次、無事を確認しています。
一番心配していた奥松島の二宮さん(カキ) からも今朝連絡があり、
地震直後に車で逃げたが、津波に追いつかれ、
電柱にぶつかりガラスが割れたので車から脱出、
家族全員で歩いて親戚宅までたどり着いたとのこと。 まさに奇跡の生還!です。
塩釜の遠藤さん(練り物) も、高橋徳治商店さんも、元気です。
農産関係で被害が大きかったところでは、
福島・須賀川、ジェイラップの備蓄米の精米ラインが損傷を受けました。
各所に地割れが発生して、メンバーの家屋も相当な被害が出ているようですが、
それでも 「津波や大火に見舞われた方々に比べれば」 と
伊藤俊彦代表の陣頭指揮のもと、気を取り戻して復旧に入っているとのことです。
とにかくライフラインがメチャメチャです。
ヤマトの集出荷も止まっていて、モノが届きません。
「ガソリンの確保もままならない」 といった連絡も相次いでいます。
弊社・習志野物流センターの状況はというと、
地震当日は停電と地盤の液状化現象によって避難指示を受けましたが、
12日から早々に業務を再開。
今も断水の状態が続いていますが、今日からの宅配はしっかり走らせています。
ただし時間はお約束できません。
モノも相当量が欠品になってますが、どうかお許しください。
順次回復してゆければいいのですが、計画停電の影響が読めません。
以上、取り急ぎ、です。
下の写真は、地震翌日12日の午後の、海浜幕張駅周辺の様子。
相当な液状化現象があったようです。
というのも、僕は前日は成田で足止めを喰らって会社に戻れなかったのでした。
駅は通行止めです。
11日は電車がストップして、
大地を守る会の職員も100人ほどが、幕張テクノガーデン・ビルに泊まったとのこと。
窓から市原のコンビナート炎上を眺めながら。
キノコ雲が上がったのを、呆然と見つめたらしい。
同じテクノガーデンに本社がある気象会社、ウェザーニューズ社でも、
2階フロアを開放して、帰れなくなった避難者を受け容れたようです。
ウェザーニューズのUさんから送られてきた様子。
こういうときに必要なのは、とにかく助け合い、ですね。
みんなで励ましあい、難局を乗り切りましょう。
2011年2月24日
異常気象は現場で起きてるんだ~
- というサブタイトルでいきたいんですけど・・・
「 2011だいちのわ 大地を守る東京集会
実行委員、Oからの野望が語られた。
ふ~ん、別にオレはいいけど。 でも、こだわるわりにはパクリっぽいよね。
ハァ、まあそうなんですけど、これでいきたいんです・・・
2月27日(日)、今年の東京集会で僕に与えられた仕事は、
13時から17時まで連続的に展開される
「大地を守るカフェトーク」 のなかのプログラム -生産者が語る 『異常気象レポート』 -
という30分コーナーの司会である。
いつもこんな役回りで声がかかるのが気になるところだが。
トーク・コーナーを担当する実行委員のO君から提示されたサブタイトルがこれ。
~異常気象は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起こってるんだ!~
気持ちは分かるけどね・・・
で、本番まで残すところ一週間となって、ようやくこちらも東京集会モードとなってきて、
バタバタとスライドの確認やイメージの整理に取り掛かってみれば、
改めて事の重大さをかみしめざるを得ない、という次第である。
そもそも 「異常気象」 とは - から頭の整理は始まるのだが、
昨今の世界の気象動向を振り返ってみるだけでも、
食糧供給の問題にとどまらず、こんにちのアラブの騒乱から原油の高騰にまで
つながっていることが浮き彫りになってくる。
たとえば、これが気象庁データにある昨年1年間の世界の天候異変現象のMAPである。

地球の反対側の現象が私たちの暮らしを直撃してくる。
グローバル時代の危うさを示している。
温暖化の真偽についてはまだ専門家の間で複雑な議論があるようだが、
地球の気温はこの数十年、上昇の一途にあることは間違いなく、
しかもそれが自然要因以外によることも間違いないようで、
それが気候変動を激しく、不確実なものにさせている。
これからさらに変動の振幅 (=自然災害の規模) は大きくなることが予想されている。
温暖化は食料の供給(&価格) を乱高下させる要因にもなっている。
動植物の単純な変調に留まらず、生態系そのものを不気味に狂わせつつある。
加えて、人口増加と耕地面積の減少、地力の低下、オイルピークの問題
などなども相まってきて、投機マネーまでが自己増殖を目的として侵入してくる。
食料はますますもって戦略物資と化してゆくことだろう。
人の動きも荒れてくる。 それは今、まさに起きている。
TPPなんて、とてもとても暴挙としか思えなくなる。
そして異常気象はますます頻繁に発生する。
それは、進行形として現場で起きているのである、たしかに。
去年の夏にレポートした、北海道中富良野・太田農園の玉ねぎ畑。

去年の夏の出来事、ではすまないのかもしれない。
写真を送ってくれた石山耕太さんに登場願うこととした。
もう一人お願いしたのは、鳥取県境港から岩田健二郎さん。
この冬の豪雪は尋常じゃなかった。
" 現場で起きた " 生の報告を聞いてもらおう。
たった30分でも、しっかり伝えたいと思う。
このブログを読んでくれている方には、お決まりの結論になると思うが。
いっそ、アル・ゴア (アメリカ元副大統領) の言葉を引用させてもらおうかな。
未来世代が私たちにこう尋ねているところを想像してみてほしい。
「 あなたたちは何を考えていたの?
私たちの将来のことを心配してくれなかったの?
自分のことしか考えていなかったから、地球環境の破壊を止められなかったの?
――止めようとしなかったの?」
私たちの答えは、どのようなものになるのだろう。
( 『不都合な真実』より/枝廣淳子訳 )
2011年2月27日、「大地を守る会のオーガニックフェスタ」。
どなたでもOK。 ぜひご来場ください。
2011年2月19日
15回目のあらばしり体験-大和川交流会
一週間の間が空いちゃったけど、アップしておきたい。
お前はこの日のために生きているのか、と言われても否定しない、
年に一回の 「大和川交流会」。
大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」 の新酒絞りに合わせての
酒蔵での交流会である。
このお酒が造られた最初の年が1994年 (当時の銘柄名は 「夢醸(むじょう)」 )。
3年後の97年から、新酒完成を祝う交流会が欠かさず続いてきた。
2月12日(土)、会津・喜多方にある 「飯豊(いいで)蔵」。
30年ぶりとも言われる豪雪に包まれながら、寒仕込みの真っ最中だ。
今年の交流会参加者一行は、挨拶もそこそこに、
発酵途上のお酒を試飲して回る。
純米吟醸、純米大吟醸、大吟醸・・・・これはあと10日、こっちはあと20日。
う~ん、たまりませんな、この至福。
そして今まさに絞り中の 「種蒔人」 。
絞りたて、荒ばしり(新ばしり、とも) ・・・を一献。
よし! 今年もいい酒になった。
真剣な顔あり、「予は満足じゃ」 ふうあり。。。。
厳しい夏を乗り越えてくれた原料米・美山錦と、
飯豊連邦に育まれた水に、今年も感謝!
「種蒔人」 新酒が会員の前にお目見えするのは27日、
「大地を守る東京集会-大地を守る会のオーガニックフェスタ2011-」
懇親会の鏡開きにて。
どなた様もどうぞ奮ってご参加ください。
さあ、交流会へ。
昭和の時代まで、大和川酒造の酒づくりを支えた蔵。
今は「北方風土館」と名を変えて、見学蔵になっている。
当時のたたずまいを残し、酒造りの道具などが陳列されている。
見学コースの最後にはテイスティングルームも用意されている。
今年の交流会は、餅つきから。
9代目、佐藤弥右衛門さん。
弥右衛門襲名なんて、時代がかっていると思ったもんでしたが、
名乗ってみるとその重さも感じてきましてね。
地域の文化や伝統を守ろうと走り回っていた先代の遺志も
ボチボチと継いでいかなきゃって、ま、色々やってます。
原料米生産者、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。
ずっと食べ続け、飲み続けてくれる消費者のお陰で、私たちも進化して今日があります。
昨年は本当に厳しい米づくりでしたが、そのぶん強い米に育ったと思います。
よくぞ頑張ったと褒めてやりたい。
いい酒に仕上がって、今年の感動はひとしおです。
乾杯の音頭は、「稲田稲作研究会」 会長、渡辺義勝さん。
あとはもう、解説なし。
会津料理に舌鼓を打ちながら、
できたばかりの種蒔人に大和川自慢の清酒の数々をいただく。
なんと鑑評会出品作品まで登場して、場はどんどん盛り上がる。
毎年書いているような気がするが、
いつの年だったか、参加者が漏らしたひと言
「この交流会は、まるでこの世の天国!」 を、今年もまた実感いただけたようで、
主催者としては望外の喜びである。
交流会後も、熱塩加納村の宿で、深夜まで語り明かす。
空いた一升瓶が、、、ウン本。
朝の青空がまぶしい。
大和川交流会が終われば、鏡開きまで2週間。
モードは一気に東京集会となる。
2011年2月 9日
大作さんの玉ねぎ
2週前の1月24日~28日、
宅配会員の方々に1枚のチラシを入れさせていただいた。
「 緊急入荷 大作さんの玉ねぎ (慣行栽培) の販売について 」
北海道の玉ねぎの大不作によって、春までの玉ねぎがショートする。
北海道の作柄が概ね見えてきた晩秋に入った頃の、ぞっとするような報告。
それなりの余裕も持って総量で約250トンの玉ねぎを道内7産地と契約していたのだが、
はじき出された供給見込みは170トンという数字になった。
流通者の使命としては当然、肩を落としている場合ではなく、
各産地に対して契約分以上の出荷のお願いや新規の産地開拓にもあたるのだが、
僕ら(農産グループ) は、もうひとつの選択を社内に諮った。
「大作(おおさく) 幸一さんの減農薬の玉ねぎを仕入れたい。」
大作さんとのお付き合いは大地を守る会設立時代にまで遡る。
じゃが芋の金井正さんとは義理の兄弟で、35年より前に、
二人は互いに明かすことなく無農薬栽培に挑戦し始めた。
入社当時に聞かせてもらった話。
・・・だってね、戎谷くん。 無農薬で野菜を作るなんて言ったら、周りから何言われるか。
そんな時代だったんだ。 だけどこんなに農薬かけてちゃいずれダメになるんじゃないか、
と思ってね。 誰にも言えずに、こっそり一人で始めたわけさ。
兄 (金井さん) にも言えなかったな。
それがある日、金井から 「実は・・・」 て聞かされて、オレもだよ! となってね。
それで大地を紹介してもらったっていきさつさ。
(大作幸一さんと息子の淳史さん)
ただ北海道の大面積をすべて無農薬でやるのは厳しい。
大作さんは耕作面積の半分を無農薬で栽培するが、
除草にかかる人手の確保や家族労働の限界から、
その半分はいわゆる減農薬栽培という形で営んできた。
しかし除草剤の使用もあって、当会の生産基準には適合しないため、
大地を守る会で仕入れることは、これまでなかった。
にもかかわらず大作さんは、たとえ他と同じ 「北海道産玉ねぎ」 として一般市場に流れる
ものであっても、できるだけ農薬を減らしたいという努力を惜しまなかった。
今は北海道の慣行栽培の約7割減である。
この姿勢は立派なものだと、僕は心底から思っている。
しかも、これによって大作さんの経営の半分が支えられてきたということは、
大作さんの無農薬玉ねぎを維持させてきた 「弟分」 のようなものではないだろうか。
数年前に奥様 (金井さんの妹さん) が亡くなられた時、大作さんは伝えてきた。
「少し無農薬の作付を減らしてもらってもいいかい。」
除草作業のパートさんたちを上手に仕切ってくれていた奥さんの力は大きかったのだ。
肯定も否定もできなくて、つらかった。
この期に及んで新規の産地をかけずり回るより (それもするのだけど)、
大作さんのこの玉ねぎを会員に問いたい。
しかし、、、生産基準とはイコール取り扱い基準であって、これまではどんなときでも、
足りなくなったからといって基準外のものを仕入れたことはなかった。
これは禁じ手ではないか・・・
迷いはなかなか吹っ切れなかったが、ここで素直に告白すれば、
この判断を下したのは単純な自問自答だった。
もしも基準内の玉ねぎがなくなったら、
もし我慢できずに次を選択するのなら、食べるべきは、
大作さんの経営を陰で支えてきたこの玉ねぎだと、お前は思っているのだろう。
仮に有機JASの玉ねぎがスーパーで手に入ろうが、
大作さんの玉ねぎを食べることが自分の果たすべき仁義だと思っているのだろう。
会員には欠品にして、陰で取り寄せることはただしい行ないではない。
「皆さんも、この玉ねぎを一緒に食べてくれないだろうか」 と言うべきだろう、と思った。
無農薬玉ねぎを支えるためにも。
選択の権利が残っているときに 「基準外です」 と宣言して扱おう。
無農薬の玉ねぎをできるだけ長く引っ張るためにも、
僕は大作さんの減農薬玉ねぎを食べることを明らかにしておきたい。
他の減農薬のものと区別する必要もあり、化学肥料の問題もあるので、
ここは潔く、大作さんの普段の言い方に倣って 「慣行栽培」 とした。
それにもうひとつ、僕をつき動かした世の中の流れがあった。
このまま自社基準の高みから眺めている場合じゃないんじゃないか、
という焦りのようなものか。
天候不順で北海道産の玉ねぎが2年連続の大不作となって、
相場も高騰しているのだが (1月の情報で前年比35%高)、
こういうときには決まって輸入が急増する (それによって価格が安定?する)、
というのが近年の動向である。
昨年11月ですでに、前年の年間輸入量を42%上回った。
前年も不作で、その前の年に対して13%増だったので、
2年前に比べて60%輸入が増えている計算になる。
国内流通に占める割合は20%を超えたようだ。
不作を輸入で補っているうちに、世間は関税撤廃!TPP!ときた。
農協はTPP反対を唱えながら、商社と提携関係を強化している。
「厳しい基準」 は守りながらも、それではすまない事態が進行している。
水面下で進む土台の崩壊を、対岸の火事にしてはならない。
いや、これは対岸の話ではないワケで、大作さんには笑われるかもしれないけど、
大作さんの経営を全面的に支えるくらいの行動を起こしたい。
この選択と提案は、「大地を守る会の生産基準」 に胸を張ってきた者としては、
禁断の果実に手をつけたのかもしれない。
よってチラシは、戎谷の署名でお願いした。
仕入の責任者として首をかけるくらいの構えでいきたいと思ったので。
チラシに書いた " セカンド・ベストの提案 " というのも、
流通者としては当然の義務と言われるような話なのだが、
僕らにとっては初めての表現である。 狡猾と言われれば返す言葉もないけど、
大地を守る会としての 「農業を守る」 ためのひとつの提案とさせていただいた。
会社の定款である 「一次産業を守る」 に従ったとか言ってしまうと、
開き直りも過ぎるだろうか。。。
今回の提案を "考える素材" として受け止めていただけたなら、 本望としたい。
札幌黄(さっぽろき) という貴重な品種を、種を採りながら守り続ける大作さんの
生き方を、食べることでもっと深くつながり、支援したい。
正しかったかどうかは、我々のこれからの仕事で証明するしかないと思っている。
ご批判はすべて甘んじて受けたい。
2011年1月21日
天候は 「関係」 を考える素材なんだけど-
ふ~、しんどい。
( 「しんどい」 はどうも昔からの口癖で、苦しい時も大したことない時も使ってしまう。
さだまさしの歌にある 「ため息つけば それですむ」 みたいなものか。)
それにしても、まったく書けなかった。
何もなかったわけではなく、毎夜飲んだくれていたわけでもないのに、
新年早々からなんか急き立てられ、余裕を失っていた。
どんな感じだったかというと-
東京有機、埼玉大地と新年会が続いたあと、
13日(木) は群馬での新年会をパスして、(株)NTTデータだいち さんと打ち合わせ。
栃木・那須に開いた農場 の今後の新しい展開について当方からの提案を持参する。
詳細はまだお伝えできる段階でないので省かせていただく。
14日(金) はアファス認証センターによる監査を受ける。
当会独自の農産物監査システムで、
自分たちの情報管理や産地監査の適正さを審査していただくものだ。
3つほど改善の指摘を頂戴する。
無事に、と言ってはいけないが、まあ想定範囲内で終了。
14日午後は丸の内に出かける。
丸の内地球環境倶楽部-「都市の食WG (ワーキンググループ)」 での
「 『都市の食ビジョン』 具体化に向けたまちづくり検討会」 に出席。
丸の内地区の食堂を東京野菜やこだわり食材で結ぶ新しい物流構築に向けての、
ロードマップというのか、プロセス・イメージを提出する。
いよいよ正念場に突入。
15日(土) は、専門委員会 「米プロジェクト21」 主催による講演会と食事会企画を実施。
ところが新幹線のトラブルで講師の到着が大幅に遅れるという事態に見舞われ、
綱渡りの運営で何とかしのいだ。
この報告は次回に。
18日(火) は大地を守る会理事会。
NGOと株式会社の合併についての具体的論議が本格化してきた。
19日(水) は、千葉県内産地合同での新年会をパスして、
他団体の生産者の集まりに参加する。
ウチの生産者との交流をないがしろにしたわけではけっしてなく、
組織としての代表派遣のお勤めだとご理解いただきたい。
そして昨日から泊りがけでの茨城県合同新年会に出席。
深夜3時過ぎまで生産者と語らい、そして歌った。
今日は頭が重い。
その合い間にも (どっちが合い間なのか曖昧なまま)、
この時期は管理者としてプレッシャーがかかってくる季節である。
来期の事業計画の策定、予算の検討、偉そうに部下の評価、などが迫ってくる。
内部で進めてきた検討事項もいくつかあって、年度末に向かって仕上げの議論へと進める。
それやこれやに忙殺されながら、内心気を揉んでいたのは天候である。
本当はこういうことを伝えなければならない、と思ってもいるのだ。
今季は比較的穏やかな冬のスタートで、
猛暑の影響を挽回するかのように野菜が押し寄せてきたかと思っていたら、
年末からやってきた寒波はまた出荷を不安定にした。
特に南のほうから 「寒い、寒い。野菜が伸びない」 の連絡。
こういう時にこそ情報が大事だと思うのだが、
はたして的確な情報提供が出来ただろうかと気になる。
僕らの農産物流通の最大のネックは、
生産者とは契約で、つまり 「約束」 をしているのに対して、消費者とは注文制であるということ。
特定の生産者と契約するということは、その地での天候の影響、畑の状況が
ストレートに反映されることを意味する。
スーパーマーケットなどで買い物をしていると分からないことが 「見えてしまう」 のだ。
一般市場流通では途中ではじかれてしまうようなものも入ってくる。
しかもこちらから生産者に発注する数量は消費者・取引先からのオーダーに基づくため、
「調整」 という作業がつきまとう。
計画出荷と言えば聞こえは良いが、今日はここまで、ちょっと待って、
ということが常時のやり取りになっている。
ひっきょう、やや伸びた葉物なども届いてしまったりするのだが、
生産者だけを責めるわけにもいかない。
誰だってベストな時に出したいのに我慢してもらったりしているのだ。
だから習志野センターに入荷した農産物を検品する職員から
「こんなのを出す生産者はいかがなものか」 とか言われると、
仕入担当は逆切れしたりする。
「良いものを寄こせ」 と平気で言える一般市場のバイヤーさんとは違うのだ。
天候不順とは、こんなふうに部署間のコミュニケーションまでギスギスしたものにさせる。
信頼関係はとても傷つきやすく、だからこそ上流からの情報が大切になるのだが、
これがなかなか・・・で、プロでありたいと念じつつ、
「だからと言って、これでは」 とか言われると口ごもってしまう。
安全・安心の保証とは生産者としっかり付き合うことで生まれるのに。
悔しい日々の繰り返しではあるが、
生産と消費の相互理解とは、僕らがよく口にする 「顔の見える関係」 とは、
システムではなく、日々の努力で築かれることを、忘れないようにしたい。
愛だよ、愛! 愛を持とう。
日々会員さんからのクレームを受ける会員サポート・センターでは毎朝、
今日の留意事項などを確認する朝会(朝礼のようなもの) というのが行なわれていて、
農産チーム(農産物の仕入部署) の職員も、去年の秋から週に一回出るようになった。
今年は一発目の11日に自ら名乗り出て、そんな話をしようとしてみたのだが、
時間が2分と限られていて、またお姉様方のキリッとした視線にも緊張させられて、
上手に話せなかった。
この場を借りて、お詫びとともに、釈明とさせていただきたい。
いつも丁寧なコミュニケーションにご努力いただき、感謝申し上げます。
最後は内輪話でスミマセン。
今年もこんなふうにドタバタと動き回ることになるのだろう。
ブログ・タイトルは実によく出来ていると自虐的に感心したりしながら・・・。
2011年1月 4日
子どもたちの未来のために
千葉・幕張より
- 皆さま、明けましておめでとうございます。
本日より仕事を再開いたしました。
ということで、ここは職務がら、生産者の方々向けに年頭のご挨拶を述べる形で
2011年の 「エビ・ブロ」 を開始したいと思います。
生産者の皆様
新年明けましておめでとうございます。
昨年は例年にも増して天候不順に悩まされた一年となり、皆様には大変なご苦労の中、
当会への計画出荷にご尽力いただきましたこと、改めて感謝申し上げます。
気候変動は地球規模で進み、温暖化対策もままならず、
一方で農業政策は明るい展望が示されないまま、この国は
グローバリズムの渦にさらに深く呑み込まれようとしています。
今年が平穏な年になる保証はできませんが、
皆さまと農作物にとって良い一年になるよう願わずにはいられません。
大地を守る会としても、基本理念として掲げた
「一次産業を守り育てる」 「人々の生命と健康を守る」 「持続可能な社会を創造する」
という社会的使命をまっとうするために、精一杯邁進していく所存ですので、
本年もご支援のほど、切にお願い申し上げます。
昨年は大地を守る会にとって、これまでの運動と事業展開から、
さらに一歩大きな社会的挑戦へとウィングを広げた年となりました。
東京駅や三越銀座店への出店、WEBストアの強化など、
多層な消費者層への提案の場づくりに向け、積極的に販売チャンネルの開拓を進めました。
販売形態の多様化は、皆様にも新たなお願いを伴うことでもありますが、
目的はひとつ、
ライフスタイルの核を求める消費者に、暮らしを安定させる土台は
" 信頼できる食 " であることを訴えることに尽きます。
宅配カタログだけでなく、百貨店の店頭やインターネット等を通じて、
安全な食こそ生活の基盤であることを訴えていきます。
時には皆さんの " 生きざま " もヴィヴィッドに伝えたいと思っていますので、
どうかご協力ください。
また地球環境問題への関心はますます、否が応にも高まっていきます。
低炭素化社会に向けて、生物多様性の保全など、
これらはすべて健全な一次産業が存立してこそ可能であり、かつ安定します。
" 農の力 " を社会に見せつけられるような一年にしたいものです。
いや、農の力って実は、食に対する総合的な民意度というか理解度というか、
いわば " 国の食力 " のような気もしていて、
そんな視点でも仕事を進めてみたいと、あれこれ悩んでいます。
有機農産物の市場も大きくなり、社会的影響力もずいぶんと増してきました。
これは一方で競争の激化ということでもあり、
それに伴って農産物の品質も問われることになります。
もちろん、わがままな品質要求はけっして良い関係にはつながりませんが、
かといっておろそかにすれば淘汰されるという情け容赦ない時代でもあります。
現実を無視した原理主義にはまることなく、またトレンドに流されて舵を誤ることなく、
皆さんの頑張りが消費者の信頼につながるよう、
より一層相互のコミュニケーションを豊かにし、また生産者会議なども
より有効な技術研鑽の場になるよう、工夫を重ねていきたいですね。
競争が奪い合いや他者への批判に陥ることなく、
社会のより良い形への変化と消費者の共感につながるような、
健全な競争に育てていくこと、これも大地を守る会のミッションだと自覚するところです。
課題は増える一方ですが、ひるむことなく前に進み、
この大転換の時代を切り開いてゆきたいと思います。
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射すあかるい台所が
ほしいと
(茨木のり子 「もっと強く」 - 詩集 『対話』 所収 - から)
子どもたちが、若者たちが、おおらかに希望を持てる社会にしたい。
そのためにできることを、ひとつずつ、成していきたい。
その決意を持って、新年のご挨拶とさせていただきます。
(埼玉県飯能市、武陽山 能仁寺にて)
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2010年12月30日
皆さまに感謝。 よいお年を。
本日を持って年内の仕事納めとさせていただきます。
本ブログをご愛読いただきました皆さま、有り難うございました。
ひぃひぃ言いながら、アップが遅れ遅れになりながらも、
何とか今年も続けることができました。
ひとえに皆さまの温かい感想や励ましがあったからこそです。
心より御礼申し上げます。
今年は農産物にとっては荒波と逆風の一年でした。
春の低温、夏の異常高温(北海道は加えて連続的なゲリラ豪雨) の影響は、
今も不安定な出荷となって続いています。
米は不作になったにもかかわらず米価は下がり続け、
とどめといわんばかりのTPP (環太平洋戦略的経済連携協定) 圧力。。。
5年ぶりに出された 農林業センサス は恐ろしい近未来図を描いていました。
何とかしたいですね、ホント、何とかしたい。
大地を守る会は、3月の東京駅 「大地を守るDeli」 の開店、
9月の三越銀座店への2店舗の出店、Webストアの刷新強化など、
新しい販売チャンネルの開拓を積極的に進めました。
組織的にはNGOと株式会社の合併の提案もありました。
設立35年を経て、新たな挑戦を宣言した年になった気がします。
本気で社会を、いや世界を変えたい、という決意を持って。
(工作舎刊,1800円+税)
35周年を機に出された藤田会長の本です。
その辺の意気込みが語られています。 ぜひ読んでほしい一冊です。
自分に任された分野では、いくつか新しい取り組みにチャレンジしました。
今までになかったような企業との連携も積極的に動きました。
お陰で思わぬ出会いと試練をたくさん経験しました。
時代は変わってきている、と肌で感じた一年でした。
人と人、価値と価値をつないで、1+1を 3 にする。
自分の仕事のイメージをより強く固めることができたように思います。
たくさんの出会いがあり、また別れもありました。
すべてに手を合わせ、感謝して、一年を終えたいと思います。
新しい年が皆さまにとって良い一年になりますよう。
暴飲暴食に気をつけて (深く自戒を込めて)、楽しいお正月をお過ごしください。
2010年12月22日
おきたま興農舎-ぶつかるプライドと醗酵の力
昼間の どぶ ● く は効いた。 「甘酒だよ~」 もないと思うが・・・
想定外の展開となった今回の出張。 しんどいけど、続ける。
あきらめも早いけど、しつこいところはかなりしつこいので。
12月12日(日)、午後。
蕪栗で千葉さんたちや専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーと分かれ、
僕は大潟村・花咲農園代表の戸澤藤彦さん(米プロのメンバーでもある) の車で
古川駅まで送ってもらう。
そこから福島経由で山形新幹線に乗り換え、夕刻、高畠町に入る。
次なるミッション(使命) は、
米・野菜・果物の生産団体-「おきたま興農舎」 の忘年会である。
忘年会といってもただ宴会をやるのでなく、昼からしっかりと勉強会も開いている。
農政の動きを分析したり、また地域での農業の活性化では実績のある先達、
JA北空知の元組合長・黄倉(おおくら)良二さんを北海道から招いて講演会を行なうなど、
なかなかに硬派の生産者組織である。
しかし僕が到着したのは、ちょうど勉強会が終わったところ。
トンネルを越えたら、そこはまた宴席だった・・・・みたいに。
しかもこれがまた濃い~い連中で、
二次会の途中からは生産者同士の熱い技術論議となり、いつ終わるともなく続いた。
僕はどうにもつらくなって、途中で轟沈とさせていただいた次第。
日頃から後輩に伝授している言葉を恥ずかしく思い出す。
「生産者より先に寝るんじゃない! 起きてくれている間はとことん付き合うのだ!」
くそッ、無念である・・・・・
興農舎代表・小林亮さんから後日届いた手紙には、こうあった。
「飲むほどに酔うほどに、腕(技) に自信ありの強者の一言が印象的でした。
- また一からやり直しだ -
大粒ぶどうやりんごでは、県内屈指の技術を持ち、かの 江澤正平さん との交友も
あった K 君の独り言に周りは頷きながら、また一口酒を運んでしまいました。
来る年に向けて、陽に焼けた輝かな笑顔を取り戻すべく、
また一歩前に進みたく存じます。」
今回嬉しかったのは、古くからの大地を守る会会員で、
「とくたろうさん」 のデザインや酵母の講座などでお世話になっている、
「ウエダ家」 の植田夏雄さんとご一緒できたことだ。
最初に来賓とかいう居心地の悪い席に座らせられたのだけど、
植田さんが隣だったこともあって、いろいろと酵母の話をうかがうことができた。
「ウエダ家」 さんはこのたび、
日本初の100%自然発酵フリーズドライパン種 -「乳COBO 88 おきたま」 を開発した。
山形のおきたま興農舎とCOBOのコラボレーション。
興農舎の無農薬米ササニシキをウエダ家が独自に自然発酵し、
フリーズドライにしたパン種。
自然発酵のフリーズドライは不可能と言われていた常識を覆したことで、
一切の添加物を使わなくとも、自然な香りのある、あまみ、うまみのあるパンが実現。
砂糖を使わなくとも、あまみがあり、
ミルクやバターを使わなくても、自然発酵ならではの風味があります。
しかも植物性乳酸菌のはたらきにより、雑味のない、胃もたれしない、
消化吸収のよいパンづくりが誰でもできるようになった。
パンは、日本人の食生活の第二の主食として、定着している。
質の高いおきたまの米を使うことで、ごはんのように毎日食べられる、飽きのこない
日本人の味覚とからだを育む無添加のパンがつくれる。 (HPより)
ウエダ家さんの主催する 「COBO 講座」 はチョー人気の講座だが、
最近は年配男性の参加も増えているのだそうだ。
僕もいずれ、酵母の奥深さを見極めてみたいと思ったりもするのだが、
まあ今の感じだと、、、定年後も生きていられたら、の話かな。
植田さんは、興農舎の無農薬米の 「生命力」 を、絶賛する。
こんな話も、会員の方に聞かせたいと思ったのだった。
翌13日(月) は、帰る前にラ・フランスの生産者、横山陽一さん宅を訪ねた。
11月にカタログ 「ツチオーネ」 の表紙を飾らせていただいたこともあって、
お礼も言いたくて伺ったのだが、あらためて話を聞くと、カタログで書いた宣伝文句も
けっして誇大広告ではないと思う。
-山形県で洋梨栽培が始まった100年前から代々続く洋梨農家の4代目。
的確なタイミングでの有機質肥料の投入や、
数年先の理想的な樹の形までを考慮した剪定など、
味に大きく影響する大切な作業を毎年ていねいに続けてきた~
「ラ・フランスを極めたい」 という横山さん。
農薬も相当に減らしてきた姿勢は、皆が一目置く 「ラ・フランスの師匠」 である。
課題として話題になったのは、洋ナシにかける袋のこと。
今では果物にかける袋には、だいたい農薬が塗布されている。
横山さんはそれも気にかけて、農薬処理されていない袋を探して使用しているのだが、
それは洋ナシ用のものではなく、薄くて撥水性も弱いようで、「どうもよくない」。
また色が白いので何故かカラスにつつかれるのだそうだ。
それによる被害は、「まあ、1割くらいはあるな」。
これはバカにならない数字だ。
大変な手間をかけてもこれでは、この袋で続けてくれとはなかなかに言いにくい。
「こちらもいろいろと情報を集めて、考えてみますから-」 といってお別れした。
打つ手は、ないわけではない。 動いてみよう。
技の話となれば果てしなく激論を交わし、
一方で緻密な努力を惜しまないプライド猛き生産者たち。
植田さんがいう 「生命力」 とは、込められた彼らの 「気」 だね、きっと。
彼らが 「オレのプライドにかけて」 というならば、
こちらも相応の気張りをもって応えていかなければならないということだ。
サル以下の、スキだらけの人生だけど、
ただ飲んだくれているわけではないっす、くらいは言っておきたい。
2010年12月20日
蕪栗視察・後編 -苦難のミッション
さてさて、楽しく飲んだ翌12日(日) のこと。
蕪栗視察団一行は、予定通り早朝のガンの飛び立ちを見るために早起きする。
しかし何故か・・・・・この朝の記憶が、ない。
ワタクシはガンを見たのでせうか。。。 ヤバイね、かなりヤバイ。
後になって参加者から聞いた情報を総合すると、こんな感じだったらしい。
朝5時半、宿のロビー集合。 僕はその前にしっかり歯を磨いていた、らしい。
太陽光パネル設置のキーマンとなってくれた (株)日本エコシステムの
本田一郎取締役も深夜から宿入りしてくれていて、一行は元気よく寒風の中出発した。
ところが僕はカメラを忘れて車中でひと騒ぎ。
しかしあきらめも早い性格ゆえ、 「引き返せ!」 などとヒンシュクを買うようなことはせず、
観念したあとはフツーに楽しく会話した、らしい。
現地・蕪栗沼に到着するや、颯爽とドアを開け車から降りたところ、
千葉さんから 「夜明けまで車の中で静かに待つ」 と教育的指導を受けた。
夜明けとともに数万羽のガンたちの飛び立ちが始まる。
僕はただ両手を広げてガンに手を振り続けていた、らしい。。。
たぶん口も開けっ放していたことだろう。 こういうヤツはいずれ路上で死ぬのだ。
宿の部屋に戻った途端に布団の上に倒れ、朝食タイムは爆酔、じゃなく爆睡状態で、
今度は出発する直前に起こされ、本田さんから
「カメラがロビーに落ちてましたよ」 と渡された。
ここからの記憶はある。
嗚呼、僕は雁と交感することはできたのだろうか。
そして次なる苦難 (?) が待ち受けていた。
10時から、千葉さんたちが地元集落で取り組んでいる
「農地・水・環境向上対策事業」 の集まりに、僕らは招かれていた。
この補助事業には 「消費者との交流」 というのが事業計画の細目にあって、
今回の視察はしっかり地元の 「交流事業」 に組み込まれてしまっていたのだった。
千葉孝志(こうし) のしたたかな段取り、あなどれない。
まあ、地元の方々にとってはいつでもやれる企画ではないし、
交流できる機会を用意していただけることは、我々にとっても有意義なことである。
- という建て前論はいいんだけど、
「簡単な挨拶を」 と千葉さんから言われてたのが、
いざ来てみれば 「30分用意してあるから」 とのこと。
神社の鳥居の中にある集落センターに集まってくる軽トラ軍団を見て、
俄かに高まる緊張感。
開き直ってからが勝負という人生を送っていても、、、頭が働かない。
ようやく気づく。 これは楽しい視察ではない。 仕事、重要なミッションなのだと。
日曜日ということもあって、子供たちも遊びに来る。
ロールベールサイレージらしきものに 「歓迎 大地を守る会」 とある。.
子供たちの落書きが始まる。
上手い・下手とか関係なく、自由に描けるうちに好きなだけ描くといいね。
で、会議が始まる。
僕と本田さんとで1時間。
時々頭の中が白くなりながら、壊れつつある脳に鞭打って、
なんとか言葉をつないでいく。
大地を守る会の概要の紹介から始まり、
今回の視察の目的、そして千葉さんの先進的取り組みへの敬意と感謝を述べ、
食の安全だけでなく地域環境や生態系の保全まで意識されて活動される
当地に対し、しっかりと食べることでつながらせていただきたい。
厳しい米価に加え、TPPやら何やら、いろんな問題が押し寄せてきているけれども、
生産と消費を強い信頼でつなぐことで、
「安全」 だけでなく、将来に向けての 「安心」 の土台を守り育てていきましょう。
そのためにも、地域の環境向上のために取り組んでいることを、
皆さんの口で積極的に語っていただきたい。
千葉さんの太陽光パネルの設置は、個人ではなかなか真似できないかもしれないけど、
それぞれに自分の手でできること、そして地域でできること、を編み出していってほしい。
・・・・・というようなことを語ったつもりだが、頭と口がつながっていたかは定かでなし。
本田さんは、夜の便で駆けつけてきただけあって、気合いが入っている。
国の自然エネルギー政策を批評し分析しつつ、未来社会づくりに向けての
太陽光発電の可能性とメリットを訴える。
「もし少しでも関心を持っていただけたなら、お配りしているアンケートにご記入いただいて、
大地を守る会さんにFAXしてください。 あとは戎谷さんがきちんと対応しますから。」
- そうきたか。
この場を借りて訂正申し上げます。
戎谷ではなく、我が自然住宅事業部が責任と誠意をもって対応させていただきます。
会議のあとは、楽しい交流会。
「農地・水・環境向上対策」 事業も、来年から政策が変更されることになっている。
集落単位ではなく、個人の取り組みに対しても助成が下りる形になる。
やりやすくなる面もあるだろうが、地域単位で取り組んできた事業にとっては
どんな影響が出るのか、気になるところではある。
戸別所得補償の是非やTPPなど、生産現場の感触もうかがって、
意見交換するつもりだったのだが・・・
お餅と一緒に出された 「甘酒」 にやられ(ドブロクだった) 、
不覚にも目をつむってしまったのだった。
さて、が続くが、
お昼過ぎに千葉さんや現地の方々と別れたのだが、
苦難のピークは、このあとにやってきたのだった。
しんどすぎる・・・・・。
2010年12月 8日
「都市の食」 ビジョン
時間は矢のように過ぎて、巷の空気はもう Merry Xmas だ。
30回目のジョン・レノンの命日がやってきて、街に HAPPY XMAS の曲が流れている。
老いた人も若い人も、肌の黒い人も白い人も、金持ちの人も貧しい人も ~
A very Merry Xmas , And a Happy New Year ~
War is over!
If you want it
War is over! Now!
歴史的アルバム 『イマジン』 と同じ年(1971年) に発売された、
ジョンとヨーコの 「愛と平和」 のメッセージ。
「 あなたが望むなら 戦争は終わる! ハッピー・クリスマス ジョン&ヨーコ 」
願いの込められた Merry Xmas を聞きながら、
昨日は午後から丸の内での会議に出向いていた。
新丸ビル10階 - いつもの 「エコッツェリア」。
ここで 「丸の内地球環境倶楽部 都市の食ワーキング・グループ」 という集まりがあって、
今年の春より 「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめる作業を進めてきた。
一方で丸の内シェフズクラブによる 「食育丸の内」 が展開されてきたことは、
この間お伝えしてきた通りである (直近では 10/18の日記 をご参照ください)。
「都市の食」 ガイドライン策定では、
『 " 食 " を通じた 「都市」 と 「生産地」 による持続可能な環境共生型の地域づくり 』
を目的として、次のようにポイントが整理された。
◆消費者のために・・・ ①おいしい食 ②安全・安心な食 ③身体にいい食
◆つながりを取り戻す食・・・ ④自然とつながる食 ⑤人とつながる食 ⑥地域とつながる食
◆大丸有だからできる食・・・
⑦本物を知る食 ⑧創造力を育てる食 ⑨世の中を変える食 ⑩自分でつくる食
このガイドラインを形にしてゆくために、提供者・流通者がそれぞれに行動指針を持ち、
具体化に向けた検討の段階へと進む。
昨日はそのための、改めての検討会の立ち上げである。
第1回 『 「都市の食」 ビジョン具体化に向けたまちづくり検討会
-大丸有 食の低炭素化と自立に向けて- 』
予定では2月の第3回までの間に骨格をつくり上げる計画だ。
いわば第2ラウンド、根幹となる物流の仕組みづくりとなり、
僕はステークホルダーとかいう立場で引き続き関わらせていただくことになった。
ビジョンに賛同する生産者とレストランを、それぞれの立場や都合をマッチングさせながら、
しかも効率や環境負荷にも考慮しながら、結ぶことができるか。
価値のネットワーカーでありたい、などと偉そうなことをほざいてきた者の
まさに真価が問われる場になってきた。 血が騒ぐ・・・
検討会の座長は金沢工業大学産学連携室コーディネーター・小松俊昭さん。
ステークホルダーには、環境省や農水省、東京都も参画している。
第1回目の検討会はお互いのイメージや課題を出し合うような形となったが、
次からいよいよ本格的な議論になる。
会議終了後、ビジョンとガイドラインに沿った食材の試食会が持たれた。
東京都内の生産者の野菜、八丈島の海産物を、
フレンチのお店 「イグレット丸の内」(新丸ビル5F) の市川健二シェフが
素材の特徴にあわせて調理してみせてくれた。
そして大地を守る会は、テッテイして国産にこだわった食材の提供として、
東京駅エキュートのお弁当・お惣菜店 「大地を守る Deli 」 からのケータリングで協力。
国産素材だけで色々なラインナップが可能です、という提案。
ただ Deli はケータリングの体制を持ってなく、また初めての年末体制ということもあって
神経ピリピリ状態だったのだが、何とかイレギュラーなオペレーションをこなしてくれた。
容器等は一般品でご容赦願う。
産地・生産者グループが特定でき、フードマイレージも表示できる。
フードマイレージについては、広報室・大野由紀恵が説明する。
畑とレストランそして消費者を結ぶ、しかもガイドラインで示された理念を体現する形で。
自給率の向上に、食文化の発展に、そして食べる人の健康や豊かさの実感にも貢献する
新しい仕組みづくり。
いろんな視点での " 結び " の作業が、これから始まる。
2010年11月25日
晩秋の紅
呑気に振り返っているうちにも、秋はどんどん深まっていく。
(ホントは焦ってんだけど・・・)
山は紅く 紅く色づいて
すすきが風に 風にゆれている
朝はとても冷たい もうすぐ冬が来るね ♪ (岡林信康 「26ばんめの秋」)
田んぼスケープ に全国各地の田んぼ風景をアップしてくれている田んぼリポーターさんも、
深まりゆく秋の画像を投稿してくれている。
新潟県十日町の棚田。
あたり前のように調和した風景。
田んぼ一枚一枚が、水を貯える装置になっている。
島根県安来市の田んぼにはハクチョウがやってきている。
いのち育む田んぼ。
今の米の値段には、それやこれやの価値は考慮されない。
米づくりが放棄された途端に失われるものの大きさを、この国は顧みようとしない。
さて、振り返りを続ける。
16日(火)、六本木で行なわれた 提携米研究会 の定例会議に出席。
米をめぐる厳しい情勢に対する分析も大事な議題だが、
今回もっとも時間を割いたのが、
TPP (環太平洋戦略的経済連携協定。環太平洋パートナーシップ協定とも) である。
問題の論点整理を慎重に検討した。
このテーマは、いずれきっちりと。
夜はみんなで一席。
庄内協同ファームの佐藤和則さんが、自身で育てた無農薬米 「いのちの壱」 を原料にした
日本酒を持参されたので、いただく。
純米酒 「龍鯉伝説」。
大切にされた鯉が死後、龍になって主人の窮地を助けたという中国の故事だが、
日本にも龍鯉の伝説は各地に残っているらしい。
和則さんはこの酒に、一昨年に亡くなった師匠・斉藤健一さんの姿をダブらせている。
いつか約束した 「雪の大地」 の復活に向けて、彼の決意は熱いままだ。
続いて18日(木)、
大地を守る会の消費者会員が主体となって運営する大地サークルのひとつ、
「港北大地サークル」 の集まりに参加する。
「" 大地を守る会を知ろう " シリーズ-農産グループ編」 の第2回目。
1回目は7月1日に行なったのだが、大地を守る会の農産物の話となると
1回ではすまず、「もう一回」 の要望が上がったのだった。
場所は川崎の武蔵小杉。
10数人で輪になって (正確にはテーブルを四角にして)、
和やかに、かつ真剣に (ほとんどこっちだったか)、意見交換を行なう。
話題は、現在検討を進めている野菜セット 「ベジタ」 の改定について、
新しく商品開発した乾燥野菜 「はたまる」 を育ててほしいこと、
そして今年の北海道の玉ねぎの大不作と厳しい供給対策の話、などなど。
最後は交流局のNが 「もう一回やりたいねぇ」 と、ニヤリとする。
こちらはもちろんいつでも受ける用意はある。
いや、ちょっと、考えさせてくれ・・・・・ けっこうしんどいんだよね、こういうのも。
やるなら、日本の食と農業の行く末を語り合いたい、と思う。
この国の里の秋の風景だって、タダじゃない。
地方にごく少数の大規模農家が残ったとしても、
景観や水系、要するに環境は、維持できないのだ。
そのツケはいったい誰が払うことになるのか。
子供たちに残すはずの保険すら、この時代は切り崩している。
晩秋の紅が、何かを訴えているようで、切ない。
2010年11月19日
金沢-内灘の干拓地に立つ
もたもたと振り返っている間にも、時間は矢のように過ぎてゆく。
すっ飛ばしたくもなるが、たまにはこんな感じで、
この間の出来事を流してみることにする。
11月3日、秋田行きを断念してコモンズ主催のシンポジウムに出かけた日。
別働隊はしっかりとブナの植林に汗を流してきてくれた。
冷たい雨の中での作業になったようだ。
去年はたしか雪の中での植林だったね。
本当に寒そう。
でも、この粘り強い森づくりが、生命の水源を豊かにしてくれるはずです。
皆様、お疲れ様でした。
翌4日(木) は、農産グループの歓送迎会が開かれる。
優秀な中堅職員が2名、会員からの質問やクレームに対応する部署に異動して、
代わって物流センターの業務を長くやってきたスタッフが移ってきた。
こうやって地道に組織力を高めていくのだ。
7日(日)、埼玉県熊谷市(旧妻沼町) の岡村グループ元代表、
岡村雅夫さんの奥様、良子さんの告別式に参列する。
「とにかく働きまくり」 と言われた雅夫さんがちっちゃくなった感じがして、つらい。
この男にこの妻ありと言われた豪快な奥さんだった。
この時代、69歳という若さでの逝去はこたえる。
岡村さんから頼まれたので、指名焼香(会長指名の代理で) を受ける。
9日(火)~10日(水) は、石川県金沢市に出張する。
NPO法人有機農業技術会議 主催 「第8回有機農業公開セミナー」。
今回のテーマは 「大規模稲作を考える」。
大面積を経営する稲作農家にも、有機農業は可能である。
有機農業技術会議代表理事の西村和雄さんが水田雑草の諸問題を整理し、
栃木・民間稲作研究所の稲葉光圀さんが、
いかに作業効率よく有機稲作を実践するかのモデルを提示された。
地元・石川県や滋賀県の実践農家の発表があり、
僕は流通の立場から、
有機JASの認証以上の価値を創造しなければならない時代に入っていることを
訴えさせていただいた。
生産者の間では、農業政策へのビジョンが示されないままでの
TPP(環太平洋パートナーシップ) への不安やら
販売側からの値下げ圧力なども相まっての不信の声ばかりが聞こえてくるが、
「ここに有機農業がある価値」 をこそしっかりと捉え直したいと思うのである。
二日目は、金沢市有機農業推進協議会代表の井村辰二郎さんのほ場と
農産加工場などを視察する。
石川県中部・金沢平野にある河北潟の干拓地で、
父の代から麦と大豆の二毛作に取り組む。
初めて訪れた河北潟干拓地。 ここも戦後、政治に振り回された土地だ。
朝鮮戦争の最中、米軍の試射場に指定されて激しい反対運動が起きた。
「内灘闘争」 と呼ばれ、五木寛之の小説 「内灘夫人」 の舞台にもなった場所。
干拓して多くの農民が大規模稲作を夢見て増反した後、
減反政策によって 「米をつくるな」 となってしまった。
冷たい風と刺すような雨に、ここでの農業の厳しさを想像する。
井村さんは耕作放棄地を見ると我慢できない、と言う。
条件の悪いところでも耕作を引き受け、また農産加工にも取り組んでいる。
大規模は大規模で、自立した経営を目指すことはなかなか試練の道だと思うが、
強い意志と持続するパワーには脱帽である。
森を育て、耕作放棄地を耕しながら農産加工に取り組む農民たち・・・
いまこの国の食と農業の土台部分を鍛え直しているのは、有機の世界である。
間違いない。
小松空港と会場の行き帰りの足は、
小松市の有機米の生産者、橋詰善庸さんにお世話になってしまった。
セミナーのプログラムに僕の名前があったのを見て、送迎を買って出てくれたのだ。
橋詰さん、お気遣い有り難うございました。
2010年11月17日
昔、芸術家やヒップな奴らがいた時代
さて、振り返り-その3。
35周年のパーティ終了後も、生産者は大人しく帰るわけではなく、
2次会-3次会、最後はカラオケへと突入する。
そして少々だるい体を引きずりながら、
11月1日(月)の夜は、懐かしい顔ぶれと飲むことになる。
四半世紀も前。 本部が調布市深大寺にあった80年代中頃の話。
調布センター敷地内の一角につくったお店に、アルバイトでありながら店長のような顔をして、
きわめて自然に馴染んでいた芸術家の男がいた。
たしかアルバイト中に何とかという新人の登竜門的な賞をとったはずだ。
名前は落合滋規、 " おっちゃん " と呼ばれてお客さんからも愛されていた。
いつの間にか音信も途絶えてしまったのだが、
彼が亡くなったという知らせを受けたのが一年前のこと。
遅ればせながら、久しぶりにおっちゃんを偲んで集まるか、ということになった。
藤田会長以下、" おっちゃんと過ごした " 記憶を持つ仲間たちで。
35年という感慨も、その気にさせたのかもしれない。
場所は 「山藤」 広尾店。
呼びかけ人はやはり同時代にアルバイトで店番をやってくれていた版画家
" チカちゃん " こと後藤千香子さんと、長谷川満取締役 (おっちゃんの写真を掲げる二人)。
チカちゃんは今、大分・湯布院に根づいて芸術活動の日々を送っている。
集まってくれたのはこんな連中。
インドやら南米やらを旅していたヒップなヤツ。
その風貌から、みんな敬意をもって " 和尚 " と呼んでいた。
デラシネ(根なし草) のように生きていくのかと思っていたら、
意外や故郷の神戸でパソコン教室など開いている。 「わしは何もできへん」 と言いながら。
震災に遭ったときに、調布センターそばに住まわれていた会員さんから
激励のカンパをもらったという。 神戸で--そうか神戸で、腹を括ったか。
二人一緒に大地を辞めて、長野に移り住んだ男と女。
いろいろやった末に、自称・自然農を営みながら木工やらなんやらで生きている。
今もアルバイト生活をしながらライブにかけているという半アーティストは、
スキンヘッドになっちゃっている。
僕と同時入社だった女は北海道で助産婦さんだ (僕は彼女の補欠合格だった)。
ダンナ (ほぼ同期の配送員) は未だに厳しい北海道の農民になり切れない様子なのだが、
それでも不思議に仲良く暮らしている。
などなど、当時の若手(僕らの世代) も50を越えて相応に老けてしまったが、
意外にも風貌や醸し出す空気はそのままだった。
貧しくてもなんだか楽しくて、汚くてもやけに明るくて、
世間知らずだから怖いもんなしで、せわしなく騒ぎながら夜中まで働いていた。
夢を語り合っているうちに、いつも喧嘩になって、
そして誰かがギターを弾き出して、よく歌った。
おっちゃんは売れ残った野菜でエスニックなスープなどを作ってくれたりした。
調布センターに移った頃、僕は広い倉庫に感激して、
ここを拠点に文化運動をやろう、なんて青いことを提案した。
つけたタイトルが 「深大寺文化フォーラム」。
一回目は水俣の映画上映会。 監督にも交通費程度で出張ってもらって、
今思えばかなり贅沢な企画、、、いや冷や汗が出る思いだ。
おっちゃんに描いてもらったチラシを近所に配って回ったりした。
そんな調布センターも、みるみる狭くなっていった。
大地を守る会はしっかりと高度成長期に入っていたのだ。
モンペ野郎が汚いトラックで食べものを運ぶ良き時代は終焉に向かっていた。
そんな時代を生きた者たちの、昭和チックな同窓会となった。
おっちゃん、ありがとう。
晩年、おっちゃんが俳句を詠んでいたことを知らされる。
酒一生 とりちがえたる 虎魚(おこぜ) の身
- 落合六歩 -
35周年をおっちゃんが見たら、何と詠むだろう。
時代や立ち位置は変化しても、流されていることに気づかなかったり、
自分の中にある大切なものを知らずに失うことだけは、絶対に戒めたいと思う。
怖れなければならないのは、かつての時代を共有した奴らから、
いつか・・・「オレのほうが真剣に生きたよ」 と見つめられることだ。
2010年11月14日
35周年-" 新たな挑戦の時代 " が始まっちゃったよ!
" しんどい " 日記を表題に掲げてきた我がブログとしては、
この一日をスルーさせるわけにはいかない。。。 しんどいけど。
10月30日(土)、加工食品製造者会議の翌日、
NGO大地を守る会の臨時会員総会と (株)大地を守る会の臨時株主総会をやって、
35周年記念パーティへとなだれ込んだ長~い一日の話。
会場は千葉・幕張、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張。
朝10時から午後2時までNGOの総会、午後3時から株主総会。
議案は他にもあったが、議論はほぼこの一本に絞られている。
NGOと株式会社の合併である。
ともに時間をオーバーして審議いただいた。
最終的に承認をいただいたものの、
現時点ではまだ合併後のかたちが見えないことが、
会員の不満や不安を激しく募らせたように思う。
特にNGOで展開してきた運動面がどのように組織内に位置付けられ、
会員の活動が保証されてゆくのか。
35年続いてきた、" 運動体と事業体を車の両輪として展開させる "
という組織論の発展的転換。
これを進化と言われてもイメージできない、というのも尤もなところだと思う。
組織論というのは、未来永劫にわたってこれこそが正しいと言い切れるものはなくて、
社会状況とともに変化させることも必要になる時がある。
NGOと株式会社が時に別々に切り分けられて語られることに対する漠とした不安は
僕らの中に常にあったし、この組織において、NGOだけが美しく存在し続けることは
実態としてあり得ない。
大地を守る会は " 無農薬の大根一本を、つくり、運び、食べる " 運動から始まったのだし、
会員は生産者と消費者 (と事業体の社員) なのだから。
一方でひとつになればなったで、
事業体が持っている宿命的な業(ごう) に運動面が引きずられ、
その健全性が維持できるかという不安も生まれる。
だからこそ2年前、僕らは会社の定款に
「 『自然環境に調和した、生命を大切にする社会』 の実現を目指す社会的企業」
であり続けることを、憲法の前文のように付記した。
" 設立時の理念を本業のなかに血肉のように浸透させ、たたかい続ける企業となる "
宣言である。
とは言ったって、どんな形にしても、要(かなめ) は構成員の意思の持続性にかかっている。
加えて、将来的に会社の上場を目指すという大胆な表明もあり、
両総会は合併と上場論議とが交錯しながらの進行となった。
「今はまだ、(上場は) 少年が東大に入ると宣言したようなものですから・・・」
という会長説明もなかなかだけど、
こういう事業にこそ社会は投資すべきではないか、
と言い続けられる事業が展開できたなら、それはそれで挑戦に値する、という思いはある。
これは囲碁や将棋でいうところの、驚くべき次の一手、新手である。
この 「承認」 は期待の大きさとともに、責任の重大さの自覚が求められた決議であることを、
僕らは肝に銘じなければならない。
35周年宣言の起草に関わった者が言うのも恥ずかしいが、
自分の現役中にここまで来ようとは、とても思わなかった。
時代の変化はスピード感を増している。
それだけ大きな社会的期待を受け止める決意表明をしたわけだ。
社会変革を目指す運動論をエンジンに据えた事業体を、
僕らはビジョンとモラルを持って走らせなければならない。
世界を席巻するグローバリゼーションを前にして。
35周年。
よくぞここまで、で終わるわけにいかない。
新たな時代を拓く、厳しい船出を、とりあえずみんなで励まし合う。
ご参加いただいた皆様、有り難うございました。
生産者を代表して、設立時からお付き合いいただいたお二人から
ご挨拶をいただく。
静岡県浜松市のお茶の生産者、樽井ちえ子さん。
北海道江別市、じゃがいもの生産者、金井正さん。
そして、加藤登紀子さんはビデオ・レターでメッセージを送ってくれた。
藤本敏夫・登紀子夫妻の遺伝子を受け継いだ、八恵ちゃんが謳ってくれた。
彼女を見ると、配送員時代 を思い出してしまう。
オレも頑張ったよ、と言いたくなっちゃうのだ。
記念のケーキを用意してくれた、ムーラン・ナ・ヴァン の加藤パティシエにも感謝。
最後は、職員が並んで皆さんをお見送り。
感謝と、次の時代への決意を込めて。
ガンバローね、みんな。
2010年11月13日
「はたまる」- " もったいない " 以上の価値を創造したい!
遅れ遅れでも書き綴っていこう、なんて殊勝なことを言いながら、
どうにも手が回らなくなってしまっている。
近しい人の不幸もまだどっかに引きずってしまっているのか、
モヤモヤした疲労感も消えない。
しかしこのままだとまったく書けなくなるので、
この間の出来事をざっくりと、細切れ的にでも振り返る形で近況報告に代えたいと思う。
一件一件それぞれに書き応えのあるネタなんだけど、
抱えてしまうとなかなか前に進めないし。
マージャンで言うところの、一役(イーハン)下げて上がれ、って感じで。
さて、話の前後はかまわず、途中端折ってしまったこのあたりから。
10月29日(金)、大地を守る会の臨時総会&35周年記念パーティの前日。
千葉・幕張で加工品製造者会議が開かれる。
僕は農産担当なので関係ないように見えるが、
実は加工品の原料供給という形で深い関わりがある。
当会の加工食品は原料から " 顔の見えるもの " を目指しているので、
当会生産者会員のつくった農産物を使用していただいているものが数多くある。
そこで会議の途中に割って入ってPRしたのが、
いよいよ新製品が登場するはこびとなった 「はたまるプロジェクト」 による乾燥野菜である。
畑で発生する規格外の野菜や傷がついてしまった果物から新しい価値が生まれる、
あるいは豊作時の余剰対策としても活用する強力な武器に育てたい。
ここにどうしても登場いただかなければならないのが、加工のプロの技である。
農業生産と食品加工が力強く連携して、魅力ある食品を開発してもらえないか。
" もったいない " 以上のものを!
15分のプレゼンだったが、意気に感じてくれた、あるいは面白がってくれた方々から、
200件を越えるサンプル依頼が、一週間で入った。
これは僕らのネットワークの威力を表現するものにもなるはずだ。
さて、はたまるプロジェクト第1弾の開発商品は3品。
生姜とワサビのパウダー、そしてトマトのスライス。
関係者でハイタッチしたくなるほどのオーダーをいただいたのだが、
なんと・・・・・本番になって原料供給が間に合わず、
一部の方々には一週遅れのお届け、となってしまった次第。
先週はそのフォローでウロウロしてしまったのだった。
しかし、これはけっしてズッコケなんかじゃない!!!!
規格外品と付き合うというのは、こういうことなのだ。
僕らは誰もやらなかったことに挑戦しているのだ。
" 産みの苦しみ " と言い訳させてもらいたい。
---と、すぐに開き直るのが我々の青臭いところなんだけど。
( 勤務時間を度外視して作業にあたっていただいたジェイラップの皆様。
深く感謝します。 )
ところで、製造者会議ご担当の方々。
記録写真ぐらい撮っておいてもらいたいです。
画面が寂しいので、ブナの絵でも-
(11月3日、「秋田・ブナを植える集い」 から。撮影:西田和弘)
では次。 大地を守る会の歴史的一日となった10月30日。
さて、、、どうまとめればいいのかしら ・・・
2010年10月31日
世界のシェフ・三國清三、「フランス共和国農事功労章」 受章
同い年の友人が一人、逝っちゃった。
いつもブログを読んでくれてたヤツ。
西洋医学を拒否しながら生き、ついに議論を尽くせないまま旅立ってしまった。
どんなに後悔しても帰ってくるわけではなく、茫然自失している暇もなくて、
昼間は仕事で気を紛らわせながら、でも夜になると、
無理矢理ヤツを枕元に呼んでは対話を試みたりして。
「いつも楽しみにしているから」 と言ってくれてたのを思い出し、
おとといの夜も夢の中で急かされてしまったので、ようやく気を取り直して、
命日(23日) の日に途中まで書いて放ってしまった日記をアップする。
これからも遅れ遅れしながら、日々の " しんどい " を綴っていこうと思う。
読んでくれよ、とヤツの目を意識しつつ。
さて、二つの臨時総会をやって夜は35周年記念パーティという、
昨日の長~い一日の話はあと回しにして、この一枚から。
ヤツが亡くなる前夜だということが、今となってはとてもつらいのだけど、
僕はあるパーティに呼ばれて、楽しい時間を過ごしていたのだ。
このところ、丸の内での取り組みなどでご登場いただいている
東京・四谷 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ、三國清三さんが
フランス共和国から 「農事功労賞オフィシエ」 なる素晴らしい栄誉を授与された。
フランス食文化の普及に大きな功績を残した、と認められた人にのみ与えられる勲章である。
そこで22日、 「オテル・ドゥ・ミクニ」 の25周年とあわせての祝賀会が催されたのだった。
祝賀会の呼びかけ人代表である大御所・服部幸應さんも入ってくれて、
記念の一枚を頂戴する。
胸の勲章が光っている。
サイズにも美というものがあるのだと思った。
食育の提唱者である服部さんからは、大地を守る会への熱い期待も頂き、身が引き締まる。
会場となったレストラン 「ミクニマルノウチ」 には、
たくさんの料理人や食に関係する専門家、メディア関係者が参集された。
お歴々の会話にさりげなく登場する人物の名前もスゴイのだが、
僕がただ尊敬するのは、地元・東京野菜に光を当てようとしてくれる
三國さんの姿勢である。
今日も並べられた東京野菜。
小平・川里さんの名前も登場する。
料理の写真はあまり撮らないので (表現も下手なので) 控えるが、
味の素晴らしさはいうまでもなく、
肉も魚も果物も、東京産で披露されたところに、
三國シェフの強い意識が感じられる。
フランス食文化の真髄は、調理への探求だけではない。
どんな国際交渉にも毅然と対峙できる " 我が文化への誇り " を持て、ということだと
僕は感じてしまうのだった。
そしてまたしても、恐るべきサプライズ! に立ち会うことになる。
「今日はもう一人、お客さんが来ています」 と三國さんに呼ばれて登場したのは、
なんと、世界の巨人! ではないか。
20世紀最高の料理人と謳われる
" フレンチの神様 " ジョエル・ロブションさん。 生で見る神様。
どんな挨拶をしたのかは覚えてない。
ただ江戸野菜のカブや大根を生でかじって、
頷きながらコメントをしていた姿だけを記憶している。
北海道増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、
中学卒業と同時に料理の世界に飛び込み、" 世界の食 " の頂点まで登った男、三國清三。
記憶の底にあるのは、働き者の母の、台所での包丁の音だという。
帰りに頂いた一冊のレシピ本。
飾らない、でも極上の " 家庭でフレンチ " 。 僕でも出来そうなレシピが嬉しい。

(小学館刊。 1300円+税)
この夜、僕が三國さんと語り合ったのは、来年から本格的にやりたいと言う
「味覚の一週間」 である。
そして僕の脳裏に浮かぶのは、たとえばこんな言葉である。
「 運よく豊かな食物とともに生きることになった私たちにとって、問題は移り変わっている。
大昔からの料理への依存を、より健康的なものにしなければならない 」
( リチャード・ランガム著 『火の賜物 -ヒトは料理で進化した』、NTT出版)
「 おそらく食は、グローバル化が脅かす様々な価値、たとえば地域特有の文化や
アイデンティティ、そして風景や生物多様性の存続を力強く象徴するものなのだ。」
「 アメリカ人が自分をトウモロコシの民族だと考えないことは、
想像力の欠如か、資本主義の勝利、あるいはその両方を少しずつ意味する。」
「 まっとうなことをするのは、最も楽しいことであり、
消費という行為は、引き算ではなく足し算的な行為なのだ 」
( 以上、マイケル・ポーラン著 『雑食動物のジレンマ』、東洋経済新報社)
2010年10月18日
イタリアンの国産米粉パスタ饗宴-東京野菜で応援!
東京駅前・丸ビル1階にある 「丸の内カフェ ease (イーズ)」 にて、
今日から始まった食のイベントをご案内させていただきます。
4名のイタリアン・シェフが、
国産(新潟産)米粉と東京野菜・東京魚を使ったオリジナル・レシピで競演する
「秋の情熱 ご馳走パスタ」 。
米粉にアモーレ!
期間は本日18日から31日までの2週間。
前半(~24日)が、「イル ギオットーネ」 笹島保弘シェフによる
「金目鯛と東京野菜のもっちもち米粉タリアテッレ」、
そして西麻布 「アルボルト」 片岡譲シェフによる
「米粉のスパゲティ ~フレッシュトマトソース、伊豆七島のイサキと共に~」 の2品。
後半(25~31日)が、「アンティカ オステリア デル ボンテ」(丸ビル36F)
ステファノ・ダル・モーロ総料理長による
「米粉のタリアテッレ ~豆乳スープ仕立て、金目鯛と東京野菜のメリメロ~」、
そして「Essenza」(丸ビル5F) 原田慎次シェフによる
「チェリートマトと水菜の米粉ペンネ、イサキのカリカリポワレ添え」 の2品。
いずれもミニサラダ、米粉のシフォンケーキ、ドリンク付きで1,000円。
ランチ企画なので時間帯は11:30~14:00まで。
丸の内を舞台に展開されている 「食育丸の内」 のランチ企画第3弾となった本企画。
今回のテーマは、「都産都消」 そして 「食料自給率UP」。
いずれもそうそうたるシェフのオリジナル・レシピに、
東京有機クラブ(阪本啓一、川里賢太郎、藤村和正) の水菜と小松菜で参画しています。
夕方、「丸の内カフェ ease」 を訪ね、望月料理長から初日の反響をお聞きする。
反応は上々で、想定した二日分くらい出ちゃったとのこと。
「モノも良かったですよ」 にホッとする。
「食育丸の内」-
「大人の食育」 を掲げ、 まずは大人から食に対する知識を持つこと、
そして生産者・消費者・レストランの連携によって、
" 心身ともに健康になる社会づくり " を目指して活動を展開しようというプロジェクト。
旗振り役は、丸の内エリアに出店しているレストランの
オーナーシェフたち26名で構成する 「丸の内シェフズクラブ」。
会長は大御所、服部幸應さん。
ジャンルを超えて情報交換をしながら、食に関する新たな提案を仕掛けている。
「食育丸の内」 活動の推進母体である 「丸の内地球環境倶楽部」 では
「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめようとしていて、
僕もその検討委員会に参加させていただいている。
東京のど真ん中で提供する 「食」 とはどういうものであるべきか。
そのビジョンとモデルづくりは、けっしてモノが集中する都市の我がままではなくて、
東京だからやらなければならない責任の表わし方にもなるだろう
と思って、参加してきたつもりだ。
おいしい食、安全・安心な食、身体にいい食、自然とつながる食、
人とつながる食、地域とつながる食、本物を知る食、創造力を育てる食、
世の中を変える食、自分でつくる食・・・・・と、ようやく
" 10のビジョン " としてまとめられようとしている。
ビジョンは言葉で終わるものでなく、それに基づいた行動指針が策定され、
生産と消費をつなぐ魅力あるプランを、具体的に創出させていかなければならない。
国産の食材を大切にする、食の安全性や環境にも配慮する、は当たり前の柱として。
今回のランチ企画に合わせてくれたのか、
今日、ネット・マガジン 「丸の内ドットコム」 に、
シェフご推薦の東京野菜生産者として、川里弘・賢太郎親子がアップされた。
こだわり食材と出会える 「青空市場 × 丸の内マルシェ」 のコーナー。
「シェフをうならせる東京の食材の実力」 -小見出しも嬉しい。
よかったら覗いてみてください。
先月、取材の記者さんをお連れした時の様子。
8月のミクニマルノウチでの試食会で好評を得た川里さんの島オクラ。
実は9月にシェフズクラブのレストランからリクエストが入ったのだが、
「もう終わりなんです。 残っているのも 『山藤』 の契約分のみしかありませ~ん」
ということで、来年に向けての応相談となった。
トップ・シェフが 「採用しよう」 なら、こっちは 「じゃあ作ってやろう」 である。
美しいビジョンを実現させるにも、この人たちをつなげなければならないわけだ。
流通者(ネットワーカー) の苦労は、そのためにある。
さて、その足で新丸ビル10F-エコッツェリアに向かう。
夜は 丸の内地球環境倶楽部 主催 『地球大学アドバンス・第35回』
- TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン。
今回のゲストは、丸の内シェフズクラブのコーディネーターであり、
都市の食ビジョン・ガイドライン検討委員でもある、
「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんだったのだが、
すっご~いサプライズ! つきのセミナーになったので、明日はその続きを。
2010年9月24日
ハスモンヨトウにカメムシに・・・
ミツバチ問題の整理に手こずっているうちに、
産地から悲鳴のような連絡が相次いで入っている。
ハスモンヨトウが全国的に発生して、畑を食い荒らしているのだ。
千葉からも茨城からも埼玉からも、
キャベツに定植した途端に寄って来た、あっという間に食われた・・・という連絡。
そしてなんと、東北・宮城からも。
登米市中田町で、大規模に有機大豆栽培を手がける高橋伸さんから
写真が送られてきた。
有機の小粒大豆畑が一面、白くなっている。
被害は10ヘクタール強に及ぶという。
葉にとどまらず鞘まで食いつくしている。
有機許容の薬剤で何かあるか・・・・・
来年以降の対策として検討しておきたい、と。
そしてひと言 - 「共存も難しい」。
ハスモンヨトウ。 漢字では 「斜紋夜盗」 と書く。
その名の通り斜に紋があり、夜になると土中から現われ、
植物の科目を問わず、貪欲に何でも食う。
「深夜に、むしゃむしゃと夜盗が食べている音が聞こえてくるんだ」
と聞いたことがある。
こういう奴 (yahoo 画像より拝借)。
成虫になった蛾は、こんな格好。
こいつの発生は年によって差が大きく、特に夏の高温少雨の年に多発生する。
発生のピークは9~10月。
まさにこの夏の酷暑を反映して、狂ったように異常発生している。
山口県では県内全域に注意報が出されている。 平年の倍以上だとか。
しかし耐寒性は弱いと言われていて、北日本での被害は少ないはずなのだが、
これも今年の全国的高温の影響と思われる。
特に大豆畑では突発的に大発生することが知られている。
土壌が肥沃なコメからの転換畑だとさらに生育が盛んになる。
ハスモンヨトウは幼虫が大きくなると、どの農薬も効き目が弱くなる。
そこでクモ類などの天敵を殺してしまうと、さらに大発生を誘引してしまう。
おそらく全国各地で夜盗退治の農薬が散布されていることだろう。
天敵の死滅という悪循環に陥ることも怖いが、
こういうときはまた例によって農薬を撒かない畑との対立も生まれたりするのだ。
今年の 「かけろ」(農薬を撒け) 圧力はかなり強いのではないだろうか。
昔よく聞かされた、
「お前がかけないから、虫が発生する」
「冗談じゃない。 みんなこっちに逃げてくるんだ」 という争いが想起される。
甚大な被害を被った高橋さんの大豆畑。
想定被害額は・・・僕の口からはいえないので、
有限会社NOA 専務、 高橋伸のブログ をご覧いただきたい。
この地の状況は他人事ではなく、私たちの日々の小粒納豆の話だと思ってほしい。
そして、カメムシである。
こちらもまた同様、暖地型カメムシが東北で増殖している。
その名は、アカスジカスミカメ。
秋田県で8月下旬に注意報が出されている。
8月中下旬に実施された県内100地点でのすくい取り調査で、
寒地型のアカヒゲホソミドリカスミカメは平年並みなのに、
アカスジは平年の5倍、しかも広域に確認されている。
2007年から増加傾向だという。
確実に温暖化とともに北上してきている。
積雪量の減少で、越冬しやすい環境にもなってきているようだ。
気温の上昇は世代数を増やし、発生量・種類ともに増加してゆく。
今年はアカヒゲよりアカスジによる斑点米増加が懸念される。
県の病害虫防除所での指導薬剤は、ネオニコチノイド系農薬である。
害虫と防除の繰り返しは確実に生態系の衰弱につながっていくのだが、、、
この夏の結果は、彼岸を越して、さらにさらに焦燥感を募らせるね。
2010年9月12日
価格より価値の競争をしたい
大地を守る会のオリジナル日本酒 「種蒔人」 を背負って
水源に感謝を捧げる飯豊山 (いいでさん) 登山は3年続けて叶わず、
祝島ツアーもお断りして、夏休みも取れないまま9月に入って
あっという間に11日の三越銀座店オープンを迎える事態となり、
今になっていろんな反省にかられている自分がいる。
ため息を何度ついてもダメ。 気合いだけでもパワーアップさせなくちゃね。。。
- とか殊勝なことを言いながら、関係スタッフが三越オープンに追われるのを尻目に、
僕は諸般の都合による代役で、この土日、鳥取に飛ばされたのだった。
12日は一方で、わが 「大地を守る会の稲作体験」 の稲刈り日でもあるというのに。
11日(土)、お昼前に米子鬼太郎空港に到着。
最近、あちこちの空港名が長ったらしくなってるね。
高知は 「高知龍馬空港」 だし、わが郷里は 「徳島阿波踊り空港」 だ。
安易で無駄遣いにしか見えないのだが、そこまでするなら、
米子鬼太郎空港に降りたときには、みんな妖怪の姿で出迎えるくらいやってもらいたいものだ。
徳島なら、搭乗待合室で待っている時間に阿波踊りの精神と踊りのコツを覚えられる
くらいのサービスをしたらどうだろう。 来年は見るだけじゃなく踊りに来たくなるような。
妖怪 Vs. 阿波のカーニバル・・・ これぞ文化の競演、なんちゃって。
高知空港に降りた時には、「ニッポンを変えんといかんぜよ!」 とアナウンスが流れて、
連日あちこちから来た人たちの間で熱~い 「ニッポン洗濯討論会」 が待合室で展開される。
みんな所用も忘れて議論に興じ、喧嘩になったら、龍馬が登場するのだ。
「なにこまいことゆうちゅう。 みな仲良うせんとのう。
はよう乗ってつかァさい。 あんたが乗らんと、、、飛行機は飛ばんきに、の! 」
みんな龍馬の気分になって帰る。
・・・・・・・・・・・・ ボクちょっとヘンかしら。
そんなヤバい精神状態のボクを、大山(だいせん) が優しく出迎えてくれた。
妖怪もあちこちに、いることはいる。 看板とかポスターだけど。
で・・・僕に託された今日の仕事は、出たとこ勝負の講演。
こういうのが一番つらい。 ああ、妖怪になりたい。
空港から車で1時間ほど。
大山の麓にあるホテルの研修施設で行なわれた
「鳥取県夏季農業講座」 というのに呼ばれたのだ。
主催は実行委員会で、鳥取県内の農民組合や自治体等の労働組合、生協さん等
で構成されているようだ。
演者は3人。
まずは民主党の参議院予算委員長の国会議員さん。
戸別所得補償制度の本格実施と今後の展望について。
時が時だけに1時間ほどの講演と質疑でとんぼ返りされたが、
多少の質疑だけでは農家の不安は拭えない様子が窺われた。
二人目は中国四国地方の生協連合の常務理事さん。
生協が取り組む産直運動の現状が報告された。
地域を拠点とする生協の存在は生産者にとって頼りになる存在のはずなのだが、
" 適正価格 " という名の値下げ要請も強いようで、ここでも生産者のストレスは嵩じている。
そんな空気を感じながら3番手で指名されるのはつらいものがあるが、
「大地を守る会」の運動と事業のスタイルはとても特異なものに見えているようで、
主催者からは 「自由に喋れ」 とのご指示である。
そこで腹を決めて、今後の方向を考える上で少しでもヒントになればいいと、
設立時の背景から沿革、大地を守る会が守ってきた理念と考え方、
運動と事業のつながりなどについて好き勝手に喋らせていただく。
ついでに戸別所得補償に対する批評も一発かまして・・・
結論は " 価格の競争ではなく価値の競争を " となった。
中山間地の問題も、耕作放棄の問題も、
地域の資源や価値を地元の人たちが再発見することに突破口があるのではないだろうか。
愚痴を言ってないで、新しい血を受け容れることも考えてみてはいかがか。
夜の交流会に二次会、二日目のパネルディスカッションと、随分と質問攻めに遭って
疲れもしたが、改めて思ったのが、大地を守る会の生産者のすごさ、だろうか。
僕の底の浅い理屈よりも、現場の実例こそ説得力がある。
言ってみれば他人の褌で相撲を取っているようなものだ。
質問に応じていろんな事例をカードのように出しながら、
それなりの刺激を与えられたように思う。
閉会後の反応も上々で、まあまあだったかな。
帰りの米子鬼太郎空港でケータイをチェックしてみれば、
稲作体験実行委員からメッセージが入っている。
「無事、けが人もなく、楽しく終了しました。
収穫量もまずまず、例年より少し多いかもしれません。」
よかった、よかった。 写真が楽しみだ。
帰りは、やっぱり気になったので、羽田からお土産に頂いた20世紀梨を抱えたまま、
三越銀座店まで足を運ぶ。
芋を洗うような人ごみを掻き分け、B2のデリカショップ 「ダイチ」、
B3の青果売場での大地を守る会コーナーと回る。
どちらもスタッフが一所懸命声を出して販売に精を出している。
デパ地下もこれまでにない目線で眺めてみたりする。
僕らはこのマーケットでどれだけのものを学べるだろうか。
価値でたたかうのも、日々総力戦である。
2010年9月 3日
猛暑のなか、「銀座三越」 リニュアル・オープン迫る...
昨日お詫びした 「田んぼスケープ」 のバグは解消できました。
いつも投稿してくれる田んぼレポーターさん、引き続きヨロシクです。
それにしてもこの猛暑はとどまるところを知らない。
天気予報では9月中旬まで続くだろうと言っている。
1日には、気象庁の観測点921カ所中242カ所で、9月の最高気温を記録した。
東京都心では35.9度まで上がったらしい。 異常だよ、ホント。
昨日は 「統計を取り始めた1898年以来、最高」 と書いたけど、
これは明治31年から113年間の話であって、
考えてみれば、それ以前にもこんな年がそうそうあったとも思えず、
先史時代はともかくとして、有史以降いったい何番目になるだろうか、
とか想像力をかき立てられたりする。
なんたってIPCC (気候変動に関する政府間パネル) が温暖化の根拠にした数字は
「平均気温が100年間で0.74度上昇した」 だからね。
平年より1.64度高かった、北海道では豪雨が頻発した、記憶にとどめておきたい年だ。
温暖化の進行は気象災害も大きくする。
パキスタンの洪水被害に対する人道支援はいいけど、
いまカスリーン台風(1947年9月) 並みの台風がやってきたら
東京は水没するとまで言われている足元の現状に、
どれほどの人が危機感を抱いているのか、と思ったりする。
東京は水害に対してとても脆弱な都市になってしまっているのだ。
温暖化とともにその危機はいつ来てもおかしくない段階に至っている。
もちろん専門家たちは温暖化防止だけでなく、
「早急に都市をデザインし直さなければならない」 と叫んでいるのだけれども、
たとえ薄々と分かっていてもクーラーとギンギンに冷やしたビールに走ってしまう我々は、
なかなかに 「小さな加担者」 から抜け出せない。
「私たちは今、持続不能に至る道を急ぎ足で歩いている」 (ジャレド・ダイヤモンド 『文明崩壊』 )
のも感じつつ。。。
とかなんとか御託を述べながらも、問題は目の前の仕事である。
傘がない、じゃなかった、「野菜がない!」
あっても、猛暑の影響を受けたものも多い。
そこにさらにムチを打つかのように迫ってきているのが、
(いかにも唐突ですが) 9月11日の 銀座三越 の新装オープン!である。
大地を守る会では、ここの地下2階にデリカ (惣菜) ショップを、
そして地下3階に青果物売り場を出店させることになっている。
開店まで1週間となって、仕入担当者たちの苦悶が続いている。
僕も昨日はその体制準備で六本木に出向いたのだが、最後は結局
「生ビールでも飲んで帰るか」 「そうすっか」 となったのだった。
そんなわけで、朝の決意表明も、夕には猛暑と生ビールの一語であっけなく敗北宣言
と相成った次第。
菅さんも小沢さんも、朝令暮改はいけませんぞ。 反省しろ、反省!
しかしダラダラと延ばしてきて、もう待ったなしとなったネタを一本
残してしまっているので、ミツバチの前にこちらを挿入させていただきたい。
映画 『 祝(ほうり) の島 』 と祝島の話を。

明日には必ず。
2010年9月 2日
猛暑のせい? -お詫び2件
唐突ですが、お詫びの連絡です。
本ブログで度々宣伝させていただいている 「田んぼスケープ」 ですが、
システムに不具合が生じていて投稿が受付できない状態が続いています。
まず郵便番号から地図上に表示させるシステムへの接続の不具合があり、
それは解消されたのですが、他にも問題があるようで、急ぎ原因究明中です。
投稿いただいた方々には 「何で??? ・・・」 となったことかと思いますが、
今しばらくお待ちくださいますよう、お願いします。
申し訳ありません。
日本列島は夏の高温のせいで稲の生育は進み、稲刈りが早まっています。
どんどん刈っている地域もあることでしょう。
もしちょっとの時間と心の余裕があれば、稲刈り風景の投稿をお願いしたいところなのですが、
稲刈り前線北上中でのバグ発生となってしまい、深くお詫びします。
さてと改めて、、、暑いですね。
気象庁が昨日発表したところによると、今年の夏 (6~8月) の平均気温は
統計を取り始めた1898年以来、最高を記録したとのこと。
平年より1.64度も高かったようです。
「こんな暑い日が続く夏は生まれて初めてだ」 と年配の方からもよく聞かされましたが、
けっして大げさな話ではなかったということですね。
しかも関東平野部には夕立もなく、カラカラに乾いた畑では種が播けない状態。
一方北海道では断続的な大雨の来襲で畑が水浸し。
ラニーニャの威力・・・なんて言ってる場合じゃない。
異常な猛暑はまだ終わる気配なく、
秋からの野菜供給は厳しい綱渡りが続くことになりそうです。
お詫びの二つ目。
8月はブログにまったく手が回りませんでした。
これは暑さのせいでなく、多事に振り回されていたことによりますが。
特に新しい仕事が増えると気持ちに余裕がなくなってしまいます。
いけませんね。
お陰でネタも溜まる一方。
何とか細切れにでも時間をつくって、報告を再開したいと思います。
まずは、8月27日のミツバチ会議から、か。
しかしこれがまた、重たいネタで・・・
途中まで書いて、放ったらかしてしまってるんですよね。
今夜書けるか・・・いや、書くぞ、ゼッタイ。
とりあえず所信表明、いえ、強い気持ちで決意表明。
以上、猛暑とはあんまり関係ないお詫び、でした。
2010年8月21日
35歳 初めての誕生日パーティ
大地を守る会の誕生日は、1975年8月19日、ということになっている。
大手町のJAホールで開催された集会で、農薬公害の追放を訴えて
「大地を守る市民の会」 設立が宣言された日である。
数えて35年。
今まで、この日になにか記念の行事をやることはなかった。
20周年、30周年、と行なわれたセレモニーも、生産者の都合などを勘案して、
だいたい10月下旬から11月の頃合いに開催された。
恥ずかしながら、この日を意識することはまったく無かった。
みんな忙しく、貧しかったし。
それが何と、職員の間から自発的に、
35周年の誕生パーティというのが企画されたのだ。
しかも藤田会長はじめ設立当時から残る3名の大先輩には、テッテー的に内密に進められた。
いや、カンペキだったね。
2010年8月19日。
社内の一角で、秘かに準備されたお誕生会が催された。
(写真提供:実行委員会より/以下すべて)
パーティの内容や準備の経過などは、
すでに 「~大地を守る会の活動レポート~ ブログ大地を守る」 にアップされているので
そちらをご覧願うとして、
一人700円のカンパで用意された内輪のささやかなお祝いに、
28年選手の僕もつい感慨に耽ったのだった。
大地を守る会の農産加工部門である
(株)フルーツバスケットのパティシエ、加藤浩一くんが
社長の加藤保明さん (姓は同じだが親子でも親戚でもない) に気づかれないよう、
隠密裏に静岡から幕張まできて、デコレイトしてくれたケーキ。
ケーキは、大地を守る会設立当時から残る3名の大先輩に贈られた。
真ん中が藤田和芳会長 ( (株)大地を守る会社長 )。
右が加藤保明理事 ( (株)フルーツバスケット社長)。
左が長谷川満理事 ( (株)大地を守る会取締役)。
藤田・加藤両氏は設立時代、同じ出版社で働いていた関係。
加藤・長谷川両氏は大学時代の同級生という関係。
いきさつは、ブログ大地を守る会を参照されたし。
もちろん設立時代のメンバーは他にもいたのだが、
3名は " 激動の35年 " を生き抜いた功労者というわけである。
「藤田さんたちがこの会を作ってくれなかったら、私たちは今ここにいない」
誰ともなくそんな声が聞かれ、スタッフがうなずき合ったりしている。
たしかに、、、
「大地を守る会」 はなくとも、時代は同様な組織を誕生させたことだろうが、
その組織の個性や文化は、人によってつくられていく。
途中で分裂したかもしれないし、あるいはもっと大きくなっていたかもしれない。
いずれにしても、いまのこの社員200人が、35歳の日の構成員となって
この場で祝い合うということは、まあないだろう。
初代会長の故藤本敏夫さんも含め、この人たちでなかったら、
僕もこの組織に拾われることはなかったかもしれない。
僕が入社したのは1982年。 藤本さんが会長を務められた最後の年の秋だった。
藤本さんはすでに千葉・鴨川で 「自然王国」 建設に着手されていた。
大地を守る会が初めて新聞に求人広告を出したのは、そんな時だった。
面接された加藤さんは、「くそ忙しいのに、また来たよ・・」 とか吐き捨てながら、
僕の履歴書を受け取られた。
数日後、「二次面接を受けていただきます」 と連絡があって再度出向いたら、
藤田さんはなかなか会社に現われなかった。
1時間ほど遅れて来られて、履歴書を見るなり、
「●●●大か。 ●●●● 派かな?」 なんて物騒なことを聞いてくる。
「免許はあるんだね。 いつから来れる?」
モッタイつけたわりには底が知れるような面接で、
僕は幸か不幸か、募集1名のところ、ついでの補欠として採用されてしまった。
木造アパートを改造したショボい事務所兼倉庫を眺めながら、
オレの人生はここで終わるのだろうかと、恐怖を感じたものだ。
一生アウトサイダーか。 親不孝モンになっちゃうな・・・
入社してしばらく経った年末のある日、先輩社員がヒソヒソ話をしていた。
「ボーナスが出るぞ、今年は」
「いや、信じるのはまだ早い」
僕はずっと気になっていることを質問した。
「藤本さんはいつ会社に来られるんですかね」
「知らねぇよ、そんなこと」
社長はいなくとも、会社は回る。 皆それぞれに判断して夜遅くまで会議をやっている。
会議が終わったら、一杯やりながら激論が始まる。
面白い組織だと思った。 ハマっちゃったんだよね、何の因果か。。。
ケーキとビールのみ、という慎ましやかなお誕生会で、
お三方も、それぞれに思い出を語られたが、共通していたのは、
「当時はいつ潰れてもおかしくない状態で、正直ここまで来れるとは思わなかった」
という感慨だった。
「ある時、長谷川クンが泣きながら訴えてきたんだよね。
" オレの給料はいいから、生産者にお金を払ってやってくれ " って・・・」
藤田さんも、さすがにこのエピソードを披露した時には一瞬喉を詰まらせた。
創業者たちの連帯感は、こういう経験を経て醸成されたのだ。
情けないまでの切なさや悔しさはまた、意地の炎も強烈に燃やしたに違いない。
藤本-藤田と引き継がれて35年。
不思議とゆるがない思想と、腹の底に意地を隠し持って、僕らは走ってきた。
しかしそれ以上に共通してあったのは、未来志向と楽観だったように思う。
ケーキとビールと、農産グループから差し入れたマンゴーとスイカで
ヘンな腹持ちになりながらも、
3名の大先輩の多少の満足感を含んだ笑顔を眺めることができて、
28年選手にとっても少しは誇りたいような気分にさせてもらったのだった。
屈託なく笑っている若者たちに感謝したい。
いまこの組織は、またまた大胆な階段を自ら設定して、登ろうとしている。
目の前にいる若者たちだけでなく、
今日生まれた子どもたちが35になった時にも、
「ありがとう」 と言ってもらえるだけの仕事をしなければならないと思う。
茨の道は終わらない、てことね。
2010年8月16日
都産都消の可能性を探る試食研究会 in マルノウチ
とまあそんなわけで、今日もメチャ暑い中、東京・丸の内まで。
「ミクニマルノウチ」 に集まった東京の野菜と魚、生産者とシェフたち。
材料と調理法を説明する支配人の椛田さん。
集められたのは都下7名の農家から32種類の野菜と果物。
じゃが芋だけで7種類、カボチャだけで4種類、ブドウが5種類。
魚は伊豆七島からキンメダイが届けられていた。
我らが東京有機クラブ、阪本啓一・川里賢太郎コンビからは、
居酒屋 「山藤」 用に作ってもらっているものも含めて9種類を出品させていたいた。
ルッコラ、京菜、じゃが芋(メークイン)、賀茂ナス、長ナス、スイスチャード、
島オクラ、万願寺とうがらし、カボチャ(栗坊)。
丸の内シェフズクラブを代表して、会長の服部幸應さんがご挨拶。
東京の自給率は1.2%しかない。 全国で最低なんです。
しかし東京にも農家はたくさんあって、みんな頑張っている。
東京の特徴は、露地栽培中心で少量多品目生産。 いろんなものを作っている。
そんな地元の生産物を、皆さんの力でクリエイティブな食べ方を提案してほしい。
この出会いを大切にしましょう。
「テレビで見るのと同じだね」 とささやき合うカワユイ僕ら。
カゴに入って並べられた現物。
右端はバターナッツか。
リストにはないけど、どなたかが今日持ち込んだのかな。
東京でもいろんなものが作られている。
ナスも色々。
素材の味の違いを確かめてもらうために、調理は極めてシンプル。
これは鉄板で焼いただけ。
じゃが芋を食べ比べる調理のプロたち。
インカのひとみ、インカのめざめ、きたあかり、アンデスレッド、メークインに男爵。
「オレはもう、じゃが芋は男爵、という思いが強いねぇ」 と服部さん。
ただ同じ品種でも生産者がかぶっていたりするので、
このイモが自分ちのかどうかがよく分からず、
「生産者を」 と言われても、少々戸惑ったりする。
右の後ろにいる啓一さんも、このメークがウチのかどうか、Kさんのだったら失礼だし。。
と少し遠慮気味。
今回もっとも評判を呼んだのが、 川里さんの島オクラ(写真手前)。
島オクラと言えば沖縄を連想するかもしれないが、
こちらは八丈島の島オクラだ。
川里さんは島のJAから種を分けてもらって、自家採種しながら育てている。
「大きいのに、柔らかく、種が少なくて、ぬめり感がとてもイイ!」 と絶賛されていた。
すぐにでも使いたいという声も上がったが、
「いや、これは大地さんの山藤分しか作ってませんので」 と賢太郎はすげない。
断っちゃ 「お見合い」 にならないのだが、そこはこちらがフォローする。
- 皆さんの希望をまとめさせていただいた上で、もう少し作れるかどうか、
計画を立てさせていただきます。
和食の 「招福楼」 ご主人、中村成実さんも島オクラに賀茂ナスを挙げた。
川里さんが作っているナスだが、なんと苗は地元で買っていて、
その苗は京都にも出されているのだとか。
江戸から送られる京野菜の苗、多少複雑でうまく説明できない。
後半は自由に流れながら懇談。
シェフは自由に感想を述べ合うが、
生産者が割って入るのは、なかなか気軽にできるものではない。
まあ、初めての試みなので、その辺は次の課題か。
生産者はこのように紹介させていただいた。
小金井市、阪本啓一。
江戸時代から350年以上続く武蔵野農家の7代目。
葉物の周年栽培が主体。 農薬は一切使わない。
化学肥料にも頼らず (何年かおきに Ph 調整にわずか使うことがあるくらい)、
徹底して良質な堆肥づくりにこだわってきた。
昔から世田谷・馬事公苑の馬糞を完熟堆肥に仕上げて、土に還している。
こうした資源循環ができるのも、地域に農業が健在だからこそ。
安全で新鮮な食の提供だけでなく、お互いの顔が見える " 地産地消 " の関係が築けるし、
農業体験などを通して食育にも貢献できる。
障がい者支援のボランティアもやってるけど、そこでも農の力はすごいと思う。
東京にこそ、いやどんな町にも、農業は必要なんだと伝えたい。
小平市、川里賢太郎。
あえて、この写真を使わせていただく。
親父の代から無農薬栽培を続けて25年以上になる。
葉物中心に、契約するレストラン (山藤のこと) 向けの野菜も含めて
年間10種類ほどの野菜を作るが、あちこちから希望があっても、
やたらと広げることはしたくない。
きちっとイイものをつくって、信頼される " 川里の野菜 " を届けたいと思う。
就農して11年。 農大を卒業した後、流通や消費の動向も知っておきたいと、
流通の現場 (大地を守る会のこと) を学んでから就農した。
阪本さんと一緒に馬事公苑まで馬糞を引き取りに行っては、時間をかけてイイ堆肥にする。
きつい仕事だけど、土づくりは絶対に手を抜かない。
東京だからといって特段の気負いはない。
プライドを持って、安全で美味しい野菜をつくり続けたい。
彼らこそ資源循環を助ける仲介者なのです。
地域にこういう農業が必要だということを、私は訴えたい。
感想を述べ合うシェフの皆さん。
写真は、フランス料理 「ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン」 のドミニク・コルビさん。
ドミニクさんはフランス人らしく、ぶどうに注目。
「なかなか、意外と美味しい。 使えます。」
最後に、この場を提供してくれた 「ミクニマルノウチ」、三国清三さん。
東京の野菜は、火山灰土が元になっていて、密度が粗いので根が深くなる。
糖度は低めで、あっさりした味になる傾向がある。
最も売りにできるのが、新鮮である、ということだ。
東京野菜を使いたいと思っても、生産者とうまくつながれない、という現実がある。
東京に合った生産と流通の仕組みづくりが必要だ。
そのあたりが僕らに求められている役割ってわけだ。
ま、やりましょうよ。 ただしワガママ一辺倒 (お店ってありがち) は困ります。
届いたモノを見て 「よし、こうしよう」 、という
皆さんの持っている一級品のセンスを駆使していただくことも、お願いしたい。
特定の生産者とつながるというのは、
市場からイイものだけを引くというのとは、勝手が違ってきますので。
初めての企画なので課題も残ったが、
「ま、よかったですよ。 人と会えたわけだし。 これから、だね。」
三国ポーズをとって、今日のところは帰るとしよう。
2010年8月14日
お盆返上で、「お見合い」の準備
相変わらず、毎日暑いっすね。
仕事バカ人間の僕は、ついにお盆休みも消えてしまって、
毎晩水シャワーを浴びては、むりやり海に行ったような気分に浸っています。 寂しいね。。
今年は蝉が多いような気がするのですが、気のせいでしょうか。
・・・と、こんな呑気なことを言っている間にも、
各産地から入っていくる情報はどこも厳しい。
千葉や茨城方面はとても乾燥気味で、少しでも雨がほしいところなのだが、
九州や四国南部は高温の中で雨続きの様子。
断続的にゲリラ豪雨にやられているところもある。
山形の内陸部は酷暑で果物の生育が乱れている。
そして、心配していた北海道がかなりヤバイ状況になってきた。
写真は8月10日、中富良野・太田順夫さんの玉ねぎ畑。
1週間に2度、激しい雨が連続して長時間にわたって降ったとのこと。
どこの畑も水浸しで、排水してはまた雨が降る。
収量の減少は否めず、病気も心配になってくる。
富良野の今さんからも、鷹栖の大西さんからも、、、
積丹の高野さんからは川が氾濫して畑が冠水したとのこと。
春から、いいことないなぁ・・・つらいね。
と溜息ついている暇もなく、今日は都心まで野菜の納品に出向く。
場所は、丸の内・ブリックスクェア の一角にあるレストラン、「ミクニマルノウチ」。
有名な三国清三シェフが経営するフランス料理のお店。
ここで、君(僕のこと) の短い夏休みなんて 「関係ねぇ」 と、
非情な日程での企画が発生したのだ。
16日に、20人ばかしシェフが集まって東京食材の試食会をやるから
東京の野菜を持ってこい! というご指示である。
その一報は、8月2日。 僕はもう家族と四国行きを約束してしまっている。
「16日って、、、、(小さな声で) 急ですねぇ。」
「はい・・・三国さんの都合で・・・」 (企画のご担当の方の声もやや・・)
突然とは言え、この企画は、
丸の内で地産地消や環境に配慮した 「食」 を提案していこうとする
「食育丸の内」 というプロジェクトの一環である。
そのプロジェクトを推進するシェフの集まりが 「丸の内シェフズクラブ」(服部幸應会長) で、
僕も丸の内での 「食」 展開に多少関わらせてもらっている以上、
彼らからの発案とあれば、仕方がない。
受けるしかない!
本企画、名づけて、
「都産都消」 お見合いTOKYO プロジェクト! in Marunouchi
" 東京フードプロデューサー " 東京都の生産者 と
" 東京グルメプロデューサー " 食材を使う在東京レストランシェフ、社員食堂担当 が
丸の内で 「お見合い」 します!
「都市・東京の地産地消」 をテーマにした 「東京やさい」 「東京さかな」 試食研究会
「お見合い」 ・・・ ドキドキするような言葉だね。 ヘンかな。
さっそく小金井の阪本家、小平の川里家に連絡を入れ、協力を乞う。
「この暑さで、今は一番モノがない時だよ、もぅ~」 (阪本啓一)
「大地からの頼みじゃぁ、協力はするけど、あくまでも大地(宅配の意味) と
山藤(当会直営の和食居酒屋) 優先だからね」 (川里弘)
- 分かってますって。 その上でのお願い、です。
準備はモノだけではない。 シェフたちの 「試食会」 なので、
生産者情報に、提供する野菜の情報を、写真付きで用意する。
あわせて、フードマイレージをさりげなく表現するPOPを作成する。
やっつけ仕事はわりと得意。 それと分かる出来栄えでもあるけど。
そして、丸の内・ブリックスクエァ。
東京駅前の、ビルの谷間につくられた憩いの場。
その一角に、ミクニマルノウチがある。
川里さんが阪本家に指定の野菜を届け、
職員の前田寿和が阪本家でまとめて引き取り、丸の内に直行する。
9種類の野菜を少しずつ。
「まったく!」 とか言いながらも、保冷剤も入れて丁寧に準備してくれていた。
ご面倒かけます。
この店のコンセプトは、「江戸東京野菜」 を使ったナチュラル・フレンチ。
16日は、阪本啓一さん、川里賢太郎さんにも来てもらって、
紹介する段取りである。
なんたって 「お見合い」 だからね。 キンチョーするぞ、これは。 ヘンかな。
私たちは日々、環境の 「今」 を 「食べている」 。
農業は、その環境を壊しもするし、生かしもする。
「食」 を通してどんな 「農」 とつながるか、を提案できる場になればいい。
ここでの主役は江戸野菜だけど、
その先に今も猛暑・水害に耐えて頑張っている人々の顔があることも、忘れずに。
2010年8月11日
はた・まる 試食会
先週の水曜日(8月4日)、
自由が丘(九品仏) のカフェ・ツチオーネにて、
「はたまるプロジェクト」 主催による乾燥野菜の試食会が開かれたので、
遅まきながらアップしておきたい。
「はたまるプロジェクト」 - 「畑丸ごと 実から種まで乾燥プロジェクト」 の略称。
農産物の仕入部門から加工品の開発部門、販売政策に広報と
部署横断的にスタッフが集まって、
実際の加工を行なってもらう (株)ジェイラップさん(福島県須賀川市) と合同で結成された、
新しいコンセプトでの商品開発を進めるためのプロジェクト・チームである。
その概要は、3月に行なったキックオフ・ミーティングの報告を参照いただくとして、
いよいよ会員さんへのサンプルのお披露目へと漕ぎつけた。
ズラリと並んだ試作品の品々。
ビンに入っているのが粉(パウダー)、
袋に入っているのがスライスとかチップにして乾燥させたもの。
その数100種類を超えている。
考えられるものはほとんど試作してきた。
ジェイラップ専務の関根政一さんとスタッフの伊藤大輔さんが胸を張る。
「90くらいまで作ったところで、意地でも (サンプル数を) 三桁にして持って来たくなって、
徹夜して頑張りましたよ。」
そこで意地を発揮しなくったって、とも思ったが、
ま、アスリートに限らず、そういう数字に挑戦したくなることって、あるね。
そのまま食べられるものは、お皿に並べて、試食いただく。
トマト、ミニトマト、とうもろこし、パイン、プラム、バナナ。
低温でゆっくりと乾燥させることで、風味と栄養価を保たせる。
むしろ水分が飛んだ分、エキスが凝縮されて濃厚な味わいになる。
最終的な水分濃度をどこまでにするかが鍵、というか秘伝になるのかな。
ジェイラップ代表、伊藤俊彦さんがこのプロジェクトにかける意気込みを語る。
ただ規格外品や余剰野菜に新たな価値を付与して製品化する、というだけではない。
ブロッコリィなら捨てられるところの茎も使う (ブロッコリィは捨てられる方が多い)。
トウガラシならヘタも活用する。
皮も、種も、モノによっては根っこも、トライしてみた。
「実は、そういうところの方が栄養価は高かったりするんです。
そういったところにもこだわりたい。」
こういった乾燥野菜を家庭でストックしていただき、時間のない時にさっと使え、
あるいは隠し味に使うなど、料理のバラエティに役立てていただく。
また、少量で栄養バランスが摂れるメリットは、
高齢者の方、一人暮らしの方にも重宝されるのではないか。
ゴミの減量化にもつながるし。
離乳食にも使える、という声も上がった。
ねらい通り、だね。
関根専務からは、製造にあたっての苦労話から、
こだわってきたこと、自分なりのアイディアなどを話していただく。
「こんなツラですけど、けっこう繊細なんですぅ。」
ジョークも適当に織り交ぜながら、なかなか聞かせる。
カフェ・ツチオーネのパティシエ、猪股さんが、
事前に送った素材を使って、ケーキやクッキーなど
たくさんの試作にチャレンジしてくれた。
どれも大好評。
猪股さんによると、
「生のトマトだと青臭さもあるが、乾燥だと甘味と酸味だけになって、とても使いやすい。」
水分がなくなることで、その素材の特徴がストレートに出せる。
タマネギも甘味が強くなって、パン生地への影響が少なく、味が水分で分散されない。
また砂糖や塩も控えられるとか。
粉では、はやりフルーツ系が一番人気か。
皆さん、いろいろと用途のイメージが広がって、会話も徐々に徐々にはずんでくる。
そして確実な需要を感じたのは、薬味系(ニンニク、生姜、本わさび、ねぎ、など)。
はじかれた規格外のワサビ、伊豆の本山葵です。
製品化第1号のラインアップに 「当確」 ランプ点灯!
辛味大根にもたくさんの ◎ が与えられた。
なんせ、ちょっと水を加えただけで、
カンペキな " 辛み大根おろし " が再現されたのだから。
食堂をやっているという方からは、
●●●●●● のパウダーはすぐにでもほしい、と言われてしまった。
野菜のチップは、色々ミックスしてもらえば、おやつに最適。
などなどなどなど・・・これ以上ネタを広げるのはもったいないので、
やめておきたい。
とにかく、たくさんの貴重なご意見を頂戴しました。
ありがとうございました。
参加者には、お土産という名の 「宿題」 を持ち帰ってもらう。
「この粉をどんなふうに使ってみたか、写真を撮って感想と一緒に送ってください。」
皆さん、快く引き受けてくれる。
かなりの好反応で、スタッフ一同安堵するとともに、
俄然やる気もアップする。
最初の製品をカタログ 「ツチオーネ」 に登場させる目標の日程は、10月下旬。
これから本番に向けての具体的なオペレーションに入ってゆく。
ジェイラップ = 米の生産者団体名では 「稲田稲作研究会」 。
大地を守る会の重要アイテムの一つである 「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である。
その 備蓄米の 「収穫祭」 が例年通り、10月2日(土) に開催される。
当然、乾燥野菜も披露させていただく。
というわけで皆様。
次なる試食日は、10月2日、福島の現地で、ということになります。
3年越しのチャレンジの成果を楽しみに、どうぞ奮ってご応募ください。
参加申し込みは、原則として
『NEWS大地を守る』 9月号の申込用紙にてお願いします。
いや、待て。
これじゃ、米より乾燥野菜の宣伝みたいだな。
メインは、あくまでも 「備蓄米」 の収穫を祝う集いですので、お忘れなく。
稲田稲作研究会の、黄金色に輝く田園が待ってます!
2010年7月 3日
食文化の伝道師と若者たち
6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、
帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。
こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。
30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。
7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。
『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。
一週間出ずっぱりとなってしまった。
こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。
ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、
どう転んでも書けそうにない。
何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、
遅れの帳尻を合わせることにしたい。
「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、
猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。
実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。
フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)
「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」
というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、
もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。
今回はこちらでお願いする。
このホテルの総料理長になって22年。
最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った
" 華 " のある料理を披露されていたのだが、
福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。
有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。
その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。
食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。
山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。
しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、
地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。
それが 「料理」 による地のおもてなしだと。
現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、
ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。
山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、
大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。
料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、
たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、
調理に変化を持たせたりするのだという。
また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。
さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。
昨年には 「体験農場」 も開設した。
宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、
夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。
そんなコースを楽しむ人が増えている。
生産者の思いや地場作物の物語を 「食」 を通じて伝えるなかで、
地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。
「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。
ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。
気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。
さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。
板橋 大(ゆたか) くん。
大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。
酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。
今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。
チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。
前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。
2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。
チャルジョウ農場からもう一人。
写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、
有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。
「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。
小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」
彼女たちには、農業への偏見がない。
牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、
美しい被写体を見ている。
要は生き方だよなあ、と感じさせる。
(オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)
これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、
それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。
こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が
もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。
この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。
途中で折れることなく、大事にしてほしい。
実践報告でも、若者たちのリレートークでも、
実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。
素直に誇りたい。
次は二日目の現地視察。
山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、
このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。
すみません、明日に回します。
2010年6月 7日
守る会総会を終えて
6月5日(土)、2010年度の 「(NGO)大地を守る会」 総会を終え、
遅くまで職員たちと飲んでしまって、少々けだるい週の始まりである。
年に一回の最高議決機関を乗り切った安堵感も、多少手伝っているような。
役員の改選も紛糾することなく承認いただけたし。
前年度の活動報告に決算、今年度の活動方針に予算、
それぞれを審議いただき、承認を得る。
運動体としての 「NGO 大地を守る会」と、事業体としての 「株式会社 大地を守る会」 を、
車の両輪のように走らせながら運営してきたのが 「大地を守る会」 の特徴だが、
両者はけっして切り分けられるものではなく、
NGOの総会であっても、個々の質問はすべて両者にまたがっていて、
いつしか渾然一体となった議論になってしまう。
たとえば、ある活動部門で 「事務局員が足りない」 と指摘されれば、
受け手は 「そう簡単に社員は増やせないよ」 と考えながら回答していたりする。
たとえば、 " 有機農業を拡げる " は会の基盤ともいえる運動理念であるが、
いろんな運動を展開しつつも、現実に生産者を増やし、
彼らの経営が安定していく力を与えられるのは事業部門のはたらきである。
つまるところ、運動の質や成果を議論する際には、
結果的に " 事業部門の今 " が問われるという形になり、
必然的に (株)大地を守る会に対して厳しい目が向けられる。
NGOで立派なことを言っても、やっていることは何よ! というわけだ。
この " 運動と事業の両立 " という理念を成立させるためには、
生産と消費というやっかいな対立構造を、現実の流通 (売買) という場で
どう止揚していくかが常に問われるわけだけれど、農産物の場合、
生産者とは量も値段も契約したうえで、一方で消費者からは任意の注文制という形で
モノを動かしている以上、そのひずみは、常に余剰と欠品という現象となって現われる。
その悩みが時に集中的に表現されるのが、
「野菜セット・ベジタ」 (組み合わせお任せの野菜セット) といった
調整弁的な機能を持って設定されたアイテムである。
これがなければ 「好きな時に好きなものを」 注文できるというシステムの
根幹が揺るぐことになるのだが、これすらも消費者の支持がなければ持続できない。
都市生活者の需要(ニーズ) と地方の生産力をマッチングさせるには、
相応の市場機能的調整能力が必要になるところだが、我々の今の力では、
ただただ相当なストレスを消費者にも生産者にも与えてしまっていることになる。
しかもこれは量や値段といった問題だけではない。
当会の会員には、陰陽の考えにもとづく食養論を大切にするマクロビオティックの方もいれば、
食物アレルギーを持った方もいる。
あるいは環境負荷の視点で現実の矛盾が厳しく指摘される。
象徴的なのがトマトの旬の問題であったりして・・・。
圧倒的なトマトの需要と、冬場にトマトをセット野菜に入れてくれるなという
明確な思想的抗議を前に、僕らの説明は視点によってブレ続ける。
自給率を圧倒的に下げている勢力であるにも拘らず、
胃袋が集中する都市の要望 (圧力) は実に多様で、時にわがままである。
一方で、僕らが支援し育てるべき生産者は全国に点的に存在する人々である。
需給の規模や距離もアンバランスな中で、
この両者を上手につなげ、さばいていくことがまだできないでいる。
そういう意味で、この運動は常に成長の過渡期であり、
過渡期のストレスを乗り越えるには、知恵と工夫と、したたかな戦略が求められる。
大地を守る会が標榜する 「オーガニック革命」 に戦略はあるのか、
それは事業に反映されているのか、ということなんだろう。
総会では、ベジタの全面改定に向けた検討を開始していることを伝え、了解を願った。
一つの課題を乗り越える知恵と工夫に、「腹案はあります」 と言ったあとで、
縁起が悪いので撤回したが、ないわけではない。
こんなふうに35年、愚直に議論してきた団体である。
運動を語り合いながら、現実の流通を議論する。
生産と消費の圧力を受けながら、儲けると株主(=会員) に叱られる。
そんな組織って、他にあるだろうか。
実にしんどい。
-といいながら28年になろうとしている。 そうとうM的人間になった気がする。
2010年4月28日
広瀬くんの 「風干りんご」
元大地を守る会職員で、長野のリンゴ農家になった広瀬祥寿くんが、
自園のりんご(フジ) を原料に面白い作品を完成させたので、紹介します。
「風干 (かざぼし) りんご」 。 彼らしいネーミングです。
要するに干しりんごですが、我々がプロジェクト・チームをつくって進めている
乾燥野菜(&果物) の開発計画ともつながってのことだけに、
はからずも側面支援を受けたような、嬉しい出来事になったのでした。
僕らが福島のジェイラップさんと一緒に、乾燥野菜の開発チーム
「はたまるプロジェクト」 を結成したという話は一ヶ月ほど前に書いたけど、
実はその時すでに、あましているリンゴで干しりんごを作りいたいとの依頼が
広瀬くんからジェイラップに入っていたのです。
もちろんこちらのインサイダー情報をキャッチしてのこと。
なかなかの素早い動き。 「やるじゃん、広瀬」 と褒めたりしつつ、
実はその時期までりんごを抱えているという切羽詰まった事情も察せられたりして。
こちらの情報は彼にとって救いの神のようなものではなかったかと思う一方、
彼の作品完成によって僕らも勇気づけられた格好になりました。
広瀬くんとジェイラップの関根さんの間では、
いろいろと綿密なやりとりが交わされたみたいです。
両人とも相当のこだわり屋というか凝り性で、
こと自分の仕事に関しては0.1ミリの狂いも許さないようなところがある二人です。
か ざ ぼ し り ん ご 。
ふじの皮をむき (本来のコンセプトは " 皮も生かす " ですが、
今回は口あたりを優先したようです)、芯を抜いて、5ミリ程度にスライスして、
低温 (25℃以下) の風でゆっくり、じっくり乾燥させました。
添加物は一切なし。 ナチュラルそのもの。
生のりんごの風味、甘味、酸味、栄養分が、ありのままに凝縮された干しりんご。
少し柔らかめに仕上げてあって、サクサクと口あたりがやさしく、甘みもいやらしくない。
とても自然な風味で、ついつい手が伸びてしまう、そんな感じなのです。
他の同様の製品はだいたい80℃くらいの温度をかけるようですが、
それでは風味だけでなく、糖もビタミンも酵素も損なわれてしまいます。
ただし低温だと時間とコストがかかるため、そのぶん高くなります。
広瀬・関根の両氏は、ためらいなく値段よりも食べものの命を取るほうで、
いや~コワいすね。
量的な問題もあって、これを当社で取り扱うことはできませんが、
広瀬くんが自力で 「広瀬農園の新作」 として販売している・・・ってことは、
考えてみれば、いや考えなくても、これが
ジェイラップの乾燥設備 (今はまだ実験段階の設備ではあるが) を使っての
商品化、第1号! ってことになっちゃいますね。 なんだ、やられたんじゃん。
(実際は、地元の手打ちうどん屋さんなどですでに野菜パウダーが活用されたりは
していますが、販売商品としては第1号かと。)
先般、彼が実家の栃木に里帰りした際には、
地元の手づくりチョコレート屋さんに気に入られて、
5パックも買い上げてもらったそうです。 5パックも・・・・おめでとう。
これを読んでいただいた会員の方には写真だけで申し訳ありませんが、
「はたまるプロジェクト」 でやろうとしていることのイメージが
少しでも具体的に湧いてくれれば幸いです、と思う次第であります。
「はたまるプロジェクト」 では今、いくつかの試作に入ってきています。
初お目見えは、うまくいけば夏の終わり頃には・・・と考えています。
乞うご期待。
2010年4月17日
寒い春ですね。
" 荒れる春場所 " とは相撲界の定説だけど、相撲に限らず春は荒れる。
太陽がだんだんと高度を上げて、冬から夏に向かい始めるこの季節、
しかし " 春うらら " とか謳われるような穏やかな陽気の日はむしろ少なくて、
北の寒気団と南の暖気団が日本列島を土俵にしてせめぎ合いを展開する。
春一番、春二番と、生暖かい烈風が春を告げたかと思えば、
寒の戻り、花あらし、なたね梅雨と、寒波が波状的に襲ってくる。
土俵にされた日本人は、お陰で季節の変化に敏感になって、
微妙なニュアンスを含ませてその移ろいを表現しようとする。
あるいは時に、一瞬の花見タイミングを逃さないぞと血眼になったりする。
この寒気の波状攻撃に対して農家が気を張り詰めるのが晩霜(おそじも) ってやつだが、
41年ぶりの遅い雪までは、誰が想定していただろうか。
今日は4月17日だって言うのに、真冬のような寒い朝だった。
生産者から電話がかかってくる。
「雪とみぞれにやられて、葉物がすれたような状態になっちゃってる。
とにかく出してみるから、モノを見て判断してほしい。」
「畑に入れねぇ。 出せないな、今日は。」
「この間の寒さで、10日から2週間くらい (生育や作業が) 遅れてる。」
今はナスやキュウリやスイカなど、苗づくりの段階の作物が多いのだが、
これで苗までやられたら夏まで影響することになる。
米の産地からも 「もう少ししたら、苗のやり直し、という生産者も出てくるかもね」
といった声も聞こえてくる。
低温とは日照不足とセットであって、生育は留まり、病気の発生も多くなる。
そういう時は味も乗らない。
九州からの玉ねぎは小玉傾向で、生産量も平年の6割といった報告が長崎からあった。
奈良の梅や山梨のサクランボは先の霜害で、もう不作が確定している。
新聞では、農水省が農業団体に前倒しの出荷を要請したとのこと。
規格外はともかく、前倒しの出荷って、どうしろってことなんだろう・・・
土曜日に出てきて、受けるのはため息の出るような電話ばっかり。
ああ~~、来週は欠品が増える。 切ないです。
2010年4月 2日
農政はともかく、農は国の礎である。
4月1日午後、久しぶりに東京・霞ヶ関に出向く。
桜がもう満開に近い。
国会議事堂周辺の桜はいつも早くて短いように思うのは、気のせいかしら。
警備員に守られた議事堂を横目に、お隣の由緒ある 「憲政記念館」 に入る。
ここで、『 「農」を礎に日本を創る国民会議 設立総会 』 という集会が開かれた。
「 農を礎 (いしずえ) に、日本を創る、国民会議 」
いかにも硬く、まるで右翼のようなタイトルだが、
「農」 を国民生活を守る大本として育て直さなければならないという強い問題意識での
「国民会議」 結成の呼びかけである。 ケチをつけるのは控えておこう。
大地を守る会会長・藤田和芳も、呼びかけ人の一人として名を連ねているし。
中心となった団体は、NPO法人ふるさと回帰支援センター、全国農業協同組合中央会
パルシステム生協連合会、生活クラブ生協連合会、そして大地を守る会。
「農」 は国の基(もとい)。
「農」 が生む 「食」 なくして国民の命の存続はない。
「農」 は国民の 「礎」 である。
気候変動や新興経済諸国の台頭によって、世界の食糧需給が逼迫してきているなかで、
日本は未だ食糧危機に極めて弱い状況にある。
にもかかわらず農業人口の減少と高齢化、耕作面積の縮小に歯止めがかからず、
市場原理主義の拡大と世界的不況は、農業経営をさらに悪化させている。
国の基である 「農」 を再生させ、日本の 「食」 を安定的に確保するために、
農業・農村を元気にすることが必要であり、市場原理主義と規制緩和を見直し、
食料自給率の向上をはかるとともに、
食料安全保障を国家戦略として明確に位置づけることが必要不可欠である。
(「国民会議」設立趣旨から要約)
赤松広隆農林水産大臣が来賓として来られ、賛同のエールが贈られた。
設立趣旨や規約、活動方針案が提案され、承認を受ける。
活動方針案を読み上げる藤田会長。
主な活動計画は、
1.食料安全保障政策を立案し提案すること。
2.それを社会のコンセンサスとするため、
各界への働きかけやシンポジウムの開催等を展開する。
3.生産、流通、消費の各分野に 「国民会議」 への参加を呼びかける。
4.情報発信、メディア対策、出版の検討、など。
役員の選出では、
早稲田大学副総長の堀口健治氏はじめ6名の役員が選任された。
大地を守る会からは野田克己専務理事が入る。
役員会から委嘱の形で5名の顧問が選出され、藤田が常任顧問となる。
総会終了後、
首都大学東京(旧東京都立大学) 教授、宮台真司氏による記念講演が行なわれた。
テーマは、「日本の農業と食料安全保障 ~若者にとっての農村回帰の意味」。
宮台真司氏。 サブカルチャーや若者文化論から天皇制まで語る気鋭の社会学者。
メディアにもよく登場し、著書も多い方である。
宮台氏は語る。
「農業の再生」 と言うが、社会はつまみ食いができない、ということを忘れてはならない。
「農業」 だけを切り取って 「再生」 するのは不可能で、
社会の様々な側面も同時に変えていかなければならない。
先進国最低水準の食料自給率は社会指標のひとつであるが、
他にも自殺率の高さ、労働時間の多さ(=社会参加の低さ)、
家族のきずな度、幸福度などの指標も、日本はかなりの低水準である。
幸福度調査では日本は90位以下。
物質的に貧しい、将来的に危ない、といわれる国の人たちのほうが、
日本人より、シアワセ感が高いとはどういうことか。
この国の社会には大穴が開いている。
農業を保全しなければならない理由は3つだと思う。
国家の安全保障と、国民への " 食の安全 " の確保、そして国土保全、である。
日本では安全保障の概念が理解されておらず、
危機に対する思考を持った政策をつくれる人がいない。
食の安全の観点も、ただ有機栽培とか無農薬といったレベルで考えるのでなく、
食の安全思想の基本は、「みんなのために-」 というモチベーションではないだろうか。
ヨーロッパのスローフード運動には、共同体思想が根幹にある。
国土保全とは、単なる景観でも多面的機能とかでもなく、
社会のホームベース (人が帰れる空間) を分厚くする、ということだ。
日本は経済(お金) だけを追い求めてきた結果、
人や地域との絆、つまりホームベースを壊して、ただ便利なところに流れている。
アメリカだって、本当は市場原理主義の国ではない。
共同体的自己決定の思想と市場原理をどう折り合いつけていくかを考えているのが、
アメリカやヨーロッパである。
日本は市場原理主義こそが権威と勘違いして、生き残れるはずの思想を失った。
日本農業の再生の真の意味は、自給率や食の安全や就業人口を増やすことなどが
個々に課題としてあるのではなく、
" つながり・絆 " をベースにした安心度の高い社会の再生、にあるのではないか。
僕流に解釈してしまったところもあるかもしれない、と断りつつも、
随所で、なるほど、そういうことか、と感じさせられた。 さすが、である。
「では、どうしたらいいのか」 という会場からの質問に対する宮台氏の答えは、
「単純な解はない」 と明快である。
まあ、これは俺たちが可視化していくしかない、ってことだね。
今日、地方紙の新聞記者さんが、
4月1日からスタートした戸別所得保障制度についての考えを聞きたい、と取材に訪れた。
この制度については、僕は一切のコメントを控えてきた。
「農業の再生」 という観点からはマイナスにしか見えない、と思いつつも
今後の動きが読めないし、とにかくよう分からんところがあり過ぎるのだ。
今日は宮台氏から頂いた視点をちょこちょこと拝借し、はぐらかしながら、
最後は持論で締めさせていただいた。
農業の外部経済 (生産された食べ物の値段以外のたくさんの価値) を理解できる
民意づくりこそが大切であり、そのための政策が必要である。
食の安全保障は、農民の所得を保証する前に、消費者の問題だからである。
2010年3月26日
だいち 那須農場
エエッ❢ 大地を守る会に農場が??
・・・・と一瞬思われた方には、スミマセン、まぎらわしいタイトルで。
でもれっきとした、だいち 農場についてのお話です。
3月24日(水)。
ジェイラップを訪問した二日後に、再び同じ東北新幹線・新白河駅に降り立って、
今度は北上せず、栃木方面へとUターンする。
県境を流れる黒川を渡れば、そこは栃木県那須町。
その山林の一角に、開墾されたばかりの1町歩(≒1ha) ほどの農地が出現している。
山林といっても、元は酪農の牧場があったところで、
牧場が閉鎖した後、スギなどの植林をした場所のようである。
こちら、実はNTTデータ・グループという大きな企業グループが
障害者雇用のために設立した特例子会社というのがあって、
そこが新たに開いた農場なのである。
その会社の名前がなんと、「 (株)NTTデータだいち 」 という。
で、なんでワタクシがこの開墾したばかりの農場にやって来ているかというと、
こちらの農場の栽培管理の仕組みづくりをお手伝いすることになったってワケ。
いま一定規模以上の会社は、
その規模に応じて障害者を雇用しなければならないという法律がある。
社員数1万を越えるNTTデータ・グループさんが
何人の障害者を雇用しなければならないのかは知らないけれど、
法定雇用率を満たすために特例子会社がつくられ、
仕事が生み出されようとしているということなのである。
それで障害者を雇用しての農場運営だって?
農業をバカにするな! という声も聞こえてきそうな気がする。
安易な発想という見方をすれば、そのように見えるかもしれない。
しかし、「農」 の持っている潜在能力と包容力は、もっと豊かである、
と僕は信じるものである。
やる以上は有機のレベルで、
しかもちゃんと世間が求める " 安全・安心 " システムくらいは用意したい、
と 「NTTデータだいち」 (以下、「だいち」で。紛らわしいけど) さんも考えて、
何をどう調査したのか知らないけれど、我々にオファーが入ってきた。
ここは素直に受けて立とう。
受けなければ大地を守る会じゃないよね、と思ったのだった。
有機農業でやりたい。
ついてはちゃんと外部監査に対応できるだけの体制をつくりたい、と 「だいち」 さんは言う。
生産された作物は、当面はNTTデータ・グループの社員で引き受けるとのことで、
それなら何も第三者の監査など不要ではないかと思うところだが、
ただのアリバイ事業でなく、将来的に事業の発展を目指したいのなら、
最初からシステムをつくっておくのが正解である。
僕は、その意思を感じたのである。
したがってこちらからの提案は、単純な管理システム作りや監査の受託ではすまない。
障害を持つ人たちと、「農」 を通じて新しい社会事業のモデルを作る。
その構想と実践を提案したいし、手伝わせて欲しい。
「障害」 と言われるものが、いつかその人の 「個性」 だと言える、そんな社会づくりに
有機農業は貢献できることを、このフィールドでトライしてみませんか。
そのための仕組みづくりを応援させて欲しい。
プレゼンと言えるような提案もしていないのだが、名前から予定調和的に採用され、
「NTTデータだいち」 を守る会? みたいな仕事が始まろうとしている。
しかし、とはいえ、この状態からのスタートである。
同行した農産チーム・市川泰仙が偉そうに 「これじゃあ・・・」 などと批評している。
いちおうはオーガニック検査員の資格を有する職員ではあるが・・。
前途多難であることは間違いないようだ。。。
我々のネットワークを駆使して、
生産者のお知恵もお借りしなければならないかなあ、とか思うのだった。
オイラの威勢って結局、生産者がいてくれるから、なんだな。
2010年3月25日
乾燥、その奥深い可能性を「見える化」する
昨年10月3日に開催した、大地を守る会の 「備蓄米」 収穫祭 のレポートを
ご記憶の方は・・・もういないか。
お時間の許す方は、上の文字をクリックしていただくとして、
その時の交流会に登場して大好評を博した乾燥野菜が、
足掛け3年に及ぶ試作期間を経て、いよいよ本格的な製品化に向けて動き出した。
大地を守る会のスタッフでプロジェクト・チームが結成され、
3月22日、現地(福島県須賀川市)・ジェイラップの事務所で
合同のキックオフ会議が開かれた。
社内のプロジェクト・チームは、農産グループ・商品グループ・広報グループそして
大地を守る会の農産加工部門である (株)フルーツバスケットも参画して結成された。
プロジェクトの名称は、「畑まるごと 皮から種までなんでも乾燥プロジェクト」。
略して 「はたまるプロジェクト」。
ジェイラップ専務の関根政一さん(上の写真右奥の方) が、
2年の歳月をかけて試作した野菜や果物の数は60種類を超える。
形状はスライスやチップ状に刻んだものからパウダー(粉) まで。
試作品のパウダーの数々。
野菜・果物を乾燥させ保存する。
このノウハウを獲得することで、畑で発生する余剰品や規格外品が活かせるようになる。
" 捨てる " から " 拾う・使い切る " へ。
しかも貯蔵性が高まり、様々な加工食品の幅が広がる。
いや、それだけじゃない。
関根さんや代表の伊藤俊彦さん(写真、関根さんの手前の方) たちと
何度となく語り合ううちに、
これはとてつもなく奥の深い、新しい可能性の扉を開くものになる、
という確信を、僕らは持つにいたったのである。
たとえば、有機・無農薬栽培の規格外品の活用ができれば、
それだけでも安全な農産物生産の拡大・普及をバックアップする力になるだろう。
あるいは、食べたり加工する際に捨てられる皮やヘタ、茎や種も使うことができる。
しかも皮やヘタや茎だって、普段食べている可食部と言われる部位よりも
栄養価が高いものがある。 粉にすれば食感上は何ら問題なく、
逆に風味が増したりする場合だってあることを、色んな試食によって
粉たちは証明して見せてくれたのだ。
ゴミが資源に変わる? いやいや、もともとゴミなんかではなかったのだのが、
畑の " 資源力 " 、そのポテンシャルを最大限に引き出す革命的なノウハウを、
僕らは今ようやっと手に入れようとしているのだと言えないだろうか。
だからこその、「はたまるプロジェクト」なのである。
その扉を開く会議は、予定時間を越えて続いた。
離乳食から介護用、防災用の非常食、はてはペットフードまで、
互いのイメージは、どんどん膨らんでいく。
赤ちゃんからお年寄りまで、畑が支える健康生活って感じですかね。
これなんかは、これだけで充分、家庭での常備品になるのでは。
この日の試食は、5種類のうどん。
何を加えたかは、ヒ・ミ・ツ。
それぞれの香りや食感が絶妙に活かされていて、美味い、という前に、
これは面白い! などと口走ってしまうのだった。
ここで、カレーライスを試食した、と聞いたら、どういうものを想像されるだろうか。
一同、「これ、いけるねぇ」 とうなずきながら食べている。
有名シェフがこしらえた驚きのカレー、といったのとは違う。
思うに、「●●●ちゃんちの野菜カレーは、ひと味違う」 と言わせる、そんな感じなのだ。
もちろんその場合は、お米もこだわって欲しいところである。
乾燥室を覗くと、長野のリンゴ農家になった元大地職員、広瀬祥寿くんから送られてきた
リンゴの乾燥が行なわれていた。
この作品については、広瀬くんがリンゴのチップとして自力で売るらしく
(大地への提案は来年だとか)、少ししっとり感を残して仕上げている。
彼のリンゴはもともと味では定評を得ているが、
旨味が上品に濃縮されて、文句なく美味しい。
フリーズドライでなく、熱風乾燥でもない、低温でゆっくりと風を送って乾燥させる
「低温除湿」方式。 これによって、しっかりと風味を残す。
食味、栄養価、環境への配慮、あらゆるステージで野菜を摂取できる食の提案。
野菜の粉末化やドライフーズは今では珍しくないが、
僕らが進めるプロジェクトは、
畑の受け皿の新しい鉱脈を育てる= 「畑の資源力」 の見える化、という仕事であり、
それによって人々の健康への貢献の底力を、畑から見せる化することである。
で、具体的には?
-え~と、あの、これ以上は、まだ企業秘密ということで。
「こんなこと考えてるんですけどね」 と聞かされてから、3年。
ここまで完成度を上げてきた関根さん+スタッフの執念には脱帽するしかない。
最近は電話しても、
「ああ、スミマセン。 セキネは今、例の場所に引きこもっておりまして・・・」
なんて言われたりする。
あの強面(コワモテ) で引きこもりか・・・その姿を想像するのはやめて、
じゃあ、何としても花開かせなければ、と思うのである。
ジェイラップでは今、本格的な設備の工事に入っている。
完成後、速やかに稼動できるかどうかは、こちらのプロジェクトのスピードにかかっている。
製品がお目見えするのは、夏か、秋口か。
一肌脱ごう!という加工食品メーカーがおられたなら、挙手願いたい。
忘れないで付記しておくと、ジェイラップの本業は、米である。
生産者集団 「稲田稲作研究会」 の信頼ブランドでもある 「大地を守る会の備蓄米」 の、
今年の美味い米づくりは、もう始まっている。
この日は種籾の温湯消毒 (薬での消毒はしない) が、
若者たちの手で行なわれていた。 うまく仕上げるコツは、氷だそうである。
2010年3月18日
訂正とお詫び
前回の日記-「農と自然の研究所」 解散総会の話の中で、
リーファースの水野葉子さんが 「宇根さんは男尊女卑の九州男児」 と語った、
と書いてしまったことに、水野さんから強い抗議のメールを頂戴しました。
それは12年前、水野さんが最初に宇根さんに会った時に、
労働組合関係の女性がそんなふうに言っていた、というのが事実で、
水野さんも最初は 「ちょっと怖そうな人」 という印象を持ったけど、
今はまったくそんなことはない、とのこと。
「 宇根さんは、子どもやご老人への接し方を見ても、とても優しい方です。
奥様への愛情もそばにいてとてもわかります。
とにかく私は宇根さんが大好きなのよ!」
大変失礼いたしました。
軽口のジョークのつもりで書いてしまいました。
あわてて削除したものの、すでに読まれた方もおられるかと思い、
ここで改めて訂正するとともに、深くお詫び申し上げます。
おそらく件の女性も、今は宇根さんのことは大好きだろうと思います。
宇根さんは、違うと思ったことに対しては手厳しくやることもあるので、
何か過激な発言をされたのかもしれませんね。
すみませんでした。反省。
2010年2月19日
全国水産物生産者会議
昨日(2月18日) は、水産物の生産者会議が開催された。
年に1回各地で開催されてきて、19回目を数えるまでになった。
今回は幕張の会議室が使われたこともあって、途中から覗いてみる。
今回のテーマは二つ。
その1。 加工場内でのアレルギー事故対策について。
その2。 水産加工場における第三者監査の取り組み。
昨年秋に開催した 加工品製造者会議 と同じテーマ設定である。
要するにこの一年、食品加工場の進化をはかった共通テーマというわけだ。
違うのは参加者の顔ぶれ(=原料分野) と講師だけなので、
このねらいとかについては、加工品会議の報告をご参照いただけるとありがたい。
テーマその1の講師を務めたのは、(株)大地を守る会品質保証グループの南忠篤。
加工品会議の際は、NPO アトピッ子地球の子ネットワークの赤城智美さんにお願いしたが、
今回は身内で務めさせていただく。
アレルギー事故は、起きてからでは遅い。
場合によっては、加害者になるだけでなく、メーカー自身、命取りになる可能性がある。
大地を守る会では、アトピッ子さんと組んで、
工場でのアレルゲン管理からリスク・コミュニケーションまでの
トータルなマニュアルを整備してきた。
僕が安全審査グループにいた時から、実に4年越しの作業である。
大地を守る会の加工食品メーカーとして、ぜひ皆さんで使いこなして欲しい。
次は、もうひとつ当会が独自に取り組んできた監査の意義や仕組みについて。
講師は、監査を依頼している(有)リーファース代表の水野葉子さん。
日本での有機農産物の検査を切り拓いた草分けの方である。
ちょっと意固地な個性派が居並ぶ水産関係とあって、御大の登場となったか。
冒頭の自己紹介で、水野さんは大地を守る会との縁から語ってくれた。
アメリカ・ミネソタ州在住時代、日本語教師をしながらオーガニック食材を探し求めていた。
日本に帰ってきて、日本の有機食品の表示のおかしさを感じて、
改めてアメリカに渡って、日本人として初めてオーガニック検査員の資格を取得した。
日本ではまだ有機の認証制度をつくるかどうかでもめていた頃だ。
そんな折に大地を守る会前会長の藤本敏夫さんと出会った。
すでに病床にあった藤本さんは、これからの有機農業にとっての消費者の役割を語り、
水野さんは監査認証制度の健全な発展を約束したのだと言う。
「藤本さんが亡くなった翌年、私はリーファースという会社を立ち上げました。」
「今こうして、頑張っている生産者を応援するための監査の仕組みをつくろうとしている
大地を守る会の取り組みに関われることを、嬉しく思います。」
オレたちの物語は、実に深い縁でつながりながら、まだまだ続くのだ。
どうぞよろしくお願いします。
トレーサビリティ(追跡可能性) の仕組みは面倒か。 面倒だ、間違いなく。
「求められていることは分かるが、すべてコストに反映していく」 という意見もあった。
しかし・・・今のフードシステムの中で食べ物を作ることの意味を考えれば、
これは 「食」 に対するモラルと責任感のたたかいのようなものなんだと思う。
そんなことまで考えなきゃいけないのか、という気持ちは分かるけど・・・
一回の表示ミスは、一回しか起きない、と言えるか。
想定外の原料が使われてしまった時に、起きるはずのない事故だと済ませられるか。
それではアレルギー事故と同じように命取りになる可能性がある。
そんなことは起きない、と思っている人こそ、監査を受けてみるべきだ。
地獄に落ちる可能性が在るやないや、分かってないことこそ危険である。
人がやっている以上、事故は起きる可能性が常にある、のである。
その際に、即座に原因が追及でき、対策の実施と消費者への対応も含めて
迅速に対処できる体制を作っておくことは、余計なコストだろうか。
付け加えれば、クレームやお褒めの言葉の違いと製造ロット番号がヒモついて
トレースできるとしたら、これはいずれメーカー自身の評価の差になってゆくだろう。
最終的にはコストダウンにもつながるはずだ、というのが僕の核心である。
生産者たちの質問は、まだ牧歌的なものだ。
そんなうちにレベルアップは進めなければならない。
この点に関しては、僕は自分がどんなに嫌われたってかまわないと思っている。
あんたを守っているのはオレだからね、という自負があるから。
水野さん、野卑な水産生産者たちに最後まで付き合っていただいて、
ありがとうございました。
2010年2月11日
立松和平さん
8日、作家の立松和平さんが、逝っちゃった。
立松さんと大地を守る会のお付き合いは古く、大地を守る会の国際局が運営する
「アジア農民元気大学」(通称:アホカレ) では設立時(92年) から総長をお願いしてきた。
大学といっても校舎があるわけではなく、" 畑が校舎、農民が教授 " をコンセプトに、
定期的に講座を開いたり、海外の研修生受け入れなどを行なっている。
また 「総長」 といっても、ボランティアでお願いしているもので、
逆に肩書きを持つがゆえに、立松さんには毎年年末に 「総長講話」 という講義を
開いていただく決まりになっているという、まあなんと言うか、
実にほのぼのとした " お友だち " 関係なのである。
昨年の12月にも講話をお願いしたばかりだ。
訃報が届いた9日のこと。 機関誌 ( 「NEWS だいちをまもる」 ) に書いた
稲作体験の記事の校正紙をもって編集担当者の席に行った時、
その彼がパソコンに映し出されたニュース速報を見ていて、
「立松さんが亡くなった? ええッ? この情報、嘘じゃないですかね。」
僕も驚いて画面に釘づけになる。
手元の校正紙の別のページには、昨年12月に行なわれた総長講話の囲み記事があった。
僕らには突然の訃報だったのだが、長年の友人である藤田会長のもとには、
1月下旬から危篤の状態である旨の連絡が入っていたとのこと。
僕には、ここで立松さんのことを語れるほどの交友があったわけではない。
ただ、多少の思い出もないわけではないのだ。
初めて立松さんに会ったのは、1987年の春だった。
当時発行していた大地を守る会の機関誌 「大地」 が、100号を迎えるにあたって、
記念の対談というのを企画した。
お願いしたのは、立松和平 Vs 山本コータロー。
会の機関誌にビッグな名前を登場させるとあって、
編集委員として担当させていただいた僕は、内心ちょっと自慢げに、興奮していた。
若かったね。
都内のレストランで段取りし、お二人をお迎えした。

2時間ほど好きなこと喋っていただいて、払った謝礼も1万とか2万とか、
そんな額だったが、お二人は 「楽しかったよ」 と言って帰って行かれた。
生き方とか価値観を見直さなければいけない、という共通認識で、お二人は語り合っていた。
そういう言葉は今もあちこちで耳にするが、しかし時代がまったく変わってないわけではない。
長い目で見れば、少しは風向きも変わってきたようにも思う。
立松さんは小説を書くだけでなく、世界を旅し、テレビにも出たりして、
新しい風を吹かせようとしていた。
訥々とした語り口ゆえに強い精悍さは感じさせないが、間違いなく行動する作家だった。
あの栃木弁がもう聞けないのは寂しい。
88年には 「いのちのまつり」 という一大イベントに挑み、
立松さんと藤田会長はともに実行委員としてタッグを組んで、農協の親玉と張り合った。
僕は一時その事務局に出向させられ、立松さんの姿を身近で眺める時間をもらったのだが、
打ち合わせが終わったある晩、皆で一杯やろうと街に繰り出した時、
「オレ、今日が締め切りなんだよう。 今夜のうちに 〇 百枚書かないといけないんだよう」
と逃げていかれた。 2百枚だったか3百枚だったかは忘れたが、
プロの作家というのは恐るべしだなぁ、と感動したのを覚えている。
あれからずっと、立松さんはホント、大地を守る会をひいきにしてくれた。
パンフレットなんかに一文ねだると、すぐに書いて送ってきてくれた。
「この時代に大地を守る会が存在することが、嬉しい」
みたいなことをさらさらと書いてくれるのだった。
あの方の期待に、僕らは応えてこれたのだろうか・・・・・
実にたくさんの大きな方々に支えられてきたものだから、
逝かれるたびに、そんな思いに落ち込んでしまう。
62歳、早すぎます。
口惜しいけど、深く深く感謝するとともに、ご冥福をお祈りしたい。
2010年1月30日
春に向けて
1月28日(木)、群馬での産地合同新年会をパスして、
新規就農支援ガイドブックの編集会議に出る。
徳弘くんの原稿は、編集担当者によって、やっぱりバッサリと切られている。
ウ~ン、後輩たちに伝えたいことをいっぱいリキ入れて書いてくれたのにね・・・
極めて限られたスペースとはいえ、これでベストと言えるか、
もうちょい精査しないと、彼に申し訳ない気がする。
僕の有機JASの説明文も、どこかピタッとこない感が残っている。
次の会議までに、数文字に託す言葉を探さなければ。
でもまあ、だいぶ形にはなってきた。 春には間に合いそうだ。
1月29日(金)、浜松町にて有機JASの認証機関による研修会に参加する。
主催は、アファス認証センター (以下、アファスと略)。
「リフレッシュ研修」 と銘打たれ、毎年この時期に開催されている。
有機JAS規格の改めての確認から、この間の資材の判定に関する変更点、
農業に係わる新たな法制度について、JAS違犯の事例、有機農業に関する動きなど、
冬の間に頭に入れておくべき事柄が網羅的に解説される。
アファスとは、有機JASの認証制度がスタートする前から、
新しい監査・認証システムに取り組んできた経緯がある。
大地を守る会の初代会長であり、アファス創設者でもある故藤本敏夫さんが提起した、
安全・品質・環境の側面から自身の営農全体を監査し進化させていく
「システム認証」 という体系。
ISOの考え方をベースに、安全性や品質の向上から環境対策までを自己チェックし
改善していくというトータルな仕組みである。
これによって、有機の規格に適合しているかどうかは、
取り組みの中の一つの結果となり、同時に各種のISO規格にも対応できる。
生産者にとってはかなり面倒な手法だが、
たくさんの生産グループが意欲的に取り組んでくれた。
しかし残念ながら、持続させるのはなかなかに困難だった。
その手間・労力の大変さもあったが、藤本さんが亡くなられてから、
アファスもシステム認証を推進するパワーが落ちていったことも否めない事実だろう。
システム認証を推奨した大地を守る会としても、
生産者のモチベーションを維持させるのに苦慮したが、「どうにもしんどい」 の悲鳴
は受け止めざるを得なくなっていった。
もう少し緩やかに、しかし生産者の取り組みをトータルに評価する仕組みを求めて、
いま大地を守る会は 「独自の監査・認証体系」 づくりに取り組んできている。
藤本さんの思想は、時代には早すぎたのかもしれない。
しかし、だからこそ、しつこく彼の思想は受け継いでゆかなければならないし、
認証機関がどうあれ、大地を守る会にはその使命があると、僕は思っている。
さて研修には、僕は午後から出たのだが、
席についたとたん、講義中の渡邊社長が皆の前で皮肉を言う。
「いまやっと大地のエビスダニさんが到着しましたね。
今日は午前中から、肥料取締法と米のトレーサビリティという大事な講義をしたのに、
彼は損をしましたねぇ。」
カチンときて、すかさず反論する。
「大丈夫です。 ウチの優秀なスタッフが朝イチからちゃんと聞いてますから。」
どうも渡邊社長とは、お互いひとこと言い合わないと気がすまない関係に
なってしまったみたいだ。 年齢から言えば、僕が生意気だということになるけど。
それにしても渡邊さんの講義は、どうも話が飛んだりして、分かりづらいところがある。
業界通ということもあって、いろんな裏話やトピックは面白い部分もあるが、
ついに資料説明は時間内に終わらず、質疑もなしでエンドとなった。
せっかく全国各地から生産者が集まったのだから、
今年行なわれるJAS規格の見直しの方向とか、有機農業推進法に関する動きとか、
もっと意見交換の時間が欲しかった。
ワタシはそれを期待して出かけたのです、渡邊さん。
ま、そんなワケで、研修会終了後の懇親会は、
みんなで渡邊社長への、心優しい逆襲の場となる。
「とにかく、来年はもっと分かりやすく、ポイントを簡潔に。 意見交換の時間も設けてほしい。」
よろしくお願いします。
同席した、福島・やまろく米出荷協議会の佐藤正夫社長(左) と、生産者の岩井清さん(中央)、
そして米の流通でお世話になっているマゴメ社長・馬込和明さん(右)。
並んだところで一枚頂戴しました。
やまろくさんもシステム認証に挑んでくれた団体のひとつ。
さすがに生産者に難しい記帳を続けさせるのは辛かったようだが、
この経験はゼッタイに生きると思っている。 いや、生かしてあげなければならない。
岩井さんの顔が晴れやかである。
「いやあ、エビさんねぇ。 去年は有機の田んぼで米が獲れたんだよ。
嬉しかったねぇ。 見学者も増えてきちゃって・・・」
来年こそはもう一俵、もう一俵はとりたい、と頑張ってきた岩井さん。
苦心してきた甲斐があったと。 こういう話をもっとしたかったよね、みんなと。
岩井さん、体に気をつけて、今年も頑張ってください。
1月30日(土)、昨日が締め切りとなっていた宿題をやっつける。
大地を守る会の機関紙 「NEWSだいちをまもる」 3月号で、
今年の稲作体験の募集を始めるにあたって、稲作体験の20年を振り返れという指令。
急いた気持で書いたところ、どうにも800字で収まらず、
1,000字をちょっと超えてしまうが、そのまま編集担当に投げる。
あとはヨロシク、ってなもんで。
思えば20年、作業だけを見れば単調な繰り返しの稲作体験だったが、
築いてきた力は、それなりに自慢できるモノにはなったような気がしている。
しかもこの歴史は、はからずも有機農業の発展や広がりを表現しているじゃないか、
とも思いいたるのだった。
今年も長丁場のボランティアに手を挙げてくれた若手職員たちがいてくれて、
21回目の米づくりが始められる。
原稿には書かなかったけど、これも自慢したい稲作体験の伝統である。
大寒のあいだにも、春に向けての準備は進むのだった。
2010年1月26日
産地新年会ロード
今年も関東を中心に福島・宮城と続く産地での新年会が行なわれている。
2月上旬まで8ヶ所で開催。 僕は今年は5ヶ所に参加することにしている。
今は、その真っ只中。
物言わぬ臓器に向かって、" 耐える " ではなく " 鍛える " だ、
とか嘘ぶきながら、出かけている。
生産者グループごとに新年の集まりはあるのだろうけど、
それらすべてに顔を出すことは不可能なので、できるだけ県単位で一堂に会して、
研修会も兼ねてやりましょう、という流れにだんだんとなってきた。
埼玉は以前から 「埼玉大地」 という形でまとまっていて、
茨城はさらに前、大地を守る会の草創期に県内の生産者の横のつながりが作られた
歴史がある。 古いぶん、内部でもめたりした苦難も経験しているけど。
昨年から、千葉・群馬・宮城でも、まとまっての開催となった。
それぞれに、講師を招いての講演会や勉強会を設定するなど、
「新年会」 もただ事ではなくなってきた感がある。
去年はつい、" 死のロード " などと書いてしまって、
生産者から随分と皮肉られてしまった。
酒を注ぎながら、ふ~ん、つらいんだ、ヤなんだ、来るのが・・・・・
すみませんねえ。
阪神タイガース・ファンには馴染みの言葉なんですよ。 許してチョーダイ。
(筆者注 : 「死のロード」......夏の甲子園を高校球児に明け渡して長期遠征に出ること。
だいたいこの期間に勝率がガタ落ちする。)
宴会風景はあんまり絵にならないので撮らないけど、ま、こんな感じ。
これは昨日(25日) 行なわれた 「千葉連合新年会」 風景。
7団体+1名(個人での契約生産者)、大地職員も合わせて計53名が集合。
今年の幹事は 「三里塚酵素の会」(代表:堀越一仁さん)。
会場は成田山新勝寺参道にある老舗の茶屋で、
堀越さんたちの野菜も使ってもらっての一席である。
もちろん、ただ飲むだけじゃなくて、
その前に土壌微生物に関する勉強会も実施されたのだが、
僕は仕事の事情で宴会から合流となってしまったので、写真がないだけ。
なんだ、やっぱり飲みに来ているだけだって?
いやいや、皆さんと今年の抱負や栽培に関する話などなど、
しっかり語り合ってんですよ、こう見えても。
皆さん、順番に自己紹介と今年の抱負などを披露していただく。
では、今回の幹事、三里塚酵素の会から。
堀越のアニキが、増えてきた若者メンバーたちを紹介しているのに、
聞いてない職員が約一名 (右端手前)。
おなじみ、さんぶ野菜ネットワークの面々。
今年も 「大地を守る会の稲作体験」 でお世話になります。
おっとその前に、来月の大地を守る東京集会(「2010だいちのわ」) では、
新規就農希望者の相談を受けるブースを出してくれることになっている。
農業に関心ある若者よ、来たれ!
三里塚農法の会は3名で参加。 左が代表の龍崎春雄さん。
龍崎さんも研修生をお二人連れてきて、紹介してくれた。
千葉には、新規就農者を積極的に受け入れるグループが多い。
龍崎さんには、昨年11月、仲間の三ノ宮廣さんの杉林を見せてもらったお礼を伝える。
「おう、山の管理もちゃんとやってんだぞ」 と嬉しそうに返してくれた。
千葉で唯一お米を出していただいている、佐原自然農法研究会。
代表の篠塚守さん(左端) には、昨年、学生たちの米づくり体験でお世話してもらった。
「まだ米が残ってるよ」 だって。 学生諸君、早く何とかしろ。
来月はまた、東京集会での餅つきが待ってますので、よろしく、です。
個人で契約している生産者が一人。 酒井久和さん。
昨年は栽培管理の監査をやって、細かいチェックをしちゃったけど、
自身の栽培内容全体をきちんと証明できるってことは大切なことなので、
引き続き記録・管理の体制をお願いしますね。
まあこんな感じで、各地の新年会が行なわれている。
毎回写真をアップして報告したいのだけど、ちょっとこのところキツくて、
生産者には申し訳ないけど、ご勘弁ください。
でもこれは紹介しておかなければならないか。
1月14日に行なわれた 「埼玉大地」 の総会(&新年会) では、
新会長に瀬山明さん(下の写真・右端) が就任されました。
「これからもっともっと、いい野菜を届けられるように、
年に2~3回は勉強会を実施しますから」 と、やる気満々の宣言でした。
川越の吉沢グループでは、 昨年9月に結婚した深田友章くん(左端) から、
何と1月1日に長女が誕生しました! の報告。
お見事! パチパチパチパチ・・・・・
埼玉でも新年会前に天敵の活用技術についての勉強会が開かれたのだが、
こちらも悔しいかな、出られず。 仕事で、ですよ、仕事で。 (-_-;)
生産者と楽しく飲みながらも、
ある人からは硬派の運動を迫られ、ある人からは販売の拡大をお願いされ、
いずれにしても 「大地に出していることがオレたちの誇りなんだから」 と言ってくれる。
しんどいけど、こうやって新年の洗礼を浴びることで、
一年の覚悟が定まっていくような気もしたりする。
参加できなかった産地の方々には、ごめんなさい。
福島わかば会の皆さん、急な乾杯の指名はやめてください。
動転しちゃって、写真を撮るのをすっかり忘れてしまったじゃないですか。
日記もちょっと書けないでいたけど、
とりあえず、今年もみんな元気で、意欲的に切磋琢磨しています、
ということは伝えておきたい。
2010年1月20日
コメントへの御礼-まとめて
成清忠さん。 お返事が遅くなりました。
「柳川掘割物語」 へのコメント、有り難うございました。
・・・・・そうですか。 広松傳さんはもうお亡くなりになられたのですね。
一度お目にかかりたかったです。
市井の偉大な人とはこういう人のことだ、と感動したことを覚えています。
顔も知っている生産者や消費者の方からのコメントは、辛口であれ楽しい。
しかし、このブログを2年半ほど続けてきて、コワいと思うことも実はけっこうある。
まずもって、よく他団体(≒競合団体?) の方から反応が寄せられる。
時には誰よりも早くメールが入ってきたりして、とてもウカツなことは書けないぞ・・・
と思うのである。
新年一発目の日記がそうだった。
農薬・化学肥料に頼った農業の限界性というテーマは刺激したようで、
すぐさま 「自分も調べているところで・・・」 という主旨のメールを頂いた。
Sさん、有り難うございました。
自分の問題意識にそう狂いがないことを確認でき、元気をもらいました。
いつかまた大きな意味で、ともに事を成す日をイメージしながら、
カッコよくレーニンの言葉を借りれば、
「それぞれの砲座から一つの目標を撃て!」 ですかね。
ライターの方からは、質問が寄せられた。
「農家への戸別所得補償については、どうお考えですか?」
日々多様な農家と付き合っている立場では、こういうテーマに対する見解は、
どうしても慎重にならざるを得ない。 一歩間違えると炎上する可能性もあるし。
今はまだ返事が難しいので、とお伝えして、アップを控えさせていただくことにした。
たまにずい分前の日記にコメントが入ることがあって、驚かされることがある。
一昨日は、1年半前(08年7月16日) の日記に対して、コメントが入ってきた。
いろいろ検索されていて引っかかったようだ。
記事は 「無農薬野菜はアレルギー物質が増加するので、かえって危険」
という研究に対する僕なりの見解をくどくどと書いたものだったが、
それが何と、感謝のコメントなのである。
雑誌で読んで違和感を感じ、悶々としていたところ、息子さんかお嫁さんが調べてくれたとか。
Ⅰさん。 それから昨年コメントをいただいたSさん、Nさん。
今さらの感ありですが、お返事をコメント欄にアップしました。
有り難うございました。
しかしまあ、改めて読み返すと、実にくどい文章だと我ながら思う。
相当に気合いも入っていたのだろうが・・・
それに今なら、こういう事実も付け足すことができる。
病害虫に対抗して植物が作り出す成分は、人間にとって有害なものとは限らない。
たとえば、ポリフェノールという成分。
動脈硬化や脳梗塞を防ぐとか、抗癌作用や予防効果があるといわれる抗酸化物質。
赤ワインなんかで喧伝されたりしているが、ほとんどの植物に含有している。
しかも、有機農産物には含有量が高い、とも言われている。
その理由は、植物は病害虫から身を守るためにこの物質を作り出しているから。
人工の殺虫剤に守られていると、この物質を作り出す必要がなくなる。
自然界の生命循環の中に身を置く生き物として、こういったことの意味は
深く、深く、考える必要がある。
要するに、アレルギー作用を及ぼす物質は自然界には溢れるほどあって、
しかしヒトが選択した食べ物は、例えばえぐみを取り除く調理技術なども獲得しながら、
文化として進化してきたものだ。
一方で、それだけでカラダに良いものもたくさんある。
自然界の謎はまだまだ奥深く、人類はどの程度まで把握したのかすら、実は分かっていない。
長い時間をかけて自然との折り合いのつけ方を学んできたわけだけど、
化学物質とはそう簡単に折り合えるものではない。
生命(物質)循環系に、連関をかく乱する物質の投入は最小限にすべきである。
たった一つの事象を取り上げて、「無農薬の方が危険」 とは、
食べものというものの意味を考えてない、としか言いようがない。
まずはご自身の体が何でできているのかを見つめて頂きたいものである・・・・・
新年頭の日記にも書いたけど、
これまで書いた有機農業批判や懐疑論に対する論考も再整理しながら、
私なりの " 未来をひらく有機農業論 " を構築してみたいと思う。
そういう意味でも、1年半後のコメントが、改めて見直す機会になりました。
嬉しくもあり、怖くもあり。 いやいや、ネット恐るべし、ですね。
でも、こういう緊張感や裏でのコミュニケーションは励みでもあります。
まだ閉めるわけにはいかないか、と気合いを入れ直すこととします。
2010年1月 6日
2010年の 小さな決意
短い正月休みが明け、4日から仕事を再開しています。
皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
重苦しい、不気味な時代になりましたね。
完全失業率が5%を越え、330万人以上の人が仕事を失くしていて、
今年卒業予定の大学生の3分の1の就職先が決まってないと言われています。
日本人の給与総額は10年前より10%も減ったそうです。
「中流」 を育てた分配システムも、いつの間にか変わってしまったんですね。
それでも、国内のお米生産量の倍以上の食べ物がフツーに捨てられる日本。
世界の飢餓人口はついに10億人を突破したというのに (肥満人口はそれ以上ですが)。
そしてそして、さらに世界の穀物需給は逼迫してきているというのに・・・
何かが行き詰まってきているような閉塞感が漂うなかで、
僕は4日間の休み中、酒と大地のおせちとTVでのスポーツ観戦をはさみながら、
本や雑誌や資料ばかり読んで過ごしてしまったのでした。 寒かったし。
そんなわけで何も絵がなく、
寅年にちなんで、まとわりついていた我が家のネコ科をアップ。
娘が拾ってきてから、もう16歳。 思春期よ! ニャン茶って・・・くたばりぞこないが。
とかゴロゴロしているうちに、
妻はついにブチ切れ状態となり・・・・・(これ以上書けません。 )
そんな危険な正月に挑戦して得た今年のキーワードは、
「農への回帰」 「生物多様性」 そして 「地域」 ・・・なんだ? 全然目新しくない。
ま、そんな出だしで2010年、
「生物多様性年」 と位置づけられた年が明けました。
出社すれば、気合いのこもった生産者の年賀状が届いている。
「農家に生活保護を行なうという、農民を小馬鹿にした民主農政は落第だ!」
こう返すしかない。
「政権は変わっても、いつの時代も " 農民の自立 " は恐いもののようです」
「生物多様性」 については、
10月に名古屋で開催される生物多様性条約締約国会議 (COP10) に向けて、
否応なくメディアも頑張ってくれるのでしょうが、
僕が注目したいのは 「遺伝資源」 という言葉です。
食料だけでなく、薬の原料という側面も持っている生物資源に対する
国家利益の調整に、モラルははたしてはたらくだろうか。
それから、去年の流れから脳裏にこびりついて離れないのが、
有機農業の意義や価値をきちんと伝える言葉を持ちたいという激しい願望。
そのためには、有機農業に対する批判や懐疑論はむしろ貴重な素材となる。
ぜ~んぶまとめて整理したいなぁ、ホント。
そこで僕がいま探しているのが、農薬と化学肥料のエネルギー収支、です。
化石燃料や有限の鉱物資源によってつくられるそれらに依存した近代農業は、
実は有機農業運動によってではなく、
自らの収支計算の破綻によって滅ぶのではないかと思っているのですが、
どなたかデータのありかをご存知の方、教えていただけませんでしょうか。
こんなふうに、今年も悶々としながら走り続けるのだろうけど、
新年らしく、改めて、目指したい境地を思う。
三好達治詩集 『艸千里 (くさせんり) 』 から-
私の詩 (うた) は
一つの着手であればいい -枕上口占-
薪 (まき) をはこべ
ああ汝
汝の薪をはこべ -汝の薪をはこべ-
2009年12月30日
良いお年を
厳しかった2009年も早や暮れゆく30日。
溜まった書類やら何やらを整理して、机を拭いて、「あとは来年回し!」
とか言いながら、カバンの中にいくつかの仕事を入れて (何といういさぎの悪さ・・・)、
終わり宣言。
年末ギリギリになって降ってきた 「地球号食堂 マルシェ」 も無事やり終えました。
26日(土)の夕方、マルシェ閉店前の風景。
劇団ひとりさんが出迎えています。
大地を守る会コーナーにもたくさんの人が見えてくれました。
飾られたポスター。
「地球号食堂おせちは 浮世を生きる人間賛歌なり」
片岡鶴太郎さんがしたためてくれています。
用意した野菜や短角牛製品は二日間で無事、完売。
藤田会長と劇団ひとりさんのセッションも大いに盛り上がったようです。
スタッフ諸君、お疲れ様でした。
続いて28日は、出版社コモンズの代表・大江正章さんが企画した忘年会に出席。
場所は大泉学園の南欧料理のお店 「La 毛利」 。
出版関係者や著者、編集者、新聞記者、PARC(アジア太平洋資料センター)自由学校
の関係者などなど20数名ほどが集まって、賑やかで楽しい会になりました。
オーナーシェフの毛利彰伸さん。
前は保谷駅前にあったのが、2年前に、大泉学園駅からバスで15分という
かなり地の利の点では悪いとしか言えない場所に移転しました。
農園と隣り合わせにある料理店として再出発したのです。
マーケティングとは破壊あるいは創造するためにある! か。
お店に隣接する農園の経営者が白石好孝さん。
「大泉風のがっこう」 を主宰する、新しい都市農業の姿を演出する農民の一人です。
TV朝日 「地球号食堂」 には東京有機クラブが登場したし、
都市農業はまだまだ奥深い可能性があることを、彼らは示している。
2009年の締めは、都市農業に力あり!
そして年内最後の出勤日。
休みのはずの職員が年末の炊き出しカンパに出動していきました。
山形・おきたま自然農業研究会の井上正明さんから、
昨年に続いて、困っている人にと送られてきた米が600kg (10俵!)。
それにカンパ物資を加えて、数日前から彼らが仕分けしていたのを、
僕はただ見ていました。
井上さんには脱帽、感謝、以外の言葉が浮かんできません。
先行き不透明?
景気はどこまで落ちてゆくのでしょうか?
よく分からないけど、希望は人のつながりの中にあります。
いい年でしたか?
僕は今年も65点あたり、そんな人生か。
来年は、今年撒いた種がを少しでも実ってくれると嬉しい。
では皆様、良いお年を。
2009年11月29日
エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~
PARC(パルク : アジア太平洋資料センター)という団体が主宰する
自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので
説明は省かせていただくとして、
その " オルタナティブな市民の学校 " のひとつの講座 「エコを仕事にする」
の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。
というわけで昨日、
5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち
20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。
午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。
「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。
僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・
有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。
有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。
しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、
これは生々しく " 物流 " の世界となる。
モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。
温度管理のためにはエネルギーも使う。
何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・
僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。
物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。
入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。
青果物の保管には、温度管理は欠かせない。
保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。
有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、
また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。
その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。
「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」
説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。
宅配用のピッキングのライン。
参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。
「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、
それでも3年前にこのセンターを建設した際には、
壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。
配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。
言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、
「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。
センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを
説明させていただく。
歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。
1975年、創設時のスローガン-
「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、
つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。
オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、
「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための
" もうひとつの道 " を提案し、模索し続けてきた。
消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、
食肉や水産物の加工場を建設した。
今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。
今でいう " 社会起業 " の先頭を走ってきたという自負が、ある。
最終回の講座を終えて、
「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、
カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。
最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。
半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、
すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。
シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。
ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。
ツチオーネだったら行く! と、
この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。
ご機嫌で、ひと演説。
すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!
-でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。
最後にみんなで記念撮影。
すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。
僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。
ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。
それはそれで、誇りにしたいと思う。
僕らはたしかに、ここまでは来た。
2009年11月13日
成長するための管理と監査へ -加工食品製造者会議
前回書いた立川駅伝は、3チームとも全員完走し、無事 襷(たすき) はつながったとのこと。
成績は聞いてない。 市民駅伝だし、みんな元気よく走っていた、それで充分。
ランナーたちの胸に、いい風が吹いただろうか。
さて今日は、加工食品と乳製品のメーカーさんたち合同での生産者会議が、
千葉・幕張で開催されたので参加する。
「第10回全国加工食品製造者会議&第5回牛乳乳製品生産者会議」。
地方での開催だと現地の製造工場などが見れて勉強になるのだが、
都心での開催のほうが、参加者は多くなる。
したがって全体で確認したいテーマが設定された時は、
やっぱり東京周辺で、となってしまう。
上京されてくる方々にとっても、合わせて他の仕事もセットできたりするのだろう。
ということで、幕張開催の気楽さ。 仕事を途中で置いて参加する。
本日の演題はふたつ。
第一部 : 「アレルゲン管理と事故対策」
第二部 : 「加工食品工場における第三者監査の取り組み」
ともにここ数年、内部検討や関係者との協議を積み重ねてきて、
大地を守る会らしい取り組みとして進んできたテーマである。
第一部の講師は、NPO法人アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長の
赤城智美さん。
食物アレルギー関連での、表示ミス等による製品回収事例の報告から始まり、
実際に発症した事例や症状の傾向、製造過程での混入事例、原材料の供給元での混入事例
等をたどりながら、リスク管理の考え方から具体的な管理の手法へと展開された。
食物アレルギーに対する正確な知識を持ち、
実際に事故を起こさないための管理体制を持つことは、
食品メーカーとしては今や必須の事項であり、
特に食べものの " 安全性 " を大事にする我々としては、生命線だとも言える。
しかしアレルゲンとなる食品は調味料はじめいくつもあり、
かつ食品メーカーとして多種多様な製品をつくる以上、
アレルゲン物質が工場内に存在することは避けられないし、
混入の可能性をまったくのゼロにすることも実はかなり困難なことで、
" 可能性はゼロではない " の観点から管理の仕組みを作っていくことが大切なのである。
このデリケートなテーマに対して、当会では、
アトピッ子さんと共同で、『製造者のためのアレルゲン管理ガイド』 という
食品製造者のための管理マニュアルの作成を進めてきた。
この作業は僕が以前の部署である 「安全審査グループ」 時代から始めたもので、
ついに、100ページにわたる、製造者にとって具体的に役に立つ管理ツールが完成した。
僕にとっては、3年越しで完成に漕ぎつけてくれたマニュアル、ということになる。
このほかにも、事故が発生した場合の対応のあり方をまとめたガイドや
工場管理をチェックするためのマニュアルも作成していて、
僕はこれを 「アレルギー・マニュアル3部作」 と呼んでいた。
その3部作が、ようやっと揃ったことになる。
今回はそれを受けての講演という格好になった。
赤城さんの講演を聴きながら、ここまで来れたか・・・・・という感慨に浸る。
本ガイドは、これからメーカーさんに配布され、現場で役立ててもらいながら、
さらにバージョンアップが図られていくはずだ。
マニュアルが一発完成したからではなく、その作業の積み重ねの上にこそ、
" 信頼 " や " 安心 " の称号は待っている。
どうか活用してほしい、と願わずにはいられない。
僕らとメーカーとは、安全性にこだわった食品の製造-販売という関係だけでなく、
安心できる社会づくりに向けてともに歩んでいることを、誇りを持って示したいと思う。
第二部は、「加工食品工場における第三者監査の取り組み」。
講師は、有機食品・生産情報検査員、丸山豊さん。
これまた当会独自の取り組みである農産物の監査を進めていただいている
(有) リーファースさんからの講師派遣として来ていただいた。
丸山さんは有機食品の検査業務では最も経験豊富な方の一人で、
日本オーガニック検査員協会 (JOIA) の理事長もされている。
表題の意味をひと言でいえば、農産物と同じ監査を加工食品でも進める、ということ。
加工品の原料の調達から製造化までのプロセスが当会の基準に合致していること、
それを証明 (トレース) できるシステムや文書管理が整っていること、
などを確認していただくことになる。
丸山さんには、その監査の意義や手順について、分かりやすく解説いただいた。
「監査」 と言われると誰もが緊張するものだが、第三者監査を受けることによって、
社内トレーサビリティの構築や管理システムの見直し・改善につながるものである。
どうか積極的に受け入れてほしい、と参加者を気遣いながら語ってくれた。
しかもこの監査は、JAS法などの認証のための監査ではないので、
ベテラン検査員の経験によるアドバイスも存分にやっていただこうと思っている。
つまり現場で検査員の知識を吸収できる特典付きという 「監査」 ってわけだ。
ただ 〇 か X かの冷たい監査報告書を持って帰ってきてもらうのでなく、
工場管理の進化に向かって、「第三者監査」 という手法を活用していただく。
それによって、僕らは総体として成長する、のだ。
アレルゲン管理に第三者監査の活用。
二つの講演がセットで企画されたことは、ちょっと自慢していいんじゃないか。
僕も両者に関わった者として、勝手に鼻高々の気分である。
自己チェック体制を築き、監査を取り入れ、改善を進めることで、自信が湧き、
スタッフのモチベーションも上がって、自慢の工場になる。 信用や信頼も高まる。
自らを進化・成長させるためのツールとして活用していただけると嬉しい。
会議後の懇親会でも、あちこちで話題になる。
ところで赤城様、丸山様 (&リーファース代表・水野葉子様)
懇親会の席で、社内全体の意欲を高める必要がある、と言われた方がいて、
喜んで次のように応えさせていただきましたので、ご了承ください。
「なんなら自主的に赤城さんや丸山さんを呼んで講習会を開いてみてはいかが。
大企業のような設備や資金がなくても、やれることはあります。 応援しますよ。」
要するに、私の意地は-
大地を守る会の生産者会員のモラルと意識の高さは一番!と常に言わせたい -です。
ということで、よろしく! です。
2009年10月30日
繊細なる野菜 - レタスを学ぶ
レタスはとっても難しい野菜である。
繊細で、傷つきやすく、わずかな温度や湿度の変化にも敏感に反応する、
まるで箱入り娘のような野菜。
レタスを語るとき、よく引き合いに出される作品に、
ジョン・スタインベックの 『エデンの東』 がある。
小説よりも、ジェームス・ディーンが演じた映画のほうが有名な気がするのは、
自分が原作を読んでないからか。 あの映画で、
収穫されたレタスを氷で冷やしながら貨車で東部に運ぶシーンが出てくる。
これがうまくいったらボロ儲けの算段だったのだが、途中で貨車が止まってしまい、
扉を開けたら水が流れ落ちてきて、男が中のレタスを取り出して、一瞥するや投げ捨てた。
レタスに負けないくらいにナイーヴな青年を演じたジェームス・ディーンが、
「 レタスで失敗した親父の借金 (と自分への信頼) を取り戻したいんだ 」
と新たな事業に挑戦する。
原作は1952年。 その頃からすでにレタスの長距離輸送は、
事業家 (アメリカの農園主は事業家である) の野心を掻き立てるテーマだったのだ。
そんなレタスの品質保持について勉強しようと、
昨日から30名強の生産者が長野県南佐久郡南牧村に集合した。
レタスの品質保持は、今もって我々の重大テーマのひとつである。
流通過程で傷みが広がるのを防ぐために、生産現場で考え得る対策はないか。
そのために発生の原因や対策技術を検証してみよう。
また流通で考えるべきことについても話し合いたい。
会議の表題は 「レタス・キャベツ生産者会議」 だったのだが、
そんなわけで (?)、会議の時間はほとんどレタスの話に費やされてしまった。
今回の幹事を務めてくれた地元生産者、有坂広司 (ひろし) さん。
理論家で研究を怠らない、ちょっと怖い人。
「まあ、生産者だけでなく、大地にもちぃっと勉強してもらわんと・・・・」
僕らはこういう人に支えられている。
講演にお呼びしたのは、長野県野菜花き試験場研究員の小木曽秀紀さん。
レタスの病害の様々なケースに対して、単純に農薬に頼るのではなく、
IPM (総合的病害虫管理) の考え方に沿って対策を講じる研究を重ねてきた。
IPMの定義を要約すれば、こんな感じ。
- 利用可能なすべての防除技術を、経済性を考慮しつつ慎重に検討し、
病害虫・雑草の発生増加を抑えるための適切な手段を総合的に講じる技術。
- これらを通じ、人の健康に対するリスクと環境への負荷を最小限にとどめる。
- また農業による生態系が有する病害虫および雑草抑制効果を可能な限り活用する
ことにより、生態系のかく乱を可能な限り抑制し、
安全な農作物の安定生産に資する技術・考え方の総称である。
ここでは農薬の使用をまったく否定するわけではないので、有機農業とは立ち位置
は異なるが、できるだけ自然の力を活用しようとする技術は、吸収しておこう。
農薬を削減するための技術は様々にある。
輪作の導入や緑肥作物の活用、肥培管理、土壌の物理性の改善といった耕種的防除、
熱水による土壌消毒といった物理的防除、
病原菌の繁殖を抑える力を持った植物や虫・微生物などを活用する生物的防除、などなど。
有機農業はそれらを総合的に捉え体系化する未来創造型の農業だと、僕は位置づけている。
ここで小木曽氏は、いま農家の頭を悩ましているレタス腐敗病に対して、
健全なレタスの葉から、病原菌を抑える力を持った微生物を発見して、
実用化 (これも防除目的である以上、「農薬」 として登録される)
した 「ベジキーパー水和剤」 を事例として、その特徴や利用方法などについて報告された。
次にもう一人ゲストとしてお呼びしたのは、タキイ種苗塩尻試験農場の石田了さん。
いろんなレタスの品種を開発してきた種屋さんである。
品種ごとの特性や栽培上の留意点などが解説された。
レタスとひと言で言うが、ずいぶんと品種があるものだ。
適切な品種選択も重要なポイントなのであった。
生産者の間でひそひそと情報交換が活発になるのは、こういう話題の時だね。
お二人のゲストを相手に、質疑応答も活発に行なわれた。
司会を務めた農産グループ有機農業推進室の古谷隆司が、あれやこれやと
流通過程でレタスに表われてくる症状と原因について聞くも、
答えはだいたい 「そうとは言い切れない。 見てみないと分からないですね。」
表面に現れる症状の原因はひとつではないし、似たる現象も実は異なるものだったりする。
「ウ~ン」 と唸りつつ、推論を絞り込んでいく。
要するに特効薬はひとつではないのだ。
レタスの大産地・川上村の生産者、高見沢勉さんにお願いして、
川上村でのレタスとのたたかいの歴史を語っていただいた。
レタスが日本に入ってきたのは明治初年だが、生産が一気に増えたのは、
戦後の進駐軍用の特需からだった。
その後、食生活の洋風化とともに大幅に消費量が伸びてゆく。
長野の高原地帯は、冷涼な気候がレタス栽培に合って、生産の増加とともに
出荷・保管・流通技術の進化を牽引してきた。
氷詰めでの輸送に挑戦したカリフォルニアの歴史は生かされている。
その一方で、夏季の3ヶ月で1年分を稼ぐような凄まじい生産構造となって、
深夜の0時過ぎから投光器を照らして収穫作業が行なわれるようになった。
日の出までに収穫し、切り口を洗い、しっかりと予冷させ冷蔵車で運ぶ。
また 「レタス産地」 とは、病気と対策のイタチごっこに苦しんできた歴史も抱えている。
レタス御殿が並ぶと言われる地帯でも、そこはけっしてエデンの園ではないのだ。
高見沢さんの話で一番こたえたのは、「レタスの収穫適期は一日」 という言葉だった。
一番良い時に収穫したい。 それは生産者なら当然のことだろう。
しかし、そこが会員制の宅配では、なかなかうまくいかない。
会員からの注文、しかも毎日続くオーダーに応じて出荷してもらうために、
" 採り遅れ " という事態が発生することがある。
しかもいくつもの産地のリレーでつないでいると、出荷を待ってもらったり、
数の調整をしたり、というのが日々の物流の実情である。
雨でも出荷をお願いする時もある。
互いの事情を理解しあう、ではすまない問題が横たわっていて、
販売力の強化、販売チャンネルの複数化 (による調整能力の強化)、
会員に伝える情報の的確さ・・・・・
などなど話は深夜まで続き、延々と複雑化してゆくのだった。
勉強にはなったけど、悩みは尽きない。
で、明けて今日は朝から有坂さんの畑を回る。
レタスは終わって、畑にあるのは白菜。
広司さんの風貌は、TVドラマに出てくるベテラン刑事みたいだね。
このデカ長、栽培技術に関しては、相当に執念深い。
黄葉したカラマツが二日酔いの目を癒してくれる。
広司さんの息子さんの、泰志さん。
親父譲りの理論派である。
最後まで残った人で、八ヶ岳連峰をバックに記念撮影。
がんばろう! レタス!
深まりゆく秋、の長野でした。
2009年10月16日
グルメ・ショーに大地を守る会
-違和感ありますか。 ありますでしょうねぇ。 僕もちょっと。。
10月14日から三日間、有明の東京ビッグサイトにて開催された
「第6回グルメ&ダイニングスタイルショー秋2009」 なる展示会に
大地を守る会も出展したのです。
こういう展示会に出展すること自体、ほとんどないのだけれど、
今回は 「食育の再考」 というのがテーマに掲げられ、
大地さんには是非、と主催者側から求められたこともあって、
じゃあ出てみようか、と相成った次第。
といっても、特段に 「食育」 という言葉を意識して何かをしているわけではない。
僕らはただ粛々と安全性にこだわりながら食べものを届けて、
畑や田んぼや実際のモノづくりを体験したり、食べ方を学んだり、
生産者と消費者が交流する機会をできるだけたくさん用意して、
生産現場と台所の距離をひたすら近づけようとしているだけである。
まあこれも広義な意味では 「食育」 とも重なるのだろうけど、
何となく上から目線的で、あんまりこの言葉は使いたくない、
と感じているのは僕だけだろうか。
ま、ここでそんないちゃもんつけてもしょうがない。
ネーミングには深入りせず、『グルメ&ダイニングスタイルショー』 である。
" 食卓を切り口に、新しいマーケットとライフスタイル・食文化を創造する見本市 "
と銘打たれている。
出展社数は150くらいか。 食品メーカー単独での出展は意外と少なく、
各地方の特産物や地域おこし的産品のPRが目立った。
来場者数は分からないが、前回が約3万人強とのことなので、それくらいは入ったのだろう。
こちらもメーカーから流通・小売・外食など食関連の企業の方々が主で、
つまりB to B (企業間取引) のマッチングがお目当ての展示会なのである。
というわけで、今回の担当は卸し業務の部署である
農産グループ営業チームのお仕事となった。
私も立場上放っとけないので、1日 (正味半日だったけど) は出張って
PRと営業に精を出すことにした。
こういう展示会はあくまでも企業間の出会いと商談が目的なので、
試食試飲はOKだけど販売は禁止、というのが通例だ。
今回は野菜・果物の展示をメインに、米のマゴメさんやパンのサラ秋田白神さんから
サンプル協力いただき、フルーツバスケットと総合農舎山形村には人も出してもらって
ジュースの試飲を用意した。
加えて、今回のテーマである 「食育」 に絡めた出品をひとつ、ということで
この秋からスタートした 「たべまも」 キャンペーンと、「コメニスト米」 を展示する。
" 食べて守ろう、生物多様性 " -大地を守る会からの提案です。
米を食べて田んぼを守ろう。
鹿肉を食べて森を保全しよう。
地方に残る在来野菜を食べて、種を残そう。
今回の来場者には、どうやら米よりも鹿肉のほうが強く訴求したようだ。
しかも、B to B のはずなのに、直接届けてくれるの?
と仕事を忘れて宅配に興味を持つ人もいたりして。 面白いね。
本来の成果のほどは・・・・・まあまあ、ということにしておきたい。
出展社ブースに 「食育」 の文字はなく、ただただ 「商魂」 に尽きた。
2009年10月14日
『土と平和の祭典』 と 『地球大学』 (予告)
夏の天候異変や台風の影響はあっても、
生命の糧が実ったことを祝い感謝する祭りは、やっぱり必須の行事だ。
里も山も海も、それは時代や国籍を問わない。
暮らしとつながっている自然への畏敬の想いが、いろんな形で連綿と表現されてきた。
そして、しかも、いやだからこそ、新たな祭りが生まれたりもするである。
いま最もホットなのは、" 農を知ろう・触れよう・近づこう " という積極的なコンセプトで、
食の大切さを表現しようとする若者たち主体の " 祭り " かもしれない。
自然と向き合う仕事の素晴らしさを豊かに語れる者たちによってこそ、
祭りは受け継がれなければならない。
10月18日、日曜日。
東京のど真ん中、日比谷公園で、
大地に感謝する収穫祭 - 『土と平和の祭典』 を開催します。
大地を守る会も出店します。
生産者も多数、応援に駆けつけてきてくれます。
若手の生産者たちはステージで行なわれる若者リレートークにも登場します。
おまけに、千葉・さんぶ野菜ネットワークで農業を体験している
モデルやタレントさんたちの集団 「フリマガ野菜部」 の人たちも
大地を守る会のブースで売り子に立ってくれます。
オリジナル・デザインの麦わら帽子を持ってくるそうだ。
詳細はこちらから → http://www.tanemaki.jp/tsuchitoheiwa2009
さて次は、セミナーの案内です。
祭りの翌19日(月)、東京駅前・新丸ビル10階のエコ・スペース
「ECOZZERIA (エコッツェリア) 」 にて、
『第23回 地球大学アドバンス』
日本の 「食」 をどうするか?-「地球食」 のデザイン、日本食の可能性-
が開催され、わたくしエビもゲストの一人として喋くります。
これからの日本の農業と 「食」 はどうあるべきかを30分で語れという、
竹村真一氏(文化人類学者) の、例によっての大ざっぱな宿題提示。
簡単に言うなよ・・・・とひとりごちつつ、頭の中を整理しているところです。
きっと二日酔いの頭で・・・・うまくいったらお慰み、かな。
もう一人のゲストは、ノンフィクション作家の島村奈津さん。
こちらはスローフードの第一人者ですね。
よろしかったら聞きに来てください。
詳細はこちらから → http://www.ecozzeria.jp/event/2009/10/23.html
要予約、です。
以上、案内二本でした。
2009年10月 1日
有機農業推進と有機JAS規格(続)
偉そうに長々と書いちゃった手前、自分の有機JASに対する評価と、
大地を守る会が進めようとしている " 監査 " の考え方について、
触れないわけにはいかなくなってしまった。
まあ別にモッタイつけるほどのものでもないし、もう進めているものでもあるので、
話の流れ上、記しておくことにする。 各方面からのご批評を賜れば幸いである。
まず有機JASについて。
僕の認識をひと言で言っちゃえば、こういう感じかなぁ。
「有機JAS規格と認証制度は、自己を証明するひとつのツールであって、
それ以上でも以下でもない。」
自身が持っている栽培基準が有機JASの規格に等しい、あるいはそれ以上だと考えるなら、
それを誰に対しても証明できる管理体制を整え、第3者の監査も受けてみることは、
決して悪いことではない。
むしろ他流試合を挑むくらいの気持ちでトライしてみるといい。
自分の思い込みや甘い部分が指摘されたりして、自己診断や改善にもつながる。
大地を守る会でも独自に産地の監査を実施しているが、
第3者の認証機関やオーガニック検査員の視点を盛り込んで進めている。
そこでは、有機JASの認定を受けている生産者は管理の基本ができている、
というのが我々の評価である。 したがって証明も早い。
もちろん文書管理は増え、認証費用もかかることになるのだが、
このご時勢、コストや労力がかかりすぎるからという理由で、
栽培履歴が証明できない (=トレーサビリティの体制がない) では、次に進めない。
一方で、有機JASなんか不要だ、という頑固な生産者もいる。
農薬・化学肥料は有機JASで許容されているものですら一切使わないし、
国のお墨付き (JASマーク) もいらない、という方々だ。
これはその人の考え方や哲学のようなものなので、それはそれでよし、とする。
しかし、大地を守る会の監査は受けてもらう。
そこでは、有機JASの監査で要求される管理の仕組みは、
ひとつのスタンダードとして活用する。
つまり 「有機JAS農産物」 は認証の結果による表示であって、
それだけが 「有機農産物」 なワケではない。
もうひとつの動きとしては、新たに有機農業にチャレンジする生産者には、
有機JASはひとつの登竜門的機能を果たしてもいる、ということもある。
そこは生産者の努力の結果として正当に評価しなければならないだろう。
したがって当然のことながら、
大地を守る会の監査の対象は、当会に出荷する農産物すべてが対象となる。
監査が自己証明の手法であるとするならば、
農薬を使用せざるを得ない場合も同じであって、
記録や資材管理は有機JASの認証を受けた方々と同じレベルを要求することになる。
有機JASの認証を取得して、その後 「大地の監査でいい」 とJAS認証を撤退した
誇り高き生産者を、僕は知っている。
したがって、有機JAS制度が有機農業の推進を阻害している、とは
僕らの感覚では正確な分析ではない。
「有機農産物」 と表示した国内の農産物が増えてないだけなのだ。
批判するにせよ評価するにせよ、有機JASに執着すればするほど、
呪いにかけられたように表示規制に呑まれてしまうような気がする。
これは常に戒めなければならないことだし、僕らは
有機農業の世界を豊かに進められているかどうかをこそ、検証しなければならない。
そのために必要なことは、自らの 「基準」 に有機農業の推進を据えられるかどうか、だろう。
基準とは、自らの生き方の指針でもあり、監査の 「ものさし」 ともなるものだから。
「ものさし」 が単純な資材の使用可否や文書管理のマニュアルでしかないのなら、
それだけの監査しかできない。
有機JAS制度を批判ですますことなく、
実体をもって進化させられるかどうか、ではないだろうか。
豊かな認証制度をつくるには、有機農業の基準と物差しが進化しなければならないのだ。
国も認めざるを得ないような物差しが欲しい。
僕が感じている課題は、前回書いた通りである。
ただし各種の研究をただ待ってもいられないわけで、
僕らは僕らで、自分たちの基準 (ものさし) に従って、監査を進化させなければならない。
栽培にあたって行なわれた行為を確認するだけでなく、
生産者個々の課題への取り組みや、それによってどんな価値が生まれたかを
監査できるシステムをつくりたい。 その手法はまだ手探りだけど、
いつか生産者とともに誇れるようなモデルをつくりたいと思うのである。
それは監査を続けるなかでしか獲得できないだろう、そう思って模索を始めている。
そのために、有機JASの認証機関や検査員の力もお借りする。
彼らが、海外のオーガニック農産物の認証で生計を立てるのではなく、
しっかりと国内での有機農業の推進のために仕事ができる、
そんな環境づくりにもつながるものとして。
有機JAS制度が海外のオーガニック製品の流入を後押ししたとかいって批判しても、
実にせんない気がする。
自分たちの力の弱さだと自己批評しなければ、運動は発展しない。
さて、前回の冒頭の話に戻れば、
農水省の有機農業推進班の方々が意識しつつある課題は、
有機農業推進法の制定とモデルタウンの進捗によって、生産が拡大するとともに
販路の確保が重要になってきている、ということ。
「大地さん、何かいい知恵はないですか。」
どーんとこい、と言い切れないところが弱いところだが、
僕の答えは、この2回の話に尽きる。
鍵を握るのは、消費者の理解なんだけど、
そのためにはそれぞれの立場で " 創造的な " 仕事を進めなければならない。
創造を伴わない批判は、その運動の質も停滞させる。
運動家なら、創造に賭けよ。
研究者なら、真実を探求せよ。
耕作者なら、土をこそ守ろう。
流通者なら、健全な人々のネットワークに心血を注ごう。
監査や認証は、そのためのツールである。
2009年9月28日
厳しい・・・です。
野菜が、です。
特に北海道における夏の日照不足と多雨の影響が大きく、
ジャガイモ・玉ねぎ・人参といった基本の根菜類が絶不調。
玉ねぎの達人-札幌の大作幸一さんをして
「長年作ってきたけど、こんな厳しい年は初めて」 と言わしめるほど。
前にも書いたけど、特定産地との契約というのは、その地域、その畑の結果が
モロに直撃してくるので、なかなか供給も如何ともしがたく-。
ジャガイモや玉ねぎは当分、量目を調整しながらの綱渡り的な供給となるでしょう。
人参は断続的に供給 (入荷) が途絶えています。
「まだ太ってない、もう少し待って」 「雨で今日も掘れない」・・・・・
市場の値も上がってますが、それでも生産者の皆さんは
約束した値段で、大地を優先して出してくれています。
関東モノが出てくるまで、まだしばらく、厳しい状況が続きます。
基本野菜がない、とは実に切ない! ですね。
追い打ちをかけるように、近年にわかに評価を上げてきた北海道の米からも、
つらい写真が送られてきました。
旭川の隣、東神楽町の北斗会から。
冷夏による冷害に加えて、いもち病が多発しているとのこと。
白く見えているのがイモチです。
黄色く色づいているのが実の入った籾 (もみ)。
青いのは不稔(ふねん) 籾。 つまり実が入っていません。
平成5年の大凶作並の作柄になるかもしれない、との声も聞こえてきています。
産地担当 (農産チーム職員) も日々ため息つきながら産地と連絡を取り合っていて、
私もちょっと、このところ何も書けませんでした。
・・・・・なんだか、かなり弱気な調子になってしまったですね。
力強い写真も届いているので、アップしておきましょう。
山形県高畠町、おきたま興農舎・小林温(ゆたか) さんから。
9月24日、稲刈りが始まりました、の便りです。
毎年たくさんのカブトエビが湧く、吉田正行さんの田んぼ。
今では米作地帯はほとんどがコンバインで脱穀まで同時にやりますが、
こちらは今もバインダーで刈って、束ねて、杭に掛けての天日乾燥。
作業効率は上がらないけど、これでワラも活用できます。
同じくおきたま興農舎、浅野智さん。 夫婦で仲良く。
「まほろばの里」 と呼ぶにふさわしい光景ではないでしょうか。
お世話様です。 厳しい年でしたけど、無事収穫、有り難うございます。
大事にいただきたいと思います。
おきたま興農舎には、先日のコメニストの記者発表に出席いただいた
共同通信の記者さんが取材に来られたとのこと。
いい記事、書いてほしい。
2009年9月21日
東京湾クルーズ(余話)
東京湾エコ・クルーズに参加された会員さんの中に、
今年の大地を守る会総会に出席されていた方がおられ、
下船後の昼食タイムで少しお話をする機会を得た。
お声をかけたところ、ずっと私と話がしたかったのだという。
総会での質疑の中で、その方の質問に対する理事(私も含む) の回答に対し、
質問の主旨が誤解されてしまったのよね、とのこと。
しかも、エビちゃんブログでもそのまんま書かれちゃったもんだから・・・と、
ずっと気になっておられたようだ。
読み返してみると、
ブログにはこんなふうに書かれてあった (・・・て、自分で書いてんだけど)。
フードマイレージのキャンペーンをやりながら、
(国内といえども) 遠方から野菜を運んでくるのはいかがなものか。
-地方農業を支えているのは都市 (の胃袋) という現実がある。
社会の仕組みを変えなければ、関東地域だけで皆さんの食卓は支えられないし、
地方の一次産業を都市住民が支えないと、この国の環境は守れない。
私たちが今訴えているのは、国産のものを食べようということ。
そこからつながりを修復していきたい、というレベルなのである。
私は私で、生(なま) の現実と自分たちの今の限界点を素直に語った上で、
「つながりの修復」 という言葉に未来への作業を見ていることを伝えたかったのが、
その方にしてみれば、
「そんなことくらい分かってるわよ! 何年大地をやってきたと思ってんの!」
であったようだ。 大変失礼いたしました。
質問の主旨は野菜の話ではなく、このところ加工品や他の産品でも、
商品開発が進むたびにフードマイレージが増えている気がしてならないのだが
---というのが正確な意図だったらしい。
すぐに農産物についてだと思ってしまうのは、どうも長年の被害妄想ですかねぇ、
なんて詫びている自分もかなり情けないけど、
「今さらだけどね」 と言いつつ、「でも話ができてよかった」 と言ってもらえたので、
私にとっても、ホント、よかったです。 ありがとうございました。
改めてご質問の内容に応えれば、上の回答を補完する格好になります。
まずは大地を守る会の基準に合致する生産者・メーカーと手をつなぎ、
支えていただき、それが食べ物生産のスタンダードになる社会に向かいたい。
その過渡期にあっては、手をつなげられる人と進める、しかない。
もちろん我々の力量のなさ (販売力の限界) もありますが、
一方で、それほどにまだ少数派でもある、というのが現実なのです。
大野さんの大平丸が揚げた東京湾のスズキを食べる、のコンセプトもまた、
私たちの目指す 「つながりの修復」、そして 「輪の拡がり」 のなかに位置づくものです。
それはただ経済と暮らしを支えあうだけでなく、共通の財産を守る作業でもあります。
地産地消的な輪と、広い共生的ネットワークづくりは、
いずれリンクされるものと思っています。
けっして国内であれば遠くてもいいなんて思ってはいませんので
(野菜の場合は南から北への出荷リレーは必須となりますが・・・蛇足でしたね)、
どうかこれからも末長いお付き合いをお願いする次第です。
Y 様。
せっかくの機会だったのに立ち話的な時間しか持てず、すみませんでした。 また今度。
だいぶ風に当たったり、しぶきも被ったかと思いますが、風邪など引かれてませんよね。。。
そんなヤワじゃないか。 失礼しました。
2009年8月 4日
スーパーマーケットにも大地の野菜
今年4月の社内の部署再編成により、
外販営業部隊 (営業チーム) が我が農産グループに編入されてきている。
量販店や自然食品店・レストラン・外食・給食などなど、
要するに宅配以外の卸し業務全般を担う部署だ。
したがってわたくしエビも、グループ長のメンツもあり、時には営業にも出ることになる。
ということで、本ブログでは初公開になるけど、
大地を守る会の野菜を販売していただいているスーパーさんをご紹介したい。
小田急線沿線中心に28店舗を構える 「小田急OX」 さん。
写真は、さる7月24日に訪ねた狛江駅前のお店の外観。
ここから数分歩いたところに研修施設があり、
この日、各店舗の店長さんが集まっての研修会が開かれることになった。
そこで 「大地を守る会の野菜」 について話をしろ、というご指名を受けたので、
当社取締役の長谷川満とタッグを組んでやってきたのだった。
かなり頼りないコンビだって? 誰、そんなこと言うの。 もしかして大地通の方?
会議室に通され、
各店の店長さんに本部の方など合わせて30名ほどの方を前に、お話しする。
前に出て話した当事者なので、写真はなし。
店長さんなので、野菜専門とは限らない。
お肉分野から上がってきた方もいれば、雑貨畑でやってきたという方もいる。
「野菜はよく分からない、という方もいますので、小難しい専門用語は通じない
と思ってやってください」 と事前にくぎも刺されていた。
まずは戎谷から、会の歴史と組織概要の説明、基本理念、農産物の自主基準と
トレサビリティや独自の監査の仕組み等をお話しし、
御社の販売する農産物の 「信頼」 に貢献できる自信があることを伝える。
続いて、人参・きゅうり・キャベツを生で試食してもらいながら、
長谷川から、大地を守る会の野菜の違いについての話。
栽培の特徴から野菜の具体的な " 目利き " まで。
キャベツはここを見るのです。 きゅうりはこうなってないと、人参は・・・・
店長さんたちが一番興味を示したのもここで、やっぱり話は具体的なほうが面白い。
市販品との比較ではちょっとドキドキもしたが、
「うん、違うね、特に人参。 キャベツも甘い。 きゅうりは・・ちょっとわかんねぇなぁ 」
まずまずの好評で、ホッとする。
問題は表示である。
有機JASやら特別栽培やら〇〇農法やら、どうなってんの、ってな感じ。
僕も違いについて解説したが、どうもご納得いただけなかったようだ。
「もっと分かりやすくできないかねぇ、う~ん。」
課題ですね。
店長さんたちと忌憚なく会話ができ、
これからのサービスというかフォローのポイントも発見でき、
自分なりに、いい市場リサーチになったと思う。
本部の方曰く。
「今日はなんか、みんなリラックスして、けっこう質問が出ましたね。
いつもはもっと静かなんですけど。」
これがこのタッグの力なんですよ。 まあ長谷川キャラに負うところ大だけど。
お店の大地コーナー。
自社製品といえども店内風景を撮影するには許可がいる。 挨拶して撮らせていただく。
大地の野菜の特徴を一所懸命伝えてくれている。 有り難い。
お店から見れば、わが社が宅配していることは、営業上のデメリットになるのでは、
と思われる方が多い。
しかし、そんなことはないのです。
週一回の宅配で、足りなくなったとき、買い忘れた時など、
町々に一軒の取り扱い店があれば、そこに足を運んでくれる。
お店の方からも 「大地さんの会員さんらしき方も結構お見えになって、
それなりの相乗効果が出ているように思う」 とはよく言われることだ。
問題は、こういう不特定多数のお客様を相手にするお店では、
常に一定(以上) の見栄えも含めた品質が求められていて、
大地のように特定の生産者と契約した野菜というのは、
時に一般市場でははじかれるような形状のものも届いたりして、かなりリスキーなところだ。
会員さんからたまに 「こんなのスーパーじゃ置いてないわよ」
とお叱りを受けることがあるが、
そういうのはだいたいバックヤードではじかれていて、
誰に見られることもなく捨てられているワケなんですね。
生産者から見れば 「食べてほしい」 ものなんだけれど (もちろん、傷んでいるとかは別) 。
特定の生産者との契約とは、その時のその土地の結果が
ストレートに反映されたものが届く、ということである。
量販店で有機野菜と付き合うには、粘りと意思が必要になると思う。
そしてもうひとつ、大らかさも。
小田急OXさんとは、お付き合いをさせて頂いてもう20年になる。
以前、八百屋塾の話を書いたけど、
町の八百屋さんだって、スーパーさんだって、
" 日本の野菜(農家) を守りたい、支えたい " という思いを持っている人はけっこう多い。
こういう人たちとネットワークして、市場を開拓し変えていくことは大切なことだと、
ぼくは強く思っている。
有機のマーケットが広がり、食の安全の土台が強くなって、
消費者も手に入れやすくなって、農業全体が変わっていければいい。
有機農業推進法ができて3年になろうとしているが、
ぼくらは34年前からその精神を実践してきた自負がある。
仁義のひとつくらい切ってもらいたいものだ、農水省には。
そして町のスーパーさんに対しても、Gメンとかいって監視して回るだけでなく、
ちゃんとやっているところには頭を下げろ、と言いたい。
後日、OXさんから、
先日の話を社員向け小冊子に掲載したい、改めて原稿にまとめるので協力してほしい、
との連絡が入った。
実にありがたい話である。
2009年7月23日
女子大で講義
横浜は緑園都市にある 「フェリス女学院大学」 の校門に立つ。
な、なんで、エビが女子大に・・・・・・
いえいえ、けっして悪さをしに来たわけではありません。
国際交流学部・馬橋憲男教授からお招きをいただき、
大学生相手に講義をすることになったのです。
テーマは 「食の安全を考える」。
日本の食糧の安全保障の現状と改善策について、また私たちはどのように行動すべきか、
について喋れ、という大胆な要請。
オレみたいなのが入っていいのかなぁ、なんて
ちょっとドキドキしながら受付にて馬橋教授への面会を求めると、
「ああ、エビスダニさんですね。 うかがってますよ。 どうぞ」
と言われ、ホッとする。
生まれて初めて、堂々と女子大の中を歩く。
右手と右足が同時に出そうになったりしながら。
授業はといえば、生徒さんは25名。 与えられた時間は90分。
これまでこの講座では、日本や世界の食糧事情から食のロスについて、
魚がいなくなっているという話、遺伝子組み換え食品、フェアトレードなどをテーマに
学習してきたという。
それらを受けて、さあどうする、というところでおハチが回ってきたワケで、
結論は見え見えなんだけど、ここは一点集中ではなくて全面展開で臨むことにした。
それに若者相手だと最初のツカミが肝心だと、
駅前のスーパーでトマトを一袋買って乗り込む。
まずはヒトの生存にとってゼッタイに欠かせないものを確認する。
水と空気と食べもの、ですね、はい。
では、それらは何によってつくられるか。 あるいは得られるか。
すべての源は太陽エネルギーであり、植物の光合成であり、土であり、
壮大な生命のネットワーク (生態系) によって維持されているのであります。
さて、このトマトはどうやって実をつけたのでしょう。
ただ種を蒔けば実が成るわけではありません。
受粉 (セックス) というプロセスが必要です。
人工授粉やホルモン剤を使う方法もありますが、基本は虫に花粉を運んでもらう、です。
普段私たちが口にする野菜や果物のおおよそ8割が
他家受粉 (自力ではなく他の力をかりて受粉する) 植物です。
それは様々な外敵や自然の驚異から種を守るための植物の戦略なのです。
そこで重要な役割を果たしているのが、ハチです。
そのミツバチが今、地球上のあちこちで忽然と姿を消す、
という現象が起きているのをご存知ですか (一人だけ手が上がった)。
私たちは今、知らず知らずのうちに、生存のための絆 (ネットワーク) を失いつつあります。
そこで生物多様性の話につないで、
日本列島の特徴、そして得意の有機稲作の話へと進む。
「この世に用なしの生き物はいない。 有機農業は平和の思想なのです」
(ここでこのココロが伝わらないと、授業は失敗。)
食べるとは、つながる行為なのです。
さあ、あなたは誰 (何) とつながりますか。
わが国の食料自給率が40%というのは、すでに学んでおられることでしょう。
しかしこの国では、埼玉県に匹敵する田畑が耕作を放棄され、
国内の農業生産額に匹敵する食料 (2000万トン強) が生ゴミとなって捨てられ、
(その殆どが輸入食料です)、国土は超メタボ状態になっています。
つまり、自由貿易とかグローバリゼーションとかの名の下で、
私たちは " 奪う " という形で世界とつながっていると言えます。
国際交流学部で学ぶ諸君なら、
日本の環境や気候風土と、それを土台にして形成された食文化を語れる人になってほしい。
経済のグローバリズムで、収奪する自由主義の行く末が見えるだろうか。
食は地球とつながっていることを自覚するグローバリストこそが平和を築くのです。
後半は時間が気になりだして、早口になって一方的な語りとなってしまった。
自己採点は67点。
我が人生を象徴するような点数ですねぇ。
またやって欲しい。今度は1回だけじゃなく-
と教授から言ってもらえたことで、何となく満足して帰る。
生徒さんたちと記念撮影でもしたかったのだけど、恥ずかしくて言えなかった。
2009年7月18日
『雪の大地』 復活劇を始めようと思う。
今日は静岡・掛川の 「つま恋」 で開催されている一大イベント
『 ap bank fes '09 』 に、今年こそ参加する手筈だったのに、
なぜか出社して仕事に追われている始末。
せっかくの招待状も台無しにしてしまった。
3月にやったワークショップでご一緒した皆さん、すみません。
このところ、日記も書けないでいた。
忙しい、忙しい、貧乏暇なし、は若い時からの口癖だけれども、
ホンモノの忙しさというのは、どうやら周期的にやってくるように思うな。
あとで振り返れば、なんであんな程度で忙しいなんて言ってたんだろう、
とか思ったりするし、要するにこの周期というのは、単純な仕事量の問題でなく、
自分の能力にとっての今の壁の、胸突き八丁に来てるってことなんじゃないか。
やっぱ山登りの縦走のようなものですね、人生は。
しかも、こういう時に限って複数の難題が同時に押し寄せてきたりするから、
不思議なものです。
いま進行中の難題については、ここではまだお話しできませんが、
この4月から受け持つことになった外販 (卸し) で、
これまで経験したことのない新規営業に挑戦しているのです。
しかも複数、しかも同時に佳境に入った、みたいな。
いつか自慢げに報告できるよう、このプレッシャーに挑んでいこうと思うのであります。
運動はハッタリではないのである! と言えるように。
そしてそんな間にも、管理者としてのデリケートなお勤めも逐次発生して・・・・
いや、これはやめておこう。 情けない愚痴になるので。
さてここで、書けなかったネタの中から、この間のトピックをひとつ。
7月8日(水)の夜、六本木で提携米研究会の会議があって、
そのあと残った十数人で、
庄内協同ファーム・斉藤健一さんを偲ぶ一周忌の会を開きました。
健一さんと一緒につくった純米酒 「雪の大地」 の最後のストックを空けながら-
思い出を語り始めては、つらくなる。
でも彼を抜きには、飲めない。
「健一がそこにいて、ニコニコしながら飲んでいる」
なんて、誰かが言う。 泣かすなよ、こら! なんて言いながら、飲む。
自他ともに認める健一さんの弟子、佐藤和則と語る。
斉藤健一が、農の魂を表現したいと思って作った酒・・・・
-復活させたいな、「雪の大地」 を。 このまま終焉じゃ申し訳が立たない。
-俺はもう、そのつもりで米作ってっから! エビさん、ゼッタイやってよ!
彼の弟子が、俺を睨んで決意をうながすようになった。
引くわけにはいかない。
「雪の大地」 第二幕を、始めようと思う。
健一さんがホントにニヤニヤしながら脇にいてくれてたんなら、嬉しい。
でもオレ、今ちょっと忙しいんで、ちょっと待っててね、健ちゃん。
2009年6月 7日
総会後の弱音
6月6日(土)、大地を守る会総会終了。
今年の活動計画・予算の承認を受け、ひとまず安堵する。
参加された会員からの質問や意見はどれも現状への苛立ちのようなものに感じられ、
私たちの課題や限界点が浮き彫りにされた一方で、
問題の根本を伝えることの難しさを感じさせてくれた。
エネルギー消費の大きいハウス栽培の問題。
-CO2排出を削減する栽培技術は、生産者の経営問題にとっても焦眉の課題である。
いろんな情報を収集し、できる技術はチャレンジしてゆきたい。
フードマイレージのキャンペーンをやりながら、
(国内といえども) 遠方から野菜を運んでくるのはいかがなものか。
-地方農業を支えているのは都市 (の胃袋) という現実がある。
社会の仕組みを変えなければ、関東地域だけで皆さんの食卓は支えられないし、
地方の一次産業を都市住民が支えないと、この国の環境は守れない。
私たちが今訴えているのは、国産のものを食べようということ。
そこからつながりを修復していきたい、というレベルなのである。
などなど。
東北から参加された生産者は、その夜、飲みながら僕の目を睨んで言った。
「 自給率が1%しかない東京に運んで、なおかつ 「高い」 とか言われてしまう
俺たちの思いを、もっと伝えてくれよ。 」
右からも左からも、何から何まで求められると、心がささくれ立ってくる時もある。
正直、しんどいよ。 でも、やらないといけないのだろう。
そんな時は、弱気なセリフも出てしまう。
責めてばっかりじゃなくて、頼むよ、パワーをくれ!
流通者のモラルとポリシーは捨ててはいない。
いや、モラルとポリシーを持った流通は可能なのだ、ということに挑戦し続けてきた。
ニッチ (すき間) とか言われながら、年商160億レベルまで築いてきた。
それだけ食える人を増やしてきたつもりなのだが、
でもまだまだ先は長く、ムチは打たれるのだ。
もっともっと、僕たちは語り合わなければならない・・・・・
総会を終えたたまさかの開放感と、未達成感とで、酔い潰れる。
2009年5月 1日
学生たちの環境教育活動で米づくり
昨日は山武に行ったかと思えば、今日は香取にいる。
ここ、千葉県香取市(旧・佐原市) の多田という地区で、
佐原自然農法研究会代表の篠塚守さんは米づくりを営んでいる。
有機JASの認定農家である。
典型的な谷津田地帯だ。
ここに今日、一人の学生さんをお連れした。
NPO法人 「太陽の会」 の事務局長・岩切勝平君。 某W大学の4年生。
小中学生を対象に自然体験型の環境教育活動を行なっていて、
今年は米づくりを体験しながらの環境教育プログラムに取り組みたいと、
当会に相談にやってきたのだった。
4月に入ってから相談に来られてもねぇ。
もう生産者はすっかり準備に入ってる段階だからねぇ。 厳しいな。
-などと偉そうにぶちつつ、ダメもとで篠塚さんに電話してみたところ、
快く 「分かった。 いいよ。 やらしてあげる」 と言ってくれた。
しかし・・・これから改めて苗をつくらなくっちゃね。
(面積は)どれくらい? 何人来るの? -具体的なプランはこれからである。
そこで 「とにかく会いに行こう」 ということになった。
周りではもう田植えが始まっているなかで、
篠塚さんは 「まあ、ウチはまだこれから」 と泰然としている。
こういう人でないと、こんな急な話には乗ってくれないか。
地元の子どもたちに教えたりしてきた経験もある。
2002年に横浜市内の小学校で総合学習を引き受けた時は、
篠塚さんや仲間のメンバー、それに奥様方にも色々と手伝ってもらったし、
今年の東京集会でもお世話になった。 いつも無理言ってスミマセン。
用意していただいたヨモギ餅を二人で遠慮なく頬張りながら、
トントンと話を詰めていく。
これから苗をつくって、田植えは5月31日とする。
草取り作業と稲刈りまでのスケジュールや段取りの確認。
2回目の草取りイベントでは、泊りがけでの自然体験ツアーを組みたい意向。
これはもうちょっと時間をかけて検討することとする。
そして案内していただいたのが、上の写真左手前の田んぼ。 5アールくらいか。
「ここがいいと思うんだけどな。 どうだい?」
耕起してある。 すでに田植えの予定を組んでいた場所だ。
篠塚さんは、若者や子どもたちのためだと思うと面倒を厭わない。
ありがたい話である。
「ここでやらせてください」 と岩切君も腹を決める。
いろいろと詳細を確認する二人。
オレも、手前どもの 「稲作体験」 の今年の規模を考えると、
人の世話やっている場合じゃないんだけど、
生産者が無理をきいてくれたお陰で、セッティングできた話である。
できる限りのフォローをしなければいけない、と思う。
ちなみに 「太陽の会」 というのは、歴史のある団体で、
設立は1975年に遡る。 大地を守る会と一緒である。
設立者は、音楽家の北村得夫氏。
氏は太平洋戦争末期、人間魚雷の訓練中に広島での救済活動にあたり、その際、
被爆した子どもたちと 「絶対に平和な社会をつくる」 という約束を交わした。
その約束を果たすために、世界共通言語である音楽やマンガを通じて、
子どもたちへの平和教育活動を始めたのだという。
北村氏と交流のあった方々には、手塚治虫さん、石ノ森正太郎さん、やなせたかしさん
といった漫画家の名前があり、また幸田シャーミンさん、オノ・ヨーコさん、北野大さん、
政治家の海部俊樹さん、橋本龍太郎さんなども協力している。
シンボルマークは岡村太郎さんの作。
現在の会長は三木睦子さん (三木武夫元首相夫人) という、
超ビッグネーム・オンパレードの、どえりゃあ会なのである。
北村氏が病気になられた2006年に、
学生中心で運営するNPO法人として再出発した、とのこと。
ま、先達の名前はかなり重たいけど、歴史は歴史として、
学生ならではの活動を展開していってもらいたい、と思う。
こちらもできる範囲でのお手伝いはさせていただきましょう。 これも何かの縁なんで。
つい先日(4月29日) 谷津田の話を書いたけど、こんな感じ。
向こう側は耕作が放棄され、荒れてきている。
一所懸命切り拓いた土地が、いつのまにか 「やっても割が合わない」 土地になって、
生き物との繋がりもだんだんと途絶えていって、
いつかヒトの記憶からも消えてしまうのだろうか。
そのとき、僕らはどんな暮らしをしているのだろう・・・
篠塚さんはきっと、子どもたちに見せたいのだ。 篠塚さんの記憶を。
≪ 注 ≫
「太陽の会」 という団体名はいろんな分野であるようですが、
いかなる政治・宗教団体とも関係ない、とのことです。 HPは -ないようです。
2009年4月26日
物語は続編に向かうのである。
先日(20日) の日記で紹介した 『それでも、世界一の米を作る』 の、
続きのような話。
福島・稲田の伊藤俊彦さんから、
奥野修司さんの出版を祝って一杯やろうか、という誘いの電話が入ったのだ。
断る利用はもちろんなく、設定したのが24日(金) の夜。
場所は有楽町。 伊藤さんがお店のコンセプトづくりにも関わったという居酒屋。
名前は 「 吟銀 (ぎんぎん) 」 という。
奥野さんに、伊藤さんとお付き合いのある関係諸氏、
そして稲田の関係者など、20名近くが集まって、お祝いの一席が出来上がる。
自然に思い出話が始まる。
「本当のことを言うと、最初はけっこう戸惑いました。
戎谷さんから伊藤さんを紹介されて取材に入ったんだけど、
どうみてもハッタリ臭いんですよ。 ところがその根拠を調べていくうちに、
" いや、伊藤さんの言うことは当たっているかもしれない " なんて思いだして、
のめり込んでいったんですねぇ。」 (奥野:下の写真右)
「いやあ、この人はホント、しつこくて。 だいたいクソ忙しい時に限って来るんだよね。
そんでもって、いつの間にか話し込んだりしちゃってるんだよな。
ジャーナリストってのは、ヤな奴だと思ったよ。」 (伊藤:同左)
それが今、笑いあっている。 ま、6年越しの取材だからね。
いつの間にか奥野氏が取材に入っているのを、
事務所の人も気にとめなくなるほどだったと言う。
それでもって中国まで取材範囲が及んで、今回の労作となった。
こういう形で、自分たちの行為にとどまらず思いまで受け止めて、
背景をも含めて語ってくれたことは、やはり素直に嬉しいものだ。
「いや、取材費用だけでも・・・。 言っとくけど、儲からないですよ、こんな仕事。」
なに? 貧しいの? ますます嬉しくなったりして。
俺たちのたたかいは、まだまだ続く。
奥野さんには、当然ながらこの続編を書く義務がある、なんちゃって盛り上がる。
これからの展開は、各章ごとに新しい登場人物が現れるような話になるはずだ。
そうでなければならない。
・
そんなこんなで酔っ払っちゃった翌日は、春の職員合宿。
今回は、各グループが自部署のビジョンなどをプレゼンするプログラムが用意され、
自分は二日酔いの頭をフル回転させて、声だけは張り上げて、
農産グループの夢などを豪語して、ごまかしたのだった。
用意したキャッチは、キューバの革命家、チェ・ゲバラの言葉を元ネタに、
" 農民が花ならば、オレたちはミツバチになろう! "
- ウケるかと思ったが、他部署のプレゼンのほうが完成度が高く、反応はイマイチで終了。
でもまあ、新生農産グループのPRは若手たちが頑張ってやってくれたので、よしとする。
恒例の新人発表では、歌ありダンスあり、一発芸あり、モップを使っての書の披露から、
海外派遣での体験や大学院時代の研究発表などなど、
それぞれに今時の若者らしい、怖じることのないパフォーマンス。 なかなかである。
そして、すっかりダレた頭で帰還した私を迎えてくれたのは、ブナの若葉だった。
いつの間にか、新しい葉が、まだ淡いけど瑞々しく生え変わっている。
春は若い季節で、思い切って後進に託す部分もあるけれど、
まだまだ老ける歳ではない。
僕らは懲りることなく、新たな荒野を目指さなければならない。
しつこいライターも逃がれられないくらいに。
世界がおかしくなっていく以上、この物語も、終わらせるわけにはいかないんだ。
2009年4月14日
棚田を守る人足(ボランティア)募集
今年もやってきました。
福島県喜多方市山都町の、山間部に張り巡らされた水路-本木上堰 (もときじょうせき)
の堰さらいの作業が、5月4日(月) に行なわれます。
毎年々々、田んぼに水を入れる季節になると、村の人たちが総出で行なう年中行事。
今年も米づくりを始めるぞ、という合図のようなものなのでしょうか。
今年も浅見彰宏さん ( 「あいづ耕人会たべらんしょ」 メンバー) から、
ボランティア募集の連絡が届きました。
この冬は雪が少なかったわりには倒木が多いとのこと。
11月に重い雪が降ったことによるそうです。
みんなの手で、棚田の水路を守る。
そのお手伝いを募集します。
作業は早朝から始まりますので、前日(5月3日) には現地入りしていただきます。
JR磐越西線・山都駅から現地まで送迎します。
到着時間はご都合に合わせていただいて結構ですので、
行程等は時刻表にてご確認ください。
宿泊は地元の公民館で、楽しい前夜祭も用意されます。
4日の作業の後は、温泉に入って交流会。
宿泊もOKだし、お帰りになられても構いません。
営々と数百年にわたって守られてきた山間地の水路は、
たくさんのことを考えさせてくれます。
時に体を休め、棚田を眺めれば、なぜか癒されます。
行ってみようかな、と思われた方。 お気軽に、コメントにてお問い合わせください。
折り返し連絡させていただきます。
参考までに、昨年の様子 → 2008年5月6日の日記 です。
2009年4月10日
新しい年度も試練からですかね、今センセ。
3月中に書かなきゃいけなかった原稿も遅れ遅れになって、
いつものことながら、バタバタしながらの新年度突入となってしまった。
そんでもって、4月から、また新しい試練が押し寄せてきている。
わが農産グループに、営業チームが編入されてきたのだ。
営業チームは、量販店や生協さん、小売店や外食などへの卸し業務を主とする部署で、
3月までは販売企画グループに所属していた。
営業チームが農産グループに再編成された理由は企業秘密とさせていただくとして、
(というほどのこともないけど、説明もややこしいのでここは勿体つけて)、
有機農産物を社会に広げていくのに重要な役割を担っている部署である。
新しい発想を加えながら仕入部門と販売部門の連携をより密にして、
野菜の供給体制を強化させたい、と考えているところである。
そのうちスーパーさんへの営業の話などやり出すかもね。
まあどうせしんどい毎日なら、新しい夢を語れるところまで進んでみたいものだ。
そんな、今年の作戦会議などで忙しい4月9日、
フラッとやってきたのが北海道富良野の騒がしい、いや失礼、楽しい男、
今利一さんである。
今さんは農業の傍ら、富良野市議も務めている。
よく分からないけど、どうもこの時期、上京する仕事があるようなのだ。
去年も4月末だったか、春の社員合宿に飛び入りしてきた。
それなら、ということで-
ちょうど新入社員の研修が行なわれている時期ということもあり、
人事に無理言って、1時間の特別研修を入れてもらった。
題して、『 今利一先生の特別講義 -有機農業には勇気が必要だった- 』 。
「有機農業には勇気が~」 とは、今さんが市議選に出たときのポスターのコピーである。
僕は別の会議があったので、お任せしちゃったんだけど、
どうもタイトルとは全然関係ない話ばっかりだったようである。
夜も一席持とうか、ということになったのだが、
生憎の飲み会シーズンで、外はどこも一杯の様子。
急な話なので人数も分からないし、事務所でやろう、ということになった。
農作業本番前に、富良野からやってきてくれたというのに、
バカ話で盛り上がる我々。
急ごしらえなので、テーブルの上のつまみ類は見ないでください。
酒だけは用意できるから、すごいっしょ。 「種蒔人」 に 「雪の大地」 です。
「 いやあ、なんでかなぁ。 西松さんとかさ、ボクのところに来ないんだよね。
小沢とか言う人のとこには行くんだけどね。
いつでも貰ってあげるのにさ。 だ~れもボクと癒着してくれないんだもん。
いいことに使ってあげるのにさ。 」
寂しそうな、ひがみ根性丸出しの今センセーであった。
ま、議員給料を農業研修生の世話に使う人には、企業もなかなか・・・・・
しょうがない。 貧しい正義の味方でいくしかないですねぇ。
いや、楽しかったっす。 今さん、ありがとう。
これから忙しくなるけど、体に気をつけて、頑張ってね。
秋には、小ぶりだけど魂のつまった勇気玉ねぎの到着、待ってます。
最後は客人抜きで、職員同士でなにやかやと議論が続く。
誰かが撮ってくれた俺たち。 エビがなに喋ってるのか、分かりません。
気がつけば、朝。
米袋を枕に (商品ではありません。自分で買ったものです) 床に寝ていたワタシ。
そのまんまで、3時間の新人研修に臨んだのだった。
・・・今期も試練から始まって、さて、どんな一年になることだろうか。
2009年2月 8日
きのこが循環を支えるのだ ‐ 新年会・群馬編 ‐
続いて産地新年会・群馬編を。
2月5日(木)、場所は群馬県前橋市三夜沢町。
赤城山南麓、赤城神社参道口の脇に構えられた三夜沢きのこ園
-会社名は 「自然耕房 (じねんこうぼう) 株式会社」 にて開催。
左が事務所。 右が直売店、その奥が舞茸(マイタケ) の栽培施設。
ここに群馬各地から37名の生産者が参集。
ジャンルも、米、野菜、養豚、こんにゃく、梅、花、大麦、そしてきのこ、
とバラエティに富んでいる。
例によって藤田会長の開会挨拶から。
今年の新年会の挨拶となれば、やっぱり世界経済から始めざるを得ない。
100年に一度といわれる世界同時不況の波。
名だたる大企業が次から次へとリストラに走る時代になってしまったが、
これは価値観を変えるべき時代に入っているということでもある。
若者たちを元気づけられる社会につくり直さなければならない。
それには農業の活性化が必要だ。
有機農業を先進的に担ってきた皆さんと一緒に、今年もその先陣を走りたい-。
1月早々にキューバの有機農業を視察してきた話も今年のネタのひとつであるが、
この話はいずれ改めて取り上げたいと思っている。
続いて、今回の幹事を引き受けてくれた自然耕房代表の佐藤英久さんから
挨拶と会社概要の説明がある。
佐藤さんは、前身は冷蔵設備の仕事をされていた方なのだが、
とにかく自然循環に関わる仕事をしたいと、
1995年、きのこ栽培を主体にした今の会社を立ち上げた。
準備資金ゼロ、公庫からの借り入れだけでスタートして13年。
「あと1年で、何とか自分が思い描いていた形が出来上がる」
というところまで漕ぎつけた。
その資金繰りというか、いろんな名目の融資を利用しながら綱渡りで会社を大きくしてきた
経過は、並みの苦労ではなかったようだ。 詳細は伏せておくが、
「とにかくちゃんと返済さえやってれば、お金は借りられるんです」
と佐藤さんは胸を張っている。
13年で社員118名。 半分近くが60歳以上。
設立時からのメンバーの中には、80歳を超えてなお現役で働いている人もいるとか。
障害者の雇用も積極的に受け入れている。
佐藤さんが描く循環とは、こんな形である。
広葉樹の山から原木が伐り出され、しいたけ栽培に使われる。
役目を終えた原木は、オガ粉にして、今度はマイタケの菌床として利用される。
マイタケをとったあとは、さらにヒラタケ属やいろんなきのこの菌床として再利用され、
最後には堆肥となって土に還る。
山もいずれ野生のきのこが生える森にしていきたいと考えている。
大地の循環とともに生きる、と佐藤さんは何度も口にした。
これが舞茸の菌床。
栽培室は大量の自然光が取り入れられる構造になっていて、
太陽光自動追尾式のシステムによって、クリーンで自給型のエネルギー利用に努めている。
一切の薬剤を使わず、仮に何かの有害な菌が発生した場合は、
「徹底的に掃除する。とにかく掃除です。」
香り、味、歯ごたえ、ともに佐藤さん自慢のマイタケ。
廃菌床のリサイクルセンター。
培地は、循環システムの中でふたたびきのこ栽培の原料となり、あるいは
畜産農家での利用、そして堆肥となって土に還る。
袋は自社の燃料に。 目指せ、ゼロエミッションというわけだ。
順番が逆になってしまったが、しいたけの原木栽培。
こんなふうにホタ木が組まれている。
しいたけもよく見ると、可愛いもんだね。
会議室に戻って、今度は有機農業をめぐる情勢について、私から報告させていただく。
有機農業推進法の成立と、推進のためのモデルタウン事業が始まったこと。
その動きを後押しした 『農を変えたい!全国運動』 の展開。
農を変えたい運動からは、有機農業の技術の確立に向けたネットワーク組織も
生まれてきていること。
この運動をさらに大きく、かつそれぞれの地域で活かせられるように育てていきたい。
群馬でモデルタウンに指定されたくらぶち草の会の代表、佐藤茂さんにも
当地での進み具合を報告してもらう。
しかしこのモデルタウンというヤツは、生産者が単独で進めてはダメで、
地元行政やJAなどとも一緒になって、「地域の取り組み(事業)」 の形に
しなければならない。
それがなかなか厄介で、行政の理解が足りなかったり、歩調が合わないと
やりたいことも一気に進めることができなくなる。
佐藤さんもだいぶ運営に悩んでおられるようだ。
こういうときは、周りの力が大切になる。
佐藤さんのお世話で倉渕に入植した元大地を守る会社員の諸君、
佐藤さんを孤立させないよう、力になってやって欲しい。
夜の懇親会は、え~と・・・割愛。
上州赤木温泉郷の秘湯の宿で、いつまでも話は尽きず・・・・・なのでした。
2009年2月 6日
新年会は続く -茨城編-
2月に入っても産地での新年会は続く。
藤田会長は、「旧暦なら、まだ正月が始まったばかりですから」
と開き直って新年の挨拶をやっている。
まあたしかに、月暦では一昨日(2月4日/月暦1月10日)が
一年の始まりと言われる立春の日ではあるけど。
そんなわけで、今週は産地新年会後半のピークとなる。
2月3日(火)は茨城、一日置いて5日(木)は群馬。
ともに県内の生産者合同での、新年の初顔合わせ。
だいぶ疲れも出てしまっているので、それぞれの様子だけでお許しを。
茨城編-
会場は、つくば市の国民宿舎 「つくばね荘」。
参加者39名。
千葉でもお伝えしたように、新年会といっても、ぼくらはただ飲むだけではない。
ここでは、八郷(やさと、現石岡市)で進められている有機農業推進モデルタウンの進捗について、
その事務局を務めるJAやさと総務課長の柴山進さんに報告いただく。
旧八郷町は、古くから有機農業が盛んで、しかも新規参入者も多くいる地域である。
JAやさとでの野菜の販売額の20%が、有機農産物で占めている。
有機農業では全国区と言える著名な先進地区なのだが、
「古くから」 ということは、すでに消費者と直接提携して販路を確保している人も多く、
「いしおか有機農業推進協議会」 として立ち上げたものの、
生産者・消費者・JA・行政(市・県)・学者などで構成される運営委員会も、
足並みを揃えるのは容易ではないようである。
それでも新規就農希望者に対する研修制度や就農支援の体制は、
先達の作られた受け皿もあり、さすがに一日の長があるように思えた。
新旧の担い手がうまく連携できれば、農業だけでなく、地域発展の主体にもなれるはずだ
-と思うのだが、そこは部外者がテキトーな口を挟むのは慎むべきか。
宴会が始まれば、そちこちに議論の輪ができる。
話は栽培技術から始まり、農業経営に仲間づくりでの悩み、それぞれの自己史などなど、
皆、真面目である。
県内合同のメリットは、普段は会うことのない人同士の交流ができることだ。
米専業で有機JASを取得した下館の大島康司さん(左)と、
つくば・中根グループの野菜農家・井坂光男さん(右)。
その中根グループ代表の中根剛さん(左)と、下妻市の柴崎賢さん(右)。
大地にどうやってモノ申すか、で相談しあっている ...ってことはないか。 いや、あるかも。
圧巻は、このお二人。
八郷の阿部豊さんと、大阪から新規就農した桑原広明さん。
阿部さんは昨年、新しい仲間として桑原さんを迎え、阿部グループとなった。
このたび、グループの名称を 『 頑固な野良の会 』 とした。
自作の曲を披露しながら、俺たちを挑発する。
「オレが大地と付き合い始めた頃、
集荷に来る大地のトラックの幌には " 頑固な八百屋 " って書いてあった。
オレは今、改めて自分のグループ名を " 頑固な野良の会 " と名づけたから。
大地にも、 あの頃の精神を忘れるな、と言いたい! 」
以前にも書いたけど、阿部ちゃんは今年、有機JASの更新をやめる、と決意した。
僕は了解した。
新しい地平を築くのに、有機JASマークはけっして必要条件ではないから。
でもそれはただやめてもいいよ、という意味ではない。
その向こうのイメージがあってのことである。
ぼくらが目指そうとしている " 大地独自の新しい認証の形 " に
阿部ちゃんは共感を示してくれたから、である。
挑発にはこう応えておきたい。
シンボルマーク (それを最近はみんな " ロゴ " と呼ぶ) は変わっても、
変わってはならないものがあることぐらい知っているから、
お手柔らかに、とは言わないよ。 これからも共に、です。
部屋に戻っても、話は尽きない。
玉造 (現・行方市) の堀田義明さん(右から二人目)、
十王町 (現・日立市) の樫村健司さん(左端) と大地職員の語らい。
傍らで、音楽で共鳴しあう連中。
ステージで桑原さんが演奏していた洗濯板のようなモノは、
「ウォッシュ・ボード」 というまさに洗濯板だったが、れっきとした楽器である。
既成の楽器を買えない黒人たちが、身近にあるものを使って演奏の道具にしたのだ。
頑固な野良の会にウォッシュ・ボードか-
ジャズにブルースにフォークに・・・・・音楽もまた人をつなぐ。
宿が貸し切り状態だったので、助かった。
2009年1月29日
「稲作を守る会」 の麦
1月25日(日)、福島からの帰り途。
宇都宮から在来線に乗り換え、石橋という駅に降りる。
ここにも有機稲作の技術を語るに外せない、一人の指導者がいる。
「NPO法人 民間稲作研究所」 代表の稲葉光圀さんである。
高校教師の時代から、無農薬・無化学肥料、除草剤も使わない稲作技術を追い求め、
それを 「技術体系」 へと高めてきた研究者であり、実践者。
でもこの日の目的は、米ではなくて、麦、なのである。
昨年、小麦の販売のお手伝いをしたのがきっかけで、
今年はその安定化に進められるかどうかを確かめたくてやってきた。
稲葉さんは、NPOの民間稲作研究所とは別に、実際の生産者集団として、
(有) 日本の稲作を守る会という会社をつくっていて、今回の訪問先は、
正確には稲作を守る会ということになる。
これが有機栽培の小麦畑。
種を蒔いて、踏んで踏んで強くして、土寄せすることで病気を防ぐ。
慣行栽培は、その寄せる空間がなく、密植で、病気予防は薬に頼ることになる。
「麦の有機栽培は十分可能なんです。 誰でもできるんですよ。」
そういいながら、稲葉さんは、普及に努めている。
稲葉先生を知る皆さん。 稲葉さんはちゃんと農作業もやってます。
稲葉さんの栽培体系は、米-麦-大豆の2年3作の輪作をとっている。
マメ科の大豆を入れることによって、空気中の窒素が土壌に固定され、
米の肥料代も軽減される。
加えて、これで米、味噌汁、しょうゆの自給率も上がるってわけだ。
稲葉さんは栃木県唯一の民間の種籾生産者でもあるらしい。
周辺との交配を避ける地理的条件だけでなく、
その栽培技術が品質的にも信頼されていることが窺える。
下の写真の左端の台地では、研修施設が建設中である。
若者が常駐して有機農業を学び、また消費者と交流できる施設。
ここにも有機農業推進法をカタチにする取り組みがある。
その手前の栗林の一角に、益子焼で焼いたパン焼き釜を設置して、
100羽ほどの鶏も飼って美味しい卵に鶏糞も確保して、、あそこはこうして・・・・・
と、稲葉さんの夢は尽きないようだ。
目の前のスペースは、稲の苗代作りのためにとってあり、苗を植えたら、
消費者に開放して野菜作りの体験ほ場にする計画とのこと。
講演会やシンポジウムなどで会うより、ずっと生き生きしている。
そんな稲葉さんを悩ましているのは、米の生産調整 (減反) のための
書類作りだという。
先に書いたとおり、稲葉さんたちは米-麦-大豆と回すので、
米は2年に1作となり、単純計算で50%の生産調整、つまり減反超過達成農家となる。
しかしこれは米の生産調整に協力してやっていることではなくて、
稲葉理論における有機栽培体系であって、なんでわざわざ面倒くさい書類を
出さないといけないのか、というわけだ。
でも書類を出さないと、減反非協力者となり、地域に補助金が下りない。
有機農業推進が進められる一方で、
非民主的なやり方での強制も厳然とまかり通っているのが、この国の農政である。
米を作らせないために補助金 (税金) を使う。 しかも地域的縛りを利用して。
そんなお金があったら、麦や大豆・飼料作物の生産にもっと進んで取り組めるよう、
あるいは地域の特性に合わせて、地域が活性化するためにこそ使うべきだろう。
生産調整を進めるためのお題目である、
「米が過剰になったら価格が下落して、農家がやってゆけなくなる」
という理屈は理屈ではなく、農家を馬鹿にしたものとしか思えない。
けっして生産調整のおかげで米の価格が守られているわけではない。
むしろ意欲や創造性の芽を摘んでいる。
このマーケティングもない論理は、裸の王様のようなものだ。
もちろん今の制度下で反旗を翻すことは容易ではないことも分かっているつもりだ。
ただ、稲葉さんの自主作付のように、創造的に乗り越える道筋を
みんなで考えていきたいと思うのである。
ちなみに、稲葉さんたちの小麦は、埼玉県神泉村のヤマキ醸造さんに
ご協力いただいた。
今年もすでに取引の継続が約束されてきている。
有機農業を底支えするネットワークも、一歩ずつ強化されていっている。
2009年1月27日
「流通の大義」・・
「人と人のネットワークという流通の大義」
なんて、昨日は簡単に書いてしまったけど、これには注釈が必要だったと反省する。
もともと交易は、物質的欲望によって生まれ発展してきたたとも言えるわけで、
それ自体は、善とか悪とかで考えても仕方がないと思っている。
流通それ自体は、社会のニーズという " 見えざる手 " に誘導される側面を
宿命的に持っている。 大地を守る会の宅配もその呪縛から逃れられるものではない。
でも、ですよ。 今こそ、この意味をようく考えなければならない時なのではないか
とも思っているのです。
原始の時代から交易の進化とともに等価交換ツール (お金) が発明され、
それによって欲望もまた拡大して、
そのツールの意味をよく理解したほうに差益 (儲け) が集中していって、
圧倒的優位性を持った動力 (エネルギー) を獲得する力まで得るに至って、
他人の土地や文化を勝手に収奪したり、植民地的支配や差別・格差も拡大した。
(資本主義の教祖-アダム・スミスも泡吹いて倒れそうな今の投資スタイルは
その究極の姿だと思う)、
結果として今日ある姿は、市場のグローバリゼーションという名での奪い合いであり、
「儲ける (何にでも交換できるお金を持つ) が勝ち」 の価値観に世界が蹂躙される
ところまで来てしまった。
みんなが等しく享受すべき 「幸せ」 までわずかな人の懐に集金されていっている。
しかも生命を支え続けた元金 -資源の再生産と循環システム- は失いつつ・・・
これを 「自由」 と呼んでいいのだろうか。
- というような感じで (ざっくりといえば) 僕は今、世界を解釈しているのです。
多様な生物 (人の多様性も含めて) が生きるのが、この星の生命維持システムの
根源である以上 (これは世界共通認識になりつつある)、
今を支配しているグローバリゼーションに対するアンチ・テーゼ (対置する論理)
もまた、必然的に発展する。
新しい、オルタナティブな (替わり得る) 交易が用意される必要がある。
それは資本主義とか共産主義とかいうような既存の論理の向こうを指向していて、
その世界観に基づいた感覚で、僕は自分の仕事である 「流通」 というものを、
" 人と人を (その価値を守りあうものとして) つなぐ
=自分の持っている資源 (流通力) を使ってネットワークする=社会的基盤を変換する "
そのような使命を果たすことによってこそ意味がある、
というふうに置き換えて働いてみたい、とずっと思ってきたのです。
僕にとっての " 流通の大義 " とは、その価値に対する、油を使うものの仁義、
のようなものとしてあります。
右でも左でもなく、俺たちは前に進む。 そのために。
で? ・・・・・すみません。 疲れてきました。
以上を前文として、福島からの帰りにもうひと仕事した話をしたかったんですが、
それは、また明日に。 寝ます。
2009年1月 5日
2009年、お詫びから再出発させて下さい。
皆さま
明けましておめでとうございます。
千葉・幕張から眺めた、夜明けです。
本日 1月5日より仕事再開。
ワーカーホリックの真骨頂かしら、なぜか職場から日の出を拝んでおります。
けっして朝は強くないんですが。
厳しい時代に入りましたね。
世界経済はあっという間にカオスに突入して、環境問題もエネルギー問題も食糧問題も、
どっから切っても、私たちに求められているのは、
社会システムを作り変えるヴィジョンだと伝えています。
それもただの景気回復や、スローガンとしての 「チェンジ!」 ではすまない
レベルで迫ってきています。
今まで以上に時代を読み取る緊迫感のようなものを感じつつ、
でもぼくらがずっと 「希望」 の尻尾にいると信じてやってきた道筋が、
間違ってない! と、そんな確信にふるえたりしています。
生きてみたい、この時代を。
皆さんとも、これまで以上に希望を語り合いたいという欲求にかられています。
本年もどうぞよろしくご指導のほど、お願いいたします。
日の出の反対側は東京湾、その向こうには富士山の姿も。
ちょっと薄いですね。
今度、いい夕日の時に撮り直してみます。
・・・と、新年の決意ふうに挨拶させていただきましたが、
やっぱり組織人である以上、いえ私にとって他部署ごとではない以上、
やっぱり、ここでも触れないで済ますわけにはいかないですね。
新年早々、会員の方々には、お詫びの文書を配布させていただきました。
加工品の原材料に想定外の産地のものが入っていたという事実が判明しました。
粘り強く築いてきたと自負していたトレーサビリティのシステムも、まだまだ不十分でした。
原料メーカーのせいにして済ますつもりはありません。
申し訳ありませんでした。
迷いましたが、やっぱりここから入らないと、続けることができません。
深くお詫びし、懺悔から再出発します。
2008年11月12日
"ニッポンの食の安心" を考える工務店
腰痛も時折の衝撃程度に治まってきた先週末、
今度はパソコンがいかれてしまった。
何とか代替機にデータを移し変えて作業を復旧したところである。
すっかりコンピューターに支配されてしまって、しかも手も足も出ない我が身の情けなさよ。
一方で、こういう時のシステム担当の方が神様・仏様に見えてくる。
拝み倒しながら、腹の中では 「忌々しい時代になったことだ」。 ブツブツ・・・・・
-とか何とかボヤイたところで、お構いなしに働かされ続ける私。
先週の土曜日(11月8日)には、東京・中野サンプラザの研修室にて、
自然住宅でお付き合いいただいている河合工務店さんが主催する
「暮らしのセミナー」 で講演したのだが、タイトルが恐ろしい。
『日本の食の安心、安全を目指して-』
ニッポンの~ かよ。
この不安渦巻くご時勢に、よくぞまあ、こんな大胆なタイトルの講演を引き受けたものだ。
-と日が近づくにつれ緊張も高まり、直前ギリギリまで
パワーポイントでの講演用スライド資料づくりにかかったのだった。
自分のノートパソコンを使って。
もったいないので、このネタで一本書き残しておきたい。
話した内容を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいが、
要約すれば、こんなことをお話させていただいた。
今の食べ物生産をめぐる状況は、グローバリズムと低価格競争のなかで、
モラル・ハザード (危機) が激しく進行している。 危機というより崩壊に近いかもしれない。
正直にモノをつくることができなくなってしまったのだ。
また食は環境と密接につながっているのだけれど、
これも今一瞬の利益確保のために後回しにされ、
私たちの命を支える地球の生態系は、その生命力の土台ともいえる多様性を失いつつある。
そして消費者には食についての正確な情報が遮断されてしまっている。
" つくる人 " と " 食べる人 " の分断が、 " 安心の喪失" と " 安全の後退 " を
ひたすら深めてきたと言えるのではないだろうか。
私たちは誰 (何) とつながるのか、衣・食・住の観点から見つめ直す必要があるのではないか。
そして暮らしのネットワークを築き直したい。 それは私たちの手でできることである。
作り手の誇りや責任感やモラルを支える消費があって、
暮らしを支え合うネットワークの中でお金も一緒に回れば、
エンゲル係数は上がるけれども、安心は揺るがず私たちの中にいてくれるはずだ。
それはまた未来の環境を守ることにもつながっている (無駄な税金も要らなくなる)。
土曜日の夜に100人近い人たちが集まってくれて、
最後までしっかり聞いてくれて、終わった後も懇親が続いて、
お別れしたのは11時を回っていた。
腰痛も忘れさせてくれた、けっこう熱いセミナーだったなぁ。
こういう人たちをつなげている主催者、河合工務店さんのポリシーにも唸らされた。
「地元 (何かあったらすぐに駆けつけられる距離) の方からしか注文を受けない」
地産地消の工務店なんだという。 名刺には 『我が街と共に歩む』 と刷られている。
こうやって暮らしのネットワークが、ひとつまたひとつとつながり、広がっていくことに、
「希望」 という言葉を重ねたいと思うのだった。
2008年11月 3日
新米農業者の八年目日記
今頃、秋田・五城目の馬場目川上流では、
大勢でブナの植林が行なわれて、お餅つきやコンサートで盛り上がってるんだろうな、
なんて思いながら積まれた書類を整理する一日。
そんな時に、山形は庄内地方、鶴岡市の月山パイロットファームから、
『月山ふるさとだより』 という一枚の通信が送られてくる。
今月号は、冬に向かう日本海・庄内地方の空気が伝わってくるような文面だ。
稲刈りも終わった庄内平野。
11月に入ると収穫は稲から大豆に移り、豊穣の大地がなんとなく寂しい光景となりました。
この時期になると曇りや雨の日も多くなり、気温もぐっと下がり、
華やいだ秋の空気が変わったのがわかります。
もうすぐ冬です。
そして実りの秋の終盤になるとやってくるのが、秋冬野菜の収穫。
赤かぶ、青菜(せいさい)、大根、長ネギ、からとり芋、青大豆、赤唐辛子と目白押しで、
天気と相談しながら、雪が降るまで目いっぱい収穫が続きます。
そしてこの時期の収穫物は、私たちにとっては漬物の原料。
本格的な漬物シーズン到来で、漬け込み、パック、出荷と、
工場もフル回転になってきます。 ...............
藤沢周平の物語の風景まで浮かんできて、
ひととき海を眺めてしまう (こちらは東京湾ですが...) 。
厳しさを淡々と受け止め、静かで、しかし凛とした人々の生き様が見える。
この通信に 「新米農業者の八年目日記」 というコラムがある。
代表の相馬大(はじめ) さんが書いている。
「新米農業者」 などと称しているが、立派な若きリーダーである。
ぜひここで紹介したい。
稲がなくなった庄内平野。 あとは冬を待つのみ、というこの時期。
お漬物中心に移っていく私たちですが、そんな中で今年は土づくりに励んでいます。
これまで私たちは、堆肥や米ヌカ、緑肥を中心として土づくりをしてきましたが、
それとはまた違う農法を聞き、目から鱗。 夏に畑の神様から教えてもらったことを
試してみようと、ワクワクしながら畑に入っています。
しかし、土づくり、土づくりと皆が口にし、私たちも長い間取り組んできましたが、
本当に様々な取り組みがあり、その到達点も千差万別。
目指す人の数だけ、方法が組まれてきています。
もちろん気候も違えば土も違う。 自然環境から受ける影響のほうが遥かに大きい農業
ですから、もちろん違う方法になって当然ですし、それだけ奥が深く、完成というものも
ないのでしょうが、それでもものすごいレベルに達している人たちは確かにいます。
ここ庄内にも、田んぼの神様と崇められる人もいるし、有機栽培の猛者達もたくさんいます。
そしてその畑の神様も、まさに「神様」で、
豆の葉を見ただけで 「カルシウムが足りない」 と看過するほど!
(中略) あの眼力と理論だった自信満々の話は、まさに魅力たっぷり。
ぜひ試してみよう!
というわけで、せっせともみ殻を運んでいるわけです。 しかしその方法は、
とてつもない努力が必要・・・。 何事も甘くないというものです。
まだまだ一部の圃場での実験ですが、それでも来年どうなるか、とっても楽しみ。
新しい扉が開かれますように!
これは、今年の8月に庄内で開いた「全国農業後継者会議」で、
西出隆一さんの指導を受けたことに端を発している。
枝豆の畑で、かなり手厳しい批評を貰いながら、大さんは、したたかに吸収したようだ。
(後継者会議で畑の説明をする大さん)
生産者会議は全国あちこちで、年間10回くらいやっている。
その都度いろんなテーマで講師を招いていて、
生産者はそれぞれに必要な技術なり思想なりを学んだり、批評し合っている。
「参考にならん」 とか豪語しながら、実はしっかり持ち帰って試す生産者もいたりする。
ただ栽培技術というのは、一筋縄ではいかないもので、
勉強会をやったからといって、何かが急激に変わるということはない。
しかし、試験的にもやってみる、部分的に取り入れてみる、という反応が見えたとき、
それこそがぼくらにとっての喜びとなる。 やった甲斐があったというものだ。
厳しい冬に向かう庄内から、
ワクワクしながら畑に入っている・・・・・ なんて素敵な便りだろう。
1年では結果は出ないかもしれないけど、じっくりと積み重ねて、
どうか我がものにしてほしい。
挑む者の前に、新しい扉は現れる。
2008年10月31日
反省・・・
このところのお祭り的イベント続きで、持病の腰痛が再発。
一日ダウンして (させてもらい)、火曜日から復帰するも、
いろんな業務調整やら溜まったメールの処理やらに追われる始末。
29日に予定していた、汚染米に関する集まりもキャンセルして、宿題に向かう。
もちろん日常の仕事のなかにもいろんなネタやトピックはあるんだけど、
拾う間もなく次へ次へとやっつけていると、何も書けなくなる。
そんな合い間にも飲み会などあると、これがなぜか、つい深酒してしまう。
かくして、10月は低調に終わってしまった。
日曜日の出店お手伝いのご褒美に、おきたま興農舎の小林亮さんから頂いた
「もってのほか」(山形特産の食用菊) をつまみながら、暫し反省の夜を過ごす。
なんでかなあ。 腰が痛いよう、とか言いながら頑張っちゃうのよね、まったく。
生来の貧乏性だな・・・
「もってのほか」-正式名は 「延命楽」 。 食用菊の王様とも言われる。
その名の由来は、「もってのほか美味い」という説と、
「おそれ多くも天皇の御紋である菊を食べるとはもってのほか」
からきたという説があるらしいが、私としては後者に軍配を上げたい。
偏屈の多い山形県人のこと。 「いやは、畏れ多くもよぉ、~とはもってのほかだな」
とか言いながら、ザクザク食っている姿が、っぽい感じがする。
シャキシャキして、味は淡白。
面倒なので軸もいっしょに茹でちゃったが、やっぱり花びらだけの方がよかったか。
生産者が 「ホウレンソウと一緒に和えるといい」 と言ってたな。
たしかに。 次はそうしよう。
あ~あ。 今週届くのを心待ちにしていた 『あいづ山都の若者たちの野菜セット』 も
限定数を超えるオーダーがあり、職員は早々にカットされてしまった。
仕方ない、というより喜ぶべきことなのだけど。
水をやらずに育てた、ギュッと甘みと酸味を詰めたようなミニトマト。
チャルジョウ農場・小川光さんが手塩にかけたオリジナル品種-「紅涙(こうるい)」。
酸味の感じがとてもいいのだ。
食べたかったなあぁ・・・
しかし、このセットにもクレームが発生した。
予告では 「これら8品目の中から5品目入ります」 と書いておいたのだが、
届けた箱に入れたチラシに8品目の作物紹介を載せたところ、
「チラシに書いてある8つが入ってない!」 とお怒りの電話が入ったのである。
会員サポート部署からは、「チラシに追記して作り直せ!」
さすがに今からそこまではできないと、お届けする会員への請求書に、
入るのは予告どおり5品目である旨のメッセージを入れてもらうことで、お許しを願った。
ところがしかしながら・・・である。
そんなドタバタなどまったく知る由もなく、実際には、6品目入っていたのである。
(会社に届いた現物見本から)
5品目との約束ではあったが、彼ら ( 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の若者たち) は
喜んでもらおうと、もう1品目、余分に入れてくれたのだ。
この心づかいは、彼らのメッセージでもある。
大地を守る会とのつながりを、彼らなりに大事にしようとしてくれたことに、
感謝したいと思う。
来年はもっといい形でできるよう、しっかり考えなければ。
慌しい収穫の秋のイベントは峠を越したけど、
11月は11月で、シンポジウムやフォーラムが続く。
腰をさすりながら、整理できていない机の上を眺め、
ついに11月3日の秋田行 (ブナを植えるつどい) もキャンセルする。
電話の向こうから、黒瀬正さん (ライスロッヂ大潟) の高笑いが返ってくる。
「ハァーハッハァ! 腰が痛いてか。 そらあかん(使いものにならん)わ。 まあお大事に」
くそッ、口惜しいィィィ・・・・・
2008年10月27日
フードアクション ニッポン
土と平和の祭典から1週間後の日曜日、
今度は東京・丸の内でのイベントに参加する。
農水省が、食料自給率1%アップを目指して展開する
「フードアクション ニッポン」という広報戦略の一環として開催された、
「EAT JAPAN (日本を食べよう) in Tokyou Marunouchi 」。
ここに出店した山形・おきたま興農舎 (東置賜郡高畠町) の応援にかり出されたのだ。
『美味探求 山形美味 (うまい) 屋 』 と銘打って、
興農舎自慢のお米にお餅、野菜に果物が並べられる。
どうやら東京・丸の内仲通りの歩行者天国を利用しての出店に、
代表の小林亮さんも、要員不足を感じたらしい。
「いやぁ、段取りもちょっと不安でよ、ここは大地の力を借りたいんだぁ。」
しかし、日頃から農政には手厳しい亮さんが、どういう風の吹き回しなの。
だいたい自給率がここまで落ちてしまったのは、農業政策によるところが大きいだろう。
それが何よ、自給率向上国民運動とか称して17億円もの税金を使ってさぁ。 許せるの?
「そうなんだけども、何とか山形から出て欲しい、としつこく頼まれてよ・・・・・」
亮さんもちょっと歯切れが悪い。 人がいいというか。
しかしそんな亮さんからのSOSを受けてやってくる俺たちも、
まあかなりのお人よしではあるけど。
とか何とか言っても、いざ蓋を開ければ、ごちゃごちゃ御託を並べている暇はない。
山形人に成りきって、
ここは東京の人たちに一人でも多く、美味しい国産農産物を食べてもらおう。
ガンガン行くぞ!
こんにちわぁ。 山形は高畠町からやってきましたぁ。
有機栽培のお米にお餅、無農薬の野菜いろいろ、美味しいリンゴにラフランス。
どうぞ食べてみてくださ~い。
新米のコシヒカリにリンゴの試食で~す。
反応はかなりイイ。
試食販売に力を発揮したレンタルのキッチンカーに女性陣たち。
亮さん(左) -いやぁ、俺は何もすることねぇな。楽させてもらったなぁ。
朝11時から夕方の4時まで、途中30分ほどの休憩だけで、
声を出し続け、野菜と果物をさばききる。
土・日と4名ずつの応援部隊も頑張ってくれて、
少しは見直してくれました? 亮さん。
土曜日には娘の和香子ちゃん無事出産の連絡もあって、
夫の温さんは、片付け早々、飛んで帰ったのでありました。
おめでとうございます、お爺ちゃま。
2008年10月 7日
10月19日は 『土と平和の祭典』 へ
先週から4日ほど秋日和らしい好天の日が続いてくれて、
気持ちよく収穫祭を終えて帰ってきたら、一転して秋霖のような日々に。
どうにも続かないですねぇ、天気が。
集まってきている産地からの情報も、先行き不透明どころか、
明らかにこれからの野菜不足を予見させていて、
農産仕入担当職員の間にも "かなりヤバイ" 感が漂ってきている。
8月のゲリラ豪雨攻撃から9月の断続的に続いた雨や低温の影響で、
関東各産地の作業と生育が遅れている。
長野・野辺山の川上村では、9月中旬に霜が降りた。
冬が早いかも・・・・・との連絡である。
雨の中での収穫-出荷をお願いするケースも増えていて、
それは品質にも影響してしまう。
先週の理事会でも、千葉・山武の富谷亜喜博さんが言ってた。
「千葉の北総台地あたりでは、秋冬の人参は7月25日から8月10日の間に蒔かないと
モノにならない。 なかでも有機でやるには8月の1日から10日の間に限られる
(7月中に蒔くと生育途中に病気が発生するらしい) 。
それが8月5日の豪雨で流されて、天気や畑の様子を見ながら、何とか
7-8日に蒔き直したけど、そのあとも5回、ゲリラ豪雨にやられたんだよね。
9月も良くなくて、10月の回復がポイントだけど、それでも相当な収穫減は必至だね・・・」
「普通の年がなくなった」 と生産者から言われるようになって、もう何年になるだろう。
温暖化、温暖化と、それだけのせいにはしたくないんだけど・・・・とも。
しかし、たしかに作りづらくはなっている。
気候変動は、おそらくとどまらない。 いやそれどころか、激しさを増すだろう。
加えて、グローバリズムによる輸入農産物の増加は外来害虫の増加なんかも招いていて、
農業生産の困難さに追い討ちをかけている。
厳しい時代である。
一方で、エネルギー戦争 (と勝手に言ってますが) の深刻化と、
食糧・資材の高騰が進んでいる。
様々な側面のつながりを俯瞰して、見極める必要があるのだが、整理しきれない。
メディアに登場する論評にしても、どれも一面的な感じがして、スッキリしないし。
そして、いろいろと堂々巡りしながら、いつもたどり着くひとつの確信は、やっぱり
「これからが本当の有機農業の時代」 である。
国が呪文のように唱えている農地の集約化や規模拡大、国際競争力の強化といった
グローバリズムと国際格差を前提とした政策に振り回されるのではなく、
環境との調和・地域資源の循環を基本に据えた、持続型農業に未来は託されている。
世界は化学肥料の枯渇の段階へと進んできているのだから。
実は、有機農業推進法に後押しされて、各地の有機農業先進地が
若者たちの参加 (新規就農) を呼びかけているのは、そのことと無関係ではない。
耕作放棄地の増加といった危機感が反映していることもあるけど、
新しい血を吹き込んで、これからの地域づくりを考える主役になるところまで、
有機農業は歩んできたのだ。
まあ、目の前の不測の事態に、やれるだけの努力はしなければならないとして、
ちょっと気分を変えて、未来志向型の呼びかけをさせていただければ-
先日報告した、会津・喜多方の若者たちの野菜セット販売の話では、
試験的ながらも実現にこぎつけました (会員の皆さんには今週チラシが入ってます) 。
山間地で頑張る若者たちの、ささやかな、しかし思いいっぱいの野菜をお届けしたい。
また、今月19日に日比谷公園で開催する 『土と平和の祭典』 でも、
大地を守る会のブースで、新規就農募集の産地を紹介する予定で準備を進めています。
健全な野菜をいっぱいつくって、健全な土を守る担い手を育てたい。
耕作放棄なんて言葉をぶっ飛ばして、
どこよりも美しい村づくりで競い合う社会を、築かないか。
未来開拓者よ、来たれ!
・・・・・とまあ、こんなふうに希望を語ることで自らを鼓舞して、
しんどい日々を支えているワケですが、
お時間がありましたら、10月19日(日)、日比谷公園にお越しいただけると嬉しいです。
会場は小音楽堂とにれのき広場です。
昨年のブース風景 (立ち止まって見ているのは実行委員長の歌手 Yae さん) 。
今年もあちこちから生産者が応援に来てくれます。
ぜひ声をかけてあげてほしい。
2008年9月26日
有機JAS検討会、終了
おとといは農水省を追及したと思ったら、今日は省内での会議に参加する。
「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 -最終回の審議である。
2月から始まって、今回まで6回。
各2時間、述べにして12時間強の会議で、有機JAS制度の改善の方向性をまとめる。
前回も書いたけど、1回の会議で発言できる機会も少なく、
もう 「とりまとめ」 か、というもどかしさがついに抜けないまま来てしまった。
力不足の点を反省しつつ、でも少しは意見を反映させることができたようにも思うし、
複雑な心境、便秘気味の 「検討委員会」 体験だった。
検討会で出された意見は幅広く、ともすれば拡散する傾向があった。
特に、有機JAS制度の正確な運用のための見直しという観点と、
「有機農業の発展のために」 語られる視点との微妙なズレが印象に残った。
流れとしては、検討会のそもそもの開催目的が、認定機関や認定事業者
(認証を受ける生産者・製造者等) に違反が後を絶たないことに端を発していることから、
" 制度をどう信頼されるものにするか " の観点での見直しに絞られていった。
時間をかけて論議されたテーマには、次のようなものがあった。
1)登録認定機関 (第三者認証団体) の判定のバラつきをどうするか。
2)生産者にとって有機JAS規格が求める規程や文書管理は煩雑で、負担が大きく、
このままでは有機JAS生産者 (=有機農産物) は増えない、という懸念について。
3)様々な農業資材が有機JAS適合品とか称されて販売される現象があり、
生産者にその適否を判断させるのは困難な面もあり、対策が必要ではないか。
1)については、検討会の途中で、認定機関の委員より
『登録認定機関の業務運営に標準をつくるために』 という
いくつかの認定機関が共同で作成したマニュアル文書が出されたことによって、
これを各認定機関も参考にしながら、意見交換を進めて改訂・発展させ、
認定業務のバラつきを解消していくことを望む、という方向で整理された。
2)については、さすがに検討会で具体的な手法までは討議できず、
「効率的な記録の取り方を認定事業者自ら工夫するのはもとより、登録認定機関においても
認定機関同士の情報交換を行なうことなどにより、認定事業者のミスを防止したり、
合理的な記録方法を工夫し、認定事業者へ情報提供することを期待したい。」
というような表現でまとめられた。
何も書いてないに等しい、と感じる向きもあるかもしれない。
ただ少なくとも、認定機関にも、生産者の負担を軽減するための情報交換・情報提供を求める、
との認識が示されたわけだ。
認定機関に禁止されているコンサル業務との兼ね合いが気になるところだけれど、
このテーマは国に期待することではなく、我々自身の手で
(認定事業者と認定機関の日々の創意工夫で) 進めることとして、僕は了解した。
3)については、誰もが容易に資材の適否を判断できるような表示方法や制度を求める
声も強かったが、とりまとめでは、
「有機JAS適合培地など資材メーカーが、曖昧な根拠で表示をすることについての
表示ルールについて、何らかの規制を行なうべき」 の文言にとどまった。
個人的には農業用資材も農産物と同様に 『有機JAS』 の対象にすれば事足りるのでは、
と思うところであるが・・・。
「検査員のレベルアップのための研修システムの構築」 も盛り込まれた。
" (検査業務だけでは) 食べられない " 現状が委員から強く訴えられた経過もあったが、
「その状況が改善されることが優秀な検査員を生む土壌として必要」
という指摘までで終わらざるを得なかった。
総じて、生産者・メーカー、消費者、流通、研究者という各立場から出された様々な意見を
上手にまとめてくるあたりは、さすが官僚の方々、と感じ入るところだが、
やることはと言えば、すべてこれからである。
生産者と話し合い、認定機関ともやり取りしながら、改善を重ね、
信頼を確保するとともに、どう 「有機農業の発展」 につなげてゆくか (つなげられるか)
にかかっている。
半年強で6回の審議、という限界を感じつつ、農林水産省の会議室をあとにする。
鹿児島から毎回参加された生産者、
今村君雄さん (姶良町有機農法研究会会長、大地を守る会会員でもある) と、
別れ際に交わした、何ともいえない複雑な苦笑いが、残像として残った。
今村さんは、最後の最後に手を挙げ、こう言ったのだ。
「食べものを大切にすることが、すべての根幹ではないですか!」
「とりまとめ」 の文章は、保田茂座長 (兵庫農漁村社会研究所代表、元神戸大学教授)
が最終調整し、各委員との確認後、農林水産省消費・安全局長に答申として提出され、
すべての認定機関に配布されることになる。
パブリックコメントにもかける、とのことである。
2008年9月 8日
落ちのない日記
日本列島に居座った前線のせいで登山を断念させられ、
帰ってきてから一週間あまり。
上空の大気は不安定なままだとかで、ゲリラ豪雨はその後も断続的に発生して、
ようやっと落ち着いてきた感じで、少し息をつく。
大地を守る会の産地では幸い豪雨による一撃的な被害はなかったものの、
水浸しになった畑だと、これから病気が出たり、最悪の場合は 「全滅」 など、
恐ろしい連絡がきたりするのは、これからである。
またこの時期は、関東では秋冬作への準備が進む時でもあり、
作業の遅れはこれからの出荷計画を狂わせてゆく。
春の低温・日照不足、空梅雨ときて、7月は一転して高温となって、
「ベジタ (大地を守る会の野菜セット) もひと息」 とか言ってたのも束の間、
秋もまた不安先行、ビビリ気味の季節の変わり目となった。
今日の藤田社長との打ち合わせで、つい弱音を吐いている自分がいた。
「野菜の仕事って、ホントに泣けてきますね」
特に僕らの仕事は特定の生産者との契約だから、
いわば 「その畑とつき合っている」 わけで、結果はストレートに台所に届いたりする。
だから 「その畑」 からの情報が大事になる。
それにしても・・・・・社長の励ましの台詞が、俺なんかと違う。
「それでも百姓は死なないからね」
さすが筋金入りの東北農民の血統というか出自である。
南四国の海で育った者とは根性の質が違うような気がする。
僕には絶対に吐けない言葉だ。
いや、もしかして、それ以上に、
飢えの記憶と競争をトラウマとしてきた団塊世代と、
彼らの祭り (学園紛争のこと) に遅れてきたシラケ世代の違いだろうか。
星野仙一と江川卓 (私の場合、掛布くんを採用したいが) の違い、と言うと
何とのう雰囲気が伝わるような気がしたりして。
え? 面白い? もっといってみますか。
ガッツ石松と具志堅用高。 先代貴乃花と千代の富士。 北野たけしと明石家さんま。
西郷輝彦に郷ひろみ。 立松和平に田中康夫。 鈴木宗男に安倍晋三さん・・・・・
このへんでやめとこうか、あとが怖い。
まあそんなことはともかくとして、
自然の猛威では倒されなくても、おカネで殺されるのが現代である。
とどまるところを知らない食の不祥事も、
すべては経営維持という名でのモラルの圧殺、のように思える。
ここまできたか、と何度嘆いたことだろうか。
確信犯も、とうとう事故米の食用転用というところまできてしまった。
消費者をだます前に、業界内で詐欺同様の流通がまかり通って、
鹿児島の焼酎メーカーも、関西の和菓子屋さんも、怒りが収まらないことだろう。
ただ僕の立場から納得ゆかないのは、農水省の調査である。
複数回の内部告発があったにもかかわらず、
昨年1月の調査でも見抜けず、今年8月の調査でも確認できなかったという。
どんな調査をしたのだろうか、いやそもそも 「調査」 レベルの仕事をしたのか
・・・・・分からない。
その間、汚染米が食用米として格上げされて人々の胃袋に消費された。
先週の金曜日 (9月5日)、千葉の農政事務所の職員の方が二人見えられ、
今年1~4月に某都内自然食品店に卸した野菜の栽培内容を確認したいという。
聞けば店頭に 「栽培期間中農薬不使用」 (無農薬栽培のこと) の表示があり、
その確かさを調べているのだと。
当社の栽培確認の履歴やデータなどをお見せして説明したところ、
納得して帰られたが、納得できないのはこっちである。
お店を回っては、有機や無農薬の表示チェックをしている職員が全国に100人近くいると聞く。
フツーに出回っている国内産の●●●は、内部告発がない限り動かないくせに。
いや、告発があってもろくな調査もできてないくせして・・・
何か、おかしくないか、ホント。
ああ、いやだ。 こっちの精神まで、ギスギスと棘が立ってくる気分である。
こういう時に、海育ちはすぐに喧嘩モードになる。
そこは、人間ができてないとか言われても、血統が違うのだ。
生産者の皆さん。 しんどいけど、失敗もあるけど、僕らには嘘はない。
胸だけは張って生きましょう。
天候と野菜の話をしていたはずなのに......何かヘンな、オチもない話になってしまった。
そんな一日だったということで。
2008年9月 2日
「チャルジョウ農場」 と若者たち
飯豊山登山をやめて、麓や低山の小屋でただ酒盛りばかりやっていた、
という噂が何処からともなく流れたものだから (全否定できないところが悔しい)、
言い訳だけはしておきたいと思う。 ちゃんと仕事もしたんです。
喜多方市山都 (旧・耶麻郡山都町) は、飯豊山の登山口がある山間地で、
毎年5月に行なわれる堰 (棚田を守る水路) の補修作業には、
「種蒔人基金」 による応援という形で、昨年からボランティアとして参加している。
その経過は、これまでも報告してきた (5月6日付、昨年12月8日付 参照)。
この地で都会から研修生を受け入れ、新規就農者を育てている方がいる。
小川光さん。
元東北農業試験場の研究者で、自らの理論で有機農業を実践し、
かつ農業者を育てるために、ここ山都に移り住んだ。
下の写真前列中央の人。
小川さんは、西アジアの国トリクメニスタンの農業科学研究所で、
乾燥地帯での無かん水 (水をやらない) 農業技術の開発研究に携わった
という経歴の持ち主。
そのトリクメニスタンのチャルジョウという、ウズベキスタンとの国境にある町が好きで、
自らの農場を 「チャルジョウ農場」 と名づけている。 よほど惚れたんだね。
実際にトリクメニスタンのメロンの原種や、日本のウリと掛け合わせた
小川光オリジナルのメロン品種を無農薬で育てているのだから、
名乗るだけのことはやっている。
また小川さんは都会から研修生を積極的に受け入れ、育てている。
定住希望者には住まいの斡旋までする。
小川さんの世話で山都に定住した家族がこれまでで40世帯、約100名。
ここで生まれた子どもが14人、だとか。
この村の空き家情報は小川さんが一番よく知っている、とも人から聞いた。
山間地でも有機農業で暮らしてゆけることを、彼は粘り強く実証してきたのだ。
上の写真で小川さんを囲んでいる若者たちが、今年の研修生。
一人一人の取材まではできてないけど、
それぞれにしっかりした意思と誠実さを感じさせてくれる若者たちだった。
そして後列右端が、堰の清掃ボランティアを仕掛けた浅見彰宏さん。
彼も小川さんの世話でこの地に根づいた。 14人の子どものうち2人は浅見家なのかな。
さて話を急ぐと、昨年の5月、堰の清掃ボランティアに参加した翌日、
僕は浅見さんに連れられて小川光さんの農場を訪ねた。
小川さんは日本有機農業研究会メンバーで、僕も名前だけは知っていたし。
その時は、いわばただの見学で終わったのだが、
今年5月の作業あたりから、研修生の自立のための受け皿づくりという話が
具体的なものとして動き始めたのだった。
こういうのって、何かのサインとかタイミングを感じるときがある。
東京に出てきた小川さんと大手町で会い、
次に取締役・長谷川を山都まで案内し、小川さんと会って栽培方法も見てもらい、
「進めていいんじゃないか」 とのアドバイスで下地をつくり、
そして先週の28日、山に登る前にチャルジョウ農場を訪ね、
研修生たちも集まってもらって、
彼らが作った野菜を大地を守る会の会員に届ける企画のイメージを話し合った。
これはただの野菜の売り買いではない。
山間地で農業を学んでいる彼らのメッセージを、
野菜に託して届けられる仕組みをつくっていく作業。
それは棚田やそれを囲む水路や森の環境を守る作業につながっている・・・・・
29日、大雨・洪水・雷注意報を聞きながら、待機中の間に企画書第1稿を書き上げる。
そして今日 (9月2日)、部署内の会議に提出。概ね了承される。
来週の火曜日が最終関門の会議である。
何とか今年のうちに、彼らに希望の道筋を提供できるかもしれない。
有機農業のひとつの技術を確立させ、次の担い手を育てようとする小川光さん。
山間地の農業基盤 (インフラ) を守ろうとする浅見彰宏さん。
そしてチャルジョウ農場で、農業での自立を目指す若者たち。
そんな彼らが持ち寄って、一個一個思いを詰めた野菜セットを完成させたい。
企画そのモノは簡単シンプルなのものだけど、
うまく流れるためのシステムづくりは結構細かい調整が求められる。
何とか間に合わせたい。 今年の収穫物で、来年につながる一箱でも。
山から降りれば下界は騒然となっていて、
産地担当諸君は、週の頭から畑の被害状況の確認作業である。
幸い全滅というような話はなかったが、水浸しになるとこれからの品質に影響が出る。
また全般的に作業が遅れつつあり、これは後々の出荷のずれにつながる。
だいたい時間雨量が80ミリとか100ミリって、とても尋常じゃない。
これじゃ 「ゲリラ」 じゃなくて、「大空襲」 豪雨だ。
田んぼが湖のようになってしまった映像も流れている。 収穫前に・・・なんと切ない。
異常気象に油や餌や資材の高騰と、生産現場は火の車状態だ。
畜産現場では、離脱する生産者が増えていると聞く。
一触即発ならぬ 「一食即発」 状態だ。
本気こいて、資材依存ではない、資源の地域循環 (自給) をベースにした
有機農業社会を打ち立てる必要があるように思う。
その意味でも、地域資源を基本とする山間地有機農業は、キーワードだと思っている。
で・・・これで言い訳になったんだろうか。
2008年8月31日
飯豊山登攀、断念
さすがにここまでくれば、私の日頃の行ない、という問題ではないよね。
日本列島を見事に串刺しにしたように横たわった停滞前線は、
全国的に記録的な集中豪雨と洪水被害をもたらして、
28日(木)夜半には福島県会津地方にも激しい雷と雨を運んできた。
我々の飯豊山登山計画は、いとも簡単に潰されてしまって、
29日(金)は終日、各地の被害状況を聞きながら空模様と天気図を眺めるという、
待機の一日となってしまった。
わずかの時間、雲の合い間に現わしてくれた飯豊連峰の姿。
ああ。あの雲の向こうの頂きに、僕らは立つはずだったのに。
麓 (ふもと) の川の濁流の様子から見ても、
あそこに至る溝のように掘られた登山道もまたきっと
滝の川になってしまっていることだろうか。
昼間は一時晴れたものの、山並には次々に積乱雲が発生して、
夕方から再び雷が鳴り始める。
「大気の不安定な状態はまだ続き、猛烈な雨が局地的に降る恐れあり」
との気象予報が続く。 土砂災害にも注意が必要だと。
一日待ったが、仕方がない。 今回の登攀は断念する。
しかし決して、それで素直に帰るほどヤワではない。
北北西の飯豊山系から、東の裏磐梯の方角に計画を変更して、
我々 「種蒔人登攀隊」 は雄国 (おぐに) 沼湿原へと向かったのであった。
これが雄国沼。
尾瀬の風景にも似た湿原地帯が標高1,000mの地帯に存在する。
8月30日(土)。 一行は二泊三日分の装備を背負ったまま雄国へと入る。
今回の同行は6名。
皆それぞれに大和川酒造の酒を愛する、酒豪かつ健脚の面々。
(+足腰に不安抱える大地職員1名)
彼らには朝の散歩にも等しいような山道を歩いて、雄国沼に到着。
天地が水蒸気に満たされた、幽玄な風景にしばし見とれる。
これはこれで満足したりする。
最近オリンピックが開催されたお隣の国では大河が途絶えたりしているというのに、
この国はしょっちゅう水浸しになる列島である。
お陰で、水に対する感謝の念が薄い。
逆に暴れる水には、諦めが先にたったりする。
お天気のお陰でか、小屋も独り占めときた。
しょうがないので、夕方の早いうちから食事を始める。
何たって食料は余っているし、酒もまあ、不謹慎ながら充分ある。
夜になっても、各自のリュックから何がしか出てくるもんだから、
終わらない。 というより酒がある限り・・・・・
小屋が貸切状態なのに気をよくして、ついに唄が始まる。
出るわ、出るわ。
山の歌、ロシア民謡、そして60年代70年代のフォークソング。
私の国には、山がある。 おいで一緒に、私たちと。
私の国には、川がある。 おいで一緒に、私たちと。
...............
このたたかいは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。
この生きかたは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。
...............
苦しみばかり続くとも、おいで一緒に、私たちと。
私とおなじ、あなたたち。 おいで一緒に、私たちと。
( 作詞:パブロ・ネルーダ、訳詩:笠木透 「おいで一緒に」 )
いい歳して、よくもまあ、朗らかに歌えるものだと我ながら感心する。
昔話なんかも出ちゃって、皆けっこうロマンチストだったりして。
思いもかけなかった、酔っ払い中年たちのキャンドルナイト。
翌朝は、湿原の散策。
謙虚な気持ちになれたでしょうか。
トリカブト発見。
飯豊山登攀は断念するも、こういう非日常の時間と空間を体験することは、
忘れていた原点を思い出させてくれたりする。
これも 「種蒔人」 がくれた時間なんだと、感謝しよう。
2008年8月12日
野菜が溢れてきている
春からの低温・日照不足 (=野菜不足) から一転して、暑い夏になって、
野菜が溢れてきている。
7月に入ってようやく不足感を取り戻してきたかと思っていたら、
今や出荷調整に追われているような状態。
我が家に届いた野菜セット 「ベジタ」 も
(...って、実際は自分で運んでいるんだけど、手数料分が返ってくることはなく...)
それなりのボリューム感である。
カリフラワー、ズッキーニ、インゲン、ミディトマト、きゅうり、ピーマン、
グリーンアスパラ、サラダほうれんそう.........
加えて、お届けおまかせの果物アイテム 「みのりちゃん」 でソルダム。
「野菜じゃんじゃん食って」 とばかりに並ぶ。
せっせと食うしかないと、このところベジタリアンになったような食卓。
それでも産地からは、天候と悪戦苦闘している報告が聞こえてくる。
「夕立がひどくて、芋 (サツマイモ、里芋) の掘り取りが進まないよ」 (鹿児島)
「急な土砂降りがあって、スイカに傷みが発生した」 (山形)
それに日照りで土が乾いている状態で、突然の豪雨があると、土が流されてしまう。
シトシトと染みてくれる雨でないと、かえって困るのだ。
あちこちで苦戦している様子が窺える。
あるいは-
「ピーマンが日焼けしている。 雨が降らず、モロヘイヤが枯れちゃった」 (茨城)
・・・・・などなど。
ここ数年、ずっと生産者とは同じ会話をしている。
「ホントに、ちょうどいい、という天気がなくなっちゃったねぇ。」
米も全般的に生育遅れを回復してきて、さすが 「日照りに不作なし」 である。
でもこの言葉も、実は明治以降の水利の整備によって生まれたもので、
それ以前は、飢饉の原因の多くは 「日照り」 (による水不足) だった。
莫大な資源と技術を投入して水利を整え、築かれてきた生産基盤なのだが、
すでに私たちは、明治以降に開いた田んぼ相当分を減反で失ってしまっている。
ご先祖様に申し訳が立たないよね・・・・・なんて、
お盆にかこつけたような感慨に耽りながら、
逆に高温による品質が気になってきている2008年の夏、って感じ。
皆さま
残暑お見舞い申し上げます。
この暑さももう少しですね。 野菜をいっぱい食べて、乗り切りましょう。
ちょっとバテ気味で、すみません・・・
2008年8月 5日
有機JAS制度の検討委員会 ‐第5回
今日は、5回目となった有機JAS制度の検討委員会。
正式名称は 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 という。
霞ヶ関・農林水産省第2特別会議室。
開会前なら撮影OK、ということで一枚撮らせていただく。
12名の委員が、アイウエオ順に座らされる。 私は写真右端から切れた手前の席。
正面の傍聴席は、認証団体や生産者、関係業界の方などでいつも一杯になっていて、
それだけ関心の高さが窺える。
この検討会も2月から始まって5回目となり、全体の意見集約の段階へと進んできた。
しかし、たった5回×2時間程度の審議で、もう 「とりまとめ」 である。
毎回ペーパーの説明時間などもあり、発言できる機会は1~2回程度で、
この点はあとで言わせてもらおうなんて考えようものなら、
ついに機会を逸してしまったりして、相当にストレスの溜まる会議ではある。
民間から委員を集めて開かれる検討会というのも色々あるが、みなこういうものなんだろうか。
ここでは審議の詳細な説明は省かせていただくが、
感想をひと言で述べよと言われたら、
どうも原則論 (あるいは理想論) と現実論のキャッチボールで推移してきている、
という印象になろうか。
たとえばこんなふうに。
① 生産者の文書管理や記帳などの負荷が重過ぎる。 これでは有機の (認証を取得する)
生産者は増えない。 もっと作業やコストを軽減できる手法を考えるべきだ。
→ ハードルを低くすると制度の厳正さが失われ、社会的評価が得られなくなる。
また認証機関や検査員が生産者に管理手法の改善をアドバイスするのは
「コンサル」 業務にあたり、公正さが保たれなくなるので許されない。
② 認証機関の判定や判断にバラつきがありすぎる。 たとえばある資材について、
有機に使っていいものかどうかを判断する際に、認証機関の見解がまちまちでは、
生産者は混乱する。
→ 資材の調査と判断は、あくまでも生産者の自己責任で行なわれるべきものである。
また同じ資材なら、どこでも誰でも無条件に許容されるものではない。
あくまでも、それを使わざるを得ない個別事情を勘案する必要があり、
そこから下される判定は一律なものではない。
→ 「やむを得ない事情」 を判断できるのは生産者であって、
待ったなしの状況で、認証機関が本当にそんな事情を判定できるのか。
その資材の 「原材料と製造工程」 から、その資材が 「有機性を損なうものではない」
という、有機JAS規格に対する客観的な適否判定をすればよいことではないか。
③ 有機農業を広げてゆくためにこの制度があるはずだが、その視点なく、
ただ制度の細かい見直しをしても意味がない。
→ 有機認証制度とは、あくまでも公正で客観的な審査・認証の仕組みであって、
有機農業の推進は 「有機農業推進法」 の枠でやるべきことだ。
あるいは、これは生産者のためにあるのか、消費者保護のためにあるべきなのか・・・
そもそもが、2000年から始まった認証制度で、
監査 (検査) および認証 (判定) は民間機関に委ねられたため、
いろんな立場から認証機関が林立する状況が生まれ、
認証する方もされる方 (生産者・メーカー) も、認識やスタンスに誤差があって、
「意図せざる規格違反」 や 「業務改善命令」 が後を絶たない。
そこで今回の制度運用上での見直しとなったわけなのだが、
委員それぞれの 「立ち位置」 によって、改革の視点も異なれば、
「正論」 も微妙に温度差のようなものがある。
誰が 「原則」 派で、誰が 「現実」 派などと簡単な色分けもできず、
譲れない原則と見つめなければならない現実を、それぞれが抱えているような
「もどかしさ」 が続いている。
一方、であるがゆえに、ただ理想論を偉そうにぶつだけの意見は、
逆に鼻白むだけであったりする。
会議の途中から雷が鳴り始めた。
( この局所的集中豪雨によって、下水道工事現場で作業員の方が亡くなられたと
知ったのは夜のニュースだった。 )
問題の根っこを探らないと有効な解決策は見い出せない。
幸い、認証機関側から相当に練った 「改善のためのプラン」 が示されてきて、
まあ何とか落としどころが見えてきた感がある。
あと一回で、この検討会としての意見の 「取りまとめ」 に入る。
これまで出されたいろんな視点に対しての意見や 「まとめ」 への見解は、
自分なりにちゃんと整理して提出しなければならない。 ただ口で言うだけでなく。
「もどかしい」 とかなんとか不満を言うヤツには、その義務があるんだよ。
というのが自分のスタンスだったしね。
生産者の不満やストレスは一向に解消されないかもしれない。
ただこの委員会で、何かひとつは、前進したものがあったと言わせなければと、
焦り始めている。
2008年7月16日
無農薬野菜の方が危険?
-そんな話を聞いたが、本当か?
という質問が会員さんから寄せられ、会員サポートチームのS君が相談にやってきた。
質問の内容を見ると、ご家族がラジオか何かで
「植物は、病原菌や害虫に遭うと抵抗物質を出す。 その物質が原因となって、
食べた人にアレルギー症状を引き起こすことがある。
無農薬野菜はアレルギー物質が多く含まれることになり、かえって危険である」
というような話を聞いたというのである。
この情報源なら知っている。 近畿大学の研究グループの試験結果だ。
発表されたのはたしか2年前のことで、
これはもしかしてひと仕事増えるかも・・・・と受け止めた記憶があるが、
その後は大きな話題にはならなかったようで (少なくとも我々の周辺では)、
なぜ今になって・・・・と思っていたら、
数日後に別な会員さんからも同じような質問が寄せられた。
どうやらこの試験結果を元にして、所々で 「無農薬野菜は危険」 といった話が
語られているようなのだ。
市民レベルから反応が上がるようでは看過できない、ということで、
僕なりに見解を整理して会員サポートチームにお返ししたところである。
いつもバタバタしてて、まとめるのが遅れてしまってゴメンね、Sくん。
あくまでも私の調べた範囲内での整理であることを断りつつ、お話すると-
私たちが食べている野菜や果物には、
カビや病虫害の被害から自身を守る " 免疫 " のような働きをする物質が含まれている。
「生体防御たんぱく質 ( 感染特異的たんぱく質 ) 」 と呼ばれるものだ。
人が野菜や果物と一緒にこの物質を摂取した際に、それが原因で
まれにアレルギー症状を引き起こすことがある。
これは以前から分かっていたことで、慌てることではない。
近畿大学の試験とは、それをリンゴを使って検証したもので、
無農薬・減農薬・一般栽培の3パターンで育てたものを比較したところ、
感染特異的たんぱく質は無農薬りんごに最も多く含まれ、
続いて減農薬、一般栽培の順であった、という結果が得られた。
ちなみに、無農薬リンゴは3種類の病害を受けていて、
一般栽培のものには病気は出ていない。 減農薬の状態はその中間。
これによって研究グループは、
「他の無農薬栽培の野菜や果物も、病気や害虫の被害に遭うことで、
感染特異的たんぱく質が増加する」 と結論づけた。
もう少し正確にお伝えすると、この試験は、
3種類のリンゴからたんぱく質を抽出し、リンゴ・アレルギー患者の血清に結合する
たんぱく質 (アレルゲン) を検出して、その反応を調べたものである。
その試験の背景には、野菜・果物のアレルギーの多くが、
花粉症の抗原 (花粉) と構造的に似ている抗原を摂取した時に発生している、
という現象があり、今回の試験で使われた血清も、花粉症を併発している方々の
ものであった。
ここから、野菜・果物によるアレルギーが増えてきていることと、
花粉症罹患者が増えていることとの関連性も指摘されている。
この研究結果は、ある意味で当然のことと言える。
植物には、病原菌や害虫の影響を受けると、それに対する防御物質をつくる力がある。
それらの物質は 「生体防御たんぱく質」 と呼ばれ、感染特異的たんぱく質のほかに、
ファイトアレキシンと呼ばれる抗菌性物質がある。
ファイトアレキシンは、いわば植物が自ら生み出す殺菌剤のようなものだ。
いずれにしてもまだ未解明な部分が多く、研究途上の分野であるが、
それぞれを物質単独で毒性を見た場合、「何らかの有害性を持っている」
と考えることができる。 菌や虫に対抗しているわけだから。
中にはそれによって苦味やえぐみとして感じられるものもあるようで、
物質によって、あるいは個人によっては、アレルギー反応を導く場合もあると思われる。
念のために言っておくと、ここで言うアレルギー反応とは、
舌がしびれたとか、どこかが痒くなったといったレベルも含まれる。
しかしながら、だから何よ。 というのが私の本音である。
これは植物が本来持っている力に起因するもので、
農薬が開発される遥か以前から備え持ってきた機能であって、
人もまた当たり前のようにそれらを食べ、かつ共生してきたものだ。
したがって、あらゆる食品に内包するものだと言えるだろう。
たとえば蕎麦やバナナでアレルギー症状が出る人がいるからといって、
蕎麦やバナナに毒があるとは言わないように、植物には必然的に備わっているもの、
と冷静に受け止めるべきものではないだろうか。
またこの実験結果によって、
「無農薬栽培だと増大する」 あるいは 「農薬を使うとこの種の物質は作り出さない」
などと簡単に決めつけられるものでは、決してない。
この研究で言えることは、あくまでも
「病原菌や虫の攻撃を受けると植物は防御物質を作り出し、
それは場合によって人のアレルゲン物質になる可能性がある。
病虫害の被害に遭うほど、そのリスクは高まる」 ということであって、
「無農薬野菜の方がアレルギー物質が多い」 というのは、
実際の生産状況を知らない、あるいは関心ない人の言うことである。
無農薬だから病虫害に侵されるとは限らない。
ましてや 「普通栽培だから病虫害に侵されない」 となれば、
それは相当に予防的な防除 (病気に罹る前に薬を打つ)
をしなければならなくなるだろう。
生産者が有機農業に転換する際の理由や動機の多くが、
自分や家族そして畑の健康のために農薬を撒きたくない、という
現場での経験や実感から生まれていることを、
「無農薬はかえって危険」 と簡単に語る人たちは知らなければならない、と思う。
そして、こういうことを語る人に共通しているのは、「無農薬=虫食い」 という認識である。
もちろん自然の中で作物 (植物) を育てる以上、
天候などの影響も受けながら常に病害虫とのたたかいになるので、
「無農薬」 を前提にすれば、リスクは当然高くはなる。 虫食いも発生する。
しかし、有機農業を実践する人たちが考える基本は、
健全な土作りをベースに、天敵も含めた生態系バランスに配慮することによって
「農薬を必要としない」 健康な作物を育てる、というものである。
だから必死で勉強しているわけだし、
多少の虫食いや変形も許さないという感覚は、国際的にはスタンダードではない。
日本ほどに農薬を使ってない国 (世界のほとんどの国) の、
普通の野菜の方がアレルギー物質を多く含むなどと言ったら、
どんなふうに受け止められることか。
また、仮に百歩譲って、無農薬野菜の方がアレルギー物質の含有が多いとしても、
農薬を使用したほうが安全などとは、とても言えるものではない。
「農薬」 とは、そのほとんどが化学合成物質であり、
その微量な残留でアレルギー反応を起こす化学物質過敏症の人もいる。
ここでは、食べた野菜の残留農薬による影響を受ける人と
野菜自体に含まれるアレルゲンによる影響を受ける人の数を比較するのは
あまり意味のないことで、決定的に違うことは、
野菜や果物の残留農薬というのは、
バナナ・アレルギーの人がバナナを避けるように対処できる問題ではない、
ということだろう。
そもそも、この試験結果によって、
リンゴ・アレルギーの人が、一般栽培だから食べよう、などと思うことはあり得ない。
農薬の問題について、まとめて整理すれば-
1.農薬は、作物への残留問題だけでなく、使用する生産者の健康被害のリスクを高める。
2.農薬は、地下水や環境を汚染するリスクを高める。
昨年、ある地方で、水田で使われた除草剤が河川を辿り、シジミに残留が検出されて
シジミの出荷が止められた、という事件があった。 上流の米は当たり前に売られた。
その違いは、ただ残留基準の差によるものだが、こういうことが起こりえる、
ということである。
3.農薬の使用は、土や生態系のバランスを崩すために、使用後に病虫害が発生した場合、
かえって被害が甚大になることがある。
また病原菌や害虫が農薬に対する耐性を獲得することで、
さらに強い、あるいは新たな農薬に頼るなど、農薬依存を強めてしまう。
これは農薬という毒性をもった化学物質が、広く自然界に拡散してゆくことを意味する。
4.そして、作物自体への残留のリスクは常に減ることはなく、存在し続ける。
要するに、農薬の問題は 「人の行ない」 に起因していて、
かつ負の連鎖のように問題が深まり、拡がるわけで、
人工の問題は、人の手で乗り越えなければならない。
「自然界の掟」 に起因する問題とは、質が異なるものなのだ。
どうも、 「無農薬=虫食い」、
あるいは生体防御たんぱく質の増大という問題をもって、 「無農薬はかえって危険」
といった主張をされる方々は、そのほとんどが有機栽培に対する偏見をお持ちか、
よくご存じない、あるいは対極にあるもの (農薬) を擁護することを前提にしておられる
ように見受けられる。 また、だいたいそういう方は、
" 消費者は 「無農薬=安全、農薬=危険」 という非科学的な判断をしている "
と考えていたりする。 「消費者は理不尽に農薬を悪と決めつけている」 と。
そして、「農薬は、安全だ」 ということを科学的に語ろうとする。
しかしその 「安全」 とは、
「ちゃんと規則どおりに使えば、人体に影響を及ぼすほどの残留は残らない」
という意味であって、それは同時に 「リスクが存在する」 ということも表現していることに
気がついていないように思える。
そもそも農薬の安全性を主張するのに、アレルギー物質を引き合いに
「無農薬も危ない」 と語るのは正当な手法ではないし、いわんや、
いま業界で流行 (はやり) のリスク・コミュニケーションの観点からしても、
ダメなやり口と言わざるを得ない。
大地を守る会の生産者も農薬を使うことがあるが、私たちは、
よく考えて農薬を選択し、使用は最小限に抑えよう、別な対策や技術を取り入れられないか、
というスタンスで話をする。
農薬を推奨する方々も、農家に 「これは安全だから」 と安易に勧めるのではなくて、
「これは危ないものだから、説明書きにある通りに使わないといけないし、
ちゃんと鍵をかけて保管するように」 と語ってほしい。
そういった指導が必要な 『薬』 なのだから。
食品が持つリスクをどう選択するかは、消費者一人一人の判断であり、権利である。
しかし太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスクと、
化学物質の野放図な環境への放出という問題を比較して云々というのは、
相当に文化や生きる力を貧しくしていないか、と思うのである。
私は、農薬への依存から脱しようと努力する人のものを食べることの方が、
未来の安心を築く選択である、と信じる立場である。
最後に、くだんの実験から指摘されたところの、
野菜・果物アレルギーと花粉症の増加の関連については、その背景に
『現代人の免疫バランスが変わってきている』
という深刻な問題があることを伝えておきたいと思う。
たとえば、有機野菜に切り替えたらアトピーが治ったとか、
無農薬の玄米に切り替えたら米アレルギーが軽減された、といった事例を
「非科学的」 と排除して済ませてよいだろうか。 まだまだ分からないことが多いのだ。
自然界に放出される化学物質の増大が、人の免疫システムの変化に、
何がしかの形で作用していないかという危惧の方にこそ、
科学者はその本能的関心を寄せるべきではないだろうか。
二日前の日記の最後で、
小賢しい科学技術論で重箱の隅をつつきあうような論争~
などと書いてしまったのは、このテーマが頭から離れなかったことによると思われる。
2008年6月 2日
「カンブリア」 の言い訳
さて、「カンブリア」 をこれで終わりにしたいと思う。
テレビ放映から約1ヵ月。 共通するひとつのご意見が断続的に入ってきていた。
会員から2件。 外部の方から2件。
大地の職員からも、何名かから 「あれはどうなんですか」 と聞かれた。
数は少ないが、みな真面目な質問である。
他にも、同じ思いを抱いた方がいるのだろうと推測する。
「道路に除草剤を撒いた生産者がいたが、その行為はいいのか?」
というものだ。
テレビでは、何だか盛り上げ役に使われた感がある。
しかも 「畑でなくてよかった」 的なナレーションが流れたことで、
「?」 と思った方もいたのだと思う。
事実はこういうものだった。
くだんの生産者・黒沢賢一さんが除草剤を散布したのは、公道だった。
もともとその道の脇にあったご自身の畑を、地域との関係で駐車場にしたのだが、
公道のヘリの部分が舗装されずに残り、雑草が繁茂してしまった。
黒沢さんは自治体と掛け合って、全面舗装することにはなったが、
その前に、「このまんまじゃ、草の種が他の畑に飛んでってしまう」 と心配されて、
仕方なく除草剤を買ってきて散布することになった。
大地では、ほ場以外でも除草剤の散布は控えるというのが基本である。
生産者も承知していることだ。
その上で、やむを得ない事情がある場合は、その事情を確認した上で認める場合がある。
今回の場合も、事前に担当は把握していたものだが、
カメラの前で伝票類を見ているわけなので、あえて説明してもらった。
隠すことではないと思ったのだ。
これでも疑問を感じる方もおられるだろう。
実際に、有機農業で米を作っているらしい生産者から、
除草剤が水系を汚染することには配慮しないのか、というメールが届いた。
その通りである。
しかしあの時、僕は黒沢さんの作業日誌で、
連日ご自身の畑の草取りにかかっていたことを確認している。
それでも、自分の地所の駐車場の前の状態も気がかりでしょうがなかったのだ。
他所の畑への影響を気にして、彼は地域の面倒を見ようとしたのだと、僕は理解した。
もしかしたら、無農薬野菜の生産者としての周囲への遠慮でもあったかもしれない。
「あいつらは雑草の種を飛ばす」
という理不尽な非難が、無農薬の野菜農家にはつきまとったりするから。
しかし黒沢さんの畑からは絶対そんなことはない。 彼のプライドは日誌が証明している。
一方で、彼らは農薬の飛散は我慢させられている・・・・・
僕はカメラの前で 「事情は了解しました」 と応えたのである。
僕は黒沢さんをこれからも支援する。
不充分な部分を残しつつも、頑張っている農家を孤立させず、励まし、
地域に仲間が増えていくように。
この行為を指弾しては、誰も地域の世話などしなくなるだろう。
これが生産現場の 「現実」 である。
僕が自慢したかったのは、
そんなことも率直に開示し合える当たり前の関係、ということだった。
テレビ局の人に伝えられなかったのは、僕の責任である。
あれから1ヵ月弱。 ここにきて、会員からは別な反応が起きている。
「あのテレビ放映で入会者が増えて、私たちのところに届く野菜が減っている。」
そんな連絡便が来ている。
すみません。 たしかに入会希望者は増えています。
でも・・・・・それ以上に、野菜そのものの入荷が減っているのです。
4月から、時折は暑い日もあったけど、実はずっと雨 (日照不足) や低温が続いていて、
東北・北海道は霜にもやられて、生育が遅れています。
5月には4個の台風接近という、異例の気象です。
そして、恐れていたこと。
本日、関東も梅雨に入ったとの発表・・・・・最悪ですね。
お願いしたいこと。
入会者を受け入れてください。 それはかつての私であり、皆さんです。
会員が増えれば、有機に向かう生産者を増やせます。
黒沢さんは放送に忸怩たるものを感じつつ、こう言ってくれてます。
「これで消費者が増えてくれるんなら、よかったですよ」
どうか、お願いします。
2008年5月22日
新しい大地オリジナル監査システムを築く! 宣言
昨夜 (21日) の話です。
勤務時間も終了した、18:30。
お昼の弁当を食べたりする休憩室に、
仕事を終えた (あるいは抜け出してきた) 職員が、パラパラと集まってくる。
その数、60数名。 数ヵ所に点在する社員全体の3分の1に相当する。
どうしちゃったの、こんなに。 みんな暇なのか。
などと私が言ってはバチ当たりも甚だしい。
みんな、私の話を聞きに来てくれた人たちである。
話は、今期から取り組もうとしている、新しい農産物の監査システムについて。
会員さんからの問い合わせやクレームに日々対応している会員サポートセンターのN君が
呼びかけて、開いてくれた。
ホワイトボードには、「エビちゃんが熱く語る ~ 」 などと書かれている。
オレはどうも、そういうヤツと思われているらしい。
内輪の勉強会だし、ここで報告するのはちと早い気もして、写真も撮らなかったけど、
終わってみれば、やっぱり少し記しておこうかと思う。
大地では、この5年間、「大地こだわり農産物認証」 と勝手に呼んでいる
独自の農産物の監査・認証に取り組んできた。
有機農産物のJAS規格制度 (以後、有機JASと書きます) の認証機関に依頼して、
大地で取り扱う農産物すべてが、大地の生産基準に合致していることを認めてもらう、
という手法である。
そのために、認証機関から毎年いくつかの産地がサンプリング指定され、
そこに有機JASの検査官が派遣されて、栽培内容の記録から各種伝票類まで確認される。
私がテレビ番組 『カンブリア宮殿』 でやっていたのとはひと味違う、
外部の検査官による監査であり、生産者は税務署がやってきたような気分になる。
また大地内部のデータ管理の体制から、物流センターでの小分け業務まで審査され、
最終的に、大地が流通する農産物がすべて大地基準に反してないものであることが判定される。
有機JASの認証を取得している生産者は、すでに有機で審査を受けているので、
この監査の対象からは除外 (免除) される。
つまり、これによって大地の契約生産者は、すべて第三者認証の監査対象となる。
この作業に5年間取り組み、ずっと 「合格」 の判定を頂いてきた。
最初の頃は、いくつか管理体制での改善点を指摘されたりして、
それはそれで自己検証を積み重ねて、精度を上げてきた。
そして昨年度、ついに 「改善指摘事項なし」 での合格判定となった。
私はこの時を待っていた。
これで内部管理体制は、一定の完成度に達したと言える。
監査を受けていただいた生産者には、改めて、この場を借りてお礼を言いたい。
しかし、これはあくまでも、農産物のその時の 「結果」 に対する判定である。
今日届いた大根は大地の基準に沿ってつくられたものと認められる、ということでしかない。
この5年の蓄積を土台にして、その向こうに行きたい。
監査・認証という冷たいシステムに、いよいよ血を通わせるのだ。
結果に対する 「基準適合」 だけでなく、
生産者が日々取り組んでいる努力の過程そのものを認め、評価する体系に進みたい。
年度が変わる前の3月、私はそんな提案を会社に提出した。
基本方針は承認されたものの、さて、どんなふうに進めるんだ?
ということで、今回の 「勉強会」 という名目での呼び出しとなった次第である。
具体的手法については、たいしたことではない。
いや、難しいようでそうでもない、簡単なようでそうでもない、という感じか。
まずは、今までやってきた手法にちょっとした手を加えるだけなんだけど、
問題は、この 「手」 をうまく自分たちのモノにできるかどうか、である。
生産者の、その作物の栽培内容だけでない、様々に取り組まれている様々な 「努力」 と
お金に換算できない 「価値」 を正しく評価して、前に進んでゆくための制度。
それによって未来をつくる力がここにあることを、私は立証して見せたいと思うのである。
大地独自の有機農業推進法であり、有機農業運動監査システムだと言ってみたい。
なんだか抽象的な話のようだけど、
この夜の話では、それなりにリアリティをもって語れたとは思う。
終了後、少しハイな気分になって、15人ほどで一杯やる。
軽くのつもりが、とうとう深夜3時まで喋くりあってしまった。
これは、「監査」 というものを自分たちの本当の力にするための作業でもある、と思っている。
農産物の世界なので、成果はすぐにはお見せできないけど、
数年後には、こういうことだったのね、と言っていただけるように、やってみたい。
仮にズッコケても、ゼッタイに何かは得られるはずだ。
有機JAS制度ができた時から、エビは 「有機JASを超える!」 とか
偉そうに吹いてたけど、忘れてはいなかったんだね。
-当ったり前っすよ。 ずっと悩んでたんですぅ、今もですけど。
さて、ここまで言ってしまうと、もはや絵に描いた餅ではすまない。
でも、あまり期待されても困ります。 少しずつですよ、少しずつ、一歩前に・・・・・
2008年5月14日
寒い5月
先週からどうにも天気が悪い。
関東ではようやく回復基調にはなってきたが、ずいぶんと寒い日が続いた。
社内で 「産地担当」 と呼ばれる、各生産地の仕入担当者たちからの報告も、
つらい情報が次々と入ってきている。
○ 北海道・・・5/10(土)、北海道・富良野方面で霜が降りました。
アスパラの出荷が激減します。 回復までに1週間か10日ほどかかる見込み。
去年の7月に見た
中富良野の吉田清一さんのアスパラ畑。
ここにも霜が降りたと。
○ 山形・・・寒い。 5月に入って3回も霜が降りた。 こんなことは例年にない。
雨なしで生育遅れている。 アスパラ、おかひじき、茎立ち菜と出荷減。
○ 福島・・・低温、霜注意報が出ている。 キュウリが増えない。 例年ならうなって来るところなのに...
トマトも同様。
○ 岩手・・・5/11(日)、結氷を記録。 山菜全般、出荷不安定となります。
木の下や沢筋など、凍害のないところで採取しますが、来週前半は大きく数量が減りそう。
逆に (天候次第で) 週後半に一気に出る可能性も...。
北はだいたいこんな感じで、
関東では夏場のスイカや果菜類の着果が進まず、生育が遅れているとの情報。
トマトでは、病気も発生して今期は出荷できないという生産者も現れた。
こういう時は、相対的に品質も悪くなったりする。
どうも、農産グループに着任してから、野菜の欠品報告ばかり。
オレの日頃の行ないが悪いんかい! クソッ。
気候変動や食のグローバリズムが、国内の有機栽培も困難にする、
というような話は前にも書いた気がするが、
特定の生産者と契約していることがストレートに流通に、そして台所に反映される
大地システムでは、こういう時は胃が痛くなるような我慢の時になる。
しかし、泣き言は言ってられない。
このブログを見てくれている生産者の皆さん!
これから作付 (契約) は強気 (強め) にいきますよぉ。
天候には逆らえませんが、技術もふくめた情報交換を密にして、何とか品質を維持しながら、
オレたちの 「有機農業推進法」 を進めましょう。
自給と環境と安全の土台を守り抜く運動を、しっかりと築いていきたいもんです。
とまあ、こんなふうにでも威勢を張らないと、暗くなってしまう... さぶい5月である。
2008年5月 8日
カンブリア・・・
さてさて、お騒がせのテレビ東京 『カンブリア宮殿』 である。
放送された翌日 (6日) から、反響は予想をはるかに超えて、
入会問い合わせを受ける部署の電話回線が一杯々々になった。
ホームページでお詫びのお知らせがアップされたほど。
周囲もこの話題で喧しい。
しかし、そんな突如降って湧いた "嬉しい悲鳴" とは裏腹に、私の心は晴れないでいる。
私の生産者に対する監査のところでは、案の定、あの場面が編集されていたから。
ああ、やっぱりここんところが "インパクト" ってやつなんだね、である。
隠すつもりなど毛頭ないよ。
だから、テレビカメラの前でも潔く、堂々とやったつもりだ。
でもね、もっと自慢したい場面もあったんだ。
なのにね。
道路の脇に撒いた除草剤と、アブラムシびっしりの大根・・・の二場面。
黒沢賢一さんのプライドとしては、忸怩たる思いに違いない。
虫にやられた大根は、「これぞ無農薬の証し!」 とか言われても、
プロの生産者としては 「こんな状態は恥ずかしいんだよ」 と漏らしていた。
『無農薬だって、ホントはもっと上手なんだ、オレは』 と叫びたかったことだろう。
道路脇の除草剤だって、できることなら撒きたくなんかなかったんだし。
向かいの畑に草の種を飛ばすことを、無農薬の生産者はとっても気を使う。
地域の目はまだまだ、けっして彼らに甘くはないのだ。
ごめんね、黒沢さん。
オレがもっと上手に説明できていたら、もう少しいい場面が採用されたかも知れないと思う。
大事な一人の生産者が、番組の '盛り上げ役' みたいになってしまって辛い。
しかし、さぞや黒沢さんはご機嫌ななめかと思いきや、
意外とサバサバしたもので、
「まあ、農家にはこんな悩みもあるということで、現実を知ってもらってよかったと思う。」
こっちが救われたような気分になる。
スタジオでの、村上龍さん、小池栄子さんの質問に対した藤田社長は随分穏やかな感じで、
こちらは大変好評である。
強い期待を持って見た方には、話の内容に物足りなさを感じたところもあると思うけど、
ああいう場所で落ち着いて言葉を選びながら話すのは、かなり難しいし、
藤田のしゃべりも相当カットされたようなので、まあ許してやってください。
格差社会の拡大と食料高騰、そんな中での安全な食の安定供給は可能か、
というテーマも、どの視点から応えるかで全然ウケは違ってくる。
藤田が語れなかった (カットされた) 部分は、いずれフォローしてみせるつもりです。
もちろん、黒沢さんへの借りもね。
それにしても編集恐るべし、だな。
あれやこれや、埼玉に三浦に、岩手・山形村から青森のニンニク生産者・留目さんまで、
フィルムに収めた時間は、たっぷり100時間は優に越えたと思うのだが、
見事な切りっぷりである。 全部ひっくるめて買い取りたいくらいだ。
加えて、この反響。
世間の耳目が我々の活動に向かれてきたということは、嬉しくもあるが、
それだけ世の中の病いが進んできているということなのかもしれない。
また注目されるってことは、批判の目も厳しくなるってことだから、
大地諸君! 酔っ払って駅の階段転がってる場合じゃないです。
2008年4月20日
有機農業者の悲鳴?
4月5日と8日の日記で紹介した "まっちゃん" こと松田博久君から、
日記を読んでくれてのコメントが届いたのでアップした (8日付へのコメント)。
苦しい胸のうちが語られている。
安全を担保するには、 "しんどい" は避けられないことか?
ただでさえ難しい有機農業に、しんどい作業がついて回ると、
これから有機農業に取り組む人が減りはしないかと心配になります。
まっちゃんの言う通りなんだよね。
実際に、有機の認証を取っている生産者の多くが悲鳴を上げている。
三日前の4月17日、
農水省による3回目の 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 が開かれたが、
生産者サイドから選任された二人の委員が、1回目から共通して訴えているのは、
記録や文書管理のわずらわしさであって、栽培の大変さではない。
(ちなみに二人とも、奇しくも大地の生産者会員である。)
「もっと記録とか管理の仕組みを簡便化しないと、やる人は増えない」
(山形・庄内協同ファーム、志藤正一さん)
「実際に現場では、高齢の生産者などは脱落していっている。
このままではいったい誰のための、何のための有機認証制度なのかと思う」
(鹿児島・姶良町有機農法研究会、今村君雄さん)
しかし消費者サイドから出る意見は、検査の厳格さを求めるものだ。
そうでなければ制度への信頼性が薄れる、と。
国もまた、これが検査-認証の制度である以上、
農家が悲鳴を上げたからといって緩めるわけにはいかない。
しかも有機JASは国際基準との整合性を求められているのだ、との論理が立ちはだかる。
認証機関も同様である。
有機農業者は増えて欲しいが、生産者に甘い検査をしては自らの信用に関わる。
加えて、監査-認証には 「公正さ」 が求められるため、
監査の過程でのアドバイスや指導は許されない。
それでいて、認証機関の不適切業務が時折発覚したりするものだから、
彼らはますます襟を正して、厳格になろうとする。
生産者の憤懣は募る一方だ。
いったい誰のための......これでは 「制度のための制度」 ではないか......
検討委員を引き受けた以上、偉そうに制度を否定するだけではいけないことは分かっている。
ただ何とかして、みんなで手足を縛り合っているような、この閉塞感を突破したい、と思うのだ。
僕がこの委員会で仕事をしたと言えるかどうかは、
あと2ヵ月くらいの思考の整理にかかっている。
まっちゃんのお茶 (「松田さんのお茶」) でも飲んで、もう少し苦しんでみるか......
2008年4月16日
春の風物詩
そう間を置かず、カッコよく再開しようとねらったのだったが、
やっぱりそうもいかなかった。
農産物の仕入から発注、栽培管理まで、
とにかく今は全体を理解するのに追われてしまっています。
チッチさん。 コメント有り難うございました。 返事も書きましたので、ご確認ください。
前回のテレビ局の取材の話には、他団体の広報の方からもコメントをいただきました。
どうやらマスコミ取材に苦々しい思いをした経験があるらしい。
でも、それはちょっと生々しくもあり、アップできない旨、ご容赦いただいた次第。
このところは、文字通り三寒四温のような日々ですね。
桜が咲いたと思えば花嵐が吹き、なたね梅雨に入り、高気圧と低気圧の追っかけっこで、
三日と晴天は続きません。
冬から夏へと向かいはじめる不安定な時季こそ、春なのかも。
端境 (はざかい) 期とよばれる野菜の移行期に、天候はさらに出荷を不安定にさせます。
大地宅配の野菜セット 「ベジタ」 も予定通り組めず、値引きの判断を強いられました。
特定の生産者と契約しているがための宿命のようなものです。
若者も巣立つ季節。 いや我々にとっては若者を受け入れる季節か。
こんな一枚はいかがでしょうか。
これは先週の土曜日、
4月12日に行なわれた 『大地合宿』 と呼ばれる職員研修での伝統行事、
新入社員による 「新人発表」 のひとコマ。
ヴァイオリン演奏を披露してくれた新人さんです。
幕張本社近くの研修施設と公園を借りて行なわれた今回の合宿。
幹事を担当した部署の配慮で職員の家族の参加も受け入れることとなり、
「家族への感謝」 をテーマに盛り込んだ、アットホームな合宿になりました。
幸いにして晴天の青空の下、こんな感じで。
フィアンセを連れてきたヤツもいて、何だか今の若者が羨ましくもなって。
新人発表も、昔はスピーチ一本で勝負するヤツが多かったですが、
昨今はどうも一芸披露の傾向になっています。 その方が記憶されやすいということなのか。
下の写真は昨年秋に中途で入った職員。
こちらは自分がやってきた専門分野を使っての研究発表的で、
僕はどちらかというと、こういう方が好きです。
個人の発表のあとに飛び出したサプライズ、の新卒3人娘による大根踊り。
こいつら東京農大でもないのに? ......専務のウケを狙ったか。
物怖じしない世代が育っています。
そして夜の懇親会 (宴会) 。 想定外の飛び入りが登場。
北海道・富良野の生産者、今利一さんです。
他の用事で東京に来たらしいのですが、大地の職員が合宿をやっているということで、
こっちに飛んできてくれました。 嬉しいことです。
写真左が今さん。 右は大地の農産仕入担当取締役、長谷川満。
富良野でも麓郷 (ろくごう) という、ちょっと標高の高い土地で有機農業を営んでいます。
テレビドラマ 『北の国から』 の舞台となったところで、
ドラマの脚本を書いてきた倉本聡さんが開いた 「富良野塾」 の門下生の世話もしていたりして。
でも本人はそんなことを売りにしたくなく、「言うな」 とかたく禁じられているので、
僕らも言わないことにしています。
5年前からは、富良野市の市議も務めている。
みんなからおだてられ担ぎ上げられて、そんな心象をぜ~んぶ受け止めて頑張っている。
揶揄されても、笑いながら働く今さんが、僕は好きでたまらない。
酒の席で、若い職員が遠慮なく質問する。
「今さんの玉ねぎは何で小さいんですか?」
いやあ.........困ったなぁ、という顔をしながら、今さんは応える。
「僕も小さくていいと思ってないだけども、な~んでか、こいつら小さいんですよね。 何でだろ。
でもですね。 大きい玉ねぎに負けないだけのエキスがギュッとつまってる、と僕は思ってるんだ」
今さんはこういうふうに言う人だらから、みんなに好かれるんだよね。
俺だったら、「お前に何が分かる」 とか言ってしまうだろう。
今グループのメンバー・菅野義則さんから聞いたことがある。
「有機に変える前、化学肥料を使っていた頃の今さんの玉ねぎは、そらぁ立派だったよぉ。
選果場でも一番の評価だったね。 今さんは作る技術は持ってるんだよ」
有機農業の思想に触れて、今さんの苦労は始まったのかもしれない。
彼の玉ねぎは多少小さめだが、
「有機」 と決めたら 「有機一筋」 という彼の姿勢は骨太である。
僕らはその "意味" に付き合っていることを知っておかなければならない。
しかも、金もないなのに、離農する農家の土地を引き受け、新規就農者にタダで貸し......
聞くたんびに、あんたの貸借対照表はどうなってんの、とか言いながら、
今さんのちっちゃな玉ねぎに、我々の苦労も重ねたりしている。
なんだかんだ言いながら、
合宿と聞いて飛んで来てくれたことに皆な嬉しい気分にもなって、
職員のアパートに連れていって一緒に泊まったりしたのでした。
翌日の朝、重たい頭で帰りの道すがらに出合った菜の花畑。
ああ、満開だ。
俺のウダウダした拘泥なんか関係なく、世界は摂理に基づいて流れています。
春は落葉の季節でもあります。
常緑樹の葉の生え変わりを詩にした作品を、実は見たことがない。
浅学ゆえだと思うが、それにしても見ない。 何でだろう。
春の花開きの次は、若葉という気分か。
でも今時分は、相当に落ち葉の季節でもあるのです。
放ったらかしていた雑草プランターで、レンゲの一番花が咲きました。
空気中のチッソを取り込んでくれる、昔からある優れもの。
この花が枯れる頃には、田植えが始まる。
だんだんと、この日記のピッチも取り戻してゆきます。
2008年4月 8日
"厳しいチェック" と "信頼" の間
これはTV局の取材風景。
東京12チャンネル 『カンブリア宮殿』 という番組のカメラ・クルーが入った。
3月28日(金)。 場所は埼玉県岡部町、黒沢賢一さんの畑。
僕はここで、生産者の栽培内容を確認する大地職員として、取材に応じたのだが、
進めていくうちに、立場によって視点が大きく異なることを感じさせられることになったのだった。
取材の意図は、ギョウザ事件など食に対する不安な事件が続く中で、
消費者からの信頼を増している団体として、大地を守る会を紹介したい、というもの。
そのように評価されることは大変嬉しくもあり、誉れではある。
番組のコンセプトは個人に焦点を当てる形になるようなので、
藤田会長をメインに、あちこちと取材が始まって、
物流センターから内部の書類審査の場面など、いろんなところにカメラが入り、
そして、実際の生産現場をチェックしているところを撮らせてくれ、ということになった。
あんまり深く考えずに出かけた私も呑気ではあったが、
生産者の記録書類やら伝票やらを確認し、畑で状況を見たりしているうちに、
TV局の方の期待と、自分がやっている作業に、大きなギャップがあることに、
気づかされることになった。
つまりTV局としては、「どこよりも厳しく」 栽培内容をチェックしている大地、を撮りたいのだ。
たしかに資材の購入伝票まで見せろという取引先は、そうないだろう。
しっかり撮られた。
しかし彼らの期待からすると、私と生産者の会話が、どうも生ぬるく見えたようなのだ。
「よく (記録を) つけてるじゃないですか。」
「ここも大地に報告された内容と一致してますね。
でもここのところは、次から正確な数字も一緒につけておくようにしましょう。」
「ああ、だいぶ (害虫に) やられてますねぇ。
出荷まであと半月くらいあるよね。 どうする? う~ん、我慢するしかないのか・・・」
私にとっては、生産者の農薬を使わない " 姿勢 " や " 対処する技術 " を確かめている
作業なのだが (作業日誌の 「草取り」 記録もさりげなく、しっかり確かめていたし)、
しかし、テレビカメラにとっては、これは 「厳しいチェック」 には映らない、のだ。
「今は、何をチェックしたんですか?」
「それで、何が分かったんですか?」
さすが、マスコミの方の突っ込みは厳しい。
そうか。 僕が今期待されているのは、疑いを基点にした作業なのかもしれない。
「ここまで細かく大地は見ているし、その裏づけをトコトン調べ上げようとしている」
という絵を。
いや、納得したかったのだ。 撮っている映像の意味を。
でも何だか、いちいち意味を説明するのも、だんだん億劫になってくる。
藤田会長も心配になって、フォローの説明をしてくれる。
お手数おかけしました。すみません。
大地は、たしかに細かい報告や情報開示を求める。
しかし、それをいちいち疑って、ここに来ているわけではない。
まずもって信頼できる人であること (そこには長年の蓄積もあるんだ)。
その上で様々な記録や畑の状況に整合性があるか、を見せていただく。
疑惑の感覚で書類を漁っても、かえって見えるはずのものが見えなくなる可能性がある。
細かい書類確認もするし、農薬の使用に対して、ああだこうだと意見を出すこともある。
しかし、僕らが自慢したいのは 「チェックの厳しさ」 以上に、
「生産者との信頼関係の強さ」 でありたいと思っている。
嘘をついたり、隠す必要のない関係づくりがないと、「信頼」 はただの呪文でしかなくなる。
ただこれは極めて人間的な判断になってしまうがゆえに、それをカバーするものとして、
生産者を前面に出した情報誌があり、消費者との交流 (人そのものの開示) があり、
大地独自の制度である第三者認証機関の監査がある。
それに実際の厳しいチェックというのは、
今日の聞き取りの前に相当にやり合ってきたことなのだ。
言いにくいが、それが過去の失敗から学んできたことでもある。
ゼロから出発してここまできた32年の重みと自負は、伊達ではないと思っている。
前回の日記で紹介したまっちゃんが、
大地は "性善説" に立っていると言ってくれることは、とても嬉しいことだ。
僕らの間には隠すべき必然性がないことを、生産者が語ってくれていることだから。
でも、まっちゃんが有機の認証を受けたように、
それを証明する手立てとなれば、とても細かい記録と自主管理が必要になる。
性悪説に立たないと人が信じられないとしたら、
その団体の目と、生産者との関係性は相当に痩せたものになるだろう。
しかし証明はとても難しい。
ギョウザ事件で 「検査を強化する」 と語った生協の重役さんがいたが、
はっきり言って、抜き打ち検査をどれだけ増やしても、すべての行為は証明できない。
これは食に携わるものとして、充分気をつけておかなければならないことだと思う。
「資材屋さんの請求書、見せてもらうよ」
「あいよ」
この会話にこそ、我々の奥義があったのだが、
しかし、今の時代にとって、
性善説という判断姿勢は極めて説得力の弱いものになってしまっているのだ。
このことも、心して考えなければならない。
テレビ局の人から教えられた。
彼らはただ、厳しい大地を見たかったのだろう。
それに対して、僕は 「信頼」 の根拠を説得力をもって語れなかった。
結果的に、テレビ局の方の期待に沿った行動はできなかった。
そのことを "世間の風" と受け止めたい。
終わり頃にはだんだん黒沢さんは不機嫌になってきて、
これでは監査失敗である。
その後もう一軒、本庄の瀬山明さんのところも回ったのだが、
ここはもう甘く見えてしまうやり取りを続けるより、
ぽんぽんと瀬山さんの無農薬栽培の極意を語ってもらうことにした。
放映日は、5月5日に予定されたらしい。
どんなふうに編集されるか、今からドキドキしている。
まっちゃん、ネタにしてごめんね。
"性善説" もつらいんだよ、けっこう。
2008年4月 5日
春だよ。 再開しよう。
幕張の桜も満開だ。
春だよ。
ぐちゃぐちゃ言ってないで、再開しよう。
もうちょっと落ち着いてから、なんて考えてたけど、
身に余るようなコメント (てんさん、ありがとうございました) に加え、
周囲からも 「続けるんだよね」 「再開はいつ?」 といった声をかけてもらったりして、
その気になってきたところに、
懐かしい奴からのコメントが飛び込んできた。
たいへんそうですね。でも、それは世の中における大地の存在が、日々大きくな
っている証ではないでしょうか。でも、過労死はしないでくださいね。実は今日、
有機認証の監査があり、「安全はしんど~い」を実感した1日でした。
言ってみれば、有機認証は性悪説を前提にした制度、大地は性善説を前提にした
制度といったところでしょうか?どっちが楽しく農業できるか、わかりますよね。
それでは、再開を楽しみにしています。
80年代の元大地職員。一緒に配送員時代を過ごした "まっちゃん" 、松田博久からだ。
立教大学を出て大地に入ってきた頃は、静岡の実家に戻るかどうか
迷っていたフシもあったように記憶しているが・・・いや、迷ってはいなかったか。
でも 「無農薬では、お茶はゼッタイ作れん」 とか言ってたよね。
それがいまや立派な、有機栽培によるお茶の生産者である。
勉強もしたんだろう。 そして今年も認証を更新したんだね。 お疲れ様。
生産者の努力が報われる社会を築きたい。
そして、つくる人と食べる人が信頼でつながることが、
食の安全と暮らし・環境を守る道筋であることを、僕は疑ってない。
世の中すべてがそうなることは難しいかもしれないけど、
そのモデルづくりに邁進してきたなかで、だいぶ変わってきたという実感はある。
どこまでいけるか分からないが、
やれるだけのことはやって、次につなげたいと思っている。
まっちゃん、ありがとう。 俺も弱音吐いてないで頑張ってみよう。
ところで、まっちゃん。
「有機認証が性悪説」 というのは、ある意味で仕方がないことかもね。
監査というのは、規格違反や隠し事がないことを確認する作業だから。
検査員だって本当は、生産者を支援したいと思ってやっているんだけど、
監査にミスや手抜きがあっては、認証を取っているみんなの信用に影響する、
そんな緊張感もあるんだ。
根掘り葉掘り聞かれて、ウンザリしたことだろう。
「こいつは、俺をずっと疑ってかかってきている」 なんて思うんだよね。
でも、それに耐えて誠実に対応したことで、君の栽培と管理の確かさが認められたんだ。
これはこれで勲章だ。 おめでとう。
"性善説と性悪説" については、実は僕にも、考えさせられた出来事が、つい最近あった。
その話を次にしたいと思う。
こいつは、ヒヨドリでしょうか。
小鳥も春の気分で嬉しそうだ。
2008年3月31日
部署再編-しばしお休み、のご連絡
先週はついに一本しか日記を更新できなかった。
いろいろとネタはあったんだけど。 クソッ!
実は、実は、この年度末の日に突然なんですが、
社内の部署の再編成が行なわれまして、ワタクシ、新しい部署に異動になります。
明日、4月1日付けです。
新しい部署といっても、
これまで 「生産グループ」 に所属していた農産物の仕入れ部署-「農産チーム」 と、
農産物の栽培内容の確認 (トレーサビリティ) と審査を担当してきた
安全審査グループ所属の 「有機農業推進室」、
そして農産物の発注を担当する 「農産発注チーム」 が合流して、
新たに 『農産グループ』 として統合されたのです。
つまり、農産物に関連した部署を一ヵ所にまとめたってワケです。
そのグループ長に横すべりとなります。
仕事では深く関連しながら、しかし微妙に立場が異なるがゆえに
時に喧嘩もしがちな3チームを、これから取りまとめていかねばなりません。
はたして身が持つか、不安先行の春であります。
ちなみに、従来の安全審査グループに属していた
「品質保証チーム」 と 「環境食料分析室」 は
そのまま 『品質保証グループ』 と名称を変えて存続します。
そんなこんなで、今月中旬あたりから、
ワサワサと書類の整理やら業務の引継ぎやらレクチャーやらと、
気持ちの落ち着かない日々に入っていました。
それもまだまだ終了しませんが、明日から肩書きは 「農産グループ長」 になってしまいます。
というワケで、まことに唐突ですが、
「安全審査グループ長」 としての日記は、これでおしまいとなります。
でも管理人さんからは、引き続きやれ、との温かいお言葉を頂戴しましたので、
ちょっと立場は変わりますが、ブログは継続します。
内容もさほど変わらないと思うし、しんどさは増しそうなので、
タイトルもこのままでいきます。
しばし、看板のリードの張り替えにお時間をいただき、
その間にせっせと新しい部署の業務の組み立てをして、
中旬くらいには再会できるよう、頑張ります。
安全審査グループを立ち上げてより5年、
すべてのジャンルの取り扱い基準を見直し、それに基づいた審査と
トレーサビリティの体制を強化して、
それなりに 「大地」 の信用確保に貢献できたか、とは思っています。
明日からは、その体制を基盤として、
さらに、さらに、農産物の安全性や品質の向上などなどに尽力する所存です。
引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
はなはだ簡単ではございますが、1~2週間ほどお休みを頂戴します、のご連絡まで。
2008年3月18日
3月18日。 忘れないと決めた日。
3月18日がやってきた。
忘れない、忘れてはならない、と決めた日である。
3年前のこの日、千葉県市川市塩浜にあった大地の物流センターで
火災を起こしてしまった日だ。

職員にとっては、二度と見たくない画像だけど、
あの日の、あの思いを、今日は振り返って、反省の日としたい。
以下、手元の記録から-
2005年3月18日(金) 12時15分頃、物流センター資材保管倉庫にて火災発生。
物流センターでの金曜日は、世間でいえば土曜日にあたり、
人が少なく、発見が遅れてしまった。
延焼面積はセンター全体の5分の1ですむも、
隣接する区分けラインおよび冷蔵・冷凍設備が使用不能となる。
緊急対策会議で、21(月) ~22(火) の二日間の配送停止と、突貫での再建作業に入ることを確認。
人海戦術開始。
生産者への連絡。 会員への緊急連絡文書を作成し、発送。
19日(土)、消防署・警察による現場検証。 「漏電の可能性」 の指摘あるも、原因は特定できず。
倉庫での作業再開には消防署の許可に時間がかかると判断し、代替倉庫の手当てに入る。
20日(日)、埼玉県和光市に代替倉庫を確保。 水曜日からの野菜セットのお届けを手配。
21日(月)、代替倉庫の調査継続。 常温・冷凍・冷蔵の区分けを分散しても行なうことを決定。
22日(火)、和光センターにて野菜セットの作業開始。 会員からの問い合わせ1000件を超える。
23日(水)、ベジタ、緊急野菜セット、卵の配送再開。 南船橋に冷蔵・冷凍用倉庫確保。
至急設備とライン設置に入り、28日より品目限定ながらも配送再開を決定。
24日(木)、八王子のマゴメさんからの米の直送に社員応援派遣。
物件交渉継続しつつ、区分け再開の準備を進める。
27日(日)、一部常温品・冷蔵品・雑貨の区分け再開。
28日(月)、配送開始。
・・
・・
その後、順次、品目を拡充しながら、復旧を進めていったのだった。
仕入、物流、会員対応など、必死の作業が続く。
しかし、毎夜の緊急会議で状況を確認しつつも、
動きが早まるほどに、社内の認識に誤差が発生し、不安や苛立ちの空気が流れ始める。
社長に呼ばれ、各所の情報を整理して全体化するように指示される。
徹夜でまとめ、気力を無理やり前面に出した社内報を出す。 3月25日(金) になっていた。
『 大地復活!情報 ‐今こそ見せよう!大地の底力‐ 』
ここで俺たちの底力を見せなかったらどうする。
多大な迷惑をかけているにもかかわらず、心配し、励ましてくれる生産者や消費者に、
やっぱり大地は頑張ってくれた、と言わせてみせる。
そんな決意をひとつにしなければと思った。
会社の方針や他部署の動きを批判した後輩を叱ったこともあった。
その部署で今働いている人は、
たとえ自分がそこにいてもそれ以上にはできない、それだけのことをやっているのだ。
そう信じて、自分もやれるだけのことをしよう。 指示を待てと言われれば待つ。
ここでの信頼は無条件である。 個人的な行動は慎め。
今思えば、僕もフツーじゃなかった。
「復活情報」 で、社長の心情を伝えた。
-本当に申し訳ないという、心からのお詫びの気持ちで再出発しよう。
我々の責任を自覚し、お詫びの心で、全力で復旧にあたって欲しい。
その夜、寝不足なはずなのに眠れず、寝床でやたら泣いてしまった。
なんだか、やけに悔しくなってしまったのだ。
日々欠かすわけにはいかない食べものを運ぶのが僕らの任務なのに、
運べない悔しさが、腹の底から込み上げてきたのだった。
こんな職業意識が自分にあったんだろうか、と思ったとき、思い出したことがあった。
大地に入って最初の冬だったか、2度目の冬だったか......82年か83年のことだ。
神奈川の葉山方面に配送に出た日、とんでもない雪に見舞われた。
葉山といえば、高台である。
巻いたチェーンも利かず、高台の下で立ち往生して、ついに登れなくなった。
手に息を吐きながら、これは無理だと観念したとき、
この山の上で、「今日はあるものですませましょ」 と話している家族がいることを想像してしまった。
しばし思案したあと、ここは根性だよね、と
一回に20~30キロくらいの荷物を担いで、山の上まで往復した。
共同購入のステーションが2ヶ所あったから、10往復はしたと思う。
あの時の決意は、職業意識というより、今ここにいる自分への意地のようなものだった。
荷台にあの家族の食い物を積んだまま、おめおめと帰れるか。 ゼッタイに届けてやる。
黒澤明の映画 『天国と地獄』 、あるいは八甲田山死の行軍のような気分でもあったけど......
最後の配達先である鎌倉の会員さん宅に着いたのは夜の11時を過ぎていた。
ドアを開けた奥さんの、まるで亡霊でも見るような眼差し。
常識はずれのことをしている自分を悟ったのだった。
会社に戻ったのは日付が変わって1時くらいだったか。
それでもみんな待っていてくれて、また僕より遅く帰ってきたトラックもあった。
皆、やり切った満足感があった。
非常識だったかもしれないけど、それでも運んだのだ。
しかし今回は、火災の二文字に、手も足も出ない。
こんなことは二度と起こしてはならない。
「大地復活!情報」 は火災から1ヵ月後、4月18日発信でその任務を終了した。
最後は、火災の一週間前に地鎮祭を行なった習志野市茜浜のセンターの建設が
急ピッチで進んでいる報告で締めさせていただいた。
今思い返しても、あれ以上に早くはできなかったと思う。
しかし、事前のリスク対策が弱かったことも、たくさんのお叱りも受けたことも、
忘れてはいけない。
昨日、僕は宮城に出張していなかったけど、
習志野の物流センターでは、防災訓練が行なわれた。
忘れないようにしよう。
あの悔しさを。 そして人の優しさにたくさん感謝したことを。
2008年2月22日
「大地を守る東京集会」 直前号
2月と8月というのは、企業にとって比較的ヒマな時期、と聞いたことがあるが、
大地の場合、2月はいっちゃん落ち着かない時だ。
何と言っても、年に一度の "生産者と消費者の大交流会"
-通称 「東京集会」 が開催されるのが2月である。
(加えて事業部門では、今期の集約的な作業や来期に向けての計画作りが佳境に入ってくる。)
その東京集会がいよいよ今週末に迫ってきて、
あらゆる作業の総掛かりが、あちこちで行なわれている。
火曜日(19日) の夜は、印刷機コーナーに人が並んでいた。
各専門委員会が一斉に会場で配布するリーフレット類の印刷に入ったのだ。
かくいう私も、米プロジェクト21のやっつけチラシの版を持って、
「なんでとめよう会 (専門委員会 「大地・原発とめよう会」 のこと) が2台とも占拠してんだよう」
とかガンつけたりして......
展示用のパネルや資材の準備も、だいたいが去年の焼き直しとなって、
ちょっと恥ずかしいが、どうにも手が回らない。
そんな合い間にも、土曜日の地区での集会 (だいち交流会) 会場の担当の方から、
専門委員会の説明用スライドの内容についてチェックの依頼あり、覗いてみれば、
その最後のページには、
タイトルが 『米プロジェクト21のゴールは-』 とあって、下が空欄である。
ここは書け、というメッセージのようである。
ええい、これでどうだ!と返信する。
生産者が誇りをもって米を作り、それによって美しい田園や環境が
当たり前に守られる世界を取り戻したい。
きれいな水が大地を潤し、いつまでも持続可能な「食と農」の営み。
それが社会の土台として、コモンセンスとして蘇るまで、
米プロジェクト21の役割は終わりません。
たとえ組織が消滅しても-
未来に向けて種を蒔き続ける百姓とともにありたい。
また自分が参加する会場では、「農薬や抗生物質について話をしてほしい」 という
難題が降ってきていて、さてさてどうまとめるか......ようやく頭の中の整理にとりかかる。
情報企画室からは、中国産ギョウザ事件に関して、
会員さんから届いたたくさんの連絡便を毎週の情報紙 「ツチオーネ」 で紹介するので、
コメントを書けとの命令。
締め切りを過ぎて、いよいよ催促が来る、という直前にこっそりメールで送る。
書いた内容は、先週の 「よみがえれニッポン」 で喋ったことにちょっと色をつけただけ。
でも、間違ってないと思っているので、これで許してチョーダイ!
連絡便への感謝は忘れずに入れる。
日曜日の全体集会 (正式名称は 「2008だいちのわ」) での
「身近な環境セミナー」 で講演をお願いする宇根豊さんに連絡して、資料の確認。
また送られてきた資料が、重い、というか "思いが詰まっている" 論文である。
恐る恐る、聞く。
「これ、会場で全員に配布するものとしてお考えですか?」
「使い方はお任せしますよ」 の返事で、ちょっと安堵するも、
大地のエビスダニとはヤワなやつだ、と思われたに違いないとか小心な不安を抱いたりして。
あちこちに泣きや言い訳を連発しながら、
いよいよ残された時間も一日のみ。
得意の "開き直り" の日がやってきた。
(2月21日から22日に日付が変わったところです。)
では会員の皆さま。
土曜日は横浜で、
日曜日は大手町で、お会いしましょう。
日曜日は、開会直後の藤田会長の挨拶から聞いていただけると嬉しいです。
何か喋りますから (当たり前か) 。
2008年2月18日
『よみがえれニッポン -食べることを考える』
16日(土) 。
CSテレビ 「朝日ニュースター」 の生セッション番組
『よみがえれニッポン』 に出演する。
今回のテーマは 「食べることを考える」。
様々な食品偽装が治まらない中で、中国産ギョウザの騒動。
いったい何が原因で、日本の食はどうなったのか、何をどう変えていったらよいのか-。
長期的な視野で語り合いたい、ということでのお声掛かりである。
場所は原宿、明治通り沿いにある朝日ニュースターのスタジオ。
若者たちが闊歩する竹下通りを複雑な心境で歩いて
(20数年ぶり。ということはこちらの目線も変わっている)、
午後3時前、スタジオ着。
キャスターのばばこういちさん(放送ジャーナリスト)、安藤千賀さん(フリーアナウンサー)、
他のゲスト陣と顔合わせ、打ち合わせに入る。
用意された台本を見て、さすがに生番組である。
分ならぬ秒刻みの進行表が書かれていて、一気に緊張が走る。
打ち合わせも 「だいたいこんな感じで~」 という調子で、
慣れたレギュラーの方にはそんなもんなんだろうが、
こちらはアバウトであればあるほどドキドキ感が募ってくる。
しかも 「コメントは分かりやすく、コンパクトに」 などと言われると、
瞬間、頭の中が白くなったりする。
午後4時半~ 本番開始。
上の写真は職場の仲間がテレビを見ながら撮ってくれたもの。 こんな感じです。
ゲストということで真ん中に座らせられて、
ばばさん、安藤さんからの質問に、パッパッと応えていかなければならない。
14年前の 「朝まで生テレビ」 のように、マイクを握り締めて話しまくるのとは違うのだ。
「では戎谷さん。問題の本質はどこにあるとお考えですか?」
「消費者として考えなければいけないことは何ですか?」
他のゲストの方の発言を受けて- 「その辺は、戎谷さんはどう思われますか?」
という感じで発言を求められ、それなりに応えていたつもりであったが、
実際は 「それはですねぇ」 「はい。え~」 「あのぉ~」 の連発である。 冷や汗...
細切れのコメントで、しかも話題はどんどん進行するので、話を深めることはなかなかに難しい。
私が伝えられたのは、こんな程度である。
・今回のギョウザ事件の本質は、日本の食品企業がひたすら 「安さ」 を求めてコスト削減に走り、
海外に工場を移転して、さらにそこでも生産効率を追求してきた歪みだと思う。
・消費者が求めてきたという意味では、消費者にも責任の一端はあろうが、
かといって消費者は単純に 「安さ」 だけを求めているわけではない。
同じ品質のものが並んでいたら安い方を買うだろうが、それも 'まさか危険なものではないはず '
という、ある種の良心的な 「信頼」 が根底にあるからである。
それすら裏切って安さを追求するのは、作り手のモラルの退廃以外の何ものでもない。
実際に多くの食品メーカーは、中国がダメだからとタイに発注先を移しているだけである。
・39%にまで落ち込んだ自給率の問題も、これではまずいとは誰もが思うことであるが、
一方で、国内では輸入量の7割近い2150万トンもの食品が捨てられているのが実態である。
「安さ」 の裏で、私たちはどんなに食べものを無駄にしていることか...
これは輸出国に対しても、地球にとっても失礼な話である。
・食の安全性の確保は社会の土台であり、子どもたちの未来を守るものだ。
国の政策も変えなければならないが、農業が食料の生産だけでなく、
国土だけでなく環境の保全にも貢献していることを伝えていきたい。
そういう意味では、流通や販売者にも重要な責任がある。
'生産と消費のつなぎ' の修復こそ、我々の課題である。
本当は、価格に隠された外部不経済の話や、食と環境のつながりなどを語りたかったのだが、
いかんせん時間がなかった。
もっと上手に話せるようになりたいもんだ。
そのためには、普段考えていることをきちんと言葉で整理しておく作業が必要なんだよ。
そんなことを思いながら、番組途中でひらめいたこと。
右脳と左脳の間には 「あのう」 という脳が存在する。
あ脳は思いやイメージを言葉に置き換える機能で、当事者にとってはものすごいスピードで
働いているのだが、メディア的には間の抜けた不要な時間とみなされる。
どうでもいいことをふと思いついたりするバカな私でした。
番組終了後、記念撮影。
翌日、安藤千賀さんからお礼と一緒に送られてくる。
「とても分かりやすく、いい話だった」 と、社交辞令であったとしても、嬉しい。
前列中央が、もう一人のゲスト 「有限会社 良品工房」の白田典子さん。
右は、レギュラーのITキャスター、中村輝雄さん (日立ソフトウェアエンジニアリング)。
後列左は、当番組のご意見番(レギュラー)、マルチタスクデザイナーの武者廣平さん。
中央がばばこういちさん。右が安藤千賀さん。
レギュラーの方はさすがに落ち着いていて、私の言えなかったところを
いくつかフォローしてくれた。
皆さんに感謝しつつ、いい経験をした一日であった。
2008年2月 5日
メンテナンス中の出来事いろいろ
「メンテナンス中」 がちょっと長引いただけで、ダレるようではブロガー失格といわざるを得ない。
ここは厳しく己れを叱咤して、先週を振り返らせてみたい。
まずは1月29日(火)、茨城・つくばで生産者の新年会に参加する。
今回は北浦(現行方市) の卵の生産者・濱田幸生さんから、
茨城県で進みつつある有機農業関係のネットワークづくりの話をしていただく。
新年会といっても、ちゃんと勉強会つきである。

濱田さんがつくろうとしているのは、
有機農業推進法の施行によって、
各都道府県レベルで有機農業の推進策を策定するようにと、
国から方針が下りてきたことに対して、
下(現場) からの提案とモデルを作っていこうぜ、というものだ。
そこで結成されたのが 『茨城県有機農業推進フォーラム』 である。
生産者だけの集まりにせず、茨城県内の環境NGOや研究機関、流通、自治体も連携して、
有機農業を発展させるための様々な構想や企画アイディアが盛り込まれている。
有機農業農家の横のつながりを作るためのマップづくり。
有機農業の普及支援。そのための研究。
消費者が体験できる有機農業公園や、交流を活発にさせるお祭りの開催。
新規就農のお手伝い。
環境NGOも参画しての環境保全型の地域モデルづくり、などなど......
まずはみんなが集まり、語り合える 「フォーラム」 をつくりたい。
行政任せにしないで、俺たちで作り上げていこうよ。
やりたいことは一杯ある。やれることはどんどんやろう、ってワケだ。
まったくアツいね、濱田さん。
ちょっと最初から風呂敷を広げすぎている気がしないでもないが、
イメージのウィングは広くもって、たくさんの人に参画してもらいたいのだ。
茨城に入植して20数年。
「俺は茨城が好きなんだ」 と言って先輩農家に呼びかけている。
放ってはおけないよね、皆さん。
時代が、未来が、俺たちに 「頼む」 と言ってきてるんですよ。
あとは楽しい(つらい?) 新年会。
「(野菜作りの奥義のようなもの? が) だいぶ見えてきた。 もう少しです。」
とスゴイ台詞を吐いた中根剛さん。

(写真は中根グループの方々。右から二人目が中根剛さん)
お父さんの急死を乗り越えて、立派になってきた。
「エビちゃんのブログはちょっと難しいな。 もうちょっとやさしく書いてくれないと。」
と意見をくれた堀田辰郎さん。
ちゃんとチェックしてくれているだけでも、感激である。

「あと一年で長男が(大学を卒業して) 帰ってくんだ。 そしたら書類もパッと出せっから。」
そういう問題ではないと思うんですけど、樫村健司さん。

いずれにしても、その下にまだ4人の男の子が控えていて、彼の茨の道はまだまだ続くのである。
いつも仲良し、小野寺孝一・きよ子夫妻。
どんな時も明るい '気' を送ってくれる。

二次会では、濱田さんと有機農業推進法や有機JAS制度論議。
部屋に戻っての三次会は......ここでは言えない。
「こんな○○作ってちゃダメだよ」 「俺だって必死にやってんだぁ」 -×●△!#$↑%!~
でご想像いただきたい。
ま、今日も何とか最後まで頑張った (別にそれが偉いわけではないが)。
帰ってきた翌30日(水) の夜。
二日酔いがようやく醒めたと思ったら、今度は新宿までお出かけして、
高校時代の同級生が集まっての飲み会に参加する。
実は、わが母校が春の選抜高校野球の 「21世紀枠」 の四国代表に選ばれていて、
ついに甲子園か!
の期待が高まっていたのですが、最終選考で脱落。
気の早い仲間が祝杯を挙げるべく居酒屋を予約してしまっていて、
まあもったいないから、残念会がてらの新年会と相成った次第。
事前に申し伝えられていた議題 -「甲子園初出場にあたって、OBとしてあるべき姿勢の件」
をめぐって、要するにな、我々OBとしても品行を改めんとあかん、ちゅうこっちゃ。
お前のことやけんな。ワレ(お前) に言われたないわ...と、昔の仲間と楽しく飲んだのでした。
ま、いい夢見させてもらったよ。 有り難う!後輩諸君。 夏もガンバってね。
重たい頭で翌日、それでも頼まれていた原稿を1本、書いて送る。
依頼者は、棚田の堰の保全活動で紹介した喜多方の浅見彰宏さん。
活動報告書をまとめるのに、賑やかしの一文を、と依頼されていたもの。
2月9日の大和川交流会の前に宿題が出せて、ホッとする。
2月2日(土)は、
東京で 「田んぼの生き物調査プロジェクト」 のシンポジウムに参加する。

田んぼの生きものの種類や数を調べることから、実はすごい世界が見えてきている。
その意味を様々な角度から検証し、次の地平を切り拓こう、というもの。
'農業が環境を創造する' -その価値を目に見える形で指標化して、
それに対して農産物価格とは別の形で支援(保証) する仕組みがつくれないか......
そんな問題提起があった。
帰り際、セッションの司会をされた宇根豊さんに挨拶する。
「24日の大地の東京集会でも、お世話になります。 ヨロシクお願いしますね」
「戎谷さんから出されていた課題に、今日ひとつ答えたから」
そんなこんなの間にも、餃子報道である。
この整理は、もうちょっと待っていただきたい。
現時点ではっきりと言えることは、
1.原料の野菜に農薬が残留していた、というような話ではない。
2.これは製造-流通の日常的業務(常態) から発生したものではなく、
極めてイレギュラーな、つまり想定外の 「(犯罪的)事件」 の色合いが強い。
その程度である。
じゃあ、どうやって身を守ればいいのよ?
-(あなたにとって) 信頼できるところから買ってください、というしかありません。
「中国産」を捨てたからといって、 「安全を保証」するものではありません。
目に見えない「悪意」の存在を想定してしまったら、100%安全な場所はない。
「危険」 因子が設定できない以上、「安全」 は証明できない。
そのような不気味な 「事件」 だというのが、私の感覚です。
素材から確かめられるもの、それが保証されることが 「安心」 の根拠だと思うが、
じつは生産から流通までのサプライチェーンで、それを担保するためには、
それ相応のコストが必要である。
安さで競争する人たちは、それを伝える努力をするわけでもなく、
からくりで構成された 「消費者ニーズ」 を盾に周辺コストの引き締めをはかる。
その結果のような気がする。
これは 「この国の生産・消費構造」 が持っている本質的なリスクだと思う。
2007年12月29日
「偽」 の年の仕事納め
1年の仕事を終える。
毎年のことだが、何とも言えぬ脱力感がある。
しかし本当は、まだ終わっていない。
明日も食材は届けられるわけだから。
年の瀬の最後まで、
ミスやトラブルの連絡にハラハラ、ジタバタするのが食品流通の宿命である。
しかも、大晦日だって、正月だって、僕らの責任はついて回る。
本当は、毎日が気が気じゃない日々。
おせちはちゃんと届いただろうか...
正月に呼び出しがくるんじゃないだろうか...
でも、休まなかったら生きてけない、というのも本音であって、
溜まった書類を思い切ってシュレッダーにかけて、
ざっと机の上を片づけ、
パソコンも受話器もきれいに拭いて、終わりとする。
あちこち電気が消えた後、何人か残っている職員に声をかける。
大晦日の夜にデータのバックアップに入る奴もいる。
「じゃあな、お疲れ様。良いお年を」
こんな夜は、サッチモなど聴きたくなる。
特に今年は、そんな気分だ。

名曲 -「WHAT A WONDERFUL WORLD」
例の哀愁を帯びたダミ声が聴こえてくる。
...ああ、この世はなんて素敵なんだろう
緑の木々
青い空
虹の色
手をつなぎ合った友だち
赤ん坊の泣き声
ああ、この世はなんて素敵なんだろう
こんな夜も、洋酒には走らず、日本酒でいく。
日本漢字検定協会による2007年の 「今年の漢字」 は 『偽』 となった。
いわずもがな、か。
ペコちゃんから始まって、希望のひき肉、白い恋人、背油注入「霜降り馬肉」
...思い出せないくらいいっぱいあった。
老舗から地域ブランド、有名ファーストフード、コンビニまで、
「偽装」 「期限切れ」 云々の嵐であった。
有機JASも揺れた。
異常な事態に、
「食べられるのに捨てられる。もったいない」
論も飛び出したほど、ヘンな世相になった。
再開した 「白い恋人」 は売れに売れているとか。
寛容な国民性は嫌いではないが...
この世の中、いったいどうなっちゃったのかと思うが、
こちらも、他人を批判したり笑ったりしている場合ではない。
偽装はないけど、ミスやトラブルはあったな、けっこう。
ある職員が漏らした台詞。
「嘘をつかない自信はあるけど、ミスをしない自信はない」
トホホ...何とかしようぜ、ほんと。
ま、ともあれ、今年も乗り切れたか。
年金問題、政治資金、その間に重税感も増し、温暖化は進む。
米価は下がるが自給率は上がらず、耕地は荒れる。
将来への不安は高まる一方だけど、
ここで生きる以上、やれるだけのことはやるしかない。
楽しく平和に、落ち着いて暮らせる社会というのが、
人類史でどれだけあったのかよく分からないけど、
子供たちがおおらかに希望を持てる社会にはしておきたい、と思う。
ちょっと偉そうだけど、
今年読んだ中で、最も心に残った一冊を挙げたい。
勉強になったもの、刺激を受けたものは他にもあるが、これは深く琴線に触れた。
渡辺京二著-『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)

失われた、ある文明の幻影。
そこは 「子供の楽園」 でもあった。
とてもとても懐かしい風景、DNAが騒いだとでも言うか。
時代を遡ることはできないけど、
置き忘れてきた大切なものを、取り戻すことはできないだろうか。
サッチモの声が、今日はやけにうら哀しく聞こえる。
「この素晴らしき世界」
-この歌詞には、もしかして言葉以上の意味が込められているのだろうか......
酔ってきた。
では皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
いつも読んで励ましてくれた皆様に心から感謝して、
今年最後の日記とします。
2007年12月19日
鶏肉生産者の叛乱?
さて、話は一日遡って、12月15日(土)。
茨城県石岡市(旧八郷町)にて生産者の集まりがあり、出かける。
集まったのは、大地に鶏肉を出荷していただいている常陸地鶏協議会と
北浦シャモ生産組合の生産者たち。
以前にレポートした米国のコーン視察で一緒だった下河辺昭二さんの
仲間への視察報告会 +夜は懇親会(という名の忘年会)、という集まりである。
下河辺さんは、私のブログ・レポートや写真を適当にチョイスして構成して、
パワーポイントの画面効果なども駆使して報告。
仕事の合い間に、よくつくったもんだと思う。
続いて、これも視察で一緒だった工藤さんという生協の方から、
遺伝子組み換えの問題点や現在の状況・課題などを概括的にまとめた報告。
これもなかなかの力作であった。
そのあとに私から、補足的にポイントの整理と
これからの取り組みの方向などを話させていただく。口だけで。
お二人の後に、ということなので、話す内容は聞きながら考えるしかなく、
写真を撮るのも忘れてしまった。
要は、生産と価格の安定を目指すためにも、
地域(国内)での自給力の向上に向けた取り組みの強化と、
米国のノンGMコーン生産者との連携の必要性を伝えたわけだが、
いまここで、現実に、
飼料高騰の直撃をくらいながら苦しいたたかいを強いられている生産者たちには、
かなり 'しんどい展望' というか、話であったことには違いない。
そして、その後の懇親会、である。 ・・・・・・・・・・
会場は、なかなか寂(さ)びのきいた飲み屋の座敷。
店主みずからの手で仕留めた熊や猪や鹿の肉が食べられる飲み処。
今日は猪鍋が出る。
下河辺さんのシャモ肉のタタキも用意されていた。
なんだよ。料理の写真はしっかり撮るワケ?
-すみません。報告会は集中していて、写真なんてすっかり......
いや、お伝えしたかったのは、料理ではなくてね。
ここで、生産者との、ちょっとしたひと悶着があって、
生協の方には申し訳ないけど、こんな展開になってしまったのだ。
彼 (生協の方) は、生産者の訴えに応えていた。
「3月から値上げすることを組織で決めた。そこまでやったよ!」
目の前で飲んでいた生産者がこう応えた。
「待てない。じゃあ、3月まで出荷はやめる!」
それじゃあ話にならないだろうと、思わず割って入ってしまったのだった。
原料が上がった。なので値上げします。
それで生産と消費がうまく回るなら、誰も苦労はしない。
生産 (売る者) と消費 (買う者) は、
今の経済原理では基本的に 「利害(損得)が対立する」 関係に置かれている。
これが資本主義社会の矛盾の表層である。
でも僕たちが創造しようとしているのは、
「安全な食」 「持続的=安定的な環境」、要するに 「未来を保証する社会」 であって、
だからこそ今は、互いの 「つなぎ」 の立て直しに意地を張るしかない。
原価が上がったから単純に売価も上げる、では 「つなぎ」 ではない。
値上げする時には、
お互いどこまで頑張ったか、何をしたのかのプロセスが必要なのだ。
その間は、耐えなければならない。
言い換えれば、耐えて、次に何を語れるかがが勝負なのだ。
「俺たちが、精一杯頑張って鶏を出荷しても、今月の決算は赤字。
この気持ちが分かるか、あんたに?」
この言葉に、僕はキレてしまった。
分かっている......本当はそう言いたかった。
でもやっぱり、鶏を飼って生計を立てている者ではない。
思い切って、言い放ってしまった。
「分からないよ。だから何だってんだ!」
分からない奴に 「何が分かるか?」
-では、もはやコミュニケーションもなにもあったもんじゃない。
しばし、僕とその生産者は、生協の方の存在を無視して、
机を叩いたりしながら不毛な激論をしてしまったのであった。
経営は難しい。
赤字をどう乗り越えるかは、業態の違う人間がたやすく言えるものではない。
しかし!
ホンモノの食べ物の生産を支える仕事をしてきた者の矜持(きょうじ)をかけて、
俺は言いたい。
苦しい時こそ、根性と知恵が必要だ。
それを示さなかったら、次に行けないじゃないか。
世間の政策通が言っているような、
農地の売り買いの自由化や、新規参入に活性化を求めるような政策ではなく、
長年の技術と地域風土との折り合い (調和) の取り方を知っている人たちと、
僕は、できることなら付き合い続けながら食の基盤を残したいと思う。
それを支えられる仕事をしたいと思ってやってきたつもりだし。
ただ無為に、やむを得ず値上げを続ける、は経営ではない。
「値上げまで出荷は止める」
じゃあ何も残らないじゃないかァ!
......てなわけで、一戦やってしまったんだけど、
生産者もこんな直情的な反応を予測してなかったのか、
落ち着いたところで-
「分かっているよ。ただ言わないと気がすまない」
僕も素直になって言わせていただく。
「分かっているつもりです」
「ぜひ俺の鶏舎を見にきてくれ。ちゃんとやってるから」
と彼は言ってくれた。
野生の肉を食って、イキり立ったのかな -反省。
枯淡を求めつつ、ちょっとアンバランスな欲が残る飲み処。
象徴するような屏風が、俺たちを見ている。
「遊びをせんとや 生まれけむ」
この言葉って、梁塵秘抄でしたか。
でも、この詞は、必死で働いた人でないと出てこないのでは -そんな気がした。
2007年12月 2日
振り返り
気がつけば、師走である。
エンデの小説 『モモ』 じゃないけど、誰かに時間を奪われている気がする。
米国視察あたりから、完全に'追われる'ペースになっちゃった。
昔のように夜なべも利かなくなったし・・・
などと一人ため息をつきながら11月を振り返れば、
米国レポートを長々と続けてしまったこともあって、いろんなことを書き漏らしてしまった。
ここで一気に振り返ってみたい。
まずは1日。
島根で開かれた加工品&乳製品製造者会議。
アイスクリームやチーズを頂いている木次(きすき)乳業さんを会場にして開かれた。
木次乳業の歴史を語ってくれたのは現在の社長・佐藤貞之さんだが、
先代の佐藤忠吉さんは、有機農業の世界では 「島根にこの人あり」 と言われた人だ。
酪農を主体にして、米も野菜も作る 「自給・小規模多品目複合経営」 の姿勢を
親子2代にわたって貫いている。
牛は山地での放牧に適した「ブラウンスイス」という品種。
非遺伝子組み換えの配合飼料に国産有機栽培のフスマ、野草などを与える。
「食べることは、いのちをいただくこと」 が忠吉さんの口癖だ。
牛乳を運ぶ保冷トラックのボディには 「赤ちゃんには母乳を」 と大書されている。
相当のポリシーがないと書けない台詞だ。
こんな乳業メーカー、他にないよね。
牛舎の見学では、乳搾りも体験させていただく。
実に気立ての優しい牛である。
会議では、有機での米作りで若者を育てるおにぎりの三和農産さん、
桑畑の再生から地域起こしにまで発展させた桜江町桑葉生産組合さんの講演もあり、
出雲の各所で、食品メーカーが中心になって地域づくりが進んでいる様子が報告された。
'安全な食' から '環境と地域の再生' へ。
地域に根ざした食品メーカーだからできることがある。
3社の報告は、参加されたメーカーには大いに刺激になったのではないだろうか。
島根から秋田に飛んでブナの植林のお手伝いをし(3日)、
翌週の「土と平和の祭典」(11日)、「土作り生産者会議」(15日)、
「ストップ!GMO緊急集会」(17日) なんかを挟んで、
20日には、本社と習志野物流センターで農産物の流通管理についての監査を受ける。
大地で販売する農産物に関する情報が正確に管理され流通されているかどうかを、
有機JASの認証機関の監査によって検証する、大地独自の取り組みである。
大地ではこれを、有機JASと区別するため、「こだわり農産物」監査と呼んでいる。
この外部監査手法を取り入れて、5年になる。
有機JASの検査官によって、大地内部の生産情報の管理体制がチェックされ、
また物流センターでの小分け業務まで審査される。
特に問題なく審査を終え、ホッとする。
宮城の雁ツアー(23-24日)から帰ってきて、26日。
認証機関(アファス認証センター)から、今度は有機JASの小分け業務の合格判定が届く。

「有機農産物」の認証を取った生産者の農産物が、他と混ざることなく、
また汚染されることなく、小分けされ流通される体制が整っていることが認定された。
生産者の皆さん。
皆さんの有機農産物の受け皿として、物流部門もしっかりやってます。
-という報告は、やっぱりしておかないとね。
28日には六本木事務所にて、「江沢正平さんを偲ぶ会」。
大地を守る会が運営する 「アジア農民元気大学」 でやっている
定例の自主講座 「こーいちクラブ」(小松光一さん主宰) の仲間たちが集まって、
温かい'偲ぶ会'となった。
「こーいちクラブ」 は、江沢先生がずっと欠かさず足を運んでくれた会である。
出来の悪い大地の職員を叱りながら、野菜というものを教え続けてくれた。
亡くなる直前まで枕元で本を読んでもらって、勉強を欠かさなかった。
いつもお洒落な江戸っ子で、戦前から反骨の精神を貫いたリベラリスト。
......そんな話に花が咲いて、
改めて、とてもデカい人を失ったという実感がこみ上げてくる。
江澤先生、本当にお世話になりました。
有難うございました。
≪江澤さんの訃報については、10月6日の日記を―≫
そんなこんなの合い間にも、
有機農産物に使われていた資材から農薬が検出されたといった報道が2件。
1件は、大地では以前より使わないことを申し合わせていたもの。
どうだ、と言いたくなる。
しかしもう1件は、認証機関がかなり綿密に調べてOKを出していたこともあり、
大地でも数軒の生産者で使用実績があった。
報道では、残留はごく微量のようではあるが、「即刻使用を自粛するように」 との通知を出す。
そして、― やはり潔く書き記しておくべきだろう。自分の立場からしても。
何もなかったかのように、偉そうなブログを続けることはできない。
生産者の農薬使用報告漏れが1件発生した。
20年来農薬を使わないでやってきた人だ。
今まで経験したことがないほど畑全体に虫害が広がって、
パニックになってしまったと本人から謝罪の弁を受けるも、
つらいけど今年の出荷は停止していただく。
購入していただいた会員には謝罪の告知をし、全額返金とする。
幸い農薬の検出はなかったものの、信頼に傷がついたことに違いはない。
たった1回の農薬使用であっても、この約束は生命線である。
何年ぶりだろう。もうこういうことはないようにしてきた筈ではなかったか・・・
と思うと、悔しくてたまらない。
俺たちは、まだまだだ。
どこにも負けないくらいの揺るぎない関係を、生産者と築きたい。
襟を正し、決意を新たに、出直しである。
時間を奪われているうちに、自分の誕生日を忘れていた。
11月11日で、私もついに入社25年となりました。
四半世紀を経て、この日が 「土の日」 に・・・・・でも、出直しの月となって、
どこか自分らしい、とも思う。
2007年10月27日
無事帰国したものの...
10月26日(金)、午後6時前に成田に到着。無事帰国しました。
でも時差(14時間)ボケもあってか、
昨夜は、荷物を整理する途中で、とても我慢できずに、
6日ぶりに日本酒を一杯飲んだ途端、
ふうーッと気を失って、ついに朝まで爆睡。
そんでもって、今日(10/27)は大地職員の研修合宿の日なんだけど、
昼間のプログラムはパスして、幕張の事務所に出社。
机の上には、いろいろな郵便物やら書類やら伝言メモ。
加えて加工品や雑貨品の審査物件が、まあだいたい50件ほどか。
パソコンを開けば400件くらいのメールが溜まっている。
(ミネアポリスでは携帯でも受信できたので、実はチェックしていたんだけど、
返事出したりすると追いかけれらるので、連絡できないことにしてた。
こういうのも、今の世間のビジネスマンには許されないことなんでしょうね。)
とりあえずやれるだけ処理して、夕方、強くなる雨脚の中、
今度は千葉みなとに向かう。
職員合宿 (といっても今回は日帰り) の打ち上げの会場である。
ちなみに、大地の職員合宿は春と秋の年2回あって、
部署持ち回りで幹事が指名され、それぞれの持ち味で勝手にプログラムが作られる。
今回は、一次産品の仕入れ部署である生産グループの担当で、
職員は千葉県内の農業・畜産・水産の3ヵ所に分かれて体験学習が用意された。
生産者も忙しい中、たまったものではないのだろうけど、
大地の職員が現場に来るということで、それなりの仕事を用意してくれ、
雨だからと甘く見ていた職員を、きっちりと鍛えてくれたようである。
かく言う自分は事務所でひと仕事しただけで、
ひどい暴風雨の中、会場を探しているうちに傘の骨が折れ、
たいした時間じゃないのに全身びしょ濡れで、舌打ちとため口ひとつ吐いて辿りつく。
-今回の幹事はゼッタイに日頃の行ないが悪い。
でも、思った。
成田に降りた瞬間にも感じたことだけど、
この湿度こそ我々の精神風土なんじゃないか。
昨日一緒に降りたアメリカ大陸の人たちも、何だこのムッとする空気は、と思ったに違いない。
その昔、哲学者・和辻哲郎が書いていた。
湿気は最も耐え難く、また最も防ぎ難い。
にもかかわらず、湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。
その理由のひとつは、陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。
洋上において耐え難いモンスーンは、実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。
この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、旺盛なる植物によって覆われる。
大地は至るところ植物的なる「生」を現わし、従って動物的なる生をも繁殖させる。
かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充満し横溢せる場所となる。
自然は死ではなくして生である。死はむしろ人の側にある。
だから人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である。
それは砂漠の乾燥の相反にほかならぬ。
(和辻哲郎著 『風土』/1928(昭和3)年)
びしょびしょで会場に着けば、
各産地に分散した職員が、自分の体験を短歌にして詠う、
という今回の課題が展開されている。
便乗して、私も六日間のアメリカ体験を即興でやってみる。
GMの 勢いに湧く大陸に
ノンGMの種を蒔く 農民一人 (字余り)
私の報告書は、重くなる。
結構辛いものになる。
でも未来に向けて、種を蒔くごとくまとめてみたい。
できるかどうか、分からないけど。
あとは、久しぶりの日本酒に心地よく酔って、今日もおしまい、です。
濃密なアメリカ報告は、追って。
明日は、三番瀬のクリーンアップのナビゲーター。
山から海までの距離が短いと、運動も忙しい。
2007年9月27日
食物アレルギーの仕組みを学ぶ
昨日、大地の社内研修・勉強会を実施した。
テーマは、食物アレルギー。
研修の対象は、会員からの質問や意見・クレームなどに日々対応している会員相談グループ
だったのだが、入会のサポートをする部署や商品開発の担当者も手を挙げて、
16名の社員が参加してくれた。
講師は、NPO法人アトピッ子地球の子ネットワークの赤城智美さん。
ご自身も子どもの頃からアレルギーに悩みつつ、大人になった方。
大地は特別に食物アレルギー対策を目的としてきた団体ではない。
'食の安全性'にこだわり、農薬や食品添加物などの化学物質に頼らない食べものを
生産者やメーカーと提携して、消費者に届けることを、ただひたすらに目指してきた。
しかし、であるがゆえにというべきか、
食物アレルギーは、すでに私たちにとって対岸の問題ではなくなっていて、
現実に食材選びに苦労される方々が多く入会されている。
農薬や添加物を極力排除した安全へのこだわりと、
原材料のトレースの精度が、それなりに信頼されてのことかと自負するところだが、
であるがゆえに、情報の確かさと質問等への対応はおろそかであってはならない。
正確で落ち着いた対応ができるためには、ただしい知識を持つ必要がある。
ということで、今回の研修会を企画したわけだが、
学ぶ上での基本認識を、次のように整理してみた。
食物アレルギーは、今日の食べ物の生産のありようや、
食をめぐる環境(自然環境だけでなく、グローバリズムによる流通環境なども含めて
から鑑みても、いまや特殊な人に発生する特別な現象なのではなく、
だれにでも・どこででも起きうる、フツーのこととして捉える視点が必要である。
とはいえアレルギーの原因物質や症状の度合いなどは、その人固有のものであり、
対応は一律のマニュアルで片づけられるものではない。
だからこそ、その因果関係や仕組みを知っておかなければならない。
アレルギーを持ちながら、安心して暮らせる、そのためのサポート力を持たないか。
'病い' ではなく 'その人の個性' として受け止め、付き合える力を。
この呼びかけに、会員からの質問や意見への対応に追われている職員だけでなく、
入会問い合わせに対応する職員や、商品開発を担当する職員も
積極的に参加してくれたことが嬉しかった。
3時間にわたる研修は、
食物アレルギーについての基礎講座から始まり、
実際のリスク情報の正確な伝達ややり取りのポイント等のレクチャー、質疑応答。
これで目一杯となった。
講師の赤城さんは、初歩的な質問にも丁寧に答えてくれる。
時折ご自身の体験も交えられ、アレルギーをもつ方の心情なども伝わってくる。
今回は、あくまでも入門編である。
これからもう少しレベルアップさせてゆくつもり。
大地の職員も、
相当に知識を持っている者から、とんでもない勘違いをしている者までいる。
まあ健康な若い男性には、アレルギーの本を読めといっても、実はなかなか......
しかし、全体のレベルを上げないと、組織としてはうまくいかない。
そして、もうひとつの眼目は、
大地に関わっている食品メーカーの方々にも同様な認識を持ってもらい、
管理能力の向上にこちらも貢献できるノウハウを身につけたいと思っているのである。
「特別な人のデリケートな質問やクレームに対応する能力を持つ」
ではなく、いやそこから始めてもよいが、
「アレルギーを持つ人が、安心して、落ち着いて暮らせる社会を育てる」
ために、できることをする、につなげていきたい。
これもまた大地の役割のような気がしている。
とりあえず一発目は、まずまずだったか。
2007年9月14日
『プロセス』 から 『ツチオーネ』 へ
大地を守る会の「大地宅配」。
会員向けの商品カタログ 『PROCESS』 の誌名が変更される。
今週が最後の 『PROCESS』 となった。

『PROCESS』が発刊されたのは1989年7月。
何度ものリニュアルを重ねながら18年。
大地の成長とともに歩み、まさにそのプロセスを体現してきた情報誌だったと思う。
この誌名を社内に提案し、最初の編集・制作を担当したのは私である。
大地の姿勢や思想をそれなりに'つかんだ'ネーミングだったと、今でも思っている。
今の時代、カンペキに 「安全です」 と言い切れる食べものは存在しない。
水も空気も循環している以上、どんなに頑張っても、どんな場所でも、
100%汚染から免れていると保証できるものはない。
だからこそ 「安全」 にこだわり、前に進み続ける。
できていることとできていないことを認め、自覚し、
今の到達点を正直に伝える。
目の前の商品ライン・アップもまた理想に向かう 「過程」 (プロセス)である。
その 「いま」 を伝えよう。
この姿勢は、今日言われるところの 'トレーサビリティ' や '情報公開' の視点を
先取りしたものだったと自負するところだ。
たかが誌名であるが、我々の行動規範を示す言葉として、堂々と存在していたように思う。
これが『PROCESS』の創刊号。

それまでバラバラに作られていた農産物情報や水産物情報、会員との交流紙などを
一本にまとめ、統一感をもたせるとともに柔軟な編集を可能にさせたい。
そんな意気込みで新しい媒体づくりに挑戦したものだった。
A4サイズ・16ページ・モノクロからのスタートだった。
それがいつの間にか、タブロイド版で28ページ・カラー印刷ものになっている。
ここまできたんだ、と改めて感慨深いものがある。
しかし印刷物のタイトルというものは、時代の変遷の中でいつかは寿命がくる。
これは仕方のないことだ。
変化の激しい大地の中で、よくぞ持った18年である。私は素直に誇りたい。
さて、来週からの誌名は、『Tsucione (ツチオーネ)』。

正直、驚いた。大胆なセンスだ。
ツチオーネ・・「土大根(つちおおね)」。古事記に記された大根のことらしい。
大地を守る会設立時のメッセージ
「農薬をこわい、こわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、つくり、食べよう」
この原点を忘れないという気持ちも込められている。
「プロセス」はその精神ゆえに、進化を求める。
前に進むためには、何かを変え続けなければならない。
しかし変化の中でも、変わらない精神を確認し続けることも大切なことだ。
大地年表に、新しい「ツチオーネ」時代が生まれた。
どんな時代を映し出すかは、我々次第である。
長く愛されることを願ってやまない。
2007年8月17日
仕事再開-いきなり100件!
一週間お盆休みを頂戴して、仏さんと一緒に過ごしてきました。
四国は今も弘法大師さんとともに在るような国です。
さて本日(17日)、一週間ぶりに仕事に戻れば、
机の上には100件ほどの新商品の審査物件書類がド~ンと詰まれていて、
パソコンを開けば、溜まったメールが300件強。
とても今日一日では処理し切れないなぁ、とため息ひとつ吐いて、開き始める。
審査物件100といっても、初見のものは半分弱くらいで、
多くは一度はチェック済みのもの。
不足書類を要請したり、内容の再確認・不備の指摘に対して返ってきたものである。
なかには何回も往復してきたものもある。
安全審査グループをつくって5年。
すべての取り扱い基準を整備し直し、
それに基づいての商品情報のトレース体制を築いてきたが、
必然的にメーカーからの提出書類は膨大になった。
古くから付き合いのあるメーカーの方から皮肉られたことがある。
「大地は'顔の見える関係'と言ってきたけど、
これじゃまるで'紙の見える関係'だ!」
うまいことを言う。 座布団2枚!
-なんて切り返しながら、しかし、だからといって引き下がるわけにはいかない。
ひとつの製品に含まれるすべての原材料の内容確認から始まり、
製造工程・工場内のアレルゲン物質の有無・包装容器・一括表示やラベルでの記載内容
などなど、可能な限りトレース(追跡)して、当方の基準との適合性を判断していく。
例えば、遺伝子組み換え食品に反対しながら、遺伝子組み換え大豆が使われていた、
なんてことになれば、目も当てられなくなるわけで、
大豆ひとつにも証明を求めることになる。
ひっきょう原料が多岐にわたるものほど書類が増える。
例えば、先週新製品として登場したフルーツバスケットの「野菜を飲もう!(ジュース)」の場合。
人参、大根、小松菜、水菜、ほうれん草、キャベツ、りんご、カボス、
それぞれの栽培内容を有機農業推進室で確認する。
たとえ大地の契約生産者のものでも、必要な情報は求める。
フルーツバスケット⇔大地・商品グループ⇔安全審査グループ(品質保証チーム、有機農業推進室)
の間で書類が行き来し、最終的な提出書類は55枚にのぼった。
こういった審査の途中経過や最終結果を確認するのが私の係で、
商品開発担当者(その後ろにはメーカーさん)が審査にしびれを切らして
イラ立っているのが書類から透けて見えてくるときがある。
こんな作業が繰り返され、毎週10品目前後の新商品が日の目を見る。
大地に皮肉も言いたくなるだろう。
'顔'を見るだけでなく、身体検査をされているような気持ちにもなるかも知れない。
でもこれが我々の生命線であり、こういった作業の積み重ねが、
「大地につながるすべての生産者・メーカー」(結果として「大地」)を
守ることにつながっている、というのが私の自負である。
トレーサビリティの徹底は、自分たちの限界と'課題'をも照射する。
それが安全性の向上意識につながって、'食の安全を担う生産者'の輪となるはずだ。
このやり取りが互いのモラルを鍛えている。
そんな思いでハンコを押している。
休みのツケとの格闘となった一日。
そんな中で、ブログへの感想を5件、発見する。
どれも過分なるお褒めの言葉。嬉しい!
身が引き締まり、時差ボケ気分も一気に抜けて、ギアを加速する。
それにしても暑い。最高気温も記録更新。
夜、一人居残りのところに、長野の原志朗さんから電話が入る。
「りんごが焼け始めている」
りんごも心配だけど、体に気をつけてよ -という言葉しか出てこない自分が歯がゆい。
2007年8月 3日
台風情報でも少しは役に立ちたいと・・
台風4号から半月ちょっとで5号の来襲。
おとといの日記は、ただの能天気なコメントになってしまった。

今日も農産チームのスタッフがあちこち電話しては、
「台風、どう?」とやっているのが聞こえる。
とりあえず、そんなに大きな被害はないようだ。 よかった。
ただ早場米の宮崎が、やっぱりヤバイ感じ。
生産者・宮本恒一郎さん -「今年はキツイ年になりそうよ」
これは、実際には4号からの影響のようだ。
会員の皆さんには、『PROCESS』での新米情報にご注意を。
さて、大地もただ生産者から聞き取っているだけではない。
せっせと情報を集めては生産者に発信している者が、一人いる。
安全審査グループ有機農業推進室・古谷隆司。
別に気象予報士のような仕事をしているわけではない。
仕事のちょっとした合間に台風情報をネットで収集しては、
メーリングリストに登録してある生産者に流している。
情報を先に先にとキャッチして、少しでも有効な手を打つことができれば、
生産者の手助けになることもあるかもしれない。
そんな感じで彼の判断に任せているのだが、
実際にどこまで役に立っているのかは、まだよく分からない。
ただ感心するのは、ヤツは気象庁情報や予報会社のサイトだけでなく、
米軍のレーダーからの情報をチェックしているのだ。
青年海外協力隊上がりで、コミュニケーション力はともかく、英語はできる。
今回はタイムリー・ヒットとはいかなかったようだけど、
前の4号情報は、なかなかだった。
上陸する4日前に、彼は台風の進路をかなりいい線で生産者に伝えていた。
「今日の朝見たときは沖縄を通って北上するコースでしたが、夕方には
東に流れていくコースになっています。
米軍予報で北から東に進路変更が出た場合は、もっと東へずれていくことが多い。
四国上陸予報が銚子をかすめる、なんてことも」 -ほぼピッタリ?
「どちらにしても大雨が心配。まだ接近まで2,3日あります。
水はけの悪いところは今のうちに溝を掘るとか、
冠水して根が腐らないような対策をしてはどうでしょうか」
その上で、各地方で出される台風対策情報を逐次知らせている。
「○○県では○○栽培に○○の対策を、というお触れが出てます」
当たろうが当たるまいが、こちらには責任はない(信用はともかく)。
それが予報というものである(正確には「予報」でもないし)。
と強調しつつ、
いつかこの作業が日の目をみることもあるかもしれない、とか思ってたりして。
ま、こんなことをやらしている責任は自覚している。
さて、そしてやはり、今日の進路を見ながら心配したのは新潟、
中越沖地震で避難生活を続けている人たち。
何もお役に立てないでいたが、
現地で復興ボランティアに入っているピースボートの連中に頼んで、
大地自慢の「短角牛の牛丼」250食分を送る手はずがついた、との報告が入る。
岩手県山形村-短角牛の生産者も心配しているようだ。
TVで紹介されたりしている小千谷や山古志村の闘牛も同じ短角牛だったか
と改めて気づかされる。
生産者と連名で送ることに。
少しでも喜んでくれれば、と思う。
あと気になるのは、今日から現地に向かった「青森りんごツアー」かな。
いや本音は?-りんごは気になっても、ツアー自体はたいして気にしてない。
「くそぉ、ねぷたか、いいなあ」というやっかみもあるか...。
(注) 冒頭の図は気象庁HPからのものです。米軍ではありません。
2007年7月26日
トレーサビリティの根幹に思想はあるか
今日の夕方、関西のある消費者団体の若い職員の方が、大地を訪ねてこられた。
その団体の代表の方とは古くからのお付き合いである。
聞けば、
その団体でも農産物の栽培情報のデータ管理(コンピュータ管理)を進めているのだが、
どうも相当難儀しているようなのだ。
そこで大地ではどんなふうにやっているのか見てみたいと、
ここ千葉・幕張の事務所までやって来られたのだった。
我々に教えられるものがあるのかどうかはさておき、
そういう相談を受けること自体、大地が評価されているとも言えるし、
双方内輪の実態を明かすような話なので、大地が頼みやすかったのかもしれない。
信頼されているというのか、友だちっぽい気安さがあるのか......
ま、それはともかく、暑い中ようこそ、ということで、
東西の情報交換などしながら、大地のシステムについてお話させていただいた。
具体的なデータ管理の説明はここではし切れないので省かせていただくとして、
その前提となる大事な部分を丁寧に伝えるように意識した。
そもそも、大地の今のシステムも昨日今日で出来上がったものではありません。
91年に農水省が有機農産物の表示ガイドラインを制定したときに、
私たちは
「ただ表示を規制するのではなく、食の安全のために有機農業を支援する政策こそ
必要なことではないか」
と主張し、先頭きって反対の声を上げました。
この主張は、昨年の有機農業推進法によってやっと'一歩前進'した形になりましたが、
実はあのとき、ぼくらは同時に自分たちの足元の見直しも進めたんです。
これからはきちんとした情報の管理、今でいうトレーサビリティの体制が求められる
(それによって我々の「表示」の確かさが裏打ちされる)
と思いつつ、僕らが最初にとりかかったのは、データの管理方法ではなくて、
根本的な「基準の見直し」でした。
自分たちはどういう生産者や農業を支援するのか、
その上でどういう農産物を扱うのか、という土台の思想といえる部分を改めて整理する、
という作業でした。
そこで整備されたのが「大地を守る会有機農産物等生産基準」なんです。
「基準」というものをつくれば、必然的に、
大地で扱う農産物が基準どおりに作られていることを保証する体制が求められます。
それは事務局だけでなく、生産者自身にもその仕組みがないと成立しません。
つまり基準ていうのは、そもそも生産者のものでなければならないし、
「トレーサビリティの体制」づくりもまた、生産者とともに築かれなければなりません。
それによって基準に示された理念や思想も共有されるし、そうでないと意味がない。
一方的な規則・制度の強要は、虚偽や違反を生むことにつながります。
データ化とかシステム化というのは、その証しを残すための手段ですが、
どのような情報をどこまで、どういう形で残すかは、
将来どう役立てるかの視野も持った上で設計しておく必要があります。
「内容の確認」だけだったら紙(文書)保管だけでもOKなんですから。
多大なコストやエネルギーをかけてやるには、そのための構想の整理が必要です。
他団体の仕組みを真似たところで、本当の目的は達成されません。
土台が整理できれば、生産者に書いてもらう栽培情報の書式にしろ、
あとはある種の必然性によって築かれていきます。
しかし土台が曖昧だと、内部議論もうまく進みませんし、
生産者に対する説得力も生まれません。
大地も、これまでの10数年の経過のなかでは、
生産者から強いアレルギー反応を起こされたことも多々あったんですよ。
こちらに一貫した'意思'が形成されないと、システム化なんて貫徹できないです。
迷ったときは、土台へと向かうことです。
どうも先輩くさい話ばかりで、偉そうに聞こえたかもしれない。
でも、ただパソコンの画面を見せながら説明しても、本質が伝わらないような気がして、
ついつい喋ってしまった。
でも、これはこれでわが身を振り返る時間にもなって、
まだできてないことや課題も反芻しながら、関西の後輩を励ましていたのである。
偉そうなこと言ったって、僕らの基準も完成されたものではない。
生産者と歩むものである以上、いつまでも過渡期である。
毎年々々基準を見直し、修正すべきところを修正し、少しずつでも'進化'させていく。
それに応じて管理項目が増えたり、データ管理手法も修正される。
要は、自分の中の根本の'ものさし'が必要なシステムを導き出すのだと思う。
それにしても、できてない部分を'進化させる'という言葉に置き換えるのは、
究極の言い訳のようでもあるけど、
その自覚こそがこの組織を成長させたと、僕はけっこう恥じらいもなく思っている。
だからこそ、情報管理やトレーサビリティというやつは、
己の思想を守るために存在させないと、意味がない。
分かってくれただろうか......。
2007年7月17日
台風と地震の波状攻撃
7月には珍しい大型の台風4号が、各地に被害を残して走り去った。
この異例の強さはラニーニャの影響らしい。
・・・とか書き始めたのが15日(日)の夜。
でも産地の状況など集めた上で書くかと思い直して
16日(月)、会社に向かえば、今度はなんと中越沖での地震報道だ。
こちらも大きい......えっ? 阪神淡路級!
何だか、背中の方からざわざわしてくる。
午後になっても、夜になっても、余震が続く。千葉でも揺れた。
昨日から、農産物や水産物の仕入部署である生産グループの職員は、
各産地の被害状況の聞き取りなどで、せわしなく電話している。
情報企画室からは、
「台風の影響情報を整理して、会員向けに号外を出したい」
とのメールが早々に入っていたが、地震情報も追加!となる。
いま17日の夜9時半。
幸いこれまでのところ甚大な被害報告はなく、やや安堵というところ。
南九州は雨よりも強風、中部から以北は風よりも大雨の影響を受けている。
しばらくはいろいろと出荷が不安定な状況が続くようだ。
しかし問題はこのあと、だね。
強風による果樹のスレや傷は最後まで痕を残すだろうし、
何よりこれからの病気の発生が心配される。
水に浸かった田んぼや畑では、その時の作物の生育段階によって影響は異なる。
宮崎の米は今月下旬には収穫に入るというところまで来ていて、
今回の台風が直接的に収穫量や品質に響くが、東北は「問題はこの先よ」である。
収穫に入っている野菜では、流通途中で病気が進行したりする。
果樹への本当の影響が目に見えるのもこれから。
しかも台風のあとはカラッと晴れて欲しいのだが、
梅雨が空けてないので、雨や低温・日照不足が続くのが嫌な感じ。
この時期にこんな台風来てはいけないのだよ。
地震のほうも、生産者への直接的に大きな被害はなさそうだが、
これもしばらくたってから様々な影響が出てきたりするから、まだ要注意が続く。
天災は怖い。
でも台風や地震と長く付き合ってきた民族の対応力のすごさに驚かされるのも
また天災というやつである。人の温かさやつながりの大切さを学ぶのも。
こればっかりは大地の生産者の心配だけすればよいわけではなくて、
被害のあった地域のいち早い回復を願うばかりである。
産地のことばかりに気をもんでいたが、
14日から16日まで、つま恋(掛川市)で予定されていた『ap bank fes'07』
のコンサートも2日間中止になった。
大地は今年も野外イベントで協力することになっていたのだが、
さて、用意した食材はちゃんとさばけただろうか......と
ちょっとみみっちぃ心配もしたりの三日間である。
2007年7月 7日
ハート会
7月6日(金) ハート会での講演、無事終了。
ま、REACHについてそれなりに整理してお伝えできたかと思う。
参加者からもたくさん好評を頂戴し、ホッとしているところ。
私のほかには、
有機認証機関と検査員協会の方からのお話。
そして老舗の繊維メーカーの方から環境への取り組み、など。
参加者は80名くらい。
ハート製品の製造にかかわる関係会社の方々が集まり、
ハート会の求心力もなかなかのもの、と感じた次第である。
EUがREACHでやろうとしていることは、
たんに化学物質を上から力でもって規制し管理することではない。
製品の原料調達から仕上げ・販売、そして寿命が尽きて廃棄されるまでの
すべての供給経路(サプライチェーン)を通じての、
化学物質のリスクの共有と管理(コントロール)の仕組みづくりが求められている、
ということだ。
EUに製品を輸出しようとする企業は、
その製品のすべてのパーツに含まれる化学物質について、
膨大な資料が要求されることになる。
それは販売者-完成品の製造者-パーツの製造者-その原料供給者間での
緻密なリスク情報の交換がなければ不可能だろう。
このEU規制に対して、アメリカは貿易障壁だと牽制している。
日本政府も同様である。
しかし一方、アメリカはアメリカで、実はカナダやメキシコと共同して
北米での共通規制をつくろうとしていることは知っておいたほうがいい。
これが進めば、対応できない企業は北米大陸からも締め出される。
いまや環境側面からの化学物質規制の強化は世界的潮流である。
しかも化学物質の適切なコントロールは、国境など関係なく
国際的な行動を通じてのみ効果を発揮する、という考え方が基調にある。
これは経済圏の話ではなく、地球の要求なんだとすら思う。
根本は、強化される法規制にどう対応していくかではなく、
「我々は人と地球の将来にどう責任を果たすのか」
というポリシーとモラルではないだろうか。
そういう意味で、長年の苦労の末にサプライチェーンをしっかりまとめ上げ、
原料から製造ラインそして製品まで一貫してオーガニック認証を獲得した
ハートさんとハート会各社の努力は、報われてしかるべきだ。
築き上げてきた体系と信頼関係に誇りをもって、
前に進めばよいのではないでしょうか、と結ばせていただいた。
これはけっしてリップサービスではないですよ、山岡さん。
2007年7月 5日
土壌分析のすすめ
安全審査グループ有機農業推進室(以下、推進室)のスタッフが、新しい冊子を作った。
『土壌分析のすすめ(保存版)』(A4版・24頁)

推進室では毎月、大地の機関誌(だいちMAGAGINE)と一緒に
部署内で制作した『今月のお知らせ』というニュースを生産者に送っている。
実にシンプルで、飽きのこないタイトルでしょう。
推進室から生産者への各種のお願いごとや、
有機農業とか農薬に関連する新しい情報、大地の行事の案内などをまとめて、
月に1回発行している。
そこに今月は上記の冊子が同封された。
『保存版』としたところにスタッフの気持ちが込められている。
土壌分析というのは、
畑の土の肥料(栄養)成分を測定することで、土壌の栄養バランス状態を正確に捉え、
肥料のやり方を調整して、品質や安全性の向上に役立てる、という科学的な手法である。
プロの農家相手に何と大胆なことを、と思われるだろうが、
有機農業派の中にはけっこう職人肌の方が多く、
みんながみんな科学的分析を基に肥料設計をしているわけではない。
長い経験によって培われた判断力や勘はその人の熟練技として、
ぼくらはただ感嘆して教えを乞うのみだが(それでも分かるわけではない)、
意外と土は栄養過多になっていたり、
あるいはいつの間にかバランスが崩れていたりすることもある。
そこで思い切って、
土壌分析の基本や数値の読み方について解説したものをつくって送ろう、となった。
分かっている農家には文字通り'釈迦に説法'だけど、
土壌分析というものを相手にしない人に対する我々なりの呼びかけとして。
主に書いたのは吉原清美である。
この間、自腹を切って地方での研修に出かけるなど、精力的に学んできた。
上司としては、「よくぞ書いたもんだ」 である。
私には、仮に知識があったとしても、コワい生産者の顔が浮かんでしまって、
とてもできない。
さて、生産者からの最初の反応は、
「他の仲間にも見せたいので、あと5部ほど送ってくれないか。」
推進室長の亀川が喜んで、皆に報告している。
上司のひと言は、かなりセコかった。
「コピーさせろよ」
ここは担当を褒めるべきでした。反省。
でも、こんなんではすまないんだぜ、きっと。
オメーらに何が分かる!
という顔がいくつか浮かんでいて、心の狭い上司の腹の中は戦々恐々なのである。
でも我々だって、ただチェックするだけが仕事じゃない。
品質や安全性の向上に、貢献したいのだ。
そうだね。ここは誰が何と言ってこようとも胸を張ってやらねば。
2007年7月 3日
リーチってか...
オーガニックふとんでお付き合いいただいている
「ハート」さんが、
原料の調達から製品仕上げまでの行程で関わりのある関係会社さんたちを集めて、
年に1回、「ハート会」なる研修会を開いている。
今年は7月6日(金)に東京で開かれる。
そこで3年ぶりに講演の依頼がきた。
3年前は、大地の基準の考え方や栽培管理システムの体系などを通じて、
トレサビリティ(追跡可能性)体制の大切さについてお話しさせていただいた。
そんな経緯もあるので、今回は何をテーマに話をしろというのだろうと、
担当に確認してもらったところ、まったく想定外の課題が突きつけられた。
リーチ法について話して欲しい。
えっ?って感じ。
ここで言う「リーチ法」とは、EUでこの6月に施行された「REACH規制」のこと。
EU内で製造・販売されるおよそ3万種におよぶ化学物質について、
安全性評価を義務付け、その情報を登録し規制する制度である。
その規制はEU域内に入ってくる製品にも共通して要求される。
日本でもEUに工業製品を輸出する企業の間で関心が高まってきている。
でもなんでハートさんが...
話をするにも、その意図とずれては申し訳ないと思い、。
資料準備に入る前に山岡社長に直接電話を入れてみた。
いやぁ、ハッハッハ! びっくりしました?。
特に深い理由あるわけではないんですぅ。。
この間の新しい動きで、このさい勉強しておこうかと...。
大地さんなら何言うても大丈夫かと、ハ~ハッハッハ~。
社員にも言うてるんですよ。。
勉強せんやつは、勉強する友達持てぇ」って。ハッハァ。
そんなことで、ま、軽くお願いしますわ。
軽く、って言われてもね。
大地だってEUに何かを輸出する事業計画があるわけでもなく、
まだあまり情報収集できてない。
というより中身そのものがまだこれから、という代物なのだ。
ただ、EUが本腰を入れて10年近くの年月をかけて作り上げてきた
化学物質の総括的規制である(そこらへんのプロセスが日本と違う)。
その意味と今後の影響くらいは考えておきたいとは思っていた。
それにこの問題の本質は、多くの企業が考えているような、
たんに「EUにどう対応するか-」ではない。
まあ、この機会だから、一応の整理をしておくか。
こういう動きにアンテナを張っている社長にも敬意を表して。
しかしどうも、うまく乗せられたフシがないとは言えない...
と独りごちつつ、本日(も?) ひとり寂しく残業なのである。
